THREE: Jazzミシシッピー河を遡る | |||
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THREE: Jazzミシシッピー河を遡る アメリカの主要南北交通路であったミシシッピー河を上下する船上で、黒人たちのバンドが雇われて演奏していました。これを聴いた白人たちは「これは面白い音楽だ」と思い、ミシシッピー河流域やその周辺の街のナイトクラブにこういうバンドを呼んだり、あるいは自分たちで似たような音楽を演奏するようになりました。そういう街のひとつがカンザス・シティー Kansas Cityです。たまたま音楽好きの街の有力者がいた(ギャングのボスでした。芸能界と暗黒街の距離が近いのはアメリカでも同じのようです)ということもあります。 カンザス・シティー派のジャズ・スタイルは一時一世を風靡しました。無学文盲のジャズ・ミュージシアンの演奏から、西欧音楽の学識の影響を少しずつ受けて、ひとつのジャンルが築かれてゆく過程のジャズ、とでも言ってよいでしょう。しかし、ディキシーランド・ジャズが現在でもほぼオリジナルのスタイルを維持しているのに対して、カンザス・シティー派はその後のジャズの進化の流れに吸い込まれてしまったようです。カンザス・シティー派から出発した人でもっとも有名なのはジャズの貴公子といわれたカウント・ベイシー Count Basieです。 12.(MD@−12) One O'clock Jump Count Basie (piano) and His Orchestra. [The Dixieland to Swing Cedar D2CD09 ADD 1936] カウント・ベイシーはその後も常にジャズの流れの中心に位置してジャズをどんどん進化発展させましたから、この録音のカウント・ベイシーを聴いてそれがすなわちカンザス・シティー派のジャズだということにはなりません。これは1936年、ベイシーがカンザス・シティーからシカゴへ移ったころの録音なのです。この「ワン・オクロック・ジャンプ」はベニー・グッドマンその他多くのバンドが録音していますが、カウント・ベイシーと彼の楽団のものが元祖です。リーダーのベーシーはともかく、この頃の彼のバンドのメンバーは楽譜の読めない人たちばかり。「リーダーの指示を耳で捉えるだけ、それでいて一糸乱れぬ演奏をするのは驚きである」、と当時の文献は伝えています。 13.(MD@−13) Oh, Lady be Good Count Basie (piano) and His Orchestra. [The Essential Count Basie, Vol.1 Colubbia 7464-40608-2 ADD 1936] もう1曲カウント・ベーシー楽団のものを。ジョージ・ガーシュインのミュージカルの名作からの1曲をジャズにしたものです。 カウント・ベーシーがその名を売り始めたのとほぼ同じ時代に、後にジャズの神様と謳われるようになった天才が出現しました。ニューオーリーンズ生まれのトランペット奏者ルイ・アームストロング Louis Armstrongです。少年時代に些細な非行から 感化院に入れられましたが、そこで音楽教育を受け、コルネット(トランペットよりやや小さく音域が高い)を吹くことを習いました。愛称をサッチモ Satchmoというのですが、大きな口、との意味だそうです 。黒人特有の強烈なリズム感、大きな肺活量から吹き出されるコルネット(またはトランペット)の鋭く美しい音色、なにびとにも真似られない創意に満ちたアドリブ 、即興演奏の感覚によって、世の中に迎かえ入れられたばかりのジャズ界のスターになりました。この彼も売り出しの最初はカンザス・シティーです。そしてすぐにより大きな都会シカゴへ活躍の舞台を移し、成長して行きます。 14.(MD@−14) Cornet Chop Suey Louis Armstrong's (cornet) Hot Five. [Louis Armstrong, The Hot Fives, Vol.1 Columbia CK44049 AAD 1927] 1927年の演奏で彼の初期のベストセラーになったレコードです。輝くようなトランペット(あるいはコルネット)の音色、そして前に聴いた独特のダミ声のヴォーカルが、その後半世紀にわたってジャズ界に君臨したのです。 ジャズはミシシッピー河を遡って、と記述している章で、またニューオーリーンズに戻るのはどうかとお思いになるかも知れませんが、ジャズの歴史そのものと言ってもよい、この神様ルイ・アームストロングの演奏をここでもう1曲聴きましょう。バーボン・ストリートとは、ニューオーリーンズの中心、フレンチ・クオーターFrench Quarterの真ん中を走る目抜き通りの名前です。 15.(MD@−15) Bourbon Street Parade Louis Armstrong (cornet & vocal) and The Dukes of Dixieland. [Louie & The Dukes of Dixieland High Fidelity PS-2003 LP 1957] ルイの吹くコルネット(中央)とトランペットの音色の違い(音域の高低もさることながら艶の違い)にご注意ください。ライナー・ノート(LPやCDの付属解説書)によればデュークス・オブ・ディキシーランドが録音中のスタジオに突然ルイが入ってきて、何の練習音合わせもなしの1回だけのテイク(録音を取ること)をレコードにしたのだそうです。演奏はもちろんのこと、歌(歌詞そして二人のかけ合い)もすべて即興です。こういう即興性こそがジャズの生命なのです。1957年と言えば、ステレオ・レコードが広く普及される前です。新商品ステレオのプロモーションのためにハイ・フィデリティー社が作ったレコードなのです。ルイの円熟期であったことも幸いし、このような名録音となりました。私見では、このLPを超ええるディキシーランド・ジャズの演奏は見当たらないのではないか。それほど素晴らしい1枚です。ハイ・フィデリティー社はその折のデュークス・オブ・ディキシーランド本来の演奏も同時にLPで発売しました。しかしその出来はこのサッチモとの共演盤には及ばない。サッチモひとりが加わるか否かで全体の出来がすっかり違ってくる、それがよくわかります。先の6.も同じ音源です。これまでもう何十回聴いてきたかわからない、それほど私が気に入り、宝物として大切にしているLPレコードから採録しました 。 サッチモ(=ルイ・アームストロング)は映画への出演を要請されると、ジャズ普及のため喜んでそれを受けました。だから幸いなことに現在でも我われはサッチモのナマの演奏ぶりを映像で見ることが出来ます。 「ヒット・パレード A Song is Born」(1948) 「グレン・ミラー物語 The Glenn Miller Story」(1954) 「上流社会 High Society」(1956) 「ベニー・グッドマン物語 The Benny Goodman Story」(1957) 「真夏の夜のジャズ Jazz on a Summer's Day, New Port Jazz Festival 1958」 「五つの銅貨 The Five Pennies」(1959) 「ハロー・ドリー Hello! Dolly」(1969) 等に出演しています。いずれもLDやビデオになっていますから、これらでジャズの世界の、希代の天才サッチモの実演を観、聴いていただきたいと思います。サッチモは1971年ニューヨークで他界しました。71歳でした。私はその頃ニューヨーク住まいをしておりましたので、テレビの追悼報道をよく覚えています。クイーンズ区の決して高級住宅地とは言えない一角での葬儀に、参列者が長蛇の列を作っていました。 |
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