10月9日 Oct. 09

07:00 ニュルンベルグ入港。
09:00 市内観光ツアー。市内散策
12:45 帰船。
13:00 バンベルグへ向けて出港。
Arrive at Nurnberg-city tour-leave for Bamberg

バイエルン州北部のニュルンベルグはかつての神聖ローマ帝国の事実上の首都である城郭都市。今は人口50万人を数えるが、中世の面影を色濃く残した町。
ガイドブック風に言えばこうなるが、事前にこの街から想起したことは、まず
ワグナーの「ニュルンベルグのマイスタージンガー」
次いでナチス党大会の開催地であるとともに第二次大戦の戦勝国の一方的な「ニュルンベルグ裁判」である。
即ち、ナチスドイツの「興隆と終焉の町」ということであった。

Nurnberg, city in south central Germany, on the Pegnitz River, in Bavaria, near Furth. Above all, the city is known by Richard Wagner's "Meistersinger in Nurnberg".
The city has been completely rebuilt since the war, including restoration of its Old Town section. Population 500,000.

fter 1356 became the de facto capital of the Holy Roman German Empire.

ワーグナーの歌劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』に描かれ、神聖ローマ帝国議会が開かれた中世都市ニュルンベルクは、ドイツでもっともドイツらしい町としてヒットラーのお気に入りだった。ナチスの党大会は1933年から1938年まで毎年この町で開催された。ヒットラーユーゲントや党員が整然と行進し、ヒットラー以下の幹部が満足げに見守る党大会のようすは、レニ・リーフェンシュタールが撮影した『意志の勝利』に残されている。
Triumph of the Will
 German motion picture about the Nazi Party rally at Nurnberg, Germany, in 1934. Leni Riefenstahl directed this propaganda film, which was commissioned by Adolph Hitler and released in 1935.
It is considered one of the most effective propaganda movies ever produced. Riefenstahl glorified Hitler and boosted German nationalist feelings so powerfully that the United States, Britain, and Canada banned the film.

Nazi Rally Stand in 1934

As it looks in 2003

そして、戦後ドイツの歴史は、ナチスの主要戦争犯罪人を戦勝国が裁いたニュルンベルク軍事裁判からはじまった。ナチスを完全に消滅させるため党大会が行われたこの地で裁判を行ったのかと勝手に想像していたがそうではなかったようだ。
本来はベルリンで開かれるはずだったが、戦火の激しかったベルリンには、国際的な裁判が開けるような建物は残っていなかった。中世都市ニュルンベルクも、空爆で町の約90%が破壊されたが、中心部から離れていた裁判所は奇跡的に焼け残っていたため、ここが軍事法廷の場に選ばれた。
1945年11月20日から1947年10月1日まで開かれたニュルンベルクの600号陪審法廷では、ヘルマン・ゲーリンク、ルドルフ・ヘス、アルベルト・シュペーアら24名のナチス幹部が裁かれた。
After the war Nurnberg was a site of trials (1945-1946) of suspected German war criminals; the trials were conducted by an international tribunal of Allied jurists with charging 24 individuals. 

法廷はこの建物の3階
The trial was held on the 3rd floor.

ナチス党大会の記録映画「意志の勝利」を監督したのがレニ・リーフェンシュタールだ。調べてみると、類いまれな強靭な「意志の女性」であることを知った。
Leni Riefenstahl (1902.8.22 ― 2003.9.08) 
ベルリンに生まれ、絵画と舞踏を学ぶ。舞踏家として名声を確立するが、1926年『聖山』で女優としてデビュー。一連の山岳映画に主演し、『青の光』(1931)を監督・主演する。同作でベネチア映画祭の金賞を受賞。女流監督としての地位を確立する。時の権力者ヒトラーから直接依頼を受けて、ナチ党大会記録映画『意志の勝利』Triumph des Willens(1934)を製作。この作品は数十台のカメラ,大胆な移動撮影などにより,熱狂的な宣伝効果をもたらした。因みにこの強力に大衆洗脳能力を持った映画は未だに、米英では上映禁止とのこと。
続いて1936年に開催された第11回オリンピックベルリン大会の記録映画二部作『民族の祭典』『美の祭典』(1938)を監督、傑出した撮影技術とリズミカルな編集により、世界の注目を浴びる。
なお,国際オリンピック委員会はこの11回大会以降記録映画を作ることを決定した。
彼女の制作した数々の記録映画は、動きがなく説明調の従来のドキュメント映画と違い、画期的な映像美。映画そのものとしても傑出した出来ばえで、それまでのプロパガンダ映画の常識を越えてしまう美しさがそこにあった。

第二次世界大戦後ナチ宣伝の容疑で投獄されるが「私はナチ党員ではなかったし、ユダヤ人迫害に賛成したこともない。私が興味があったのは、”美”だけ」という彼女の主張で無罪となる。
その後に続く「非ナチ化審理」の嵐の中でも、ナチの同調者と認定されたものの、「自分は映画を撮っただけだ」と一回も自分が悪かったと言わずに誹謗と中傷、財産の没収と数々の訴訟事件、さらには借金の山などの苦闘の中にあっても「当時のドイツ人の90パーセントはヒトラーの虜になっていた。彼はドイツを愛しドイツをまとめようとしたしただけだ。」と昂然と言い続けた。

戦後、映画監督としては『低地』(1954)のみを完成しただけだが、70歳のときアフリカのヌバ族の写真集『最後のヌバ』を発表し、写真家としてよみがえる。

さらに驚くべきことは、70歳を過ぎてからスキューバ・ダイビングの免許をとったことだ。
1974年から2000年にかけて、自ら2000回以上潜水撮影して、「ウミウシの卵塊」など、地上では想像もできない鮮やかで不思議な形の生物の姿を、2冊の写真集『サンゴの庭』『水中の驚異』にまとめた。
そして百歳の誕生日を目前にして、これらの水中映像を再編してドキュメンタリー映画「水中の印象」を完成させ、ドイツ・フランス合弁の民間テレビ局アルテが放映した。

ナチス党大会の記録映画を依頼する際に「あなたの人生を少しだけ私にください。私は党の監督ではなく、芸術家に撮ってもらいたいのだから。」とヒトラーに言わしめた稀代の映像芸術家の一生を辿る記録映画「レニ」を是非観たいと思ってます。

"A Woman of the Will"
who directed "Triumph ot the Will"
Leni Riefenstahl
(1902.8.22-2003.9.08)
Dancer, Actress, Movie Director, Photographer and:
Got Scuba diving license at age 70
and became Underwater photographer diving more than 2000 times till her death at age 101.

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