書評



東京都立大学法学部教授  前田雅英



松澤伸『機能主義刑法学の理論』信山社刊            2001/2/28刊行


 T 最近、陪審・参審制度との関係などから脚光を浴びることになった北欧の刑事法について、注目すべき研究書が刊行された。日本と同様ドイツ刑法学から出発しつつ独自の発展を遂げたデンマーク刑法学を「鏡」とすることにより、従来の比較刑法論では見いだせなかった日本刑法学の個性の微妙な部分が非常に鮮烈に析出されている。そして同時に、日本の刑法解釈学の今後の方向性について、明確かつ非常に鋭い問題を提起している。解釈方法論は、かつてに比べて下火になっていたが、戦後の法状況が大きく転換しようとしている現在、本書の意義は非常に大きなものといえよう。
 本書は、デンマーク法学の広い知見の上に立って、デンマーク刑法の核心部分を整理・分析した第一部と、新しい機能主義刑法学の方法論を説く第二部からなっている。
 U 本書は、デンマークの地勢・地理や、民族・国民性、宗教、政治についての概観を踏まえて、デンマーク刑法学の本格的・総合的研究で、真空地帯に近かった北欧刑法研究において、まさに画期的なものである。また、ヴァイキング時代(古代・中世初期)からはじまる刑法(学)史研究、法曹の全体像、裁判制度の骨格、法律学者の系譜を必要な範囲で詳しく紹介している。
 デンマーク法は、全面的なローマ法の継受はなかったものの、ヨーロッパ法の一部を構成し、19世紀にドイツの強い影響の下で刑法典が制定され、解釈論もドイツの学説の磁場の中にあった。そして、現行刑法は20世紀前半にドイツの新派刑法学の強い影響の下に完成したことが、わかりやすく整理されている。
V デンマーク刑法学の特色は、経験主義・機能主義である。アルフ・ロスとクヌド・ヴォーベンによって形成・発展されたこの現実主義的法学方法論の核は、「事実認識と価値判断が混在してきた法解釈学を、事実認識に限定した科学的・客観的なものとして再構成する」という点にある。具体的には、現実に妥当している法、効力を持っている法としての「ヴァリッド・ロー」を記述することが法解釈だとするのである。そして、価値判断の部分は法解釈とは峻別された「法政策」として扱うとするのである。ここに明確な価値相対主義が示されている。
 デンマークの刑法解釈論の具体的内容としては、類推解釈が一定の幅で許容され、違法類型であり犯罪個別化機能が重視されている構成要件概念と、法益侵害説に近いもので説明される違法概念が挙げられる。さらに、判例が形成し学説がヴァリッド・ローとして理論化した「実質的非類型性の理論(超法規的違法阻却事由)」と、形而上学的議論を排した責任論から構成されていると説明される。そして、デンマークの刑法理論は主観的であるとされ、未遂論は主観説的で、厳格責任を一部認め、包括的正犯概念を採用する。
 一方、デンマーク刑法における法政策として、被害者なき犯罪の非犯罪化、法と道徳の峻別が重視されている。第2次大戦直後より60年代に大きな価値観の転換がなされ、そのイデオロギー状況がなお維持されているとみることもできよう。刑罰論は、改善教育刑から抑止刑論へ転換したと分析されている。
 W 著者は、我が国における機能主義刑法学の中心に平野博士の刑法学を据える。例えば博士の問題的思考は、末弘厳太郎、来栖三郎、碧海純一等の理論を発展させドイツ型の教義論を脱却したものと評価するのである。
 さらに著者は、ロスの理論を軸に、機能主義を@裁判官への説得(価値判断)を重視 する法政策重視型と、判例=事実認識を重視するヴァリッド・ロー重視型に二分し、後者の相対的妥当性を主張する。学説の価値選択より実務のそれを重視する根拠を、民主的統制の及んでいる程度の差に求めるのである。そして、故意概念等を例に「判例理論」を具体的に展開してみせる。一方、法政策に関しては、実証的研究を重視し、例えば、抑止効果があるか否かという政策的視点から結果無価値論の合理性を主張する。
 さらにポストモダン法学を中心とした経験主義・機能主義批判への反批判を展開した本書は、刑法解釈方法論の最先端の水準を示している。
X 本書の論旨は非常に説得的であるが、「法解釈」にも価値的要素が残らざるを得ないとも考えられる。そして、それは国民の規範的評価を判例を経由してすくい上げる以外にはないように思われる。因果関係の有無や不作為犯の成立範囲などの評価の微妙な部分は、判例の示した「ポイントの重み」を基準に判断されるのである。そして、「法政策」も最終的には国民の価値判断によるものであろう。ただいずれにせよ、このように明快で具体的な実りに結びつく本書の刊行は、特に刑法の領域に存在した「方法論は、観念的で非生産的なもの」という考えを払拭するものといえよう。そして、ロースクールが始まり、実務から理論へのフィードバックが密になろうとしている現在、本書の価値は計り知れないものがあろう。