アメリカからのレポート(第4回)

ニューヨーク・テロに思う

 今回のテロ事件を身近に体験した私は、今でもニュースで報道されるたびに、恐怖と憤りで体が震えるようだ。私の身近な友人の中には倒壊の中、必死に逃げてきた人やいまだに意識が戻らず入院している人もいる。また、夜中の雷を「爆弾!」「飛行機の墜落!」と思って飛び起きたり、頭上を飛ぶ飛行機を不安げに見上げたりしている。生活は元に戻りつつあっても、人々の心はいまだに緊張から解き放たれていないようだ。

 アメリカに住むようになって、今回のような事件に直面すると、アメリカのたくましさをあらためて感じざるをえない。アメリカ人の誰もが「アメリカは強い国である」と信じて疑わない。政府要人たちの「真の自由のために、皆、力を結集して立ち向かおう!」という呼びかけに、一般市民の気運も高まっている。
道の脇には蝋燭をともしたり、電信柱や家々の窓、玄関などにアメリカの国旗を掲げて「追悼」の意を表したりしている。が、アメリカの国旗が明るいデザインであるためか、「追悼」という悲しいイメージよりもむしろ気分を昂揚させるような働きがあるような気がする。

 ただ、この勢いに私は非常に不安をもおぼえる。「やられたらやり返す」という理論の元に‘報復‘という言葉ばかりが目立って、今回のテロの主犯とされる人物を国際法に基づいて審判を下すという考え方が、一般のアメリカ市民に果たしてどれだけ浸透しているのだろうか。
また、どうしてこのような事件が起こったのか、その根本的な問題をどれほどの人が意識しているだろうか。アメリカが報復することにより、それはまた必ず、報復を生むだろう。 単に、アメリカ対タリバーンの戦いにとどまることなく、世界中のあらゆる国を巻き込んでどんどん大きくなってしまうのではないだろうか。

 現在、パキスタンがアメリカとタリバーンの間に立って、報復を回避するため(?)の交渉が進んでいるという。大きな戦争が起きる前に、日本は戦争回避の為に積極的に取り組んでいく事はできないだろうか。アメリカのニュースを見ていると「攻撃を受けたアメリカ」というタイトルから「アメリカの新たな戦い」というものに変わってきている。各軍隊も出撃に向けて準備をすすめているようだ。
だが、その軍人達にも私達一般市民と同じように家族がいる。親友がいるのだ。また、アフガニスタンにしても、その日その日を生きるだけで精一杯の人々が沢山いる。大人たちの醜い争いで、お互いの子供達が悲しい思いをするのは見過ごせない。

 日本では湾岸戦争の時の’失態’を二度と繰り返さないようにと、「防衛権」の行使等について広く議論が行われていると聞く。又、英国や仏国に比べて、小泉首相のアメリカ支持についての表明が遅かったという批判もあがったようだ。
が、「後方支援」をするといっても決して安全なわけではなく、かえって食糧や燃料の供給をたつために相手から攻撃を受けやすい立場にあるという。そうなれば、私達の家族や親類、隣人が傷つく可能性も出てくるのだ。

 また、数人のテロリストが日本にも潜伏しているという情報もあるようだ。。実際戦争になってしまえば、日本国内をかく乱する為にテロ活動が起こりはしないだろうか。あまりに無防備な国のため、またテロに対する対策も不十分であるため、それはいとも簡単に起こってしまうだろうし、そのための被害も大きいだろう。

 日本の皆さんに問いたい。特に、若い人たちに日本についてよく考えてもらいたい。日本は今すぐ、世界のため、私達の愛する国のために何をすべきなのか。このままでいけば、本当に世界中を巻き込む大きな戦争がおこってしまうだろう。そうなれば、アメリカを支持する日本も敵国として攻撃をうけることは十分ありうる。それぐらい、世界は今緊迫しているのだ。
イギリスやフランス、ドイツや他の国がアメリカを支持するから日本も支持しましょうという第三者的な発想をしていては、「お金は出すが、実際は何も役に立たない国」というレッテルをいつまでたってもはがすことはできないだろう。他国と肩を並べて世界の平和のために貢献できる国として認められるためにも、戦いが始まる前に今すぐ、小泉首相を初めとする政府が一つになって回避の為の交渉を推し進める事はできないだろうか。それは、今からでは遅すぎるのだろうか。

 また、もし最悪の状態になった場合、なぜ日本がアメリカを支持していかなければならないか、国民一人一人が明確に意識すべきだろう。日本政府のみが先走っていては、これから迎えることになるかもしれない最大の悲劇を乗り越えていく事は、難しいのではないだろうか。

 今回の事件で犠牲になった方々、今もなお救出を待つ方々、そして、彼らを助けようとして自らが犠牲になってしまった方々に対する深い悲しみは人々の心から決して離れる事はないだろう。

 もう、これ以上の悲しみを見るのは、いやだ。子供達のおびえる目を見つめるのは、もう耐えられない。

日本と世界を憂いつつ、ウェストポートから

  2001年9月    丸田ゆかり


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