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|  |  | ポリーニ・プロジェクト2002 in Tokyo、第6夜 2002年11月6日(木)・サントリーホール
 
 Ligeti: 木管五重奏のための小品*
 Kurtag: 木管五重奏曲*
 Mozart: ピアノと管楽のための五重奏曲
            in E-flat,
            K.452* ***
 Sciarrino: 6つのカプリッチョより、第1、第3、第6番****
 Sciarrino: 6つの小四重奏曲**
 Mozart: ピアノ四重奏曲第1番 in
            g, K.478**
            ***
 アンサンブル・ウィーン=ベルリン*
 アッカルド弦楽四重奏団**
 マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)***
 サルヴァトーレ・アッカルド(ヴァイオリン)****
 
 「死ぬということは、モーツァルトが聴けなくなるということだ」、そう喝破したのは誰だったか(アインシュタイン?)。もしそうなら、私はまだ死にたくない!!
 
 この夜のモーツァルト、とくにK.478は、至上、最高、極上、これより美しい音楽がこの世に存在し得るのであろうか、そう思えるほどに、素晴らしい演奏であった。モーツァルトを聴く歓びここに極まれり、そう断言してはばかることはない。その歓び、感動を言葉で言い表すことは出来ない。この夜(ほぼ)満席のサントリーホールの聴衆だけが心に留めることが出来ることなのである。同行の友人(モーツァルト協会会員で常日ごろ「オレはモーツァルトしか聴かない」と豪語している)も、「もう、K.478を、LPやCDで聴くのは止めよう」と言っていた。
 
 鳴り止まぬ拍手に応えて、第3楽章をアンコール、午後7時に始まったコンサートがはねたとき、時計はすでに10時を指していた。
 
 その前に演奏された K.452 も、もちろん極上のモーツァルトだったし、ここでも第3楽章がアンコールされた。でも、ポリーニとベルリン・ウィーン連合軍との組み合わせよりは、アッカルド(そのヴァイオリンのうまいこと、そしてストラディヴァリウスの音の美しいこと!)以下の同朋との相性の方が良いのか、K.478が圧倒的に美麗、そして感動的であったのである。
 
 リゲティ、クルターク、シャリーノなどの曲について、私には語る資格、能力は無い。大道芸人のパーフォーマンスを見ているようで面白かった、などと言おうものなら、大方の叱正を受けるであろうが、少なくとも私にとっては大同小異である。シャリーノの曲群にいたっては、我が家の庭のコウロギの鳴き声(コウロギは声ではなく羽をすり合わせて音を出すのだから、ヴァイオリンで擬似音を出すのも一理ある?)と、どう違うのだろう・・・。
 
 ポリーニ東京音楽祭とでもいうべき、マウリツィオ・ポリーニによる「古典と20世紀音楽の組み合わせからなる実験的プログラミング」、11夜にわたるこの気宇壮大な構想から、日本の聴衆ははたして何を得たのだろうか?(私が得たものは、「やっぱりモーツァルトは素晴らしい!!」)
 
 
 
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