三鷹呼高<ミタカ・ヨンダカ>の
書評





書評
DIALOGUES & DISCOVERIES, James Levine, His Life and His Music
by Robert C. Marsh. 331 pages. Scribner

 これはジェイムス・レヴァインの伝記ではない。レヴァインは本書が書かれた1998年時点ではまだ55歳だから、伝記や自叙伝が出版されるのには早すぎる。

 世界最大かつ屈指のオペラハウスであるニューヨークのメトロポリタン・オペラ。そこに音楽総監督兼首席指揮者として君臨するジェイムス・レヴァインとはどういう男か。そして彼はどのようなバックグラウンドから出発して、現在の存在にまでのぼりつめてきたのか。彼はどのような音楽の先駆者に導かれ、影響を受けて、自らの音楽を構築するようになったのか。彼が得意とする作曲家、演目はどういうものか、等々、ジェイムス・レヴァインを知る上のガイッドブックと受けとめるべき本であろう。このところとみに増えてきた、海外で本場のオペラを観、聴くのを楽しみとしている人々、なかでもこの次ぎはメットへ行こうと思っている人には、ぜひ事前に一読することをお奨めしたい。

 ジェイムス・レヴァインは1943年6月23日、アメリカ中西部の都市シンシナチの、中の上程度に裕福なユダヤ系アメリカ人家具商人の家庭に生まれた。ご多分に漏れず、早くから音楽に天与の才能を発揮し「誰も教えないのにどうして(作曲家のスタイルの)違いを嗅ぎ分けるのだろう」とその幼年期にトーア・ジョンソン(シンシナチ交響楽団の指揮者)を驚嘆させたという。

 幼若年期に音楽教師にも恵まれた。シンシナチ交響楽団の首席ヴァイオリン奏者でありラサール弦楽四重奏団の創始者でもあるワルター・レヴィンとその夫人が、若いレヴァインにピアノ、ヴァイオリン、音楽理論、独・仏語を教えた。あるとき、予習をせずにレッスンへ来たとして、家のそとに放り出されてしまった。そのとき「苦労して練習を積まなければ、最後に与えられる喜びは得られない」ということを学んだ。レヴァインがメットの歌手たちやオーケストラのメンバーに求める厳しい練習、時間や規律の遵守の背景を、この若い頃の体験に見出すことができる。

 厳しく有能な指導者との出会いに恵まれた例をあげるには事欠かない。ジュリアード音楽院を訪れたときに(まだ10歳でジュリアードへ入れる年齢ではない)、かの著名なピアノ教師ロジナ・レヴィンをして「わたしにこの子をちょうだい。どうしたらこの子を両親から引き離すことが出来るかしら!」と叫ばしめた。その結果レヴァインは毎週末シンシナチ・ニューヨーク間を飛行機で往復し、彼女のレッスンを受けることになる。

 やがてジュリアード音楽院へ入る(が、結局は中退)。そして、広く知られているように、クリーヴランド管弦楽団を率いていたジョージ・セルとの出会いが待っていた。そのセルが言う、「君はすでに良い指揮者だ。が、君を偉大な指揮者にするのがわたくしに課せられた使命だ」。セルには音楽作りの根源から(出版されている楽譜ではなく、必ず原典に当たること等)徹底的に鍛えられる。

 著者のロバート・マーシュは、37年にわたってシカゴのサン・タイムス紙の音楽評論を担当した記者というか音楽学者。シカゴ交響楽団のラヴィニア音楽祭の総監督になった若き日のレヴァインを、その当時から慈愛を持って見つめ、励まし、育ててきた人だ(ちなみに、同音楽祭のひとつ前の総監督は小沢征爾)。本書に再録されいるレヴァインとの対談dialogues記事は1973年から1996年まで24年間にわたっており、この間の芸術上の成熟ぶりが手に取るように分かる。シカゴ交響楽団からメットへ、アメリカやヨーロッパ各地の交響楽団との出会い、聖地バイロイトでワーグナーを振ること。そしてメットの総監督就任。メットをどのようなオペラハウスにしたいか。ワーグナーへの傾倒。メット・オーケストラをウィーン・フィルに匹敵するオーケストラに育てたいという情熱、等々。

 日本はいざ知らず、アメリカ、なかでもニューヨーク・メトロポリタン・オペラにおけるジェイムス・レヴァインの人気は絶大である。評者は本年(2000)4月、彼が振るワーグナーの「リング全曲」をメットで観、聴く機会を得たが、4日間のべ十数時間におよぶ「リング」の連続公演は、ワーグナーの「リング」であるとともに、まさしくジェイムス・レヴァインの「リング」でもあった。「神々のたそがれ」終演後の聴衆の熱狂ぶりはそれはもの凄いもので、彼はまぎれもなく現代アメリカの英雄のひとりである。

 才能に加えてたいへんな努力、その道を邁進する若き天才を支え成功に導くためのアメリカの人々と社会のシステム(アスペン、マールボロ、ラヴィニア、タングルウッドなどの音楽祭はその良い例だろう)、そういうことがよく分かる本でもある。広く大衆に語りかけるのが仕事のジャーナリストが書く文章だから、英語は平易かつ端正で、われわれ日本人にも読みやすい。巻末にレヴァインの詳細なディスコグラフィーがついていて、ディスク・コレクターやオーディオ・ファンの便宜も十分に考慮されている。
 






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