Jazzとは何でしょう




TWO: Dixieland Jazz  
TWO: Dixieland Jazz

ルイジアナ州ミシシッピー河のデルタ地帯をディキシーランド Dixielandということがあります。フランス領だった時代がありフランスのディキシー(1/10フラン)通貨の通用する地域、というほどの意味です。ジャズはここで生まれました。その古いスタイルのジャズをディキシーランド・ジャズ、あるいは単にディキシーと言います。
  「音楽の3要素はメロディー、ハーモニー、リズム」と学校で習いました。でもこれは西欧のロマン派以降の音楽をもとに誰かが言い出したことでしょう。クラシック音楽の歴史を見ても、バロック時代の音楽ではメロディーとハーモニーははっきりと区別できません。ポリフォニー polyphony(複音楽、多声音楽、多重音楽)と定義されているその時代の音楽形式では、複数のメロディーが、跛行反復 されたり重なりあったりしながら進行し、その過程でハーモニーをつくりあげていくのです。
  ディキシーランド・ジャズでは強烈なリズム(ビート)に乗って、複数のメロディーが同時進行します。楽譜も読めず楽典も知らない黒人、クレオール人たちが見よう見まねで楽器を使い出し、音楽をはじめたのですから、音楽の3要素も何もあったものではないのです。彼らが知っている労働歌、教会の讃美歌や土謡、軍楽隊のマーチのメロディーを誰か(たとえばトランペット奏者)が演奏しはじめると他の人が「オレにもやらせろ」と割り込んでくる。同じ旋律では面白くないから、主旋律に向かい合う少し変わったしかし全体の構成を壊すものではない対位旋律(カウンターポイントcounterpoint)を挿入してくるのです。これらがいくつか続きかつ全体の調和が保たれる音楽を作り出しました。
  「楽器を使ってのおしゃべり」、そう考えると分かりやすいでしょう。ある楽器が話しかけると他の楽器がそれに応える、仲間うちの社交ですから自分だけ喋り続けると礼を欠くことになるので、阿吽<アウン>の呼吸のうちに次の奏者に引き継ぐ、しかし前の人と同じ台詞では会話にならないから、話題は同じでも違う観点から意見を述べる、合間合間に誰かが「そうね」とか「あらほんと?」などと相槌を打つ、そして最後に皆で一斉に「あぁ楽しかった」と大団円で結ぶ、という具合です。クラリネットが最高音、コルネットかトランペットが高音、トロンボーンは中音、チューバが低音というように音域の区分けもできていて、一斉に各々の旋律を吹奏しても音のバランスは取れているのです。こうして彼らは無意識のうちにポリフォニーの世界へ入って行ったのでした。

8.(MD@−8)
Stars and Stripes Forever King of Dixieland.
[Dixieland Jazz Globe VDP-28010 AAD 録音時期不詳]
アメリカの代表的マーチ「星条旗よ永遠なれ」をディキシーランドで演奏したものです。トランペットが主題を吹いているときに、クラリネットやトロンボーンが伴奏ではなく主題に向かい合う旋律(カウンターポイント)を吹いているのが分かるでしょう。それでいて主旋律と同じ和声進行 chord progressionをしているので調和がとれている。バンドとして共同作業をしているのですから何らかの約束事は必要でしょう。まず主旋律をたとえばトランペットが吹く。その次は誰が何小節、その次は誰、全体で何小節というような簡単な取り決めです。各人独自の旋律なのですが主旋律のコード進行に従っているので、聴いている人には主旋律が展開した二番、三番のように聞こえるのです。つまり目前では二番手のクラリネットが演奏しているにもかかわらず、その背後に最初のトランペットが吹いている主旋律が聞こえるような気がするのです。しかも演奏の中心にいない楽器も適当に相槌を打ってよいことになっている。ひと通り独奏が終わるとバンドのリーダーの主旋律に加えて、あとの奏者たちが一斉に各自の旋律を演奏するのでポリフォニーとなり(だから賑やか)「あぁ楽しかった」、で1曲が終わるのです。

  ディキシーランド・ジャズは、南部の黒人の演奏にヒントを得て、白人が音楽の体裁にしたものだ、と書いている日本の解説書があります。でもこれはその昔白人が勝手に言っていたことを日本のジャズ評論家が読んで受け売りしているのであって、現在のアメリカの黒人たちがそのことを知ったら怒りだすでしょう。ディキシーランドを楽譜にして広めたのはたしかに白人でしょうが(なにしろ初期の奏者たちは楽譜も読めなかったのですから)、発祥といい、初期の演奏家たちといい、まぎれもなく黒人たちクレオール人たちの間から生まれた、彼らの音楽です。
  ディキシーの題材は、讃美歌、軍隊の行進曲、アメリカ民謡、ヨーロッパからの移民が持ちこんだ民謡等々、何でもよいのです。

9.(MD@−9)
Maryland, My Maryland (= O, Tandenbaum, O, Tandenbaum)
The Station Hall Jazz Band.
[Over in the Glory Land Delta 24024 ADD 録音時期不祥]
題名は違っていますが、みなさん良くご存知のドイツのクリスマスの歌です。

10.(MD@−10)
High Society Jimmy McPartland (clarinet) and His Dixielanders.
[That Happy Dixieland Jazz RCA 7432118518-2 ADD 1960]
もちろん既存の曲からの借り物ではないディキシーのオリジナル曲もあります。その中の代表的な曲「ハイ・ソサイティー」を聴いてみましょう。楽器によるおしゃべり、という感じがよく出ている快演です。

11.(MD@−11)
High Society Canadian Brass.
[Basin Street CBS-Sony 32DC1014 DDD 1988]
アメリカやカナダのクラシック演奏者にはなかなか腕の達者なジャズ好きがたくさんいます。これはそういうクラシック畑の名手たちが同じ曲を演奏したものです。まことに上手で美しいけど、ちょっとジャズとは違うような気がする。パーカッションpercussion(太鼓などの打楽器)が入っていないせいもありますが、ジャズ特有のビート感が弱いのです。でも彼らが心から楽しんで演奏している様子が聞き取れます。

ここで、ジャズを聴くにあたってどうしても知っておく必要のある「ジャズという音楽の、慣習に基づく形式」についてちょっと触れておく必要があるでしょう。

まずビート感について。
  学校の音楽の時間で習った4拍子のリズム、ビートの強弱はONE-two-three-four(1が強く2と4が弱い、3は中くらいに強い)でした。しかしジャズではこれがone-TWO-three-fourとなります。これを「オフビートoffbeat」と言います。「あと打ち」と訳されてはいますが、ここでは「オフビート」で覚えてしまってください。ビートがジャズでは非常に重要、とすでに述べてきましたが、このオフビートのもたらすうきうきとした感じがジャズに不可欠な「スウィングswing感覚」を生み出すのです。「It don't mean a thing, if it ain't got that swing.スウィングしなけりゃ(ジャズをやる)意味がない」とはジャズの貴公子デューク・エリントンの名言であり、彼はこれを題名にした名曲まで書いているのです。
次は形式の大要です。
  メロディーは、クラシック音楽の歌曲(とくに民謡、讃美歌など)に非常に似かよった展開をして行きます。AABA形式と呼ばれるものです。典型的には、4拍子(2拍子でも8拍子でもよい)の小節が8小節あって基本的メロディが作られます。これがAです。ついでそれが反復されます。二番目のAです。ここでは若干内容に変化をもたせることもあります(これをA'と言ってもよい)。その次の8小節はAから発展した別のメロディになり(Bです)、最後の8小節はまたAに戻るのです。ジャズにはこの8 x 4 = 32小節からなるメロディ(歌、歌ごころ)が基本にあるのです。日本語、漢文による文章構成の基本である「起承転結」の、起・承・結が同じあるいはほぼ同じ、と覚えてください。もちろんジャズの発展とともに、この形式は進化し、どんどん崩れていきますが、基本はこれなのです。
  次のハーモニーについて文章で解説するのは不可能です。
  譜面を前にして実際にピアノで和音chordを叩きながら説明すべきだし、またそれでもまだ難解な分野でしょう。ただ、ある和音(コードchord)は必ずその直前のコード、直後のコードと密接な関係を持っている、その密接な関係の連続具合をコード進行chord progressionといい、これは慣習的に「このように続いて行くものだ」と演奏者が知っている(と言うよりは「肌で感じている」)のです。上で述べた「楽器を使ってのおしゃべり」をしながら各演奏者間で調和が保たれているのは、各人がこのコード進行をわきまえていて、それに乗っかって、一見勝手に見えるようでいて実はティーム・ワークの取れる音を出しているからなのです。
さらに、ディキシーランド・ジャズでも顔を出していますが、現在のモダン・ジャズでは決定的な重要性を持つのが「即興演奏improvisation」です。
  これはある主旋律(歌と考えてもよい)に基づいて、独奏者がそれを独自に展開して行くものです。ある主題(歌?たとえばシャンソンの「枯葉」のメロディ)に発想を借りて自分で新たに作曲して行く、と考えてもよいでしょう。しかしその場合でも即興演奏者はスウィングするビート(4拍子または2拍子そしてオフビート)は厳密に維持しつつ、(原則として) 8 x 4 = 32小節のメロディの線lineと、コード進行の約束に従って演奏して行くのです。だから共演者は安心して音を加えて行くことができます。管楽器が主旋律(あるいはそれを発展させた即興演奏)を吹いているときに、バックでベースが「ボン、ボン」と爪弾いている、バンジョー(あるいはギター)が「ボロン、ボロン」と和音を弾いている。メロディーの即興演奏はどのように発展して行くか予測不可能ですが、暗黙のうちに皆が守っているコード進行に従っているので、安心して「ボン、ボン」や「ボロン、ボロン」を弾くことが出来るのです。ディキシーランド・ジャズが楽器をつかってのおしゃべりならば、その後のジャズは原曲(上の例では「枯葉」)を発句とする連歌のようなもの、と考えてもよいでしょう。
「ジャズに名演奏あって、名曲無し」と言う人がいます。ジャズの名演奏は、曲(たとえば「枯葉」)が良いのではなく、それを自分なりに消化し即興演奏している、アーティストの自発性独創性が良いのだ、という意味です。たしかに自発性独創性は重要です。でも、多くのミュージシアンが使う原曲(この場合「枯葉」)が良いから、インスピレイションが湧いてくる、そういう見方も出来るでしょう。
  またディキシーランドで典型的に見られる、複数の奏者が同じ主題に基づく独自のメロディーとその変形を、同時にしかし個々に演奏に参加してくる様式は、クラシック音楽のポリフォニーpolyphony(多声音楽、多重音楽)そのもののようです。これを「偶発的な対位法accidental counterpoint」と表現する音楽学者がいることをお伝えしておきましょう。
  このようなことを頭の隅に入れておいていただければ、これから先ジャズの進化を追って行くのに、大いに役立つはずです。








トップページへNYでオペラを観るために私のコンサート評

ご意見/ご感想はこちらまで

@nifty ID:BXG03253