Jazzとは何でしょう




SIX: Jazzカーネギー・ホールへ
 
SIX: Jazzカーネギー・ホールへ

  ニューヨークのカーネギー・ホール Carnegie Hallと言えばクラシック音楽の殿堂、世界最高の音楽家だけがここで演奏できるのです。現在でこそほかにホールの数も増え、カーネギー・ホールといえども貸ホールのワン・オブ・ゼムとなっているかも知れませんが 、第二次大戦前のニューヨークではそのようなことはありませんでした。
  1938年1月16日の夜、カーネギー・ホール史上初めてのジャズ・コンサートが開かれ、ニューヨークがそして全米が興奮しました。コンサートがラジオを通じて全国にライヴで放送されたからです。この栄誉を担ったのがベニー・グッドマンでした。彼のもとに先ほど列挙した初期ジャズの巨星たちが参集しています。ハリー・ジェイムス、ジャック・ティーガーデン、ジーン・クルーパ、ライオネル・ハンプトン、カウント・ベイシー、テディー・ウイルソンなどです。この歴史的演奏会がさいわいにも録音されていたので、今日でも我われはその全貌を知ることができます。磁気テープによる長時間録音の技術はナチス時代のドイツが開発したもので、一般に使われるようになったのは第二次大戦後のことですから、1938年のコンサートが全部録音されていたというのは驚くべきことです。市販のSPレコードは片面3分半から4分が精一杯だった時代に、一番長い曲は13分以上もかかるのを、大型のレコード原盤を使い継いで刻み込んだのでした 。

31.(MDA−11)
I Got Rhythm Benny Goodman (clarinet), Gene Krupa (drums),
Teddy Wilson (piano), Lionel Hampton (vibraphone).
[Benny Goodman Live at Carnegie Hall Columbia G2K-40244 ADD 1938]
ジョージ・ガーシュインの名曲「アイ・ガット・リズム」が華麗なジャズになりました。ベニーのクラリネットにピアノ、ドラムスで、ベニー・グッドマン・トリオとして高い人気を得ていたところへ、新しい楽器ヴィブラフォンの名手ライオネル・ハンプトンが加わり、カルテットになりました。もちろんピアノ(テディー・ウイルソン)、ドラムス(ジーン・クルーパ)もその時点でのジャズ界最高のアーティストたちです。

次はアメリカばかりでなく、世界にジャズの存在を知らしめたこの夜の演奏の中から、カーネギー・ホールをそしてラジオを通じてアメリカ全土を、興奮のるつぼに巻き込んだ「シング・シング・シング」です。すこし大げさに言えば、このときからジャズは音楽史の表舞台に躍り出たのです。

32.(MDA−12)
Sing, Sing, Sing Benny Goodman (clarinet) and His Orchestra.
[Benny Goodman Live at Carnegie Hall Columbia G2K40244 ADD 1938]
ジーン・クルーパの心身を揺さぶるビートの連打、主旋律に寄り添うように絶妙のタイミングでカウンター・ポイントを歌いこむベニー・グッドマンの至芸、そのクラリネットに絡むように和音をピアノで挿入するカウント・ベーシーの抜群のセンス。ハリー・ジェームスの輝くようなトランペットの音色と超絶技巧、どれをとっても超々一流の演奏です。しかも、プログラム進行のガイダンスとしての譜面は置いていたでしょうが、各ミュージシアンは即興でこのような演奏をしていたのです。とくに後半、途中の拍手以降のアンコールに相当する部分での即興演奏のやり取りは、入神の域という感じすらします。「もう一度同じように啼いて」とリクエストしても、このウグイスたちは同じようには啼けない、その場限り、ただ一度だけの演奏なのです。当然ながら映画「ベニー・グッドマン物語」でも、このカーネギー・ホールでのコンサートをクライマックスに持ってきています。映画での演奏は、このライヴ録音の迫力にははるかに及びませんが、それでもビデオでぜひ観ていただきたいと思います。

  本テキストの目的に直接の関係はありませんが、この頃のアメリカでは白人公衆の前で黒人が演奏することはありませんでした。ホテルの宴会場や公民館で演奏するビッグ・バンドのメンバーはみな白人でした。黒人のジャスを聴きたければハーレムなど黒人街のクラブへ行かなければならなかったのです 。そうした世相にもかかわらず、ベニー・グッドマンは才能あるミュージシアンなら黒人でも登用しました。ライオネル・ハンプトンやテディ・ウイルソンなどです。彼らを引き連れて、ベニー・グッドマンはカーネギー・ホールで演奏し、また全米を行脚したのでした。まさに画期的なことでした。

33.(MDA−13)
Don't Be That Way Count Basie (piano), Lester Young (tenor Sax),
Buck Clayton (trumpet), Walter Page (bass), Jo Jones (drums).
[From Spiritual to Swing Vanguard KICJ-8226 ADD 1938]
ジャズのスタンダード・ナンバーで「その手はないよ」と訳されて日本でもよく知られている名曲、ベニー・グッドマンもよく取り上げていました。演奏しているのはカウント・ベーシーほか、ベーシーがここでは楽団ではなくコンボを率いています。とくにテナー・サックスのレスター・ヤングはこの時代のサックスの超名手、ゆえに「プレス(プレジデント=大統領)」の愛称(敬称?)を頂戴したほどです。上と同じ年(1938年)の12月、カーネギー・ホールでのライヴ録音です。


34.(MDA−14)
Cherry Harry James (trumpet) and His Orchestra.
[Capitol CDP-7243827818-2 ADD 1955]
「シング・シング・シング」でもトランペットを吹いていたハリー・ジェームスです。艶があり光り輝くそれでいて甘い音色、そして超絶技巧、長身の美男子。これで多くの、とくにご婦人がたのファンを魅了しました。でもスウィング時代があまりにも華やかだったためか、その次の時代、モダン・ジャズの流れには乗り損ねてしまったミュージシアンのひとりです。私がニューヨーク暮らしをしていた1960年代後半は、モダン・ジャズの円熟期そしてロック系やシンガー・ソング系ニュー・ミュージックの全盛期、したがってスウィング・ジャズはすっかり下火になっていた頃でした。イースト・サイドのとあるバーで「オレはその昔ハリー・ジェームスのバンドにいたのだ」と吹聴するトランペット奏者が古いヒット曲を吹いて、年配の客からチップをもらっていました。ハリー・ジェームスと並んでいる写真も持っているし、演奏技術も確かなのですが、尾花打ち枯らしての風情で、哀れでした。

35.(MDA−15)
All of Me Teddy Wilson (piano), Lester Young (tenor sax),
Gene Ramey (bass), Jo Jones (drums).
[Pres and Teddy Verb POCJ-2470 ADD 1956]
ふたたび名手テディー・ウイルソンそしてレスター・ヤングの軽快な名演奏です。もちろんこれでダンスも出来ますが、ダンス音楽スウィング・ジャズから少し抜き出た、個性自発性を表に出しはじめたジャズ、そういう感じが聴きとれるでしょう。

36.(MDA−16)
St. Louis Blues March The Glenn Miller Orchestra.
[The Glenn Miller Orchestra in the Digital Mood grp GRD-2004 DDD 1983]
再びグレン・ミラーですがバンドは現在のもので、デジタル録音です。グレンはすぐれたトロンボーン奏者ではありましたが、彼のバンドのスタイルは、ある卓越した技巧の奏者(通常はバンド・リーダー自身)を軸とするものではなく、自発性豊かな音色を出す編曲によって、十数人編成のビッグ・バンド全体から音楽を作り出していくものなのです。先に挙げた映画「グレン・ミラー物語」では、ヨーロッパ戦線へ出征するアメリカ兵たちの行進で、グレン・ミラー大尉指揮する軍楽隊がこの曲をはじめると、兵隊たちはとたんに生き生きとしてくる、そういう場面で上手に使われていました。

  グレン・ミラーのオリジナルの楽譜は今でも出版されています。従って誰でも、いつでも、グレン・ミラー・オーケストラ とほぼ同じ音色の演奏を再現することが出来るのです。だから軍楽隊はもとより(彼はグレン・ミラー・オーケストラと同じ編成の軍楽隊を率いて、ヨーロッパ戦線各地を慰問演奏でまわっていました)、どんな吹奏楽団でもグレン・ミラーの曲を自分たちのプログラムに組み入れることが出来ます。こうして彼のビッグ・バンドのスタイルは1930年代とほぼ同じかたちで現代に継承されており、日本でも高校や大学のブラス・バンドの主要レパートリーになっているのはご存知のとおりです。ここで演奏しているのは最近のアメリカのバンドでその最新録音です。 The Glenn Miller Orchestraを名乗るバンドはアメリカやヨーロッパにいくつもあって、そのどれかがよく日本にもやってきます。日本人はグレン・ミラーが大好きなようです。私もその例外ではありません。
エレクトーンその他電子的に音を出す楽器の普及で、いまではまったく見ることもなくなったものに、ハモンド・オルガンHammond Organというのがあります。そのむかしのラジオ同様、音を拡大するのに真空管とトランスを使った、いわば電気オルガンです。かなり大掛かりでそして高価なものでした。これの発明・製造販売で財をなしたアメリカのハモンド家の御曹司ジョン・ハモンドJohn Hammondが、カンザス・シティーやシカゴでジャズを聴いて気に入り、この新しい音楽にすっかり傾倒して、なんとかしてジャズをニューヨークに持ってこようと、たいへん尽力しました。それが功を奏したのは、これまで我われが聴いてきたとおりです。31.32.そして33.などのカーネギー・ホールにおける歴史的イヴェントでの演奏が録音され残っているのは、ハモンド家の財力、そしてハモンド社とCBS(放送局、レコード会社)の技術力のお蔭なのです。余談ですが、ジョンの妹アリス・ハモンドAlice Hammondは、この時代の縁で、のちにベニー・グッドマン夫人となります。









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