私のコンサート評




私のコンサート評  
January 26 (Wed), 2000
Suntory Hall

Mahler : Symphony No.9 in D
NHK Symphony Orchestra's 139th Subscription Concert
Ivan Fischer (conducting)
NHK Symphony Orchestra

 マーラーの「第9番交響曲」について、評者は特別の感情を抱いていることをまず最初にお断りしておかなければならない。

 ニューヨーク・フィルの1970/71年シーズン、バーンスタインの指揮ではじめてこの曲を聴いた。本来はその頃特別常任だったジョージ・セルが振る筈だったのだが、彼の急死で、ヨーロッパのどこかにいたバーンスタインが急遽呼び戻されたのだった。渡された当夜のプログラムには「本日はマエストロ・セルの追悼公演とする」と書かれていた。

 入魂、真迫の演奏だった。約1時間半を要するこの大曲を、満員の聴衆は文字通り息も心拍も止めて(そういう気持ちで)聴き入ったのであった。終楽章最後のpppがフィルハーモニー・ホールの空間に消え去る瞬間は、確かにセルの魂が天へ昇ったことを示していた。指揮棒を置いたバーンスタインはそのまま楽屋へと去って行き、拍手は一切なし。

席を立つと周囲の聴衆は涙を流し眼を真っ赤にしているのだった。音楽を愛し、マーラーを愛し、セルを敬愛していたNYフィルの定期会員たち、その多くはセルと同年代で(30年前の話です)、セルその他の卓越した音楽家たち同様、ナチスから逃れてきたユダヤ系の人びとなのである。厳粛な、感動の、そして素晴らしい追悼演奏会だった。

 その感動を長くそのまま取っておきたい、そういう気持ちからであろう、評者はそれ以来「マーラーの第9番」を聴いていない。とは言ってもバーンスタインがNYフィルあるいはウイーン・フィルを振ったLP、CD、LD等は聴いている。しかしショルティ/シカゴ(Decca盤)、アバド/ウイーン・フィル(DG盤)、テンシュテット/ロンドン響(EMI盤)の全集を購入してはいても、この「第9番」だけは聴いていない。聴く気にならなかったのである。もちろんこの曲のナマのコンサートへ足を運んだことはなかった。

 しかし今夜は定期演奏会、依怙地になってせっかくの機会を逃すこともないだろう。(ここまで評者の独り言につきあって下さり感謝。)

イヴァン・フィッシャーはこのところめきめきと売り出してきているハンガリーの指揮者、最近発売されたCD、ブタペスト祝祭管弦楽団を振ったブラームスのハンガリー舞曲集では民族楽器ツィンバロンやジプシー・ヴァイオリンを加えた編曲を自ら行っていて(フィリップス盤。原曲はピアノ連弾のためのもの、今までに何人かがそれをオーケストラ用に編曲している。)、好演奏優秀録音との高い国際的評価を得ている。(評者も聴いてみたがなかなか面白い。これはお奨め品。)だから、お国ものではないマーラーではあるが、大いに期待してサントリー・ホールへ向かったのだった。

 フィッシャーは油の乗りきった40代後半、長身痩躯、若き日のショルティをほうふつとさせる見栄えのする風貌である。(評者の席はアリーナ式のサントリー・ホールの向かって左側ステージ横で第一ヴァイオリン群のややうしろ。オーケストラ音がときにバランスを欠く嫌いはあるが、指揮者の動作表情が目の前に見えるので、聴覚と視覚の両方がフルに刺激される。指揮者を注視していると、オーケストラが次ぎにどういう音を出すのかが分かる。そしてときに自分がオーケストラの一員であるかのような錯覚さえ覚えて、実に面白い。)

穏やかで緩やかな第1楽章、フィッシャーはときに微笑み、ときに厳かな顔つきで徐々にN響の面々をマーラーの複雑な世界へ連れてく。第2楽章はレントラーとワルツ。全身を前後左右に揺らし、肩、腕、手を大きく動かし、眼も唇も使って、(日本人にとってやや異質な)かの地の舞踏のリズム、抑揚をN響から引出すのに懸命だ。そして聴衆はいつのまにか19世紀末のウイーンへと誘<イザナ>われてゆく(この曲が書かれたのは20世紀初頭だが、発想は世紀末から始まっていたに違いないから、この程度の言葉のあやはお許しいただきたい)。次ぎは喧騒の第3楽章。フィッシャーの激しい棒の動きについて行った(というか踊らされたというべきか)この夜のN響、とくに金管群は好調のようだ。

 そして、マーラーが死の予感を抱きそれを描いた第4楽章のアダージオ。元来が上質であるN響の弦ではあるが、そこからフィッシャーは、死者の魂を天国に送り込む、荘重で悲愴かつ美麗な極上の響きを引出していた。例の最終のppp、もう音は出ていないのにフィッシャーは指揮棒を動かし続け、ヴァイオリンは弓を動かし続けるのだった(こうしないと日本の聴衆は、まだホールの空間に残っている余韻を聴こうともせずに、拍手してしまうのだ)。

 良いマーラー、そして気持ちの良いコンサートだった。この指揮者、今後は一直線に世界的マエストロへの街道を歩むことになるのではないか。そして評者はこれでどうやらセル/NYフィル/バーンスタインの「マーラーの第9番」の呪縛から解放されたようだ。








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