私のコンサート評




私のコンサート評  
Puccini: "La Boheme"「ラ・ボエーム」

April 19 (Saturday), 2003
新国立劇場
Production: 粟国 淳
Conductor: Antonio Piorolli
Set Designer: Pasquale Grossi
Orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra
Cast:
ミミ:Fiorenza Cedolins ロドルフォ:Octavio Arevalo マルチェロ:堀内康雄
ムゼッタ:中嶋彰子 ショルナール:Alessandro Battiato コッリーネ:久保田真澄

 オペラ・ハウスの優れた機能を活かした美術・装置(パスクアーレ・グロッシ)が素晴らしい。

 第1幕(そして第4幕も)、紗のカーテンにパリ下町を俯瞰する映像を投射し、その奥にライトをあてた屋根裏部屋を浮かび上がらせ、「物語はこういうところで始まります」を一瞬のうちに観客に教えてしまう。第2幕、クリスマス・イヴの群衆で賑うパリ下町(群衆の処理が巧みそしてコーラスも良い)、人々を動かさず街の左右の建物を動かして、観客を「カフェ・モミュス」の前へ案内してゆく。第3幕、雪のアンフェール検問所でも同じ手法が用いられ、劇が門番の検問から酒場から出てくるマルチェロとミミの対話へ移ってゆくところで、酒場が舞台奥から前へ出てくる。それに見とれているうちに、検問所はいつのまにか消えている。構図構成はあくまでもオーソドックス、落ち着いた中間色の多用とあいまって、どのシーンもあたかも19世紀泰西名画を見るようだ。つい先日ここでキース・ワーナーのこれ見よがしのケバケバしく下品な「ジークフリート」を見せつけられた眼には、今日の舞台がまことに清々しくうつる。

 チェドリンスのミミがいい。評者は2001年12月の「ドン・カルロ」でレオノーラを歌ったのを聴いて以来だが、着実にうまくなっているのが分かる。元来彼女の声の質はリリコよりはドラマティックに近く、プッチーニよりはヴェルディに向いているのかもしれないが、ミミでも十分に美しい。第1幕の幕切れ、ロドルフォとあい携えて街へ出て行く、舞台から姿が消えて声のみ聞こえるシーンでの、高音ピアニシモの美しさは格別なものであった。

 中嶋彰子のムゼッタが、これまたいい。あの細いからだのどこからこれだけの声が、と驚くほどの声量、美麗な声、そして日本人離れした演技力。気はやさしいがオキャンな鉄火娘ムゼッタになりきっていてみごとであった。この人のスザンナあるいはネッダをぜひ聴いて見たいと思う。

 一級品の女声陣にひきかえ、男声群は一般普及品レベルか。決して悪くはないのだが、良かったと言い切るには、無理をしなければならないだろう。ロドルフォは当初予定のポルティーヤ(評者は彼のロドルフォをメットで聴いているので楽しみにしていたのだが)から急遽アレーバロに代わったとアナウンスされた。下手ではないのだが、聴かせどころの高音へ到達するまでの過程がかなり不安定(つまりビシッと決まらない)のが気になった。

 イタリア・オペラをよく知り、歌手に存分に歌わせる術を心得ている指揮者(ピロッリ)のもと、この日の東フィルは調子がよかったようで、流暢にプッチーニ節を奏でていた。

劇が終わり、最後のオケ音が消えても、しばし拍手を控えて余韻を楽しんだ(悲しんだ?)、この日の聴衆にも拍手。   







トップページへクラシックを良い音で聴くために書評・リンク集

ご意見/ご感想はこちらまで

@nifty ID:BXG03253