三鷹呼高<ミタカ・ヨンダカ>の
書評





書評
FALSE IMPRESSIONS, The Hunt for Big-Time Art Fakes
by Thomas Hoving. 366 pages. Simon & Schuster (paperback)

 「にせもの美術史・鑑定家はいかにして贋作を見破ったか」トマス・ホーヴィング著、雨沢泰訳、383ページ、朝日新聞社(1999)として翻訳が出ており、日本の美術愛好家には広く知られているものである。ではなぜ本欄であえてその原作を紹介するのか。

 仕事で、遊びで、海外へ出かけることが日常茶飯事となってきた今日この頃である。ところが平均的日本人の語学力では、海外の平均的知識人との交流の機会、とくに社交の場で、なかなかうまく話が出来ない。速習の経済・時事英語を使ってビジネスは何とか切りぬけ実績をあげているのだが、「商談成立後のパーティーが苦手でね」とは、よく耳にする日本人ビジネスマンの述懐である。仕事ひとすじ、余暇はゴルフにカラオケ、あとはせいぜいテレビで野球観戦。長年これで暮らしてきたが、外国とくに欧米の社会ではこのスタイルは通用しない。なにかもう少し知的な話題が必要、それも英語で多少の意見が言えるようなものが欲しい。若いときにもっと英語を勉強しておけばよかった、大学時代の教養課程をまじめにやっておけばよかった、と後悔しても遅いのである。

 欧米先進国を旅行する楽しみのひとつに、美術館めぐりがある。日ごろ美術書、図鑑でしかお目にかかることのない本物の絵画、彫刻、工芸品が目の前にある。それらを味わいしばし至福の時を持つ。誰もが経験してきたことであろう。これを国際的社交の場の会話で使えないだろうか。

 平均的日本人の知識と語学力で美術論を展開するのは難しい。相当に眼が肥えていて、日本で出版されている美術書などを数多く読んでいる人でも、ファイン・アートについて英語で語るのはおおごとであろう。そこで本書の登場である。まず翻訳を読み、そして原書でもう一度読む。

 贋作の歴史は文明の歴史そのもの同様に古い。商才にたけたフェニキアの商人たちは大量のエジプト美術工芸品の偽物を製作し、世界各地へ輸出していたという。需要のあるところには必ず供給者が出現する。ある時代(何百年前ときには紀元前でも)の工芸品の市場価格が高騰しはじめると、決まって、もっともらしい由緒来歴を添えた出土品がどこかで見つかるのだ。そしてその多くは(たぶんそのすべては)贋作なのである。ときには贋作品を模した贋作まで出回りはじめ、そうなると元の贋作は真作と信じられたりして。

 絵画の世界では、贋作の横行はさらに激しくなる。生前はさほど注目されなかったゴッホとかモジリアーニだが、没後市場で人気がでると(とくにアメリカ人が買いはじめると、と著者は言う。これに日本人を加えてもよかろう)、彼らの作品の数は激増するのである。「コローが生涯に描いた二千五百枚のうち、七千五百枚がアメリカにある」(訳書93ページ)・・・out of twenty-five hundred paintings Corot produced in his lifetime, seventy-eight hundred had made their way to American collections.(原書p.74)、これなどはカクテル片手のパーティーですぐにでも使えそうだ。

 英語で美術の本筋の話(多くの専門用語を駆使しなければならないだろう)は出来なくても、贋作の歴史、手口、贋作品の市場、過去の取引の実例、素人のコレクターはもとよりメトロポリタン美術館はじめ多くの専門家たちまでがいかに贋作をつかまされてきたか等の話は、需要供給の経済現象であり、由緒来歴等与件の吟味や美術商とのかけひきは商売そのもの、-また国境を超えての違法犯罪行為をともなうことも多いので、法解釈の分野でもある。つまり日ごろ身を置いているビジネスの世界の延長とも言える。これなら絵画や工芸品関連のヴォキャブラリーをすこし増やしておけば、パーティーの席の話題として何とかなるかも知れない・・・。

 著者は元メトロポリタン美術館長であり美術評論、鑑定家でもある。いままでに評価の高い美術学芸書をいくつか出しているし、ヴェラスケスの幻の名画(?)を題材とした推理恋愛小説(「名画狩りMasterpiece」田中靖訳、文春文庫。これは絵画ファン必読のエンターテインメントだ)まで書いている才人である。あらかじめ翻訳を読んでいると、英文はそれほどとっつき難くはないが、そこはさすがに学術(?)書、あちこちに専門語が出てくるから、(評者程度の英語力では)辞書なしで読むというわけにはゆかない。しかしこの原書をひろげるそもそもの目的に照らしあわせれば、それでよいのだ。訳書には無い索引(どうして省いてしまったのか)が後日の参照の役に立つ。

 評者は、訳書と原書両方を読んだあとでメトロポリタン美術館とその別館クロイスターズを訪れた。そして、ただ何となく眺めていた以前とは違った眼で展示作品群に接している自分に気がつき、思わず苦笑したものだ。







 






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