2002年を迎え、皆さんいかがお過ごしですか。何かあっという間に1年1年が過ぎていってしまうような気がしますね。皆さんお元気にお過ごしですか?今回は「医療」について、私の涙ぐましい、貴重な体験をお知らせいたしましょう。
昨年の夏に一時帰国した際には、何人かの方々にお会いする事ができてとても嬉しかったです。ありがとう。日本に滞在中、人間ドックにも入り、そこで新たな腫瘍が見つかって、アメリカに戻る飛行機に乗る直前に医者から検査の結果を聞きました。なるべく早めに取ってしまった方がよいこと、又、日本で手術する場合は2週間ぐらいの入院が必要とのことでしたが、何しろ飛行機がもうすぐ出てしまうという時で、乗らないわけにもいかず、とりあえずアメリカに戻ってきました。
過去、切ったり縫ったりの経験は夫婦あわせて8回の記録を持つ私ですが、できたら日本語のできるドクターに診てもらいたいと、日本人向けのテレホンガイドを捜しました。といっても、最終的には顔写真で判断しましたが・・・ ところが安心して電話をかけたのが間違い。受付係はまったく日本語が喋れない韓国系の診療所でした。「症状は?」と聞かれても何も準備していない私が英語で説明できるわけもなく、いったん電話を切って、「アメリカで病気になったときあなたを救う本」など何冊かの医療関係の本や辞書を勉強し、やっと症状を伝えて予約を取ることができました。
このドクターは韓国系アメリカンで、いろいろな大学や病院で長い間勉強し、経験を積んでこられ、人柄もすばらしい方でした。期待していた「日本語可」は、残念ながら私の英語力の方が勝るほどでしたので、途中で英語になってしまいました。でも、日本人と同じような顔かたち、また韓国語もなんとなく東北の方言に似ているようでとても安心感がありました。余談になりますが、この診療所の待合室で、日本人の60歳前後のご夫婦に偶然出会いました。奥様が、な、なんと緑が丘小、11中の卒業生だったのです。地球は狭いですね。
その後、このドクターがマンハッタンにある「ガン治療」(ドキッ!)で有名な病院の外科医を紹介してくれて、そこでCT検査(体を輪切りにして画像を撮る)を受けました。検査室の前で待っていると、小太りのおじさんがニコニコしながら牛乳パック1本分はあろうピッチャーとガラスのコップに得体の知らない液体を入れてもって来ました。画像をきれいに撮るようにそれを飲むように言われたのですが、とにかくまずい。お水に少しとろみをつけて、味をつけたような感じで、とても全部飲むことはできそうにありませんでした。
ところが、隣に座っているおじさんを見ると、まるで暑い日の冷たいビールを飲み干すように、グッグッグと飲んでいるではありませんか。「ウー、まずい。もう一杯!」と言い出すのではないかと思う勢いでした。私はといえば、コップに半分ほどで吐き気をもようし(あの青汁以外は何でも飲み食いできる私ですが)、「これまずいから飲めない」と返すと、その小太りのおじさんは「じゃあ、味を変えてくるから」といって、今度は胃の検査で飲むあの見慣れた白色のドロッとしたバリウム(ちょっと薄めた感じ)を差し出しながら、「今度はいちご味だよ」と教えてくれました。それにしても、こんなに沢山飲まされて、後でおなかをこわしはしないか非常に心配しました。
その後、点滴を受けながら静かに横たわっていましたが、日本のように「ハイ、吸って」「ハイ、止めて」の「ハイ」がないので息が続かず、ずいぶん苦しい思いをしました。途中点滴のスピードを速められたときには、頭が朦朧として「あーあ、私はこのまま異国の地で死ぬのかもー」と思うほどでしたが、とにかくそんな頭でも思いつく英単語を並べ、苦しみを訴えました。係りの人がそれに気づいてスピードを直してくれて意識が戻り、ほっとしました。こんな時にはとにかく大げさに訴える方がよいようです。
それから日にちをかえて、今度は超音波担当の女性のドクターを紹介してもらいました。ご存知のように9月11日のテロ事件(この日は私の結婚記念日だったのですが、それどころではなくなってしまいました)以来、たんそ菌事件や飛行機の墜落事故と続いたので、マンハッタンの病院に行くのも命がけでした。病院へ治しに行きたいのに、「命がけ」とは変ですよね。
たんそ菌が検出されたという病院や郵便局の前ではなるべく息を止めて歩き、あるときは地下鉄が怖くて、43番通りにある(私の年齢と同じ)駅から、3つ目の68番通りまで45分かかって歩いた事があります。50歳(いや50番通り)までは好奇心も手伝って颯爽と歩けるのですが、50代を過ぎると足が徐々に重くなり、60代になると1年1年(いや1番づつ)苦痛になってきました。やっと70番通りにある病院に着いた時には、私のこれからの人生と重なって感慨深いものがありました。もちろん帰りは「ええい、もうどうなってもいいわい」とさっさか地下鉄に乗って帰ってきました。
そんなこんなでやっと先日検査を受けることができました。全身麻酔で口から胃にスコープを入れた後、胃に穴をあけて組織を取って調べるというもので、夫も付き添うように言われました。帰りはマンハッタンに通じる道路が閉鎖されていたり、警備が厳しかったりするので、日本人の運転手のリムジンを手配して置きました。
まず受付で必要な手続きを済ませます。医学用語などほとんど分からず、質問事項には「?」ばかりが並びました。検査用の服に着替えるのですが、半袖の後ろ開きのマタニティードレスのような物で、大きなおじさんたちも靴下や靴を履いたままこの服を着て廊下を歩く姿はほほえましくもありました。看護婦さんから「トイレに行きたかったら言ってもいいわよ」と声をかけられました。 − (もちろん行きますとも)。
手術台にあがる時には「靴は履いたままでもいいのよ。あなた次第だから。」と言われましたが、さすがにブーツを履いたままでは気が引けて脱ぎました。後日、隣のおじいさん曰く「生粋のカーボーイってものは棺おけに入るときにもブーツを脱がないもんだ」 − (あの−、私はカーボーイでもないし、棺おけにもまだ早いんですけど・・・)。
ドクターは2人ついたのですが、始める前に「これから何をするのか言ってごらん」といわれ、今まで聞いていた内容を話しました。が、その後「そうなんだけど、今日はね、もし胃の状態が良かったらついでに手術して腫瘍も取ってしまいましょう」と言われ、びっくり。「こうなりゃ矢でも鉄砲でも持って来い」という気分です。でも、こんな事2回もやりたくないので、1回ですむならそれがいいと数秒で納得しました。ただ、恥ずかしい話になりますが、今までの手術の経験からいって、全身麻酔となるとたいがい浣腸や下剤を与えられるのですが、いくら待ってもそれらしい話はありません。「こんなところで粗相をしたらどうしよう−」と心配になってきました。
想像するに(間違っていたらゴメンナサイ)、インド系とドイツ系のドクター2人、中国系の麻酔の女医(楽しそうにリュックを背負って手術室に入ってきました)、スペイン系とアフリカ系の技師2人、インドネシア系の看護婦さん(妊娠中でもうすぐ生まれそうなくらいおなかが大きく心配しました)の全部で6人の多国籍軍(多国籍医師団?)に見守られ、「さー、パーティを始めましょう」という掛け声の元、無事手術が行われました。ただただ、機械がすべて日本のソニーだったので安心しました。
(後編へ続く)