私のコンサート評




私のコンサート評  
NHK交響楽団第1474回定期公演
2002年11月20日・サントリーホール

Tchaikovsky: Symphony No.3 in D, op.29, "Polish"
Stravinsky: 「Le sacre du printemps 春の祭典」
指揮: ワレリー・ゲルギエフ Valery Gergiev
演奏: NHK交響楽団

評者とゲルギエフとの出会いは、1999年秋、ドミンゴの「スペードの女王」を聴きにメトロポリタン・オペラへ足を運んだときだった。お目当てのドミンゴもさることながら、ゲルギエフのエネルギッシュな、オペラハウス全体を興奮に巻き込むような指揮ぶりに感嘆したものだ。そのゲルギエフ、1996年にN響を振っているとのことなので、評者も聴いている筈だが、恥ずかしながら、記憶に無い。申し訳なし。

最近の彼の活躍ぶり、もてはやされぶりは尋常ではないようだ。世界各地から引く手あまた、自家用ジェット機に乗って世界中を文字通り飛び回っているという。そういうゲルギエフがN響をドライヴして「春の祭典」をやった。

F−1チャンピオン・ドライバーが高性能マシーンを乗りこなすように、N響を自由自在に操り、駆動した演奏であった。その激しい動き、高度の要求に応えたN響の高性能F−1ぶりも見事。「N響はうまいなぁ(やれば出来るんだなぁ)」を実感した熱演であった。なかでも管楽器群の妙演が際立っていた。それに打楽器奏者たちも。

 毎度書いているように、評者の席からは指揮者の表情がよく見える。身体全体を使い、顔の表情、眼光の輝きを用い、ときに大口をあけて叫び、腕、手首、そして指先の微妙な震え、そのわずかな差異でニュアンスを伝える指揮ぶりは、見ていて、まことに興味深く、思わず引き込まれてしまう。聴衆がそうなるのだから、それに導かれ演奏しているN響団員は、さらにますます、であろう。ゲルギエフを卓越した猛獣使い、催眠術師などと言ったら叱られるだろうか。

 いやます興奮度、たぶんに体育会系的なエクスタシーだが、この夜のそれはまことに高度なレベルのものである。この恐るべき大音響は、自宅のオーディオで再現できる次元のものではなく、「春の祭典」はやはりナマで聴くべきだ。そう再認識した。

 チャイコフスキーの「第3番交響曲」、CDの「チャイコフスキー交響曲全集」などに収録されているとは知りつつも、まずは聴くことのない曲だ。さすがはゲルギエフ、それを一応は聴かせる曲として、提供してくれた。この後まもなく「第4番」「第5番」「第6番『悲愴』交響曲」と大きく飛躍してゆくチャイコフスキーの、跳躍の準備期間、そういう印象の曲である。

ここではN響の低音弦楽器群の健闘を称えよう。鶺鴒〈セキレイ〉の尾さながらに細かく激しく震えるゲルギエフの左手の指、その指示に応えるピチカートの一糸乱れぬ美しい響きはみごと。 







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