5月5日、横浜市青葉区に江戸時代に造られた農業用水があったということで、「まっぴい・青葉の街」三澤さんの案内で会員10名で訪ねました。 この用水は現在の川崎市の下麻生で鶴見川から取水して、早野を経てほぼ旧神奈川道(現県道横浜上麻生線)に沿って南下し、現在の青葉区鉄町、大場町、市ヶ尾町を通って都筑区川和町との境界付近で再び鶴見川に放流する、全長約6キロの用水です。 約300年に亘って当時の上鉄、中鉄、下鉄、大場、市ヶ尾5ヶ村の50町歩の水田を潤してきた由緒ある用水路でしたが、今では暗渠や埋め立て遊歩道などでなかなか確認することは難しい。 今回は町田市三輪町と川崎市麻生区下麻生とにまたがる恩廻公園付近の取水口があったとされる場所を探訪しました。 昔は大きく蛇行をしていた鶴見川も、今ではすっかり護岸で整備され、昔の川筋は今や住宅や公園に衣替えしており、とても昔の面影はありませんでした。 恩廻公園は昔の鶴見川の川筋で、600メートルに亘って地下50メートルに内径18メートル(一部13メートル)もの調節池が建設中とのことでした。この調節池は日本一大きなもので、50年に1度といわれる鶴見川の増水、氾濫にも対応出来るとのことでした。工事は急ピッチで進められている様子でした。 つい先月までは地下50メートルの空洞までエレベーターを使って一般の人に見学を許していたそうですが、残念ながら終わったそうです。 |
鶴見川にて、仲間たち
左、鶴見川、右、麻生川
昔の鶴見川はカメラ位置から住宅方面に流れていた
恩廻公園調節池俯瞰図、中央に鶴見川と麻生川。
茶色の山の形が昔の川筋、現在は公園でその地下に
600メートル、内径18メートルの調節池が完成しつつある。
川の合流地点。左手前から右奥へ早野川、右手前は旧眞福寺川。
左奥へ旧五ヶ村用水路跡(今では暗渠となっている)
この場所に五ヶ村用水路の途中の取水口があったと思われる。
勢揃い。
右奥に繋がる道は旧眞福寺川跡