東北編

竜飛崎

     訪問日 2000年8月4日

  東京6:00発、やまびこ65号に乗り、盛岡ではつかり1号に乗り継ぎ、青森に到着したのは10時半であった。以前上野から普通列車で15時間半かけて来た事を思うと、まさにあっという間である。
  竜飛崎を目指し、快速海峡に乗り込む。名前のとおり津軽海峡を渡り、函館まで行く列車である。今回は本州最後の停車駅、蟹田で降り、三厩行きの普通列車の乗り換える。海峡線は青函トンネルに入り、竜飛崎の直下海面下140メートルを走るため、竜飛崎に行くにはここで地上を走る津軽線に乗り換えるのだが、この路線、1日に5本しか列車が走っていないローカル線なのだ。
  ぐねぐねと曲がる単線の線路を、2両のディーゼルカーがのんびりと進む。冷房は無いが、窓からの風が心地よい。40分ほどで終点三厩に到着する。駅長さんが旗手を振って列車を向かえる。日本各地で駅の無人化が進み、こうして駅員が列車を迎える姿が見られなくなってきている。
  三厩についたのは12時40分頃。竜飛崎はさらに10キロほど先だ。ここから竜飛崎までは1日4本のバスか、タクシーで行くしかない。バスは14:55まで無いのでタクシーで行く。1台しかいなかったので、同じく竜飛崎へ行くと言う老夫婦と相乗りで行くことになった。海岸沿いの曲がりくねった国道を進み、岬へ登る道に入る。坂を登ったところには竜飛崎灯台や展望台があった。
  岬の先端に向かう途中に竜飛崎灯台があり、扉が開いていてどうぞお入りくださいと書いてあったので、登ってみる。低い灯台だが津軽海峡が見渡せる。ひと通り見てから下に降りて、展示物を見ていると、灯台の管理人らしき人が「すみません、今日は公開してないんです。今、親戚が来ているので開けていたんです。」といってきた。ぼくに続いて何人か入ってきていたので、その人たちにもそういっていた全員外に出ると扉を閉めた。公開してない日に、ひと通り見られたので幸運であった。ちなみに公開は土、日とのこと。
  つづいて展望台へ行く。津軽海峡が眼下に広がる。真下は切り立った崖になっていて、海は渦を巻いている。潮の流れが速く、川のようにはっきりと流れが見える。
  青函トンネル記念館へ行く。青函トンネルに関する展示があるのだが、なんと言ってもケーブルカーで海面下140メートルの作業坑に降りられるというのが魅力である。ケーブルカーに乗る。マッチ箱のような小さな車両で、かなり狭い。トンネルは鉄の扉でふさがれている。鉄の扉が開くと薄暗いトンネルの中に線路が消えてゆくのが見える。出発するとけたたましい音楽が流れ、トンネルの解説を始める。しかし、それより真下に消えてゆく線路のほうが気になる。このケーブルカーは実際にトンネルを掘るときに使われたもので、いまも竜飛海底駅からの避難通路になっているものだそうだ。海面下140メートルの体験坑道駅に着く。作業坑を、ガイドの解説を聞きながら歩く。上からぽたぽたと水滴が落ちてくる。ここは海底なのだ。作業用のトロッコのレールがあり、暗闇の中に消えてゆく。この作業坑の向こうには本坑があり、列車が走っているのだ。ひと周りしてまたケーブルカーに戻る。ゆっくりと地上へ登ってゆく。横に階段があるのだが、もしケーブルカーが壊れて、この階段を歩くことになったらさぞかし大変だろうと思う。
  地上に戻ってきた。つぼ貝を食う。3つで300円。うまい。苦くないサザエいったところ。おまけでイカを少しくれた。次は階段国道へ行く。
  階段国道とは、ずばり階段の国道である。当然車は通れない。そんな変な国道がここにはある。行きに通った国道の一部で、国道339号線という標識も立っている。階段は灯台のある岬の高いところから、海まで続いている。国道だけにしっかりと整備された階段で、石畳が敷かれている。脇には紫陽花も咲き、小雨を浴びて鮮やかである。面白いのは階段が終わると細い路地になるのだが、道のタイルが赤なのだ。赤い絨毯の路地。さすが国道だけある。赤い絨毯国道は無事自動車道と合流する。待ってもらっていたタクシーに乗り、三厩駅へ向かう。
  三厩駅に着くと、1日4本の竜飛行きバスが停まっていた。津軽線最終列車に乗る。最終といってもまだ午後5時半。辺りは十分明るい。
  小雨降る三厩駅を後にする。駅長はホームに立ち最終列車を見送る。その姿は「鉄道員(ぽっぽや)」であった。
  列車は今別駅に停車する。窓から祭りの音頭が聞こえてくる。はっぴ姿のこどもたちが祭りの準備をしている。そこには小さなねぶたがあった。ねぶたの季節、祭りの季節がやってきたのだ。乗り降りが済むと、すぐに列車は今別を出発する。ぼくもまた次の目的地へと向かう。


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