三鷹呼高<ミタカ・ヨンダカ>の
書評





書評
DIVA, THE NEW GENERATION, The Sopranos and Mezzos of the Decade
Discuss Their Roles
by Helena Matheopoulos. 372 pages. Northeastern University Press

 先に「Bravo(男声オペラ歌手)」、「Diva(女声オペラ歌手)」を書いているマテオプーロスの続編、この前2作はすでに翻訳書*が出ているので、熱心な日本のオペラ・ファンの目にとまっていることと思う。そこでは20世紀後半の著名かつ偉大なオペラ歌手たちを取り上げてはいるものの、その多くは訳書刊行時点ですでに引退あるいはピークを過ぎており、直近のオペラ鑑賞の参考にはなりにくいものであった。
*「ブラヴォー、ディーヴァ。オペラ歌手20人が語るその芸術と人生」ヘレナ・マテ
オプーロス著・岡田好恵訳、392ページ、潟Aルファベータ。ただし、抜粋訳。

 その点本書では、現時点(1998年刊)で現役バリバリのソプラノ、メゾソプラノ歌手21人が取り上げられており、まさに旬のオペラの読物となっている。構成と形態は前2作とほぼ同じ。著者による綿密な取材、インタビュー、他誌紙からの引用などを組み合わせて、ソプラノ14人メゾソプラノ7人を、アルファベット順に、各人のバックグラウンド、受けた音楽教育、デビュー時のエピソード、その後の精進の模様、役柄への取り組み方、今後何を歌おうとしているかなどを、分かりやすく、巧みに紹介している。

 このところ顕著な現象のひとつに、ロシアや東欧諸国出身の、多くのすぐれたオペラ歌手の出現があり、本書を読むとその理由の一端が分かる。その美貌と表現力豊かな歌唱で、現在人気絶頂のアンジェラ・ゲオルギュー(ルーマニアのブカレスト出身)もそのひとり。「(少女時代の)生活は苦しかった。お金も無かった。しかし社会主義国の教育制度のお蔭で、授業料はタダだったし、才能ある生徒たちはいろいろな芸術の分野を試してみて、そこから将来の職業を選択することができた」と言っている。

 国立オペラ劇場柿落とし公演のひとつ「アイーダ」で題名役を見事に歌い、日本のオペラ・ファンに強烈な印象を残したマリア・グレギーナ。われわれは旧ソ連が作り出したソプラノのひとりと理解していたが、彼女はウクライナ人、ソ連時代には二級市民扱いで、いろいろ差別されていたという。彼女の自由世界デビューはスカラ座での「運命の力」のアメリア役、それもパヴァロッティ、ヌッチ、コソットというそうそうたる顔ぶれのもとであった。ソ連の一地方都市ミンスクの歌手に過ぎず、モスクワへすら一度しか行ったことがなかったというグレギーナが、いきなりスカラ座へしかも大役を得てデビューする。運が良いと言えばそれまでだが、これも実力があればこそだ。またそういう歌手を探し、拾い上げる、ヨーロッパ・オペラ界のスカウト・ネットワークも凄い。

 すぐれたロシア人オペラ歌手を多数紹介したのは、日本での評価も非常に高い、キーロフ・オペラの若き総監督ヴァレリー・ゲルギエフ。その功績は多大である。しかしその反面、彼はロシアの歌手たちを駆り立てて、苛酷なスケジュールを強制し続けてきた。そのために声を痛めてしまった歌手も出ている。そういう裏の話も本書で分かる。

 世界でもっとも人気の高いオペラ歌手のひとり、メゾソプラノのセシリア・バルトリ。彼女は両親ともに歌手で、「母親の母乳を通じて、音楽が伝承された」、また「他の歌手の子供たちと一緒に楽屋で『アイーダ』を聴きながら育った」などと記述されている。彼女の舞台上での動きは実に軽やかで無駄が無い。実は少女時代にはフラメンコを歌い、踊っていて、その経験がオペラで生かされているのだ。「私の声はたしかに親から貰ったもの。でもその声を今のように鍛えるには人一倍努力をしてきたつもり」とも語っている。

 ときにはややワイドショー的な話も紹介されていて、なかなか面白い。各オペラ歌手が、歌唱力の向上、演技に(そして外国語の習得にも)エネルギーを注いで、いかにして与えられた役になりきってゆくか。その準備、実践そして反省の過程を、読者はつぶさに知ることができる。ナマのステージは当然のことながら、テレビ、ビデオ、そしてDVDを通じて映像を見ながらオペラを鑑賞するのが当たり前の時代になってきて、「カメラのアップに耐えられる」美形オペラ歌手がもてはやされるようになってきた今日このごろである。そういう需要に応えるべく、ディヴァたちの側も一所懸命なのである。

 その一方で、「私の身体つきの故に私を使わないプロデューサー、指揮者がいても、それは彼らの勝手。私には私の生きかたがある。」と言いきるのは、2000年のメットの「リング」連続公演でブリュンヒルデを歌って大成功をおさめた、英国の新進ワーグナー歌手ジェイン・イーグレン。幸運にも評者はその圧倒的音量声質の絶好調歌唱をメットで聴くことができたのだが、NYタイムス紙評が「巨大なenormous」と書いたごとく、彼女はkonishikiばりの巨躯の持ち主なのだ。いずれは日本の舞台にも登場してくるだろう。そのときは「ブリュンヒルデは人間ではなく、神のひとりだ」と思って観ればよい。

 著者のヘレナ・マテオプーロスはアテネ生まれだがロンドンに長く住んでいるジャーナリスト。ファッション界を皮切りに、その後芸術、音楽諸分野でも健筆を振るっていて、最近ではフィルハーモニア・オーケストラの声楽部門顧問をも務めている。歌手たちとの対話からの引用が多いこともあって読みやすい英文だが、米語ではなく「英国の英語」だから、綴りや表現法などで、慣れるのにすこし時間かかかる人がいるかも知れない。

 取り上げられている21人の中には、日本のオペラ・ファンには馴染みのうすい歌手もいる。だが、いずれ彼女たちも舞台で、ディスクで、われわれの前に現れることは間違いない。本書を読んでおけば、その時の楽しみは倍加するだろう。「ヴェルディ(プッチーニ、モーツアルトでもよい)のオペラ『〇〇〇〇』を聴きに行く」、から「ゲオルギュー(あるいはグレギーナ、バルトリ)が歌う『〇〇〇〇』を聴きに行く」へと、すこし踏み込んだオペラ・ファンなら、ぜひ読んでおきたい本だ。

 






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