アメリカからのレポート(第7回)

アメリカからのレポート総集編

 6月でちょうど在米2年になりますが、いよいよ帰国の準備となりました。 とにかく毎日毎日色々なことが体験できて、あっという間の2年間だったような気がします。 そこで、これからアメリカで暮らそう(勇気あるなあ)、旅行してみようという 方々のために、又その他の人にはお笑いのタネに、ちょっとアドバイス・・・

(1) おっかなーいおまわりさん

 こちらに来てすぐに、車の免許の書き換えをしなければならないのですが、どういうわけか日本語でかいてある戸籍謄本が通ってしまったり、私たちは路上試験が免除されたのに、他の日本人はちゃんと試験を受けねばならなかったりとまちまちでした。

 うまく免許が取れたと喜ぶのもつかの間。 夫が暗い夜道を運転中、一時停止を無視したということで罰金をとられたのですが、その時には赤や青のライトをピカピカさせて追いかけてきたのでてっきり暴走族かと思い、つかまったら大変としばらく逃げ回っていました。 やっとそれがポリスカーだと分かり車を止めると、おまわりさんが寄ってきて「もし罪を認めるなら、後で罰金を支払う事。 認めないなら法廷に出廷する事。」と説明されたのですが、そのシステムがわからず何度も聞きなおしました。 最後にはそのおまわりさんも「変な奴を捕まえちゃったなあ」と困った表情に変わり、しめしめと思ったのですが、やはり一万円ほどの罰金を支払う事になりました。

 これでがっかりしていると、とんでもない事に今度は私がスクールバスに対する違反ということで、ウン万円の罰金を払うことに・・・トホホ・・・

 あれは忘れもしない雪の残るまだ寒い朝。 娘がスクールバスに乗り遅れたので、高校まで送っていった帰り道。 「津軽海峡、冬げしきーーー」なんて口ずさみながら調子よく運転していると、中学生用のスクールバスが目の前のT字路に止まりました。 こちらではスクールバスの運転手は絶対的な権力を持ち、どんな車もスクールバス脇の「STOP」サインが出た時は止まらなくてはなりません。 私もちゃんと止まったのですが、ちょうど一台分は通れるぐらいにバスが止まり、しかも先に行けとあごで合図をしたように私には思えたので、そのまま先に通らせてもらいました。 ずいぶん親切な運転手もいるもんだと家に戻ってきました。 
が、これが間違い。 しばらくするとユルブリンナーを樽のようにでっかくして、サングラスをかけたこわそうなおまわりさんがやってきて(へたに抵抗すると撃ち殺されてしまいそうな迫力)、「停止を無視して違反した」と言うのです。 私は心臓をどきどきさせながら図を描いて懸命に説明をしました。 意外にもそのおまわりさんはやさしく、「あなたの言っている事は正しいように思う。 でも運転手からの届けを受けているので、法廷で身の潔白を証明しなければならない。」と言われ、結局そこまでの力がなく、ウン万円(聞かないで!)を払うことになりました。

 又こちらでは12歳以下の子供を一人でおいておくと、親の義務を怠ったとみなされ罪がとても重いのですが、日本では子供が家で留守番をしていたり、車の中で少しの間待っている事は一般的なことですので、そのつもりで過ごしてしまう日本人が多いのですが、これでおまわりさんに取り囲まれて恐ろしい体験をする人がいるので注意!

 たびたび警察署から電話があり、ドキッとすると「警察に寄付をしてくれ」 - 私には‘せよ'と命令されているように聞こえますが・・ 「先日寄付をしたんだけど」と答えると、「今回は違う町の警察署。 この会話はテープに録音されているんだもんね。」と言われてしまいます。 その後、請求書と警察のマーク入りのシールが送られてきましたが、何の役にも立ちませんでした。

 先日は突然裁判所から手紙が届き、「出廷する義務がある」などと書かれていてびっくり。 またまた心臓をどきどきさせながら、「あの事かなー。 この事かなー」といろいろ心当たりを振り返ってみましたが、それらしい事は思い浮かばず、人に聞くと「陪審員に選ばれたので出廷するように」という事で肩の力が抜けました。 こんな私をお願いだから選ばないでよ。 こちらでも相変わらず‘おせっかいおばさん’をやっていますが、陪審員なんてとんでもない。 結局、英語が母国語でないということで免れました。

(2) 教育

 この問題に関しては住む地域によって全くシステムが違うようです。 が、私の住むWESTPORTでは、とても素晴らしい教育を行っているようです。 というか、あえてこの地域を選んだのですが。 不動産屋さんに行くと、先生たちの給料や学校のレベル、そこに住む保護者の収入、学歴、離婚率などの資料をくれるので、それを参考にして住む場所を捜すことができます。

 小学校が5校(幼稚園年長から5年まで)、中学校(6年から8年まで)が2校、高校(9年から12年まで)が1校あります。 一クラス最大25名の子供達がいますが、それでも人数が多すぎて充分な教育がいき渡らないと心配する保護者がとても多いようです。

 小学校では担任の先生のほかに、必ず1人か2人のアシスタントがついて、子供達の世話をしてくれます。 筆記用具や教科書は学校で用意されていますので、親が用意するものはほとんどありません。 ランチもお弁当を持ってくる子供もいれば、食堂で何種類かのメニューから選んで買うこともできます。 その他に、毎日飲み物やスナックを持っていき、おやつの時間に食べています。

 学期末には一人一人に成績表や人物評価を書いた記録をもらえるのですが、とても細かく記入されています。 又英語の分からない子供達にはESLの先生が毎日時間をとって教えてくれるようになっています。

 学校だけに限らず、何処に行っても子供達は実によく発言したり質問したりします。 大人たちもその話をよく聞き、答えています。 ここでは「出る杭は打たれる」なんてことはありえません。 高校生ぐらいの娘になると、授業中いかに発言したかが成績につながり、あまりおとなしくしていると保護者宛に手紙が届いたりします。 まさに言葉の文化だといえるかもしれません。

 夏の間、子供達はいろいろなサマースクールに参加します。 高校生達は逆に、アルバイトでサマースクールの先生の手伝いをしたりしています。 この活動が大学受験の際に評価されたりします。 日本でもこのようなプログラムがあれば、お母さん達が暑い毎日「あーぁ、大変」とため息をつくこともなく、又子供達もエアコンのきいた部屋でテレビゲームで暇をつぶすなんてことはなくなると思うのですが、無理なことでしょうか。

 又大学受験に関しても、年に何回か受ける統一試験で、自分の一番いい成績を願書につけることができます。 又いろいろな先生に推薦状を書いてもらったり、自分で自己推薦の文を書いて提出する事ができるので、日本のように寒い季節、一発勝負で試験にむかうことがなく、学生達はゆとりを持って高校生活を過ごす事ができますし、大学側も長い時間をかけてより優れた生徒を選ぶ事ができるようです。

 あのブッシュ大統領でさえ、先生たちの集会でのスピーチで「これからは教育を一番重大な問題として取り組んでいく」と発言したそうです。 日本では将来老人が増えて(私達のことですよ!)、子供達の数がますます減ってしまうということですが、住みよい日本にするためにも、今のうちにもっと教育に投資すべきだと思うのですが。 果たして小泉首相がそれに気がつく日が来るのでしょうか。

(3) 仕事よりも家庭?

 他のご家庭のように、日本にいる時には我が家の夫は大体毎晩10時ごろの帰宅で、週末以外家族で夕食をとることがなかったのですが、こちらに来てからは毎晩6時に帰宅。 一緒に食事をした後、子供達と遊ぶことができます。 同じような仕事なのにどうして違うのとよく質問されますが、どうしてでしょう。 多分それは個人主義の国か否かの問題に関わってくると思います。 会社でも病院でも、買い物に行っても、こちらでは自分の仕事以外のことを頼まれると「これは私の仕事ではないから」とつき返されることが多いようです。 その反対に日本では、少しでも自分に関わることは自分の意志に関わらず、どうしても取り組んでいかなければならないことが多く, そのため仕事の量がどんどん増えていってしまうのではないでしょうか。

 トヨタに車を修理に出す時にもこんな事がありました。 こちらでは車を引き取りに来たり、納車してくれる事はよほどのことがないとしてくれないので、1台の修理のために2台が連なっていかなねばなりません。 その日は一日で終わりそうもないので、レンタカーの手配も頼んであったのですが、約束の朝8時に受付に行って修理の手続きを済ませ、いざ帰ろうとすると「レンタカー担当の人が9時に来るのでレンタカーはない」というのです。 こちらの感覚としては「8時に来る事が分かっているんだから、カギを預かるとかできるでしょ」と思うのですが、ここでも「私の仕事ではないから」と断わられてしまいました。

 こんなふうですから、帰宅ラッシュは6時から7時ごろですし、夏の間など、(金)は午前中で仕事が終わる人も多いので、2時ごろから道路が込みだしてきます。 又勤務時間内でも、仕事を抜け出して学校の行事に参加したりするお父さんも少なくありません。 週末も子供達の習い事に付き合ったり、とにかく家族と過ごす時間をとても大事にしているようです。

 又女性は妊娠中でも仕事を当然のように続けていますし、産休も取りやすい会社が多いようです。 日本でも、女性がもっと社会に参加しやすいように、一刻も早く整備していかなければ経済が成り立たなくなってしまうのではないでしょうか。 法律の問題だけでなく, 仕事に関して男女の差を意識している人はいないようです。 女性も力仕事だってなんだって男性と同じように取り組んで、それはそれはたくましい。

日本のお父さん、がんばって! いえ、がんばらないで! どっちだろう・・・

(4) やっぱり日本食!

 私が大昔、アメリカに来た時には醤油さえも手に入れることが難しかったのですが、いまや日本食は大ブーム。 一日じゅう、料理番組を放映しているフードチャンネルでも、「照り焼き」「味噌スープ」「しいたけ」「だし」「寿司」「みりん」「昆布」「のり」「豆腐」「酒」などをよく耳にします。 本屋さんでも料理コーナーにはたくさんの日本食を紹介した本が並び、私も思わず「豆腐を使った料理」なる本を買ってしまいました。 「料理の鉄人」も評判が良く、その吹き替えも「福井さん」「GO」というようにとてもうまくあっていて、逆に日本にも英語版が放映されると面白いなあと思います。

 ところが、これらの料理番組も見るだけでいいと思ったら大間違い。 シェフのつばが全部入ってしまうのではないかと思うほど、どのシェフも喋りっぱなしで驚きました。 ほとんど間がないのです。 又ライブで行われている料理ショーでは、見学に来た人たちに次々に握手をしてから料理を始めるので、なんとなく菌がいっぱいついてしまうような気がします。

 子供達にも日本食は評判が良く、息子はランチにはのりのついたおにぎり。 おやつに「えびせん」「えび満月」「お煎餅」などを持っていくと、後から友達のお母さんから電話があり、「子供が日本のおやつがおいしいというから、何処で手に入るか教えて」といわれたりします。 何年か前にはのりのついたおにぎりなどもっていくと、「気持ち悪い」といじめられた日本人の子どもがたくさんいたそうです。 ずいぶん時代が変わったものですね。

(5) 丸田さん、ついに入院!

 皆様にご心配いただいておりますが、半年の間に4回の手術、合計10日間の入院となってしまいました。 保険に入っていなければ一泊20万円の入院費がかかるので、こちらでも貴重な体験をしたと、人々の話題になっています。 ホテルのような病院で麻酔もきいてゆっくり静養できたでしょとお思いでしょうが、とんでもない! マンハッタンの街中をそのまま病院内に持ち込んだように、とにかくうるさいのなんの。

 スペイン系の掃除のおじさん達は大きな声で「テケテケテケテケ、スットントン」とラップを口ずさみながら、モップで掃除。 看護婦さんたちも夜中だろうがなんだろうが、ナースコールなんて上の空で、「彼がどうの。 あの店がどうの。」と喋りっぱなし。 朝は4時頃からこんなにドクターがいたのかと思うほど、沢山のドクターたちが患者を見回り。 ヘルパーさんはゴスペルソングを歌いながら、血圧を測りに来る。 まさか車は通らないだろうと思いきや、子供が遊園地で乗るような小型自動車がガーガー音を出して掃除をしてまわります。 又どの患者さん達もとても元気(?)で、イタイイタイとものすごい大きな声で泣き喚くのですが、個人の電話が鳴るととたんにぺらぺらと喋りだし、「痛むんじゃなかったっけ?」と聞きたくなるほどでした。 おかげで、入院中睡眠不足で倒れそうなくらいストレスがたまりました。

 又、手術室に入る前には、外科の看護婦さんが「さあ、みなさんエンジョイしましょ。 あなたもこんなにチューブにつながれて、クリスマスツリーみたいでしょ。」とにこやかに話し掛けてくれて、笑っていいんだか悪いんだか妙な気分になりました。

 手術した翌日からすぐに歩く練習。 「えー、そ、そんな。 こっちの人と体力が違うんだから、もう一日休ませてよ。」と泣きたくなる思い。 恐ろしい事に、自分でボタンを押して痛み止めの薬を点滴で流し込むようになっています。 「歩くのは痛いだろうから、歩く練習をする10分前に薬を打ってから、練習するといいわよ。」と教えてくれましたが、眠くなって頭はふらふら。 これをきっかけに、頭は眠っていても足は動かすという器用な芸を身につけることができました。 皆さんにお見せできず、残念ですが・・・ とにかくいろいろな経験をしてみるもんですね。

 以上、思いつくままに書き並べてみました。 ながーくなってごめんなさい。 それから、今まで本当に辛抱強く読んでくださってありがとう。 7月6日の同窓会で皆さんにお会いできるのが楽しみです。

 「飛ぶ鳥跡を濁さず」できれいに片付けて帰りますので待っていてくださいね。 お土産は残念ながらありません。 あしからず。  アッハッハ・・・(やっと痛みがおさまって、笑えるようになりました。)

  2002年6月    丸田ゆかり


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