北陸編

特別急行『白鳥』

     乗車日 2001年1月7日

  午前5時18分、急行はまなすは青森駅に到着する。青森駅は雪の中、乗客はみな乗り継ぎ列車を目指して歩いてゆく。ぼくもまたその一人。大阪行き特急白鳥に乗り継ぐ。
  特急白鳥は大阪方面と北海道を結ぶ連絡特急として昭和36年10月に誕生。大阪―青森間1052kmを15時間45分かけて結んだ。その後、電車化、青函航路の廃止、若干の経路変更を経て、現在までそのスタイルを変えず日本海沿いを走りつづけてきた。現在は大阪―青森間1040kmを12時間55分かけて結んでいる。しかし、この由緒ある特急白鳥も2001年3月3日の改正で40年の歴史に幕を下ろす。飛行機が発達した現在、北海道連絡特急としての意義は無くなってしまったのかもしれない。しかし、この列車は鉄道が長距離輸送の主役であった頃の姿、その重みを感じさせてくれる。
  そんな中、白鳥の入線の遅れを知らせる放送が入る。「ただいま車庫のほうで車両手当てを行って降ります。入線時間はまだはっきりしておりませんので駅待合室のほうでお待ちください。」 ホームには屋根があるにもかかわらず雪が吹き込んでくる。駅待合室で白鳥の入線を待つ。この日、白鳥の指定席は満席であった。帰省帰りの客が多いのだろうか。白鳥は6時10分頃の入線という放送が入る。予定発車時刻は6時11分であるから、すぐ発車するのだろう。10分前にホームへ行く。1号車なのでホーム先端まで歩く。そこにはかつての連絡船通路がある。かつてはここを多くのひとが行き来し、北の大動脈の一部として機能していたのだろう。いまは乗り換え用の跨線橋としてひっそりとたたずんでいる。
  白鳥は出発前なのにすでに雪まみれである。これが青森の冬なのだ。すでに発車時刻になっているのでさっさと乗り込む。弁当を買いそびれてしまった。白鳥は青森を3分遅れで出発。13時間の旅が始まる。アナウンスで停車駅と到着時刻を言っている。まだ青森を出たばかりの薄暗い中での金沢・・福井・・京都・・大阪、終点大阪には19時06分の到着というアナウンスは奇妙な感じである。車内はまだまだ空いているのでゆっくり足を伸ばせる。弘前を過ぎた頃から明るくなってきた。一面雪であるがやはり本州の風景である。北海道の風景とは大きく違う。朝飯におにぎりを1つ食べる。前日函館で買っておいたものだ。今のところ順調である。羽後飯塚で対向列車と交換のため停車。ここで対向列車が遅れ、6分ほど遅れが出てしまった。秋田には6分遅れで到着。列車は8分遅れで出発。羽後亀田でも交換待ちをする。白鳥は羽後本荘、仁賀保、象潟と停車する。帰省していた息子夫婦を見送るおじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん。窓越しに手を振る小さい孫。そんな情景が展開する。車窓からは荒々しい冬の日本海と沖に浮かぶ飛島の姿。象潟の田んぼの海に浮かぶ小島たち。単線と複線の入り混じる羽越本線を白鳥は南下する。ぼくの隣にも家族連れが乗ってきた。雪は降っていない。酒田を過ぎ、鼠ヶ関を越えると列車は新潟県に入る。日本海の向こうには粟島がみえる。突然電気が消える。村上にはまだ早いと思っていると交直電流切り替え試験のための消灯ですと放送が入る。すると突然列車は急停車した。故障だろうか。放送が入り、直前横断があり人影を確認したため急停車したという。あまりにタイミングが良かったので故障したのかと思った。列車は再び出発。交直電流切り替え試験の消灯を再度行う。間島−村上間で土砂流出があって下り線が不通なので上り線だけの単線運転を行っている。そのため間島駅で一旦停車し、少し経ってから出発した。村上駅手前で交直電流切り替えがあり電気が消える。再び点くと村上駅に到着である。不通となっている下り線にはうっすらと赤錆が浮いてきている。列車は越後平野をひた走る。新潟には12時33分、16分の遅れで到着。上越新幹線あさひ404号は白鳥の接続待ちをしているという。白鳥は新幹線を待たせるのだ。青森から6時間20分。やっと中間点である。まだまだ白鳥のたびは続くのだ。
  新潟では方向転換のため本来17分停車するのだが、遅れたため定刻まであと1分しかない。準備が出来次第の出発という。弁当を買わねば。朝からおにぎりひとつなのだ。駅員に聞いたら弁当屋は向こうのほう、自由席の前にいるよと教えてくれる。間に合うかなと言うと、近くの乗車口から乗ればいいよと言われた。弁当を買うために新潟駅ホームを走る。いくつか種類があるが迷っている暇はない。はらこ弁当950円を購入。まだ発車ベルが鳴っていないのでホームを走って戻る。さっきの駅員に「買えた」と聞かれたので頷き弁当の袋をかざす。車内に戻ると座席の向きが変わっていた。ここから進行方向が逆になるのだ。「外に出ていたの」と、となりの家族連れに聞かれたので、弁当を買ってきたと答える。青森からおにぎり1個だったと話す。「どちらまで行かれるんですか」と聞かれ、これから大阪まで行くと答える。新潟は3分遅れで出発。さっそく弁当を食べる。プラスチックだが立派な容器に入っていて、ふたには新潟県木の雪椿が描かれている。いくらがすごい。はちきれそうで落とすとはねるくらいだ。なんなんだろう。まあ、おいしかったので良いのだ。
  雪の越後平野を走る。新潟から車掌が変わる。白鳥は車両はJR西日本、車掌は全線JR東日本なのだ。柏崎からまた日本海と併走する。幸い海側の席が空いているのでそちらに座って海を眺める。直江津を過ぎJR西日本北陸本線に入る。見覚えのある駅たちが続く。飛騨山脈が海に切れ込み、海岸線は断崖になっているため、線路は長いトンネルを通っている。姫川が日本海に流れ込む河口に糸魚川はある。糸魚川の手前で交直切り替えがあり消灯する。三方を雄大な雪山に囲まれている。白鳥は前方の雪山へと走り出す。天下の剣、親不知である。ここを越えるのがあまりにも危険なため、親は子を忘れ、子は親を忘れると言われたこの地も、列車は長いトンネルで突き抜けてしまう。親不知を越えると富山平野へと入ってゆく。左手には立山連峰の雄大な姿を望む。富山に到着。地平ホームが数多く並ぶ。特急街道の入り口であり立派な駅だ。これも新幹線によってやがては高架化されるのだろう。高岡も大地に根付いた駅である。
  倶利伽羅峠を越え石川県へと入る。金沢に到着。乗客の入れ替わりが激しい。となりの親子連れもここで降りていった。金沢を出ると急に雪が少なくなった。この辺では北陸新幹線の工事が盛んに行われている。牛ノ谷峠を越え福井県に入る。福井駅は新幹線ホームを作る大工事が行われていて、すでに在来線ホームは移転し終わり元のホームの場所が広い空き地になっている。福井を出るとまた雪が多くなり、白い平野となる。乗客も増え車内は混雑してきた。今日一番の混み具合だ。武生を過ぎた辺りですっかり日は暮れてしまった。列車の中で日の出を迎え、同じ列車の中で日の入りを迎えてしまった。長い北陸トンネルを抜ける。敦賀は雨であった。
  雨の敦賀駅を出発し、列車は新疋田へループ線を登る。奥に見える明かりは疋田の集落だろうか。雨は雪へと変わった。近江塩津では雪が積もっていた。ここで北陸本線と別れ湖西線へと入ってゆく。暗闇の分岐駅を過ぎると今日3回目の交直電流切り替えを行う。外は真っ暗。蛍光灯が消え非常灯のオレンジ色のぼんやりとした明かりが車内を包む。外は重そうな雪が勢いよく降っている。北海道の舞うような雪とはまるで違う。夜の琵琶湖のほとりを白鳥はラストスパートをかける。琵琶湖の暗闇の向こうに街の明かりが見える。前方に琵琶湖大橋が見えてきた。もうすぐ京都である。長い北陸路を走りきった白鳥は明るい東海道を大阪へと進む。25分ほどで新大阪に到着。ここで降りる人も多い。いよいよフィナーレである。
  遥か青森から1000kmを越える旅を続けてきた白鳥もあとわずかで終点大阪に到着する。勝利を確信したマラソンランナーのようにゆったり、そしてしっかりと白鳥は大阪駅に滑り込んでいく。乗客はみなあわただしく降りる準備をする。白鳥はゆっくりと停まる。ドアが開く。荷物を担ぎホームへと降り立つ。そこは長旅の終わりとしては少々騒々しく、活気にあふれすぎていた。
  こうして1040Km、12時間55分にわたる特急白鳥の旅は終わった。そして、2001年3月3日、この『白鳥』もまた、ひとつの旅路を終え、日本海の彼方へ、伝説の世界へと飛び立ってゆく。


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