法学会雑誌最新号
医療過誤と重過失
はじめに 医療不信と医療崩壊
医療事故と医療関係者の法的責任の問題、医療安全の問題が、大きな社会的関心事となっている。国民の「医」に関連する安全の要求は、間違いなく強まっている。と同時に、「医療崩壊」が盛んに論じられている。二〇〇六年二月における福島県立大野病院の産婦人科医師逮捕は、医療関係者の間に、「医療過誤に刑事罰を与えることの問題性」の議論を喚起した。「これでは、産婦人科医のなり手がいなくなってしまう」という議論である。そして、より一般的に、医療事故に対し刑事処分で対処する事案が増加しているという指摘がなされ、「刑事処分という手段だけで、医療事故の真相究明と再発防止は図れない」という主張が、主として医師側からなされるようになってきた。そして、厳しい刑事責任の追求は、小児科医、産婦人科医のみならず、医療現場全体の人材不足を加速するという声が目立つようになってきていた。
たしかに、医療事故の被害者が、医療事故の民事的な処理に不満を持ち、刑事司法に訴える傾向が強まったという印象は否定できない。それは、当然、国民一般の医療不信から生じたものと考えられる。一九九九年に、国民が医療不信に陥らざるを得ない重大な事件が相次いで発生した。一月には、横浜市立大学病院での患者取り違え事件が起こる。肺の手術予定だった男性患者と心臓の手術予定の男性患者を取り違えて執刀してしまうというもので、最近最高裁において、医師の刑事責任が確定している(後述九五頁)。次いで翌2月に都立広尾病院事件が生じた。看護師が点滴薬を取り違えて準備し、他の看護師がそれを患者に注入し患者が死亡した事件である。横浜市大の事件と広尾病院事件が社会に医療不信を招く契機となったことは明らかであろう。このような大病院ですらこれほど重大な過誤をおかすという事実から、医療全体がそのような体質を持っているのではないかとの漠然とした疑念を生じたといえよう。さらに、広尾病院事件では死亡診断書の虚偽記載がなされ、事故を隠ぺいする病院の姿勢がマスコミ等で厳しく指弾された。その際には、医師に対する行政処分が、ほとんどの場合、刑事処分が行われた後に、しかもそのうちの一部のみに課されており、結局、刑事処分以外に第三者的立場で死因を明らかにする場はないと、より強く意識されていったように思われる。
さらに、広尾病院事件では、ミスをおかした看護師の業務上過失致死事件ばかりでなく、事後処理にあたった主治医、病院長、そして監督者たる東京都衛生局の責任が問われることになった。そしてその際、医師法二一条が注目されることになったのである。医師らが、患者死亡確認後24時間以内に警察届出がなされなかったとして医師法二一条違反で起訴がなされたからである。そして有罪が確定する。このような経過の中で、2000年8月、当時の厚生省は国公立病院に対して、医療事故が生じた場合、積極的に警察に届け出るよう促す指示を出し、次いで私立大学病院、特定機能病院に範囲を拡大した。いくつかの医学会も警察届出のためのガイドラインを発表して、医療事故に警察が関与する方向性を強めた。
そして、広尾病院事件の裁判を契機に、二〇〇五年六月二三日、日本学術会議が「異常死等について」と題して提言を行うことになった1)。提言の内容は、異状死体の届出制度の立法の趣旨からすれば、社会秩序の維持のためにも届出の範囲は領域的に広範であるべきであり、異状死体とは、@純然たる病死以外の状況が死体に認められた場合のほか、Aまったく死因不詳の死体等、B不自然な状況・場所などで発見された死体及び人体の部分等もこれに加えるべきであるというものであった。
ただ、いわゆる診療、服薬、注射、手術、看護及び検査などの途上あるいはこれらの直後における死亡の内、何をもって異状死体・異状死とするかについては、その階層的基準が示されなければならないとし、医行為中あるいはその直後の死亡にあっては、まず明確な過誤・過失があった場合あるいはその疑いがあったときは、純然たる病死とはいえず、届出義務が課せられるべきであり、これにより、医療者側に不利益を負う可能性があったとしても、医療の独占性と公益性、さらに国民が望む医療の透明性などを勘案すれば届出義務は解除されるべきものではないと、明言したのである。
もちろん、「人の病死」を考えた場合、疾患構造の複雑化などから、必ずしも生前に診断を受けている病気・病態が死因になるとは限らず、それに続発する疾患や潜在する病態の顕性化などにより診断に到る間もなく急激に死に到ることなども少なくない。さらに、危険性のある外科的処置等によってのみ救命できることもしばしばみられる中で、人命救助を目的としたこれら措置が、その危険性ゆえに死の契機となることもあり得る。このような場合、その死が担当医師にとって医学的に十分な合理性をもって経過の上で病死と説明できたとしても、自己の医療行為に関わるこの合理性の判断を当該医師に委ねることは
適切でない。そこで、第三者医師(あるいは医師団)の見解を求め、当該医師や遺族を含めた関係者(医療チームの一員等)がその死因の説明の合理性に疑義を持つ場合には、異状死・異状死体とすることが妥当である。ここにおける第三者医師はその診療に直接関与しなかった医師(あるいは医師団)とし、その当該病院医師であれ、医師会員であれ、あるいは遺族の指定するセカンドオピニオン医師であれ差し支えはない。このようなシステムを各病院あるいは医療圏単位で構築することを提言したのである。
そして、具体的な制度として、広く医療関連死の問題を総合的に解決するための第三者機関の設置を要請した。
一 診療行為に関連した死亡に係る死因究明などの在り方に関する検討会
このような提言を受けて、診療行為に関連した死亡に係る死因究明などの在り方に関する厚生労働省の検討会が、一九年四月二〇日から二〇年三月末までに、一三回開催された。そこでは、診療行為に関連した死亡に関し、従来の医師法二一条に基づく届出の基準の不明確さに関する問題と、後述の大野病院事件に見られる、医療側の「刑事司法不信」を軽減するため、「医療事故調」を設置して、医師の判断は加わった形で刑事介入がなされるシステムが模索されてきた。
検討会の設立の趣旨は、患者にとって納得のいく安全・安心な医療の確保や不幸な事例の発生予防・再発防止等に資する観点から、診療関連死の死因究明の仕組みやその届出のあり方等について、たたき台を提示し、診療関連死の死因究明等のあり方について、広く国民的な議論を展開していくことにあった。診療行為に関連した死亡等についての死因の調査や臨床経過の評価・分析等については、これまで、制度の構築等行政における対応が必ずしも十分ではないことが共通の認識とされ、さらに死因の調査や臨床経過の評価・分析、再発防止策の検討等を行う専門的な機関が設けられていないという問題意識が、その前提に存在する。一方で、患者・家族にとって医療は安全・安心であることが期待されるため、医療従事者には、その期待に応えるよう、最大限の努力を講じることが求められるが、診療行為には、一定の危険性が伴うものであり、場合によっては、死亡等の不幸な帰結につながる場合がある。しかし、診療の内容に関わらず、患者と医療従事者との意思疎通が不十分であることや認識の違いによる不信感により、紛争が増加してきているのである。
検討会では、診療関連死の死因究明を行う組織については、当初、以下のように考えていた。
(一)まず、診療関連死の臨床経過や死因究明を担当する調査組織には、中立性.公正性や、臨床.解剖等に関する高度な専門性に加え、事故調査に関する調査権限、その際の秘密の保持等が求められる。こうした特性を考慮し、調査組織のあり方については、行政機関又は行政機関の中に置かれる委員会を中心に検討する。
なお、監察医制度等の現行の死因究明のための機構や制度との関係を整理する必要がある。
(二)調査組織の設置単位としては、医療従事者に対する処分権限が国にあることに着目した全国単位又は地方ブロック単位の組織と、医療機関に対する指導等を担当するのが都道府県であることや、診療関連死の発生時の迅速な対応に着目した都道府県単位の組織が考えられるが、都道府県やブロック単位で調査組織を設ける場合、調査組織に対する支援や、調査結果の集積・還元等を行うための中央機関の設置も併せて検討する必要がある。
(三)調査組織には、高度の専門性が求められる一方で、調査の実務も担当することとなると考えられる。このため、調査組織は、調査結果の評価を行う解剖担当医(例えば病理医や法医)や臨床医、法律家等の専門家により構成される調査・評価委員会と委員会の指示の下で実務を担う事務局から構成されることを想定する。
(四) 診療関連死の届出制度のあり方が最も問題となると想定していたが、現状では、医療法に基づく医療事故情報収集等事業以外には、診療関連死の届出制度は設けられておらず、当事者以外の第三者が診療関連死の発生を把握することは困難となっていたので、診療関連死に関する死因究明の仕組みを、届出先や、届出対象となる診療関連死の範囲、医師法第二一条の異状死の届出との関係等の具体化を図ることを課題として設定する。具体的には、@国又は都道府県が届出を受け付け、調査組織に調査をさせる仕組みと、A調査組織が自ら届出を受け付け、調査を行う仕組みの双方を念頭に検討を進めることとする。
いずれにせよ、本制度による届出制度と医師法二一条による異状死の届出制度との関係を整理する必要があり、届出対象となる診療関連死の範囲については、現在、医療事故情報収集等事業において、特定機能病院等に対して一定の範囲で医療事故等の発生の報告を求めているところであり、この実績も踏まえて検討する。
(五) 調査組織における調査としては、@死因調査のため、必要に応じ、解剖、CT等の画像検査、尿・血液検査等、A診療録の調査、関係者への聞き取り等を行い、臨床経過及び死因等を分析、B解剖報告書、臨床経過等の調査結果等を調査・評価委員会において評価・検討、C評価・検討結果を踏まえた調査報告書の作成、D調査報告書の当事者への交付及び個人情報を削除した形での公表等を念頭に置く4)。
(六)再発防止のため、@調査報告書を通じて得られた診療関連死に関する知見や再発防止策等の集積と還元、A調査報告書に記載された再発防止策等の医療機関における実施について、行政機関等による指導等も視野に入れる。
(七)最も困難課題が、行政処分、民事紛争及び刑事手続との関係を整序することであり、@調査組織の調査報告書において医療従事者の過失責任の可能性等が指摘されている場合の国による迅速な行政処分との関係、A調査報告書の活用や当事者間の対話の促進等による、当事者間や第三者を介した形での民事紛争(裁判を含む)の解決の仕組み、B刑事訴追の可能性がある場合における調査結果の取扱い等、刑事手続との関係に関する制度設計であることは、当初から意識されていた。
二 厚労省の試案とそれについての批判
検討会の議論を踏まえ、厚労省は、「医療版事故調」に関する試案(二次案と呼ばれる)を、平成19年9月に公表する。
(一)まず、組織の在り方について、@診療関連死の死因の調査や臨床経過の評価・分析を担当する組織として医療事故調査委員会を設置する。この組織には、中立性・公正性に加えて、事故調査に関する調査権限やその際の秘密の保持等が求められるため、行政機関に置かれる委員会として設置する(厚生労働省内を想定)。また、ブロック単位に委員会の分科会を設置し、日本全国における調査の体制を整える。A委員会は、真相究明・再発防止を目的とし、医学的な観点からの死因究明と医療事故の発生に至った原因分析を行う。なお、インフォームドコンセントをはじめとした患者・遺族と医療従事者とのコミュニケーション等の評価に関しては、その実施方法について更に検討する。B医療事故の調査は、解剖に加えて臨床経過の評価が不可欠であることから、監察医制度とは別の制度として運用する必要があるが、監察医制度との十分な連携を図る。
(二)委員会の構成は、@委員会は、医療従事者(臨床医、病理医、法医等)、法律関係者、遺族の立場を代表する者等により構成し、A委員会の下に設置される地方ブロック分科会は、個別の事例の評価及び調査報告書の作成・決定を行う。B個別の事例の評価及び調査報告書原案の作成は、分科会の下に置かれるチームが担当し(解剖担当医(病理医や法医)や臨床医、医師以外の医療従事者(例えば、薬剤師や看護師)、法律関係者、遺族の立場を代表する者等により構成される。)、C委員会及び地方ブロック分科会の指示の下で庶務を担う部署を設置する5)。
(三)最も核となる「診療関連死の届出制度の在り方について」に関しては、以下の考え方を示した。@同様の事例の再発防止、医療事故の発生動向の正確な把握、医療に係る透明性の向上等を図るため、医療機関からの診療関連死の届出を義務化する。なお、届出を怠った場合には何らかのペナルティを課すことができることとし、A届出先は委員会を主管する大臣とし、当該大臣が委員会に調査を依頼することとする。B届出対象となる診療関連死の範囲については、現在の医療事故情報収集等事業における医療事故等報告範囲を踏まえて定め、C診療関連死については、全ての事例について委員会を主管する大臣がまず届出を受理し、必要な場合には警察に通報する。(診療関連死の中にも刑事責任を追及すべき事例もあり得ることから、警察に対して速やかに連絡される仕組みとする。)なお、本制度に基づく届出と医師法21条に基づく届出については、本制度に基づく届出がなされた場合における医師法21条に基づく届出の在り方について整理する。
(四)委員会における調査の在り方については、@調査の対象事例は、当面死亡事例のみとし、A遺族からの相談も受け付け、医療機関からの届出がなされていない事例であっても、診療関連死が発生したおそれが認められる場合は、調査を開始するとした6)。
(五)院内事故調査委員会における調査・評価が極めて重要であり、外部委員を加える等により、その体制の充実を図り、再発防止のため、委員会は、個別の事例の分析に加え、集積された事例の分析を行い、全国の医療機関に向けた再発防止策の提言い、医療安全のために講ずべき施策について、必要に応じて行政庁に対する勧告・建議を行うとした。
(六)行政処分・民事紛争・刑事手続における判断が適切に行われるよう、これらにおいて委員会の調査報告書を活用できることとし、@ 行政処分は委員会の調査報告書を活用し、医道審議会等の既存の仕組みに基づいて行い、個人に対する処分のみではなく、医療機関への改善勧告等、システムエラーに対応する仕組みを設けるべきであるとし、A民事裁判における対応に加え、民事紛争における裁判外紛争処理機関相互の情報・意見交換等を促進していく場を設けることを提言した。そして、B刑事手続については、警察に通報された事例や遺族等から警察に直接相談等があった場合における捜査と委員会の調査との調整を図るための仕組みを設けることとし、事例によっては、委員会の調査報告書は、刑事手続で使用されることもあり得ることを明示した。