『ほい、ジャスティンくん』 死神様の広い掌がそっと、壊れものでも扱うかのように魂を手渡す。 彼がそれまで狩ってきた「悪人の魂」とは違い、濃い紫の輝きを放つそれを、受け取った金髪の少年は、 けれど手の中のものにはまるで関心がないかのよう、無言で死神様を見上げていた。 『本来なら、生徒自身で狩るのが必須なんだがな。 お前のこれまでの功績と、実力とを十分に加味したうえでの特例だ。ジャスティン』 デスサイズであるスピリット・アルバーンが死神様に変わり、少年に告げる。 『お前をデスサイズスの一員として迎え入れる。さあ、』 その、魔女の魂を。 促され初めて、死神様から直々に賜ったそれに視線を落とした、少年の瞳はどこか虚ろであった。 それはまるで、興味の無い玩具を見る子供の目、そのもので、 『オオーー、我が神、我が主よ。 あなたが選び給うた人々、あなたの信託を運ぶ人々、あなたを愛するすべての者らに定め給うたものを私に定め、 選ばれし者らに書き下し給うたものを私に書き下し給え。私はあなたの僕であり、あなたの僕の子であります』 けれど、顔をあげ、死神様を振り仰いだ彼は、いつもそうするよう流暢に、一介の聖職者として賛美の言葉を捧げ奉る。 『あなたの御名を我がランプとなし、あなたのお望みを我が願望となし、あなたのお喜びを我が歓喜となし給え』 常となんら変わらぬ柔和な笑顔。 『私は、主と共に在ります』 そう誓う少年、ジャスティン=ロウを、主以外の全てを拒絶するようなその蒼い瞳を。 梓はその時初めて、酷く恐ろしいもののように、感じた。 わがみののぞみは ********* 空気が重く感じられるのは、廊下の狭さによるものだろう。 一般生徒は普段あまり近寄ることのない、死武専の地下通路を一人歩く梓の、 ヒールの高いブーツが床を叩く音だけが、石造りの床に硬く反響している。 西欧の古城を思わせるようなその造りは、窓がないため解放感が無く息苦しい。 壁の蝋燭の灯りだけが、ときおり頼りなく揺らめいている。 厚い壁に囲まれ、外の音が一切聞こえてこない。 蝋燭の炎の揺れに伴って、壁に映る自らの影もまた揺れる。 細く長く伸びた影は、人の皮を被った魔物の姿が映し出されたかのように、奇怪な形でもって壁に映り揺れている。 それはまるで、人の本性を映しだしているようであると。 そんな益体もないことを、柄にもなく考えてしまうのは、場の重苦しい雰囲気がそうさせるのであり、 そしてこれから向かう場所の持つ性質上のものであると、梓は理解していた。 「……」 鋲打ちされた無骨な鉄の扉の前に立ち、ふう、と梓は重い吐息をついて、ドアノブに手をかける。 施錠はされていない。少し力をこめて押すと、特有のむっとした埃っぽい空気が鼻をついた。 中に入り、背で押すようにして、扉を閉める。 吊り籠、三角木馬、鉄の処女。部屋中にところ狭しと並べられている、物騒な道具を表情一つ変えず冷徹な視線でもって見渡す。 拷問部屋。 今は人道的な側面から、使用されることのなくなったその部屋は、 しかし死武専と魔女との闘いの歴史を物語るものとして、資料的な意味合いのもと保存されていた。 通常は、職員以外は立ち入り禁止の筈のその部屋に。 ズドコンズドコンと場にそぐわぬキック音が、微かに聞こえたことで、梓は自分の予測が正しかった事を知った。 部屋の奥に安置されている、断頭台の前へと歩み寄る。 「やはり、此処でしたか」 ぼんやりと立ちつくす影を見つけ、声を掛けるが、ひょろりと縦に長い人影は、こちらを振り返る様子もない。 いつものことだ。 慣れた様子でつかつかと近寄って、梓はその肩に手を置く。 「はっ?」 初めて、梓の存在に気付いたかといったよう、目を丸くして振り返った長身の青年。 牧師服に身を包み、聖帽にくせ毛気味の金髪を押し込めた彼こそ、 最年少のデスサイズスであり、梓の後輩でもある、ジャスティン=ロウその人だった。 「ジャスティンくん」 「ああ、これはこれは。梓さんではありませんかァ」 虚ろであった目が梓へと焦点を結ぶ。 ジャスティンは大袈裟とも言える身振りで大きく両手を広げ、ご機嫌麗しゅう、とにこやかに笑んでみせる。 数年ぶりに顔を合わせる後輩に、けれど梓は旧交を温めるでもなく、 厳しい目線で彼を見、『煩いから止めろ』のゼスチュアをしてみせた。 「?」 「あなたの、ウォークマンを、止めなさい」 「! わかりました。ウォークマンを、止めろと、仰ったのですね?」 口唇を読んだのだろう。わかりました、と言った筈の青年は、 しかしイヤホンを取る事も、ウォークマンを止めることもしようとはしない。 『止めろと言った事を理解した』、つまりそれ以上ではないのだろう。 言葉が通じているのかいないのか。 苦手な相手だ、と思いながら、梓は躊躇い無くその耳に射し込まれたイヤホンを、左右まとめて引っこ抜く。 漏れ出ていた音は、一層煩く部屋に響き渡った。 「理解したのなら、実行したらどうです」 言いながら、強引にウォークマンの電源を落とす。 イヤホンから漏れ出る喧しい音が止み、辺りがしんと静かな空気に満ちた。 「……?」 小首を傾げるだけの後輩に、梓は軽く眉間を抑えた。 「本当に君の耳には、死神様の言葉以外は届かないのですね」 「そうですね! 僕の耳は神の御言葉を聞くためにありますから」 悪びれもせず、答えてジャスティンは、祈る時のよう片手を胸にあてた。 「周囲に氾濫する様々な雑音のなか、 神の御言葉を聞くため耳だけではなく目も、いえ、心も含め僕のすべてを集中させなければなりません。 僕は常に僕の中に、そのような集中と緊張を求めているのです」 普段からいつも、周囲の『雑音』をシャットアウトしているのも、そのためだというのだろうか。 「全ては主の為に、ということですか」 朗々と己の考えを語るジャスティンを、見上げる梓の目は相変わらず厳しい。 「ええ」 「他のもの、神のお言葉以外のものは、貴方にとって不要だと?」 「そんなことはありませんよォ。人とは、独りでは生きてゆけないものですから」 「……そう、『神が仰った』?」 「ええ!」 にこにこと、答える笑顔には欠片も邪気がなかった。 **************** “ジャスティン君のこと、気に掛けてあげて欲しいんだよねェ” 『最年少デスサイズ』、『爆音と共に現れる処刑人』。そのような二つ名で呼ばれる彼、ジャスティン=ロウ。 四年前、彼をデスサイズスに“した”のは、他でもない、死神様だ。 職人のパートナーも付けずただ一人、九十九個の魂を集めた彼は、自らの力でデスサイズスに“なった”のではない。 それが、梓達他の七人のデスサイズスと、唯一異なる点であり、そしてその事実を知る者は、この死武専でもごく一握りの者だけだった。 当時の事を思い出して、梓は眼鏡の奥の瞳を細める。 当然、大きな反発があった。 どれだけの希有な才能があろうと、篤い信仰心、強い忠誠心があろうと。そのような前例のない扱いを、するべきではないのではないか。 これまで魔女に挑み、そして命を落とした多くの同胞を思えば、尚更。 『何故、なんです? それほどまでに、ただ一人の生徒を、気に掛けられる理由は』 『梓ちゃん』 純粋な疑問から、主張する梓に、死神様は静かに告げた。 『魔女との戦いがどれだけ熾烈なものかは、梓ちゃんも十二分に知ってるよね』 『…………ええ。私達は、“自らの手で”、時間をかけ綿密な計画のもと、その魂を狩り取りましたから』 殊更強調するように言う梓に、死神様はふうっと溜息のような息を吐く。 そのまま、しばしの沈黙があった。 話すべきか否かを、迷うかのような死神様に代わり、傍らに控えていたデスサイズが、その言葉を継ぐ。 『ヨーロッパ支部のデスサイズスが、先月引退した。梓も知ってるだろ』 『……はい』 『人出不足なんだよ、ハッキリ言ってな。優秀な人材の確保、これが今の死武専の最優先懸案事項だ。 ……確かに、ジャスティンの能力は高い。パートナーを付けずともいずれ、一人で魔女の魂を狩ることができるようになるだろう』 『だったら、』 『悠長にジャスティンが魔女を狩るだけの力をつけるのを待つだけの時間も、 …………まかり間違って、あいつが死んじまった場合の代わりになる人材も。今の死武専には、無い』 そんな状態で、世の規律など保てるものかと。 最後の一言に、会議の場は水を打ったように静まり返った。 法と秩序の維持。新たな鬼神の誕生の阻止。死武専の創立目的である、 それすら遂行が危ういのが現状であるのだと、突きつけられれば誰も、反対はできよう筈が無かった。 『一度放たれた矢はね、引き戻される事がないんだよ』 『死神様……』 『損失の最初化、と言えば聞こえは悪いかもしれないが、 私は世の秩序、世の規律を司る神として最善と思われる決断を、下すことしかできない』 常になく、重い口調で言った死神様は、それにサ、と続けた。 『確かにジャスティン君は優秀だ。“優秀すぎた”んだよ。 ……一人の力には限界がある。けれど、類まれな力を持つが故に、彼はその力から自由にはなれない』 『……』 時に互いを高め、時に抑制するための職人を持たない、持つ事ができない魔武器。 それは設置型という特殊性故ではなく、 その優れた能力故であろうと述べる死神様に、梓が黙ったのは、消極的な肯定の意味でもある。 『体のいい言い訳に、聞こえるかもしれないけれど。 デスサイズスに加われば、スピリットくんをはじめとした先輩がいる。 そうして周囲と触れあう事、責任ある地位に就き信頼を集めることは、 ジャスティン君の中の何かを、変えるかもしれない』 組織の都合で人を動かすのが必然であるというのなら。 せめて彼が“世界”と触れ合う為に、できる自身の『慈愛』はこの程度であるのだと。 『……私があの子にしてあげられるのは、そのぐらいかなァって思うんだよ』 神サマって無力だよねェ、と自嘲気味に笑った死神様は、いつもと同じ表情の読めない面であったが。 梓には確かに、その横顔が、寂寞の影を落として見えた。 『だからさ、梓ちゃん。ジャスティン君のこと――――』 ************ 以来、最も年の近い先輩、として、梓はジャスティンをそれとなく気には掛けてきた。 近いとは言え、十三でデスサイズになったジャスティンとは、五歳以上の差がある。 加えて二人の間には未だ、己の事を親しく話すほどの、物理的距離も、精神的距離も存在しない。 正直、なんの共通項も見出せないこの後輩と、対峙するのを苦手にさえ思う。 けれど、それは敬愛する主、死神様からの懇願であり、法と秩序を守る者としての義務でもあったから。 「ジャスティンくん」 少しの迷いと共に、言葉を探す。 「私たちは神に仕え、この身を神に捧げるものです」 届かないかもしれない、という恐れを、片隅に抱きながら。 「けれどそれは、個々人の人格を否定するものではないはずでしょう。 信仰とは、自身を殺すことではありません」 「?」 ジャスティンの首がかくんと傾げられ、金髪の癖毛があわせてふわりと揺れた。 「そのようなつもりなどありませんよ。 僕はただ、主のお言葉を賜ることを至上命題、絶対の喜びとして感じているだけです」 「……信心は美徳であると、周囲は貴方を評価します。 けれど、…………貴方は。一体何を、恐れているのですか?」 「僕が? ですか?」 「信仰とは、漠然とした怖れそのものでしょう。人が信仰に求めるものは、魂の救済であると」 「……」 人間は、弱く、脆い。信仰が必要なのは、弱い人間だからこそだ。 それは個人的な考えではあったが、彼を構成する本質でもあろうと、直観的に梓には分かっていた。 「恐れてなどいません」 真っ直ぐに、梓の瞳を見詰め返して、ジャスティンは言った。 「主は僕をお選びくださりました。 このようなゆるぎない愛情を受けて、いったい何を恐れることがありましょう。 神がそう望むのならば、この命を捧げることすら、僕には喜びなのです」 「……」 笑みさえ浮かべ語るジャスティンに、反論しようとして、止めた。 梓のものとは対照的に、彼の言葉には一切の迷いがなかった。 主が己に微笑み、自分という存在を愛してくれると信じるから、彼は生きている。 死さえも神へと戻る喜びとする彼にとり、自らの生とはただそれだけのものなのだ。 神に祈り、自らを捧げ、全てを委ねることでしか、孤独を克服できない。 そんな彼の態度こそが、彼の敬愛する主に危うさを覚えさせ、そして己に恐怖に似た何かを抱かせるのだと、梓は知った。 「ところで梓さんはァ、こちらへは何の御用で?」 「…………オセアニア支部への出発の準備が整いましたので、離れる前に挨拶をと」 「オオー、そうでしたか。道中、お気をつけて」 話さなければならないことがある。 いつも、短い邂逅のなかでそう思い、けれどいつも諦めを抱いて、梓は別れを告げることになる。 「ジャスティンくん」 そんな連鎖は、いつか終わりを告げる日がくるのだろうか。 部屋を去る間際、声をかけてしまったのは。そんな微かな祈りの様な感情が、させた事かもしれない。 「何故いつも、貴方はここに?」 その両耳を、爆音で塞いでしまうより以前から。 ジャスティンは、この拷問部屋に一人、ぼんやりしている事が多かった。 「……不思議ですよねェ。ギロチンは、拷問道具じゃない。 処刑道具であるはずなのに、こうして他のものと同じ部屋に収められている」 梓が来た時と同じよう、断頭台の前に佇み、 それを見上げるジャスティンの目は、やはり焦点を失い、実際には何を見ているのかもよく分からない。 「異質の中に身を置くことに、孤独を感じているのだと?」 答えた梓に、ぱちくりと瞬き、クス、とジャスティンは愉快そうに笑う。 「やだなァ、梓さん。これはただの道具ですよ。そのような事を、思う筈がないじゃないですか?」 道具には感情などない。例えどれだけの血を吸おうと、道具は何も感じはしない。 そんなジャスティンの言葉はまるで、 目の前のそれではなく、――――自らの望みを語るようで。 「………………。日本では、命あるものだけではなく無機物にも、 長い年月を経て感情が宿る、という思想があります」 「おおォーー。それはとても、スピリチュアリティな考え方ですね!」 感心したように言ったジャスティンは、「なら、」と続けた。 「全てのものに、心が宿るというのなら、――この処刑台は。 この部屋に閉じ込められた我が身を、どう考えているのでしょうね」 「……、」 何も読みとれない、常と変らぬ完璧な笑顔。 けれどその言葉の端、僅かに彼の感情が、押し殺し損ねた何かが、見えたような気がして。 ジャスティン、と名を呼びかけた声は、梓の咽喉奥で絡んで掻き消えた。 何事も無かったかのよう、ウォークマンのスイッチを入れ、 再び爆音の中へその身を委ねたジャスティンに、黙って眼鏡のブリッジを押し上げ、梓はくるりと背を向ける。 これまでとなんら変わらぬ、その距離。 そこに歯痒さを、自らの非力を思うのは、誰より鋭い『目』を持つデスサイズスとして。彼の、最も近い先輩として。 ――本当に、それだけ、だろうか。 そんな疑問を胸の奥に沈める。 引いた鉄製の扉は、ここへ来た時よりも、重くなったような、気がした。 フリー素材 blue-green |