私のコンサート評




私のコンサート評  
読売日本交響楽団創立40周年記念公演
Wagner: "Parsifal" 「パルジファル」全曲公演
November 4 (Monday & National Holiday), 2002
東京文化会館
Production: Henning von Gierke
Conductor: Gerd Albrecht
Orchestra: 読売日本交響楽団
Cast; Amfotas: Franz Grundheber Gurnemanz: Kurt Moll
Parsifal: Poul Elming Kundry: Petra Lang Klingsor: 工藤博

 今年1月、バレンボイム指揮ベルリン・オペラの「リング」全曲を聴いて打ちのめされ、その後幾多の音楽会に足を運びながらも、聴後の評を書く気力を失っていた。しかし私の拙文をホームページで読んでくださる方々が多数おられると知って、またキーを叩くことにする。

 早いもので、読売日響が出来て今年で40年だそうである。それを記念して乾坤一擲「パルジファル」をやる、そう聞いて、心待ちにしていた。ヨーロッパでは生活の一部となっている「パルジファル」だが、日本でこれを聴く機会はそう多くない。しかも伝えられていたキャストから、これは今年の必聴モノと決めていたのである。

 期待にたがわず、好演、熱演であった。

 クルト・モルのグルネマンツ、彼の当たり役のひとつで、この役をこの30年間に300回も歌ってきているのだそうである。寄る年波を心配もしていたが、まったくの杞憂、長丁場を毛ほどの隙も見せず、貫禄十分に歌いきった。ポール・エルミングのパルジファル、バイロイトに出るようになってから12年、若手というよりは熟達の域に差し掛かった当代随一のヘルデン・テナーの日本初登場である。その彼もパルジファルを150回も歌っているという。見事な歌唱であった。恵まれた体躯からあふれ出てくる豊かな声量のヘルデン・テナー・ヴォイス、ワーグナーを聴くよろこびが味わえた。ペトラ・ラングのクンドリー、演技つきのクンドリーは初役だが、「父がオペラ関係の仕事をしていたので幼いころから楽屋で聴いていて、クンドリーにはなじんでいる」のだそうだ。つとにウルトラルト・マイヤーの後継者と目されていて、今回それが単なる噂ではないことを日本の聴衆に示した。「私はペトラ・ラングのクンドリー初舞台を聴いている」、近い将来そういう自慢話が出来るようになるのではないか。

 こうして彼らの出演体験を紹介していると、「パルジファル」がいかにヨーロッパで数多く演奏されているかがわかる。イースター時期、とくにその直前の聖金曜日には、ヨーロッパ全域いたるところで「パルジファル」が演奏される、それを聴きに行く。その日は女の人は盛装ではなく黒いドレスを身につけて、神妙に聴き入るのだそうである。

 そういう生活そして信仰に密着したオペラ(ワーグナーは「舞台神聖祝典劇」と呼んだ)、キリスト教信仰の根幹をなす儀式のひとつ「聖餐式」に直結したオペラなのである。

 それなのに、今回の演出では、その宗教色を(多分意図的に)はずすあるいは薄めようとする試みがなされ、そして失敗した。人間が自ら犯した罪のためにもだえ苦しみ、その救済に憧憬する(だからこそキリストの十字架上の死に意味がある)、それを象徴するアムフォルタス(フランツ・グルトハーバー。熱唱、熱演。みごとの一語)の存在が宙に浮いてしまった。ルント・ホリゾントと称する映写幕を使ってイメージ画面(つまり幻灯である)を多用する。お手軽に舞台上にあるイメージを造出する手法として、予算が限られているのならこれもわからないではない。でも舞台上に「神聖祝典劇」とは何の関係もないベッドを置いてパジャマ姿の老人を寝起きさせたり、臍の緒つきの胎児の姿やスッポンポンの女性裸像を映し出したりと、ワーグナーが意図したものをひとつひとつ破壊しようとしている。さらに念がいっているのは、このオペラ(「神聖祝典劇」)の最大のモチーフである、神々しく黄金色に光り輝くはずの「聖杯」が、単なる黄色い大きな石だったりして。演出者はいったい何を言いたいのだろう。

ヨーロッパのいたるところで伝統的「パルジファル」が上演されているから、ときにはこういう実験的(または破壊的)演出もやってみよう、やってもよいではないか。それならわかる。しかし10年に一度「パルジファル」をやるかどうかという、この日本で、あえてこの反ワーグナー的演出を持ってくる意図は何なのだろう。(同じことが国立オペラ劇場の「リング」シリーズの演出にも言えるのだが。)

ワーグナーを知りつくしているゲルト・アルブレヒトの、やや早めのタクトのもと、読売日響は一世一代の美しいワーグナー音を出していた。3公演すべて聴いた(そういうワグネリアンがいるのである)知人の話では、第1日目のオケはやや硬かったがだんだん良くなってきた。今日(3日目)は最高」とのことであった。

「パルジファル」では第1幕のあとでは拍手をしない習慣になっている。でも今回の演出では聴衆にそんなことは強要できない。多少拍手があったのはしかたないだろう。

拙稿をお読みいただいた方の中で「では本来あるべき(伝統的)『パルジファル』はどんなものか」と問う方があれば、メトロポリタン・オペラの映像(ジェイムズ・レヴァイン指揮。クルト・モル、ジークフリート・イエルサレム、ウルトラルト・マイヤーなどが熱唱、熱演。演出オットー・シェンク。DG盤)で観て(聴いて)いただきたい。なかでもウルトラルト・マイヤーのクンドリーが凄い。この美女(妖女)の誘惑を退けられる意志強固な男がこの世に存在しうるのだろうか、そう思ってしまうほどである。









トップページへクラシックを良い音で聴くために書評・リンク集

ご意見/ご感想はこちらまで

@nifty ID:BXG03253