私のコンサート評




私のコンサート評  
2003年2月12日・サントリーホール

Mozart: Symphony No.24 in B-b, K.182
Beethoven: Piano Concerto No.1 in C, op.15
Nielsen: Symphony No.6 "Sinfonia semplice"
指揮 ヘルベルト・ブロムシュテット
ピアノ ブルーノ・レオナルド・ゲルバー

 この演奏会の直前にマエストロ・ブロムシュテットは最愛の夫人を亡くしたのだそうだ。にもかかわらず予定をキャンセルすることもなく、長年ともに演奏してきたN響の指揮台に立った。英語で言う「ショウ・マスト・ゴー・オン Show must go on.」を厳しく実践してみせた天晴れなアーチスト魂である。
交響曲第24番は演奏時間10分ほどの小品ながらモーツァルト初期の佳作、次の第25番(いわゆる小ロ短調)のようにしばしばプログラムに載る有名曲ではないが、味わいのある美しく可憐な曲である。これがブロムシュテット夫人への追悼演奏となった。
 N響の弦が美しい。それにオーボエ、フルート。小編成の小曲であるためか、棒を持たず、指揮台もはずして丁寧でインティメイトな指揮、亡き夫人をいとおしむ感情を内に秘め、情緒過多にもならず、たんたんと音楽を進めるマエストロの姿が、痛ましかった(毎回述べているが評者の席からは指揮者の身振り、表情がよく見えるのである)。合掌。
 久しぶりにゲルバーのベートーヴェンを聴く。渋谷のオーチャード・ホールでのベートーヴェンのピアノ・ソナタの連続演奏会で、連夜たいへんな熱演を披露したのはかれこれ十数年も前のことだったか。一層の風格を加え、堂々たる、と言いたいところだが曲は第1番だ、才気煥発若き日のベートーヴェンを聴かせてくれた。とくに冴えた高音が見事。
 ブロムシュテットお得意のニールセンについて語る資格は評者には無い。ディスクはともかくとして、ナマで聴くのはブロムシュテットがN響を振るときだけなのである。20世紀前半を飾る佳作、そして演奏技術的には難しいのだろう、そう想像しながらブロムシュテットの棒さばきに気持ちを集中させて聴くだけだ。
 先月はティンパニーに客演奏者がいたが、今月はオーボエがドイツからの客演者だ。コンサートの前の音合わせで、オーボエの出すA音が、その響きが、いつもと違う。モーツァルト第24番交響曲第1楽章での短いオーボエのデュオ・ソロ(もうひとりは若い日本人女性奏者)での妙なる音運びは、これをモーツァルト自身が聴いたらどんなに喜ぶだろう、というほどに美しいものだった。音楽評論家中野雄は「ウィーン・フィル、音と響きの秘密」(文春新書)で、ウィーン・フィルの往年のフルートの名手トリップがある在京管弦楽団に加わって客演したのを聴いた体験を「トリップがひと節のソロのフレーズを吹いたのであるが、吹き出した瞬間、コンサート会場の空気が一変した」と書いている。それに似た体験を、評者もN響でしたことになる。 
 評者はその昔、シャルル・ミュンシュ、ジョージ・セルの急逝にともなう追悼演奏に偶々居合わせた経験(於ボストン、BSO/ラインスドルフ「ブラームス第1番」ならびに於ニューヨーク、NYP/バーンスタイン「マーラー第9番」)がある。「これが追悼演奏となる」とアナウンスされたときには演奏後の拍手はしないのだと、その際に教えられた。この夜サントリー・ホールのロビーには「今夜のモーツァルト第24番はブロムシュテット夫人への追悼演奏」との掲示がしてあったが、それにもかかわらず、演奏終了後の拍手は盛大であった。でも、指揮者は最愛の夫君なのだから、その名演への讃辞の拍手ならばこれで良いのだろう。         







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