隅野君からのワールドカップレポート (98.06.24)

日本VSアルゼンチン 観戦記 NOT FAR AND AWAY

第1章 「馬鹿は懲りない」

 1日ばかし休みをとった。会社の誰にも言わずに観に行った。負けて帰ってくるとショックだろうし、後で慰められても寂しい気がしたからだ。行く前は「エ〜どうにでもなれ!」という気持ちを持ちつつたどり着いた、あのとんでもなく田舎で、くそ暑く、二度と行きたくないジョホールバルのラーキン・スタジアムで、な、な、なんと日本は延長でイランに勝ってしまったのであった。 1997年11月16日。そう日本がWorld Cup初出場を決めた日でした。 死ぬほど嬉しかったのと同時にこの程度のチームでWorld Cupか?という複雑な思いがあったことを今も憶えています。 翌々日会社何気ない顔で会社に出社したところ、実はバレバレで会社の女の娘に開口一番「観に行ってたでしょ?」と言われガチョーンでした。どうもWhite Boardの「休み」の文字であの人みたいに会社をなめた人間なら行きかねないというのが、まわりの一致した意見であったようです。 (勘弁してくれ)

よってそれ以降、こちらが何も言っていないのに、何故か知らぬ内にあの人ならフランスに必ず行くというレッテルを貼られたような状態になってしまいました。(勘弁してくれ〜、いくら仕事が嫌いとはいえ、この景気後退で売り上げも悪く、しかも6月は半期の締め。こんな時期に普通営業が休めるか!?) とはいえ、どうにかこうにか上司をほとんど騙すかのようにして(多分こいつに言ってもダメだろうという上の諦めだったと言った方が正しいかもしれない)休みをとり、お仏蘭西へ行くこととなりました。そう日本の記念すべきWorld Cup第1戦 対アルゼンチン戦に向け、皆さんの夢と希望と期待を背負って!(なんて気持ちはほとんどなかったのですが)

第2章 「脱線」

 休みを取る為に何日も忙しく、ろくにNEWSも見ることもなく前日に。その日はWorld Cupの開幕日。とりあえず第1戦のブラジル-スコットランド戦が観れる時間に帰って、観ながら旅支度と思って夜遅く帰宅。すると日本はおろか後日フランスでも新聞の一面を大々的に賑わさせる「チケット騒動」の発生!家族から「大丈夫か?」知人からも深夜だというのに「大丈夫か?」という心配のお言葉。不幸にして手に入らなかった人には大変失礼な言い方になってしまうのですが、自分のような人間にチケットが入らなかった方が、回りの人たちに笑いを提供し済んでしまうので、よかったのではと感じてます。実際申し込んでいたJTBのコメントは観れなかった場合は全額返金(前日の時点での情報)だったので、チケットが手に入るまでは、観れないなら、ただでフランスに行って、日本の試合なんて観ないでボルドーあたりで他の試合みて、WINE、WINEというのもそれはそれで結構おいしいと本気で思っていたような次第でした。(誠に不謹慎)

第3章 「脱線2」

 初めてのヨーロッパ。しかしトゥルーズは遠かった。飛行機12時間それから休む暇なくバスで11時間。ドアツードアで計30時間。朝の6時過ぎにベッドに横たわった時には、体を伸ばせることがこんなに気持ちいいものだと思ったのは生まれて初めてだった。一息ついて兄貴が家に電話をすると、成田で兄貴が受けたインタビュー(チケットがなくてもとりあえず行ってみますと回答)がニュース・ステーションに出て、その横で自分もしっかり写ってたのこと。(ゲェ〜) なんせ不真面目な営業マンはお客さんには「もうちょいお願いしますよ」「あといくらぐらいいきますかね?」と言っておきながら、Mailで16日まで不在にしますの一文だけでいなくなっていたので、もう呆然。(しゃあない、笑ってごまかそう)

 ところで肝心のチケットですが、実はこのインタビューを受けた所は集合場所を間違えてたまたまいただけで、数分後その裏の集合場所に行ったら、その場でチケットを受け取れるというなんとも悪運の強い奴等だったのでした。 お客の件はしょうがない。でもちょっと待てよ。テレビなんぞに出てしまうと、会社に行ったらこの件で何十回話さなきゃいけないことになってしまう。ここはひとつ仕事場に連絡を入れておいた方がよさそうだということで、会社に電話を入れてみると「テレビ初主演おめでとうございます!」ときたもんだ。(まいった) さすが、ニュース・ステーションの視聴率は高い! ちなみに帰ってきてから友人に電話するとちょうどその時飲み屋にいて、その飲み屋のテレビでチケット騒動の件をやっていて、たまたま自分を知っていたその友人の後輩が「隅野さんは大丈夫だったですかね?」と言ったとたんにテレビの画面になんやら知り合いの兄貴らしいのが写っており、よーく見るととなりに間違いなく見慣れた奴がいたので、たまげたと言ってました。

 さらに蛇足ですが、トゥルーズに着いた頃にはフランスでもこのチケット騒動は大々的になってきており、たまたま街をふらふら歩いていたら、またインタビューを受けてしまい、まあフランスだから関係ないやと思い、向こうのディレクターに訳のわからぬフランス語にまくしたてられ、その横のADらしきお兄ちゃんの英語の指示に従いカメラの前にチケットを見せながら、「We've got the ticket!」と言わされました。(実際には一回目はNGで、後にまた訳のわからぬフランス語でまたまくしたてられ、横の兄ちゃんにもっと笑ってやってくれと言われ、もう1回やりました。そんなに嬉しくねえよ馬鹿やろうと思いながら、、、、)翌日ツアーで一緒になった人達に「昨日2人でテレビに出てましたよ」と言われました。(お〜おテレビは恐い) 何故かその時、小さい頃親から「隅野」という字は少ないから新聞に載ったらすぐどこの隅野かわかってしまうから悪いことはしないでくれと言われたのを思い出して、テレビも同じだと感心してしまいました。

第4章「変色」

 トゥルーズはレンガ色の建物と中世寺院のバランスがとれた歴史の重みを感じさせる街でした。そして泊ったホテルの前の駅は誰もが曲名を知らなくても口ずさむことのできる「世界の車窓」(皆さんきっとメロディーが浮かんできてるでしょう)にでてきそうな風情を持ってました。きっと多くの皆さんもそれなりに映像が浮かんできているのではないでしょうか? が、しかし神社、仏閣系が苦手な自分にはとてもまた訪れたい街ではありませんでした。よかったのは、アメリカのように食事の際にイモ!イモ!イモ!の世界がなく、パンも具もおいしいことと安いWINEでも結構いけることと、そしてなんの変哲もないギャロン河沿いとその橋の風景は東京の慌ただしさを忘れさせてくれる河という文化と憩いを感じさせてくれることでした。

 そして後のアルゼンチン戦でチケットのない日本人が蟻のように群がった河沿いの公園のスーパービジョンで、のんびりビールを飲みながらサッカーを観ることができたのは何よりもゆとりという時間を感じさせてくれました。(休むことはいいことだ!会社の方に感謝。わざとらしい?正解!) トゥルーズはそんなのんびりとした田舎街でした。日本人もこの試合の為にぼちぼち見受けられました。ところが、試合前日ともなると、レンガ色の街が突然国立競技場で日本代表の試合の終わった後の神宮外苑のような日本のユニフォームカラーに変わりました。 その光景はなんとも街の色にそぐわない異様な光景でした。

そして至る所でTicketを求める紙を首からぶら下げたり、ディパックの背中につけている日本人とも遭遇することともなりました。その光景はもしかするとこれが今の日本なのかもしれないと感じさせるものでした。多少こじつけのような気がしますが、たかが、そう世界的にみてその「たかが」の日本の試合にフランスのダフ屋が心の底から笑いそうな20万、30万払っても観たいという日本人が山ほどいるという現実は日本の今の政府の(消費に対する)政策と国民の期待とのギャップを象徴しているように思えてしょうがありませんでした。 (隅野の言葉にふさわしくない? ごもっとも)

第5章「ミーハー」

 試合前日には、観光するようなところもなくなっており(個人的な問題です)、もちろん午前中はサッカーの試合もなく、やるここともないので、しょうがなくスタジアムへ行ってみようということで地下鉄に乗ってそれからてくてくと河沿いを気持ちよく歩いて競技場まで行きました。着いたら既に日本代表は競技場へ入っており、しかも当然非公開ということなので、人影もまばらでした。

 ところが行ったら結構有名人がいて、たまたまその場でばったり出会ったツァーの人達と小声で「悦ちゃん、悦ちゃん(小宮悦子)」「水沼、水沼(サッカー解説者)」「佐々木明子、佐々木明子(テレビ東京のアナウンサー)」とスタジアムもろくに見ず、言っていたのですが、そのうちこれだけ暇だと日頃絶対にあり得ないようなことをしてしまうもので、せっかくだから写真でも撮ってもらおうという話になり、やはりサッカーファンとしてはまず水沼という感じで、ツァー人達と組になってカメラを交換しながら互いに写真を撮りました。

 どうも水沼と撮ってしまうとこれだけじゃ寂しいということになり、小宮悦子佐々木明子と続けざまに撮ってもらうこととなりました。我々それを終わる頃には写真撮影会の順番ができていたのは、なかなか笑える光景でした。(みんな同じなんだ) 意外なことに、このような有名人の方々は往々にして、タカビーかなと思っていたのですが、暇だったせいなのかもしれませんが、写真を撮って欲しいと言うといやな顔一つせず、しかも向こうから気さくに話をし始めたのには驚きました。一諸のツァーの一人がその後「小宮悦子はいい人だ!小宮悦子はいい人だ!と連呼しはじめたのには、さすがに苦笑でしたが、、、

第6章 「Booing!」

 1998年6月14日。試合当日。集合時間(AM9:30 試合がPM2:30だというのに、しかも前日にスタジアムに行ってどれぐらいで着くか判ってしまっている人間には早すぎるとしか思えない時間)の前にちょこっとホテルの前にでてみると、TBSの進藤晶子アナウンサーがアルゼンチンサポーターにインタビューをしている。(きっと勝てるかと質問して、3−0と言われているに違いない?)ぐるりと見回すとホテルの前、駅の近辺には、昨日にもまして青、青、青の群れ。(いったいこれらの人達は何を思ってきているのだろう?お前だって同じだろ!ごもっとも)

 バスに乗って試合会場へと思いきや、試合会場ではなくシャトルバスに乗り継ぐ為にその駐車場へ、地図を見るとそこはとんでもなく遠回りで、前日下見をしてきた人間からすると思いっきり「ふざけんな!」と言いたくなるようなところ、やんわりガイドの人にちょっと遠いといってみると、困った顔して「すみません」の一言。きっといつものツァーとは勝手が違うのだろう。

 バスの中で翌日のスケジュールが伝えられる。「明日は朝6:00です」ほとんど全員から「エ〜」というブーイング状態。しかもツァーの案内にはバルセロナまでバスと書いてあったので、「バルセロナで時間があるんですか?」と質問すると、ガイドの人は何を言われているかわかんないというきょとんとした顔、前に座っている人が、日程表を見せると泣きそうな顔で「は、は、初めて見ました。私の所にはパリからのチケットしかありません。」こうなると周りから、からかいの野次の始まり、始まり。「バルセロナに行きた〜い」「来る時と同じで、バスであの東北自動車ような道を10時間も走るのか?」、「いくら返してくれるの?」、「TGVに乗りたい」だのガイドの人はくそみそに言われ、「穴があったら入りたい」というのはこういうことを言うのだろうと思ってしまいました。

 本当にWorld Cupが初めてというのは単に選手だけでなく、観客、旅行代理店、スタッフと多岐に渡っており、そのような全ての人達にとって初体験なのであって、このような経験は是非2002年においてよい教訓として活用されることを願うばかりです。(JTBの名誉の為に付け加えると、最終的にはTGVでパリまで行くことができとても快適でした。しかし正確に言うとボルドーまでのコンパートメントタイプの特急列車の方がTGVより快適だったのは驚きに値します)

第7章 「文化比較」

 スタジアムが近づいてきました。まずスタジアムに入る手前の橋で機動隊のようなこわそうなおじさん達がチケット確認。よしいくぞという気分で、さてスタジアム入ろうと思いきやまだ開門されていない。開門時間がわからない? 川沿いで一休み。しばらくするとやっと開き出したので、並ぶと日本とはやはり大違い。バッグのチェック(これは日本でもある)。ペットボトルはキャップだけをその場で外されごみ箱へ、Flagの竿は危険物ということでこれもごみ箱いき。きっと皆さんは竿のない旗なんてどうするんだ?と思われる方が多いことでしょう。しかしこれはWorld Cup(国際試合)では常識で、Flagを竿にきれいに巻いて待ち運ぶ日本人にとっては竿は喧嘩が始った時の凶器になるということが想像がつかないだけであり、その点今回のアレンゼンチンのサポーターの場合はちゃんとその辺を心得ており、ユニフォームを着てその上に竿無しでフラッグをマントのように羽織って歩くのが普通なのです。そして飛行機に乗る時にしか経験のないボディーチェックを最後に行ってという具合でやっと入れます。といっても日本人の場合はイングランドやオランダのサポーター等に比べればチェックしている人達も適当にやっているという感じでした。

 トゥルーズのスタジアムはさすが田舎のせいか、スタジアムの横にもサブ・グランドもありゆったりしており、指定席であったこともあり、しかも天気もよかったのでしばらくそのサブ・グランドの芝生の上で寝てました。この辺が海外と日本の大違いなところです。日本では芝生は観る為にあり、決して入っていけないところであり、海外では芝生は人が休だり、遊んだりするところだという点です。手前の部分でも書いた川沿いなどの芝生のところに柵などはないのです。ただこれについては不思議なことがひとつあって日本人で日本の芝生に柵がある理由を明確に答えられる人が誰もいないということです。但しこの芝生の件については、日本人は気をつけた方がいい点があります。フランス人は自然あるいは動物に寛容なのか、犬の糞の処理をしません。よって芝生に座る時はその付近一帯を見てからの方が賢明です。

 時間も近づきスタジアムに入っていきます。ゲートですっとチケットを見せて入ろうとすると、おばさんに腕を捕まれてしましました。チェックが厳しいのです。偽チケットが出て直前に刷り直した為に、そのおばさんはチケットの透かしをチェックをしていたのです。入ってみると既に青の軍団が、日本の応援をし始めていました。選手紹介が始まるとさらにそのボルテージが上がっていきます。そして選手の入場の時には紙ふぶきとともに絶頂に達します。自分の席が(といっても試合中は当然立ちっぱなし)ウルトラスに近い為いつもよりも気合の入った場所でした。しかし普段からスタジアムに通っていないおじさん、おばさんはこののりについていけずに座っての観戦でした。ちょっとこのへんがアンバランスな感じでした。

 後にこの日本サポーターは新聞、放送等で国際的に評価されることとなったのですが、自分には若干疑問が残るものとなりました。というのも国際的に評価されるほど、全員一体で応援するスタイルや声の大きさ等(これは割と現場にいるとわからないもので、後のクロアチア戦のテレビでの日本コールを聞いてみて初めてわるようなものでした。)は確かに評価に値するものと思われます。しかしながら、どうも日本サポーターの応援は日本代表の戦い方と似ている部分があり、そろそろ変わって行くべき時代ではないかということです。もう少し具体的に言えば、日本サポーターは最初から最後までイケイケの応援である点、いいプレーであれ、悪いプレーであれ、選手の名前の連呼するあたりは、日本代表が悪い時、プレーにめりはりが無く単調な試合運びをするのと同じに見えてしまうからです。素晴らしいセンターリングを上げて「相馬」コールは判ります。しかしあのボールをこすってゴールラインを割ってしまうようなセンターリングで「相馬」コールはないのではと思ってしまいます。

 技術的にアルゼンチンに勝てないことは百も承知です。だから日本代表にブーイングまでするつもりはありません。しかし各国のサポーターのようにいいプレーや得点の時には声援し、それ以外の時は試合を見守るという姿勢もそろそろ必要な時期なのではないかと思うのは自分だけなのでしょうか? 翌日の新聞にフランス語だったので当然よくわからなったが、日本サポーターについての記事があり、最後方におそらく試合終了後日本サポーターがアルゼンチンを応援していたことについて?マークがついていた。きっとフランス人にはわからないメンタリティーなのでしょう。(実は自分もよく理解できないところなのですが、、)

第8章「Not Far And Away」

 バティーにやられた。「あー」という声がスタジアムに鳴り響き、日本人の皆が頭を抱えた。しょうがないと思っても一番起きて欲しくないそして一番見たくない瞬間の訪れであった。ついていれば引き分け。そこまでいけば上出来。それが1点のビハインド。こりゃ苦しい。思わずため息が出る。それでもまだあるとい気持ちで全ての日本人が応援をし続けた。僅かな希望と期待と夢の為に、、、 しかしそれ以降、スコアの変化は無くホイッスル。アルゼンチンの連中はユニホーム交換もせずさっさと退場。(間違いなくなめられてる)

 「イチゼロか」しょうがないと思いながらも、その言葉が出ると同時に明日の新聞は「惜敗」か「善戦」と思うと何故かすごく寂しい気分になった(後日実際に「惜敗」「善戦」が一面に使われているのをみて日本のスポーツライターのレベルの低さに呆れた気もした。もっとボキャボラリーはないのか!?)確かに1−0は最小得点差である。しかしだからといって「惜敗」「善戦」というのも安直というような気がする。日本とアルゼンチンの差をそれらの言葉で表わすには無理であるとしか思えない。でも適切な言葉が浮かんでこない。 今一つ盛り上がらない夕食(郷土料理のカスレを食べたが見事に外れ。豆、豆、豆で半分でノックアウト)をしてホテルで帰り支度。

  寝る前に何故かFlash Backしてしまった。その頃は30インチのカラーテレビなんて考えられなかった。ビデオなんて言葉もなかった。だから初めてWorld Cupを観たのは目黒公会堂での記録映画だった。中学生だった。既にサッカーはしていた。観た後に、この世にこんな素晴らしいものがあるのかと思った。もっと正確に言えば、この世にこんな素晴らしいサッカーがあるのかと思った。 そこに有ったものは、それまでしていた、知っていた、観ていたサッカーとは異次元のものであった。こんなすごいサッカーに日本は百年経っても、追いつかないと信じて疑わなかった。そう思った時は1970年メキシコ大会の時であった。 よーく考えると1世紀たっても有り得ないと思っていた日本のWorld Cup出場が28年で実現したのである。そう考えると今日はまんざら悪い日でもないじゃないかと思った。するともう一杯と思ったがワインのボトルを逆さしても駄目になったので寝ることにした。(安いワインであったが うまかった。当然名前は覚えていない。)

  翌日EURO SPORTSで前日のサッカーの試合のダイジェストと分析を見れる。(毎日やっていてしかも何回もやってくれるので、非常に便利であった)。テレビをつけると日本の試合。ちょうど分析のシーン。当然得点シーンであった。日本では名波のミスパスをしてバティーの得点になっているであろうと思った。ところがこのシーン、オルテガがボールを持った瞬間である。アルゼンチンは完璧であった。その時オルテガの位置からは前に3個所へパスを出すところがあったのである。前の二人の足元で2コース、そしてバティーへのスルーパス。しかもオルテガの横にはちゃんとミッドフィルダーがサポートしているという台形のフォーメーションを作っており、要はオルテガが攻撃について5つOptionを持っていたのである。結果的にはミスパスということであったが、このフォーメーションを見た瞬間、やっぱり「善戦」や「惜敗」では表現できない差があることをつくづく感じさせられた。

 続いて他の試合もみてまた日本の試合が始る。今度は最初からでダイジェスト。バティーの得点、川口セーブ、そして秋田のヘディングをして相馬がスライディング その時のアナウンサーの言葉が「Not Far And Away」であった。日本はWorld Cupへ出場した。それは世界に一歩踏み出した証明となる。しかしそのことは決して日本が世界の強国の実力に接近したことではないと思える。近づいたとしても、その実力はまだ離れている。「 Not Far And Away」そう、以前に比べ遠くなくなった、ただそれだけのことなのである。4年後にこの差をどれだけ縮められるか?これが出場することによって日本が得られた課題なのではないか!?

第9章 「何故?」

 何故スタジアムに行くのか?よく雰囲気だとか、応援したいからだ、生の醍醐味があるからだという。決して間違えていない。どれも正しい。ただ自分が聞かれた場合はこう答えたい。サッカーという「空間」があるからだと。具体的には誰かにボールが渡った時、そのプレーヤーが次に何をするかは無数の選択がある。そして忘れてならないのは、ボールを持っていない人にも無数の選択があるのである。要は一人が動くだけではなく、常にほとんどプレーヤーが動いているのである。固い言葉で言えば、全ての選手は常に状況判断しながらそれに応じた動きをしているということが言えるのである。それをテレビで観るとどうしてもボール持ったプレーヤーの付近になってしまい、選択の余地のある空間は削除されてしまうという欠点を持っているのである。

 先日新聞に日本の観客は反応が遅いという記事が載っていた。まさにこれがそれを表わしているのではないのだろうか?全体を視野に入れて観ていると次の展開が想像し易い。だから反応が早くなるということになる。だからすごく楽しめる。その経験が日本人は他の強い国のサポーターに比べ、選手と同じように少ないのである。だからもっとスタジアムに行って試合を観ましょう!そして楽しみましょう!日本代表の試合だけでなく、Jリーグの試合も観に行きましょう。代表の試合に比べれば、落ちる部分はあります。中には金を返せといいたくなるような試合もあります。でも素晴らしいプレー、素晴らしい試合の感動はスタジアムで観た者を超えることはできません。皆さんの応援がやがてくる2002年の成果に結びつくことを願って終わりとさせていただきます。

「後記」

 栗山君、広瀬君にはこのような場を提供して頂くことができ、心から感謝いたします。それと同時にお調子者で、すぐに引き受けておきながら、それ以降なかなか返事も出さずに、いらいらさせてしまったことをここにお詫びいたします。観戦記というのに、試合の内容についてあまり触れなかったのは、この試合を多くの人が真剣に観ており、それについて色々な意見をお持ちなので、あえて少なくさせていただいたことをここで言い訳として記させていただきます。


1998年6月24日  隅野 晴雪