その日はたまたまそういう気になったので、ただの悪ふざけのつもりだった。
誰に吹き込まれたのか、どこから仕入れたのか知らないが
彼は帰宅した私に対して訊ねてきた。

お風呂にするかご飯にするかそれとも自分にするかと。

始めたばかりのままごとのような同居生活。
結婚はしたものの夫婦などという意識はまだなくて、
その微かな違和感は年を経れば消えてゆくものだと思う。
今のところ律義に玄関まで送り迎えをしてくれるエプロン姿の夫を見上げる。
台所からは微かにこげたような匂いが漂っていてまた失敗したのだろうかと思う。
今日の夕飯は食べられる物だろうか。
鞄を下ろし靴を脱ぎ彼に近づいて首に腕を絡ませる。

「な、なんですか、どうしました?」

普段からは考えられないこちらの唐突な行動に彼は戸惑うもすぐに身をかがめる。
夫の身長はまだ伸びている。どこまで大きくなるのだろうと考え笑いがもれる。

「なんですかぁ?嫌なことでもありました?」

自分の背に腕が回る。

「ないですよ。君を選んだんです」

少し疲れているのかもしれない。
彼の匂いに安堵し、浸透する体温に僅かに眠気を覚えながら呟くと、
耳の傍で聞こえた大きな声に体がはねた。

「おぉー分かりました!!」

何が、と問い返す間もなく体が浮いた。
横抱きにされ思わず彼の首に縋る。

「梓さんは僕をお望みですね!光栄です!!」
「ちょ、ちょっと待った!」

忍び寄っていた眠気は吹き飛び、異常な安定感をもって自分を運ぶ腕から
逃れようと身をよじる。

「暴れても落としませんから存分にどうぞ」
「いやいや!下ろしてください!」

嫌な予感がする。抱きついたのはただのスキンシップのつもりだったのだが。

「ちょっと待ってくださいねぇ〜」

話しながらもずんずん進んで寝所の襖を足で開け、中に入ると後ろ足で閉める。
器用だが行儀が悪いとそれどころではないことを考えながら、
すでに敷かれてある布団に軽く眩暈を覚える。
いや、何を非難することがあろう。
自分が帰ってくるまでに家事は全てきちんとこなし(クオリティについてはこの際触れないでおく)
寝所の用意も整えておく。
よく出来た主夫ではないか。

「はい。お待たせしましたぁ〜」

布団の上に自分を降ろしその上に覆い被さる。

「弓・ジャスティン一丁です!」
「あ〜・・・」

ラーメンじゃあるまいし!というツッコミは恥ずかしさにかき消される。
咄嗟に両腕で顔を覆ったのは赤くなったそれを隠すためで、原因はこの体勢によるものではない。

「梓さーん」
「慣れませんね、それ。変な感じ、です」
「何がです?」

夫の顔は見えないがおそらく首を傾げているだろう姿が浮かぶ。

「君が弓の姓を名乗るのが」

かといって梓・ロウというのも相当可笑しいが。

「変ではないですよ。僕は皆さんのジャスティン・ロウから梓さんの弓・ジャスティンになったのですから!!」
「あーハイハイありがとう」
「なんですかその棒読みはっ」

顔から腕を外して笑う。

「嬉しいですよありがとう」

彼が何かいう前に首に両腕を回し体重を掛ける。
すると布団に突っ伏した衝撃にもがっとうめき声を発して静かになった。
自分に掛かる夫の重みが心地よくて思わず呟いた。

「眠い」

すると耳の近くでくぐもった低い声が聞こえた。

「・・・蛇って半殺しにすると祟るんですよ」

のそ、と身を起こした彼の目の色が少し変わっていてまずいなと思う。

「・・・それを言うなら生殺しでは」

先程とは違った種類の笑みを一つ刷いて、眼鏡のブリッジを人さし指で掬うように外した。
世界がぼやける。

「分かってて言ってるんだから梓さんも人が悪い」
「君ほどじゃありませんよ・・・」

彼の意図を理解して、観念するように目を閉じると口をふさがれた。
絡めた指に異物の感触。彼の薬指にはめられた物の。
苦しい息に痺れた頭の隅で考える。明日が休みでよかった。

------------------------------------
「蛇って半殺しにすると祟るんですよ」

ということで晴郎さまよりいただきました!新婚ジャス梓です!
ジャスティンがかわいい中にもしたたかさがあり、なんていうかいいですよね・・
梓も頼りがいのある大人の女性で・・・・
こんな家庭を築いてくれたら言うことはありません。
晴郎さま、ありがとうございました!