FIVE: Swing Jazzの時代 | |||
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FIVE: Swing Jazzの時代 前章までで見て(聴いて)きた新しい音楽をバックに、アメリカ人はダンスをするようになりました。社交ダンスsocial danceは、もとはと言えばヨーロッパの上流社会から出たものですが、アメリカでは一般大衆が踊るのです。ジャズの激しく速いリズム(ビート)に乗って、動きの速い活発なダンスがアメリカ人にうけました。ジョージ・ガーシュイン George Gershwin、コール・ポーター Cole Porterなど多士済々の有能なアメリカの作曲家たちが、ジャズのリズム、ハーモニーをふんだんに作品に取り入れ、アメリカ人の好む音楽を書きました。この他にもブロードウエイ・ミュージカルの著名な曲はもとより、ヨーロッパの曲、はてはクラシックの名曲などもどしどしジャズ風に編曲されて、歌われ、演奏されるようになりました。このあたりの貪欲さは、初期のディキシーランドが讃美歌をはじめ行進曲、民謡など何でもジャズにしてしまったのと同じです。演奏者の編成も大きくなり、贅沢になってきました。 ダンスをするための音楽、ダンスをしようと思えばできる浮きうきするようなジャズをスウィング・ジャズといいます。スウィング swingとは「浮きうきする」ようなフィーリングのことで、そのためには快適なリズム(ビート)感は不可欠です。先のデューク・エリントンの名言は、聴いて楽しくなる音楽でなければジャズをやる意味がない、その彼の音楽哲学をあらわしているのです。 現在のようにオーディオ機器、パブリック・アドレス・システム(拡声装置)が発達していない時代の話ですから、大会場でダンスをするには相当な音量が必要です。歌手は大きなメガホン片手に歌ったりしたものです。したがってどうしても演奏する側の編成も大きくなります。十数名を超える編成のビッグ・バンドが好まれるようになったのも自然の成り行きでした。1920年代後半から1930,40年代はスウィング・ジャズの時代、そしてビッグ・バンド・ジャズの全盛期でもあります。 21.(MDA−1) Let's Dance Benny Goodman (clarinet) and His Orchestra. [Big Band in Hi-Fi, Vol.1 Capitol CDP7243827813-2 ADD 1954] このスウィング時代の代表として、スウィングの王様と言われたベニー・グッドマンの演奏を聴きましょう。これはベニー・グッドマン楽団のテーマ音楽としてよく知られている曲、お馴染みのウエーバーCarl Maria von Weber(1786-1826)作曲「舞踏への勧誘」をジャズにしたもの。まさにそのものズバリ、「さぁ踊りましょう」というダンスのための音楽です。ワルツ(3拍子)の原曲が快適なビートの2拍子に変わっています。ダンスとジャズのまことにハッピーな結合と言えましょう。 ヨーロッパ育ちの優雅な社交ダンスとも、アメリカ土着のカントリー・ウエスタンのフォーク・ダンスとも違う、軽快にフロアを動き回るフォックス・トロット fox trot、パートナーと組んだり離れたり快活奔放に回転し跳ねるジルバ jitterbug、チャールストン Charlestonなどが一世を風靡し、アメリカ中、世界中をこのスウィング・ジャズが駆け巡りました。 22.(MDA−2) In the Mood Glenn Miller (trombone) Orchestra. [Glenn Miller, A Memorial Bluebird 55103-2 ADD 1939] スウィング時代のもう一人の雄であるグレン・ミラーも聴いてみましょう。グレン・ミラーは第二次大戦中ヨーロッパで戦死しましたので、彼のビッグ・バンドによるステレオ録音はありません。これは生前のグレン・ミラー楽団の演奏ですが、最新のエレクトロニクス・テクニックを駆使して雑音が除去され、モノラルながら良い音に蘇生されています。「グレン・ミラー物語」は数あるハリウッド映画のなかでも最高傑作に挙げうる作品です。V-1号ロケット爆弾によるロンドン爆撃のもと、グレンが指揮する軍楽隊がロケット弾爆発の瞬間も逃げず休まず演奏を続けるシーン、軍楽隊は音楽を演奏するのが任務の兵士、爆弾が落ちてきても部署を離れたりしないのです。そこでこの曲が劇的に使われています。またひところ日本でも<カニ料理レストラン>がテレビ・コマーシャルで使ったこともあって、広く知られるようになりました。 23.(MDA−3) On the Sunny Side of the Street Duke Elligton (piano) and His Orchestra. [Duke Ellington Plays Standards Columbia CK65056 ADD 1957] フィラデルフィアのダンス会場でのデューク・エリントン楽団のライヴ録音です。原曲はジャズ/ポップス系音楽の古典的スタンダード・ナンバーです。曲全体そして会場にも充満しているスウィング感を存分に味わってください。 24.(MDA−4) Stardust Ray Anthony Orchestra. [Big Band in Hi-Fi, Vol.1 Capitol CDP7243827813-2 ADD 1954] これも古典的スタンダード・ナンバーです。こういう華やかな音楽をバックに優雅にときに激しく、人びとはダンスに興じたのでした。 スウィング・ジャズ、ビッグ・バンド・ジャズの全盛期ではありましたが、もちろんダンスのためのジャズがすべてではありません。ナイト・クラブで、あるいは酒場で小人数で演奏するジャズがあり、また独りでピアノを弾く、あるいは弾ながらうたうジャズもありました。小人数のグループによるものをコンボcombo (combination bandの略)と言います。その典型的な編成はピアノ、ベース、ドラムスの3人によるもので、このテキストでもこれからしばしば取り上げることになります。 ここでしばらく、ビッグ・バンドのダンス音楽を離れて、ヴォーカルやその他のジャズの世界をのぞいて見ることにします。 ジャズと映画は切っても切れない関係にあります。戦前の名画「カサブランカ Casablanca」(1942、監督マイケル・カーティス、出演イングリッド・バークマン、ハンフリー・ボガード)で効果的に使われた、ジャズのスタンダード・ナンバー「時の過ぎ行くまま As time goes by」を聴いてみましょう。 25.(MDA−5) As Time Goes By Chris Conner (vocal), Hank Jones (piano) Trio. [As Time Goes By Alfa ALCR-111 DDD 1991] 映画では酒場での黒人によるピアノの弾き歌いですが、これはヴェテラン白人歌手クリス・コナーの名唱、これまたヴェテラン・ピアニストのハンク・ジョーンズほかのピアノ、ベース、ドラムスによるコンボがすてきなバックをつとめています。「過ぎ去った人生を振り返って」の見事な歌唱ではありませんか。新しい録音ですし演奏スタイルも現在の洒落たものになっていますが、1942年製作の映画で使われているので、曲はそれ以前のものであることが分かります。 26.(MDA−6) Manhattan Mel Torme (vocal) 伴奏楽団不詳. [Mel Torme Songs of New York Atlantic 7-80078-2 ADD 録音年不詳] メル・トーメは1950年代から70年代にかけて活躍したジャズ歌手ですが、大掛かり華やかな世界は避けて、主としてニューヨークの小さなクラブやステージだけで歌っていた地味な歌手です。ロジャースとハマーシュタインのコンビによるニューヨークを主題としたミュージカルから。でもこの曲だけがジャズのスタンダードとなって残っています。 27.(MDA−7) I Can't Give You Anything But Love Billie Holiday (vocal), Teddy Wilson (piano) and His Orchestra. [Billy Holiday, A Portrait of Lady Day Sony SRCS-7160 ADD 1936] 「ブルーズの女王The Lady Sings Blues」とも「黒い貴婦人」とも言われた、1930~40年代にかけてのトップ・ジャズ歌手ビリー・ホリデイ全盛期の歌唱です。バックの楽団がこれまた凄い。テディー・ウイルソンはジャズ・ピアノ界最高の名手のひとり、その上メンバーの中にはベニー・グッドマンも名を連ねているのです。たぶん録音のための臨時編成楽団でしょう。 28.(MDA−8) Embraceable You Nat King Cole (vocal & piano) Trio. [Nat King Cole, Vocal Classics & Instrumental Classics Capitol TOCJ-6128 ADD 1943年頃] 後年のナット・キング・コールは、甘い歌唱でヒット曲を次々飛ばしたポピュラー系歌手として有名ですが、音楽界へデビューのときはジャズ・ピアニストでした。こちらのトリオはドラムスの代わりにギターを使っています。今ではナット・キング・コール・スタイルと言われているコンボの一形態です。彼はホテルやナイトクラブのバーで仕事をすることが多かったので、ドラムスよりは音量の小さいギターを取り入れたのでしょう。曲はジョージ・ガーシュイン作の名曲、あとでもういちど出てきますので、このメロディー、曲の感じを覚えておいてください。 ジャズ歌唱に触れたついでに、ジャズ・ヴォーカルの女王エラ・フィッツジェラルド Ella Fitzgeraldをご紹介しましょう。惜しくも最近(1996年6月)亡くなりましたが、ティーンエイジャーのころから一貫してジャズ歌唱界の中心に居つづけた偉大な歌手(黒人)です。先に述べましたが、ジャズの真髄は、楽譜どおりではなく、自分の楽想の閃きに従って演奏し歌うことにあるのです。即興演奏即興歌唱こそがジャズなのです。成熟するにつれてエラは即興歌唱の極みを披露するようになり、ジャズ・ヴォーカルの女王と謳われるようになりました。 29.(MDA−9) A-Tisket, A-Tasket Ella Fitzgerald (vocal). [Ella Fitzgerald, 75th Birthday Celebration grp GRD-2-619 ADD 1938] ここではティーンエイジャー時代のエラのミリオンセラー・レコードを聴いてみます。「ア・ティスケット・ア・タスケット」はアメリカの伝承童謡で、アメリカ人ならまずは誰でも知っている歌、それをジャズにしたものです。よく知られた曲をジャズにする、これはジャズの普及には一番手っ取り早い方法で、ジャズ黎明期にはよく用いられました。まだロー・ティーンだったエラはこのレコードを百万枚以上も売り、一躍スターの仲間入りを果たしたのです。女王の風格を身につけた後年の彼女の歌唱はあとでまた聴きます。 スウィング・ジャズの時代までは、ポップス、ジャズ、ダンス・ミュージックは渾然一体となっていて、とくに区別する必要もないほどでした。ハーレムのナイト・クラブなどで禁制のお酒をティー・カップで飲みながらジャズを聴いている人もいれば、そのすぐ脇で激しいダンスに興じている人たちもいる、そういう光景が前述の映画のあちこちに出てきます。「ベニー・グッドマン物語」では、映画館を借りてのジャズ・コンサートに集まった群集が、音楽に興奮して一斉に踊りだすシーンがありました。これら種々の大衆音楽がひとつであった古き良き時代、ジャズの歴史の中ではもっとも愛好者が多くて層の厚い、ハッピーな時代だったと言えましょう。 30.(MDA−10) Woodchopper's Ball Erich Kunzel (conducting), Cincinnati Pops Big Band Orchestra. [Big Band Hit Parade Telarc CD-80177 DDD 1988] 現代の演奏家たち、それもクラシック畑の人たちとジャズ奏者の競演、による最新デジタル録音ですが、曲は1930年代のヒット曲です。 この時代のハイライト、というよりはジャズの歴史の中でひとつの頂点をなす出来事が起こりました。1938年1月16日のベニー・グッドマン楽団のカーネギー・ホール公演です。これは章をあらためてお話しましょう。 |
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