アメリカからのレポート(第5回その2)

記録更新、丸田さんアメリカで手術する!(後編)

 手術後、頭は朦朧としていましたが出されたアップルジュースをおっかなびっくり飲み干しました。固定物もその日のうちから食べていいといわれました。日本で手術を受けたら、たぶんブドウ糖の点滴や重湯から始まるのではないでしょうか。しばらくするとトイレに行きたくなり、看護婦さんの肩を借りて死に物狂いで歩いていきました。私は経験がありませんが(誓って!)、二日酔いの経験のある方はおわかりだと思います。何しろ足の感覚はないし、周りはグルングルン回っているのです。個室に入るととっさに手すりにしがみつきました。「これを離したら最後だ」といった感じでした。これから二世帯住宅を考えている方は、ぜひトイレに手すりをつけるようにお勧めいたします。

 それからベッドで30分ほど休んで、諸注意を受けました。「24時間以内は運転しちゃダメよ」 − (できっこない!)。「お酒も飲まないように」 − (もう飲んでいるみたいなんだから)。 それから、まるで酔っ払いのおばさんが介抱されているように夫とタクシーの運転手に支えられ、吐き気と戦いながら家に帰ってきました。

 翌日はひどい頭痛と吐き気で水以外のものは口にできませんでしたが、翌々日はなぜか無性にお煎餅が食べたくなり、家に在庫として残してあった貴重なお煎餅を手当たり次第に食べていました。やっぱり日本のお煎餅ですよねー。 特に手術の後は格別です。

 とにかく医療保険が高いせいか(この運転手さんは救急車で運ばれた時に約4万円の請求がきたそうです)、患者さんがたくましい。開腹手術をした人でも糸をつけたまま家に返され、自分で消毒しながら家で療養しています。

 またこんな事もありました。去年、子供達が学校に入る前に必要な予防接種を受けなければならず、当時4歳の息子は一度に5本の予防注射をされて大泣きでした。が、ちゃんとその対策も用意してあって、我慢したご褒美に恐竜のシールを握れないほどもらって機嫌を良くしました。

 高校生の娘がバレーボールの試合中足を捻挫した時には、砕いた氷を沢山入れたビニール袋をあてがわれ(娘はその氷が刺さるようにあたって余計に痛かったといっています)、小児科に行き、それから町のはずれにあるレントゲン科にいき、又小児科に戻って診断書(といっても小さなメモ用紙にチョコチョコと2−3行書いてサインした物)を書いてもらい学校に提出しました。痛がる娘を車に乗せてあちこち回らねばならず大変でした。ある時、日本の湿布薬をあてて学校に行かせたところ、ナースもコーチも回りに集まってきて、「これは一体なんだ。こんなにいい物があるのか。」と非常に驚かれたそうです。

 ドクターに会うときには必ずといっていいほどかたい握手から始まり、時には机の上に座って熱心に話を聞いてくれますし、患者は順番が近づくと個室で待たされ診察を受けるので、他人に話を聞かれることはありません。とにかく医者と患者の立場が対等なので、医者の顔色を伺いながら診察を受けることはありませんでした。患者は必要であればいろいろなドクターの診察を受けようとしますし、非常に有能なドクターでもそれを認めてくれます。
 だからといって自分の診察に自信がないというわけでなく、高いプロ意識を持っています。また、電話で診断結果を聞いたり、諸注意を受けることができるので、わざわざ2−3分の事に何時間も待合室で待たされることはありませんでした。患者の方も本当に苦しい時や大変な病気以外はなるべく病院へいかず、自分で治そうとするようです。「病は気から」という事かもしれません。

 私は「プロジェクト X」のファンで、日本からビデオを送ってもらっていますが、以前出演した心臓外科医の須磨さんがおっしゃるように、「患者が医者のためにあるのではなく、医者が患者のためにあるのだ」と自信をもって言えるドクターが、日本でももっともっと増えていってほしいと思います。言葉の問題はありますが、ここまでのところ私は良いドクターにめぐり会えたようです。日本でも医療に関してはいろいろな問題を抱えていますが、この辺の意識を根本的に変えていかなければ話が先に進まないのではないでしょうか。

 とにかく皆さん、お互いに若くないのですから健康に気をつけていきましょう。「早期発見、早期治療」ですね。

2002年1月  丸田ゆかり

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