「やあ!カルロくん」
頭上から降ってきた声に、ロッソストラーダの面々が足を止めて顔を上げると、屈託なく笑うアイゼンヴォルフのリーダーが、寄宿舎の二階のバルコニーから手を振っていた。
何度となく着てみたいと焦がれた、可愛らしい白のワンピースがその身体を包んでいるのを、ジュリオは苦々しいような、しかし似合いすぎていて素直に賞賛せざるを得ないような、それがひどく羨ましいような、非常に複雑な気分で見つめる。
「チャオ!」
隣で、リオーネが機嫌よく挨拶するのが見えた。それにミハエルがテンポ良く同じ挨拶を返してくれたのが気に入ったらしく、ますますその顔が緩んだ。傍目にもだらしない。
ジュリオも一応軽く手を振って、ミハエルに呼ばれた当人である筈のカルロに視線を移す。
が、カルロは上を見る事もなく、歩みを止める事もしない。ミハエルのいるバルコニーの下を素通りするべく、さっさと歩を進めていた。
一匹狼を気取ったその後ろ姿が、「係わり合いになりたくない」と雄弁に語っているのが、付き合いの長いジュリオには手に取るようにわかる。そして、その気持ちも痛い程ににわかる。
「…カルロ、お前に用事なんじゃねえのか?」
ジュリオ程にはカルロの気持ちを読み取れない男、ゾーラ。また余計な事を言って、射殺されそうな眼光に巨体を竦ませている。いい加減に学習すべきだと、ジュリオはいつも思う。
カルロの頑ななまでの無視を気にした様子もなく、ミハエルはマイペースにも声を張り上げる。
「どこか行くのー?」
「知りたかったら一緒に来るかい?」
誰に向かってと決めた問い掛けでもなかったのだろうが、リオーネが間髪入れずに答える。
彼の事だから深く考えずに、いつものナンパの要領で反射的にそう返したのだろうが、カルロの一層鋭くなった眼光に気付いていないのだろうか。
…気付いていないらしく、ひたすらミハエルに話しかけている。ジュリオでさえカルロのこの視線には怯えを感じてしまうというのに、今のリオーネには通用しないらしい。ある意味感心してしまいそうだ。
「ちょっと、リオーネ…」
カルロの機嫌がこれ以上悪くなって自分にまで火の粉が掛かる前に、何とかリオーネを黙らせようと声を掛けるが、聞こえもしないらしい。
「じゃあ今からそっち降りるねー」
「ああ、今すぐおいで!待ってるよ子猫ちゃん」
芝居がかった仕草でバルコニーのミハエルに向かって両手を広げるのに、何度もこんな光景を目にしている筈のジュリオですら、肌が粟立つのを感じてしまった。ルキノが「…バカもここまでいくといっそすげえな」と呟くのが聞こえるのに、思わず頷いてしまう。
カルロの怒りをものともしないリオーネは、確かにバカを通り越してある種の猛者なのかもしれない。
流石のミハエルも呆れているんじゃないかと思いつつバルコニーを見上げて、そこに更なる猛者を見てしまって息を飲んだ。
「ちょっと!危ないじゃないのよ!」
反射的に叫ぶが、能天気な笑い声が返ってくるばかりだ。
「大丈夫だよ、こんな高さなら心配いらないから」
バルコニーの手すりを乗り越えたミハエルは、事も無げに言い放つ。白いワンピースが風にはためいた。ミラノの街角で、薄汚れたボロを着て、怪我なんか日常茶飯事の生活を送っていた自分達ならば、確かに躊躇いなしに飛び降りられる程度の高さかもしれない。
しかし、ミハエルがそんなに丈夫にできているようにはとてもじゃないが見えなかった。
平気だからそこどいて、と片手を振る仕草ですら危なっかしくて、「やめなさいったら!」と悲鳴を上げてしまう。
「あいつもバカか!?何考えてんだ、お嬢のくせに」
ルキノもまた、焦った声を上げる。
ミハエルが怪我をした所で、自分達が困る事などない筈なのだが。むしろ、ライバルチームのリーダーが怪我をすれば都合がいい筈なのだが。
なのに、予想外の事態にそこまで気が回らず、ついつい喚く羽目になる。全くもって自分達らしくない。
ミハエルが思い切り良く飛び降りた瞬間、思わず口々に悲鳴に似た叫びを上げてしまった。
カルロが舌打ちして、駆け出したのにも気付く余裕はないままに。
どさ、という音がした瞬間、ジュリオは目を閉じていた。だから、その決定的瞬間は見ていない。
「カルロ!」と叫んだゾーラの声に、そろそろと瞼を上げると、信じられないような光景が視界に入る。
仰向けに倒れこんだカルロの腹の上に、ミハエルが跨るようにしてちょこんと乗っかっている。そんな体勢なのに、スカートの裾の乱れはない辺りが凄い。すぐさま正したのだとしたら、流石だと言っていいのかもしれない。
「…カルロくん、大丈夫?」
「大丈夫な訳あるか。どけ。重い。失せろ」
小首を傾げるミハエルに対するカルロの返事は、不機嫌極まりないものだ。
しかし、ミハエルは脅えるどころか、むしろ愉快そうに笑う。イタリアでのカルロに対する周囲の反応を思えば、ミハエルの肝の据わり方にはもはや感心するしかない。
「やだなあ、女の子に重いは禁句だよ。…って前にジュリオくんが言ってたよね?」
妙に優雅な仕草で立ち上がりながら、ミハエルは唐突に矛先をこちらに向けてくる。
人の注目を浴びるのが好きなジュリオではあるが、こんな形で一斉に視線を向けられるのは勘弁して欲しい。「そ、そうね…」と答えた時、喉が異様に渇いていた気がするのは、こちらに向いたカルロの視線によるものが大きいのだろう。
「それにしても、カルロくんって優しいんだね」
しかし、ジュリオを竦ませるカルロの視線は、その一言によってすぐにミハエルに戻る。
「ああ!?誰がだ!気色悪い事言ってんじゃねえ!」
ここまで怒鳴るのを押さえてきたカルロがとうとう叫んだのに、ジュリオも、他のメンバーも、思わず顔を引き攣らせた。ここまで怒ったカルロは久しぶりに見た。
しかし、怒りの矛先を向けられている筈の本人は、それでもあくまでも笑顔のままだった。
「優しいよ。僕、平気だって言ったよね?よくやるんだ、部屋を抜け出すのに」
シュミットもエーリッヒも、逃がしてくれないんだもん。そんな事を、少しだけ拗ねたような口調で続ける。表情は楽しそうなままだけれど。
「心配して助けてくれたんだよね?怖そうに見えるけど本当は優しいんだね、君」
どんどん険しくなっていくカルロの形相を前にしてもなお、そんな事を言い放つミハエルに、もはやジュリオ達は恐れ戦くしかできない。紛れもない、この子は大物だ。
「条件反射だ!誰がてめえの心配なんざ…」
「ありがとう、カルロくん」
怒り狂ったカルロの反論すら、容易く封じてしまう。あのカルロが。ジュリオですら、そんなカルロの姿を見るのは初めての事で、驚愕してしまった。
「ねえ、遅くなっちゃうよ。早く行こう」
カルロに言葉を発する事すら許さない完璧のタイミングで、ミハエルはまた小首を傾げる。
怒りのあまり愛用のナイフを取り出して、その柄を強く握り締めたカルロが、いつもの鋭い刃のような彼でなく、まるで毛を逆立てた猫のように可愛らしく見えてくるから不思議だ。ぐいぐいと腕を引っ張られていくから、尚更そう見えるのかもしれない。
呆然と二人の後ろ姿を眺めていると、不意に隣から笑い声と、手を叩く音とが聞こえてきて、驚いてそちらを見遣る。
「いいね、最高。あのカルロを手玉に取るシニョリーナなんて極上じゃないか」
リオーネは、今の一幕がひどく気に入ったらしい。惜しみない喝采がカルロの耳に届けば、リオーネだけでなくこちらにも八つ当たりされるのではないかと気が気ではなかったが、幸いにも、ミハエルに対する怒りで頭が一杯になっているカルロには聞こえていないようだった。
「…そうね、最高、かもね」
最高、最強…カルロにしてみれば、おそらく最悪。
何事においても頂点に君臨する、それが天才なのかもしれない。
天才と、もしかしたら最も不幸かもしれない自分達のリーダーとの後ろ姿を眺めて、上には上がいるもんだな、と、自分達の中での最強の座が入れ替わるのを感じた。
それはもしかしたら、チームを結成して初めて、四人の心が一つになった瞬間なのかもしれない。
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米田平八様よりいただきました!
ロミオとジュリエットでも意識しているのかと思うような
リオーネのオーバーでキザなリアクションと
決してパンチラしないミハエルさんが理想どおり。
鮮やかなロッソのやり取りには僕の完敗だ!の一言です。(笑)
カルロがミハエルを助けた理由は
*おぼろげな好意
*イタリア男の常識
*ボスとしての条件反射
の入り混じった感情だそうです!
さあ!皆もコレを読んでカルミハにハマるがいい!!(笑)
米田様、ありがとうございました!
至上の君