Summer Santa Claus



今月読みたくなっちゃた本

今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません!

7月に読みたくなっちゃった本

今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません
! 




つ き よ

  長 新太・さく

  教育画劇

深いふかい森の中のお話です。

どんなに深い森の中かは、その空や山やいけの蒼を見ればわかります。

ひっそりとした誰も知らない夜のいけ。

つきがひとり、いけに浮かんで遊んでいます。

ふねになったり、はしになったり...、

ひとり、ひっそりと遊んでいます。

いけのほとりで、たぬきがその様子をそっと、じっと、ながめています。

たぬきはつきが動くたび、

びっくりしておなかをきゅうっとつかんでしまいます。

きゅうっと。

つきはひとり、こっそりと遊び続けます。

どこまでも静かで、泣きたくなるほど美しい絵本です。



絵本作家の長新太さんが6月25日亡くなりました。(享年77才)

どうしても読みたくて、27日に保育園で『つきよ』を読みました。

いつもは、子どもたちと一緒に楽しむために絵本を読みますが、この日は、ただ自

分のために読んだような気がします。

「ぼくは びっくりして おなかを りょうてで きゅうっと つかんでしまいま

した」
 きゅうっと。

すると、保育園の小さな子どもたちが自分のおなかをきゅうっと、つかみまし

た。

「きゅうっと」って、かわいい声を出して。

わたしはびっくりして...、

わたしも自分のおなかを、きゅうっと つかんでしまいました。

深い森のおくの、いけのほとりで、子どもたちと一緒に、つきが遊ぶ姿を、こっ

そり、ながめたような気がします。

長新太さんという、とてつもなく大きな月を。       

合掌   

長新太さんの絵本は子どもだけでなく、中学生や高校生、大人にも喜んでもらえます。実はそういう絵本はなかなか貴重なのです。わたしは、初めてお話を聞いてもらう中学生やおとなの方のところに行くときには、もしものとき(!?)の用意に『つきよのかいじゅう(佼成出版社)』をかばんに忍ばせて行ったりします。使わずに済むこともありますが、困ったときの長新太さん!で、わたしにとっては、お守りの代わりでもあるのです。

小学校の個別支援学級のクラスでも、長新太さんの絵本はものすごい想像力、創造力をかきたてるようです。子どもたちの発想がとんでもないところまでいってしまう。

できあがった絵本ではなくて、絵本を囲んでいる子どもたちと、どんどんまだまだその場で創られていく絵本、というかんじがします。読むたびに発見があります。読むたびに驚いて...。

もっともっと驚かせてもらいたかった。

ほかにもたくさん!あるけれど...

特に特にお世話になってる長新太さんの絵本

 『はんぶんタヌキ』(こぐま社)

 『チョコレートパン』(福音館)

 『どろにんげん』(福音館)

 そして、

 『つきよ』(教育画劇)

 『つきよのかいじゅう』(佼成出版社)



7月のおはなし      

長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません
自分のことばで声に載せて、誰かに語ってみてください

 せみ

   『かたれやまんば』

   藤田浩子の語り 番外編Tより
     藤田浩子の語りを聞く会 編集/発行

 むがぁし まずあったと。あるところにたいそう仲のいいあに様と弟いたと あ

るときあに様が遠くに行かねばならなくなったんだと

弟はせねくてせつねくて 高ぁい木さ登ってあに様を見送ったと 初めは

「見―る 見―る まぁだ 見−る」

よゆっていたんだけんど そのうちあに様が見えなくなってしまうと

「見―ぇん見―ぇん あに様が見―ぇん見―ぇん」

と泣きながら、いつまでもいつまでも木の上にいたもんで、せみになってしまった

んだと。

               おしまい。



今月のゆんちゃんみなちゃん


ゆんちゃんは高校生、みなちゃんは中学生、
二人は今日も一生懸命! 人生は険しい。 

7月の
  ゆんちゃんみなちゃん


あたしも!

「ええ?おねえちゃん、ママとおんなじ背の高さになったの?じゃあ、みなも寝なく

っちゃ」

 この子は本当にお気楽な、お気軽娘ですからね。勝手な理由をつけて、休みの二日

間、単にゴロゴロ寝てました。

 それがねえ、伸びちゃったんです。マンガみたいだけど、本当の話。ちゃんと並ぶ

と微かにわたしの方が、まだ高い。フン!

 ゆんちゃん、みなちゃん、わたしの三つ巴。ここからが勝負ですね。

 

 さて、みなちゃんが超ご機嫌なのには理由があります。とうとう携帯を買っちゃっ

たからです。携帯は高校生になってから買ってあげます、といい続けてきましたが、

やっぱり、送り迎えなど、携帯持ってないと不便なことが重なって、

買ってあげちゃったのであります。

 それで、みなちゃんはもう、うれしくって仕方ない。説明書を熟読する日々が続い

ています。反抗期もどこへやら、お返事はハイ
!、元気はいい。

ああ、これがずーっと続けば家族にとっても幸せが舞い込んできたことになるので

すが…。

さて、ご機嫌みなちゃんは、美術のテストにもごっきげんな絵を描いて、先生から

お誉めのことばをいただいたそうです。『問題、自分の手のデッサンをしなさい』

躍りださんばかりに活き活きと描かれたみなちゃんの手のデッサンのタイトルは『

ブラボー』でした。



7月のおまけ


=6月に語ったお話と絵本=

アナンシと五               小4
かにかにこそこそ  小6×4おとな(奥会津地方歴史民族資料館)・おとな

三匹のこぶた          小4×3・保育園

小判の虫干              小5×3

おおかみおじさん           小4×3

あまがえるの親不孝           小学校

いたちの子守唄            中1×3

気のいい泥棒              おとな

子守どろぼう               小6

マットくんのしょうぼうじどうしゃ(BL出版) 地区センター

くろねこかあさん(福音館)       本屋さん

かばくん(福音館) 小学校・小5×3・小6×4・未就園児親子・保育園

つきよ(教育画劇)            保育園

魔法のこびと(ミニパ)          保育園



雑記雑記(ざっくざく

悲鳴をあげそうになりながら、毎日毎日絵を描いたり、文章書いたりしています。(絵本展がせまっているので。出版されていませんよ。お間違いなく!勉強中です)おばさんになると寝不足はつらいが、それでも、絵を描き続けています。わたしなんて、絵を描いてもしょうがないのにィと自分に突っ込みを入れながら、それでも、絵を描いています。絵本塾に行ってみると、ほかの皆も働きながら必死にがんばっている姿が見受けられます。もっと、エライ先生方だって、顔には出さないが、おそらく、悲鳴をあげそうになってがんばっているに違いない。家に帰ると、二人の受験生も必死にがんばっている後姿が目に入ります。そこで、わたしも、もうひとふんばり。なけなしの知恵と根性と情熱を振り絞って、また、机に向かいます。絵本展には『悪虫きなちゃん』と『ぴんぽん・ダッシュの原画を出します。間に合うのだろうか。昔話も語ります。是非、いらしてください。(絵本展の詳細は表紙をみてね)





Summer Santa Claus

    


バックナンバー

6月に読みたくなっちゃった本

今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません
! 

父さんの小さかったとき


  塩野米松 文
  松岡達英 絵

   福音館書店

 父があぐらをかくと、わたしは決まってそのひざの中に座りこみました。新聞を広げる父のひざ、晩酌をする父のひざ。まるで、自分の定位置であるかのように、すっぽりとそこに収まっていました。

 食卓のイスの上でもあぐらをかく父でした。わたしはテーブルの隙間からどっこいしょと這い上がって、よいこらしょと父のあぐらの上に収まります。お客さんがいてもおかまいなし。父もそれを拒むふうもなく、わたしは自分の席に納まって、酒の肴のウニつまんだり、イクラつついたりするのが習慣でした。根っからの、飲べえ親子だったのですね。

 お正月には父の兄弟が集まりました。飲べえの兄弟はやっぱり飲べえ、大酒飲みが四人も五人も集まって、それこそ飲めや唄えの大騒ぎ。ここでもわたしは父のあぐらの上で、うわばみたちの飲みっぷり、しゃべりっぷりに聞き入ったものです。

そのうちに順番に唄い始める。昔はカラオケなんて使わず、手拍子だけで、よく唄ったものです。うちだけかなあ。      

父の十八番は『琵琶湖就航の唄』と『知床慕情』、ちっとも上手くないんだけれど、途中で語りが入ったり、合いの手が入ったり、味のある、いい唄でした。この歌を聴くと今も泣いちゃう。

わたしはその唄を何十回となく、父のあぐらの中で聴きました。父が揺れればわたしも揺れる。父が笑えばわたしの背中も笑う。体全体で唄を聴いていたように思います。

父が亡くなって八年、でも今も、父の声や、話すリズムをすぐに思い浮かべることができます。あぐらの上に収まって、体に染み込ませるようにして、その声を聞いていたからかもしれません。

 

さて、そんなにも好きだった父の子ども時代をわたしは知りません。なんだか怖くて聞けなかった。いなかのお百姓の家の男ばかりの六人兄弟。貧しい時代や戦時中の話を拒絶していたのだと思います。苦労話ばかりでなく、ワクワクの詰まった少年時代の出来事も、たくさん披露してもらえたでしょうに。

 今となっては、もう、聞くすべもありません。



 

『父さんの小さかったとき』には、わたしが父から聞きえなかった、昔の子どもたちの暮らしが存分に詰まっています。

けれど、昔の生活や遊びに出会えるばかりでなく、そこには生き生きとした、子どもたちそのものが描かれています。今と少しも変わらない子どもの日常。

 たくさんの図鑑も描いていらっしゃる松岡達英さん。とても、精巧で写実的であるのに、その線からは、優しさが伝わってきます。いい絵というのはそういうものなのでしょう。無意識に自分自身が顔をのぞかせてしまうのです。












6月のおはなし      

長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません
自分のことばで声に載せて、誰かに語ってみてください

泥棒と屁

『全くに國昔話資料集成12

    角舘昔話集 秋田』

武藤鉄城 編

岩崎美術社


 むがしあったぞん。この下延村に泥棒の上手な人がいてあった。ある晩大きな家へ泥棒に入って、沢山(のっこり)お金を背負って来た。

 そして帰りしなに別の家へ忍び込もうとしたら、その家には佐竹の又吉という、有名な屁ぷり爺が要人爺ッコになっていた。

 その爺ちゃがあんまり屁がでて困るので、尻穴(ごぞ)に大根栓(つぺ)して寝ていた。すると丁度その盗人の人が入って来た時、その家の犬(えんこ)が爺ちゃの尻の栓コどて抜いたもんだから、屁が出て、

誰だ(だんだ)! 誰だ!

と鳴った。盗人は動天して、そこへ背負って来た金も何も置いたまま逃げて行ってしまった。夜が明けてから見たら、そこに思いがけない大判小判が俵に入ってあるので、魂消てしまった。そこで又吉爺は大金持になって、一生安楽に暮らしたど。なあ。トンピンパラリのプウ。

              (青柳清君)

6月の
 ゆんちゃんみなちゃん
引退

ゆんちゃんがいよいよ部活動を引退しました。中学、高校と、6年間続けてきたバスケットボール部ともお別れです。やりたかったこと、やり抜けなかったこと、想いは複雑かもしれませんが、朝に夕に休みに、あれだけ体力気力をかけてきた、この6年は本当にえらかったと誉めてあげたい。お疲れ様でした。

送り迎えに弁当作りのおかあさまも誉めてください。ああ、大変だった!

 
 さて、しばらくはぼんやりしちゃうのか、みんなに遅れをとった受験体制にすぐ突入するのかと様子を伺っておりましたら、案の定、よく寝てましたね。

 気づくと寝てる。あら、また寝てる、いやあね、まただわ。おや、ここでも寝てる。おいおい、まだ寝るかい。こらいい加減にしろ! と、ばかりに、熟睡しきってました。

 で、ある日気づいたらオヤ?ちょっと、おっきくなったんじゃない?

 なんと、わたしと身長が並んでました。ほんとだよ。現役中、あんなに欲しかった身長が今ごろにねえ。やっぱり寝る子は育つんですね。

 ちなみに、あと欲しいものは、6年間鍛えに鍛えちゃった上に、チャリこいで、どんなとこだって、軽々行けまーすっていう、立派な太ももを卒業して、女子高生らしい、すんなりと伸びた足を手に入れたいのだそうです。

「今、上り坂はチャリから下りてるんだ。ウフ」

 こちらを手中に収めたかどうかは、また、後日お話いたします。



6月のおまけ


=5月に語ったお話と絵本=

ぎいぎいドア        東京都中野図書館

かにかにこそこそ      東京都中野図書館

りんご・りんご・りんご(パ)東京都中野図書館

たんぽぽ(詩まどみちお)    地区センター

アナンシと五    小4×3・小6×2・小5

くわず女房           小5・小学校

小判の虫干               小5

ひなどりとねこ            保育園

ぞうくんのさんぽ(福音館)   未就園児親子

たまごのあかちゃん(福音館)     保育園

マットくんのしょうぼうじどうしゃ(BL出版) 本屋さん

うさこちゃんとうみ(福音館)     本屋さん

  


5月に読みたくなっちゃった本

今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません
! 

母さんの小さかったとき


  越智登代子 文
  ながたはるみ 絵

    福音館書店

 お正月、ひとりで暮らしている主人の母に会いに行きました。子どもたちもそれぞれに忙しく、遠くに住んでいるので、今回は家族を代表して、わたしひとりで出かけました。

 さて、母はお煮しめを炊いてくれたり、さざえを焼いてくれたりしました。お日様色に煮たキンカンや、お吸い物に浮かぶ手まりを型どった生麩など、『有り合わせ』と言いながら、わたしを待っていてくれたのが伝わってきて、とてもうれしかったです。

 そのお椀を握る母の爪が、桜色に光っていました。丁寧に塗られたマニキュアです。母は年の割には体も大きく、しっかりした手をしています。年輪を重ね、皺が刻まれ、ゴツゴツとした母の手の先にある桜色を見たときに、大先輩である母を、ああ、かわいいなあ、と思いました。主人の母に対してかわいい、というのも失礼なようですが、でも、女性としてこうありたい、とちょっと思った。ほら、わたしも年とっていくということに不安を感じ始めてますから。

 お正月さんを迎えるということ、お客さんを迎えるということ(嫁だけど)、そしてもちろん自分の楽しみのために。もてなす気持ちや、楽しみに待つ、という気持ちをその頬染めたような桜色から受け取ったように思います。

 語らずとも伝え、語らずとも受け継ぎ、そして、また伝え…、続いていくもの。

『母さんの小さかったとき』は、絵本とは、少し趣が異なるかもしれません。

おかあさんの子どものころの生活や遊びを、綴った本です。文章は子どもがおかあさんに質問したり、おかあさんが思い出しながら語っていく、という対話で進みますが、絵は、子ども時代のおかあさん、として描かれています。絵を見ていると当時の暮らしぶりが手にとるようにわかるのです。

木造の校舎や、手回し式の洗濯機など、わたしよりはずいぶん先輩の子ども時代のようでありますが、子どものころ味わった、草の香や汗のにおいまで思い出すようで、なぜかとても懐かしい。

それはたぶん、夜中にいくお手洗いが怖い背中や、絶対離さないでとつないだ手など、どの時代にも共通する子どもたちの姿が、そこに描かれているからだと思います。

 

『父さんの小さかったとき』塩野米松 文・松岡達英 絵は男の子編です。(こちらは来月号で紹介します)

この二冊、なんとも見事な対になっています。

『母さんが―』編は女性コンビ(!?)に、『父さんが―』編は男性コンビ(!?)に、作られたわけですが、それぞれの作家が個性をちゃんと出していて、それでも、対になってる。よくできた夫婦みたいです。(怒られる…かしら)



5月のおはなし      

長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません
自分のことばで声に載せて、誰かに語ってみてください

ありどはぢどくもの上方めいり

『ばばちゃにもらった たからもの』

            渡辺和子 語り
            民話研有志の会

 

 むがぁす とんとんあつたど

 あるどごに ありど はぢど くもど いであったど。三人すてかみがため

いりに行ごでぇ、って相談すて行ぐごどになったど。そうすて 途中まで行

ったらねぇ、小判いっぺへった財布落ってらったど。そったらね 三人すて

山分げすよで って言ったらね、ありが

「おれ 分げでける、おれ 分げでける」ってね、

はい、はぢは はぢもん(八文) くもは くもん(九文)あどの残りは みん

なありのもん」って みんな取ってすもだんであったど。

 これで むがすはつっつぎそうろう

            (新潟下越) 

5月の
  ゆんちゃんみなちゃん


春うららお湯ゆらら

ゆんちゃんみなちゃん二人とも、お風呂に入って歌を唄うのが好きです。朗らかと

いえばあまりに朗らか。恥ずかしいといえば、あまりに恥ずかしい。だって、ご近所

さんに筒抜けの大音量で唄うんだもん。

特にみなちゃんは今流行のJPOPから、文部省唱歌まで、声高らかと歌い上げま

す。

「ホーリデヒッヒヤァ ホーリデクックゥ…」

なんの歌だかわかります?

二階のクロゼットにいると、お風呂場の真上なので、歌詞までしっかり、聞き取れ

て、つい一緒に口ずさんでしまうという、のどかな親子であります。

 さて、5月5日はこどもの日。

「いっつも、遅いんだから、今日はみなちゃん先にお風呂に入りなさい」

渋々お風呂に入るみなちゃんを横目に、わたしが二階のクロゼットで片づけを始める

と、

「ギャッ!」

と、みなちゃんの叫び声。続けて大声でみなちゃん、わたしを呼びました。

「ママ!お風呂にネギある!」

 

それは菖蒲だろ。オイオイ。

つっこむわけにもいかず、ご近所さま共々、笑いをこらえる母でした。

 <ご参考>

端午の節句に菖蒲湯に入る風習の由来、ご存知ですか?

『喰わず女房』という昔話があります。その後半が由来話になっています。

(後半から)まんまと男を風呂桶に押し込み、風呂桶担いで山へ飛んで帰るやまんば

(食わず女房)ですが、菖蒲が生えたところへくると「刀の剣だ、おお怖い」、よもぎの生えたところにくると「毒が生えとるおっかねえ」と遠まわり。男は風呂桶から

逃げ出し、菖蒲とよもぎの草原に身を隠し、やまんばがいなくなってから腰に頭に菖

蒲をさして無事に家まで逃げ帰ります。それがちょうど、端午の節句のころだったと

か。魔よけに菖蒲とよもぎを飾るようになったのはそれからだそうです。

みなちゃんにも語ってあげてたのになあ。


5月のおまけ

=4月に語ったお話と絵本=

へっぷり     (おとな×2・アースデイ)

ちいさなきしゃ/岩崎書店 (地区センター)

カエルの子           (おとな)

七羽のカラス          (おとな)

さるのせんせいとへびのかんごふさん/ビリケン出版 (おとな・小6・小4)

たんぽぽ      (老人施設・図書館・アースデイ・保育園・本屋さん)

かにかにこそこそ       (老人施設)

おねぼうペンドゥードル   (おとな×2)

ぼんさいじいさま/ビリケン出版 (おとな)

鳥のみ爺         (地区センター)

アナンシと五        (小6・小4)

喰わず女房            (小5)

りんご・りんご・りんご/パ   (図書館)

それはすごいなりっぱだね/アリス館(保育園)

ねないこだれだ/福音館    (本屋さん)


雑記雑記(ざっくざく

『となりのトトロ』が家にきました。友だちのご主人が、石で作ったトトロです。10センチほどの大きさでしょうか。ご主人は近くにある相模川の川原でせっせとトトロ石(トトロの体型にあった石)を捜し求め、スーパーのふくろに入れては持ち帰り、心込めて顔を描き、お腹は白く色塗って、木を削って耳をつけ、手と鼻になる小石を再び捜して相模川をさまよい歩き…、気がついたら、売るほどたくさんのトトロを作っていた、というのです。なんだかすごーくいいでしょ?我が家にきたのは細長めのトトロ石。小石でできた真っ白いちびトトロも一緒です。

トトロ石はリビングの鉢植えの横で今日もニッと笑っています。ご主人の笑顔に、よく似ています。

 



4月に読みたくなっちゃった本

今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません
! 

それはすごいな 
      りっぱだね!

 
いちかわ けいこ・文
 たかはし かずえ・絵

アリス館


 上の娘ゆんちゃんが小学校に入った春に、仕事を始めました。下の娘みなちゃんが、幼稚園

に入った春でもありました。

夏休み前、ゆんちゃんの初めての終業式の日、わたしは仕事が休めずに、ゆんちゃんにお願

いしました。

「学校から帰ったら、みなちゃんをお友だちの家に迎えに行って、二人でおにぎり食べててね

。そのころにはママも帰るから」

さて、わたしが戻ってくると、

「ママ、ママ」

大きな声に呼び止められました。見上げると、五階のベランダから柵越しに、ちぎれんばかり

にふたりが手を振っている。ふたりはそのまま、エレベーターホールまで飛んできて、交互に

叫び続けます。

「ちゃんと、できたよ」

「おねえちゃんとたべたの」

「おばちゃんが、えらいねって」

「おねえちゃんがおちゃ、いれてくれた」

かぎかけてママ、まってたんだよ」

すっかり話し終えると、かなちゃんと遊んでくる、じゃあねママ。二人は手をつないで、お

友だちの家に出かけてしまいました。ありゃ、あっけない。

 でも、そのときのふたりの得意そうな顔を、わたしは忘れることができません。顔中が鼻の

穴!って感じでした。がんばって、うれしくって、興奮すると、鼻の穴って広がっちゃうんで

すよね。

 家の中には、工作に、朝顔の鉢植、たくさんの荷物が散らばっていました。ゆんちゃんが、

どうやって引きずってきたのかと考えるだけで、わたしの口元が緩みます。          

テーブルの上に、ゆんちゃんからの手紙がのっていました。

ママ、わたしはたくさんおてがみがあります。ママ、わたしはいうことが

たくさんあります

画用紙からこぼれそうな大きな字が躍っていました。どんなにがんばったか、どんなに自分

が大きくなったか…。

お手紙も、飛びっきり広がった鼻の穴のようでした。

 

さて、そんなふうに鼻の穴を、おもいっきり広げているのがこの絵本です。

ダックスフントくんが、いろんな動物に、

『おおきく なったら なにに なるの?』

と聞いて歩きます。みんなそれぞれ、おっきくなって、すっごいものになって、ダック

スくんは、

『それは すごいな。りっぱだね!』

と、その度にビックリします。このダックスくんの姿がすごくかわいい。

この絵本を読んでいると、その後ろで、『どうだい、ぼくだって、こーんなふうに大

きくなるんだい』っと、たくさんの子どもたちが、鼻の穴を広げているように思えてく

るのです。

だから、やっぱり、最後のページでは、

「それは すごいな。りっぱだね!」と、声に出して、ダックスくんと腰を抜かしてし

まいたくなるのですが…。いかがなもんでしょ?

 



4月のおはなし      

長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません
自分のことばで声に載せて、誰かに語ってみてください

蝮蕨(まむしわらび) (八一 蕨の恩)

         櫨原 清水安治 M37

 蝮(まむし)は天から降ってきたんやってな。蝮が竹に刺さったんやてな。

蕨(わらび)が下から出てきてその竹をおなげて抜いてやったって。ほんで

蝮は今でも、今年出た蕨でもストンと切ったのでも、あれに刺さると蝮は死

ぬの。

 蝮に食われた時は、

「蝮、蕨の恩忘れたか」

って、それで蕨でなぜると腫れがひくって。

    注:おなげて=おし上げて


 


4月の
ゆんちゃんみなちゃん


おかあさんの条件

春の陽射しは降り注ぎ、さわやかな風が吹き渡り…と、思っていたら、この何

日かは初夏を思わせる暑さです。

「ひゃあ、暑かった。ママ、そろそろ冷たい麦茶作って」

みなちゃんが汗だくだくで帰ってきましたよ。

「まあ、そうは言ってもママのことだから、お返事ばかりで、すぐには作らな

いんだろうけどね」

なんですって!お返事ばかりなのは誰?!

 というわけで、みなちゃんを一発殴った後、早速作りましたよ。おいしい麦

茶。

 大きなヤカンに麦をザーッと入れてね、シュンシュン沸かすと、麦茶のいい香

りがしてきます。冷ましてから、容器に移して冷蔵庫へ。

ああ、もうすぐ、夏がくるんだなあ、としみじみ感じます。

 そうそう、夏にはよくアイスティも作っていました。一番大きなポットで濃い

目に紅茶を入れて、お砂糖も入れて、こちらも容器に移して冷やしていただき

ます。

 さて、三時のおやつ。

「みなちゃーん、お茶にしましょ。今年初めてのアイスティよ。牛乳入れる?

 こういうのってなんだか幸せ。優しいおかあさんになった気分。ミルクをたっ

ぷり入れて、お出ししまぁす。

 ところが、みなちゃんときたら、

「なんかさ、ママ、これ薄くない?お茶と牛乳飲んでる味」

「あら、久しぶりに作ったからお砂糖が少なかったかな。ごめんね、みなちゃ

ん」

素直に謝るのも、優しいおかあさんの条件です。

 さて、お夕飯のとき、わたしは自分の間違いにようやく気づきました。お

やつのとき出したのは、どうやら麦茶だったようですね。おんなじ容器だった

から間違えちゃった。

「みなちゃんの舌ってスゴイ!みなちゃんが飲んだのは、まさしく麦茶に牛乳

入れたのだった!よっく、わかったね」

誉め方がうまいのも、優しいおかあさんの条件ですが、

...娘からの信頼は間違いなく失います。









4月のおまけ


=3月に語ったお話と絵本=

七羽のからす   (小5・小6×2・小学校)

とかげのしっぽ  (おとな)

りんご・りんご・りんご/パ(保育園・地区センター)

ひなどりとねこ  (小学校)

梅干のひとりごと (老人施設)

どじょっこふなっこ/パ(老人施設)

鳥のみ爺     (地区センター)


雑記雑記(ざっくざく

『何やってもうかくいかない。辛抱あるのみ』というのが4月のわたしの運勢。気にしないもん、といいながら、やっぱり何もかもうまくいかない超マイナーなひと月でした。ところが、今こうして手帳片手に振り返ってみると、これがねえ、あなた、なかなかどうして、大きな出会いもいくつかあって(男性ではありません!仕事だよん)、お話だって楽しくこなし、お酒もちょこちょこそこそこ飲んで、ええ?別に楽しかったジャン、ということに気がつきました。『出来事はひとつ。それにいいか悪いか性格をつけるのは自分自身だ』と、あの『エースをねらえ!』の宗方コーチも叫んでいた気がする。そう、前向きにね前向きに。もう、楽しきゃいいか…って、これは開き直りです。    


3月に読みたくなっちゃった本

今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません
! 

おしゃぶり だいすき 
     ニーナちゃん

  
 クリスチーヌ・ノーマン・ビールマン/さく
 マリアンヌ・バルシロン/え
 やました はるお/やく
 佼成出版社


 
幼稚園の帰り、バスを待っていました。昔は今みたいに幼稚園バスなんていうのはなくって、普通の市営のバスに乗って幼稚園に通っていたのです。
 隣の家のあっちゃんと、それから、次のバス停で降りるエミちゃんと、ツヨシ君。
 
 どうして、そんないじわるな気持ちになったんだか、元々イヂワル娘だったんだか…、そのときわたしは、あっちゃんにすっごく意地悪したい気分になりました。

「あっちゃんはまだ、指しゃぶりしてるんだよねえ」

 バス停に並んでいるみーんなに聞こえるような大きな声で言いました。

 あっちゃんは真っ赤になって、それから、下を向きました。それから、モゴモゴと、ようこちゃんだって…、と言いかけました。

「なに!」

 そのあっちゃんをわたしはキッと睨みつけたのです。

 まあ!根っからの意地悪娘。いやな子だこと!いつもそんなふうだったのかは思い出せないけれど、たぶん、あっちゃんは同い年なのに、小さくって、優しくって、かわいい彼氏だったから、わたしの中の悪魔が、時折顔を出していたのかもしれません。(そういうことにしておいて)

 そのとき、あっちゃんが言いかけたのは、

「ようこちゃんだって、スミちゃん、持ってるじゃない」

ということだった。たぶん。

 そう、わたしはスミちゃんなしに寝られませんでした。スミちゃんは首の周りが、丸くくびれた、赤ちゃん用ボロボロ毛布。首のぐるりにツルツルの生地がついていて、そこをチュッチュしながら寝ていたのです。
 あっちゃんの指しゃぶりどころではない、家に帰れば、すぐスミちゃん、洗濯されれば、乾くまで物干し台の下で泣いてるくらい大事な大事なスミちゃんでした。

 あるとき幼稚園から帰ると、ボロボロのスミちゃんは、首のぐるりだけ残されて、捨てられていました。母はもういい加減、スミちゃんを卒業して欲しいと思っていたし、何より、本当にボロボロだったから。首のぐるりだけあれば用が足りると思ったのでしょう。
 
 ちょん切られたスミちゃんは、もうスミちゃんではなくなって、わたしは身を切られたように泣いて…、でも、案外あっけなく、首まわりのボロボロ布をそのあとすぐに捨てました。

 あっちゃんの指しゃぶりも、わたしのスミちゃんも、赤ちゃんの世界、夢の世界の出口の部分だったのかもしれません。怖いとか、寂しいとか、イヤだとか何もなくって、ただ、チュッチュチュッチュがある世界。

 スミちゃんがなくなって、わたしにはたくさんの怖いものができました。

             *    *    *

 
ニーナちゃんはとても、しっかりした女の子です。でも、おしゃぶりは必要不可欠。
 わたしと違って胸張って、
「しょうともよ!ろんなとちも くばえて いくの!」
大人になってもおしゃぶりは離さない覚悟です。
 さてある日、ニーナちゃんは、もっと、ぴったりした人におしゃぶりをあげちゃいました。そのあげっぷりったら!!ニーナちゃんはおしゃぶりの役割をよーく知ってるんです。

 こりゃ、ほんとのしっかり者だわ。


3月のおはなし      

長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません
自分のことばで声に載せて、誰かに語ってみてください
福寿草の花
                      『波多野ヨスミ女昔話集』
                      佐久間惇一 編
                      波多野ヨスミ女昔話集刊行会


 とんとんむがしがあったでん、のう。
 むがあしがら正月祝いの花どして、喜ばれる福寿草はのう、心の優し、素直なたぢで、花も姿も綺麗ではねえども、正月様が、
「正月に咲げっ。」
て、よいば、
「はいっ。」
てで、咲いで、
「春まで咲げっ。」
っていいば、
「はいっ。」
て、春まで咲ぐでいう。ほんとね、優し心をもった花だでがのう。それで、七福神様から黄金色ど福寿草どいう名を賜った
でがのう。ひんど、縁起のいい名前だでがのう。
 いっちがむがしがつっさげだ。長門の長淵、ブランとさがった。

 

3月の
ゆんちゃんみなちゃん


ばかばか親ばか


 
この4月でゆんちゃんは高校三年生になります。もう、ほんっと信じられない!

 どこのおかあさんもそうであるように、あかんぼだったあの日のこと、まさに昨日のことのように思い出せます。 お昼寝のとき握ってた手の柔らかさだって、ちゃんと感触として残ってる。

 でも、客観的に考えてみれば、18年間の長い年月がたって、わたしたちの子育ても本当の終盤にさしかかってきているのも事実です。
 
 高校三年生といえば、一般的には受験生ですからね。彼女が進学するのか、どんな道に進むのか、そこはおいおい、じっくり、ゆっくり本人に考えてもらうとして(あんまりゆっくり考えてもらえないのが現状ですが...)、これからなんにでもなれる、どこにでも行けるっていうのは、こりゃなかなかに輝かしいことじゃあ、ありませんか。
 ほんと、若者はうらやましい。

「ゆんがいなくなったら、ママは毎日泣いちゃうけど、地方でも、海外でもどこにでも行っていいんだよ」

と言いました。

「まったく...、わけわかんないこと言うね」

ゆんちゃんに笑われました。







3月のおまけ


=2月に語ったお話と絵本=

勇気のある小僧っこ  (小5・小6・小学校)
かちかち山          (中2×3)
あるだんなさんとおかみさんのはなし         (小1)
七羽のからす   (小5×2・小6・小学校)
福寿草            (老人施設)
おっぽのつり        (小学校×2)
ぎいぎいドア         (市民図書)
仔牛の春     (小学校×2・本屋さん)
わたしのねこちゃん/福音館
(保育園×2・小学校)












2月に読みたくなっちゃった本

今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません
! 

仔牛の春

  

 
五味太郎・作
 リブロポート

「はるよこい はやくこい
 あるきはじめた みいちゃんが
 あかいはなおの じょじょはいて
 おんもへでたいと まっている」
(相馬御風・作詞 弘田竜太郎・作曲)

 この歌を初めて聴いたのは、たぶん、とても小さかったとき。きっと冬。窓から見ていた外の景色が灰色だったから。

 昔むかしの子どもたちは、冬の間は一歩も外に出してもらえなかったんだと思い込んで、悲しい歌だと感じてた。春を待つ歌なんだと気づいたのは大人になってから。


 一番寒いこの季節に、なぜか春の気配を感じます。ああ、もうすぐ春がくる。
   
             *   *   *

 「お話会」で月に一度、保育園に出かけます。月に一度のペースで、きまった子どもたちに会うのは、とてもおもしろい。子どもたちがどんなふうに大きくなっていってるのか、目に見えるから。

 4月、保育士さんに抱っこされて、泣いていた2才児が、5月にはポカンと絵本をみつめるようになり、6月にはいっぱしの保育園児となって、しっかりゴザの上に座っている。10月にお話をするころには、「りんご、りんご」と得意げに声をあげ、そして、ぐるり一年が過ぎて、先回『仔牛の春』を読んだら、「ちょうちょ、ちょうちょ」と、指さして教えてくれた。

 そこで、フト気がついたんですね。

 あら?この子たちって、本物のちょうちょ、まだ見たことないかもしれない。もうすぐ来る「春」が、一回目の(認識の上では)春なのかも...。

 そう考えると楽しみでしょ!初めての春。
 ムフフ、春ってすごいのよ。あったかくって、ポカポカで、いろんなものが目を覚まして...。
 
 梅が咲き、そこここに陽だまりができ、蕾が膨らみ、やがて燃えるように花が咲き乱れていく。そんな景色を、ひとつでも多く見てもらいたいと思います。

 へびも、とかげも、おたまじゃくしも、こいつら驚かそうと、今ごろ穴の中で、夢見ているに違いないんだから。
    

              *   *   *

 この絵本のことをうまく説明できません。どんなことばを紡ぐより、まず開いてみてください!

 こうやって春はくるんですよ。こうやって、季節は巡るんですよ。そして、季節をひと回りして、自分をみつめてみると・・・、ほら、どう!?

 こんなふうに大きくなってるでしょ?って…。そういう本です。



 
今年はたくさんの小学校で『仔牛の春』を読みました。読み終えると子どもたちは、きつねにつままれたような顔をして、

「わっかんなーい、もう一回見せて見せて」

と、本を囲みます。

「みんなもこんなふうに大きくなってるんだよ」

絵本をバラバラめくる子どもたちに、おばさんはいらない一言を囁きます。

「ええ?でも、角、はえてないよ」

子どもたちはうれしそうに、自分の頭をコリコリさすりました。

 












2月のおはなし      

長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません
自分のことばで声に載せて、誰かに語ってみてください
 菜っ葉漬け
 
        大友かのえの昔語り
        『むがす あったづぉんな ほれ』
        宮城県志田郡三本木町
        山田和郎・山田裕子 共編


 むがす、あったづぉんなあ、ほれ。
 あるところで、婿をもらったんだと。なにもかも、さっぱりわかんねえ婿だったと。
 夕ご飯のときね、舅おやんつぁま、お湯飲んだと。
「お湯、あっついから、菜っぱ漬けけろ」
って、ががさまにいったんだと。
 舅おやんつぁま、お湯があっついのさ、菜っぱ漬け入れて、ぬるくして、飲んだと。
 馬鹿婿がね、そいつを見てたんだと。
 夜になって、舅おやんつぁま、お風呂さ入ったつぉん。ほして、
「あっついから、うめてけろ」
って叫んだんだって。したっけ、婿どの、
「はーい」
って、漬け物部屋さ行って、菜っぱ漬け、桶にいっぱい持ってきたんだっけど。
「はい、おどつぁん、うめでけらいん、あっついごったら」
っていったんだってやあ。
 こんで よんつこ さげたどやは











2月の
ゆんちゃんみなちゃん


はな・花・鼻!


 
ゆんちゃん、みなちゃんの目下の悩みの種は「鼻」です。

「ねえ、ママ。最近思うんだけど、美人かどうかは、鼻で決まるね」

ゆんちゃん、みなちゃん、わたしの3人でお茶を飲んでると、みなちゃんはわたしの顔を覗き込むようにして、つぶやきました。

「ああ、そうね、で、なに?」

みなちゃんに秘かに眼を飛ばす母を横目に、

「あーぁ、わたしも鼻はパパに似ればよかったと思ってるんだ」

ゆんちゃんが鼻をはさむ...。いえ、口をはさみます。

「わたしの鼻ってさあ、フニュフニュしてる」

みなちゃんが鼻を摘めば、

「そうそう、骨がないってかんじ」

ゆんちゃんも鼻を鳴らす。フゴフゴ。

「なるほどねえ、そういえばママもよく、鼻の骨がないって言われてたかも...、」

わたしのことばなどには、鼻もひっかけず、

「骨がないから、わたしたちの鼻って、笑うと広がっちゃうのかなあ」

と、ゆんちゃんみなちゃん。

「そうそう、わたしたちの鼻ってねえ。フフフ」

って...、それ、わたしの鼻だよ!

悪かったね。










2月のおまけ

=1月に語ったお話と絵本=

勇気のある小僧っこ
(小5×3・小6×3・おとな)
かちかち山         (おとな×2)
セツブーン
(はじめのいっぽ・小学校・おとな×2)
梅干のひとり言         (おとな)
エパミナンダス         (小学校)
ぞうくんのさんぽ/福音館 (はじめのいっぽ)
あかいとり/童心社
(はじめのいっぽ・保育園×3・大人)
仔牛の春/リブロポート      (おとな)









1月に読みたくなっちゃった本

今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません
! 

 あかいとり


  
あべ弘士 さく
   童心社

 
子どものころの大晦日の過ごし方。

 とてもとても忙しかった。人もお家も、町全体が、もうすぐ明ける新しい年に向かってパタパタとせわしなく動いていた。母の弟子のようになって、パタパタと家のことを手伝い、パタパタと買物に行かされた。

「あ、忘れてた。もう、一回行ってきて」

 坂の下の小さな商店街に向かって、パタパタと走り、同じように走り回るクラスメートを見かけたりして…。
 とてもとても大変で、その一方で、町全体のパタパタ感を楽しんで、白い息を飛ばしながらパタパタと働いた。買物も掃除も、今よりずっと大仕事で、けれど、お正月さんがちゃんと残っていた時代。

 さて夕方、やっとこ家から開放されると、わたしはまた、パタパタ坂を下りて、商店街の中にある本屋さんへ出かけた。『本屋さん』っていっても、文房具と一緒に、ひと棚、文庫本が並んでいるだけの小さなお店。
 そこで、月刊のマンガ雑誌『りぼん』を買う。それから文庫本を一冊。わたしが特別な読書娘だったわけではなくって、本屋さんの袋のにおいが好きだっただけ。変な子ども。ひと仕事終えた後の(?)本屋さんの袋のにおいはまた、格別なんだ。

 本屋さんの袋は薄っぺらな封筒型。広告が入ってる。本屋さんはどこもそういう袋だった。ギザギザになってる折り返し部分をペタンとセロテープでとめてもらう。わたしのことなど知ってもいないだろう店のおじさんに、今年もほんとにお世話になりましたねえ、とペコリと頭を下げる。イッパシのおとなの気分。

 年の瀬の街をパタパタと走って家に帰る。信号を待ちながら、本屋さんの袋のにおいをもう一度、すーっと吸い込む。うん、幸せ。冷たい息がこぼれる。

 一年のおしまいのおてんとさんが、空の端っこを赤く染めていた。

             *    *    *

 
『あかいとり』という絵本があります。鳥の絵と、詩のような短いことばで綴られた絵本です。

 巻末には、それぞれの鳥の名前と説明がついていて、美しい鳥図鑑のようでもありますが…、いえいえ、それにはとどまらない!

 鳥はそれぞれ、体の一部に赤をぬっています。この絵本の鳥たちは、その一点の赤から、冬の冷たさや、鳥たちのせつなさ、(あるいはその鳥を見守るあべ弘士さんのせつなさ)まで、強く語りかけてくるのです。
 鳥の絵本でありながら、冬を語っている絵本。

 あべ弘士さんは旭川市旭山動物園の飼育係を25年勤められました。
 
 ああ、この人は鳥を、動物を「知ってる」と、いつも思います。それは生態とか習性とかだけでなく、鳥まるごとをしってる、という感じ。赤の深さや、まぶしさが、それを物語っています。

 画家として、絵本作家として、だじゃれの天才(!?)としての、あべ弘士さんも大好きですが、わたしは『絵で詩を描く』あべ弘士さんが一番好きです。

 












1月のおはなし      

長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません
自分のことばで声に載せて、誰かに語ってみてください

大根と人参


                 『岐阜・揖斐渓谷の昔話と唄』
                 大橋和華・野部博子 編・民話と文学の会

  


 大根と人参が木の上に登っとって、下を人間が通ったんやと。ほいて、
「人間人間、俺をおろいてくりょ」
って木の上で言ったら、
「大根おろしはあるけども、人参すりはないで、大根だけおろいてやる」
って言って、大根だけおろいてやったら、大根は笑って色が白いと。人参は泣いて赤い赤い顔して泣いとったと。
       
                       上開田   村沢智子 T9






1月の
ゆんちゃんみなちゃん


それぞれの正月


 
毎年1月2日には五時起きして家族で江ノ島に行くのがこの四年間の恒例行事となっています。自転車で。
 
「え!!自転車?!」

と、いま叫び声をあげてくださらなかった方のために説明しますと、我が家から江ノ島まで、距離にして50キロ、自転車だと3時間強走るんですね。どうです?『えっ!』でしょ。

 家族でと言いましたが、恥ずかしながらわたしは二年目に脱落。電車乗り継ぎ一時間半、七里ガ浜の『ファーストキッチン(バーガーショップ)』で待ち合わせ。これも恒例となりました。

 毎日合わせている顔ですが、寒さ、つらさを乗り越え、外で会う主人や娘との再会はなんだかちょっと感動です。

「ママ!」

「みなちゃん!」

 富士山バックに、なりきり親子はヒシと抱き合う。で、小一時間もたたないうちに、

「じゃママ、ひとりで帰ってね」

三人はわたしを残し、チャリにまたがる。それを見送るわたしは、これまた妙に孤独で、淋しいものなんだな。
 
 
 ところが、今年の1月2日、ゆんちゃんは腹痛で目を覚ましました。三十分遅らせるからと布団に押し込んだけれど、治る見込みなし。あのゆんちゃんがムリだと言うんですから、よほど痛かったのでしょう。可愛そうに。

 でも、この体育会系娘の号令で、毎年続いていたようなものですからね。どうするかなぁ、と見ていたら…、出かけていきましたよ。だんなとみなちゃん。

 わたしも後を追って、七里ガ浜で再会です。まあ、今年の富士山の美しかったこと。雪が裾まで尾を引いて。ビール飲み、ポテト食べて、あっという間に悲しいお別れ。

 じゃあね、とまたがる自転車は…、あれぇ、二人ともママチャリじゃん。すっごいなあ。鎌倉に住んでる人みたい。

 富士山に向かってキコキコチャリこぎ、みなちゃんは片手でバイバーイ、と手を振ってくれました。ゆんちゃんのいないせいか、その後姿は、グーンとでっかく見えました。
 
 
ちなみに、ゆんちゃんの腹痛の原因は、夜中ひとり、こっそり食べたバナナのせいらしい。










1月のおまけ

=12月に語ったお話と絵本=

へっぷり(創作) 小6・おとな
風の神のこども(日本) 小4・老人ホーム
ぎーぎードア 小5
どんどこ ももんちゃん(童心社) 
5くみ6くみ
とってもふしぎなクリスマス(偕成社) 
小5・小6・小学校
にあーう(偕成社)
保育園・地区センター・老人ホーム
かちかちやま(日本) おとな
ちびゴリラのちびちび(ほるぷ出版)
自主保育グループ









12月に読みたくなっちゃった本

今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません
! 

 グリンチ





 
ドクター・ケース 
       さく・え


 アーティストハウス
 小さかったときのこと、12月の声が聞こえると、母の故郷からは、大きなダンボールいっぱいの贈り物が届いていました。

 そのころはまだ、宅急便屋さんなんてないでしょ。大きなドンボール箱でのお届け物は、子どものわたしにとって、なかなか珍しいものでした。

 ガムテープをべリベリと剥がすと、新聞紙に包まれて、たくさんの贈り物が顔を出します。果物の皮をはぐように、母とわたしは新聞紙をひとつずつはがしていく。

「あ、リンゴ!」

「あ、じゃがいも。こっちは…、また、リンゴ!」

 白菜やキャベツ、ほかにもゴロゴロと野菜が飛び出して、それこそ宝探しみたい。うれしくって箱のあっち側こっち側と、ピョンピョン飛び跳ね、ひとつずつ新聞紙にくるまった荷物を取り出します。

「お菓子の箱。これ、手ぬぐい?それから…、
わっ!長靴だ」

 クシャクシャしたキンピカの銀紙が一面に貼ってある、お菓子が入った長靴を、わたしはそのとき初めて見ました。

 『ク・リ・ス・マ・ス』ってことばも初めて知った。どうして長靴が片っぽしかないのか、とっても不思議で、来年になったら、長靴ふたつになる?って何度も聞いて…。
 
 さあ、そうなると、ダンボールなんてそっちのけ。キンピカの長靴のとりこになっちゃったのでした。キンピカの長靴が履きたくて、履きたくて、履きたくて…。

 来年になって、両足揃うまで待ちなさい、という母のことばを振りきって、母が出かけた留守にこっそり履いてみたのを覚えています。

 親指を丸めて…、爪先立ちで…、それから、長靴にカポッと穴があいて、底が破けた。

 わたしにとって初めてのクリスマスはあっけなく終わりを告げました。誰にも言えず、こっそり捨てたキンピカの長靴と一緒にね。



 
最近、年とったせいか、クリスマスなんて、ちっとも、うれしくなくなっちゃいました。あんなにクリスマス好きだったのに。       

 家の周りのピカピカだって、日本にはぜんぜんお似合いじゃないし、街もどこもここも、うるさ過ぎるぞ、日本のクリスマス!

 でも、娘が、ぜーったいツリーを出さなくっちゃいやだ、というので、一日がかりでツリーを出して、オーナメント飾って、リースを作って…、そしたら、なんだか、にわかに楽しい気分になっ
て、結局今年のクリスマスも盛り上がっちゃったのでした。

 さて、ここにもうひとり、クリスマスが大っ嫌いな人がいますよ。グリンチです。
 
 ジム・キャリー主演の映画でご存知の方もいるでしょ?でも、映画を見ていない人にとって、あのポスターは不気味すぎる!原作の『グリンチ』の方がずっとハンサムです。

 グリンチはチャーミングに悪い奴で、悪戯も上等、容赦なし。憎める奴!なんです。

 でも、『憎める奴』には、愛しさを感じます。


 

 







12月のお話
長いお話が語れなくても、短いお話なら覚えられるかもしれません。
ご自分のことばで誰かに語ってみてください。

銭湯のお客

         『全國昔話資料集成12 角館昔話集 秋田』

            武藤鉄城 編・岩崎美術社

 ある時、卵と笊(ざる)と、それから味噌とが揃って風呂屋へ行った。先ず卵が湯コからあがって来た。ところが風呂銭を払わないで帰るところなので、湯屋の女房(あば)が、「風呂銭コ貸してたんせ(頂戴)」といった。すると卵はそのテカテカ光る顔を撫でながら、

「タマタマ来るから、いいじゃないか」

といいながら行ってしまった。そこへ今度は笊があがって来た。矢張り銭を置かないで行くところなので、「銭コ貸してたんせ(頂戴)」といったら、

「ザッと入ったからいいじゃないか」

といって、笊も行ってしまった。それから、味噌が一番後にあがって来たので、又「味噌さん、風呂銭コ貸してたんせ」といったら、

「ミソカの勘定だ」

といい棄てて、さっさと行ってしまったど。なあ。トンピラリ。

角館町 高橋時枝子さん)






12月の
ゆんちゃんみなちゃん


専属スタイリスト


 
なにもさあそんなに冷たくしなくってもさあ…、っていうくらい、ゆんちゃんは妹のみなちゃんに対して冷たい!

本来ゆんちゃんは、物腰穏やか、誰にでも優しいので有名なんですけれどね。

「ねえねえ、おねえちゃん」

みなちゃんが普通に話しかけただけで、

「なに!!」

声のトーン、顔つきまで変わってしまうんですから、姉妹っていうのはそういうものなんでしょうか。兄弟がいないわたしには、わかりかねます。

さて、そんなゆんちゃんですが、お出かけする前日だけは、みなちゃんの言うことを聞いちゃいます。

「ねえ、明日の服選んで」

ボソボソ声でみなちゃんの部屋をノックします。まあ要するに洋服のコーディネイトに関しては、みなちゃんに絶対の信頼をおいているわけです。

昨日も夜が更けてから、

「ママ、見て!おねえちゃん、可愛いでしょ」

みなちゃんに上から下までコーデイネートしてもらったゆんちゃんが、みなちゃんに引きずられるようにして下りてきました。髪の毛まで、ストレートアイロンかけてもらってます。

「おねえちゃん、片方だけ、髪の毛耳にかけてみて」
(片方だけ、髪の毛耳にかける姉)

「うーん、反対の髪の毛かけたほうがいいかなあ」
(反対の髪の毛を耳にかける姉)

「違うって。ちょっとだけ残して、かけるのが今っぽいんだよ」
(ちょっとだけ残して、耳に髪の毛かける姉)

この娘、なんで、妹の言いなりになってんだろう。笑い出したいのをこらえ、

「うん、うん、かわいい」

 わたしもおにんぎょさんのようになってるゆんちゃんに激励を飛ばしました。姉妹っていうのは、本来はこうあるべきなんだよな。

 

12月のおまけ

=11月に語ったお話と絵本=

へっぷり(創作) 小5・小学校
かちかちやま(日本) 小6・おとな
梨といっしょに売られた女の子(イタリア) 小6
じまんやのインファンタ(ファージョン作) おとな
頭に柿の木(日本) 小学校
風の神の子ども(日本) おとな
死人の嫁さん(日本) おとな
『おやすみなさいコッコさん』(福音館書店) 保育園


11月に読みたくなっちゃった本

今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません
! 
鶴巻幼稚園 市村久子の教育実践による 
おおきな おおきな おいも
 赤羽末吉 さく・え
 福音館書店


 
娘の通っていた幼稚園では、この季節になると、近所の畑に出かけてお芋掘りするのが恒例行事でした。
 
 娘はもちろん、わたしも何日も前から楽しみにして、サツマイモ買うのを我慢します。泥んこのお芋を持って帰ってくるので、汚れてもいい布袋を作って子どもに持たせます。


 さて、当日
わたしゃ、欲ばりかあさんですからね!子どもだって入っちゃうような、大きな大きなズタ袋を、鼻歌るんるんジャージャー縫って、娘に持たせます。
 
 わが子は、欲ばりかあさんの娘ですからね!大きな大きなお芋、ズタ袋いっぱい掘って、鼻息荒く袋をひきずって帰ってきます。
 

 
おお!よくやった。わが娘!

 ご近所、実家に配ったあとは、いよいよ腕まくりしてのお芋料理。ふかして食べ、焼いて食べ、トン汁にいれ、コロッケに入れる。その日から一週間ばかり、もう結構、ゲップ!というまで、サツマイモ料理が続きます。

 中でも忘れちゃならないのはスイートポテト。生クリームをちょっと入れると、甘くてほんとにおいしいの。娘は毎年ちゃんと覚えていて、今年もスイートポテト作ってね、と何日も前から約束します。だから、まっ先に作ってあげる。次の日のお弁当の隅っこにもチョンと入れて、昨日のうれしかったことを振り返って…。


 さて、ここからは余分な話。

 次の日、娘はうれしくってうれしくって、スイートポテト作ってもらった、とお弁当箱を先生に見せました。

「みなちゃん、お菓子を持ってきてはいけません」

 わたしたちの盛り上がり気分がシュンと消えた瞬間です。今ではそれも思い出だけど…ね。



 
『おおきな おおきな おいも』は、実際の幼稚園での取り組みが本になったものです。

 「おおきなおおきなおいも」がどんなに大きいかって、赤羽末吉さんは何ページにもわたる二本の線だけで「おおきな おおきな おいも」を表現してしまいました。

 ページを繰って、画面いっぱいに延びる二本の線を見る度に、子どもたちはのけぞって、

「まだ?」
「まだ?」「うへー、まだあ?!!!

「おおきな おおきな おおっきなおいも」に魅せられます。

 親子だけで読むにはなんだかもったいない。何人もの子どもたちと一緒に「うへー」「ホゲー」と読みたい絵本です。子どもの中にある、無限の想像力を分けてもらいましょ。

 

11月のおはなし      

長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません
自分のことばで声に載せて、誰かに語ってみてください
爺さんと狢(むじな)
    『全国昔話資料集成12 角館昔話集 秋田』 
       武藤鉄城 編・岩崎美術社

 ある晩、爺さんが「エンヤー寝ろでエ」と独言をいった。すると窓の下にいた一匹の狢が「エンヤー寝ろでエ」と口真似をした。爺さんが又「エンヤー寝ろでエ」というと狢が「エンヤー寝ろでエ」と真似をする。
 
 それから爺ちゃ、太い奴だと思って、「寝ベジョ」といったら狢も「寝ベジョ」といった。すると爺さん「寝ベジョ、寝ベジョ、寝べ寝べ寝ベジョ」と早口にいったら、どうしたものか今度は真似する音が聞こえない。そこで外(とふあ)へ出て見たら、一匹の大きな古狢が、口がねじれて死んでいたと。なあ。トンピンパラリのプウ。
                       (編者幼児、父から聴いたもの)

11月の
ゆんちゃんみなちゃん


生まれついての…
 先日久しぶりにみなちゃんの同級生のおかあさんたちと会いました。

「まーったく、うちの子ったら返事はしない、言っても聞かない、何するのもめんどくさそう。困っちゃうのよねえ」

と、いうのが、おかあさんたちの共通した話題です。

 あら?みなちゃんと、おんなじじゃない!?

「あの反抗期、どうにかならないかしら?」

「そうそう、うちも。反抗期のまっただ中なの」

 へえ、反抗期!?

と、いうことは…、

 あら、みなちゃんのあれ、反抗期だったんだ。あの、モロモロもこれこれも、みーんな『子どもが成長過程で通過する反抗期』のせいだったんだ。なーんだ、反抗期かあ。

 『反抗期』と聞いた途端、わたしは急におかしくなりました。みなちゃんも可愛いもんじゃん。まだ、お子ちゃまだなあ。っへえ、反抗期!
 
 それまで、本気で腹立て、戦ってきた自分が滑稽に見えたりして、それなら、ひとつ、大人らしく対処しましょと、寛大な気分で家路に向かったのでした。

「みなちゃん、ただいま」

ボソボソ。

「やだ、みなちゃんたら、聞こえない。元気な声でお返事してね」

「ママ、キモいから、そういう言い方やめて」

「いやあねえ。親に向かってそんな言い方。ホホホ。さ、お夕飯にしましょ。あら、みなちゃん、コップじゃないんだから、お味噌汁のお碗を片手で握りしめるなんてお行儀悪いよ。
 ちゃんと、もひとつの手を添えてね、ホホホ」

 すると、みなちゃんは間髪を入れず、遊んでいたもう片っぽの手の、人差し指を、お椀の底に向けておっ立てました。

「なにふざけてんの!いい加減にしなさい!!」

 
「ママったら、冗談だよ、冗談。ほんとにいつまでたっても大人気ないんだから」

みなちゃんは丁寧にお椀持って、すましてお味噌汁飲んでいます。

 これもあれもそれも、本当に反抗期のせいなのかあ?教えてくださーい。





11月のおまけ

=10月に語ったお話と絵本=

へっぷり(創作) 小5・小学校
かちかちやま(日本) 小6・おとな
梨といっしょに売られた女の子(イタリア) 小6
じまんやのインファンタ(ファージョン作) おとな
頭に柿の木(日本) 小学校
風の神の子ども(日本) おとな
死人の嫁さん(日本) おとな
『おやすみなさいコッコさん』(福音館書店) 保育園






10月に読みたくなっちゃった本

今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません
! 
 ぼんさいじいさま
 木葉井悦子
 ビリケン出版





年を重ねた人の生き様には、度肝を抜かれることがあります。


 顔見知りのおばあちゃまが、あるときわたしに教えてくれました。

「あたしゃね、あと、やっとかなくちゃならないことが三つあるからね」

そう言って、おばあちゃまは、お墓の整理、今住んでいる家の整理、 実家に預けてあるものを引き取って整理、この三つをあげてくれました。それから、おばあちゃまはサラリと、こう続けたのです。

「最近ボケてきたからね、紙に書いて、鏡の前に貼ってあるの」

スゴイ!と、思いました。
 まあ、大急ぎじゃないけどね、お迎えがくる前にやっとこうかなって思うことがある。で、その想いをいつも目の前にかかげて過ごしてらっしゃる、というんですよ。仏さまに近づいていく日々を見据えてらして、逆に『日々を生きてる』っていう感じがジワジワ伝わってくるじゃありませんか。

 わたしなんて、白髪がでたの、シワ隠せのと、老いてく自分にジタバタ抵抗してばかり。ときを重ねれば、おばあちゃまみたいになれるのかしら。
フト、考えてしまいました。


   大胆でいて、夏のお日さまみたい、というのが、
   わたしの中にある木葉井悦子さんの絵本のイメ
   ージです。でも、この絵本は、淡くて、繊細で、優
   しくて…。だからこそ、別の力強さでわたしの心に
   迫ってきます。

 
    木葉井悦子さんは、この世にもういらっしゃいません。
    この本は20年ぶりに復刊された絵本です。

 

 
 夏休みに娘とブラリと立ち寄ったトムズボックス(吉祥寺の絵本専門店)で、積まれていた、この絵本を手にとったとき、そのまんま動けなくなってしまいました。
なんだか、泣きたくなってしまった。

 人が老いるというのは、どういうことかしら?死んでいくというのは、どういうことかしら?

「じいさま、きょうのことは、ずーっと前からきまっていました」

『ぼんさいじいさま』を迎えにきて語る 『小さな 小さな ひいらぎ少年』を、『ぼんさいじいさま』は素直に迎え入れます。『ひいらぎ少年』と手をつないで、一緒に暮らした動物たちに別れを告げて歩き出します。

 『お迎え』をすぐに迎え入れることができるのは、常にまっすぐ死と向き合っているということですね。
『ひいらぎ少年』と歩いていく『ぼんさいじいさま』は、土に返るというよりは、自然に溶け込んでいくようにわたしには見えました。
 
 とても、せつなくって、胸が痛くて、けれど、なにより温かい風景がそこにあります。

 
 
春がテーマのこの絵本。でも、今すぐ紹介したかった。しだれ桜が咲くころ、また、開いてみてください。

 




10月のおはなし      

長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません
自分のことばで声に載せて、誰かに語ってみてください
種子島のあまのしゃご
    『日本の民話2 自然の精霊』角川書店 
       瀬川拓男 松谷みよ子 編集より

 遠いむかし、かんかんひでりにたんぼへ出て、
ひとりの百姓が稲刈りをしとった。
 すると晴れ渡る空のかなたに、ぽちんと小さな黒雲がわいた。見る間にそれは広がって、つむじ風を巻き起こして下界へ舞い下りた。と、百姓の目の前に小角のはえた子鬼が立っておった。

「おれは天から来たあまのしゃごだ。天には食うもんがなくなった。おまえの刈っとる稲をよこせ。その鎌をおれによこせ」

えらいけんまくの子鬼に、百姓も必死になって立ち向かった。

「この稲はおれのもんじゃ。おまえなんぞにやるもんか」

すると子鬼は自分の手で稲の穂をむしり始めた。そのころの稲といえば、根もとから穂先までずっぱりと実がなっていた。それを残らずむしり取るので、百姓は怒りに狂って叫んだもんだ。

「ばちあたりめ。そんなにほしけりゃ、残らずむしって持って行け!」

小鬼はそれを聞いて手を止めた。

「ふん、残らずむしってやるもんか!」

人が白といえば黒というあまのしゃごのことだ。
稲の穂の上だけ残し、根のほうばかりを残らずむしって行ったそうな。
それからのち、稲の穂は根もとから実らなくなったというわけだ。

 さて、あまのしゃごがしばしば悪さをするので、あるとき、百姓は大豆ばかりを田にまいた。取り入れの時期になると、またまたあまのしゃごがやって来た。

「やいやい。天には食うもんがなくなった。これをもらって行くぞ」

百姓はにやにや笑っておった。

「ほしければ、ほしいだけ持って行け」

大豆をむしろうとして、はっと手を離したあまのしゃごは、物もいわずに天へかけもどった。大豆にはとげがあって痛かったので、むしることをあきらめたそうな。
 おかげで大豆は、根もとからびっしりと実っておるのだと。

                                    鹿児島県・伝説  瀬川拓男
10月の
ゆんちゃんみなちゃん


でっかいちっこい
 おしゃれなみなちゃんはなかなかおでこを出してくれません。前髪をヘアアイロンでストレートにストレートに伸ばし、わずかな分け目をつけて、おしゃれなピンをおしゃれに留めて出かけます。
 
 ところが先日、でっかいピンで、前髪をあげ、お部屋で勉学に励んでいるみなちゃんをわたしは発見してしまいました。
 「まだ、あげそめし前髪の…」とはよく言ったもので、おでこを出した途端、急に大きなおねえさんになったみたいで、母はドキドキしてしまいました。
 おまけにお友だちからいただいたばかりの黒のタンクトップなんかを着てましたから、どこのおねえさんでしょ、と母はますますドギマギしてしまったのです。いやあねえ、もう、どんどん大きくなっちゃってさ。
 
 さてさて、わが家は相変わらず時間が合うと、日曜日の夕方「サザエさん」を見ます。家族みーんな大好きなんです。
 で、番組の終わりにはサザエさんとジャンケンをします。今でも!本当だよ。主人が元気に号令をかけ、つまんなそうな顔しながらも、とりあえずはゆんちゃんもみなちゃんもじゃんけんに参加します。本当だよ!!
 
 で、先週号令と共に出したのはサザエさんもゆんちゃんも主人もわたしも全員グー。みなちゃんだけがあと出ししたにもかかわらず、チョキを出して負けました。
 そんときみなちゃんは真面目にふくれた。ぷーっと膨れて、マジすねました。
 
 みなちゃんがおっきいのか、ちっこいのか母はやっぱり、わかりません。












10月のおまけ

=9月に語ったお話と絵本=

おおかみおじさん(イタリア) 小5・小学校
ねこのおどり(日本) 小6
梨といっしょに売られた女の子(イタリア) 小6
じまんやのインファンタ(ファージョン作) 中1
ぼんさいじいさま(ビリケン出版)
地区センター
こばんの虫干(日本) 小学校・おとな
かちかち山(日本) 小6 





9月はちょっとひと休み




8月に読みたくなっちゃった本

今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません
! 
 子どものころ、お盆には決まって田舎に帰っていました。いとこの家族といっしょにね。
 
 夏休みが近づくと、その日程が決まります。うれしくて、待ち遠しくて、カレンダーに丸印をつける。
 おかあさんと一緒に隣町の大きなスーパーマーケットで、山のようにお土産を買う。だって、おじさんおばさん、じいちゃんばあちゃん、それに従兄弟もいっぱい待っているんだもん。
 このあたりから、一代イベントへの『胸の高鳴り協奏曲』が、
ズズンガズズンガ…、イントロを奏でます。
 
 さて、いよいよ出発!
 まだ、暗いうちに目を覚ますと、広げた新聞紙の上に、からあげ、えびフライ、卵焼き、おにぎりと所狭しとのっかって。
ズズンガズズンガ…
 荷物とお弁当を車に詰め込んで、いとこの家族と合流。『胸の高鳴り協奏曲』は
パンパカパーン!と最高潮。車はスピードをあげて…、
 いえいえ、車はちっとも進みません。
 
 まったく。昔の帰省渋滞というのは、ハンパじゃなかった。寝ても寝ても寝ても、おんなじ景色。裏道走ろうと、高速降りてもやっぱり渋滞。退屈まぎれに道路を歩いても、車が追いつけなくて引き返す有様。
 でもね、それでも、その全てが『胸の高鳴り協奏曲』を奏でていましたね。日常とは違う大イベントでしたから。
 
 現代は毎日がお祭りみたいだと思います。楽しいことはいっぱいあるけれど、楽しみに待つことは減ったかもしれません。
 指折り数えて『胸の高鳴り協奏曲』を奏でていた子ども時代が、とても懐かしく思えます。
 
ソリちゃんのチュソク

イ・オクベ 絵と文
みせ けい 訳
セーラー出版
韓国の絵本です。
どのページも楽しくって美しくって隅々まで命が通っていて舐めるように(失礼、お行儀が悪くて)眺めてしまいます。

 
 チュソクは日本のお盆にあたります。ソリちゃんの家族もチュソクにおばあちゃんに会いに行きますよ。
 
 韓国の街並なのに懐かしくて、韓国の帰省渋滞なのに頷けて、村も、人も、お祭りも、それにハルモニ(おばあちゃん)が帰りに持たせてくれるたくさんのおみやげも、わたし自身が子どものときに経験してきた田舎のお盆そのもののように思い出され、胸が騒ぎます。

 『もう いえに かえる日です。』まだ、夜明け前の静かな村、台所のエントツから煙が流れて、裸電球ひとつ灯して、ハルモニ(おばあちゃん)はご飯を作っています。  
 
 帰っていくソリちゃんたちのためのお弁当かしら?朝ごはんかしら?
 その一枚の絵に託された情景が、わたしが子どものときには計り知れなかった、「ハルモニ」の優しくて、せつない心を物語っているようです。
















8月のおはなし      

長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません
自分のことばで声に載せて、誰かに語ってみてください
そうめんの話
『鈴木サツ全昔話集』より 小澤俊夫・荒木田隆子・遠藤篤 編・福音館書店 
むかす、あったずもな。
 あるとこに、それこそ、あんまり頭っこのいくねえ息子あったったずもな。
 町さ行って、腹へったから蕎麦屋さ入ってなにか食う気になって、入ったずもな。
 そしてば、そうめん出されたど。そうめん出されたども、その男ァ、そうめん食うよう知らねかったずもな。
「なんたなことして食ったらいかんべ」
と思って、煮てらとこさ行ってまがってみた(のぞいてみた)ずもな。したところァ、そのががさま、鍋から引っ摘んでァ、しゃくり(壁板)さバタンとぶっつけしてあったずもな。
 むかすの人達ァ、煮いたか煮いねかみっとき、そしたんだもん。そして、しゃくりさくっつけば、煮いたことなんだったから。そしてば、その男ァ、
「ははあ、そうめんつうものァ、こうして食んだな」
と思ったど。
(そこでその男ァ)店さ来て、戸さ行って、バタンとぶっつけて食い、バタンとぶっつけて食いしてらったとさ。どんどはれ。












8月の
ゆんちゃんみなちゃん


「夏休み中に本を10冊読んだら、
1000円あげる」
と呼びかけた。
8月30日、必死で本を読むみなちゃん。
この子はなぜか冬物のセーターをきている。
夏の宿題
 夏休み、ああ!かくも長きかな
 夏休みには保育園、小学校、地域のお話会もみーんなおやすみ。この機会にいっぱい本読んで、お話もいーっぱい覚えて、勉強だってしちゃうんだモーン。と、思っていたのに、なあんにもできない。
 
 どうしてかっていうと、ゆんちゃんみなちゃんのスケジュールがバラバラだからです。ゆんちゃん部活で、帰ってきて3時にお昼。習字に送って、みなちゃんは夕方塾に行くからその前に軽食。この子は何時に夕飯で、こっちは何時に夕飯。なんてやって、それで一日が終わっちゃうのです。

 しかも、このかしまし娘たち。やれ、映画見ようの、プリクラ撮ろうの、買物行こうの、ペチャクチャペチャクチャ。もう、本当に、やかましいったら。

 ちょっと、集中して勉強しようと思っても、すぐ
ママ、ママ、ママママママママ…

 この際、わたしは自分のことはあきらめて、娘と楽しい夏休みに徹することに方針を変えました。やりかけてすぐ、呼ばれると逆にストレスが溜まるのです。
 ハリーポッター見て、プリクラ撮って、ショッピングショッピング。オリンピックに声援飛ばし、お話なんて9月になってからがんばればいいんだもーん、とほったらかし。

 ところが、夏休みは突然に終わってしまいました。今年から二期生になって、8月31日から学校が始まったからです。始業式なんてありません。ソク授業。

 ということは、9月1日の朝には、わたしも学校行ってお話をしなくっちゃならない。それに気づいたのが1日の朝!いやあ、長くて楽しい夏休みが霞んで見えます。
 
過ぎたればかくも短き夏の暮れ フウ(字余り)













おまけ
8月に語ったお話

「さるじぞう」  おとなと子ども
 just it!














7月に読みたくなっちゃった本
  
今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 
 ずっと作ってみたかった『絵本』というものを、とうとう作りました!『ぴんぽん・ダッシュ』というのが、その絵本のタイトルです。えんちゃん、いしくん、という二人の男の子のいたずら物語です。
 
 どうです?読んでみたいでしょ。ああ、読んで欲しいなあ。
 
 作りましたっていったって、かれこれ二年近く描いていたわけです。文章しか絵は描けません、なんてエラそうなことを初めは言っちゃってね。でも、絵を描かなくちゃダメです、と絵本教室の先生はおっしゃいます。
 小学生以来ウン十年ぶりにエンピツ握って、わたしは何十枚というえんちゃん、いしくんを描きました。

 お教室に持っていくと、全然話がわかりません、と先生に言われます。
 熟成させ(投げ出し)、また、何ヶ月かすると、性懲りもなく引っ張り出してスケッチしまくり、先生にみせる。
 全然わかりません、と呆れられ、また、熟成させ(葬り去って)…。       

 それでも、最後まで作りあげなくちゃダメ、と先生はおっしゃるんですね。
 
 今年の春になって、なんとか下絵は出来て、でも、色をつけなくちゃいけないんだもの。やっぱり、わたしにゃ一生かかっても出来っこない。それこそ絵筆なんて、ウンウン十年握ってないんですから。

 ところがです。描き始めると気持ちよかった。ぐんぐん空を塗ってね。今年は夏が早く来たでしょう。その夏の空を絵筆片手に眺め、こういう空が描きたかったんだって突然気づいた。 実はわたしが描きたかったのは、いたずら物語じゃなくって、子ども時代の夏の日だったんだということに、色をつけ始めて気づいたんです。
 
 そうしたらもう、友だちの家の横で揺れていたヒマワリの黄色や、スッと吹きぬけた夕暮れの風や、ジージー降るように鳴いていたセミの声や、そういったものを形としてではなくて、想いとして絵に封じ込めたくなって、どんどん手が動いて、一気に描きあげちゃいました。いやあ、楽しかった。
 
 今は、ことばや絵を整えているところです。もうひとふんばり。
 
 最後は鬼になりなさい、と先生はおっしゃいます。現実世界の方が強いんだから最後は鬼になって描きあげなさい、と。
 
 わたしは鬼になれるでしょうか。

『ぴんぽん・ダッシュ』より

えんちゃんの いたずらったら
そりゃ、ひどい
くろずみ小太郎旅日記
 おろち退治の巻


 飯野和好 さく
 クレヨンハウス
初めてこの絵本に出合ったとき、わが娘は小学生でした。毎晩一緒に何冊かの絵本を読んでいたころです。
 
 読み終えると娘はへッ!?と言いました。
「へッ、こんな絵本あっていいの?」

 それまでの絵本選びに偏りがあったのかもしれませんが、それにしても、なんとも奇抜で奇天烈な絵本だと感じたのだと思います。

 今でもときどき、本屋さんで、わたしたちは『くろずみ小太郎』を手にします。パラパラッとめくってうーッムと唸ります。
 
 あのときの、へッという気分を時々味わいたくなるのだと思います。















7月のおはなし
      

長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません
自分のことばで声に載せて、誰かに語ってみてください
蕎麦屋の匂い代


『鈴木サツ全昔話集』より 
小澤俊夫・荒木田隆子・遠藤篤 編
福音館書店 
むかす、あったずもな。
あるところに、蕎麦屋あったったずもな。隣さ、いっつも匂いっこいかったずもな。蕎麦屋だもの、ぷんかぷんかといっつも匂いっこいかったずもな。
そしてれば、その隣の男ァ、
「なんたらこったって、匂いァいいなあ」
ってば、
「匂いァ代よこせ」
ったずもな、その蕎麦屋で。
そすてば、〔隣の男ァ〕
「おい」ってっらったず、
「それっ、匂いァ代。がつん」
つから、出はって見たずもな。してば、なにもねがったど。
「なんたら、お前、なんにもねえじぇ」
ってば、
「だあれ、おれ、匂いっこっかんだだけだもの、音っこだけおいてきた」
つったど。どんどはれ。













7月の
ゆんちゃんみなちゃん


ゆんちゃんは高校生、
みなちゃんは中学生
二人は今日も一生懸命!
人生は険しい!
下北沢でお買い物。
「帽子かぶってみようかな」
ゆんちゃんは突然おしゃれに目覚めた。
終わりなき旅
 お弁当のありがたみがちっともわかっていないと主人に怒られ、みなちゃんはわたしと一緒に起きてお弁当を詰めています。5時半に起きて、三人分のお弁当を詰めるようになって、ひと月が過ぎました。
 
 朝声をかけると、みなちゃんは、
「はい、今起きます」
と、返事して、機械仕掛けのお人形みたいに、ただもう反射的に起きだします。それから、お皿にのったおかずをくるり見回し詰め始めます。わたしはわたしで朝ご飯の準備をしているので、わたしたちは口もきかず、黙々とそれぞれの業務をこなすというもの。
 
 で、一体これいつまでやるのかなあ?
 
 みなちゃんは毎朝早起き、そろそろ体も疲れてきた様子。わたしだって、5時半に詰めれるようにおかずを揃えておくのはなかなかしんどい。第一、今日はやーめた、手抜き手抜き、ってわけにいかないじゃないですか。

「みなちゃん、みなちゃん、どうしておべんと詰めてるんだっけ?」
「わかんない…」
「わかんないっつうと…、ママの苦労がわかんないと?」
「ママが大変なのは初めっからちゃんとわかってるよ。でも、みながママの苦労がわかんないから毎日やってるの。グスン」

 うーん、とすると、これは罰なのかなあ。いや、違うよなあ。と、わたしも段々わからなくなってきてしまいました。
 どうやって、終わりにしたらいいんだろ?
 
 というわけで、わたしとみなちゃんの際限なきお弁当作りの旅は、今日も続いています。言い出しっぺの主人だけが、
「みなちゃんがおべんと作ってくれてうれしいなあ、おいしいなあ」
今日も元気で楽しそう。

 この人わかっているのかなあ?













おまけ

7月に語ったおはなしと絵本

「おおかみおじさん」        小5・小6 
「へっぷり」             小5・おとなとこども
「かにかにこそこそ」       小学生・大人
「うりひめこ」            大人
「おぼさりてえ」           小5
「さるじぞう」            小3・おとなとこども
「あかぼぎつね」          おとなとこども
「ねこのおどり」          大人・おとなとこども













 
6月に読みたくなっちゃった本
  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません!
 

とうさん かあさん








さく・ながのひでこ
葦書房
 娘たちが小学生のころ、わたしの実家によく行きました。物心つく前から住み続けた家です。実家に行くと娘たちを連れて散歩にでかけます。
 
 家の前を通りぬけ、坂を登りきったところが熊野神社の参道。境内でポンポンと手を合わせ、神社の石段を降りながら、向かい合わせにある「いノ池」を眺めます。
「ママが小学校のときは、お池に河童がいたんだよね」
「そうだよ。ちゃんと、『カッパにごちゅうい』って、立て札あったモン」
 わたしは今でも、なんとなく怖くて、この池に近づけません。だから、娘たちも遠巻きに眺めるだけ。下の娘がわたしの手をキュッと握りしめ、わたしもひんやりした気分になって、その手をキュッと握り返す。
 
 それから、わたしが通った小学校へ。門は閉まっているけれど、よじ登って中に入れてもらいます。(いけませんよ!)
 上の娘は自力で這い込み、下の娘は抱き上げて…。(さらにいけません!)ほんの片隅で遊ばせてもらいます。
 
 フト見ると、上の娘はグルングルン、ものすごい勢いで鉄棒をしている。わたしの大の苦手だった空中前回り。でも、この娘は鉄棒が大得意。
「アケちゃんがいたら、いい勝負だったかもね」
アケはわたしの同級生。正義感が強くて、スポーツ万能で…、カッコよかった。
「アケちゃんもいっぱい回る?」
「回る回る。そうやって、パンツ丸出しで、グルグル回るよ」
「こんなに、こんなに回る?」
「回る回る。髪型まで、アケとおんなじだ」
 アケにも仲間に入ってもらって、ひとしきり遊んでから、再び門を乗り越え!わたしたちは散歩の続きに出かけます。

 斜向かいの『横溝商店』をそっと覗いて…。
「ここのおばあさんが怖くてね…、わ!まだ、あのばあさんいる」
三人で緊張しながらファンタのオレンジを買って、それから回し飲み。『横溝商店』は母に内緒で、初めて炭酸に出会ったお店です。


 娘たちはこの手の散歩が大好きで、アケや横溝商店のおばあさんも、すぐ、自分たちの友だちにしてくれました。散歩と称して三人で、わたしの子ども時代を覗きに行っていたのかもしれません。河童が怖くて、鉄棒の苦手な『陽子ちゃん』は、さてさて、娘たちの仲間に入っていたのでしょうか。

 
 「それから?それから?」娘たちはうれしそうに、わたしの子どもの頃の話を聞きたがります。「おんなじだね、おんなじだね」そう言って、今の自分に重ね合わせ、自分という存在を確認しているかのようでもあります。
 絵本『とうさんかあさん』は、そんな子どもの「それから?それから?」がたくさん詰った絵本です。
 わたしはこの絵本をながのひでこさんご自身に読んでもらいました。それが、わたしとこの絵本との出会いです。とても、ラッキーな出会い!
 今もこの絵本を開くと、ながのひでこさんの声がちゃんと、聞こえてきます。ながのひでこさんの声は本当に暖かくてステキでした。それはまさに、ご自身がお子さんに語りかける「かあさん」の声だったと思います。
 


6月のおはなし

長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。
虎と田螺の競走
『全國昔話資料集成12 角館昔話集 秋田』より 武藤鉄城編 岩崎美術社 
 むがしあったぞん。ある時、虎が田螺どて見て、「お前などは、そして、ノロノロと這っていたら、一日に一枚田も越せないだろう」と卑しめた。そしたら田螺は「そんな事はない。俺はお前などよりも速く走れるよ」といったので、虎はおかしくて仕様なかったが駈けっこをすることになった。
 田螺はもちろん尋常一様の方法では、とても勝てるわけがないので、こっそり虎の尾に鋏まって、下がって曳きずられて行った。そしていよいよ決勝点へ着いた時、虎は振り返って、「田螺の奴、大きなことをぬかしたが矢張り霞んでしまったナ」と独言をいったら、田螺は尾から先の方へポロリ落ちて、「虎殿、虎殿、俺は先刻からここにいるよ」と叫ぶので、驚いて見たら真実に、ちゃんとそこにいるので、とうとう脚の速い虎も田螺に敗けてしまった。
 しかし田螺は路を曳きずられて来たので、殻が散々に痛んでしまった。田螺の殻の所々が修繕したようになっているのは、その時の疵痕である。
(渡辺小勝君)


6月のゆんちゃんみなちゃん
   ゆんちゃんは高校生、みなちゃんは中学生、女の子!二人は今日も一生懸命!人生は険しい!
がんばる みなちゃん
 みなちゃんはお寝坊です。その上、じーっとフトンに座り込んで、それから、ずーっと髪の毛のお手入れ。ですから、朝ごはんの時間はどんどんなくなります。
 朝ごはんを食べないと、学校へ行けない約束になっていますから、みなちゃんはバタバタ降りてくると、お皿にのせたものを、とりあえず詰め込みます。でも、隙あらば、なにか残そうとするんですね。
 
 昨日だって、早く早く早く!散々追い立て、かけ声かけて、ようやく、みなちゃんを送り出し、わたしが台所に戻ると、お皿に残ったバナナの皮の下から、ウインナーさんがでてきました。なんともせこい!わたしゃ、そのウインナーをほおばり、プンプン腹立てました。そして、太る。ン、もう。
 
 みなちゃんはお弁当箱を出しません。お弁当箱を出さないと、作ってあげない約束ですから、夜、わたしが食器を洗っていると、みなちゃんはこっそり、テーブルの上にお弁当袋置いて、すたこらさっさと逃げ出します。もう、ちゃんとお水につけてよぉ。で、お弁当箱を開けると、きんぴらさんが残ったまんま!
 
 わたしの堪忍袋ってのがプチッと音立てました。天地に響く雷を落としたのはご想像のとおりです。ところが、そこにいたのが、主人だったんですねぇ。
「みなちゃん!ママがどんなに毎朝大変かわかるまで、朝一緒に起きてお弁当を作りなさーぃ!!」

 「えーえ!?」                        
あっ、今の「ええ!?」はみなちゃんのセリフじゃありません。わたしの心の叫びです。
 主婦の皆さんならおわかりいただけると思いますが、朝の台所といえば地獄の入口みたいなもんです。何が悲しくて、わたしゃ、朝からみなちゃんと、その修羅場に立たなくっちゃいけないんでしょ。主人もさあ、大変な思いがわかってるんなら、それ以上、大変な思いを考えつくなよ。
 
 さて、次の日からみなちゃんは5時半に目覚ましかけて起きてきます。ママの弁当は茶色いだの、たまには、フルーツが欲しいだの、ありがたみはわからないまま、三人分のお弁当を詰めています。
 くやしいかな、みなちゃんの確かなる美的センスの元に、お弁当はずっと美しく、おいしそうになりました。みなちゃんはお弁当を詰め終えると、もうひと寝入りしよう、っと部屋に戻っていきます。

 「いってきまーす」
今日もみなちゃんは、晴れやかな笑顔で出かけました。みなちゃんの学生かばんには、『が・ん・ば・る・みなちゃん』と、自分で作ったキーホルダーが揺れています。 
 まくし立て、追い立て、ヨレヨレになったおかあさんが台所に戻ると、トースターの中にパンが入ったまんまになっていました。チッ、やられた。
おまけ
今月語ったおはなしと絵本
「エパミナンダス」小学校 
「ひなどりとねこ」小5  「へっぷり」大人
「つぶむこ」小6 大人
「かにかにこそこそ」本屋さん
「さるじぞう」小学校
「さんりんしゃにのって」アリス館 保育園




5月に読みたくなっちゃった本
  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません!
 
おかあさんとあたし



k.m.p.
ムラマツ エリコ
なかがわ みどり
大和書房
 とてもとても、小さかったときの記憶。

 家の裏の坂道を、母と手をつないで歩いている。
つないだ手と手が、ちょうどわたしの目の高さ。母の爪には透明のマニキュアが塗られていて、わたしはそれが珍しくって、親指でマニキュアをコリコリなでた。
 よく、見ようと顔を近づけると、母の手からはツン、ときついにおいがする。(今ならキッチンハイターのにおいだって、ちゃんとわかるけれど…)嫌なにおいじゃない。おかあさんのにおい。でも、何度もクンクン鼻を近づけて、「くさい、くさい」と言った。
 母は手を離そうと指を動かし、けれど、わたしはその母の手をもう一度握りしめ、胸の奥までキッチンハイターのにおいを吸い込む。
「くさい、くさい」
 それから、つないだ手をグルングルン揺すぶった。
 
 あのときわたしは、とてもとてもうれしかったんだ。ちゃんと覚えている。どこに行った帰りだったのだろう。お買い物か、お散歩か、それはもう、わからない。
 でも、うれしかったって覚えている。なにがあんなにうれしかったのだろう。くさいくさい、っていじわる言いながら…、でも、うれしくって、うれしくって、うれしくって…、じっとしていられなくって、両方の手で母の手を握って、グルングルン回したんだ。

 わたしの手のひらが覚えている、うれしかった記憶。

 ときどき甦る子ども時代の記憶の断片。そのほとんどは、あそこに行った、こんなことしたっていう、脳のヒダヒダに刻み込まれた、思い出としての記憶ではなくて、心臓がドクドクいったり、手のひらが熱くなったりするような体の一部が覚えている感触の記憶です。

 k.m.p.さんのポストカードシリーズから作られた『おかあさんとあたし』には、そんな記憶を呼び起こす瞬間がたくさん詰っています。
 「おかあさん」と「ちいさなあたし」の何気ない日常の出来事がイラストで綴れ、そのひとこまひとこまの積み重ねが懐かしい時代を呼び覚ますのです。迷子になってどうしようもなく不安になった胸の内や、泣きじゃくって息吸い込む度、胸がヒュウヒュウ音立てた、そのせつなさまで体に甦ってきます。
 子ども時代、わたしはとてもちっぽけな世界にいたけれど、今よりずっと、ものを感じていたのかもしれません。五感をビリビリ震わせて、体中で生きていた時代。
 そして、そこにはいつも、わたしを見守る「おかあさん」という存在があったことをも、この本が語りかけてくれているのです。

5月のおはなし
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。
人のいうことを聞かない子供の話

『全國昔話資料集成12 角館昔話集 秋田』より 武藤鉄城編 岩崎美術社 
むがしあったぞん。
ある家に人のいうことを絶対聞かない子供がいてあった。
ある日その家で箍屋(たがや)を呼んだが、その子供が傍に行って悪戯して仕様がない。
箍屋が危ないから、あっちゃ行っておれといっても、家の人達が、こっちゃ来いといってもいうことを聞かないでそこにいた。
そのうち、どうしたはずみか、桶の箍が、バリンと弾けて、その子供どて屋根を突き抜き、空へ弾き飛ばしてしまった。
家の人達も箍屋も動天して見たら、天の方へどこまでもどこまでも飛ばされて行って、豆粒コのようになり、しまいにとうとう見えなくなってしまった。
母親(あば)は泣いて泣いて一日に一度は空を見詰めていたが降りて来ない。夜も寝ないで泣いてばかりいた。

 さて、天に上ったその子が一人で泣いていると、綺麗なアネさん連が来て、何して泣いていると訊く。
正直に、「あまり人のいうことを聞かないので、箍に弾き飛ばされて来た」と語ったら、そのアネさん達は「人のいうことは、よく聞くもんだ」と、よくよく教えて、それから「これどて拡げて降りて行きなさい」といって、綺麗な蛇ノ目傘をくれた。
その傘を拡げて東の方へ向けると東の方へ、西の方へ向けると西の方へ行くと教えられたので、その通りにして暫く下りて来た。
それを見ると母親は気狂いのようになって大喜びしたし、子供も母親を見てメソメソ泣いて、これからは皆のいうことをよく聞くからと、本心から謝ったと。
なあ。綾重々錦更々五葉の松原、トンピンパラリのプウ。

(昭和十年  鶯野小学校尋六 熊谷トシさん) 


5月のゆんちゃんみなちゃん
   ゆんちゃんは高校生、みなちゃんは中学生、女の子!二人は今日も一生懸命!人生は険しい!

チャン・ポン・ドン!
 ゆんちゃんは「ブタ」を愛しています。
何年にも渡って、ブタが好き!ブタグッズかわいい!と叫び続けているのです。
中学時代にはCDケースに始まって、時計にハンコ…と、学校での美術の製作物は全てブタがモチーフでした。「チャン・ポン・ドン」と命名された(おばあちゃんが名付け親)ブタキャラクターまで編みだす有様。

 さて、口に出して宣言しちゃうっていうのはスゴイことで、「ぶた」、「ブタ」、「豚!」と、叫び続けているうちに、彼女のブタ好きはとーっても、有名になりました。
友だちも、おばあちゃんも、果ては彼女を直接知らない人までもが、噂聞きつけ彼女にブタさんを贈ってくれるようになったのです。これ、お嬢さんにプレゼント、なーんて具合にね。ありがたいことです。

 で、それは、主人とわたしにも伝染しました。ゆんちゃんみなちゃんはお出かけについて来なくなっちゃいましたから、わたしたちは夫婦でトボトボ出かけては、ブタを見つける度に、
「お!こいつはゆんちゃんが喜びそうだ」
「おお、こんなのは今まで見たことがない」
ついつい、ウキウキ、ブヒブヒ、おブタ様をお買い求めしてしまうようになったのです。

 さて、先日、ゆんちゃんの部屋を掃除して、数あるブタさんに、そっと、ハタキをかけていたわたしは、
「そうそう、これは鎌倉行ったとき、買ったんだよね」
「ああ、これ、おまんじゅう買うのあきらめて買った高級ブタだ」
てな調子で、ひとつひとつ手に取って、しみじみ思い出に浸っちゃったのであります。なんだか、どのブタにも思い出が染み込んでいて、とーっても愛しいの。
 …ってさぁ、ブタを集めているのは実のところ、いったい誰なんだぁ?

今月のおまけ! 

チャン・ポン・ドンのおはなし

空飛ぶブタを見たことがありますか?
あるいは、ブタ顔をしたハチを見たことがありますか?
ない?!おかしいなぁ。大きいのから小さいのまで
よぉく、そのへんの空飛んでいるんですがねぇ。
チャン・ポン・ドンはブタ種のハチ科に属しています。
鼻がよくききます。ブタ種ですから。
目は退化しています。
みなさんも香りを吸い込むとき、目をつぶるでしょ。
チャン・ポン・ドンはいつもにおいを嗅いでますから、
目は必要なくなっちゃったんですね。
耳はとてもいい。心の声まで聞こえるくらいです。
人を幸せにするのを好みます。
チャン・ポン・ドンが頭の上を通り過ぎると、
その人は、なにやら、楽しい気分になるようです。
リリリリリリリリリ……、
チャン・ポン・ドンはかすかな羽音をたて、
今日もみなさんのすぐそばを飛んでいます。

いつか、ゆっくり、チャン・ポン・ドンのお話をしましょう。


おまけのおまけ

今月語ったおはなしと絵本
「食わず女房」小6・大人 
「エパミナンダス」小5・小学校 
「ひなどりとねこ」保育園・大人・小5 
「さるじぞう」大人 
「いたちの子守唄」大人
「へっぷり」大人・敬老会 
「アマガエルの親不幸」小学校
「つぶむこ」小6
「つきよのかいじゅう」佼成出版社 小6 
「たまごのあかちゃん」福音館 保育園
「ぞうくんのあめふりさんぽ」福音館 
 保育園・地区センター
「よるくま」偕成社 大人 
「こやぎがめえめえ」福音館 
 保育園・本屋さん 




4月に読みたくなっちゃった本
  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

ぞうのさんすう

ヘルメ・ハイネ さく
いとうひろし やく
あすなろ書房
 覆いかぶさるようなケヤキの並木を通りを抜け、慣れ親しんだ建物の階段を上ります。ドアを開けるとあっちこっちと飛び跳ねる子どもたちの小さな靴。わが家のように上がり込み、右手にある部屋を覗くと…、いました、いました。いつもと変わらぬ三人のおばちゃん。この家のおかあさんの武本さん、大きなハートで包んでくれる大山さん、ウサちゃんのマグカップをとっても大事にしてる森田さん。ここがポレポレ文庫です。『ポレポレ』っていうのはゆっくりゆっくり、という意味ですよ。毎週水曜日、自宅を解放して本を貸し出す『家庭文庫』を開いてくれています。
 
 さて、三人のおばちゃんは顔寄せあって何やら話し合っている。子どもたちの未来について語っているのか、最新の絵本情報の交換か…、そういうわけではなさそうです。あらあら、昨日スリッパ履いたまんま出かけちゃった話なんかで盛り上がってます。こらえ切れない笑いが三人の肩を震わせて…。
 どうやらこの部屋には笑い袋が仕込まれているようなんですね。おばちゃんたち自身がいつもいつも楽しくって、おかしくってしょうがない!でも、その楽しい空気が部屋中に満ちています。子どもたちはその空気吸って安心して絵本を広げ、その空気の中で本を選びます。それから、絵本を読んでもらう。小学生のお姉さんも読んでくれる、小さな小さなお話会。

 五年前、少し離れた街に引っ越してからも、わたしは時折、ポレポレに行きたいなぁ、と呟きます。すると、かつてポレポレ文庫に通い詰めてた高二になる娘は、行こう行こう、わたしも行きたい、と声をあげます。二人でひとしきりポレポレ話で盛り上がり、なぜか笑い転げます。ポレポレに行けば、変わらない笑顔に会えるって、思っているんですね。ときどき無性に笑い袋を吸いたくなる。
 世の中はめまぐるしい速さで動いています。わたし自身、次へ次へと、いつも何かに背中を押されている気がしています。それで、息苦しくなるとポレポレに行きたくなる。変わらず待っていてくれる場所があるっていうのは、子どもにとって、大人にとっても、なんて大切で、うれしいことなのでしょう。一度ちゃんとおばちゃんたちにお礼を言いたかったのです。いつも、ありがとう。
 武本さんがポレポレ文庫を開いて十年が過ぎました。『変わらない』というのは立ち止まっている、ということとは異なります。何に背中を押されても、たじろがない自分を持っているということ。
「ゆっくりゆっくりでいいんだよ」
 そんなおばちゃんたちの声が聞こえてきます。

 ぞうは毎朝自分のうんちを数えます。毎年ひとつずつ、ぞうのうんちは増えていって…、人生を折り返したぞうは自分の「人生」に気づくのです。
 先日久しぶりに出かけたポレポレ文庫で、小学生のおねえさんが読んでくれたのが、
『ぞうのさんすう』でした。わたしは、まだ、ミルクのにおいを振り撒いている若い命たちと一緒に膝を抱え、凛と透き通った若い声にこの絵本を読んでもらいました。
 生きるっているのはこういうことだよ、と生命力溢れる命から教わったようで、涙がこぼれました。

4月のおはなし
  
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて
  誰かに語ってみてください。

熊のでてくる話(動物新話型15 熊の忠告) 
『岐阜・揖斐渓谷の昔話と唄』より 民話と文学の会 大橋和華・野部博子 編

 二人の子どもの衆がなぁ、山へ行ったんじゃ。
 行ったりゃ、熊が横から出てきたんじゃ。一人は、その熊が出てきたことを知っとったんじゃ。一人だけがなぁ、ほいつは急いで木の上に登ってまったんじゃ。
 もう一人は、ほれ、知らんもんじゃで、うろついとったんじゃ。ほいで<こりゃ、かなわん>と思って「寝とりゃかまわん」って、話を聞いとるでな。ほんで寝たの。とても木によう登らんで。
 熊がなぁ、寝とるやつをあそこやら、ここやらを嗅いで行ってまったんじゃ。ほしたら、その木の上におったやつは、恐ごうてなぁ。
 <どうか、あいつが食われりゃ>と思って、見とったんじゃ。ほしたら、その熊が何もせずに行ってまったんじゃ。ほしたら、木から降りてきてなぁ。
「あんたに、熊は何てゆったか」って言うんじゃ。
「言った、言った。ありゃおまえ、親切のない友だちには、まあ付き合うなって言った」って。
それで、まっくろけよ。
今月の本気! 
このちっぽけな日々の繰り返しを想う
このちっぽけな日々の積み重ねに課せられた人生を想う
伝えねばならないものを想う
育てねばならないものを想う
幾億という繰り返しから学ばねばならないものを想う

子どもたちは今日も変わらず先を競って幼稚園バスに乗り込む
母親たちは変わらずバスに乗ったわが子に手を振る
小学生はランドセルを揺らして坂道を登り
同じ坂をジャージ姿の若者がジョギングで走り抜ける
今日も変わらず...

このちっぽけと見える日々の積み重ねこそが
人を創り
人を育てる
人になっていくということ

人が人を救えぬ世の中であってはならない
2004.4.12

4月のゆんちゃんみなちゃん
   ゆんちゃんは高校生、みなちゃんは中学生、女の子!二人は今日も一生懸命!人生は険しい!
子は親の鏡
 主人が出張に行きました。パパがいない間仲良くしようね、用心しようね、とゆんちゃんみなちゃん、それから、わたしはお互い確認し合います。けれど、その反面、そこはかとない解放感(失礼!)が漂ったのも事実です。
 いつものわたしは夕ごはんが終わると、片付け、次の日の準備、お話も覚えなくっちゃならないし、ってな具合でテレビなんてほとんど見ません。エライ?!で、わたしが動き出すと子どもたちもシブシブ動き出すという仕組み。
 ところが、主人がいないとなると、夕ごはんはまとめて一回でいいし、朝も少しゆっくりできるし、これ見てからやろうっと、とばかりに一息ついてしまいます。先頭立つ人のくつろぎ気分はゆんちゃんみなちゃんにも伝染し、アハハ、ワハハと三人でテレビに釘付け状態に陥ります。時は折りしも4月初め、テレビはどの局も番組編成のためのスペシャル続き。2時間、3時間は当たり前!見始めると途中でスイッチ切れないのがテレビというもんです。その内、なんだかどうでもいいような気になって、深夜までわたしたちは連日連夜アハハ、ワハハを繰り返しました。
 一週間も過ぎ、わたしの心の片隅が、ヤバイ、やらなきゃいけないことが溜まり過ぎてる。でもなぁ、と揺れ始めた矢先、テレビ見ていたゆんちゃんは叫びました。
「ママ、もうパパに帰ってきてもらわなくちゃ、この家本当ヤバイよ」
ゆんちゃんはテレビをピッと消して、なんと勉強をしに行ってしまった!ああ、あの子はパパの子でした。わたしも反省し、促されるように二階へ上がります。    
 ところが、リビングからは再びギャハハッという笑い声。覗いてみると、みなちゃんがテレビつけ、なんの不安もなく、ねっころがって一人テレビに見入ってました。
 あの子はさぁ、誰に似たんだろうなぁ。
おまけのおまけ

今月語ったおはなしと絵本
「ひなどりとねこ」幼児〜おとな
「食わず女房」小6
「とりのみじい」保育園・ポレポレ文庫
「エパミナンダス」小5
「つきよのかいじゅう」佼成出版社 小6 
「たまごのあかちゃん」福音館 保育園
「ぞうくんのあめふりさんぽ」福音館 保育園・地区センター



3月に読みたくなっちゃった本
  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

はるのかだんで

ひらやまかずこ
童心社
 『おつんべこ』ということばが好きです。ことばの持つ響きそのものが好きなんです。このことば、聞いたことありますか?
おつんべこっていうのは、長野の方言で正座のことをいうのだと思います。わたし自身が子どものころに、両親の故郷で耳にしたことばなので、確信はないのですが…。
 小さな子どもがチョンと正座することがあるでしょう?そんなうしろ姿を眺めると、おつんべこということばがピッタリくる感じがするのです。頭の下にキュッとしまった首根っこ。ここは『ぼんのくぼ』と呼びますね。手はチョンとひざの上にのっかって。ああ、これは後ろからでは見えないけれど、両肩がわずかに上がっているからきっとそう。子どもは手をひざの上に置くと、なぜか肩が上がるんです。フフ。背筋ピンと伸ばして、おしりをわずかに突き出して、その下からは、行儀よくハの字に合わさった小さな足の裏が覗く。子どもはときどきこんな風にして座るもんです。で、この姿こそ、わたしにとっての『おつんべこ』。
 さて、お話会でも最前列の子どもたちは、おつんべこで座っています。足出していいんだよ。疲れない?と聞くけれど、なぜか、子どもはお話に聞き入れば聞き入るほど、おつんべこ。その後ろにはおかあさんに抱っこされ、あるいはまだ、ヨチヨチてくてくと、動き回るチビちゃんたち。わたしはお話をするお当番でないときには、おかあさんたちの中に紛れて、後ろからかわいいおつんべこを眺めます。
 ひとりで聞ける子は前の方においで、と声かけても、おかあさんのおひざに張付いて離れられなかった子どもたちが、季節をひとまわりして、今じゃ最前列でおつんべこ。
「春になったら、幼稚園に行くんだよ」
おつんべこの背中が語りかけているようで、この季節になると、うれしいような、ちょっと淋しいような気持ちになります。
 
 さて、絵本『はるのかだんで』は、ひらやまかずこさんの絵が楚々としていて美しい。「おかあさんのひざぶんこ」というシリーズ名も心から頷けます。
 とても、控えめな本です。図書館の片隅にあったら見過ごしてしまいそうな本です。まさしく、花壇の片すみで、ぽっぽっぽっぽっと花が咲いているような本なんです。けれど、本を開いてみてください。ひとまわりしてめぐって来たこの季節、春がどんなにうれしくって、くすぐったくて、あったかいかを、すぐに思い出すことができますよ。
 みんなが心待ちにしていた春。はなも、はなあぶも、ありも、すずめも…、それから、おつんべこの子どもたちも!
 待ちに待っていた春はもう、そこまで来ています。


3月のおはなし
  長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて
  誰かに語ってみてください。


ぼた餅は蛙 『日本昔話大成3』 関敬吾 /角川書店
 
むかし、あったけど。むかし、嫁と姑と仲悪ぐて、隣からもらったぼだ餅を嫁さ、喰へだくくて、そごの婆ちゃんが出はって行ぐとぎ、箪笥のなかさ、しまって「ぼだ餅、ぼだ餅、姉こ開げだとぎ、蛙(びっき)になってろよ」と、重箱ずら(ごと)箪笥さ入って、出はって行ったもんだお。ほすっと、それ、流しで姉こ聴いでで、童達どして「田圃さ行って、蛙?めで来い。ぼだ餅喰へっさげ」て、いうど。ほすっと、早速、蛙三匹?めで来たど。ほして「母親、喰へろや」と、いうど。「ほんでは、婆来たたて、ほっても、ぼだ餅喰ったていうなよ」と、いうど。ほんで、ぼだ餅取って、蛙を入って、箪笥の中のぼだ餅、童達さ喰へだと。
 すっと、婆来て、箪笥開げで見だれば、ぼだ餅、蛙になってたど。ピョン、ピョン、ピョン、ピョンと跳ねだ。「ああ、おれ根性悪さげ、ぼだ餅、ほんて蛙になってしまった。根性悪くさんねもんだな」ど。
 それがらみんなさ、うめもの分げて食へるようになったんだど。どんぺからっこ・ねっけど。
                                               山形県最上郡

3月のゆんちゃんみなちゃん 
  
悪虫(わるむし)
 
  聞いてくださーい!みなちゃんったら、本当に本当に悪いんです。お片づけはちっともしないし、洗濯物は出さないし、わたしのおフトンで勝手に寝ちゃうし、朝になっても起きないし、何度呼んでも起きないし、目覚まし鳴っても起きないし、洗濯出さないから朝になって学校に着ていくブラウスがないことに気がつくし、ママのブラウス貸してなんて、わけのわからないこと言うし、パパのカッターシャツ着ていくなんて、もっともっと、わけのわからないこと叫ぶし、それが全部わたしのせいみたいに言うし、おまけにまだ、ヘアアイロンなんてかけてるし、今後に及んで反省の色はないし、部屋の入口で早くなさいと叫んでいるわたしにむかって、「どっか行って!」なんて言うし…、
「そんなこというと、ほんとにどっか行っちゃうよ」って言ったら、
「家ン中でどっか行って!」なーんて言うんです。ねえ、本当に本当に悪いでしょう?

今月のおまけ(ありんこトントンのおはなし) VOL。 7 

ありんこトントンは きょうだいのなかで いちばん ちびすけ
だけど、いっちばん まけずぎらいの いじっぱり
だれのいうことも ききゃしない トントン とことこ とこトン ドン!
ありんこトントン 
いまだって ちびすけだけど うまれたときは もっと ちびすけ。
よっこらやっこら じめんに はいでて、
そら みあげたら はっぱが いっぱい。いちめんの みどりいろ。
はっぱが ゆれると、                     
すきまから キラッキラッと なにかが ひかる。

わっ、まぶしい!あれは いったい なにかしら?

「おてんとさん だよ」
にいさんありが おしえてくれた。
「おてんとさんは とーっても たかいところにいるから、だあれも さわれないんだゾ」
そんなのきくと、
ありんこトントン さわりたくて しょうがなくなる。
よっこらやっこら みどりのはっぱに よじのぼり、
よっこらやっこら もひとつうえの はっぱに よじのぼり、
そら みあげたら、
まっきいきいの おてんとさんが わらってる。
「こんにちは、ぼく ありんこトントンです」
すると、おてんとさんの いうことにゃ、
「わたしは たんぽぽ。おてんとさんなら あそこですよ」

トントンが みあげたら、
ずーっと ずっと はるか かなたに まっきいきいの まんまるの おてんとさん。
トントンびっくり!そっくりかえって、ひっくりかえって、ズデン!しりもち。
それで、ありんこの おしりは いまでも おおきい!
…のかどうかは、だあれも しらない。



おまけのおまけ

今月語ったおはなしと絵本
「ミアッカどん」(小3) 
「じまんやのインファンタ」(小6・小5・大人)
「おっぽのつり」(小低) 
「おいしいもののすきなくまさん」(保育園)
「おおかみおじさん」(小3) 
「だんごころころ」童心社・ミニパ(保育園)
「いたずらコヨーテキュウ」BL出版・紙(地区センター)





2月に読みたくなっちゃった本
  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

ふゆめ がっしょうだん

富成忠夫、茂木 透=写真
長 新太=文
福音館書店 かがくのとも傑作集
 この絵本、近くに寄ってトクとご覧あれ!木の芽たちの顔・カオ・かお。春の息吹を感じます。少し離れて耳を澄まして!小気味いい音に、春の訪れを感じます。息をひそめている春、もうすぐやってくる春。
 背表紙には「4才から楽しめます」の文字。いえいえご謙遜。お話会では2才の子どもたちもうれしそう。帰りにはきっと、おかあさんと木の枝のぞいたり、一緒に唄ったりするんだろうな。パッパッパッパッとね。
 ひとつの絵本で、季節に気づいたり、小気味いい詩の存在に気づいたりする。何が入口になるかわからない。文学の入口、芸術の入口、楽しいことの入口。

 風変わりな叔父がいます。いえいえ失礼。小学校に上がらぬわたしの目に、そんな風に映っていたに過ぎません。今では立派な大学の先生です。
どこか遠いお国から、何ヶ月もお船に揺られて日本にやってきたこのおじさんは、鼻の下にお髭たくわえ、縦笛をいつも上着のポケットに入れて持ち歩き、土手にはえてる草なんかも、「陽子ちゃん、これ食べれるよ」と口に入れてモゴモゴさせたりするのです。
何日も何日も家にいて、綿入れのドテラ着てお相撲さんのようになって歩きます。おかあさんがシロ(犬)用に、前の晩残した魚の骨で煮込んだご飯を「やあ、うまそうなオジヤだなぁ」と言って、お鍋からそのまま食べたりします。
 夜中になると、小さなスタンドひとつつけて机に向かい、分厚い本を読んでいます。ボソボソと低い声で唄ったり、お経を唱えたりします。それがフランス語の詩というものだと知ったのは、ずっとずっと先のこと。
 怖いもの見たさも手伝って、わたしは夜トイレに起きだすと、襖の隙間から、丸まったおじさんの背中を見つめ、ボソボソつぶやく不思議なお唄に聴き入ったものでした。
 さて、この叔父が滞在する度、本を置いていったんですね。
「陽子ちゃん、これは読んでおいたほうがいいよ」とね。
『星の王子様』の原書、『リルケの詩集』『ギリシャ神話』などなど。わたしは小学生にもなってませんってば。そこで、文字通り「積読(ツンドク)」になったわけですが…。
 やがて、高校生になったわたしは、ほんとにほんとに何もすることがない時に、それらの本をただ文字を追って読みました。残念ながら、内容はひとつとして覚えていません。でも紛れもなく藤村も啄木もゲーテもヘッセも、「陽子ちゃん、これは読んでおいたほうがいいよ」の中から出会ったものです。
 今でもこの叔父には、どこか遠いお国のにおいと、文学のにおいがします。それから、ちょっと変わった人だなぁ、のにおいも…ね。いろんなにおいを発するこの叔父こそが、わたしにとっての『文学の入口』であったのだと思います。
2月のおはなし
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて
  誰かに語ってみてください。
鬼壷      『日本昔話大成3』 関敬吾 /角川書店
 昔々なあ、一人ん旅ん男がなあ、山道じこーんめえー(小さな)壷を拾うたんとなあ。なんじゃろうと思うちから蓋を取っち見たんと。そうしたところが、そん中からにょろにょろと大けな鬼ん奴が出ち来ちからなあ、「こりゃ、取っち食うぞ」とおらび出したんと。旅ん男はたまがっちから、「こらえちくれなさりー」ちゅうち、どげいあやまってんこらえんのとなあ。そうじゃきいー旅ん男は仕方がねえきい、あきらめちから、「ふんなら食べなさりー。そうじゃけん、あんたんような大けな体がようまたそげんちんめえー壷ん中に入っちょったか、それを教えちくれなさりー」というたんとなあ。そしたら鬼ん奴が威張っちから、「そげえーことがわけあるか、よう見ちょれ」ちゅうちから、そん壷ん中へすうーっと入っちしもうたんと。旅ん男は喜んじ、上いかり蓋しちいちから、そん壷を山ん洞へ投げ込んじしもうたと。そんだけ。もうしもうし米ん団子。

     
2月のゆんちゃんみなちゃん
決戦は2月14日
 今年もやってきました。聖バレンタインズデイ!その日を前に我が家のキッチンではクッキー、クッキー、またクッキー。連日連夜、クッキー作りの嵐が巻き起こっておりました。
「今日はお夕飯のあと、わたしにキッチン使わせて」
と、ゆんちゃんが言えば、
「じゃ、そのあとわたし」
と、みなちゃんも対抗馬を飛ばす。
「明日もう一回作るから」
とまあ、ゆんちゃんもみなちゃんも力の入ること入ること。
 部屋中に立ち込める甘ーい香り。どうです。なかなかにいいものでしょう?なんか、女の子のいる家って感じがするじゃありませんか?でも、当のご本人たちは、妙に殺気だっているんですね。好きな男の子に想いを馳せて…、というよりは一分一秒を争う職人みたい。
でもまあ、これだけがんばったんですから、報われようが、報われまいが、その心意気を充分に汲んであげたいな、とわたしは密かに応援したりして。こんなに毎日甘い香りが漂うんですもの。わたしなんて、毎年作ってたチョコレートケーキを作るのもやめちゃったりして。
 さて、来ました来ました。遂に当日。二人は制服を着て、でっかい紙袋下げて降りてきた。そっと、覗いてみると袋の中には紙コップの行列が二段!ゆうに10個は越えていたね。ウム?袋一ぱいに詰った、クッキー入りの紙コップ。ええ?そんなに彼氏がいるの?
「友チョコだよ、友チョコ。見ないでよォ」
 こういうときには二人共、セリフまでおんなじです。今は『友チョコ』っていうんですってね。女の子の友だち多数にあげる手作りお菓子。でもさあ、どこか間違ってなーい?配る相手は男の子だろうと女の子だろうと構わないんだけれど、差し出すものは愛だろ、愛!
「パパ、これあげる」
はにかむようにして、手作りのクッキーを一番にパパに渡していたゆんちゃんみなちゃんはどこ行ったぁ!?
今月のおまけ(ありんこトントンのおはなし) VOL 6
ありんこトントンは きょうだいのなかで いちばん ちびすけ
だけど、いっちばん まけずぎらいの いじっぱり
だれのいうことも ききゃしない トントン とことこ とこトン ドン!
ありんこトントン
つちの なかから ほりかえされた。
「もっと、ほれ!そら、うめろ!」
こりゃ、たいへん。おおどろぼうが ぬすんだおたから うめてるところ。
どうしよう!だれかに おしえなくっちゃ。でも、どうやって?
そこで トントン、こうばんで いねむりしている おまわりさんの みみのなかに はいこんだ。
「うめのきの ねもとに おおどろぼうが おたからを かくしましたよ。おしえに きたのは ありんこのトントンです」
でも、おまわりさんたら しらんかお。
はたけで コックリ ふねこいでいる おひゃくしょうさんの みみにも はいこんだ。
でも、めが さめても おぼえてない。
ちょうちょうさんの みみのなかにも、こうじげんばの かんとくさんの みみのなかにも、 バギーで スヤスヤ あかちゃんの みみのなかにも はいこんだ。
で、おたから とりにきたの だれだと おもう?
うらのポチ。ここほれワンワン!ポチが おたから みつけて、おまわりさんに ひょうしょうされた。トントンは ポチから おさとう ひとかけ もらったよ。よかったな。
おまけのおまけ
今月語ったおはなしと絵本
「福は内鬼は外」(小6・小5・中3・大人・老人ホーム)
「つきよのかいじゅう」絵本/佼成出版社(中3) 
「梅干のひとりごと」(大人)
「おっぽのつり」(小3) 「セツブーン」(小高) 
「瓜姫コ」(大人)
「おっぱいのんだら」絵本/福音館書店(保育園) 
「さるじぞう」(自主保育サークル)
「おちゃのじかんにきたとら」絵本/童話館出版(保育園・地区センター)
「わにわにのおふろ」絵本/福音館書店(自主保育サークル)
「じまんやのインファンタ」(小5) 
「ミアッカどん」(小3)
「あるだんなさんとおかみさんのはなし」(小3) 
「赤い目のドラゴン」(大人)

1月に読みたくなっちゃった本

今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

わたしのねこちゃん


かんなりまさこ 文
荒井良二 絵
福音館こどものとも年少版2003年1月号
 犬の性質ならちょこっとくらいはわかるのです。家にもいるし、子どものころにも飼っていたから。ちぎれんばかりに尾っぽ振る、どこまでも健気で忠実な生き物よ!
 ところが、猫となるとテンで想像がつきません。おいでおいでと声をかけても、ツンと澄ましてシランプリ。こちらから近寄ろうものなら逃げ出して、そのくせ眠ったフリして片目開け人間様の動きをしっかりチャッカリ伺っている、ってなところでしょうか?
 だとすると…、そんな生き物、家にもいます! ハイハイ。
 「子ども」っていうのは、なんだかそんな生き物のような気がします。わたしのやることなすこと、ちゃんと見ていて、こちらが猫なで声出しているうちは、寄りつきゃしない。ソロリソロリ近づくと、うるさいとばかりにソッポ向く。それでわたしがあきらめて、子どもなんてどうせ離れていくんだモン、と自分のことに一生懸命になり始めたその途端…、ストンと膝の上に乗っかって、あるいは肩の上まで乗っかって、こっち向けと言わんばかりに大騒ぎを始めるわけです。どうです?だいたいのところ当たっているんじゃないでしょうか。
 そこで、わたしは自分のことはまた机の上に放っぽり投げて、子どもの頭なんかクシャクシャにしてやって、頬っぺたなんてキュウッと引っぱってやって、毛糸玉のようにもつれ合い、娘と一緒にゴロゴロとのど鳴らし、おもいっきりじゃれ合うことになるわけです。
我が家の子猫(いや、子ども)たちの場合は、それですっかり満ち足りると、また、「だーれもあたしに構わないでよ」とばかりに、お気に入りの陽だまりで好きなこと始めるわけですが…。
一般的な猫っていう生き物もやっぱり、そんな感じなんでしょうか?

 『わたしのねこちゃん』は絵と文がみごとにひとつになった絵本です。これぞ絵本!絵の上に文が乗っかっているんでも、文の上に絵が乗っかっているんでもない。お互いが気持ちよく、ちゃんと主張し合ってる、そんな絵本です。
 おまけにこの絵本、「ひげねこちゃん」の角度で進行し、同時に「わたし」の角度で進行し…、だけど、最後には「ひげねこちゃん」と「わたし」は、ひとつになって、いっしょくたになって、そりゃもうワクワクドキドキと…、心まで温かくなってしまう絵本なのです。それで、どうしてかなあ?この絵本を見ていると、やっぱり我が子を思い浮べてしまいます。


1月のおはなし
 
 
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて 誰かに語ってみてください。 

屁ひり嫁  

『瞽女の語る昔話』杉本キクエ媼昔話集より 岩瀬博 編著/三弥井書店
 昔、おならをする名人あったって。そんでね、お嫁に来たらさ、おなら出たくてどうしようもない。その人、その名人だってんだ。そうして、まだお嫁に来て祝言終えたばかしでね、そうして、おばあちゃんの傍に針仕事しててさね、まんで青い顔してんなだって。
「姉さ、お前どっか悪いかい」
「えええ」
「どっか悪くないってどうしてお前そんな顔してる」たら、しまいに、
「私ね<昔の者だ、皆おならって言わんで屁って言うでしょ>おっかさん、俺屁出たくてどうしょうもねえんだ」
「お前、屁ぐらいしりたいけりやしらっしゃいな」って、言ったら、
「はい、ええですかいね」
「ああ、ええわねええわね」そ言った。そうしたら、ぶうぶうぶうとしだしたらね、まあ名人って言うんだから、ばあちゃんがみな吹き立っちまったって。そうしたら、前の畑へ、大根畑ある、その大根畑行ったら、大きくなってから大根畑に行って葉に?まったって。葉に?まったら、今度又屁しるのやめたって。そしたら、やめたら又、その大根持ってもとの勝手の所へ、ととととっと、姑ばあさんな来たって。そのうちに又、ぶーっとしたら又その風に乗ってその姑ばあさんな又大根畑行って、「あーれ、おっかない」と思って、また?まったって。それしいそれしい、その大根畑の、その屁でもって大根畑の大根ぬきしてしまった。大根取り済んだってことですわ、なんでも名人になればね。<笑>     
   

1月のゆんちゃんみなちゃん(ゆんちゃん16才、みなちゃん13才)
ゆんちゃんは高校生、みなちゃんは中学生、女の子! 今日も二人は一生懸命!人生は険しい!

リンゴ、リンゴ、リンゴ
  ゆんちゃんは、お家の仕事が嫌いな方ではありません。試合後の洗濯だって自分でするし、パパのお誕生日にはクッキーだって作っちゃう。ところが、包丁というものを握らないんですね。まったく握らない!小学生のころはカレーの野菜切ったりしていたのに、中学校に行ってから包丁を握っている姿を見たことがない。
「だって、ヘタなんだもん。いいのいいの。料理なんてできなくたって」
とまぁ、これがゆんちゃんの言い分ですが、お味噌汁の大根切っといてとお願いしても逃げ出してしまう、花の女子高校生を見ていると不安がよぎってしまうのも事実です。やるときゃやってくれるんでしょうと、ちょっと放っておき過ぎたかな。
 ところが、夕べ、夕べ!です。わたしがお風呂から上がると、台所に電気がついてる。あら?
なんと、その日がきましたよ。待てば海路の日和あり!こいつはぁ春から縁起がいいわい!ってなもんで、ゆんちゃんが包丁片手にリンゴの皮をむいて食べていました。台所で立ったまま!
「だって、どうしても食べたかったんだもん。ママも食べたいんならむいてあげるよ」
わたしもみなちゃんも、うれしくってうれしくって、ゆんちゃんがむいてくれたリンゴをありがたーくいただきました。ああ、本当においしかった。ご馳走さま。
 そうそう、ところでわたしは、子どもたちが料理してる間は、質問を受けるまで台所に入らないことにしています。なぜって傍で見ていると、イライラドキドキ、つい口も手も出したくなってしまうでしょ。
この方針も正解でした。ゆんちゃんが捨てたゴミ箱の中のリンゴの皮。あれは「むいた」というより「削り取られた」といった感じだったものなあ。
今月のおまけ
ありんこトントンのおはなし   Vol.5
ありんこトントンは きょうだいのなかで いちばん ちびすけ
だけど、いっちばん まけずぎらいの いじっぱり
だれのいうことも ききゃしない トントン とことこ とこトン ドン!

トントンのすむ おやまにも、
こがらしピュゥピュゥ ふきはじめた。いよいよ、ふゆ! とうとう、ふゆ!
トントンだって さむくないはずがない
だけど、そこは まけずぎらいの ありんこトントン、
「ぼくは ふゆなんかに まけないからね!」
そとにでて ラジオたいそう1.2.3
「きたかぜこぞうめ かかってこい!」
コートも ぬいで1.2.3 
「とうみん なんて ぜーったい シナイゾ!」
だんだん さむくなってきた1.2.3
「ゆきでも なんでも くるなら こ・ヒ!」
はが かみあわない ガチ・ガチ・ガ・ヒ 
そこへ、
きたかぜこぞうが ヒューッと ひとふき とおりぬけざまに こえかけた
「おまえさぁ それ、まけずぎらいじゃなくって、やせがまんって いうんだよ」
ありんこトントン かんがえた
それから…、ヘーックション!でっかいクシャミ
トントン スゴスゴ すあなに かえる
ふゆには かてても かぜには かてない。クシュン!


今月語ったおはなしと絵本

「エパミナンダス」小3 
「福は内 鬼は外」小6
「貧乏神と福の神」小5  
「瓜姫コ」大人
「きんちゃくひろったにわとり」 小6
「おっぽのつり」 小低
「梅干のひとりごと」 大人 
「わたしのねこちゃん」(福音館)
 保育園・地区センター




12月に読みたくなっちゃった本
  
今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

ミトン


ジャンナ・ジー・ヴィッテンゾン さく
レオにード・シュワルツマン え
はっとり みすず ほんあん
河出書房新社
ミトン、なんだかとても懐かしい響きです。親指だけが分かれている手袋のことを、今でも「ミトン」と呼ぶのかしら?
 記憶の糸をたぐり寄せると、毛糸でフカフカと編まれた小さなミトンを、幼かったわたしは持っていたように思うのです。仲良く寄り添う四本の指をミトンの中でモソモソと動かし、まるで小さな動物のように動くその手袋を、スリスリと頬にすり寄せた感覚を、今でも微かに思い起こすことができるから。ミトンは片方が迷子になってしまわぬように、しっかりと毛糸のひもでつながっていて、そのひもはいつもオーバーコートの衿の中に収まっていました。「ミトン」という響きそのものが、幼いわたしには新しく、どこか大人びた気分になったことも思い出します。
 小さな子どもが五本指の手袋をはめるのは、なかなか大変なことですからね。あら、小指さんと薬指さんがおんなじところに入っちゃった、なんてね。そこで、ミトンの登場となるわけです。すっぽりはめて、それからオーバーコートを着せられて(ひもはキュッキュとコートの衿に押し込んでもらって)、玄関に座って靴をはかせてもらう。「おでかけ」という、これまた特別なことばと一緒に電車に揺られます。
デパートの屋上で大好きな乗り物にのっけてもらって、何かとってもおいしいものを食べる。フォークとスプンを使って。デパートの紙包みを抱え、帰りの電車に揺られ包装紙のにおいをクンクン嗅ぐ(包装紙のにおいが大好きでした!)。
紙包みを抱えるミトンの中の四本指は、しあわせ一杯にモソモソと動き回って、その小さな動物は、わたしの膝の上を自由に飛び跳ねたり、ほっぺたに擦り寄ってきたりしたものです。        
記憶の糸はたぐり寄せられるままに、どこまでもスルスルと伸び続け、あのころのくすぐったさや、においまで、わたしの元に呼び寄せたのでした。
 
『ミトン』という名の、まだ出会ったことのないはずのこの絵本に、どうしようもない懐かしさを覚えたのは、この小さな絵本が、わたしの奥底で眠り続けていた小さな記憶を呼び覚ましてくれたからに違いありません。アーニャの赤いミトンが、仔犬となって動き出し、アーニャと一緒に遊び始めるその様は、わたし自身の持つ経験にほかならないのです。
ときに絵本は、決して目覚めることのなかったはずの、遠い記憶の道しるべにもなりえるのです。
 



12月のおはなし
  
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて 誰かに語ってみてください。
そばの足はなぜ赤い

『日本の昔話1若狭の昔話』稲田浩二 編/角川書店
 むかしむかしあったんやそうな。
むかし師走の寒い日にそばと麦とおって、弘法さんが、
「この川渡るのは冷めとうてかなわんさけえ、負うて渡してくれ」いうたら、そばは足をひざのへんまであげて、この師走の川を負うて弘法さんを渡したんやてな。麦は、
「冷めたいさけえかなん」いうて、弘法さんを渡さなんだそうやな。そうしたら罰(ばち)で、麦は雪の下で秋蒔いといて冬越えしまっしゃろ。雪の下を越えなんだら春のええ花ざかりはきませんのや、ちょっとのことで冷めたいめに会うて。弘法さんを渡したそばは、秋の彼岸には取れまっしゃろ。ほんで、弘法さんを渡してくれたそばは冷めたいので足が赤うなりましたんやてな。ほれで、麦は冷めとうて渡さなんだ罰に冬越えするし、そばはちょっとのことで秋に取り入れすむんや。
 そろけんどっぽん はいだわら。
                    
  語り手・遠敷郡名田庄村佐濃 堂脇民子
 



12月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん16才 みなちゃん13才)
  
 ゆんちゃんは高校生、みなちゃんは中学生、女の子!二人は今日も一生懸命!人生は険しい!
 
みィ、みな、みなちゃん 三段活用
みなちゃんはおねえちゃんが大好きです。まあ、みなちゃんのことですから好きな気持ちは裏返って、「あっかんべえ」だの「あほんだら」だのと言ってしまうことが日常ですが、おねえちゃんのお下がりをルンルンと着て、おねえちゃんはどこ?おねえちゃんが行くなら行く、おねえちゃん、おねえちゃん、っとまあ、本人は意識していないにしても、みなちゃんにとっては麗しのおねえちゃんであるには違いない。
ところが、ゆんちゃんの方はそっけないものです。誰にでも優しいゆんちゃんがああも冷たくできるかねえ。みなちゃんには、投げかける眼つきまで違っています。
さて冬休み、連日の部活の合間を縫ってゆんちゃんはお友だちとお出かけです。あら?おこづかい足りてるのかしら。毎日小銭の計算をジャラジャラやっていたのを知っていますから、わたしはちょっと心配になってゆんちゃんに聞きました。
「へへ、大丈夫。みなちゃんに借りました」
へ?
「あのう、『みなちゃん』っていうと、どこのみなちゃん?」
「うちの『みなちゃん』」
『みなちゃん』と、ゆんちゃんが呼ぶのを初めて聞いた、わたしの驚きを想像してください。ゆんちゃんは通常みなちゃんのことを「みィ!」と呼びます。これ、かなり強く息を吐き出すように、
「みィ!」
と、言ってみてください。ハイハイ、そんな感じです。
 ところで、妹からお金を借りて出かける、なんてのはダメです。だいたい、みなちゃんのためにもよくない!もちろん、すぐに返済してもらいました。どうやって返すつもりだったのか聞いてみると、
「お年玉で」
へ??
まだ、お正月きていないでしょ。ちなみに年明けに、友だちと行く約束のデイズニーシーへも、お年玉で行くつもりなんだそうです。この辺の皮算用は、似てないといってもやっぱり姉妹。へッ!誰の血だい?!



今月のおまけ
ありんこトントンのおはなし Vol.4
ありんこトントンは きょうだいのなかで いちばん ちびすけ
だけど、いっちばん まけずぎらいの いじっぱり
だれのいうことも ききゃしない トントン とことこ トコとん ドン!

まちにまった クリスマスイブ
トントンだって、クリスマスは ドッキドキ
「サンタさんは くるかしら?ぼくは いい子だったかしら?」
だれよりさきに ベッドに はいる
おや、まてよ?
サンタさんは こんな ちっこい すあなの なかに はいれるのかしら?
ゆびの さきっちょだけ おしこむのかしら?
ありんこトントン、かんがえだしたら とまんない
そこで、サンタクロースを おむかえに
ベッドぬけだし、すあなぬけだし、にんげんさんちにはいりこみ、こどもべやにしのびこみ、
ぬきあしさしあし、ベッドのうえによじのぼり、まくらもとのくつしたに、はいこもうとした
そのとたん、
でっかいなにかに つままれた。
「サンタクローーース!!」ありんこトントン ひめいをあげた。
サンタクロースは シッ!と、ゆびを くちにあて、
にんげんさんの子どもが のこしておいた ケーキのクリーム ひとすくい、
トントンのくちに プレゼント。
わっ!サンタクロースのゆび おおきすぎて トントンは クリームづけ。
それから、すあなまで おくってくれた。
「トントン、いい子はベッドで ちゃんとおやすみ ホッホッホォ メリークリスマス」
クリーム ベトベト、トントン うとうと。ベッドにもぐって トーロトロ。
さて、クリスマスのあさ、トントンのまくらもとには ちいさなケーキ、いちごつき!
「やった!ぼくにプレゼント。このケーキ ぼくのだからね、サンタさんは ぼ・く・に、くれたんだからね」トントンあいかわらずの おおはしゃぎ。   メリークリスマス



今月語ったおはなしと絵本
「きんちゃくひろったおんどり」          小6・クリスマスお話会
「貧乏神と福の神」                 小5・老人ホーム
「エパミナンダス」                  小3
「おばけかぼちゃ」                 クリスマスお話会 
「まどからおくりもの」               (偕成社)本屋さん








11月に読みたくなっちゃった本

今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 
サルビルサ

スズキコージ
ほるぷ出版
 『サルビルサ』ってなんでしょ、これ!

本を開くと、大胆な絵の中に「モジ モジ モジ」という台詞。次々に現れる不思議なことば(台詞)。意味を持たないことばが、読み進めるうちに意味あることばとなっていく。まるで、チンプンカンプンだった外国語が徐々にわかるようになるみたいにね。しかも、どういうわけか声に出して読みたくなる。そして、気づいたときには「サルビルサ語」をすっかり駆使し、自分のことばとして操り始める。「ことば」が「言霊」となる瞬間を捕らえたような本なのです。難しそう?いやいや、スズキコージさんですもの。とにかくおもしろい。
 
娘たちが小さかったころ、毎晩一緒に絵本を読んでいました。子どもを追い駆けまわして終わるだけの毎日の繰り返しの中で、このひとときだけは、わたしにとって、おそらく娘たちにとっても、穏やかで、平和な時間だったのだと思います。
 さて、そんなある日、この母子平和なひとときの中に、ほろ酔い加減で帰宅した主人が乱入!
一度たりとも絵本なんて手にしたこともない彼は、絵本『サルビルサ』を、わたしから奪い取ると、フトンに侵入!嫌がる娘たちを抱きかかえるようにして、声高く読み始めたではありませんか。「モジ モジ モジ」
ページが進むにつれ、彼は絵本に感情移入!怪訝な顔をしていた娘たちも徐々に彼のペースにはまり込み、クスクスと笑い出します。
彼はますます声を張り上げ、巧みに声色を変え始めました。そんなの反則だ!
娘たちのクスクスは、やがてゲラゲラの大洪水へ。身をよじって笑っています。そんなにおかしいか?いや、彼は台詞に合わせ、絶妙に娘たちのおなかにくすぐり攻撃をかけている!卑怯!
絵本はやがて、クライマックスをむかえ、彼は一声大きく「サルビルサ!」と叫ぶと、そのままゴロン、高いびきをかいて寝てしまいました!!
 いまだに、娘たちは読んでもらっていちばん楽しかった絵本は、『サルビルサ』だったと言います。なんとも強引、反則極まりないパパの絵本読みに、娘たちはすっかり心奪われてしまったのでした。でも、これでいいんです。世の中のおとうさん!がんばって。子どもたちと絵本を楽しんでください。まずはこの『サルビルサ』で、スズキコージさんの世界にはまってみてはいかがでしょうか。



11月のおはなし

長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。
月のかたわれどこへ行ったあ 

『日本の昔話1 若狭の昔話』 稲田浩二 
編/角川
方丈さんがちょっと用事があって出て、おられんまに、小僧さんがおまんじゅうを欲してかなわんもんじゃ、大きなおまんじゅうを半分切ってえ、食べといてえ、そして半分切った方を向こうがわへやっといて、供えとったらあ、方丈さんがもどってきてえ、−方丈さんも賢い方丈さんで、叱らんとお、
「月のかたわれ、どこへ行ったあ」いうて方丈さんが言わったらあ、小僧さんがあ、
「雲にかくれて、ここにいる」いうて、戸棚の中からまんじゅう半分出して、まだ食わんと持ってって、どっちも賢かったんでえ、叱られえとすんだやいう。
          (名彙「和尚と小僧」)語り手・遠敷郡名田庄村下 岩崎タミ
 



11月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん16才 みなちゃん13才)

ゆんちゃんは高校生、みなちゃんは中学生、女の子!二人は今日も一生懸命!人生は険しい!
度量衡
みなちゃんは今日も今日とてテナーサックスの練習に一生懸命!
といっても、今みなちゃんが使っているのは学校のサックス、そこはかとなく年季も入ってピカピカまばゆい、というわけにはいきません。同じ部活仲間には、もちろん自分の楽器をもっている子もいるので、
「テナーサックス欲しいなあ。自分の楽器っていいなあ。ああ、欲しいよぉ。サンタさんにお願いしちゃおうかなぁ」
これはもう、4月に吹奏楽部に入ったときからのみなちゃんの願望です。この気持ち、もちろんわかります。ごめんね、なかなか叶えてあげられなくて。なんてったって、テナーサックスって30万近くするんですもの。
 さて現在、このテナーサックスの値段が、みなちゃんが物を選ぶときの価値基準となっています。みなちゃんは根っから研究熱心。闇雲に欲しい欲しいと騒いでるわけじゃありません。
「え?車って300万もするの?わあ、サックス10個買える!」
とか、
「え?みなの欲しかったトレーナーって1万円もするんだ。30回我慢すればサックス買えちゃうの?いいよいいよ、千円のトレーナーで。あとはサックス基金にとっといて」
なーんてね。とにかく、テナーサックスを基準に物の値段を判断する毎日です。
先日わたしが雑誌のジュエリー特集のページにみとれていたら、みなちゃんが寄ってきました。雑誌を覗き込んで、
「お!かわいいじゃん。ママ買ったら?」
そうよねえ、こんなキラキラ光るもの最近お目にかかってないものねえ。わたしがその気になっていると、
「え?20万、無駄無駄、サックス買った方がいい」
みなちゃんはうんうん、と頷きながら部屋に帰って行きました。無駄無駄って、何が誰にムダなんだい?!
 さて、そこいくと、おねえちゃまのゆんちゃんは、今日も今日とてバスケ三昧。
「ただいまー、腹減った。お、このクリームパンおいしいんだよね。あれ?198円?高いなあ、どこで買ったの?学校の購買じゃ188円だよ。今度買ってきてあげる」
こちらは、だいたい高校の購買価格が価値基準です。
ゼロ1桁から6桁まで、うーん、値段の尺度って、ほんと人それぞれ、さまざま。



今月のおまけ
ありんこトントンのおはなし   Vol.3
ありんこトントンは きょうだいのなかで いっちばん ちびすけ
だけど、いちばん まけずぎらいで いじっぱり
だれのいうことも ききやしない 
きめたがさいご トントン トコトコ とことん すすむ!

ありんこトントン ごみすてばで ケーキみつけた。すっごく おおきい。
「わあ、ベッドみたい。きっもちいい」ポンポン ふんわり よじのぼって、はねまわる。
「このフワフワの しろいの なんだ?」
ぺロッとなめたら トロントロン クリームだった。
「わあ、さいこう」クリームのなか ころげまわって なめまわる。
「よし、これ ぜーんぶ たべちゃおうっと」
やったやった!ピョンピョン ペロペロ おおさわぎ。
ところが、ズボッ!
ありんこトントン スポンジに はさまって あしが ぬけない。
おまけに なんだか おなかがいたい。たべすぎだ。ありんこトントン だいピンチ!
ウンウンうなってる ありんこトントンを にいさんありが みつけてくれた。
いちぞくそうでで ケーキは すあなに はこびこむ。
「ケーキなんて もう、たくさん。これっぽっちも みたくない。ゲップ」
ありんこトントン あいたた おなか かかえたまんま、
それでも まだ、ケーキのうえに すわってる!

「このケーキは ぼくのケーキだからね。たべるときは ひとこと ことわってよね」
ありんこトントン かの なくような こえで…、 さけんだ!イテテ



今月語ったおはなしと絵本
「きんちゃくひろったにわとり」      小3・小5・そして青葉おはなしフェスティバル2003
「さるじぞう」                大人・老人ホーム・小3
「いいないいな」絵本(福音館)     保育園   
「あくび」絵本(文渓堂)          保育園    
「赤い目のドラゴン」            小6         
「ひなどりとねこ」              保育園・幼稚園・大人「迷子のきなちゃん」大人    
「瓜姫コ」                   小6・大人
「ひとりおいでかあさんのところへ」   大人  「風の神と子ども」小低学年






10月に読みたくなっちゃった本
今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

ロンパーちゃんとふうせん

 酒井駒子
 白泉社
小さかったとき、ムーミンのぬいぐるみを自分の妹にしました。お誕生日に買ってもらったおしゃべりをするお人形が妹になったこともありました。仔犬や子ブタのぬいぐるみを群れなして毎日連れ歩いたこともありました。

 その時々でお人形が替わっても、小さかったころのわたしは、いつもお人形と一緒にごはんを食べて、ベッドに入り、その子の姉さんになって、あるいはかあさんになって、眠るときにはおふとんを肩までかけてあげていたのでした。
おままごとのおにんぎょさん、としてでなく、ずっと一緒にいる友だち、あるいは妹として、わたしの傍にいてくれる誰かさんが必要だったのかもしれません。

 これはきっと、わたしが一人っ子だったせいですね。わたしの二人の娘を見ているかぎり、ひとりになりたい気持ちはあっても、これ以上の誰かを求めているようには見えませんもの。二人が小さかったころだって、夕方家に帰ってくると、そのまま、おもちゃを引っ張り出して、結局倒れて眠るまで遊び続けていましたものね。
 わたしの方は、夕方お友だちとさよならしたら、それでもう、その日はおしまい!
後は、付けたしのような時間が流れていたに過ぎません。その付けたしの時間の中で、わたしは大事な誰かさんと語り、遊び続けていたのです。内なる自分に心がドンドン、向いちゃっていたのでしょうか。暗ったのかなあ。
 
絵本『ロンパーちゃんとふうせん』のどこに惹かれるのだろうと、ずっと考えていました。 
ロンパーちゃんは、街で風船をもらいます。「ゆびに くくってもらって」「ふうせんは ちゃんと ロンパーちゃんの おうちに これました。」
 風船を見つめるロンパーちゃんの目には、幼い日のわたしの目が重なってしまいます。『ずっと一緒にいられる誰か』を見つめる瞳。もちろん、風船は風船のまま、ロンパーちゃんに何も語りかけはしないのだけど、なぜか、ロンパーちゃんとの間だけに通じる会話を楽しんでいるようにも見えてきます。
きっと、わたしにとって、懐かしい時間の流れがこの絵本には詰っていたのですね。『付けたしのような』なんて言っちゃァいけない。一握りの淋しさも含めて、小さなわたしにとっては大事な時間だったのです。こんなに小さいときから、人は『自分と一緒にいてくれる誰か』を求めているのかもしれません。



10月のおはなし

  
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて
  誰かに語ってみてください。


神さまと小便 

『鈴木サツ全昔話集』
(福音館書店)より
むかす、あったずもな。
 あるとき、和尚さまと小僧っこと、それごそ、旅すたずもな。そしたらったずァ、小僧っこァ小便でたくなったずもな。さあ、小便でたくなったがら、「畑さたれべ」と思めば、〔和尚さまァ〕
「これこれぇ、小僧。そごには土の神さまがあるから、畑の神さまいだから、小便たれてァなんね」
ったずもな。そうすたっけ、がまんすてったずもな。して、今度ァいいくしぇ、行くがー、行くが、行ってば、川っこあったから、
「川さたれべ」
と思ったずもな。そしてば、
「こりゃ、小僧。そこには水の神さまいたから、小便たれてァなんね」
って言やれたずもな
 そして行ったったずが、和尚さま疲れで、松木の根っこさ、こうすて座って、ねぷかけ<居眠り>すはずめたずもな。そうすっとその小僧っこァ、松木のう上さあがったど。和尚さまの頭めがけて、ばつ、ばつ、ばつと、小便たれたどよ。
そしてば、
「こりゃあ、この小僧。なんで人の頭さ小便たれる」
ってば、
「和尚さまに頭の上に、かみさまがいねかった」
つったとさ。「なかった」つったとさ。どんどはれ。



10月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん16才 みなちゃん13才)
  
 ゆんちゃんは高校生、みなちゃんは中学生、女の子!二人は今日も一生懸命!人生は険しい!
一番うれしかった日
 「ああ、本当にうれしい!ママ大好き!どうしよう。ああ、ママ心からありがとう!」
こんなに素直に、おもいっきり喜ぶ人を、わたしはほかに知りません。みなちゃんはお誕生日のプレゼントを抱えて、スキップスキップランランラン。足取りも軽やか、満面の笑み、全身から湯気でも噴き出さんばかりに興奮しています。ここまで喜んでもらえれば、こちらも買った甲斐があるというもの。なんだか得した気分にさえなってきます。

 十月のおわりに、みなちゃんは13回目のお誕生日を迎えました。思い起こせばお互いにとって、なんと長かったこの二ヶ月。
 八月に入るとすぐ、みなちゃんはわたしに聞きました。
「ママ、もうすぐ来るの、なんの日だ?」
わかります!だってわたし、もう13年もこの子のおかあさんやってるんですからね。でも、もちろん、シランプリ!もうすぐ?さあ、なんの日かしら?
「もう、やだなあ、ママったら。もうすぐ、みなのお・誕・生・日だよ」
 そして、この日から始まっちゃったんですね。ああ、楽しみだなあ、お誕生日。ああ、いつ買ってもらえるのかな、プレゼント。ママ、アメ買って…、あ、やっぱりいい。もうすぐお誕生日だから。

 健気といえばあまりに健気、シツコイといえばあまりにシツコイ。ニ、三度はいい加減にしなさいと殴られはしたものの、本日!ついにみなちゃんは念願のプレゼントを手にしたのです。お誕生日は『物じゃないよ、心だよ』と言われるかもしれないけれど、これも、まあ、心ですからね。
ところで、みなちゃんが欲しかったお誕生日のプレゼントはなんだったのでしょう?ムフフ。答は…、内緒だよん。



今月のおまけ
ありんこトントンのおはなし   Vol.2
ありんこトントンは きょうだいのなかで いっちばん ちびすけ
だけど、いちばん まけずぎらいで いじっぱり
だれのいうことも ききやしない 
きめたがさいご トントン トコトコ とことん すすむ!

さて、あるひのこと、
ありんこトントン にいさんありと こうじげんばに やってきた。
かいぶつみたいな ショベルカーが くびもちあげて やまもりのつち はこんでる。
「すっごいなあ、あんなのうごかせるって すっごいなあ」
にいさんアリが いうのをきくと、まけずぎらいの ありんこトントン
どうしたとおもう?
ショベルカーのおじさんの ようふくのなかに はいこんだ。
こちょこちょ チクン、チクチク こちょ
すると、どうだい?
おじさん、わ!とさけんで、ショベル―カーのくび もちあげた。
それから、エンジンきって ショベルカーのなかで おどりだす。
いていて、ちくしょう!こんちくしょう!
ありんこトントン むねはって にいさんのところに もどってきた。
どんなもんだい。ショベルカーなんて 
うごかすことも、とめることも できるんだぜ。へん!



今月語ったおはなし
今月語ったおはなしと絵本
「はんぶんタヌキ」(本屋さん)
「ロンパーちゃんとふうせん」白泉社(地区センター)
「赤い目のドラゴン」(小6・おとな)
「死人の嫁さん」(小5・おとな)
「金色とさかのおんどり」(小3)
「瓜姫コ」(小6・中学生)
「めんどりかあさん」(保育園)
「きんちゃくひろったおんどり」(小3)
「さるじぞう」(小高学年)ほか
『サマーサンタクロース』
いつも、かわいがってくださってありがとうございます。
たくさんの人に読んでいただくために、未使用切手、テレカ、
なんでも!カンパのご協力おねがいします。







9月に読みたくなっちゃった本
  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

ぼくのおじいちゃんのかお

文  天野祐吉
写真 沼田早苗
福音館書店
 萩の花が散り始めました。家のガレージの上に、覆い被さるように枝を垂らしている萩の花です。さわさわと風になびく萩は、小さな花を枝いっぱいに次々咲かせ、それと同時に、次から次へと雨が降るように花を落とします。普段は枯らすのが専門、ほとんど植物の世話をしないわたしですが、萩の咲いている間だけは家を出る度、戻る度ホウキを手に落ちた花を集めます。
といっても、掃いている間にも、さやと風が吹けば、バラ バララ、さやさやと吹けば、バララ バラララ。際限なく降り続けるのですから、すっかり、きれいに掃こうなんて思っても無駄なこと。落ちてくる萩の花を、うとましく見上げても、これも無駄なこと。ただ、その時、自分の時間が許す間のみ、無心にホウキを動かすだけのことです。
 わたしの父は庭掃除が趣味のような人でした。休みの日や仕事に出かける前、時間がある限り草をむしって、ホウキで掃いて、ていねいに庭掃除をしていたものです。椿などはそれこそ、父が掃いてる傍から、ボタン、ボタン、と落ちるのですから、全部落ちてから取ればいいのに、と子どものわたしは思ったものです。
でも、あれは、庭をきれいにするための掃除だったのではないんだな、と今は思います。ただ無心に手を動かす時間、シャッシャと、ホウキが地面を擦る音だけが響く時間が、父は好きだったに違いありません。わたしが知りえなかった父の顔が、そこにあったのだと思います。
 時間というのは不思議なものです。父が亡くなって八年が過ぎました。いつも心にあるのに、口にすることのできなかった父のことを、今は懐かしく思い浮かべることができるのです。無心にホウキを動かして、萩の花を集めながら、父もこんな風であったろう、と懐かしく思い起こすことができるのです。シャッシャとホウキが地面を擦る音が、父の横顔を思い起こさせます。

 『ぼくのおじいちゃんのかお』は写真絵本です。おじいちゃんのいろいろな表情が、ページをめくる度に現れます。白黒写真のおじいちゃんの顔に、文章は赤い文字で。この赤い文字が白黒のおじいちゃんの顔にとてもよく似合っている。でも、それがよけいに、おじいちゃんのせつない部分を、際立たせているようにも感じます。写真に写っているのはおじいちゃんの顔だけなのに、おじいちゃんの人生もちゃんと、納まっているのです。




9月のおはなし
  長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて
  誰かに語ってみてください。をださない

       山椒とホーヅキ  『波多野ヨスミ女昔話集』 波多野ヨスミ女昔話集刊行会より

 とんとんむがしがあったでのう。
 ある畑ね、山椒どホウヅギが隣り合わせね住んでだったでがのう。ある日、山椒がホウヅギに言うだどさ。
「ホウヅギ、ホウヅギ、お前が色気がつぐころねなったら、俺が嫁にきてくたさいや。」
で、そう言うだでがのう。ホウヅギはその言葉が楽しみで、のう。早よ色づいでくればいいどもで思うとも、ながーなが青い玉のままで色づかねでがのう。したでば、山椒がそういうだど。
「俺、お前が色つがねうぢに、は、はじけでしもう。」
でで、そういうで、
「ほんね、お前ば嫁ね欲しがったがね。」
で、山しょうの実は、はじけでしもだでがのう。ホウヅキは、矢張り色つうだでば、隣りのホウヅキも色気づうで、やっぱりホウヅキのどげ、嫁にいったったどさ。それで、今でもやっぱり、あのホーヅギは ホーヅギのどげ嫁に行ぐったでがのう。
いっつがむがしがつっつあげだ。長門の長淵、ブランとさがった。
    



9月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん16才 みなちゃん12才)
   
ゆんちゃんは高校生、みなちゃんは中学生、女の子!二人は今日も一生懸命!人生は険しい!
 
きみたち男の子?
みなちゃんは学校から帰ってくるなり、ほーっと大きなため息をつきました。
「どうしたの?幸せが逃げるよ」
と、声をかけると、
「このごろ、みんな、あんまり遊んでくれないんだよ」
おやおや、これは、あまり穏やかでない発言です。心配になって詳しく聞くと、
「だって、みんな休み時間に木登りも、カン蹴りもしないんだもん」
ハイハイ、何事かと思ったら。もう、中学生ですからね。一般的にそれ普通です。
 さて、話はかわって先日のこと、息子さんにどうぞと、お菓子をいただきました。
「うちの子、ふたりとも娘なのよ」
と、お答えすると、
「だって、新聞(サマーサンタクロース)に息子さんのこと、書いてるじゃない?!」
あ、ウカツでした。ゆんちゃんみなちゃんが女の子だとも、男の子だとも書いてなかったものね。声を大きくして言いますね。うちの子、女の子なんです!
そうよねえ。男の子と自然に思い込んでしまうような事件が、我が家には飛び交っているんですものねえ。わかります。ちなみに、わたしも女の子です。
 さて、家に帰ってその話を娘たちにすると、みなちゃんが言いました。
「どうして男の子だと思ったんだろうね、おねえちゃんのこと。ちゃんと『スカートはいて』って書いてあったのにね」
これだもの。ご自身のことだとは、これっぽっちも思っていません。それ以来、みなちゃんはサマーサンタクロースの話題がでる度に、
「どうして、おねえちゃんのこと、男の子だと思っちゃったんだろうね」
とても、不思議そうに首を傾げます。
わたしとゆんちゃんも仕方ない、うーん、どうしてかなあ?腕組みして、考えることにしています。おまえのことだよ!とは、今のところ言えずにいます。
それでは、もういちど。下の子も女の子!なんです。どうぞ、よろしく。



今月のおまけ(ありんこトントンのおはなし) 

ありんこトントンは きょうだいのなかで いっちばん ちびすけ
だけど、いちばん まけずぎらいで いじっぱり
だれのいうことも ききやしない 
きめたがさいご トントン トコトコ とことん すすむ!

さて、あるひのこと、
ありんこトントン こうえんで おひるねしてる あかんぼ みつけた。
にんげんのあかんぼ。
そっと、あしのゆびに はいあがる。
プクプクしていて やわらかい。ぺロッと なめたら しおからかった。
そこで、ガジッと かじると、
プクプクのやつめ ビクッと うごいた。ホンギャー!
ありんこトントン プクプクから おとされて、
プクプクが トントンのうえに ドシン と おちた。ホンギャ、ホンギャ!
ああ、ききいっぱつ!ありんこトントン もうちょっとで つぶれるところ。
あたま きた!
しかえしだ。
ありんこトントン おひるねしてる あかんぼの くびのうえまで 
トントン トコトコ よじのぼり、
おっぱい こぼした おくちのまわり、ひとまわり ふたまわり ペロペロぺロ。
ついでに おみやげ ひとつ のこした。プリッ。
へん、どんな もんだい。ああ、うまかった。
ありんこトントン すっかり まんぞく。おなかさすって おりてきた。



おまけのおまけ

今月語ったおはなしと絵本
「金いろとさかのおんどり」(地区センター)
「すいか」紙(保育園、本屋さん)
「まんまるちゃん」パ(保育園)
「瓜姫コ」(中1)
「こわくないこわくない」童心社絵本(保育園)
「さるのにぎりめし裁判」(おとな)

『サマーサンタクロース』
いつも、かわいがってくださってありがとうございます。
たくさんの人に読んでいただくために、未使用切手、テレカ、
なんでも!カンパのご協力おねがいします。
   こが ようこ
おはなしのゆりかご(横浜市藤が丘地区センター)
おはなしのくに(横浜市奈良地区センター)
虹の部屋(横浜市山内図書館内) のメンバー
地区センター、保育園、小学校、中学校等で昔話を語っている
ホームページ、ミニコミ誌の絵本紹介コラムもお手伝い中!

バックナンバーの問い合わせはメールにて発行者まで






8月に読みたくなっちゃった本
今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

おばけのジョージー

ロバート・ブライト 作
光吉夏弥 訳

福音館書店
 
おばけの絵本は数々あれど、本当のおばけ、を感じさせてくれる本はなかなかないというのが、わたしの実感です。でも、ジョージーくんには本物のにおいがしますよ。彼は自分の仕事と、自分の時間をちゃんと心得ていて、むやみに人を怖がらせたり、ぐいぐい他人の生活に割り込んできたりはしません。しかも、おばけの誇りを持っている!おまけになんともかわいらしい。
 ニューイングランドのちいさな村には、きっと、こんなちいさなおばけが住んでいるに違いありません。怖がりのわたしでも、ジョージーくんとなら、一緒に住むことが…、うーん、やっぱり、怖いからこの先は言わない!

 6年生の夏休み、肝だめしをしました。クラスの男子が言い出して、担任の先生を巻き込んで、学校で肝だめしをしたのです。「学校で」というのがいいでしょ?トビっきり怖がりのわたしは行きたくないなあ、やめようかなあ、と葛藤しつつも、好奇心は恐怖心に勝っていたのです。参加しました!
 今より遥かに街は暗くて、夜の学校は校舎も校庭も真っ暗闇の中でした。その学校に集合し、ふたり組になって校庭だか、裏山だかをひと廻りしてくることとなったのです。場所の記憶が曖昧なのは、わたしが目をぎゅっと瞑ったまんま、耳は抑えて、親友の腕にぶら下がるようにして、その一周を果したからです。肝心の肝だめしの記憶は欠落してました。お恥ずかしい。
ところが、全員が戻ってくると、
「ぜーんぜん怖くなくって、つまんねえ」
と、男の子が言い出したのです。怖くなかったよね、ほかの友だちも言いました。え?そうだったの?怖くなかったの?なにも見てないわたしは、ただただ、クラスメートの顔を覗き込むばかり。
「よし、それじゃあ、教室でもう一度、やろうじゃないか」
先生のヤケクソの提案にみんなは歓声(悲鳴?)をあげました。ひとりずつ、4階の自分たちの教室の黒板に名前を書いてくることになったのです。コ・ワ・イ!わたしは潔く辞退しました。ちゃんと、身の丈を知っています。ハイ。
全員が戻ると、最後にみんなで黒板に書かれた名前を見に行くことになりました。わたしも再び、親友の腕にぶら下がって、上履きだけをみつめて階段を上ります。だって、ひとり残る方が怖いでしょ?

 さて、懐中電灯で照らされた教室は本当に怖かった。黒板に並ぶ皆の名前。行ってきたと言いながら、名前のない子もいたりして…。        
すると、先生が突然大声で笑い出したのです。どうしてかって言うと、一番強がっていた男の子が書いた自分の名前が、小刻みに震えていたから。ハハハ。皆も笑いました。彼はケッ、と横を向いたまんま。どんどんと笑い声は大きくなって、暗い夜の教室で、わたしたちはおもいっきり笑い転げました。皆の中に潜んでいた緊張の糸が、プチンと音立てて弾けたような笑いでした。
「怖かったねえ、おもしろかったねえ」
黒板の文字なんてどうでもよくなって、ただ、怖くて怖くて笑い転げたような気がします。怖いっていう感情はおかしいっていう感情を誘うモンです!ホント。
帰り道、わたしは親友の腕にぶら下がることもなく、肝だめしに参加した誇りをもって、皆とワイワイ帰ってくることができました。
だーれも、ついてきてなかったでしょうね。



8月のおはなし
  
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて
  誰かに語ってみてください。


神門(かんど)寺の蛙

               『日本の民話15』 岡山・出雲篇 未来社

「おばば、話してえー。」
「もうえっとして上げたけん、もうない。」
「やだ。やだ。もっとしてえー。」
「困ったことだの。そんなら神門寺の蛙の話でもしょうか。」「うん。」
「あのな。塩冶(えんや)の神門寺にな。大けな大けな池があってな。」「うん。」
「その池に蛙がえっぱえ(いっぱい)おるげな。」「うん。」
「その蛙がな。一つ飛んではギッタギタてて(と)いうげな。」「うん。」
「また飛んではギッタギタてていうげな。」「うん。」
「一つ飛んではギッタギタ。また飛んではギッタギタ、一つ飛んではギッタギタ、また飛んではギッタギタ、一つ飛んでは…。」
「わかった。わかった。そうからどげしたかね。」
「まんだ、まんだ。えっぱい飛ばなえけん(いけない)わね…一つ飛んではギッタギタ、また飛んではギッタギタ、また飛んでは…。」「もうええ。もうええ。」
                    はなし 石塚コヨ/再話 石塚尊俊

    



8月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん16才 みなちゃん12才)
   
ゆんちゃんは高校生、みなちゃんは中学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい!
 
三食昼寝なし

 ゆんちゃんのエライところは、朝昼晩のご飯をしっかり食べるところ。部活の朝練がある日には、ゆんちゃんは5時半に起きだして、わたしがお弁当作ろうと台所に下りていくと、もう、自分でパン焼いてボソボソと食べています。わたしなら5分でも長く寝ていたいと思うけれど、ゆんちゃんは朝ご飯を抜いたりしません!エライ。
さて、そのゆんちゃんにも夏休みがやってきました。とはいっても、相変わらず、部活の毎日。わたしは朝、主人を送り出してホッとひと息。今のうちに『サンタ』(この新聞)を書いてしまおうと考えていると、まだ、7時前なのにゆんちゃんが起きてきました。
「ご飯食べる」
「ええ?だって、今日は午後から練習でしょ。もうちょっと寝たら?」
ことばは優しいものの、なんとか自分の時間を確保しようと必死のわたし。

「でも、早昼食べて行くから、今、朝ごはん食べないとお昼ご飯が入らなくなる」
「大丈夫よ、若いんだから」           
少しだけでも今、書いときたい。『ゆんちゃんみなちゃん』に書くことだって、まだ、決まってないし…、頭の中は『サンタ』でいっぱい、ちょっとイライラ気味のわたし。
「ところで、ゆん、早めのお昼って何時に食べたいの?」
「10時半」
「え?」
わたしは耳を疑いました。なんなんだ?いったい!そりゃ、お昼って言わないでしょうよ。でも、おかげで『ゆんちゃんみなちゃん』のネタは確保できちゃった。
と、いうわけで、朝ごはんにしてあげました。食べるとご機嫌、ルンルンのゆんちゃん。書くことが決まるとご機嫌、ルンルンのわたし!
 しあわせな一日が始まりました。






7月に読みたくなっちゃった本
  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

しんすけくん


谷川俊太郎・作
大久保千広・写真
サンリード
 見渡す限りのレタス畑、その遥か向こうをぐるりと囲む蒼い山々…。
小学校4年生の夏を、わたしはひとり、おばあちゃんの家で過ごしました。ひとつ年上のきみ子ちゃんと2年生だった秀一くん、そこにわたしが加わって長い夏休みを過ごしたのです。
夏毎に訪れていて、よく知っているつもりだった風景なのに、自分がその一員となると、まったく、違う色に見えてくる、その感覚を今も忘れることができません。でも、そんなことよりなにより、目下の課題は「生っちろい都会モン」と、呼ばれないことに、全神経を集中させていたのだけれど。

 小学校のプール開放に行きました。あれ、男子校だったっけ?と、目を疑います。だって、水着の子がいないんだもん。全員海パン!5年生までは海パンでいいんだよって、キミ子ちゃんが教えてくれました。男の子も女の子も関係ない!真っ黒い背中をお日さまにさらして跳ねています。かっこよかった。
 夜は、キミ子ちゃんご自慢の子ども部屋で寝ました。紛れもない屋根裏部屋!二階の物干し場から、家の外側に付いている(!)細いはしごを登ると、だだっ広い田舎の家の屋根裏に出ます。むき出しの太い柱、所狭しと資材が置かれ、肥料か何かの袋が積まれている。その隅に大きなベッドが、デン!と、ふたつ並んでいるだけ。その一角だけを照らすように裸電球が揺れていました。これが子ども部屋。どうです?すご過ぎるでしょ。
「おかあさんは上がってこれないんだよ」
キミ子ちゃんは満足そう。闇はどこまでも広がって、昼間は決して姿を見せないであろう者が潜む場所もいたるところに広がっていて…。きみ子ちゃんはベッドの上に、少女マンガを山と積み上げてくれました。男の子の噂話をして(わたしよりずっとおませだった)、それから、そのマンガの本を、空が白んでくるまで、二人してむさぼるように読み耽りました。特にわたしは、闇に目を凝らすことがないように、夢中を装ってね。

 昼間はキミ子ちゃんの友だちと一緒に遊びます。
「こんにちは、よろしくね」
なんて、あいさつはなし。彼女らはわたしの方に、ちょっと目を移しただけで、すぐに自転車をこぎ出します。こちらは置いていかれちゃ敵わない。慣れない砂利道を必死で飛ばしてついて行きました。山は必死でよじ登る。カエルは手づかみ、トマトはずぼんでキュッキュッとふいてまるかじり。それから、ここでも男の子の噂話(やっぱり、お友だちもずっとおませだった!)。

 そんなふうにして、4年生の夏を夢中で過ごしたのです。色だけはぴっかぴかに黒光り、いっぱしの田舎の子どもになって、すっかり、たくましくなったわたしは、もう、ヘビだって、雷だって、お化けだって(ウソ)こわくない!両親が迎えにくることになっていた日も、「もう、前のわたしじゃないもんね」と、遊びまくっていたのでした。

 夜になって、砂利を踏みしめる音をたてて、父の車が庭に入ってきます。待ちかねた家中の皆が玄関に飛び出して行きました。
「いやあ、ご無沙汰してます」
父の声をかすかに聞いたその途端、涙がでてきて、成長したはずのわたしはトイレにひきこもったのでした。10分も出られなかった!

 一番好きな本はなんですか?と聞かれたら、『しんすけくん』と答えてしまいます。子ども時代(そんなもんがあるとすれば)が、まるごと詰まっている気がするから。
「しんすけくん」は絵本の中でどんどこ自分をさらけ出し、その潔さに引き込まれているうちに、ついつい、こちらまで自分のことをさらけ出したくなるのです。
 おお! 子どもっていうのは、ひとりひとりちっぽけだけど、その中になんと、でっかいもんが詰まっているのかとおもわずにいられません。さて、大人のみなさん、ここで問題です。大きな地球とぼくのへそ、どっちがでっかい?答えは『しんすけくん』が教えてくれます。

おまけに、この絵本にはマニアックな贅沢がいっぱい詰まっているのだ。 ウフ。



7月のおはなし

  
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて
  誰かに語ってみてください。


とっつかばとっつけ     『日本の民話15岡山・出雲編』
                               未来社より       
とんとん昔がありましたげな。
あるところに正直なじいさんと欲深のじいさんとがありましたげな。
ある日、正直なじいさんが山へしばかりに行きましたげな。そうしたら林の中から、
「とっつかか(とりつこうか)、ふっつかか(ひっつこうか)」
というものがありますげな。正直なじいさんが、
「とっつかばとっつけ、ふっつかばふっつけ」
と言うと、ベタベタッと大判・小判がいっぱい体にひっついてきましたげな。それで正直なじいさんはたいへん金持ちになりましたげな。 
 ところが、これを聞いた欲深のじいさんは、
「よし、わしもやってやりましょ」
と思って、ある日わざわざ山へ行きましたげな。そしたらやっぱり林の中から、
「とっつかか、ふっつかか」
と言うものがありましたげな。そこで、欲深じいさんは、さっそく、
「とっつかばとっつけ、ふっつかばふっつけ」
と言いましたげな。すると、ベタベタベタッ、と松やにがいっぱいとんできて、欲深じいさんはからだ中やにだらけになってしまいました、と。
                        話者 高田律子/採集 石塚尊俊                   




7月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん15才 みなちゃん12才)
   
ゆんちゃんは高校生、みなちゃんは中学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい!
 
ねん ねん 寝袋

 みなちゃんは、廊下で寝ています。キャンプ用の寝袋にくるまって、二階の廊下に寝ています。なんでかな?昨日の夜もみなちゃんは、廊下に寝ました。気持ちよさそうに寝袋にくるまって、二階の廊下で寝てました。
なんでだろ?
特別な理由があるわけでもなさそうです。もちろん『罰ゲーム』!なーんてものである筈もありません。
おもいついたように、
「寝袋で寝たいなあ。廊下に寝てもいい?」
と、何日か前の晩、聞いてきたのです。特に、いけません!と言う理由がみつかりませんでした。その晩からみなちゃんは廊下での寝袋生活を続けているのです。

わたしはフト考えます。この「いけないという理由もないしねえ」という、わたしの安易な態度が、今のみなちゃんを造ってしまったのでしょうか。ここはがーんと一発、いいも悪いもない、自分の部屋があるんだからそこで寝ろ!というべきだったのでしょうか?そうよねえ、みなちゃんが起こす様々な出来事は、わたしの子育ての曖昧さからきているのかも。でもねえ、フウ。わたしは溜息ついて、自分の子育てを深く深く見つめ直し始めたのでした。当のみなちゃんと言えば、そんなことにはおかまいなく、廊下で安らかな寝息をたてています。

 一週間ほどして、みなちゃんは、すっかり満足!といった笑顔で、寝袋をクルクル巻き始めました。
「ああ、気持ちよかった。今日からはお部屋で寝ようっと」
晴れ晴れとした笑顔で、自分の部屋に戻っていきます。
わたしの子育てってなに?これでよかったのかしら?フウ。わたしの方は、いまだ、迷宮から抜け出すことができずにいます。なんでかな。






6月に読みたくなっちゃった本

 今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

バムとケロのにちようび

島田ゆか
文溪堂
実はまだ、バムケロ(バムとケロ)シリーズを読んだことがないのと、告白したわたしに、
「うん、あの世界には足を踏み入れない方がいい、ムフフ」児童書に妙に詳しい友人が不敵な笑みを漏らしたのが数ヶ月前。『ハマルと抜けられない!』というのが、彼女の意見です。その忠告に従わず、足を踏み入れてしまいました。ほーんの入り口ですが。彼女のムフフ、の意味が今わかりつつあります。(お、こんなところにもケロちゃんが…、と新たな発見に胸躍る日々)

さて、今回は、小さかったゆんちゃんみなちゃんのおはなしをします。
昨日のお熱は下がったけれど、今日はシトシト朝から雨降り。ゆんちゃん大事をとってお休みしましょうよと、幼稚園休ませました。
「今日お休みしますって言ってくるから、おフトンに入っていてね」
こんな雨の日はのんびり過ごすのも悪くないなあ。絵本でもゆっくり読んであげよう。久しぶりにケーキでも焼こうかな。と、どこかウキウキした気分で家に戻ると、
「おかえりなさーい」
病み上がりとは思えない元気なゆんちゃんの声が返ってきました。顔上げると、ありゃ、それはいったいなんのマネだい?
ゆんちゃんは、わたしのフレアースカートをドレスにして、頭にティアラ、でっかいイヤリングをブラブラ揺らして、廊下に飾ってあるホコリかぶったドライフラワーを胸に抱いて、玄関に出てきました。みなちゃんはドレスの代わりにエプロンを巻きつけられ、ぼさぼさ頭にカチューシャ二つ、ハートのネックレスを首からぶら下げ、ほっぺたは、なんと!マジックでクリクリと赤ーくお化粧。どうしたの?キミたち??
「おひめさま」
「おしめさま」
ああ、ゆんちゃんには、是非とも幼稚園に行ってもらうべきだったと、後悔したときには時すでに遅し。『ゆんおひめさま』と『みなおしめさま』は共に手をとり、さあ、まいりましょうと、白馬の王子様を探す旅に出かけてしまったのでした。わたしの描いたしっとりとした雨の一日はどこへ行ってしまったのでしょう。もう、ほおっておこうと、残っていたお茶わんを洗い始めると、
「ママも、おしめさまになる?」
いえ、結構ですと、黙々と洗い物続けるわたしのかかとに、なにやら冷たい感触が…。かかとからズンズン緑マジックの茎が伸び、葉っぱを広げ、わたしのひざっ小僧に大輪のヒマワリが咲きました。
「ママ、森ね。きれいな森だから大丈夫。ほっぺも塗ってあげようか?」
いえ、コケこっこー。丁重にお断りしたわたしを尻目に、二人の『おしめさま』は背中にぬいぐるみをくくり付け、ダンスを踊り続けています。けっきょく、最後には二人のリクエストに答え、わたしは王子様となって、華々しいレビューを踊ったのでした。

夕方になって、ゆんちゃんは雨上がりの空を見上げます。明日は幼稚園に行けるかなあ。ええ、ええ、絶対行ってもらいましょう。  

夕焼け空が、さあ、明日からもまた、賑やかな日々が始まりますよと、告げています。
バムケロくんを見ていたら、とうに忘れていた十年も前の雨の一日が、甦ってきたのでした。絵本ってそういうもんです。ちなみに娘と楚々とケーキを食べるような、しっとりと落ち着いた雨降りの休日には、今もなかなか出会えません。




6月のおはなし
  
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

くつひきとかに      『一寸法師・さるかに合戦・浦島太郎』
関敬吾 編 岩波文庫より       
                    
 くつひき(蛙)とかにとが道で遊んでいた。向うから馬がやって来た。かにが「あの、向うから馬が来よる、石がけのなかへはいっちょろう」というた。くつひきは「おらあかまん、三間とぶきに」というていた。かにが石がけのなかに入っていると、まもなく馬がやってきた。とぼうとしているくつひきを踏みつけてしもうた。かにが「ほりゃ見よ、踏まれるというちゃらぁ、目もなんもとび出たじゃないか」というた。くつひきは「そうじゃない、おらぁめめちょる(にらんでいる)ところじゃ」というたそうである。

                          高知県香美郡




6月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん15才 みなちゃん12才)
ゆんちゃんは高校生、みなちゃんは中学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい!
 
マーブルチョコレート 
マーブル マーブル マーブル マーブル マーブルチョコレート(ご一緒に!)
マーブルチョコレートというと、紙でできた筒型の箱を思い出しますが、先日買ったのは、小さな袋入りのマーブルチョコレートでした。小袋の8つ入り。
 とくに、隠すつもりもなく、冷蔵庫の隅っこにしまいました。とくに、隠すつもりもなく、たまご豆腐のパックでブロック。だって、だって、こうでもしないと、みなちゃんが、あっという間に食べてしまうからです。お菓子をほかの食材でブロックするのは、わたしの悲しい習慣となりつつあります。
 ところが、今回は三日たっても、誰も、マーブルチョコレートの存在に気付きません。
おや、好きじゃなかったっけ?と、思い始めた四日目に、ゆんちゃんが発見しました。
「わあ、マーブルチョコレート。みなちゃんには内緒にしようっと!」
と、いうわけで、この大人気ない母と長女は、いったい何日目にみなちゃんが気づくのか、見守ってしまうことにしたのです。お、なんか楽しくなってきましたよ。
さて、五日が過ぎ、みなちゃんは冷蔵庫を開けるが気づかない。シメシメ
六日が過ぎ、みなちゃんは冷蔵庫を開け、ラッキョウを食している。フフフン
とうとう一週間が過ぎるが、みなちゃんは冷蔵庫を開けもせず、部屋にこもっている。あれ?
「みなちゃん、どこか 悪いのかなあ」
なんとなく心配になっているところに、みなちゃんが、ついに、ゴミ箱からマーブルチョコレートの空袋を発見。
「ママ、どういうこと?どうして教えてくれないの」
怒っている!うーん、だいぶ、みなちゃんらしくなってきましたよ。
「だって、いつものみなちゃんだったら、すぐ、気がつくでしょ。様子を見てたの」
だんだん後ろめたい気分になって、小心なわたし、素直に謝りました。ごめんね。
                           (裏ページへ)
ところが、みなちゃんは腰に手をあて、まったくもう、お子ちゃまだなぁ、二人とも、と わたしたちを鼻で笑います。
「なーんだ、そんなことだったの?それよりさ、ママ、テナーサックス買って」
え?
テナーサックスというと、あの楽器の?20万近くする?
「そう、それが、この三日間セールなの。十数万で買えるんだ」
そうです。みなちゃんは吹奏楽部に入って、今、テナーサックスに夢中。学校から楽器を借りてきては、窓締め切って、フトンかぶって、プープカプーと練習してます。お菓子なんてそっちのけ。この数日来、インターネットと楽器屋さんのカタログで研究していたらしいのです。
いやン、マーブルチョコレートで堪忍してくださーい。






2003年 5月
今月読みたくなっちゃった本
今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

ちゃんと たべなさい

ケス・グレイ/文
ニック・シャラット/絵
よしがみきょうた/訳
小峰書店

その季節が巡って来ると、手にしたくなる食材がいくつかあります。わたしの胃袋も食べたい食べたいと言っていますが、わたしの手が、どうです?今年もいっちょやりましょうよと腕まくりするのです。

タケノコもそのひとつ。春がきて、八百屋さんの店先で、ちょんと右向いたり、左にわずかにカーブしたタケノコを見ると、寄ってらしてンと手招きされているようで黙って通り過ぎることができません。家に帰って、一番大きな鍋を取り出して、厚い皮をべリベリとむく。わずかに包丁で切れ目を入れて、糠と一緒に茹で上げます。タケノコ特有のツンとした香りが家中に満ちて、茹で上がったばかりの湯気上げてるところをちょいとお味見。

口の中にタケノコの香りが広がると、この季節がきたんだなあ、とわたしの腕も胃袋も満足します。
 さて、娘たちが小さかった春の日にも、タケノコ茹でて、タケノコご飯作りました。夕方になると娘の機嫌が悪くなるので、三時ころからお夕飯の準備して…。ご飯の炊き上がったいいにおいがして、うまく炊けたかなと炊飯器覗いていると、ちょうだいちょうだい。
娘がわたしのトレーナーの裾を引っぱります。そこで、小さな小さなおにぎり作って手の平にのっけてあげました。
「おいしい おいしい」
娘はその小さなおにぎりを、両手で包むようにして、おいしそうにシャリシャリと食べる。そこで、わたしは思い出します。そうだ、しらすも買ったんだ。
「今日はパックに入ってるんじゃないよ、お手て出してごらん」
両手を重ね合わせたお皿の上に、魚屋さんの三角形に折った新聞紙の中から、しらす摘んでのっけてあげます。娘はそのまま両手を口に運んで、これもしあわせそうに食べる。
「おいしい おいしい、お味見 お味見」
 その笑顔をみると、つい、ひじきも炊き上がったよと、これもお手てのお皿にのっけてあげる。
「おいしい おいしい、お味見 お味見」

まったく、『お味見』ということばは、なんて優しい響きなんでしょう。お行儀がよくないのは百も承知!でも、重ね合わせた小さな手のお皿に、出来たてのお料理をちょんとのせてあげる度、お料理したことのしあわせを感じます。差し出された娘の手の平からは、食べることのしあわせが伝わってきます。
「お味噌汁にもタケノコ入れたんだよ」
少しよそると、娘はお椀に頭突っ込むようにして、ふうふうを繰り返す。
「おいしい おいしい、お味見 お味見」
結局わたしたちは、台所に座り込んで、おなかがいっぱいにふくれるまで、『お味見』を繰り返しました。
お手てのお皿は、あの春の日を覚えてくれているかしら。食べることの楽しさを覚えてくれているかしら。そんな想いも手伝ってか、春が来て、店先でタケノコを見かけると、あの麗しのカーブを買ってしまうのです。

絵本『ちゃんと たべなさい』は、デザインがとてもポップ。見ているだけで楽しくなります。見返し(表紙の次のページ)もステキ。かわいらしい緑のドット模様です。でも、もしかして、これはデイジーちゃんが嫌いな、おまめの大群なのかもしれませんね。
デイジーちゃんはおまめが大っ嫌い。おかあさんは食べてもらおうと必死です。でも、何があったって嫌なもんはイヤなんだ!おかあさんも実はそれを知っているのか、説得力がいまひとつ。ああ、デイジーちゃんも日本の食を知っていたら、もっと自然に、おいしい法則をみつけられたかもしれないのにねえ。お味見はおいしい! 







5月のおはなし
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

馬追い鳥            『聴耳草紙』佐々木喜善/筑摩書房         
                    
 ある所に、一人の馬放童(うまはなしわらし)があった。
毎日毎日多くの馬を連れて山へ野飼に行った。
ある日夕方になったから、これから馬を呼び集めて家へ帰るべと思うと、馬がなんぼしても、一匹不足した。
ああほオ、あほほオとあちらこちらを向いて呼んで見ても来ないし、沢へ下りて尋ね、谷さ廻って探し、峯長嶺を越えて探してもなぞにしてもその馬が見つからなかった。
童は家へ還ることができない
。帰ったら旦那様に叱責られるのであった。
そこでなぞにしても見つけべと思って、山の奥へ奥へと深く入って行って、 ああほウ、ああほウと一生懸命に呼んで歩いた。そしてとうとう魂が尽きて鳥になった。
それは今の馬追い鳥だという。
今でも春五月頃になって山々の若葉が伸びて来ると、深山の中でその鳥がちょうど郷の童らが馬を呼ぶような声で啼いている。



2003年 5月
ゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん15才 みなちゃん12才)
   ゆんちゃんは高校生、みなちゃんは中学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

チャリ通


高校になって、ゆんちゃんは自転車通学、俗にいうチャリ通です。朝5時半に起きだして、キコキコと自転車飛ばして20分。バスケの朝練に励み、授業中はたぶん寝て、早弁をし、また少し寝て(たぶん)、お弁当を食べ、多少は授業にも耳をかたむけ(?)、それから部活。自転車こいで家に戻るのは8時過ぎ。さすがに食欲も減り、廊下だろうがどこだろうが、辺り構わず倒れて寝てます。そりゃ、そうでしょうとも。
中学時代のバスケもハードでしたが、高校ともなると部活はさらにハード。わたしもさすがに、体を心配してしまいます。

 こんなこと続くんだろうかと様子見てると、週明け出かける時間になって、
「わたし学校行けるかな」と、制服姿で二階から下りてきました。これは、いよいよグロッキーかと目を上げると、ものすごい荷物引きずっている。土曜、日曜と試合で持ち帰った様々な部活の用具を前に、本人も考え込んでいます。

 さて…と、教科書が詰まった学生かばんは背中に背負い、ジャージの入ったデイバックはお腹に背負い、左肩に応援グッズの入ったどデカイ紙袋かけて、もうひとつ大きなビニル袋を肩から斜めにかけて、ヨッ!平成の軽業師ゆんちゃん誕生!しかも、マウンテンバイクなので、スカートはいて立ちコギとござーい!いやあ、たくましい。頭が下がります。

でも、今日からは中間テストだもン。わたしはゆんちゃんに頭下がるけど、ゆんちゃんは肩下げて帰ってくることのないように。たのむよオ!






2003年4月
今月読みたくなっちゃった本

  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

デイビットがっこうへいく

デイビッド・シャノン さく
小川仁央 やく
「デイビッド!」「デイビッド!」「デイビッド!」やることなすこと先生に注意され、
それでもまた、デイビッドはやっちゃいます。学校でしてはいけないことを!溢れんばかりのエネルギーがそうさせているのです。何にもかにも一生懸命、夢中になっちゃっているんですよね。これも「ひたむき」と呼べるはず。この元気なデイビッドが大好きです。

子どもが元気だと、先生も元気になります。先生が元気だと、子どもはもっと元気になります。そして、壮絶な戦い!が繰り広げられる。両者、ぜいぜいと肩で息し、なんでこんなことになるのかと疲れ果て…、でも、そういうのって「生きてる」って感じがするじゃありませんか?よし、明日も学校に行こうってそんな気になる。
「デイビッド」がいる学校へ行こう!

さて、わたしのクラスにデイビッドはいたでしょうか?少なくとも、わたしはデイビッドではなかった。
給食のカレーうどんが大嫌いでした。ごめんなさい。でも、「カレーにはご飯」しか知らなかったわたしには、カレーうどんは想像を越えたメニューだったのです。小学校1年生のとき。それがきっかけで、カレーうどんに限らず、3時間目くらいに給食室から調理のにおいがし始めると、真っ青くなってぶっ倒れちゃうようになったのでした。そして、毎日保健室に担ぎ込まれる。もう、学校に来なくていいですよ、と先生に言われました。

特に理由もなく、学校に行きたくないとぼんやり思って、頭が痛いと休みました。小学校4年生のとき。なんだかいろんなものが色あせてしまったようで、何日間か何もしないで、アニメの「ニャロメ」を見て過ごしました。ニャロメを見ながら、わけもなくボロボロと泣きました。ニャロメなんてつまんない、と毎日テレビ見ながら泣きました。

ああ、人生っておもしろい!そんなわたしが、いったいどうして、こんなに人に会うのが好きな!人前に出るのが好きな!おしゃべり好きの!おばさんになっちゃったのでしょう(泣き虫は相変わらずですが…)。なんにも決め付けることはないんだなと思います。わたしが変わったわけではなくて、いろんな「わたし」が、その時々に顔を出しているのだろうと思うのです。意地悪なわたし、泣きべそのわたし、孤独の淵から抜け出せない一人ぼっちのわたし、いろんな自分がその時々に、顔を出しているのだと思うのです。そして、そう思うとなんだか楽チン。

子どもたちは今日も学校へと向かいます。4月は始まりのときですね。いつもの3倍ほどもテンション高く、大きな荷物は文字通り引きずって、抱えきれなかったのか、防災頭巾なんか頭にかぶっちゃったりしてね。おはし箱がカチャカチャ鳴る音や、げた箱でスノコをパタパタと鳴らす音を想像すると、今のわたしは楽しくなります。靴取り出すときの、砂埃がモワッとした感じも懐かしさに満ちて心に蘇ります。4月にワクワクしている子どもたちも、心に憂鬱を抱いている子どもたちも教室へと向かってほしい。デイビッドがいる教室へと向かってほしい。

今日も一日が始まります。今日も、自分の中の「どこかの自分」が顔を出すというわけです。なんにもないよりか、何かあった方がずっといいんだよ!と、デイビッドくんのはにかんだ笑顔が、言っているようですらあります。

2003年4月
今月のおはなし

  長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて
  誰かに語ってみてください。

しじゅうから        

 『雪の夜に語りつぐ』笠原政雄 語り 中村とも子 編 福音館

 しじゅうからて言う鳥はね、うそばっかりいうてるがんだ。
 だすけ、うそつきの人を「千三つ、万から」だとか、「しじゅうから」ていうんだと。
 しじゅうからは、
「一筆啓上つかまつる。こんどのたよりに金十両、やりたいけれども、一文もござらんそうろう」
て鳴くてがんね。
 金、くれるようなことをいっちゃあ、くれないで、うそばっかりいうてるので、「しじゅうから」ていうなまえをつけたんですと。
 いきがポーンとさけた。
 
 「しじゅうから」とは、いつもほんとうのことは一つもなくて、「始終からっぽ」
 ということ 古賀:注 
2003年4月
ゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん15才 みなちゃん12才)

   ゆんちゃんは高校生、みなちゃんは中学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

超目玉
 
グレープフルーツの皮をむいて、ひと房ひと房タッパーに並べてねと、みなちゃんにお願いしました。そうそう、片付けが楽なように、まず新聞の広告をテーブルに敷いて。あれ?何故かみなちゃんは広告を厳選し、重なり合わないよう、微妙にずらして並べています。そうでした。みなちゃんは今、新聞の折込み広告に夢中なのです。きっと、広告眺めながら作業するつもりなんでしょう。

 思い起こせば、スーパーの広告に夢中だったころは可愛いいものでした。
「このダンベル安い。買っちゃおうかな」なーんてね。何したいんだか、健康器具に見入っていました。
それが今じゃ、電気屋さんとパソコン関係の広告に目をこらす日々。
「お!この液晶画面(パソコン用)、先週より安くなってる。こりゃ、買いだね」とか、
「わ!このラジカセ、○○電気より五百円安い。しかも、限定三十台。ママ、並んどいて」
とか、本当にわけのわからない、おじさんみたいな子どもになってる。
 しかも、主人が、
「フっ、甘いな。高くてもオーディオとしては、こっちのブランドが上なんだ」とか、デジカメは画素数が命だとか、ランを飛ばすことを考えるとこっちのパソコンの方がいいとか教えるものだから、現在、みなちゃんの脳みそは、せっせせっせと広告解読の技術を、そのヒダヒダに織り込み続けているというわけです。英語や数学をしまう場所はどんどこ手狭になっています。

 先日、わたしが家に戻ると、床に広告ばらまいたまま、みなちゃんはお昼寝していました。やだやだ、広告見ながらお昼寝なんてどんな子どもだろうと、広告を拾い集めると、なんと!住宅の広告でした。そこまできたか!家の近くが売り出していたとか、建築条件付だった、なんてやたら詳しいと思っていたんだ。グレープフルーツむきながら、みなちゃんは住宅の広告見ています。というより、住宅物件の比較をしながら、グレープフルーツつまんでいる、というのが、正しい表現かもしれません。やだやだ。

2003年3月
今月読みたくなっちゃった本

  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

赤い目のドラゴン

リンドグレーン/文
ヴィークらんど/絵
ヤンソン由実子/訳
 岩波書店

 
上の娘が小学生のとき、わたしたちは彼女の通う小学校の真向かいに住んでいました。台所の窓を開ければ体操着姿の子どもたちが見え、出掛けようと玄関を出れば、向かいの教室から「おばさーん」と、知った顔が手を振ってくる。子どもたちの歓声に日々包まれて暮らしていたのです。三つ編みをピョンピョコ揺らして、無邪気に遊んでいた娘のクラスメートたちが、音立てんばかりに大きくなって、やがて、はにかんだ笑顔を見せる最上級生となっていく様を、我が子のそれと同じように目の当たりにしてきました。

 さて、最上級生となり、半分大人の顔を持ち始めた彼女たちは、その実、とにかく、よく遊ぶ子どもたちでした。健全で健康な外遊び集団!砂埃の嵐の日も、夏の最中も放課後の校庭を駈け回り続けました。最上級となった女の子たちが、毎日毎日『マンホールふみ』(缶けりのような鬼遊びの一種)です!それは、流行ったとか、ブームだったとか、そんなことばでは片付けられない勢いのあるものでした。まるで、来るべき何かに向かっていくように、彼女たちは体と頭をフルに使って、体よじって、汗だくで遊び続けたのです。線引きなどできるはずもない『子ども時代』に、終りがあるということに気付いていたみたいに。

中学生になったらたっぷり遊べるんだから、今は少し勉強しなさい、と言うわたしに向かって、ある日娘は言いました。
「中学に行っても遊べるのはわかっているよ。でも、こういう遊びは今しかできないのを知ってる。だから、今、こうやって体を使って遊びたいの。」真っ直ぐに言い放って、お日さまの降り注ぐ真夏の校庭に飛び出していきました。
 彼女たちは、懸命に遊び、そして、ひとつの季節が終わったように、桜の咲くころ、各々の制服に身を包んで、それぞれの道へと巣立っていきました。

卒業
       さよなら三角 またきて四角

きのう くぐった この門が
きょうは なぜだか くぐれない
       
       今まで 何百 くぐっていても
あしたも 遊ぼと 約束しても
それじゃあ またねと 指きりしても

       きのうは くぐれた あの門が
       妙に とおくに 移ったようで
       知らない 誰かさんちに なったみたいで

こそばゆくって、恥ずかしくって、照れくさくって、
くって くって くぐれない

子どものころ、何かに夢中になったことはありますか?何かを懸命に育てたことはありますか?『育む』ということばが合っているかもしれません。
アストリッド・リンドグレーンの『赤い目のドラゴン』を読む度に泣いてしまいます。
子どもたちを前に語っていても、熱くなる想いを抑えることができません。わたしにとってのドラゴンは何だったのかしら。あるいは、目の前にいる子どもたちの中には、どんなドラゴンが住んでいるのかしら。ドラゴンに出会うことがあるかしら。そう思うだけで、胸が熱くなるのです。
 すべてはひとつところにとどまらない。人はそれをぼんやりと感じていて、それでも、その永遠を信じて、生きているのかもしれません。



2003年3月
今月のおはなし

  
 長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて
  誰かに語ってみてください。

観音さまとぼた餅      
『むがす あったづぉんな ほれ』 みやぎ民話の会

 むがす、あったづぉんなあ、ほれ。
和尚さまがね、檀家めぐりにいって、ぼた餅を重箱でいっぺえもらってきたんだとね。和尚さま、小僧さんたちさ食せねで、客殿の観音さまにお供えしておいて、また檀家めぐりに行ったんだと。そしたら、小僧さんたちね、
「あのぼた餅、なんとかして食いでなあ」と思って、考えたんだと。そうして、ぼた餅、みんな食ってしまって、観音さまの口のあたりさ、あんこをぬたぐっておいたんだと。
 そこへ、檀家めぐりがおわった和尚さま、帰ってきたんだと。
「なんだ、ここさお供えしてたぼた餅、さっぱとなくなったでや。おまえたち、食ったんだべ」つったんだと。
「なんだ、食ねえたって、なぐなったんでないが」
「ほんで、観音さま、食いすたべ。見でけらいん。観音さまの口さ、あんこ、つかってだから」
 和尚さまがみたら、やっぱり観音さまの口に、あんこがつかってたんだって。そしたっけ、和尚さま、
「んで、観音さまに聞いでみっから」ってね、打ち木ならしたんだと。したっけ、
    クワーン、クワーン
って、なったんだと。
「なんだっけな、観音さま、食わーん、食わーんって申す。食ねえずでや。こりゃ、おまえたち、食ったんだべ」っていわれでね、とうとう小僧さんたち、食ったのがわかられたんだとやあ。
 こんで よんつこ さげたどやあ



2003年3月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん15才 みなちゃん12才)

   ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。
 
しかしらへん

 最近テレビは再現ドラマばやり。何かで成功した人をクローズアップしてドラマ仕立てで再現する番組が増えています。ゆんちゃん、みなちゃんと一緒にバラエティ番組に組み込まれたそんなコーナーを見ていました。今日はホイッスル作りの名人さんの成功秘話。

画面の中の名人さんは一歩一歩着実に、ホイッスル作りへの道を歩んでいきます。
と、突然、ナレーターは声を大にして、「しかーし」と、叫んだ!字幕付き、映像は白黒となり、音楽もジャジャーンと悲痛な音を奏でている。テレビの中の名人さんは頭を抱えているじゃありませんか。どうやら、壁にぶち当たってしまったようですねぇ。
すると、ゴロリと床に寝そべって、テレビ見ていたみなちゃんが、むくりと起き上がってつぶやきました。

「ママ、今、しかしらへんだな。」

なんだ、そりゃ。

「しかしらへん」というのは、「ここら辺」と同じ用法で、まあ、「人生の中の『しかーし』の辺り」という意味なのだそうです。もう、説明がややっこしいったら。わたしが体壊して、もう半年近くも痛い痛いと、騒いでますからね。壁にぶち当たって、身悶えしているように見えたんでしょう。まあ、事実です。

 それから、みなちゃんはテレビを見つめ直し、
「でも、大丈夫。しかしらへんの、もう終わりのほう」
そう言って、再びゴロリと床に寝転びました。
 なるほど、テレビの中の名人さんは、「しかーし」を乗り越え、より大きくはばたいて、見事成功を手中に収めたようです。明るい音楽が流れ、名人さんは、スローモーションで頷きながら、声高く笑っているではありませんか。

 なーんだ、人生で成功するのは、みなちゃんだけかと思っていたら、なんとわたしも、「しかしらへん」を乗り越え、もう一花咲かせて成功するらしいのです。乞うご期待。
2003年2月
今月読みたくなっちゃった本

  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

おいしいもののすきなくまさん

=ちいさいモモちゃんえほん=
松谷みよ子/文
武田美穂/絵
講談社

寒い季節に沢山の野菜を茹でるのが好きです。たっぷりのお湯を鍋に沸かして、カリフラワー、ブロッコリー、いんげん、にんじん、次々に茹で上げ、さっとザルにあげます。もうもうと湯気が立ち昇って、あっという間にガラス窓まで曇ってしまう。台所はにわかに活気づいて、おっ!冬だぞ、という感じがしてくるのです。
で、その茹でた野菜をたっぷり入れてクリームシチューを作ると、これまた『冬』を感じさせてくれるんですねえ。
クリームシチューは娘たちも大好物。好みのまったく違う二人ですが、クリームシチューというと、二人一緒にまずまずの笑顔を見せてくれます。そして、二人一緒に決まって、
「ご飯入れていい?」と、聞くのです。恥ずかしーい!
でも、このおいしさは(熱くてトロトロ)わたしもよーく知っているので、よそでしちゃ駄目よ、と釘をさして、ゴーサインを出してしまいます。そして、わたし自身も時々やる。へへ。
娘たちがクリームシチューにご飯入れて食べるのは、もう、間違いなく小さいころからの習慣です。まだ、二人が赤ちゃんだったころ、シチュー作ってはご飯入れて、にんじんもなんもかもスプンでつぶして、わたしが食べさせていたからです。小さなスプンに山盛りのっけて、フーフーさまして、
「はい、アーンして。あーら、お口に入っちゃった」「おりこうだねぇ、またまた、入っちゃった。はい、モグモグしてえ」と、がんがん二人の口に押し込んでいましたから。
娘たちは、スプン山盛りいっぱいのシチューを口に入れる度、おりこうだねえ、大きくなったよお、と言われる。わたし自身、ほんとにそんな気持ちがしていたもの。娘が一回でも多く、アーンと口を開く度に、娘のポンポンと膨らんだおなかを見る度に、今日はよく食べたなあ、おりこうだったなあって、わたし自身が満足していた。
食べること自体が、おりこうなことで、大きくなることで、生きてるってことだった。
そんな時代がとても懐かしくて…、でも、本当は今だって何の違いもないはずです。
「腹減ったー」と、二階から降りてくる娘の頭を、いい子いい子と、撫でてあげなくてはいけないのですね。
今夜はシチュー!

さて、おいしいものを作って食べるのが大好きなくまさんも、お鍋でシチューを作ります。そこへ、モモちゃんが「おきゃくさま」にやってきましたよ。ああ、小さいってなんていいんでしょう!子どもであることが、うらやましくなってしまう絵本です。
このお話は、小さな子どもたちも楽しめるので、保育園などでも語ったり、絵本で読んだりします。けれど不思議なことに、子どもを囲んで一緒に聞いてくれてる、おかあさんや先生たちの方が幸せそうな顔つきになってくる。しみじみと頷いてくれます。そして、頷きながら、暖かい眼差しで子どもたちを見守り始める。そんな、おかあさんたちを見ていると、子どものいる生活そのものが、懐かしく、そして、うらやましく思えてきます。
人生の中の、陽だまりみたいだった季節を思い出します。



2003年2月
今月のおはなし

  長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて
  誰かに語ってみてください。

オオカミの大しくじり 

日本のわらい話 川崎大治/編 童心社

 一ぴきのオオカミ。腹がすいたので、山からおりてきました。ふと、耳をすますと、
    タッ タッ タッ タッ……
と、足音がします。
「これは、ありがたい。人間がやってきたぞ。」
オオカミは、往来のまん中にでて、口を大きくあけて、待っていました。
やってきたのは、いそぎの飛脚。
   タッ タッ タッ タッ……
オオカミの口の中へとびこむと、腹ン中を、タッタッタッと走りぬけ、尻からポンとぬけて、そのまま、
タッ タッ タッ タッ……
と、走っていってしまいました。
 オオカミは、うしろを向いて、
「うむ、ざんねん。ふんどしをしておれば、よかった。」



2003年2月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん15才 みなちゃん12才)

   ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

職人の血

 主人と買物から帰ってくると、お留守番していたみなちゃんは、
「おかえりー」部屋の中から叫ぶばかりで、顔を見せてくれません。
「ただいま」と、みなちゃんの部屋をノックすると、ドアの隙間から顔だけ出して、
「おかえり!」ガチャン と、ドアを閉めて引っ込んでしまいました。

怪しい!実に怪しい!いやーな予感がするでしょう?
気を取り直して夕飯の準備をしていると、音も立てずにみなちゃんが近寄ってきて、耳元で囁きました。
「ママ、ノコギリ使っていい?」さすがに、たじろぐわたしを前に、「っていうか、もう使っちゃったんだけど…」みなちゃんは薄笑いを浮かべています。
 わたしは本当に血の気が退きました。『この柱、ない方がスッキリするかなと思って、切ってみたの。ウフン』なーんてこと、平気でしちゃいそうな娘ですからね。

 血相変えて、みなちゃんの部屋に飛んで行くと、木製ラックの足を切っているところでした。夏休みにわたしからぶん取って、黄色く塗り上げたあのラックです。みなちゃんの計算では、足の部分を切り取れば、横向にしてピッタリとクロゼットに収めることができるとのこと。片方の足をノコギリで切り終えたところにわたしたちが戻って来てしまったのだそうです。じゃ、続きは今度!なーんてこと、みなちゃんにできるはずはありません。
「いやあ、音立てて気付かれるとまずいから、彫刻刀でもう一本の足削り取ったんだけど、
ノコギリじゃないと、やっぱりムリ」さわやかな汗を拭っています。
 主人に喝を入れられ(みなちゃんのお部屋は木くずだらけでしたから)冬の最中、真っ暗なベランダで、それでもノコギリを手にしたみなちゃんは幸せそう。

 だけど、こう言っちゃなんだけど、その姿は主人そっくり。彼もよく真っ暗くなるまでベランダで木片と格闘しています。そして、木くずだらけで部屋に上がって、家族の非難を浴びている。わたしは…、柱が無事だったから、後はなんでもいいんだもん。






2003年1月
今月読みたくなっちゃた本

  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

わたし

谷川俊太郎 文
長新太 絵
福音館書店
記憶の糸をたぐり寄せて「初めて買ってもらったもの」として思い出せるのは、赤い色したトイレ用スリッパ!です。ツルツルしたビニル製で、『りぼんの騎士』の絵がついていました。それが欲しくて道路に寝転んだ記憶もないし、『りぼんの騎士』というマンガ事体知らないのですから、おねだりして買ってもらったのではなさそうです。一人でお手洗いができるようになったわたしが冷たい思いをしないよう、母が買ってくれたのだと思います。あるいは小さなわたしが、大人用のスリッパを何度も便器に落としていたのかもしれません。ありえる!何といっても当時は、和式のボットン便所(?)でしたからね。
赤い子ども用スリッパと、大人用のスリッパが、トイレの入り口に行儀良く並んでいた景色を、今も思い出すことができます。買ってもらったその日の内に、何回となくトイレの前にしゃがみ込んで、並んだスリッパをながめていた自分がいたのも覚えています。その時わたしは、今まで感じたことのない妙チクリンな思いにぶち当たっていたからです。
「わたし」という存在に気付いちゃったのです!小さなわたしは、新しいスリッパをうれしい気持ちで眺めている内に、おや?こっち(大人用)のスリッパは皆が履いてる、動かせる。自分だって履いていた。でも、この赤いスリッパは、わたしが履かないと動かないんだ、と思いついた。その途端、この世界(小さな小さな世界でしたが)には、他の誰にも入り込めない場所があるんだ!とわかってしまったのです。この家には、パパでもママでもない「わたし」というものがいるんだ、って気付いたんですね。ザワザワしたものが胸に広がって、経験したことのない、置き去りにされたような気分を味わったのでした。
筋道たてて認識したわけではないけれど、ぼーんやり「わたし」というものを意識した、最初の出来事だったんだと思います。
さて、その『りぼんの騎士』のスリッパですが、数日後にはあえなく姿を消していました。かたっぽだけでは役に立たない可愛そうなスリッパ。そう、りぼんの騎士だって、ボットン便所にはかなわないのでした。どうも、あの便器またぐときがねぇ。
それにしても、トイレのスリッパきっかけに自分の存在に気付いたというのも、ちょっと恥ずかしい気がする「わたし」です。

子どもたちと一緒に絵本『わたし』を読むと、呼び名当てゲームのようで盛り上がります。「『おとこのこから みると…』『おんなのこ!』」「『あかちゃんから みると…』『おねえちゃん!』」なーんてね。要求したわけでもないのに、子どもたちは自然と声をあげてくれる。でも、読み進めていくうちにこの絵本は、当たった当たったって喜んで終わっちゃう(場合もありますが)のではなく、あら?「わたし」って不思議!と感じさせてくれるのです。
人はある時、ちっぽけな「自分」という存在に気付きます。誰にも代わってもらえない自分とは何と孤独な生き物なのでしょう。けれど、人は、その孤独をうんとこせと背負い、そんなもの知りません、という顔で他人と関わっていくのです。『まごの みちこ』になったり、『めいの みっちゃん』になったり、『やまぐちさんの したの おこさん』になったりしてね。誰にも代わってもらえない自分とは、取りも直さず、かけがえのない自分でもあるのですから。



2003年1月
今月のおはなし

  
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

とうふとこんにゃく     

遠野むかしばなし 鈴木サツ自選50話/熊谷印刷出版部

昔、あったずもな。
とうふとこんにゃぐど、隣り同士で住んでいだったずもな。そすたっけぁ、ある時、そのとうふァ、棚から落ってケガすてすまったんだど。大ケガすてすまったんだど。それ聞いだこんにゃぐァ、
「なんとすたごったべ、まず。とうふ殿ァケガすたずが、見舞に行って来ねぇばねぇ」ど思って出はったど。べッタラクッタラ、べッタラクッタラど、こんにゃぐァ隣りサ行ったど。そすて、
「こりゃこりゃ、とうふ殿とうふ殿。聞いだどごろ、お前ケガすたずが、なんたな風だ」って聞ぎサ行ったずもな。そうすたどころァ、とうふァ、
「なんたもかんたも見でけで。おれの姿、こんたになりました」ってさっぱりぶっかれでいだったど。
「なんとハァ、棚がら落ってすまってこんたになって。お前達ァいいだらや。棚から落づだって、いっこうケガするずうごどぁねぇもの」って、言ってぇば、こんにゃぐァ、
「そんなごど言ったって、おれだっていっこう生ぎだけぇねぇじぇ」ど言ったど。とうふァ、
「なにしてよ」って、言ってえば、
「そんだって、毎日、こんにゃくう、こんにゃくうって言われるもの、いっこう生ぎだけぇながべだらや」って、言ったどサ。どんどはれぇ。



みなちゃんお手製ママの介護グッズご紹介
これなーんだ?
では、これならおわかりでしょう!
「本が読みたいよう。
でも、下が向けないし、かと言って、本を持ち上げると肩がいたいよう。」
ずっと、本が読めずにいたわたしのために、みなちゃんが針金ハンガーで作ってくれました。
これなら真直ぐイスに座った姿勢で本が読めます!
ページ押さえに、洗濯バサミは必需品。
重しにする本(ちゃんとその後読みます)も必要。
ページめくるときのビヨンビヨン感がたまらなくいい!
「ハリーポッター重いからこれ使おっと!」
みなちゃんもご愛用。

『子どもの本屋はメリーゴーランド』増田吉昭 著/昌文社
『子どもたちの日本』長田 弘 著/講談社



2003年1月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん15才 みなちゃん12才)

   ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

戦いの法則

 いまだ体調不調のわたし。回数は減ったとはいえ、痛くなり始めるとどうしようもありません。背中から上の全ての骨がミシミシ音をたてているみたい。で、そうなると、もう何もかも放り出して寝てしまいます。仕方がないよ、ふん。
 このところ、わたしが横になると、メールにゲームし放題、お菓子食べ放題のみなちゃんでしたが、それにも飽きてしまったのか今日はわたしの傍にやってきました。
「ママ、シワよってるよン」
寝ているわたしの眉間を、コリコリと指でさすります。けれど、今日のわたしには戦う気力がありません。
「だって痛いんだもん、シクシク」
「痛くないときも、シワよってるよン」
みなちゃんは、わたしの眉間をコリコリとさすりながら、そろりそろりお布団に入ってきました。いつもなら、鼻の穴にエンピツくらい突っ込んであげるところですが、今日のわたしにはそんな気力もありません。
「だって痛いんだってば、ベソベソ」
すると、みなちゃん、
「これ以上シワが深くなりませんように。これ以上シワが深くなりませんように」
小さな声でぶつぶつと念仏のように唱えながら、わたしの眉間をコリコリコリコリ…。
普段は「四の字固め」を避けられないであろうこの念仏が、今日のわたしには、まるで、
子守り歌のように心地よく響きます。コリコリもリラクセゼーションよろしく、わたしはいつしか夢の中へ。みなちゃんもその内、コリコリしながらわたしの横で寝てしまいました。まあ、なんと平和な親子関係。いつもはどうして、戦いになっていたのかしら。あら、不思議。                   
でも、結局その後、みなちゃんを自分の部屋に戻し、フトン敷いて寝かせてくれたのは
ゆんちゃんでした。しかも、わたしのおふとんには湯たんぽまで入れてくれてる。
ほんっと二人とも世話やけるんだから。ゆんちゃんの声が聞こえてきそう。

どうです?!こーんな幸せな「おかあさん」って、ちょっといない!と思います。






2002年12月
今月読みたくなっちゃた本

  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

J.R.R.トールキン
サンタ・クロースからの手紙


ベイリー・トールキン編
せた ていじ訳
評論社
娘からの初めてプレゼントは、石ころにフェルトの耳、毛糸のしっぽをつけた「ねずみくん」でした。2才だったゆんがナーサリー(保育園)で初めて作ったクリスマスプレゼントです。
その頃、わたしたちはデトロイトに住んでいて=自然の美しい素朴な町です=わたしが通った学校(セカンドランゲージのための英語の勉強)に隣接するナーサリーに、ゆんも通っていたのです。ああ、受け持ってくれた先生の名前を忘れてしまったことが、とても残念!でも、先生の姿ははっきりと覚えています。顔より大きなメガネをかけて、浮き袋を二つ腰に巻いて(うそです)、そのたわわな腰をプルンプルンと振りながら、毎朝ナーサリーの入り口にやってきました。
「おはよう、ゆん!今日はどんな気分なノン?!」
唄うように話しかけます。どんな気分って言ったって、ゆんはわたしの腰に足をしっかり絡めて、威勢良く泣き叫んでる。まだ、ほんとに小さな娘ですもの。わたしもこれでいいのかしらと不安な気持ち。そのわたしの顔色を察してか、
「バイバイは笑顔でネン!ヨーコの世界が待ってるように、ゆんの仲間も待ってるのヨン。さあ、楽しんできてネン!」
いかにもアメリカ人らしい口ぶりで、新米ママのわたしを(!)なだめ、わたしの腰に巻きついたゆんの手足を、一本ずつ器用にひっぺがすとドアを閉めてしまいます。ああ、可愛そうに、浮き袋二つ巻いた先生の腰に、ゆんの足は巻きつくはずもなく、そっくり返って泣くばかり。ゆんの姿が見えなくなると、わたしも諦めて自分のクラスに向かいます。    
やがて、先生の言ったとおり、ゆんはわたしにバイバイと手を振って、自ら「ゆんの世界」へ入っていくようになりました。ホッ。
さて、クリスマスが近づいたある日、クラスを終えたわたしが迎えに行くと、先生はいつもの二倍は陽気に、プルプルプルンとやって来て、
「ヨーコー、今日はゆんからサプライズがあるのヨンヨン!」
そう言うと、「ねずみくん」を手渡してくれたのです。可愛いとは言い難い地味な色合いの「ねずみくん」。
その日、晴れやかな気分でゆんの手を引き、外に出ると雪でした。
今でもクリスマスグッズの中から「ねずみくん」を取り出す度に、新米ママのハラハラ気分や、唄うように語りかけてくれた先生の姿を思い出します。あの後、ゆんったら、降り積もった雪の駐車場で二回も転んで、わたしはたくさんの荷物抱えて大騒ぎしながら、ゆんを助け起こした、そのときの心の底から愉快だった気分もね。
 
絵本『サンタ・クロースからの手紙』は、トールキンがサンタクロースの名前で、クリスマスが来る度に、自分の息子たちに送った手紙で構成されています。「作家トールキンからの手紙」であり、「父親からの手紙」であり、そしてまぎれもない「サンタクロースからの手紙」なのです。15通の手紙は15年の実生活の積み重ねを物語ります。
 トールキン(サンタクロース)は「さいごのてがみ」をどんな想いで息子たちに送ったのでしょう。壮大な物語を作りあげた喜びといつくしみ、それ故に一番素晴らしい季節に別れを言わねばならない悲しみ、その全てが伝わってきて、今の自分に重なり胸を打ちます。
 ここ数年、わたしの娘たちの心の中に生じたサンタクロースへの疑問、いらだち、小さな失望は、わたしにとっても心の痛むものでした。けれど、これらの嵐が過ぎ去った後、娘は「サンタクロースはいる」と答えを出したのです。いくつかの優れた物語が、サンタクロースとは何か、をわたしと娘に教えてくれたことはいうまでもありません。
2002年12月
今月のおはなし

  
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて 誰かに語ってみてください。

山の神さまの話     

鈴木サツ全昔話集/福音館書店

 むかす、あったずもな。
むかす、山の神さまつものァ、とってもお産の楽な神さまだったんだと。んだから、毎年のよに童子生すてらんだと。そして、いっつも山の神さんの面つきの赤けぇのァ、毎年のよに童子生して、いっつも力んでばりいっから、面つき赤けぇって言れるんだと。
 したどもあるとき、つめ(「つめ」ったら十二月のこと)の十二日の日、山の神さま、山さ行かねばねがったずもな。
「山さ行く」
ってば、そのとき(山の神さまの)ががさま、
「今日ァなんだかおれ、産気づいてらよんたから、行かねでけろ」ったずもな。んだども、その(山の神さまの)旦那殿ァ、
「いや、行ってこねばねえ」って、そして、行ったんだと。
 そしてば、行くとすぐ、その山の神さま怪我すたんだと。そして家さもどってきたったんだと。すて、ががさまハ、お産すてらったずす。
 そこで、つめの十二日にはぜったい山さ行くなっていうのは、そのわけなんだとさ。どんどはれ。



2002年12月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん15才 みなちゃん12才)

   ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

役割分担

 十月に首を痛めて寝込んだわたし。少しでも体の負担を軽くするため、起き上がれるようになってからも、しばらくの間、食器洗いはゆんちゃん、みなちゃん、わたしの三人で分担制にしていました。で、どんな方法で分担するかというと、
「ごちそうさま。では、ジャン ケン ポイ!」
食器を「洗う」「濯ぐ(すすぐ)」「拭く」の3つの作業の中から、その日やりたいものを、ジャンケンに勝った順に選ぶのです。
 ところが、ジャンケンに強い人、弱い人っていうのはいるもので、みなちゃんは勝ち続け、だいたいいつも「濯ぐ人」の権利を獲得。ゆんちゃんはこの制度の導入中ほとんど毎晩、黙々とお皿を洗い続けていました。なんでかなぁ?
 さて、喉元過ぎるとなんとやら。あんなに協力的だった二人もこのところ食器洗いをしてくれません。それどころか、テレビ見ながらいつまでもご飯食べていたりする。
「もう、洗っちゃうからね。あとは自分で洗ってね。」
と、わたしがお皿洗い始めると、あわてて口に詰め込んで、お皿運んでくる日もしばしばです。
 その日、使っていた食器は20センチほどの和皿、小鉢、ご飯茶碗とお椀の四つ。ほとんど食べ終えていたみなちゃんですが、和皿の中に何切かのお肉が残っていました。
「もう、洗っちゃうからね。あとは自分で洗ってね。」
わたしが叫ぶやいなや、みなちゃんは目にも留まらぬすばやさで、和皿の中のお肉をご飯茶碗に移し、ご飯茶碗以外のお皿(和皿、小鉢、お椀)を積み重ね運んできたのです。
どういうことだと思います!?よい子のみなさんには、想像もつかないこととは思いますが、みなちゃんは後で自分が洗う時に、20センチの和皿洗うより、御飯茶碗を洗うほうがたやすいと、瞬時に判断したんですね。
「だって、お皿の面積が…ごめんなさい。」
モゴモゴ言ってるみなちゃんに、わたしも開いた口がふさがりません。
その日の食卓に上がった全ての食器を「洗う人」「濯ぐ人」「拭く人」ついでに「しまう人」の権利まで獲得したのは(?)みなちゃんでした。






2002年11月
今月読みたくなっちゃた本

  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

ぼちぼちいこか

マイク=セイラー/さく
ロバート=グロスマン/え
いまえ よしとも/やく
偕成社
 我が家の前の坂道を松葉杖ついた若者が歩いていきます。ジャージの上下、右足のギブスにビニルかけて、コンビニ袋下げて両腕に松葉杖、ブーランブーラン歩いていきます。
リハビリ兼ねてか、必要に迫られてか、だんだら坂をブーランブーラン。なかなかわたしの視野から消えません。やがて、彼は立ち止まると、タバコ取り出して火を点けた。空を見上げてなんともおいしそうに一服します。松葉杖に肩乗せて、立ち止まったままゆったりと。一服終えると、また、ブーランブーラン果てしない(?)旅へと向かい始めました。どれ、ぼちぼちいきますか、とね。

 夕方の駅前、突然雨が降り出した。大粒の雨。渋滞に巻き込まれたバスの中から見ていると、灯かりがつき始めた夕暮れの街を、背広姿が、学生服が頭隠して駆け抜けます。ところがそんな中、背広姿の若者がひとり、悠々とお肉屋さんに入っていった。彼は焼き鳥を一本、肉屋の軒下で平らげて、それから肉屋のおばちゃんに頭下げて歩き始める。一層強くなった雨の中をそれほど急ぐ風もない。どうせ、濡れちゃうんだ。どれ、ぼちぼちいきますか、とね。

『あきらめる』という光景が割りと好きです。そういうわたしも今体こわして静養中。仕事をあきらめ、家事をあきらめ、本持ち上げるのをあきらめ、パソコンに向かうのをあきらめ、ひとつひとつ『あきらめる』作業を繰り返している。でもね、これは決して悲観的な作業ではないのです。ひとつのあきらめる作業の後ろには、今まで見えなかった新しい発見がある。秋の空の高さとか、夕暮れに食べる焼き鳥のおいしさとか…、ちっぽけな発見だけどね。でも、そこに向かってゆっくりと方向をかえてみるのもいいものです。それほど、急ぐ人生でもない。どれ、ぼちぼちいきますか、とね。

 絵本『ぼちぼちいこか』は、いまえよしともさんの名訳で有名。「かばくん」はどの職業もうまくいかない。でも、常に前向き、風の吹くまま、飄々と。「ま ぼちぼちいこか」となんとも粋なメッセージを与えてくれます。ただ、このおはなしばかりは関西弁が操れない自分がくやしくて。こどもたちと一緒にひざかかえて、関西弁に堪能な人に読んでもらって楽しむことにしています。わたしが使えることばだったら、さしずめ…、「どんまい」かな。 



2002年11月
今月のおはなし
  
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

狼と泣児          

『聴耳草紙』 佐々木喜善/編   筑摩書房より 
 
 ある雨の降る夜、山の狼が腹がへって、大きな声で、おう、おうとなきながら山から下りて来た。その時百姓家の子供が泣き出したので、母親はお前がそんなに泣けば、あの狼にやってしまうぞと言った。
 狼はちょうどその時、その家の壁の外を通ったので、これはよいことを聞いた、それじゃあの子供を食えると思って喜んだ。
 すると内の子供の泣き声がばったりと止んだ。母親がああ、ああ、こんなによい子を誰が狼などにやるものかと言った。狼は落胆して行ってしまった。



2002年11月
今月のゆんちゃんみなちゃん(ゆんちゃん15さい みなちゃん12さい)

   ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

看護のうでまえ
 
 首を痛めてひと月半も寝てました。ちょっとでも動くと体中に電気が走り、手はしびれ、天井向いたまま動けずに。今思い出しても恐ろしく、そして、悲しい毎日でした。たくさんの人に迷惑かけて、やっと、少しずつ元の生活に戻りつつあります。本当にご心配おかけしました。

さて、倒れた日のこと、なんとか入院免れ家に帰っては来たものの、わたしは寝たまま、ただただ天井みつめるのみ。グウの音もでません。わたしの傍に、涙溜めてじっと座りこんでいたみなちゃんも、その内、寝てばかりのわたし見るのに飽きてきた様子です。
次の日になると、みなちゃんはプリンを持ってわたしの枕元へ。けれど悲しいかな、わたしには、すぐ枕元にいるみなちゃんが見えません。ああ、プリン大好き、プリンなら食べれる気がする、そう考え始めるとどうしてもプリンが食べたいわたし。
「みなちゃん、ママ、プリン食べたいなあ、食べさせて。」うつろな声でお願いすると、みなちゃんはプリンにストローをブっさして、ジュルル、ジュルルと吸い上げてる模様。
「食べ物に何するの!それはママのプリンでしょ!」まったく説得力のない叫び声を上げるわたしに、
「ママ、声でるじゃん。ほら、寝たまま食べれるよ。」みなちゃんはわたしの口にストロー突っ込みます。ジュルルジュルル...。ほんと、だ。

次の日はドンタコス(スナック菓子)、みなちゃんはわたしの枕元でボリボリ食べてる。耳ばかり冴えているので食欲がなくても妙においしそうに聞こえます。
「みなちゃん、ドンタコス、一個ママの口に入れてくださいな。」今日は優しくお願いしてみる。するとみなちゃん、たった一言、
「起きれば?」
まあ、悔しい!なんて、イジワルなんでしょう。起きてやる!負けず嫌いはこんなところで発揮する必要もなかったのに、わたしはウネウネと体をねじり、ほんのわずかに右を向き、右肩を少し後ろにずらして右手をつき、そのままひざをしっかり折り曲げて…と、わざわざ書く必要もないほどの数のステップ踏んで、とにかく自力で起き上がる。
「ドンタコス一個ちょうだい。」お座りして、口に入れてもらうのを待っている。みなちゃんは、大きいのをぽんと自分の口に放り込み、大きいのをポンと自分の口に放り込み、小さいのを嫌々くれました。いやあ、このイジワル娘、誰の娘だ。でも、ドンタコスはやけにおいしい。
「もう一個ちょうだい。」
「あ、かわいいのあった。ママ、自分でとってごらん。」みなちゃんが差し出したドンタコスを摘まもうと手を出すと…、なんと!ドンタコスの上に小さなカケラがのっている。えー!カワイイのってこの小さいの?超イジワル!摘まめないよう。指なんて震えてるんだ。でも、持ち前の負けず嫌いで、これも摘まんで食べる。
「ママ、手、動くようになったじゃん。じゃ、最後の一個、あげましょね。」みなちゃんが天使に見えます。で、最後の一個を…、パリンと割って、もちろん小さい方をくれました。ほんっと、優しい娘でしょう!?

 さて、少し元気になってから、わたしはフト思いを巡らせたのであります。みなちゃんは看護に向いているのだろうかと。1.怪我人が早く立ち直るので可 2.けが人に優しくないので不可 3.なにはともあれ、怪我には本人の負けず嫌いが一番。






2002年10月
今月読みたくなっちゃた本

  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

つきよ

長 新太・さく
教育画劇
 月の美しい季節になりました。残念ながら、今年の十五夜はあいにくの曇り空でしたが、その二日ほど前に多少いびつではありますが、大きな白い月をため息と共にながめることができました。犬の散歩の途中、このときばかりは、いつものせわしい『時』を止めて、ゆったりと景色をみつめられます。「ああ、ほんとうにきれいだ」と、何度も月を見上げました。

 絵本『つきよ』の中で、たぬきは月がすべって降りてくる光景に出会います。水の音の気配に大急ぎで行ってみると、こんもりとした森の中に池が広がっています。その池の中で浮いたり、もぐったり月は遊んでいるのです。月が遊ぶ池、そして、それを池のほとりでみつめるたぬき。たぬきはびっくりして、おなかをきゅうっとつかみながらも、池で遊ぶ月を見守り続けます。静かな時が、ゆったりと流れます。

 子どものころは、あきれるほどの時間を持っていたように思います。忘れられないいくつかの月もある。田舎からの帰り、車の中から見た月。親戚の人を送った帰り、どこまでも追いかけられた月。その色、明るさまで覚えています。
 でも、それは時間の長さではなかったのかもしれません。時間に換算すれば、ほんの数分だったのかもしれない。わたしは没頭する『時』を持っていたのです。じっとみつめ、ただながめ…する『時』。
 それにひきかえ、今は一日中、何をしていても落ち着かない。次はなにをするんだっけ。お夕飯のお買い物はなんだっけ。仕事のこと、子どものこと、家のこと、わたしの頭の中はグルグルと雑多なものでうごめいています。人生における今がそんな時期なんだよ、と言われれば、それもまた、よしとしましょう。いつかまた、無限のときを感じて、月をながめる日がくるかもしれませんものね。
 でも、こんな時期にも、時間をかけずに『時』をかけて、なにかをみつめることができればと思います。そうそう、犬のお散歩のときのように。きっと、月はかわらずそこにいて、わたしもたぬきのように、おなかをきゅうっと、つかんでしまうのかもしれませんものね。

    ・・・           ・・・          ・・・

 ところで、長 新太さんは『つきよ』を描いた4年後に、ほとんど同じシチュエーションで、『つきよのかいじゅう』(佼成出版社)という絵本を出しています。こちらは、お得意(?)のまったくのナンセンス絵本です。個人的にはかなり好きです。でも、今回一緒に紹介しようかどうかは、結構迷いました。だって、心にシンっと月が入り込むような文章が書きたかったんだもん。



2002年10月
今月のおはなし

  
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

むりつるばさま 
 
 鈴木サツ全昔話集/福音館

むかす、あったずもな。
あるとこに、でえほでむりつる(がんこな)婆さまあったったずもな。
 あるとき、その婆さまァ、爺さまと山さ行ったずもな。そして、山さあがって行きながら、その爺さま、
「なんたらいいクルミの木だべ」ってば、その婆さまァ、
「なにさ、クルミの木だべ。カヅの木でがんじゃ」って言ったずもな。そして、爺さまァ、まずあがってたず。
「ほんだべかな」と思って、だんだんに行ってみてば、クルミなってあったずもな。
「ほんだってクルミなってらんじぇ、こりゃ」ってば、その婆さま、
「一つ、二つ、クルミなったったって、カヅの木でが」って言ったったとさ。どんどはれ。



2002年10月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん15才 みなちゃん12才)

   ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

せいくらべ

 洗面所で顔を洗っていたら、みなちゃんが来ました。
「ママ、肩が並んでる。同じくらい!」まだ、抜かれるとまではいきませんが、確かにみなちゃんはスラスラ、すくすく育っている。
「そうだね、前はこうやって手を引いてたのにね。」わたしは、少し前かがみになって、手を下におろします。それは、ずっと前でしょ、プンプン。みなちゃんは行ってしまいました。
 台所でご飯を作っていると、ヌボーっとゆんちゃんが起きてきます。だいたい、ヌボーっと起きてきた日に限ってズンと背が伸びて感じます。窓に映る姿見て、「オッ!」二人で声出して、思わず背筋を伸ばしてしまう日も増えてきました。いよいよ、迫ってきましたよ。
 つい最近までは、まだまだ、負けるわけにはいきませんと思っていましたが、今はその日がくるのが楽しみでもあります。体ばかりか、心もずいぶん大きくなって、わたしを助けてくれるようになったから。このコラムも廃業だァ、と思う日もしばしばです。
 この夏、少し考えることがあって、ためいきの数が増えたわたしですが、
「ママ、ためいきはつかない方がいい。幸せが逃げるから、」と教えてくれたのは、みなちゃんです。鼻の穴広げて、口をキュッと結ぶと、『フン』と音をたてて、おもいっきり、鼻から息を噴き出してみせます。
「この方がずっと、すっきりするよ。あ、でも、鼻水出てるときはしないほうがいい。」Tシャツのそでで、鼻水拭いています。
 お小遣あげるからと、引き出しのお掃除頼むと、
「去年してあげたんだから。きれいに使うとお金がむだにならないよ。」と、ゆんちゃんにはアドバイスされ、飛行機に乗ったときには、おせんべを預けて機内持込にすればよかったと後悔するわたしに、
「ママ、割れてなかったら損するよ。割れちゃった後で考えな。」と諭される。
 「悩んでるときはね、それをちゃんと見据えた方がいい。たとえば、子どものことで悩んでるときは、子どもをじっと観察するの。ホラ、あそこに子どもいるから、ちゃんと見て、ちょっと触ってきてごらん。あ、でも、手とかつないじゃダメだよ。誘拐犯と間違えられるから。」みなちゃんからは人生哲学まで教えられてしまった。
 究極のプラス志向の娘二人に囲まれて、背筋がシャンと伸び、またまた大きくなってしまったわたしであります。 






2002年9月
今月読みたくなっちゃた本

  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

おこりんぼママ

ユッタ・バウアー 作
橋本香折 訳
男の子ばっかり三人のおかあさんをしている友人がいます。一番上が高校生、次に中学生、三番目がユッキイです。このユッキイはどこから見ても女の子のように愛らしい。大きな目をクリクリと回し、肩より長い髪をヒラヒラと風になびかせ、今日もキコキコと三輪車をこぎ続けます。そう、ユッキイは今2才。その愛くるしい容姿をヨソに、なんとも男気のあるカッコイイ奴なんです。
 その夜、わたしが彼女の家で夕ご飯をご馳走になっていると、ユッキイはうれしさに、すっかり舞い上がり(?)、食卓のイスの上に立ち上がって、ガオーっと雄たけびを上げました。ユッキイは時々猛獣に変身するのです。ゴリラのように胸をたたいて吠え続けます。だって、にいちゃんたちから我が身を守らなくちゃならないし(常に攻撃の対象となっている)、おかあさんのことだって、ナイトとなって自分で守ってあげようと思っているに違いないのです。ユッキイはそういうカッコイイ奴なんだ。
 ご飯なんかそっちのけ。にいちゃんが繰り出す『からかいパンチ』に反撃しながら、唄ったり、踊ったり、吠え続けていたユッキイですが、最後は興奮も手伝ってか、イスの上に立ち尽くしたまんまビービーと泣き出してしまいました。にいちゃんからは「うるさーい」と、『からかいパンチ』の嵐(愛情はたっぷりとこもっています)、ユッキイはビービーがワアワアに変わり止め処なく泣き続ける。男児三人の食卓っていうのは、こうもにぎやかなものなのでしょうか。
 あーあ、こうなっちゃうと誰も止められない、と箸持ったまんま傍観していたわたしですが、わたしの友人である彼らのおかあさんは、自分の席につくと静かにこう言いました。
「ユッキイ、そんなに泣くとお外だよ。ユッキイかわいいから誰かがすーぐ、拾ってくれるよ。」
 すると、ユッキイはピタっと泣き止み、イスに座りなおすと、納豆ご飯をかき込み始めたではありませんか。
 わたしはかつて、こんなチャーミングな叱り文句を聞いたことがありません。しかも、とっても怖いでしょ?!闇の中に放り出されて、どこの誰ともわからぬ者に手を引かれていく様は、北欧あたりの昔ばなしのようで、ちょっと想像してしまいます。
 家に帰って、わたしもキーキーと怒鳴らずに、彼女のようにシュールな叱り方をしてみようと、機会をうかがっていましたら、そんな機会は案の定すぐやってきました。
「買って買って、アンちゃんちはあれもこれもそれも、何でも買ってくれるんだよー。」
「そうだよね。じゃあアンちゃんちの子にしてもらっていいよ。みなちゃんかわいいから、
きっと、すっごくかわいがってもらえるよ。」
11才になった我が娘も、ピタっと口を閉じました。お試しあれ!

さて、こちらはおかあさんにオモイッキリ怒鳴られちゃったペンギンくんのおはなし。
おかあさんの怒鳴り声がすごくって、「ぼく」の体はバラバラ、世界中に飛んでいってしまいます。このコワーイはずのおはなしが、とってもユーモラスに映るのは、もちろん、ユッタ・バウアーの絵が楽しいからに違いありません。
そして、もうひとつ!どの家の子どもたちもちゃんと知ってるから。『ママはほんとはぼくのことが大好きなんだ』っていうことをね。




2002年9月
今月のおはなし
  
   長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

餅分配 (滋賀県)     

日本の昔話 下/稲田浩二 編 ちくま学芸文庫より

 むかしな、狐と兎と狸が遊んでやったん。ほたら隣の村から、祭りの餅を重箱に入れて持ってきはったんや。三人はそれ見て、
「あの重箱盗んだろかい」って相談して、運んできた人がちょっと油断したまに、その重箱盗んでしもうたんや。ほたら狐が、
「どら、わしが開けてみたろ」ちゅうて、重箱のふた開けて、
「手紙があるぞよ。なんや書いてある」ちゅう。
「おう、読んでくれ」、兎と狸さんが頼むと、狐は、
「ではな。おたあに一つ、うさあに二つ、そのあとはおきつさんの、と書いあたるわいな」ちゅうて、狸に一つ、兎に二つやると、残りはみんな食ってしまいよったて。
                       原話語り手 石原とめ



2002年9月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん15才 みなちゃん11才

   ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。
 
夏休みの宿題

 みなちゃんの夏休みの自由研究のタイトルは、『My Rooomをかわいくしよー!』です。こんな自由研究ありなんでしょうか。部屋改造を写真とイラストを織り交ぜて、レポートにしたものですが、いたるところに「〜だよーん」「〜ピョーン」などという語彙がちらばっています。
 まあ、自由研究として相応か否かは別問題として、この改造事態は頭の下がる素晴らしいものでした。かつて、足の踏み場もないほどのゴミ、物、物、ゴミにあふれた『みなちゃんRoom』は、誰もがうらやむお部屋となったのです。
 引き出しの整理に始まって、クロゼットの中まで一大清掃。その後、インテリア、雑貨、風水の本をむさぼるように読みあさったみなちゃんは、部屋のカラーを黄に統一すると断言(風水によると、西側に黄を置くと金運アップなんですって)。そのための収納グッズを100キンで自ら購入。小物もハイビと、くまのプーさんのみでまとめあげ、超カワユイお部屋に大・変・身!(うつった!)
 勉強机に造り付けてあった本棚は、自分ではずしてクロゼットの中の収納に使い、わたしの部屋にあった木製のラックは、わたしの昼寝中に自分の部屋に運び込む。「ママ、これもらっていい?」と聞いたらわたしが「ウン」と答えたというのです。昼寝中に(卑怯!)。しかも、その家具をアクリル絵の具で、黄色く塗って、プーさんの絵を描いてしまっている。昼寝中に(やられた!)。
 縁日のくじでも根性でプーさんのぬいぐるみをゲット、お菓子の箱に入っていた簾を利用して写真を飾るオブジェを作り、ゴミ箱にもダンボールでプーさん顔のフタをつけるなどなど、やると決めたらどこまでもやっちゃうみなちゃんでした。ご飯作ってたときなんて、「ママ」と呼ばれて振り向くと、「洋服ダンス黄色く塗っていい?」と絵筆くわえたみなちゃんが立っていました。さすがにそれは思いとどまってもらいましたが…。
 ところで、例の黄色く塗られたラックを、みなちゃんが部屋の西側においてから、予想外のおこづかいがみなちゃんの懐に入るようになりました。気のせいかなあ?で、わたしも木製の写真立てを職人みなちゃんに差し出すと、「ハイよ」と威勢のいいお返事で塗ってくれました。ところが、「ああ、ママごめん。黄色途中で終わっちゃったよ。」
未完成の写真立てを西側の壁にかけ、我が家は相変わらず大金持ちになれません。

ハート模様のガムテで、グルグル巻きになったスタンド
みなちゃんroom西側
昼寝中に持ち去られ、黄色く塗られたラック
縁日の戦利品Tigger
お菓子箱に入っていた簾に写真を飾る
(このお菓子箱には、7月号で書いたくずきりが入っていた プルルン)
おまけ

みなちゃんが黄で塗り上げてくれた写真立て
改めて黄のアクリル絵の具を足してみごと完成!
なぜ、FatherよりMotherが先なのだろ
う?






2002年8月
今月読みたくなっちゃた本

  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

ジローとぼく

大島妙子 作
偕成社
Ca美(キャビ)が家に来て二度目の夏となりました。大きく垂れ下がった茶色い耳(ビーグルですね)、首筋にはまっ白いふわふわの毛(キャバリアです)。そう愉快な表情のCa美ちゃんはミックス犬です。
これがまた手放しでかわいい!「うちの子」なんて、人にもつい言ってしまいます。あの小さな脳みそ一生懸命働かせて、首傾げたり、チョロチョロっと部屋を覗きにくるんだ、と思うだけで抱きしめたくなってしまいます。自分の中にこんな未知なる感情があったことに驚くばかり。とにかく可愛い。
さて、このCa美ちゃん、うちの主人にはもちろん平伏低頭、それだけ振り回しゃ、ちぎれるでしょという程にシッポ振りまくってご機嫌を伺います。主人の方も「夜中に帰ってきてもこいつだけは出迎えてくれる。まあ、俺との関係が一番深いってことよ。フフ。」と不敵な笑みを浮かべる日々。
おねえちゃんは嫌なことがあると、「Ca美―!」と叫んで抱きしめます。Ca美もそれに答えてペロペロと舐めまくる。「うん、うん、Ca美はちゃんとわかってくれる。Ca美―!」と、何をわかってもらいたいんだか、また、首絞めんばかりに抱きしめる。
下の娘はCa美に対して、やりたい放題、気分次第。それでもCa美ちゃんは精一杯。ブランコ乗せられても、滑り台滑らされても、トナカイに変装させられても、こんな刺激的なことしてくれるあなたが一番。ワンワン。遊ぼう!と、下の娘について歩く。
各人が様々の思いをCa美にぶつけているようなのです。
まあ、実際のところは、パソコンの前に座ったわたしの傍らにいて、上目遣いで、がんばれ、ご主人さま!と密かなるエールを送ってくれているのが、Ca美の本来の姿なんだと思います。って、アレ?!わたしも人のこと言えませんね。
とにかく犬っていうのはそういう動物です。家族それぞれと特別な関係を築いて、家族それぞれと秘密を共有している。犬が健気なんだか、人間がおバカなんだかね。

さて、絵本『ジローとぼく』のおはなし。この絵本の作者、大島妙子さんの絵って本当にあたたかい。子どもを百人描いたら、その後ろにちゃんと百の家族が見えてきます。今回はその大島さんが犬を描きました。もう、この犬ったら下手な人間以上に人間みたいで、それでいて、やっぱりちゃんと犬なんだから嫌になってしまいます。
犬の「ジロー」は大きくなったので、庭に犬小屋を作ってもらいます。それまで毎晩、一緒に寝ていた「ぼく」が、最初の晩だけ犬小屋でジローと寝ると、翌朝二人(?)は入れ替わっている。『ぼくがジローで、ジローがぼくに』。
このお話を通して「ぼく」と「ジロー」の間には、もちろん会話はありません。でも、そこにことばが見えてきてしまうのはどうしてかしら。通じ合ってるって、そういうことなのかもしれません。
本を買ったときにうれしくて、オフトンに入って娘に読んであげました。読み終えると娘が一言、
「Ca美に会いたくなっちゃった。」部屋のドアを開けて、入口で待っていたCa美を抱きしめ、毛布でくるんでグルグル巻きに。Ca美もこの愛情に答えようと、もがきつつも
舌出して、二人(?)は、見つめ合い一緒のオフトンで丸くなりました。




2002年8月
今月のおはなし

  
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

さるとかに    

一寸法師・さるかに合戦・浦島太郎/関敬吾編より 岩波文庫

 昔むかし、さるどんとかにどんがあった。さるが柿の種をひろった。かにが握り飯をもっていた。さるが「かにどん、かにどん、おるが柿の種とお前の握り飯とかえちくれんか」といって、とりかえっこした。かには柿の種をわが家へもちかえり、前の畑にまいておくと、日に日に大きくなって、みごとな柿がなった。そこでかにはさるのところへ行って、柿の実をとってくれとたのんだ。さるはさっそく承諾して木にのぼって、うれた実は自分でたべ、青いのをかにに投げつけた。かには怒って、逃げながらさるに悪口をいった。こんどはさるが怒って、かにを穴の中においつめた。そして上から糞をひっかけようとした。それでかにが、鋏でさるの尻をきゅっとはさんだ。さるはいたくていたくて「かにどん、かにどん、どうぞはなしてくれ。そのかわりおれのこの尻の毛を三本やるよ」といった。それから、かにの鋏には毛がはえるようになった。 長崎県北高来郡



2002年8月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん15才 みなちゃん11才)

   ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

くずきりプルルン

 お中元にくずきりをいただきました。ワーイ、心の底からありがとう。だって、わたしがずっと食べたかったお店のくずきりなんだもん。竹筒に入っていて、筒口の一方にアミアミがついてる。反対側の筒口のセロファンを取って、専用の「押し出し棒」で押し出せば、涼しげなくずきりがツルツルツルっとアミアミを通って出てくるんですねえ。トコロテンみたいに。ご想像いただけます?
 皆でいただくんだから、一人で食べちゃダメだよ!と、みなちゃんに言いました。ところが、しばらくして冷蔵庫を開けると、サランラップにくるんだ竹筒がマーガリンの隣に横たわっているじゃありませんか。さては、みなちゃんが…、とサランラップをはずしてみると、ホンの一口分くずきりに齧られた跡が。フフ、未熟者め、食べ方がわからなくてあきらめたと見える。まあ、もちろん、日ごろのみなちゃんだったら、食べたければどんな手段を用いても食べるんですから、黒蜜もかかってないし、それほどおいしく感じなかったのでしょう。
おいしいものは、ちゃんとおいしく見えるように、お皿に移していただきましょうと、みなちゃんにも注意を促し、その晩、皆でくずきりをいただきました。わたしは得意になって、ツルツルツルっと、お皿にくずきりを押し出します。みなちゃんも、齧りかけたくずきりをツルツルツルっと押し出します。
さて、ゆんちゃんも…、あーあ。アミアミ側のセロファンをはがすのに失敗。くずきりさんは出口がなくなってしまいました。そこで、ゆんちゃん、つまようじを取り出すと、丁寧にアミアミのひとつひとつに穴を開けていきます。
「どうよ、ママ。わたしって頭いい!これでちゃんと押し出せるもん。」得意そうなゆんちゃんのお皿の上に、
「ブズブズブズー」妙な音立てて、おしりの方からくずきりが竹筒の形のまんま、出てきてしまいました。つまようじでつついたので、空気も入ってしまったんですね。
 おいしいものをおいしく見えるようにいただくって、結構難しい。齧りかけたみなちゃんのくずきり。スプーンで輪切りにされたゆんちゃんのくずきり。やっぱり、おかあさんのくずきりが一番美しい。プルルン。





2002年7月
今月読みたくなっちゃた本

  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

ほろづき
=月になった大きいおばあちゃん=

沢田としき 作
岩崎書店
長野県の塩尻に田舎があります。中学校に上がるまでのほとんどの夏休みを過ごしたところ。
見渡す限り一面のレタス畑に風が渡って、その遥か向こうを蒼い山々がぐるりと囲んでいる。これは、わたしの中にある塩尻の風景です。そして、その風景におばあちゃんの声は重なっている。「陽子、いい子だなぁ、」という優しい声。

わたしが塩尻を思い浮かべるとき、おばあちゃんの声は景色と一緒に蘇ってきます。ちょっと、しゃがれた声でね。まるで、おばあちゃんそのものみたいに、優しいんだけれど、どこか凛としていた。初めに声、それから、姿が浮かんでくる。白髪の頭をきゅっとおだんごにして、着物着て、もんぺはいて、白い割ぽう着つけて。腰が曲がっていて「く」の字より、もっともっと曲がっていて、その曲がった腰に手を当てては、ジャッジャ ジャッジャと庭の砂利踏みしめて、トマトやとんもろこしもぎに行ってた。
わたしと従弟は、庭でアマガエルに催眠術かけて遊んでいる。アマガエルを仰向けにしてお腹をさすると、しばらく動かなくなってね、それを『催眠術』って呼んでいた。それで、何匹も何匹も催眠術で寝かせたカエルを、庭石の上に転げていると、おばあちゃんが通りすがりに声かける。
「陽子、楽しいかぁ、」って。
「陽子、いい子だなぁ、」って、あいさつみたいに声かけて、また、ジャッジャ ジャッジャって畑に行く。

 家の外に遊びに行こうとすると、おばあちゃんは必ず寄ってきて、
「陽子、いい子だで 村のしょ(村の人)に会ったら 誰んでも お暑うございますって あいさつしてくれな」って真顔で言う。わたしは、とりたてていい子になりたいと思ったこともないけれど、おばあちゃんの『いい子だで』には魔法がかかっていて、むくむくっと優しい自分が顔を出す。根っからの塩尻っ子(?)みたいに、誰かが来ると、
「こんにちは」って、ちょこんと頭下げたくなる。もう、すっごくいい子になった気分。
さあ、いよいよ横浜に帰るということになると、おばあちゃんは白い割ぽう着のポケットから、ちり紙に包んだおこづかいをくれる。
「かあちゃんには内緒だぞ。陽子、いい子だなぁ。また、来いよ。」って、ちり紙をギュッとわたしの手の中にねじり込む。
決して押し付けでない、独り言みたいな、たくさんの『いい子だなぁ』の声。

絵本『ほろづき』を手にしたときに、「ユキ」が大きいおばあちゃんに寄せる想いと、わたしがおばあちゃんに寄せる想いが同じであることに驚きました。それぞれの子どもたちが、離れて住むおじいちゃん、おばあちゃんに寄せる想いはひとつなのかもしれません。景色に溶け込む声、声と一緒に蘇る姿。
おばあちゃんの声は思い出というよりも風景のひとつとして、折に触れわたしの心に巡ってきます。人は死んで土に返るというけれど、今はもういない、たくさんのおじいちゃん、おばあちゃんは、その土地を豊かにする何かになって、土に積もっているのかもしれません。




2002年7月
今月のおはなし

  長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

かけすと雲   

神奈川県の民話と伝説・上巻/有峰書店新社
 
かけすっていう鳥を知っておられるかな。
ほれ、頭は、白地に黒のまだら、背は、ぶどう色、尾は、黒く、翼は、白、藍、黒の三色でめかしているやつだ。だども、こやつは、ばかっ鳥なんだ。その上、あたりかまわず、
ジャージャー ジャージャー
と、砂利道をやかんを引きずっていくみたいな音だか声だか出してわめいている。
 かけすはな、山から苦労してとってきた餌を土ん中に埋めておくんだが、その目じるしがなんと空の雲なんだ。だから、雲がスーッと飛んでいくと餌が見つからん。で、顔色かえて、
「誰かがわしの餌をかっぱらったー」って、誰かみてえにジャージャー、ジャージャーと、わめいているんだ。
 ほんでな、藤沢あたりでは、ものを忘れる人を「かけすのようだ」と、言うそうな。
                             津久井郡・藤沢市    



2002年7月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん14才 みなちゃん11才)

   ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

ラムレーズン

お菓子を買ってくると、数ヶ所に分けてしまいます。これはどうしてかと言えば、「みなちゃんがあっという間に食べ尽くしてしまうから」です。そういうお鼻にかけては、みなちゃんはA級、天才的嗅覚を持っていると思います。あっちに隠せばあっちをみつけ、こっちに隠せばこっちをみつけ、お友だちが遊びにくれば、あっちもこっちもそっちも出しちゃう。食べようと思ったときには、もう無いこともしばしばです。
 
さて、今日は「30パーセント引」ということばに惹かれ、6個入りのアイスを2袋も買ってきちゃいました。ただいま、と声かけると、みなちゃんはお出かけの模様。そこでまず、オレンジシャーベットの袋を冷凍室手前に。一応「お弁当コロッケ」なる袋でブロックします。それから、ラムレーズンアイスは、冷凍室の一番奥に。ひき肉、さばの切り身という食材を積み上げ、誰もがこのコーナーには手を伸ばしたくない雰囲気に。
ここでわたしは閃きました。「よし、この奥に隠したラムレーズンアイス、みーんな一人で食べちゃおうっと!」いやあ、悔しさも積み重なると、なんとも大人気ない決意表明をすることとなるものです。ゆんちゃんにも内緒。

 その日から、ラムレーズンアイスをさばの切り身の下から取り出しては、こっそり一人で食べました。こういうのってなんかおいしい。みなちゃんの気分もちょっとわかったりして。
その間、みなちゃんはオレンジシャーベットを食べ尽くし、ポテトチップスを開け、もずくを食べ、「暑い時は、辛いものもうまいねえ、」などとキムチをつまみ、納豆まで食べている。こちらも引け目があるので、納豆なら体にいいか、と寛大な対応となります。

 さて、最後のラムレーズンアイスを食していると、ふいにみなちゃんが現れました。開き直ったわたしは、見せびらかして食べ続けます。(ほんと、大人気ないったら)みなちゃんは通りすがりに一言、
「ああ、ラムレーズンね、あんまり好きじゃないんだ。ママにあげる。」
悔しい!なんか、妙に悔しい!オレンジシャーベットこそ、さばの切り身の下に隠しておくべきだったんだと、そのときになって気がつきました。







2002年6月
今月読みたくなっちゃた本
  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

おきにいり

作・絵/田中清代
ひさかたチャイルド
 「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」童謡『あめふり』(北原白秋/詞・中山晋平/曲)の一節です。今回はこの曲にまつわる思い出。
その日、外は雨でした。じとじとした梅雨の雨。手芸店で刺繍糸を選んでいると、ダボダボの黄色いレインコートに長靴はいた2,3才の男の子が、おかあさんに手を引かれて入ってきました。まだ、わたしが高校生だった頃のはなし。
「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」
男の子はこの節を大きな声で歌い上げると、身をよじって笑いだしたのです。お店にいる誰もが(わたしも含めて)振り返りました。だって、歌声の大きさもさることながら、本当におかしそうに笑うんですもの。ひとしきり笑い終えると、彼はまた、朗々とこの節を歌い上げ、歌い終えると身悶えして笑います。
「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」
すっかりツボにはまってしまったようで、何度も歌っては笑い転げる。おかあさんもどうしていいかわからないといった様子で、周りにいた人たちに頭を下げていました。お店の中にいた誰もが一緒になって、この節を口ずさんでいたように思います。笑いながらね。微笑ましい光景でした。じとじとしたその日の雨も、跳ね除けてしまうような出来事だった。
 いったい彼は何がそんなにおかしかったのかしら。この節の持つリズム、口に乗せたときの心地よさ、唇の触れ合う感触や、舌が上あごにピッピとあたる感じも愉快でたまらなかったのかもしれません。擬声語っていうのはなかなかに楽しいものです。そういえば、雨降りにはたくさんの擬声語が隠れていますものね。しとしとと降り、ザーザーと降り、バシャバシャと降る。パラパラと傘に当たり、ポトポトと雫が垂れて、ピチャピチャと水を撥ね上げる、なんてね。
「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」
音で聞いても心地いいけれど、是非、声に出してみて!なるほど、あの日の彼の楽しさが少しわかるような気がします。
 さて、それからわたしは雨の日が好きになりました。というのは、あまりにも出来すぎでしょうか。でも、雨のうっとうしさや生活の不便さを嘆くより、雨にすっかり身を預けて擬声語の渦の中で「雨降り」を楽しむのも悪くないな、と思うのです。

 絵本『おきにいり』の中の「たむくん」は、おかあさんに作ってもらった、さかなの着ぐるみがおきにいり。頭の先から足先までさかなになって、保育園(幼稚園かな)に出かけて行きます。たむくんは、始めと終わりにしか登場しないのだけれど、さかなの着ぐるみ着ていても、その中のたむくんの表情がちゃんと伝わってきて、とてもうれしい。
この絵本の中にも、たっぷり「雨の音」が入っています。さあ、楽しんで、楽しんで。   



2002年6月
今月のおはなし

  長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

身擦り旅人   

日本昔話大成10 関敬吾 編
   
 むがしあったぞん。一人の旅人が草鞋を履いて、スタコラ歩いて来た。そのうち草鞋が擦り減ってなくなった。素足で歩いていると足が減った。それから胴で歩いていると、胴が減ってとうとう首だけになってしまった。それからその旅人は「面倒臭い」ので残った首玉どて風呂敷に包んで背負ってさっさと行ってしまったど。なあ。トンピンパラリ。
                                 秋田県仙北郡 
  



2002年6月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん14才 みなちゃん11才)

   ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

みなちゃんの弟子

一緒にお風呂に入っていると、ママちょっとやばい、とみなちゃんが言います。ママがおばさん体型になってきたとね。フン、そんなの今に始まったことじゃないわい、と強がってはみたもののわたしも不安を隠せません。
お風呂から上がるとみなちゃんは、部屋から雑誌を3冊も持ってきて(最近は子どものファッション誌にも『夏までにお腹を引き締めるストレッチ』なんて記事が特集されています)、
「ママ、今日からみなとストレッチやろう。」と真剣な顔つき。わたしの為にメニューを組み立て、挿絵入りでノートに説明文までつけてくれました。ほーら、凝り始めちゃったよ。
「まず、仰向けになって両足を上げ、足首を回します。」みなちゃんは、お手本を見せてくれます。1,2,1,2カウントも軽やかに足首をぐーるぐると回してる。
「ほら、古賀さん、お腹を突き出さない。」激も飛ばしてくれます。しぶしぶ真似ていたわたしも、だんだんその気になってくるじゃありませんか。あら、これ、なかなかいいかも。
 次の日になると、
「ママ、お風呂の中でやるストレッチもあるから、今日から2セットづつ増やしてね。」
「はい、先生!」わたしもすっかりみなちゃん先生を信頼し始めました。だって、気持ちいいんだもん。それに、心なしか体調もいいような気がします。
 また、次の日には、
「ママ、足は組まない。太くなるから。あ、それから、ビールも腹出るよ。」生活全般に気配り目配りしてくれます。みなちゃん先生自身も暇があればストレッチを続けている。
「テレビ見てるときも足上げした方がいいよ。がんばらないと一緒にプールいかないよ。」
「体も柔らかい方が効果あがるから、今日からお酢をコップに一杯飲んで。」
ええ?それはちょっとできないよ。この辺りから、みなちゃん先生は独自の世界へ入っていってしまいました。弟子一号はついに脱落。
 その晩、いつまで待っても出てこないみなちゃんに続いてお風呂に入ると、みなちゃんはバスタブの中でうつ伏せになり、スパイダーマンのように手足でバスタブの四方を掴んでいます。おしりだけがプカプカとバスタブに浮かんでいる。まあ、すごいカッコ。
「みなちゃん、もういい加減にしておきなさい。」諭してはみましたが…、でも、あれ、ちょっと、効果ありそうでした。いつか、こっそり試してみよう。






2002年5月
今月読みたくなっちゃた本

  
今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

ねぎぼうずのあさたろう その1

飯野和好・作
福音館書店
『だるまさんがころんだ』という遊びがあるでしょう。この遊びの変型で、『だるまさんのいちにち』というのを、娘から教わりました。ご存知ですか?もしかしたら、横浜市立某小学校のみで、代々伝わってきた遊びなのかもしれません。
鬼は「だるまさんがころんだ」と言う代わりに、だるまさんの行動を唱えて振り返るんですね。「だるまさんが歯磨きした」とか「だるまさんがパジャマを脱いだ」とか。鬼じゃない子は、鬼が振り返ると、その動作を一斉にする。歯を磨くフリとか、パジャマを脱ぐフリとかしちゃうわけ。しかも、フリをしながらも鬼に近づいてタッチしようとする。鬼は、頃あいを見て「ストップ」と声掛ける。すると、パジャマ脱ぐフリしていた子たちは、そこでストップしなくちゃならない。パジャマ脱ごうと、片足上げた状態とかでね。動いた人は鬼につながれてしまいます。あとは、『だるまさんがころんだ』と同じ遊び方。
これ、見ていると非常におもしろい。「だるまさんがトイレに入った」なんて鬼が言うと、可愛い女の子たちが中腰で延々とカラカラトイレットペーパー取る動作してたりするんだもん。おもしろがって見ていたら、おばさんも一緒にやろうと誘われました。それじゃひとつ、と仲間に入れてもらいましたが、やってみると思ったより難しい。フリしながら、少しでも鬼に近づいて、しかも、ストップできる心の準備も必要なんだから。第一こちらにはテレがあるので、笑ってしまったり、動きも今ひとつハリがない。そうすると、周りもなんか盛り上がらないわけです。
「おばさん、笑っちゃうとつまんないよ。」子どもに怒られ、こちらも気を引き締めました。本気でお風呂に入ったり、顔洗ったりしながら少しでも鬼に近づこうと、にじり寄る。自然にテンポがでてきて、子どもたち、もとい、同志たちも力が入ってくるのがわかります。誰かがすごいポーズで鬼惹きつけている間に、ほかの子がぐっと鬼との距離縮めたりね。スピード感がでてきておもしろいの。わたしぁ、本気で遊びましたよ。人目なんか気にならない。汗かきながらガーガー、トイレットペーパー巻き取ったりしました。
ひとしきり遊び終えると、子どもたちは「タンマ」をかけて休憩します。地面に座り込んで噂話とかする。それから、どれいっちょ本気でやりますか、とまた遊び始めるわけです。これは「夢中で遊ぶ」というのとはちょっと違う。本気で遊ぶ。
本気っていうのは、おもしろくって、それでいてなんだかカッコいいんだな!
 
飯野和好さんもこの浪曲絵本を本気で描いてます。って、もちろん作家なんだから本気は当たり前ですが、絵本の中で本気で遊んでいる「気合い」のようなものが伝わってくる。1ページ目で「ねぎぼうずのあさたろう」が「あっ」と、感嘆ともため息ともつかない声を上げて目覚める絵を見たときに、そう直感しちゃったんですね。
で、こういう勢いのある本は、もうどんなに遊んで読んでも絵本が負けちゃうことはありません。浪曲はわからなくても節つけておもいっきり唸っちゃっていいんじゃないだろうか、と勝手に思って勝手に楽しんでます。本気でね。



2002年5月
今月のおはなし

  
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて
  誰かに語ってみてください。


蛸と猫     

民衆の笑い話 日本の民話11/角川書店 より
   
 あるとき、蛸(たこ)が陸の上さ上がって、お昼寝してたんだって。そこさ、大きな野良猫がやって来て、蛸の足ば、片っぱしから食っちまったんだと。
 蛸のほうはねぼすけで、ぐうすら寝とったもので、わが足が食われたのも知らないでいたんだと。七本まで食っちまった猫が、腹いっペになって前足で顔洗っているころになって、蛸が目えさましたんだって。そうしたらこのありさまだ。
 蛸は悔しくて悔しくて、なんとかして猫ば寄せつけて、残った一本の足で、ギュ―ッと締めつけてやるべえと思ってね、
「猫さん猫さん、一本ばかり残さねえで、みんな食ってけらえ」と、優しい優しい声でいったんだって。すると猫は、後ろ足で立ち上がって、前足をつんつんさせて、
 よせやよさねか/その手はくわぬ/むかしその手で/二度だまされた
 ニャンコは商売(しょうべぇ) 商売
と歌いながら、ふくれたおなかかかえて、帰って行ったって。
これでおしまい チャンチャン
 



2002年5月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん14才 みなちゃん11才)

   
ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

ドリルをこなす

 新学期からゆんちゃんは中学三年生、みなちゃんは六年生になりました。いつの間にこんなに大きくなっちゃったのかしら。
春休み明けたら最高学年、気を引き締めて勉学にも励みましょう、と春休みに入った日にみなちゃんにドリルを買ってあげました。ハハハ、わたしもほんとにドリルが好きだなあ。でも、単純計算で一日2ページこなせば、春休み中に五年生の復習がざっとできるという程度のものでした。
 さて、一応自主性を大切に。春休み中にこのドリルが終わるように計画してごらん、とみなちゃんには手渡しました。みなちゃんは、パラパラとページをめくると、
「わかった。これならできる。」自信アリゲなお返事です。で、みなちゃんのたてた計画はこうです。
『一日一ページ、またはお休み日、そして最後の日は14日分(つまり14ページ)』     ほーぉ、そうきたかい。でも、ここは言いたいことばをぐっと飲みこみ、
「みなちゃんの立てた計画でいいから春休み中にちゃんと終わらせてね。」わたしは、ニッコリ微笑みました。
 さて、春休み最終日、きたきた、みなちゃんがやってきましたよ。
「ママ、できない。」わたしはちょうど髪の毛をとかしていたところだったので、握っていたブラシの柄をマイク代わりに、以下みなちゃんへのインタビュー。
「敗因はなんだったと思いますか?」(わたし真面目に)
「やはり計画の立て方が無謀だったんだと思います。」(みなちゃん、ちょっとはにかんで)
「今後の抱負をお聞かせください。」(わたし、みなちゃんの方へ向き直って)
「今後はこれをよき教訓に平均的な勉強方法をとります。」(みなちゃん姿勢を正して)
「はい、じゃあ、そのようにやってきてください。これでインタビューを終わります。」
「えー!今度からじゃないの?」(のけぞるみなちゃん)
あったりまえだい!一度決めたことは最後までやる。次回の教訓にしてください。
いやあ、それにしてもドリルっていうのは学ぶところがたくさんあるわ。ますます、ドリルのファンとなってしまったわたしです。






2002年4月
今月読みたくなっちゃた本

  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

ごめんなさい

中川ひろたか 文
長 新太 絵   
偕成社
 さる作家大先生の家が近くにありました。車でちょっと行ったところ。この新聞『サマーサンタクロス』を何号かに渡って、その先生のお宅のポストに投げ込んでいたことがありますね。フフフ。
大先生のお宅といっても、大きな門がついていて、番犬がワンワン吠えている、なんていうわけではないのです。ポストだって楚々としたものです。ただ、一歩二歩と敷地内に入らないとポストまでたどり着かない。ちょっと、勇気がいりますね。たまたま、近くを通りかかって、読んでいただけるわけもないけれど試しに、まあ、ちょっと入れてみましょ、と投函したのです。もちろん悪いことしているわけじゃありません。それでも、車を2,3軒先に止め、お宅へ一歩二歩、三歩と足を踏み入れる。ポストのフタをちょっと押し上げ『サマーサンタクロス』を入れてフタを閉める。「カチャン」と冷たい音が静かな住宅地に響き渡ったような気がしてね。車までまた、ゆっくりとした足取りで戻っては来たものの、いざ乗り込むと大急ぎでエンジン掛けて車を出しました。何も別にそんなドキドキするようなことしたわけでもないのに、小心者なんですね。お宅の二階の窓がガラリと開いて、
「なんの御用でいらっしゃいますか?」なーんて、呼び止められるんじゃないかと、ずっと肩いからせていましたから。
曲がり角を曲がると、わたしは運転しながらも、おかしくて、おかしくて声をたてて笑いました。自分のドギマギした姿は滑稽だったし、でも、それより怖くって...、怖い時ってなんだか笑いがこみ上げてくるものなんです。こういうドキドキって何年も何十年も味わっていないように思います。
子どもたちが、よその家の呼び鈴鳴らしてサッと逃げるのって、きっとあんな気分なのかもしれません。これ、もちろんいけないことですけど。「ピンポンダッシュ」(そんな名前でしたっけ?)に限らず、子どもたちは大人であるわたしたちよりずっと経験が浅いのですから、常にドキドキの中で生きている。こういうドキドキ感と毎日向かい合って過ごしているのですね。すごい!大口開けて、フトン蹴っ飛ばして寝ちゃうはずです。
ところで、翌月、翌々月と果敢にもわたしは先生のお宅のポストのフタを開けました。でも、それが限界。今は静かな毎日を過ごしています。

さて、ドキドキの後、悪いことをしちゃったことに気付いたときは、潔く謝りましょう!
「ごめんなさい」とね。実はこれがなかなか難しいんです。わたしなんて、ほんとに、ごめんなさい、の言えない子どもでした。それで、ごめんなさい、と言えない大人になっちゃってます。そんな、わたしのために(あるのかは知りませんが)、とりあえず、声に出して「ごめんなさい」と言ってみようよと、この絵本は語ってくれています。
 いろんな人や、いろんな物が、おもいっきりいろんなことして、実にあっけらかーんと「ごめんなさい」と言っています。でも、何度もページをめくっているうちに、「人生っていうのはさ、もっと、いろんなことしちゃってもいいんだぜ」と、作者がニヤリと笑っているような気もするのです。



2002年4月
今月のおはなし

  
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて  誰かに語ってみてください。

雀とつばめ     

講談社「松谷みよ子の本」8 より
   
 
 むかし、雀とつばめは姉妹だったそうな。雀はくりくりよく働き、つばめはおしゃべりばっかりしておった。
 ある日のこと、ふたりならんでお化粧していると、
「おっかさんが病気で、いまにも死にそうだからすぐきてほしい。」と、知らせがきた。
 雀はおどろいて、お化粧もやりかけのまま着ているものもふだんのままで、おっかさんのところへ駆けつけた。おかげで、おっかさんの、息のあるうちに会うことができたが、つばめのほうは、
「なんぼなんでも、お化粧をやりかけのままじゃみっともない。」といって、きれいにお化粧をし、着物も着替え、おしゃれをして出かけた。そのために、着いたときには、おっかさんは死んでいたそうな。
 神様は、それを見て、
「雀は親をたいせつにしたから、米を食べてもよろしい。つばめは親よりおしゃれがだいじだから、いつもきれいな着物を着ておれ。そのかわり、土や虫を食うているがよい。」と、申し渡した。
 それからというもの、つばめは、きれいなよそゆきの姿だが、土や虫を食べ、
雀らええことよ/おらたちゃ土食うて 虫食うて/くちしぶーい くちしぶーい/
土食うて 虫食うて/くちしぶーい くちしぶーい
そういって鳴いているのだと。  
                   



2002年4月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん14才 みなちゃん11才)

   ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

ゴロゴロ

 春休みに入った第一日目、朝御飯を食べていたみなちゃんは、「ママ、わたしは昨日までがんばりました。今日は一日、ゴロゴロします。」と宣言しました。はいはい、わかりましたと、わたしが言うと、みなちゃんはごちそうさまをして、部屋に戻っていきました。
 お掃除をしながら何気なく覗いていると、みなちゃんはまず、ロールカーテンを下ろし(いいお天気なのに!)、お布団を敷いて(朝だよ、朝!)、おねまきに着替え(なんかこの辺りからついていけなくなるのよね)、布団の上に寝そべってゲームを始めました。まあ、いいや、今日はゴロゴロする一日だからね、やるときゃやってくれるんでしょうと、放っておくと、ゴロゴロとマンガ読み、ゴロゴロと雑誌をめくり、ゴロゴロとものまねの練習にいそしみ、「バカボンのパパなぁのだぁ」と叫んでいます。ゴロゴロと...、ほら、やることなくなってきた。「ゴロゴロ!」天井に向かって小さくつぶやいたりしてる。
お昼になると、ゴロゴロは終わりにします!と、再び宣言。みなちゃんは、突如ストレッチを始めました。それから、E.T.を完全英語版で鑑賞。これに勢いついたのか電子辞書をひも解いて、英語の歌の和訳に取り組み、その歌のテープを何度も掛けて歌を見事マスター。なかなかの発音で歌い上げています。みなちゃんはもう、絶好調。なんと机に向かって姿勢を正し、勉強を始めちゃったではありませんか!完全にコワレちゃってます。                            
わたしは、そんなみなちゃんを見るとはナシに一日ながめ、とりたてて何もしないまま、その日も暮れてしまいました。なんだかなあ、疲れちゃった。






2002年3月
今月読みたくなっちゃた本

  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

フランシスのおともだち

ラッセル・ホーバン さく
リリアン・ホーバン え
まつおかきょうこ やく
好学社
 「2月14日に男の子にチョコレートをあげると、3月14日にキャンディをお返しにもらえるんだって。」小学校5年生だった冬のある日、友だちが教えてくれました。なんともシンプルな情報でしょう?!わたしのクラスでのバレンタインデーの始まりです。
 それはとっても楽しそう、というわけで、瞬く間に噂は広がり、わたしたちはそれぞれのバレンタインデーイブを過ごしたのです。わたしもお財布持って駅前の不二家に行きました。当時の不二家はちょっとしたよそ行きのお店だったのです。お店の中はお姉さんたちでごった返していて、わたしもドキドキしながら、ハートの形のかわいいチョコレートを買いました。大奮発してね。だって、駄菓子屋さんの袋詰のアメじゃなくって、すっごいおしゃれなキャンディがお返しにもらいたかったんですもの。うーん、この頃からすでに型から入るタイプだったのかもしれません。
 2月14日、いつもはドッチボールで戦い続けているクラスの男の子に、襟首を掴まんとするような勢いで、「いい、3月14日にはキャンディだからね。」と、半分脅しながらチョコレートを渡したのでした。「アンダースローのいもねえちゃん、」などと、はやしながら女の子にボールぶつけてる彼もさすがにその日はタジタジ、しゅんとして(もちろん、ちっともうれしそうじゃありません)チョコレートぶら下げて帰って行きました。
 さて、わたしたちが一ヵ月後をどんなに楽しみに待ったかというと、実はそうでもありません。バレンタインデーにエネルギーを使い果たして、一代イベントは終わってしまったのです。また、男女対抗ドッチボールで戦う日常へと戻っていったのでした。
 ところが、庭の花がポチポチと咲き始めたある朝、外に出たわたしは、新聞受けの上に紙コップが置いてあるのに気がつきました。紙コップにキャンディが詰まっていて、それをサランラップで包んで上の部分をリボンで結んである。おや、と思って見渡すと、見慣れた男の子がキコキコとママチャリこいで遠ざかって行くじゃありませんか。おーいと声掛けたら彼はわざわざ戻ってきて「学校行く前に、これだけ配らなくちゃいけないんだよ。」と、かごの中を見せてくれました。かごの中には同じような紙コップが、5つ6つ入っていたように思います。がんばってねー、と手を振ると、それに答えるように片手放して手を振って、彼はそのままキコキコと坂を登って行きました。
あれは、なかなかいいプレゼントだったなあ。やる気のなさそうな猫背の背中と、キコキコというママチャリの音、今も心に残っています。
 
 あなぐまの『フランシス』のシリーズは、どれも楽しいお話ばかり。どこの家にもいる(少なくとも我が家にはいます)純粋で、しりたがりで、わがままで、ちょっとおしゃまなフランシス、彼女は毎日を存分に過ごしています。作り歌うたいながらね。
 今回は、ボーフレンドのアルバートとのお話。女の子ぬきの『たんけんデー』に出かけたアルバートに、フランシスも妹のグローリアと『おとこのこおことわり』の看板で対抗します。でも、最後にはちゃんとお互いの大切さを認め合いますよ。
わたしも、フランシスとアルバートに賛成です。男の子と女の子がいるって、ほんとに素敵じゃありませんか?!



2002年3月
今月のおはなし

  長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

狐の踊りっこ   

鈴木サツ全昔話集/福音館書店

 むかす、あったずもな。
あるとこに、いっつも狐にだまされる男あったったずもな。
あるとき、畑さ草取りに行ったずもな。そしたところァ、向げ山で、なんと狐、がらあっとならんで踊りこおどってらったずもな。
「あの狐達ァ(きづねんどあ)、今日おれだますとこだごったが、ねえさ、だまされはんで。絶対(ぜって)だまされねが」
と思って、その踊りっこだまって見てらずもな。そしたけ、一日なくなってすまったったど。
 それもだまされたことだったとさ。どんどはれ。                   



2002年3月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん14才 みなちゃん11才)

   ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

夢のひなまつり

 最近流行っている歌のせいか、みなちゃんは『お雛祭り』には着物を着るんだ、と張りきっていました。そういえば、小さな頃の『お雛祭り』にはゆんちゃん、みなちゃん、それにわたし、と三人でよく着物を着て過ごしたものです。といっても、わたしに着物を着せられるはずもなく、また、ちゃんとした着物があるわけでもなく、七五三に着た着物や家にあった古着を多少大きかろうが小さかろうが、後ろは洗濯バサミで摘まもうが、とりあえず着て、写真撮ったり、歌え踊れと女三人、仮装パーティのように過ごしたわけです。
 きっと、みなちゃんの頭の中には、その当時のことが鮮明に焼きついていて『お雛祭り』イコール散らし寿司、蛤のお吸い物、菜の花の酢味噌和え、そして着物着てチャカポコとインプットされていたんだと思います。
 さて、話は去年の秋に遡ります。お散歩していたとき、みなちゃんは突然こんなことを言いました。
「わたしは、ずーっと、我慢していたんだ!」あまりの唐突さに、わたしはことばもでませんでしたが、要約するとこういうことでした。みなちゃんには、何年にも渡ってママにも言えずにずーっと我慢していることがいくつかあって、その一つが『お雛祭り』にお着物を着ることだというんですね。わたしは、びいっくりしてしまいました。みなちゃんの中に「我慢」ということばがあったこと自体に驚いたのです。
まだ、幼稚園に通っていたある日、缶きりの存在に気付いたみなちゃんは、ミカンの缶詰では飽きたらず、家中の缶を開けるんだと言い張りました。
「食べる分しか開けちゃダメ。」と、わたしが叫ぶと、口から鰯のしっぽはみだしながらも鰯の缶詰5つ開けて5つ分の鰯を食べてしまったのです。あの日以来、みなちゃんという子は思いついたことはその場でしなければ気がすまない子なのだと思ってきました。わたしは、そのことで悩み、本当にこれでいいのかと、ことある毎に自問し続けてきたのです。でも、実はみなちゃんの中には、いっぱいやってみたいことがあって、そのいくつかは我慢してたんですね。ね、驚きでしょ。それにしてもあなどれないエネルギーだこと。
 というわけで今年みなちゃんは、『お雛祭り』に着物を着ました。わたしが六年生の冬に作ってもらった着物です。大撮影会を開き、散らし寿司食べて、あられ頬張り、床に寝そべってテレビ見て、後はやっぱり、モームスのあの歌を扇子片手に踊っちゃいました。「満足!」とみなちゃんの寝顔が笑っています。 






2002年2月
今月読みたくなっちゃた本

  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

ねぼすけヤマネ

文・写真 西村 豊
講談社
 我が家の前は畑です。少し高台に家が建っているので、台所の窓から道路を隔てて、一面の畑を見渡すことができます。今ならねぎや小松菜、夏には大きなすいかがゴロゴロと転がっているのが見えたりして。畑の片隅、道路の脇には、立派な梅の木が一本。その梅の木にまっさきに春がやってくるのです。ちょっと暖かい日が続くと、まだ一月のうちから白い花をつける。その後も、雪に身を萎めたり、おだやかな陽射しにまどろんだりと、とまどいながらもこの梅の木は、長いこと花を楽しませてくれます。わたしは毎日、そんな畑と梅の木に目をやりながら料理をしたりお皿を洗ったりするのです。
今朝は、畑に霜が降りました。雪が積もったのかと見間違うほどに畑一面まっ白くなって、相変わらず咲き続けている梅の花もびっくりしていることでしょう。その梅の木の横を子どもたちが、二人三人と連れ立って、小学校へと歩い行きます。それから、三人の女の子たちが、待ち合わせなのか梅の木の下でぺちゃくちゃとおしゃべり。その内に、中のひとりが柵の下からそっと足を突っ込んで、畑に降りた霜を踏み始めました。サクサク サクサク、家の中でお皿を洗っているわたしの足にもその感触が伝わってきそう。そうそう、わたしたちも子どもの頃には、霜踏みつけたり、氷割ったりしながら学校へと行ったものです。まだ、誰も踏んでいないところの感触を味わいたいから、どんどん、よその家やら畑やらに入り込んで。氷だって、アスファルトのちょっとしたヘコミにできたものを踏んづけたり、わざわざ、よそん家の池に張った氷、棒で引き寄せて学校まで運んでくる男の子だっていました。指先まで、真っ赤にしてね。
さっきの女の子たちも、ほら、とうとう我慢できなくなって、ひとりが柵くぐって畑に侵入。サクサク サクサク少し歩いて、また戻ってくる。あ、もうひとり入った。踏まれた土も彼女の靴ももう、ドロドロに違いありません。わたしもお皿洗いの手をとめてしばし観賞。「こらー!」って誰か怒鳴らないかしら。怒ってほしいわけじゃないんです。でも、こういうのは、一発大声で怒鳴られて、きゅっと身が縮んで、それから、わーっと散り散りに逃げていく、そこまでで、ひとつのセットのような気がしてね。
さて、今日のところは、残念(?)、こらー!はありませんでした。女の子たちは、やっときた仲間と一緒にパタパタとランドセル揺らして、学校へと駆け出していきました。ようやく射し始めた冬の陽射しの中で、梅の花もうれしそうに揺れています。

かすかな春の兆しを感じ始めた頃、開きたくなる本に『ねぼすけヤマネ』という写真絵本があります。ヤマネっていうのは、ふさふさの尻尾を持ったねずみやハムスターを想像してもらえばいいかしら。森の中に住んでいて、冬になると「毛糸玉みたいに」まん丸くなって、木の穴で冬眠します。それが、いつの間にか寝ぼけて、雪の中にボテッと落ちて...。毛糸玉のまんま、雪にうもれて春まで眠り続けるのです。絵本の中には、そんな愛らしい「毛糸玉ヤマネ」の姿がたっぷりと詰まっています。
表紙は、きれいなおひさま色。かすかな春のにおいさえするようです。おひさま色の表紙にも、鼻ずらに後ろ足までくっつけて、雪に埋もれて眠るヤマネの写真。どうか、手にとってみてください。とにかく可愛いんだから。あ、でも、図書館で、この本を探すのに、きれいなおひさま色の背表紙を探してもダメですよ。どの本もおひさまをたっぷり浴びすぎていて、今はすっかりシローくなってしまっていますからね。



2002年2月
今月のおはなし

  
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

狐の踊りっこ   

鈴木サツ全昔話集/福音館書店

 むかす、あったずもな。
あるとこに、いっつも狐にだまされる男あったったずもな。
あるとき、畑さ草取りに行ったずもな。そしたところァ、向げ山で、なんと狐、がらあっとならんで踊りこおどってらったずもな。
「あの狐達ァ(きづねんどあ)、今日おれだますとこだごったが、ねえさ、だまされはんで。絶対(ぜって)だまされねが」
と思って、その踊りっこだまって見てらずもな。そしたけ、一日なくなってすまったったど。
 それもだまされたことだったとさ。どんどはれ。                   



2002年2月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん14才 みなちゃん11才)

   ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

中学生のおでかけ

 ゆんちゃんは、相変わらずバスケットボールに命をかけた毎日を過ごしています。朝練に夕練、土、日も試合。たまに家にいても、ちょっとその辺走ってこようかなと、ランニングに出てしまう後姿を見る度に、ああ、この子はきっと脳の細部に渡るまで、筋肉がはびこっているんだわと、思わずにはいられません。
 先日、久々のお休みに部活の友だちと二人でボーリングに出かけました。フムフム、珍しくちょっと中学生らしいお出かけじゃありませんか。帰ってきたゆんちゃんに、楽しかった?と聞いてみると、アスレチックに行ってきたというのです。おこづかいが乏しい二人には、一日遊べて料金もお得なアスレチックの方が、魅惑的に映ったのでしょう。しかも、この二人、根っからの体育会系コンビ!
「すごいよ、だーれもいないの。二人で貸切。」ゆんちゃんは、感動しています。そうでしょうとも。この冬の最中お客さんも来るわけない。でも、中学二年になった女の子二人、蟻地獄やらカヌーこぎして一日遊んできたかと思うと、わたしはちょっと複雑な気持ち。
「入場券買うとき、高校生?って聞かれて小学生ですって答えたんだ。」え?わたしは、目が点になりました。おいおい、そんなのダメだよ。第一、どう見ても小学生には見えないよ。
「友だちがこの前家族で行ったときも小学生で入ったって言ってたもん。」えー、この前って、いったいどの前だよぉ。
 君たちは、自分たちがどんな勢いで大きくなっているのかわかってない!ずんずんと音たてて、心も体も伸びてるんだよ。おばさんたちの一年前とは、わけが違う。
 ところで、子供料金は、冬の日の突然の来訪者への小さなプレゼント、と受け止めていいんでしょうか。あ、この安易な発想って、やっぱり親子?!






2002年1月
今月読みたくなっちゃた本

  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

おかあさんがおかあさんになった日

長野ヒデ子 作
童心社
1/2(2分の1)成人によせて
ゆんは生まれた時「オンギャー」と、産声をあげませんでした。ママの顔も見ないまま、集中治療室というお医者さんしか入れない部屋で、三日間たくさんの検査を受けたり、治療を受けました。
ママはゆんに一度も会うことができなかったし、難しいお医者さんの説明も分からなくていっぱい泣きました。お医者さんが二日目に保育器の中のゆんの写真を撮ってくれたけれど、あんなに会いたかったゆんは、目が離れてて、口が大きくて、宇宙人みたい。パパもおばあちゃんも、まるでずっと前からの知り合いのように可愛い可愛いと言うけれど、ママはなんだか知らない人を手渡されたようで、この子を可愛がっていけるのかしらと、心配になったのを覚えています。でもそれは、おかあさんになったばかりの人が経験する心の病気なんですって。すぐ良くなるよと、お医者さんが教えてくれました。
元気になって退院すると、お医者さんに言われたとおり、ママはゆんが大好きになって、いつでも一緒にいるようになりました。
「1/2成人」おめでとうございます。もう10才という気もするし、まだ10才という気もします。でも、考えてみたらママもおかあさんになって、まだ10年しかたっていないということですから、失敗したり、ゆんと同じように、ドキドキしたり、悩んだりして大きくなってます。
ゆんの優しさは、誰がなんと言おうとママが一番よく知っているはずなのに、ほかの子が大人びてくるのをみると、つい、しっかりしなさいと、言ってしまう。そんな時、ゆんは本当にせつなそうな顔するよね。いずれ、大人になっちゃうんだから、楽しみながらゆっくり大きくなりましょう。「そんなこと私のほうがわかってる。」と言われそうだけれど、ママが忘れていたら後押ししてくださいね。元気に一緒に「成人」を迎えましょう。
そうそう、この前ママの友だちが、美人なおねえちゃんだねと、ゆんを褒めてくれました。宇宙人みたいだったゆんが、10年で美人になっちゃうんだから、あと10年したら、どんなすごい美人になっちゃうのかママは怖い!           H 10.2.3.

上の娘が10才になったとき、学校で「2分の1成人」のお祝いをしてくれました。子どもたちは自分の歴史をひも解いて、成人の半分になったことを学習し、親子で記念の文集を作ってお祝いしたのです。当時の担任の先生に、おかあさんたちも子どもに手紙を書いて文集に載せましょう、と明るく言われ、子どもと同じように「イヤン、恥ずかしい」と叫びつつ我が子への手紙を書いたのでした。そこで生まれたときのことを思い出しているうちに、母親としての自分がそのときに生まれたことに気付いたのです。なあんだ、何でも知っているような顔で怒っているけど、わたしだってあの娘と同い年じゃない、って。
あの夏の日、わたしも生まれたてのおかあさんで、異国の病室で娘と変わらずビービー泣いていたのです。ほんの14年前のことでした。
「あなたのおかげで、わたしはおかさんになれたのよ。わたしのあかちゃん ありがとう。」これは、『おかあさんが おかあさんになった日』という絵本を介して、長野ヒデ子さんが伝えてくれたメッセージです。時には立ち止まって、わたしもおかあさんになれたことの喜びをかみしめたいと思います。




2002年1月
今月のおはなし

  長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

福の神と貧乏神     

鈴木サツ全昔話集/福音館書店  より   
 
 むかす、あったずもな。
 ある立派な絵描きァ来たったずもな。その人ァ、そこで、
「なんじょにか、福の神の絵、描てけでけ」って言ったずもな。
 したところァ、まるんで汗たらしてねんじり鉢巻きすて、鍬もって稼んでらとこ描てけだったずもな。
「あや、まつ、これで福の神なんだべか」と思ったど。
「んだら、貧乏神の絵、描てけでけ」って言ったずもな。
 してばその絵描きァ、床とって寝てれ、水枕頭さあげて薬びん前さおいた絵、描てけだったんだと。
「これっくらいの貧乏神ァねえんでか」って言ったったとさ。
 稼ぐっつことァ、なによりの福の神なんだと。病気がなによりの貧乏神なんだとさ。どんどはれ。  



2002年1月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん14才 みなちゃん11才)

   ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

おみくじ

 お正月には、初詣をしておみくじを引くのが楽しみです。わたしは年と共におみくじにある一語一句が気になり始め、自分の関心事に照らし合わせては、一喜一憂するようになりました。境内に結びつけ(いけないのかしら)心新たにポンポンと手を合わせます。
そこへいくと、みなちゃんは相変わらずのお気楽人生。いいところだけをいいように解釈し、気に入らないところには、全く耳を貸さないという徹底ぶりです。神様も、そんなみなちゃんを知ってか知らずか、この五年間ずっと大吉を与え続けてくれている。今年なんて『寂しさに なんとはなしに来てみれば うれし桜の花盛りけり』っていうんですから、こりゃ、もう、みなちゃんでなくても踊り出したくなってしまいます。
第一句が『思うがままになる』、その後続く『短気を起こさず』という、わたしが最も目を見開いて読んで欲しいフレーズは、すっかり素通りです。
それぞれの項目を「ほー、」とか「はー、」とかわけのわからない相槌を打ちながら聞いていたみなちゃんですが、『学問』の項目で目が光りました。
『安心して勉学せよ』、これはやっぱり「他のことを心配せずに勉強に打ち込んでいいんですよ、自ずと成果がついてきます」と、わたしはこう解釈しましたね。みなちゃんも、フンフンと頷いていました。
ところが、次の日になるとみなちゃんはこんなことを言うのです。
「ママ、昨日おみくじに思いのままに勉学がはかどる、って書いてあったよね。」まあそんなようなことが書いてあったかなあ、とぼんやり思っていると、三が日が終わったころには、
「ママ、おみくじに勉強しなくても成績が上がる、って書いてあったよね。」と言い始めます。さあ、そろそろ学校、宿題は大丈夫かしらと、こちらが気になり出すころには、
「ママ、勉強しないほうが成績良くなるって書いてあったから、今年は勉強しないわ。」と、おっしゃるじゃありませんか。
でたよ!みなちゃんの頭の中は早くも桜満開、お花見が始まっている模様です。






2001年12月
今月読みたくなっちゃた本

  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

3びきの かわいい オオカミ

ユージーン・トリビザス 文
ヘレン・オクセンバリー 絵
こだま ともこ     訳
冨山房
1994年5月18日第一刷発行
12月の声を聞くとドキドキします。ツリーを飾って、ダンボール二箱分のクリスマスグッズを屋根裏部屋から引っ張り出して。家の周りのライティングこそしませんが、毎年少しづつ集めてきたたくさんの小さなサンタクロースやスノーマンを部屋のそこここに飾ります。転勤が多かったので、これはあの土地で買ったサンタだな、これを買いに行ったときはもう雪が降っていたんだよと、どのサンタにも思い出はぎっちり。まだ、赤ちゃんだった娘がサンタクロースと一緒に写っている写真(まあ、ラッキー!)、毎年ひとつずつ、通った文庫でもらった色とりどりのフェルトの小さな長靴、娘が初めてクリスマスにプレゼントしてくれた石ころ、幼稚園で作った折り紙サンタ、ケーキに飾られたツリーや天使まで、これらは山盛りのご馳走のように金ピカの小箱にテンコ盛り。常連のぬいぐるみや植木鉢にも赤いリボンをキュっと結んで、我が家のクリスマスシーズンが始まるというわけです。
それから秋の間に拾っておいた木の実で今年のリースを作ります。リースといっても、こんなわたしが作るんですもの。ぐるぐるっと丸めた剥き出しの枝に、赤い実やら、松ぼっくりやら、とんがらしがちょこんと付いた素朴なものです。うーん、でも、段々気分は盛り上がってきたぞ。
 さあ、プレゼントの準備をしましょう。子どもたちへのプレゼントは本物のサンタクロースにお任せして、わたしが贈るのは本と生活必需品!来年使うカレンダーや買ってあげようと思っていた文房具、買い換えるつもりだったお箸。ほころびてきた靴下やパンツも!秋の間は待てるものはできるだけ待って、12月の到来と共にそれらをどんどん包みます。ラッピングしてリボンも結んで。クリスマスまでの日々をたっぷり楽しむ。プレゼントを開けるのって本当にワクワクします。どうせ、パンツだもん、と言いながらもうれしそうに包装紙をビリビリ破く。贈る側もシャンと背筋が伸びる気分。
日本人なんですからね。分かってます!クリスチャンじゃないんだし。そのとおり!ただ、この暖かい季節が好きなだけ。思い出っていうのは、何か特別な事があった時にポン、と生まれるものじゃなくって、日々紡いでいるものなんだと思います。石ころや折り紙サンタと一緒にその時に紡がれた想いが蘇ってくる。パタパタと外に向かって走り続ける日常の中で、クリスマスを待つ季節だけは、紡いできた思い出と、今こうして紡いでいる、思い出となりうる何かの中にどっぷりと身を沈めてヌクヌクと過ごしたいと思うのです。
 さて、今年贈る本は、「三びきのかわいいオオカミ」表紙を開いて『見返し』を見ただけでウキウキします。『見返し』は、絵本においてはお話の入り口、作者の遊び心も入っている大事なページです。とばさないでじっくり見ましょ。イギリスの昔話「三びきの子ブタ」を元に作られたこの絵本では、かわいいのがオオカミで『ふうーっとふいて、ぷーっとふく』のはおおブタ。オオカミは身を守るため、どんどん丈夫な家に造り替えますがことごとく壊されて。そこでふと家を造る材料を間違えていたことに気付くのです。性悪なおおブタの表情を見るだけで充分楽しめるけれど、気がつくと作者のメッセージが心にすっと入り込んでいる。この絵本、贈ってあげたい大人たちがたくさんいます。




2001年12月
今月のおはなし

  長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

三人の癖 

広島県
 
むかし、虱掻き(虱掻き)と鼻垂れと眼腐りとがおった下名。虱掻きの親が、
「人の前で、からだを揺するとみっともない。人の前じゃあ、決してからだを揺すって掻いちゃあいけん」いうて聞かした。鼻たれの親も
「人の前じゃあ、鼻を撫ぜちゃあいけん」いうて聞かした。眼腐りの親も、
「人の前じゃあ、目をこすっちゃあいけん」いうて聞かした。
 あるとき、三人が揃って歩いていると、烏が一羽飛んできた。そしたら虱掻きが、
「あれあれ、烏が空を渡る」言うて、からだを揺すった。そしたら鼻たれが、
「わしが、鉄砲でズドンと撃っちゃる」言うて、みんながその方を見ている間に、鼻を撫ぜた。しまいに見ていた目腐りが、
「やれ、かわいそうに」言うて目をこすったげな。   
   
              日本の昔話 下 稲田浩二 編:ちくま学芸文庫 より      



2001年12月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん14才 みなちゃん11才)

   
ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

ドリルの効用

 冬も近づき、みなちゃんの日課(?)の算数ドリルもなんとか半分過ぎまで進みました。この人は繰り返し同じ問題に取り組み(エライ!)、図形の問題はなぜか切り抜いて折り目を入れたり角度を測ったり、ほかの紙で作った図形を貼ったりします。空いているところにサインの練習をしたり、わざわざ筆で「式はノートに美しく!」などと、スローガンめいたことを書いたり、ときにヒステリーを起こして投げたり、丸めて「バカバカ、みなちゃんのバカ」などと自分の頭をたたいたりするので、ドリルはもう十年以上使い込んだようで、教科書型の横開きの算数ドリルは厚みも増してタウンページみたいになっています。
 その日、みなちゃんのおトイレタイムの間に部屋に入ると、開いたドリルの下からマンガがでてきました。トイレから帰ってきたみなちゃんは、
「ママ、いいところに来てくれた。久々の大発明だからママを呼びに行こうと思ってた。わたし天才かも。」と叫びます。
「今はドリルの時間、マンガの時間でも、発明の時間でもありません。」と冷静なわたし。
「だから、お勉強のためなんだってば。ドリルを開いた真ん中のお山の部分は、なかなか上手に字がかけないでしょ。だから、表紙の下にマンガの本を入れるんだよ。」
あら!
「ここからだよ。それからドリルを開くと、ほら、それでも、ページの境のお山のところが、まだガタガタするでしょ。で、お山に沿ってそろばんを縦に置く。」
まあ!
「すると、高さが平らになって、更にその上に手を置くと…、」
なんと!
「そろばんの玉で滑って手が上下に移動しやすく、サラサラと問題が解けるんですねえ。」
なるほど!これはすごい!と、テレビショッピングよろしく、つい褒めたたえそうになったわたしではありますが、でもねえ。
みなちゃんは天才かもしれないけれど秀才にはなれそうもありません。 







2001年11月
今月読みたくなっちゃた本

  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

あたしも びょうきに なりたいな!

フランツ・ブランデンベルク さく
アリキ・ブランデンベルク え    
ふくもと ゆみこ やく
偕成社
1983年7月1刷
 包帯巻くのが好きでした。病気のときのヨロヨロっとした感じもちょっと好き。怪我も病気も無いに越したことはないと判ってはいても、手に包帯を巻いてたり、なになにちゃんは、お風邪が治ったばかりなので優しくしてあげてね、なんて幼稚園の先生が皆の前で言うのを聞くと、いいなぁとホンのちょっぴりその子をうらやましく思ってしまう子どもでした。ホーンのちょっぴり。

どうしても手が痛いと言い張って、怪我もしていない手のひらに包帯巻いて幼稚園に行きました。大丈夫?どうしたの?と群がってきた友だちの前で、手が痛くてネ、と得意気に包帯取って、なんでもないじゃんと呆れられ、とってもバツが悪かった。
転んですりむいた傷がカサブタになったときは、腕の曲げ伸ばしが痛くって、腕が折れてるから手を吊って幼稚園に行くと騒ぎました。仕事中の父親に「そりゃ、手術だな。」と電話口で言われてようやく包帯するのを踏みとどまった。
小学生になって、頭痛ということばを知ったときには、ああ、頭が痛い、くらくらする、あたしもうダメかも、と独り言いいながら目をつむって道路を歩き、家の近所の崖から落ちて隣のおばちゃんに助けてもらいました。この時は本当に包帯も巻いたけれど、どうして足踏み外したのかは最後まで言えなかった。
だから、大人になって『あたしも びょうきに なりたいな!』のタイトルを図書館でみつけたときは、おんなじ気持ちの子どもがいるんだと、とてもうれしかったのを覚えています。だって、それまで病気になりたいと思う気持ちってすっご−くいけない、許されない気持ちだと思っていたんですもの。

 絵本にでてくるエリザベスが病気になりたかった理由は、わたしとはちょっと違います。病気になったエドワード(たぶん弟ね)が家族の皆に優しくしてもらうのを見て『ずるいなあ もう!』と思うのです。だって、『エドワードは、おかあさんに ごはんを はこんで もらってるのに、あたしは おきて ようふく きなきゃ ならないんだもん。』宿題もピアノの練習もきんぎょやかめのエサやりもね。そこで、『あたしも びょうきに なりたいなあ!』となるわけです。この気持ちもよーくわかる!
よく考えてみると、誰にだってちょっとくらい病気になりたい気持ちってあるもんです。ああ、明日の仕事、嫌だ。病気になりたい。ここらでちょっとなよっとなれば、優しくしてくれるかも。病気になりたい。いつもと違う自分にちょとなって、でも、長居は無用!そこから自分の力でよっこらしょっと立ち上がって、軽くお尻を叩いて新しい気持ちで日常へと帰っていく。

『それから なんにちか たって、エリザベスは よくなりました』のページの彼女の顔を見てほしい。なんだか生まれ変わったみたいにまっさらな顔をしているでしょう?!
わたしも手の包帯をはずして皆に呆れられはしたけれど、それで気が済んで、その後は、ぐちゃぐちゃっと包帯丸めてポケットに放り込み、一日中お友だちと鉄棒をしまくったのでした。まっさらさらの顔でね。



2001年11月
今月のおはなし

  長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

にせ地蔵 

群馬県          

 信玄坂ちゅうとこがあって、そこのお堂に十二地蔵さんがあるだ。むかし、そのお堂の住職が昼間出て、そこら拝んで歩って、夕方お堂へ帰ってくるちゅうと、お地蔵さんが一人ふえているだがな、おれ化かしてるに相違ねえ、と思って、
「毎晩おれが帰ってくりゃあ、みんなお辞儀をするが、お辞儀しねえやつがありゃあ、承知しねえから」って言ったら、そのうちの一体が、ぴょこんとお辞儀したちゅうだ。それでそいつをぶんなぐったら、古狸の正体あらわして、逃げていっただって。    

                  日本の昔話 下 稲田浩二 編:ちくま学芸文庫 より



2001年11月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん14才 みなちゃん11才)

   ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

おしゃれなみなちゃん

 みなちゃんはとってもおしゃれです。鏡に向かっている時間もわたしよりずっと長い。
前髪を丁寧にとかして、耳の横で二つに結わいて。この高さも高過ぎても「お子ちゃま」になっちゃうし、低すぎると「お芋おねえさん」になっちゃう。あ、わたしが言ったんじゃありません。みなちゃんの意見です。とにかく耳のちょっと下、微妙な位置で結んで、最後に本の一筋、耳の横あたりの毛をはらりと垂らす。すっごい、念の入れようです。鏡見ながら自分のイメージに合わせてカットもしちゃいます。朝、みなちゃんの部屋のごみを捨てようとゴミ箱覗いたら、真黒い毛がいっぱいで、本当にお化けが出たかと、声出しちゃったこともあるくらいです。
 そのみなちゃん、夏休みの終わりから、バンダナを三角巾のように頭に巻いて毎日過ごしていました。毎日が調理実習みたい。でも、これもおしゃれのひとつなんでしょう。うんうん、かわいい。
さて、そんなある晩のこと、みなちゃんが寝た後で、いつものように「いい子になあれ、いい子になあれ。」と、眠っているみなちゃんの頭をなでていたわたしは、おもわず悲鳴を上げました。
「みなちゃんに、ハゲがある!!」頭のてっぺん、ちょうど前髪の付け根のあたりが五百円玉くらい、きれいに芝刈られたように禿げているのです。わたしの叫び声にみなちゃんも目を覚まし、あわてて頭をおさえます。
「大丈夫だよぉ。なんでもないよぉ。見ないでよぉ。」
 前髪カットに挑戦していたみなちゃんは、このくらいかな、と一握り手に取って、ジョキンとハサミを入れました。ところが手を放すとすっごく短い。ヒエーどうしよう、とパニックに陥ったおしゃれなみなちゃん、そうだ、この部分だけ無ければ気づかれまい、と思い切って根っこからバッサリ、ひとおもいに切ってしまったんですね。
半ベソかいて話すみなちゃんの説明を要約するとこうなります。バンダナはハゲ隠しだったのです。わたしと犬のCa美は、笑うわけにもいきません。日頃の行いが、などとお説教するわけにもいきません。ただただ、お気の毒に、と下を向いて、鼻の穴広げて、深く頷きながら聞き入ったのでありました。

このおはなし、月日が流れ、前髪もそろりそろりと伸び始め、やっと解禁となりました






2001年10月
今月読みたくなっちゃた本
 
    今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません!
 
たまごをどうぞ

 
五味太郎 作・絵
 佼成出版社
  ズズンチャズンチャ肉団子ブルース。という歌があったかどうかは定かではありませんが、おもわずブルースにして歌ってみたくなるくらい、小さいころ肉団子が大好きでした。
いつも、入れ替わり誰かが泊まりにきているような家だったからか、もしや、よもや、わたしがそれだけの数をお腹に収めてしまうのか、肉団子というと、とにかくたくさんのお肉の団子を母はいつも午前中に揚げていました。夜になってから酢豚のようにアンに絡めていただいたのでしょう。けれども、わたしの記憶の中には酢豚はまったくない、午前中に揚げる肉団子のみ、そのにおいまでくっきり残っているのです。
よく練り込まれたお肉たっぷりの具が、ゴルフボールほどの大きさにクルクルクルと丸められ、床に敷かれた新聞紙の上に並べられていきます。白い粉をつけて、もう一度新聞紙の上へ、それからいよいよ揚げ始めます。新聞紙を床に広げて、熱々の肉団子が延々と縦に横に行儀良く並んでいく様は、なんとも豪快で、やっぱり肉団子ブルースを歌わずにはいられない気分(?)になるのでした。母が台所を離れる度に、おいしそうなところをひとつ、またひとつ、口の中に放り込みます。摘み食いがみつからないようにコロコロと転がしては、肉団子の行列を整え直して… 。
ああ、この新聞紙はいったいどこまで続くんだろう、テーブルもイスもどかせて、部屋中、肉団子の行列ができたらどんなにいいだろうと、お日さまでポカポカと暖まった床に這いつくばって、熱々の肉団子を頬張りつつ、わたしは真剣に考えたものでした。
ところで、この肉団子のおいしさってどのくらいだったか想像できます?やはり、筆では書き尽くせない。非力だなあと思います。それを「えにかけば このぐらいの おいしさ!」って、すんなり絵にしてしまったのが、五味太郎さんです。
絵本『たまごをどうぞ』の中で、おじいさんとおばあさんは、ちょっと変わったひよこを飼っています。このひよこが、にわとりになって、やがてたまごを産んでそのたまごでつくったオムレツのおいしさを、『このぐらい...』と絵にしてしまっているのです。子どもっていうのは、果てしない想像力を持っています。一言で「おいしい」といっても頭に描くおいしさはみんな違っているわけです。だから、ここは普通あんまり描かない部分ですね。おいしさを限定しちゃうことになり兼ねないし。でも、五味さんの『このぐらい』のページを開けてみせると子どもたちはぜったい「うわー、すっげー」と叫びます。期待を裏切らずに、しかも、自分たちの想像を限定することもなく、心から「おいしそー」と感じる絵がそこにあるからなんでしょう。うーん。この絵本はほかにもびっくりすることがたくさん詰まった楽しいおはなしなんだけれど、『このぐらい』の部分には、ほんと五味さんてすっげー、とわたしも叫んでしまいました。
  



2001年10月
今月のおはなし

    長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

石いも      

日本の昔ばなし「とんとむかしがあったけど1」未来社より

 とんと昔があったげど。あるどこの村へ、きったね、こじきぼんさまが、まわって来たてや。ほうしたら、かっかが、川で、いもを洗うていたと。ほうして、そのぼんさまが、いもを見て、
「かっか、かっか、ごうぎ、ンまげな、いもだねかい、おらに、一つくんねかい」とたのんだれば、そのかっかは、けちんがんで、ぼんさまに、くれたくないんだんが、
「お前には、そう見えるか知らねが、このいもは、石のようね、固くて、食うことがならんがんだ」と言うて、一つも、ぼんさまにくんねかったてや。ほうして、かっかは、洗うたいもを食おうとしたども、ほんね、石になって、食わんねがんだと。それから、その村につくるいもは、ンな、石いもになったてや。そのこじきぼんさまは、弘法大師だというこんだ。



2001年10月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん14才 みなちゃん11才)

    ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

狼のまゆ毛 Ca美のまゆ毛

 『狼の眉毛』という昔話をしてあげました。自分には生きる価値がないと思った男が、狼にでも食われてしまおうと山に入ります。けれど、狼たちは真人間は食べないと眉毛を一本抜いてその男に渡すのです。狼の眉毛をかざしてみれば、その人間が真人間か畜生か、人間の本性がわかると教えて。男は狼の眉毛を持って里に戻り、その『人を見る目』で最後には狼長者と呼ばれるような立派な長者さまになったという日本の昔話です。
みなちゃんはこのおはなしがとても気に入ったようでした。狼の眉毛って本当にあるの?と何度も聞いていましたから。ですから、犬のCa美がいつもより間の抜けた顔を斜めに傾けわたしをみつめたとき「やられた!」と、すぐに思い当たりました。そうです。みなちゃんは、自分の部屋で丸くなって寝ているCa美にも眉毛がツンツンと生えているのを発見すると、我慢できずに眉毛もヒゲも切ってしまったのでした。
「ちゃんと犬の本で、ヒゲが無くても問題ないって調べたよぉ。どうしても、眉毛でみてみたかったんだよぉ。」と言います。でも、もちろんこれはとってもいけないことです。誰にも、寝ている他人(犬だけど)の体にハサミをむけていい、なんていう権利はないのです。もう、怒った怒った!でも、怒りながらその一方で、やっぱり、眉毛をかざしてみたかったんだろうなあ、とも思ってしまうのです。
 この娘の側にいると、わたしはいつも混乱に陥ります。ウン十年積み上げてきた常識の枠もガラガラと崩れ去ります。でも、人間は一日では作れません。また、これが正解というゴールもありません。怒って悩んで笑って悩んで、体当たりで人を作っているんだなあ、と深く頷くばかりです。さて、当のみなちゃんは、人の心配をよそに「ごめんね、Ca美」と軽く誤り、二人、もしくは一人と一匹は今日も仲良くじゃれ合っています。
『ママはママだった』というのが、犬の眉毛を手にしたみなちゃんの感想でした。






2001年9月
今月読みたくなっちゃた本
 
    今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません!

ライオンのよいいちにち

あべ弘士
佼成出版社
 去年のちょうど今ごろ、引越しをしました。引越した次の日に、それまで住んでいた家の掃除にいきました。窓を開け放し、掃除機をかけ、雑巾がけをして、一通り掃除を終えて、それから…、畳の上に大の字に横になりました。もちろん、いい大人が引越しの最中に寝転がっている場合ではなかったのですが、でも、真夏の引越しは重労働です。しかも、カーテンも家具も襖もないガランとした部屋が妙にわたしを誘います。だいたい畳の上に大の字になるという行為自体、大きく育ちすぎたわたしには、なかなかできないことなのです。幸い5階の部屋は外からも見えません。そこで、クーラーの取り外し業者さんを待っている間、エイとばかりに寝転んでしまったわけです。一緒にいた娘にも『大』の字になってごらん。ちゃんと天井向いて、手も足も伸ばすと気持ちいいよと教えてあげました。

しばらくすると汗がひいて、住み慣れた我が家のにおいが、ふっと鼻をくすぐります。風がわたしの上を通っていくのを感じます。窓の外では相変わらずセミが鳴き続け、今まで気づかなかったシャーっと水を出す音や、遠くを走るバイクの音が聞こえてきます。夏の雲は悠々と窓の外を渡り続け、ハエが一匹迷い込んで、しばらく唸って、また他の窓から飛び出していく。業者さんがくるまでの10分ほどの時間をわたしは何も考えずただ目を開けて、耳だけ開いて過ごしました。

実はわたしにとって、こういう時間はとっても大切です。こんなときにこそ、いつもは眠っている、どこか違う脳みその一部が静かに、でもしっかりと運動をしているのだと思います。こんな原稿もできちゃったことだし、思いもかけないいいアイディアが浮かんだりしてね。人間何も考えない時間は大事とばかりに今日もまた、ごろごろ過ごす一年後のわたしでした。
 さて、ライオンもよい一日を過ごします。おとうさんライオンは子どもを引き連れてお気に入りの大きないわ山にやってきます。見晴らしがよくて、風がよくとおるし昼寝にゃ最高。モンキーのたたく石だいこの音で目を覚ましたライオンは、夜が更けるまで、石だいこをBGMに風を感じ、草原をながめながらぼんやりと過ごします。一句ひねったりしてね。遠く草原では、食うか食われるかの死闘が今日も繰り広げられている。かあちゃんライオンだってしまうまを追いかけている。でもそんなものの何もかも風景として、ライオンは地球の時間を堪能している。

 こんな絵本って、ちょっとありません。ページをめくるわたしの耳にも石だいこの音は響き続け、草原をわたる風さえも感じたような気になるのです。 




2001年9月
今月のおはなし

    長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

にんじんとごぼうとだいこん   

日本の民話11 角川書店より

 とんとんむかし、
にんじんと、ごぼうと、大根がお風呂わかしたって。まっ先ににんじんがはいったのだけど、熱くて熱くてたまらない。それをじっとこらえてはいっていたもんで、からだがまっかになったって。
 次にごぼうがはいってねえ、熱いもんだから、あっちっち、あっちっち、ばっかりいっていてねえ、ろくろく洗いもしないで飛び出したって。
 次に大根がはいったって。大根はいいかげんに水を埋めて、よくあったまったし、からだもよく洗って出たってね。それで今でもにんじんはまっかだし、ごぼうは黒いし、大根はまっ白なんだって。どっぺん         上越地方・昔話



2001年9月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん14才 みなちゃん10才)

    ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

縄文人弥生人


 なんだかわたしはイライラしていました。だって、みなちゃんたらさっきからずーっと、おしゃべりしっぱなしなんですもの。わたしだって、みなちゃんのおしゃべりをいつも無視しているわけではありません。でも、今はお勉強中。そんなにすっごいことを望んでいるわけではないのです。ドリル1ページやる間くらい集中してほしい。でも、みなちゃんは5分として机の前に座っていることができません。イライラ。終わるまでおはなしできないというと、今度はうたって、お金の勘定して、遠吠えまでして、イライラ。ほら、またやってきた。
「ママ、勉強したからみて!」ほんとかな。イライラ。
「今日は、縄文人と弥生人の違いを調べました。今から出す質問で、ママがどちらのタイプかわかるのです。では、質問。ママの耳垢はベタベタですか?カサカサですか?」
「えー?カサカサなんじゃない?」なげやりに答えるわたし。本当にこれ勉強なのかしら。イライラ。
「じゃあ、耳垢は弥生人ね。では、次。目は大きくて二重?それとも、あ、ママ奥二重だよね。ぱっちりしてないし、これも弥生人。」あら、わたしだって、目が大きいって言われたことだってあるのよ。もう、返事したくない気分。イライラ。
「じゃあね、眉、ひげが濃い。あ、ママ、これも弥生人だ。ママ、眉毛ないもん。」ふん、そりゃ、そうだけど。もう、無視無視。イライラ。
「では、最後の質問です。顔立ちについて。縄文人は、ほりが深く、はっきりとした印象、」みなちゃんは、しげしげとわたしの顔をながめています。イライラ。
「うーん、」と、首をひねるみなちゃん。それから、もう一度本に目を落として…、
「えーっと、弥生人の顔は、鼻は平たく低く、のっぺりとした印象、あ、ママこれも…」といいかけたみなちゃんは、ごっつーん!!げんこつをもらいました。
「いたーい、なんで?」
そう、みなちゃんは、なんにも悪くない。勉強だって、ちゃんとしていたことだしさ。悪いのは、みーんなおかあさんです。イライラ。 

 
 





2001年8月
今月読みたくなっちゃた本 
  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません!

花さき山

斎藤隆介 作
滝平二郎 絵
岩崎書店
 暑い暑い毎日です。夏というのは昔からこんなにも暑いものだったのでしょうか。どうもうまく思い出せません。けれども、夕方になって、すーっと涼しい風が吹き抜けた感触は今もちゃんと覚えています。どの家も日が翳った頃を見計らって庭の木に水撒きをしました。それから、バケツに一杯、家の前の道に打ち水をします。ジュッと音を立ててアスファルトから、土煙とも蒸気ともつかないものが立ちのぼり、雨あがりに似たにおいが辺りに広がる、このにおいが好きでした。
 それから小さなわたしは、浴衣を着せてもらいます。白地に赤い金魚さんがついています。ショワショワと肌触りのよい帯を巻く、朱色にピンクが混じっていました。それから、黄色い長靴履いて…え?!いえいえ、おでかけといえばやはり黄色い長靴でしょう。仕上げにデパートの紙袋。え?!いえいえ、一番のおよそゆきにはやっぱり紙袋を下げなくちゃ。「散歩に行くよー」と声をかけられると、いそいそ、いーえ、ペタペタずるずるとついて行くのでした。
金魚さんの浴衣、朱色の帯、黄色い長靴、デパートの紙袋持って、それから、首を嫌って言うほど右に傾け、突き刺さるくらいに人差し指をほっぺたに押し当てた、幾枚かの写真が、夏だって一日のおしまいは気持ち良かったよ、と語りかけています。
 さて、絵本『花さき山』の中で「あや」が着ている着物には、一輪の大きな赤い花模様がついています。けれど、これは柄でなく、あやの心の中に開いた花なのでした。
山道で迷ったあやは、山一面に花を咲かせた、花さき山に迷い込みます。そこに住むやまんばが花の由来を語るのです。『この花は、ふもとの 村の/にんげんが、/やさしいことを ひとつすると/ひとつ さく。』『おまえの あしもとに/さいている 赤い花、/それは おまえが/きのう さかせた 花だ。』と。
 上の娘が小学校三年生のとき、おかあさんが交替で、クラスで子どもたちに絵本を読ませてもらっていました。学期の終わりに子どもたちが書いた手紙をいただきました。その中のひとつです。「私は、『花さき山』がとても好きになりました。わたしはひとつ良い事をしたのでお友だちが、ゆんちゃんの花が花さき山に咲いたよ、といってくれました」というのです。いい手紙でしょ。娘の書いたものでした。娘の心の中にも、そう囁いてくれたお友だちの心の中にも、花さき山は広がっているのだな、と思います。斜面一面に広がる、けなげでいて力強い花々の絵は、本を手にした人の心にすとんと降りて、時々ぽつっと花を咲かせていることでしょう。



2001年8月
今月のおはなし

   長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

ほおずきの赤いわけ         

「松谷みよ子の本 8」講談社 より
                            
 むかし。ひとりの旅人が旅をしていたが、山の中で日が暮れたもので、おりよくあった一軒の家に泊めてもろうた。
 つぎの朝早く起きて、所在もないので裏の畑さぶらぶらと出てみると、真っ赤なほおずきがたくさんなっている。なんとも美しいので一つとって皮をむき、ゆっくりゆっくりもんでなかの種を出した。種をうまく出すのは根気のいることで、それがようやくできたものだから、旅人はすっかりいい気分になり、口に含んでぷりぷりと鳴らしておった。
 すると、家の者がいつのまにかそばにきていて、その音を聞くと青くなった。
「あらァ、たいへんなことをしてくなされた。きっといまにばちがあたるべ。」
そう、おろおろという。旅人もそのようすがただごとでないので心配になり、
「それはいったいどうしてだ。」とたずねると家の者は、
「あれ、お客さまは知らねえのすか。毎日毎日、お日さまは東から出て西へ沈みなさるが、そのお日さまは地面の下ァ通って、ほおずきの中へ、一つ一つおはいりなさるだよ。それでほおずきはこんなに真っ赤になるだ。ほおずきはお日さまの赤ん坊だもの。」
 そういったと。



2001年8月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん14才 みなちゃん10才)

   ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

労働の報酬

 ゆんちゃんが14才になりました。身長も色気もまだまだわたしには及びませんが、でも14才といえばちょっとしたお年頃。母もドキドキしちゃいます。
そのゆんちゃん、夏休みに入って、プールに映画にお祭りにと計画は山のよう。それなのに、なんとおこづかいが千円しかなーい、と大騒ぎです。
『お金は労働をもって獲得するべし!』のスローガンに基づいて、仕事ない?仕事ない?と、わたしにまとわりついています。台所の換気扇掃除300円、リビングと台所の5箇所もある窓ガラス拭き500円、ぐちゃぐちゃの引き出し3箇所の掃除300円、わたしが提案するとバナナの叩き売りよろしく「その仕事買った!」とひきうけます。部活に勉強(?)の合間をぬって、夜中に換気扇掃除をしたり、炎天下の中、汗だくになって大きな窓を拭いている姿には、ついつい頭が下がってしまいます。

 さて、こちらはみなちゃん。みなちゃんは内緒でしたお買い物がばれて、おこづかいを取り上げられてしまったので、ゼロからの地道なスタートとなりました。
 下駄箱の掃除と靴磨き300円、夕ご飯のコロッケ作り200円、着実におこづかいをゲットしていきます。ところが、みなちゃんは何をやっても妙に楽しそう。靴を磨くといえば、ラジカセを用意して鼻歌まじりにルンランラン。コロッケを作るといえばBGMは当たり前、ゴーグルをして(玉ねぎを切るので)、三角巾をして傍目にはなーんか楽しそうに見えてしまいます。もちろん、楽しい労働がいけないはずはありません。これも才能といえなくもないのです。

 さて、今日はゆんちゃんもみなちゃんも自分で手にしたおこづかい持ってプールに行っています。母のほうは、労働報酬をあげ過ぎたのか何となく懐も寂しくなって、昨日の残りご飯のおにぎりをつまんでいるというわけです。おかあさんってつまんない。






2001年7月
今月読みたくなっちゃた本 

  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません!

稲生物怪録絵巻(いのうもののけろくえまき)

谷川健一 編
小学館
 トイレが怖いと娘は言います。いったい、あのトイレのどこが怖いのだかわたしにはわかりません。窓からは陽が燦々と降り注ぎ、何かが隠れる場所などもちろんなく、便器の中から手を出そうにも、ジャーっとレバーをひねりさえすれば、お化けも妖怪もアレーと声をたてて流れていってしまいそうです。
「ママの小さい頃のトイレなんてね、」わたしは偉そうに娘に言います。
「便器の中に穴が空いてて真っ暗闇だったんだよ。」でも、これだってわたしの母の世代から見れば、いったいどこが怖いんだか、とため息を漏らすことでしょう。かつては、トイレは母屋のはずれにあったり、外にあったりしたのですから。
斯く言うわたしも子どものころは相当の怖がりでした。『怪奇特集』などという字がテレビ画面に映っただけで、消して、消してと耳をふさいで騒ぎ立て、チャンネル(当時はリモコンなんてありません)にすら触れません。眠る時には、ほかの雑念が頭の中をかすめないように「怖くない、寝よ寝よ」と自分で作った呪文を唱えながら眠ったものです。どうです!すごいでしょう。
ところがそのわたしが夏毎に行った田舎の暗闇には、あまり恐怖を感じなかった。いえ、怖いといえばもちろん田舎の方がずっと怖いのです。家の中にも外にもいたるところに暗闇は広がっているのですから。けれど、その深くて静かな暗闇には、何かもっと神聖なものを感じていたように思います。身がきゅんと引き締まり、あの暗闇の中からわたしの手に負えない何かがわたしのことをみつめていても仕方ない、むしろ、何かに見守られているという感じすらあったのかもしれません。墨を流したような、あの暗闇に「本物」を感じていたのだと思います。
子どもはちゃんと闇をみつけます。現代のあの明るいトイレにすら闇を感じています。闇に何かを感じ、自分の手に負えない何者かにおびえるのです。こういう感情はなかなかいいぞ、とわたしは思います。わたしたちは、もっと目に見えない何かに震えたり、見守られたりしながら生きていくべきだと思うのです。できれば「本物」の暗闇の中でね。
 『稲生物怪録絵巻』は、江戸時代に描かれた絵巻を本に編集したものです。江戸時代の絵本とでもいいましょうか。享保の時代を生きた実在の人物、稲生武太夫(幼名 平太郎)が、16才のとき30日に渡って体験した妖怪談が日記の形で綴られています。平太郎の妖怪談が事実かどうか、もう誰にもわかりません。けれど、連日現れる妖怪のスケールの大きさ、ユニークな発想にはリアリテイを感じずにいられません。「本物」のにおいがぷんぷんします。
 
『ぼくは へいたろう』    福音館こどものとも 小沢正・文 宇野亜喜良・絵
『うさたろうのばけもの日記』 童心社       せなけいこ・作
は、「稲生物怪録絵巻」が種本となって作られた絵本です。



2001年7月
今月のおはなし

  
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

かえると卵ととっくり       

角川書店
「日本の民話11 民衆の笑い話」より       

とんとむかし、あったって。
 かえると卵ととっくりが、お風呂にはいりに行ったって。
 かえるはお風呂が熱いもので、ろくにはいりもしないうちから、
 「かえろ かえろ」といったって。すると卵が、
 「そんなこというなよ。たまたま来たんだもの」といったって。
すると今度は、とっくりが、
 「そうだそうだ。とっくり、暖まって行こう」といったって。 
 これで おしまい。       上越地方



2001年ん7月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん13才 みなちゃん10才)

   ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。

涙のわけ

 その日、わたしが家に戻ると、みなちゃんはもう学校から帰っていました。玄関にカバンは放り出したまんま「おかえりなさい」もありません。とにかく機嫌が悪い。大きな音でテレビをつけて、リビングで黙々とお菓子を食べています。テーブルの上にはお菓子の空き袋が山のよう。マドレーヌ、ポップコーン、それからおせんべに、みんなで食べようと買っておいた洋菓子もありません。
 「みなちゃん、『おかえり』は?」わたしが聞いても返事がありません。
「みなちゃん、どうしてそんなにお菓子全部食べちゃうの?ほかの人の分は?」返事がありません。結局わたしは、みなちゃんを自分の部屋に連れて行ってお小言を言うことになりました。部屋に入るとみなちゃんはいつになくシュンとしています。わたしが何を言ってもうなだれたまんまです。それからポツポツと話し始めました。
 みなちゃんは、お友だちに小さなイヂワルをしたのです。うつむいたまま、その日あった出来事を話してくれました。
「それにしてもどうして、あんなに食べてたの?」 
「忘れようと思ったから。」わたしは、びっくりして聞きました。
「忘れられたの?」
 ううん。と首を横に振って、それからみなちゃんは、突然何かの糸がちょん切れたみたいにワーンと泣き出しました。小さな子が泣くみたいに口を顔いっぱいに開いて、涙をぼろぼろとこぼして、本当にわんわんと声に出して泣きました。
「それは、みなちゃんが忘れちゃいけないことなんだよ。」わたしのことばにうん、うんと頷いて、明日あやまると言いながら、それでもわんわんと泣き続けました。わたしは、わが娘がしてしまったことに腹を立てつつ、相手のお友だちに申し訳なかったと思いつつ、
その一方で、みなちゃんを抱きしめて泣いてしまいたいような気持ちになったのでした。






2001年6月
今月読みたくなっちゃた本

  
今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません!

海べのあさ

マックロスキー 文・絵
石井桃子 訳
岩波書店
 子どものころ、叔父の一人に『歯抜けばばあ』と呼ばれていました。どの子どもたちにもそういう時期があるように、わたしも上の前歯が二本抜け落ちていたのです。この叔父は、我が家に時々やってきては、「よお、歯抜けばばあ元気かい?」と、屈託なくわたしの頭をなでるのです。わたしはその度に涙がちょちょぎれそうになるのを、ぐっとこらえたものでした。
 そんなある日、わたしは一枚の写真を見て愕然としました。寝巻き姿のわたしが、布団の上に寝転がっています。起きぬけで髪は天井に向かってバサバサと立ち、すりむいた膝には赤チンが光り、朝の陽射しをサンサンと浴びているせいでしょう、全身が生白く輝いて、そのわたしが満面の笑みを浮かべているのです。笑みの中心には、歯がないために暗闇が広がり、その吸い込まれそうな暗闇は『妖怪歯抜けばばあ』と言われれば、確かに妖怪といえなくもない形相です。一週間ほど前に撮ってもらったその写真を母がどうして、アルバムの真ん中に貼ってしまったのか、小さなわたしはどうしても理解できませんでした。この写真は、絶対誰にもみせられない!写真の上から紙を貼り、写真を封印してしまいました。それ以来、小学校を通じて笑った写真が一枚もありません。どの写真も口を真一文字に結んだまま、にっと微笑んでいるのです。
 月日は流れ、わたしの二人の娘も無事に『歯抜けばばあ』の時期を通り過ぎ、他にも数多の『婆』『爺』を見てきたわたしは、最近になって例の写真の封印を解きました。いい笑顔ではありませんか。もちろん面白おかしくはありますが、それでも娘と三人、かわいいねえ、と素直に笑い合うことができるのです。歯のない子どもの笑顔には、何か格別の親しみが感じられます。大人への第一歩を踏み出す前につかの間、赤ちゃんに戻った笑顔をみせてくれる。だれかれ構わず「こいつゥ」と頭をぐりぐりとなでたり、こづいたりしたくなってしまいます。あの頃の叔父のようにね。そう考えると、あの暗闇には、確かになにか妖気が漂っているのかもしれません。
 さて、マックロスキーが、自分の娘たちの子ども時代を描いた『海べの朝』おねえさんのサリーが初めて歯がぬけた体験が描かれているこの本を、毎夜のように開いていた時期がありました。とはいってもわたしが読む文章とは違ったおはなしを二人の娘は見ていたのです。サリーの小さな妹ジェインが裸になって歩いたり、ベンチの下のネコを追いかけたり、テーブルの上のミルク(おそらく)をこぼして、手をびちゃびちゃにしたまんま、ハイチェアから覗き込んだり(おかあさんは、ちゃんとそれを横目で見ながらサリーのはなしに耳を傾けています)。二人は肩を寄せ合ってジェインの様子に声を立てて笑ったものです。マックロスキーが描きたかったもうひとつのお話『広大な自然と愛すべき日常』を彼女たちはちゃんと読み取っていたようです。

 



2001年6月
今月のおはなし

  
長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

 
からすの鍬(くわ)  

 三省堂 「日本昔話百選」稲田浩二 稲田和子編著より

 百姓の人がな、田に鍬を忘れてござったんやて。忘れたままで帰りはりょったらな、
道の途中で、からすがな、「くわあ、くわあ、くわあ」ちゅうて鳴きよんやて。
「ほう、おかしい。『くわ、くわ』言いよんなあ」と、思うたが、自分のこととも知らんままに帰って来て、ほいで家まで来たら、ほととぎすがな、
「とて来うい、とて来うい」と言いよんやて。ほいたら百姓はやっと気づいて、
「『とてこい、とてこい』言いよる。あっ、こら、鍬を取りに行てこな、どもならん」と思うてな、ほんで門口をでかけなはったらな、牛がな、
「もうない、もうない」て言うたんやと。              滋賀県蒲生郡



2001年6月
今月のゆんちゃんみなちゃん (ゆんちゃん13才 みなちゃん10才)

    ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。 

こわれる

 みなちゃんの中で、いま大ブームとなっているのがハイビ(ハイビスカス)柄です。
ハイビのTシャツを着て、ロゴの入ったジーパンをはき、部屋の小物もハイビで統一して、
生地をたくさん買ってきて、クッションと上履き袋と抱き枕を作り、壁にもカーテンのようにハイビの生地を張り巡らす、という壮大な構想を練っているようです。百円ショップを巡り、フリーマーケットをあさり、資金集めのためオーブントースターのそうじを百円で、肩たたきは五十円毎日お手伝いに奔走しています。

 さて、その日みなちゃんはとても穏やかに愛らしい一日を過ごしました。とりたてて事
件も起きず、オフトンに入ろうとしていました。我が家ではそんな日はとても稀なことなのです。わたしもとても穏やかな気分になって、前々からいつかあげようと隠し持っていた2メートルほどのハイビ柄の生地をみなちゃんにプレゼントしました。
「ママ、大好き!」とみなちゃんは叫びました。
「ちょっとデーハー(派手のことだそうです)!でもすっごくいい!」
「ああ、ここをクッションにして、ここを抱き枕に。うーん、なになに、この気持ち!」
わたしは、完全にみなちゃんの中の何かをたたき起こしてしまったみたいです。
「みなちゃん、どうしたの?大丈夫?」
「なんか、こうワクワクと、やる気がムクムクと…うーん、今、ぞわぞわっと電気が走った!ああ、学校からサイボーグ(洋裁道具のことでしょう...たぶん)持って帰ってくるんだった。」みなちゃんは、完全にどっかの世界へ行ってしまいました。

 わたしは、全身にみなちゃんのキスを受けて部屋にもどり、あのエネルギーをもっと違う方面に活用できないものかと真剣に考えました。

 それから二日、みなちゃんは夜遅くまでどったんばったん部屋の模様替えをしています。今日朝みなちゃんの部屋の前を通ると可愛いハイビのレイがかかっていました。昨年引っ越して以来、主人もまだ一本の釘も打ったことの無い我が家のドアに初めてピンを打ったのはみなちゃんでした。うーん、予想通り!






2001年5月
今月読みたくなっちゃた本

  
今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません!

十月はハロウィ−ンの月

ジョン・アップダイク 
ナンシー・エクホーム・バーカート 絵
長田弘 訳   みすず書房
 けやきの若葉がつんつんと出る頃 小鳥が一匹けやきの枝に飛んできた。
小さな虫をちょんちょんと摘まんで食べたらね、
若葉が一緒にちっちとちぎれていったって。
まだ、若ーい葉っぱだから柔らかくてね、「こいつはなかなかおいしいぞ ちゅん」
それに ちぎれた葉っぱが くりんくりんと春の風に舞うのが 愉快でね、
「こいつを 今日はみーんな 落としてやろう ちゅん」
小鳥は若い葉を一枚 ちゃっとクチバシでちぎってね、
ちゅもちゅもっと噛んで 残りをプッと捨てたって。ちぎれた若葉はくりんくりん。
「こいつは 愉快」小鳥は次から次へと若い葉ちぎっちゃ ちゅもちゅもプッ。
次から次へと若い葉ちぎっちゃ ちゅもちゅもプッ。
とうとう けやきの若葉一つも残らず散らしてね、小鳥は一等高い枝に飛び乗ると
「どんなもんだい!」胸張った途端、
ぼっ!
次の若葉が木いっぱいに茂ってた。
小鳥それ見て「ぴー」っと どこかへ逃げだした。
                  
 まったく、五月の若葉というのは何という勢いで伸びていくものなんでしょう。風も雨もおひさまも味方につけて、音をたてていくようですらあります。以前住んでいた街には、隣の駅まで2キロほど、けやきの街路樹が続いていました。けやきは冬の間はすっかり葉を落とします。春になってポチポチと蒼い新芽をつけ始めたなと思ってからの早いこと。まさに一日で、葉の重みに木がたわんでしまうのです。
 いったん、緑となったけやきの並木は本当に美しい。雨が降れば頭を垂らし、風が鳴ればバッサと首を一つ振り、再び晴れ渡った青空の下、間違いなくずんと一つ大きくなっている。わたしは、覆い被さるようなけやきのトンネルを車で走り抜けるたび、子どもたちを想います。彼らもまた、一雨降るとしょんぼりとして、自分の力で水跳ね除けて、晴れ晴れとしてわたしに語りかけるころには、確実にまた少し目線が近づいているのです。
 さて、「十月はハロウィーンの月」は、January(1月)からDecember(12月)まで、その季節の到来を一編ずつの詩で綴っています。一編ずつを取り出して、詩集として楽しむこともできますが、全編を通して詠ってみることで、冬から春に移りゆく時のわくわく感や、夏が終わっていく時のしょんぼりした気分をそのページの隙間に発見することができるのです。わたしのお薦めは、今の季節から詠み進めること。一年を巡って再びその季節に戻ってくるころには、今ある季節そのものが新鮮で、ありがとう!と感謝したくなる。
何かを始めたくてドキドキするのも5月。何もしないことにドキドキするのも5月なのです。

 



2001年5月
今月のおはなし

  長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

   屏風   日本の昔話1「とんとむかしがあったけど」未来社より
 とんと昔があったげど。
 あるどきね、山のしょが、五、六人つれだって、上方まいりに行ったがんだてや。
宿屋にとまって、ほうして寝るどきね、枕元ね、屏風が立ててあったてや。山のしょは、生まれて始めて、こんげな長い屏風を見るがんで、
「おうこ、おもしいもんがあるねか」と、たンまげて見ていたどもに、その中ね、中の一人が、手で、ちょっと、つっついて見たれば、その屏風が、パタンところんで、ひろがってしもたと。
「そら、そら、おおごとしたねか、はや、もとのようね、おこして立てよう」と、ンなで、
屏風をおこしたどもに、ひろがったまんまにして、折りまげねんだんが、また、じっき、バタンところんでしもうがんだてや。ほうしたれば、またおこす、また倒れる、とうとう夜がら夜っぴり、ンなして、屏風いじりばっかして、ちっとも眠らんでしもたと。
これで、いちごさけた、どっぺん。



2001年5月
今月のゆんちゃんみなちゃん ゆんちゃん13才 みなちゃん10才

 
  ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。  

とらぬタヌキの...

 このところみなちゃんは、すこぶるご機嫌であります。とってもいいことを思いついちゃったからです。特許を取ろうかなとも思います。お金持ちになれそうだから。「伊東家の食卓」にハガキを書こうかなとも思います。テレビに出られそうだから。
 ある朝、みなちゃんはついに我慢ができなくなってわたしを呼びました。
「ママ、みなのお部屋にきて、内緒でよ。」わたしが部屋に入ると、お布団がきれいに敷かれています。掛け布団も枕もちゃんと整えて。
「今からこのお布団をあっと言う間にソファに変えます。さあ、あっと言ってください。」わたしがあっと言うと、枕も掛け布団もそのまんま、みなちゃんはエイとばかりにお布団を3分の1のところで二つ折りにしてみせました。それから、二つ折りにした方を壁にぺたんとくっつけてネコちゃんの付いた大きなベッドカバーをその上に掛けました。
どうです、とばかりに鼻の穴を広げてわたしを見上げます。
「ここからがすごいんだよ。寝るときはもっと簡単!ジャーン。」みなちゃんはネコちゃんのベッドカバーをバサッとめくり、二つ折りの布団を広げてその中に潜り込んでみせてくれました。お布団から出てきたみなちゃんは、今度は腕を腰にあて、肩で息してどうだ参ったか、とわたしを見上げます。
「おねえちゃんには、絶対内緒だよ。」念を押されて部屋を出たわたしは、ちょっと首をひねりました。でも、もうちょっとほとぼりが覚めるまではこのままにしてあげることにします。それからゆっくり教えてあげましょう。あれには、『万年床』というちゃんとした名前がついていることを。






2001年4月
今月読みたくなっちゃた本

  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません!

かいじゅうたちのいるところ

モーリス・センダック さく
じんぐうてるお    やく
富山房
 つい最近まで、家族でキャンプによく行きました。家族だけでキャンプに行くと設営をさっと済ませて、あとはそれぞれぼんやり、のんびりくつろぎます。主人とわたしは久しぶりのゆったりとした休暇に乾杯し、だらだら、チビチビ、グラスを傾けて過ごします。
鍋から立ち上る湯気をながめてはチビチビ。山間の木立のそよぎに耳を澄ましてチビチビ。特にすることもなく、ぼんやりとまたチビチビ。
自然の中に入ると、人はちゃんとおひさまに合わせてお腹がすくようにできているのですね。日暮れとともにランタンに火を灯し、早目の夕食に取り掛かります。
お腹が満たされると、薪の赤い炎をながめながらチビチビ。炎の先に揺らめく、陽炎に心を馳せてチビチビ。パチっと音をたてて、夜空に舞い上がる火の粉を目で追ってはチビチビ、と主人とわたしはとどまるところを知りません。
そんなわけで二人の娘は、限りない静かな時の流れを使い果たす術を、自然と身に付けることになるのです。小さなキャンプの達人たち。木の実も木の葉も石ころさえ彼女たちの友だちとなり得ます。普段はケンカばかりの二人ですが、キャンプに来ると中睦まじく、次々に遊びを展開させます。
枝を拾って、マシュマロを刺して火であぶって食べる。外側のこんがりと中身のとろりとした焼き具合のタイミングが微妙です。
おそろいのフード付き白いセーターを着て、フードを頭からすっぽりかぶり、セーターの中にひざを抱えて足首まで収めると、雪だるま姉妹の出来上がり。赤い軍手のゲンコツを顔の前にかざして、まるで真っ赤なりんごで雪だるまに目を付けたみたいです。
いよいよ熱が入ってくると「かいじゅう踊り」が始まります。焚き火の周りを足踏み鳴らし、腕振り上げてのっしのっしと行進します。その姿がテントや、すぐ裏の山をスクリーンにして映るのです。火に近づくと影は一層大きくなり、まるで本物の怪獣のよう。山に映った大きな怪獣に狂喜して踊りはますます激しくなります。
主人とわたしは、達人たちの妙技を横目で見つつ、相変わらずチビチビと更けゆく夜を楽しむのです。

 さて、絵本「かいじゅうたちのいるところ」では、センダックがすばらしい「かいじゅうたち」を描いています。一度出会えば、誰の心にも住み着いてしまう、すばらしい「かいじゅうたち」!どの子ども部屋にもあんな「かいじゅうたち」が潜んでいて、マックス君の登場を手をこまねいて待っているに違いありません。
 子どもたちは、ありあまるエネルギーを撒き散らして生きています。世界中のマックス君にはその本領を思う存分発揮して、時にはおもいっきり「かいじゅうおどり」を踊ってもらいましょう。帰るところは、ちゃんと決まっているのですから。

 



2001年4月
今月のおはなし
  長いお話が語れなくても、小さなお話なら覚えられるかもしれません。自分のことばで声に載せて誰かに語ってみてください。

小さなおはなしです。お鍋が煮える合間にでも、声にのせて読んでみてください。
あなたの近くにいる誰かに……ネ!

ひばり金貸し    

日本の昔話1   未来社 より

 とんと昔があったげど。
 ひばりは、もと、金貸しで、おてんとうさまに金を貸したてや。ほうしたとこてんが、おてんとうさまが、いっこと、借りた金を返さねんだんが、あんまり心配して、とうとう、鳥になってしもたがんだてや。ほうして、雪がけえて、春になれば、
「天竺爺、金返せ、金返せ」
と言うて、天上へまい上がり、金をさいそくに行ぐがんだてや。いくら、さいそくしても、おてんとうさまは、金をよこさねんだんが、
「だめだ、だめだ、だめだ」
と言うて、下へおりてくるがんだてや。
 これで、いちごさけた、どっぺん。
 



2001年4月
今月のゆんちゃんみなちゃん ゆんちゃん13才 みなちゃん10才

 
ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。 

グレープフルーツふたたび

 我が家にグレープフルーツの季節が戻ってきました。冬の間はあまり出番がなかったグレープフルーツですが、店先で春の日差しにぴかぴか光る姿は、いかにもおいしそうです。早速4個入りのパックを買ってきました。
 去年の夏、グレープフルーツ熱にとりつかれ、半分に切ってスプーンですくっては、最後のおつゆまでお皿のはじからチュッと飲んでいたみなちゃんに、先ず一つあげました。半分に切って、お皿に入れて、スプーンですくって、それから、
「ママ、グレープフルーツジュース飲んでいいよ。」
意外なことばに、ありがとうと振り返ってみれば、あのねえ、それはみなちゃんの食べ残したおつゆじゃない。
 残りの三つのグレープフルーツは、一房ずつ薄皮をむいてタッパーに入れておいてもらうことにしました。こうしておくとサラダにも、朝のフルーツにも使えて便利です。みなちゃんは、一時間ほどかけて薄皮をむき、タッパ−を冷蔵庫にしまってくれたようでした。
 ところが次の朝、タッパ−の蓋を開けたわたしは、ぎゃっとおもわず声を出してしまいました。お弁当箱ほどの大きさのタッパ−には、重なることなく二列に三つずつグレープフルーツの房がきれいに整列していたのです。どうやら、みなちゃんのグレープフルーツ熱は、春の日差しとともに完全復活したようでした。






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2001年3月
今月読みたくなっちゃた本

  今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません! 

おちゃのじかんにきたとら

 ジュディス・カ− 文と絵
 晴海 耕平    訳 
童話館
 天井を歩いたことがありますか?忍者のように逆さまになって、一歩一歩天井を踏みしめたことありますか?
 なんとも気をもたせた書き出しになってしまいましたが、二人の娘はあるのです。ある時期、主人は月に一度のペースで出張に行っていました。二週間ほどの出張は、どことなく父娘お互いをよそよそしい存在に感じさせます。そんな気恥ずかしさも手伝ってか、帰ってくると先ず第一声は「さあ、天井歩くぞ。」だったわけです。
 子どもたちが跳んでくると主人は一人ずつ順番に抱き上げて、わきの下をしっかり抱いて逆さまに持ち上げます。主人の頭の上で、娘はお腹にぐっと力を入れて足を踏ん張り、逆立ちのまま一歩一歩ゆっくり天井を歩くのです。
なーんだ、なんて言わないでくださいね。おとうさんの力を借りているとは言え、足の裏に天井を感じながら前に進んでいくのはなかなかに難しそうです。わたしは、それを横目で見ながら「いいなあ、一回くらい天井を歩いてみたいなあ。」となんとなくうらやましく思ったものでした。
さて、当然のことながら娘たちは、この仕事(?)をわたしには要求しません。あくまでも「パパ、天井歩かせて!」なのです。おとうさんっていいですよね。これひとつで「パパってこれ!パパってすごい!」と感じさせてしまうんですもの。わたしが、どんなにあくせくと世話を焼いてもこうはいきません。「なんとなくうらやましく」の中には、実は違ったジェラシーも含まれているのでした。 

さて、大好きな絵本のひとつに「おちゃのじかんにきたとら」があります。とらがお茶の時間にやってきて、おやつばかりか家の中の食べ物、飲み物、水道の水まで飲みほしてしまうのですから大事件のはずなのに、ちっともそんな風じゃない。とらがとてもお行儀よく、その傍にソフィーがいつも寄り添っているからでしょうか。物語はたんたんと進みます。どんでん返しも、機をてらったことばもない。それでも本を閉じた後、わたしは、すっかり満ち足りた気持ちになるのです。
おとうさんの登場の仕方がまた素敵です。いかにも英国紳士という感じのこのおとうさんは、スーパーマンのようにさっそうと登場します。「おとうさんってこれ!」そう、おとうさんさえいれば何にも困ることはないのです。



2001年3月
今月のおはなし
 

    小さなおはなしです。お鍋が煮える合間にでも、声にのせて読んでみてください。
    あなたの近くにいる誰かに……ネ!  

みな殺しと半殺し     

日本の昔話2 未来社 より

 とんと昔があったげど。
 あまぼん様が上方まいりをして、ある家にとめてもろたと。その晩に宿の人がコソコソ話をしていた。
「あしたはどうする。みな殺しにするか、半殺しにするか。」
「そうだな。」
これを聞いていたあまぼん様は、
「こりゃ、おらが殺されてしまうが、こんげなどこにいらんね」
と、夜中ににげだしたと。みな殺しというのは、ふかし餅米をついて餅にすることで、半殺しというのはかい餅のことだと。宿の人があまぼん様のごっつぉない何するかと相談したがんだと。
 これで、いちごさけ、どっぺん、釜の下コットコット、鍋の下グヮチャグヮチャ。



2001年3月
今月のゆんちゃんみなちゃん ゆんちゃん13才 みなちゃん10才

  ゆんちゃんは中学生、みなちゃんは小学生、二人は今日も一生懸命!人生は険しい。 

みなちゃんの領域

 冬の間、家の中が寒かったので室内履きを買いました。ゆんちゃんはバスケットシューズを型どったもの。みなちゃんは、毛糸素材で、足の甲の部分には編みぐるみのくまさんが付いている。いずれも中には綿がたっぷり入っていて、足が二周りは大きくなったようで、とても可愛い。そんな室内履きともそろそろお別れの季節がきました。
 さて、みなちゃんが歩いた後はすぐ分かります。フンフン、なるほど、このテーブルでチョコを食べて、ピアノ弾いたついでに鼻かんで、階段上りながらアメ舐めたわけね。チョコの紙もティッシュもアメの包み紙も、その場にポイ! 
 お部屋は見ないことにしています。見るとついついお小言を言いたくなるので、用事があっても開けたら閉める、見ないで閉める!を繰り返している。一体ウジっていうのはどのくらいでわくものなのでしょうね。ウジがわいたら、みなちゃんだって気が付くでしょう。それまでは、みなちゃんの領域には踏み込まない。
 しかし、「どこでもここでもポイ」の方は、みなちゃんだけのお家ではないので困ります。わたしもかなりしつこく注意しました。その甲斐あってか、この二三日アメの包み紙もティッシュも見当たりません。みなちゃんも大人になったものだと感心していたら、みなちゃんの留守に我が家の愛犬Ca美(キャビ)ちゃんが、どこからか次々ごみを持ってきては、ぺろぺろ食べている。
 一体どこから持ってくるのかと思っていたら、ゆんちゃんが発見しました。みなちゃんの室内履きの中にギュ−ギュ−に詰まったアメの紙。みなちゃんは、食べながらいつも履いている室内履きにごみを詰めていたのでした。
「歩くゴミ箱!」ハテ、室内履きは、みなちゃんの領域でしょうか。家族みんなの領域でしょうか。






2001年2月
今月読みたくなっちゃた本
 
今日の気分で選んだ絵本。でも、絵本の紹介にはとどまりません!

まゆとおに


富安陽子 文
降矢なな 絵
福音館書店
 季節は約束を違(たが)えずに 今年もまた巡ってくる。
 こんなに冷たい春の年にも 隙を見つけて ひっそりと ゆっくりと 
それでも着実に木々の梢に 春の息吹を滑り込ませる。

 桜が硬い小さな蕾をつけ始めたのをご存知ですか?この季節になるとわたしはいつも
不思議に思うのです。桜はどうやって春の訪れを知ったのでしょう。風は相変わらず冷た
く、向きを変えることなく吹き続けているというのに。まだ、雪が残る畑の片隅で、梅が
小さな花をつけていたりすると植物はエライなあと、心から感心してしまいます。
 夏も秋も冬も、毎日の気温の変化や、微妙な風の吹き具合で季節の移行を実感しますが、
春だけは、植物が先ず目覚めて、季節を動かしているように感じてしまうのです。「やや、
桜が蕾をつけたとなると、そろそろ我々も柔らかい風にしなくちゃいけないね。」みたい
に……。でも、決してそんなはずはありません。わたしたちが感じないほどの微妙な季節
のサインが、桜や梅や春一番の植物たちを起こしているに決まっているのです。うーん、
やっぱり自然は偉大だ。
  桜の蕾をみつけるとどきどきします。ああ、もう少しで春なんだとうれしくなります。肩をすぼめて、地面ばかり見つめて歩いていたわたしですが、どれ、ここはひとつ背筋をしゃんと伸ばして、木々の梢に目を配りながら、残りわずかとなった冬の風をまっすぐに受けて歩いてみましょう。
 さて、2月の声を聞くと、やはり鬼のお話が読みたくなります。わたしの描く「鬼像(?)」は、威風堂々としていて、わずかな粗忽さと人間味を兼ね備え、かといって必要以上にウエットであったり、人間に媚びるような鬼ではいけないという贅沢なものです。この想いをちゃんと絵にしてくれたのが、降矢ななさんの描いた「まゆとおに」!おはなしの中で、「おに」は、「まゆ」にやられっぱなし、すっかり三枚目となっていますが、それでも力強くたくましい「鬼」のまんまでいてくれます。小さな子どもから大人まで楽しめるのもうれしいところ。でも、「まゆ」の正体を初めから明かしてしまうのがもったいなくて、最後の最後までとっておきたいと思ってしまうのは、やはりわたしのわがままでしょうか。  
 



2001年2月
今月のおはなし 


    小さなおはなしです。お鍋が煮える合間にでも、声にのせて読んでみてください。
    あなたの近くにいる誰かに……ネ!  

はなし    

長崎県南高来郡      
日本の昔話(V) 岩波文庫より

  
 昔じったげなもん。あーい。ちょうど諏訪の池のようなところれ、鴨ん鳥がいっぱい浮かんでいたげな。あーい。そこに狩人がやって来たげな。あーい。そうして射とうと思って鉄砲をかまえたげな。あーい。はなそうかい、はなすめかい、はなしてくれー。ぽーん。鴨はみんな飛んでいってしもうたげな。これでおしまい。




2001年2月
今月のゆんちゃんみなちゃん ゆんちゃん13才 みなちゃん10才


160センチのゆきだるま

 雪が降りました。溺れるほどの雪でした。その木にもこの土手にもなにかの思いをたたきつけるように、しんしんと雪が降り積もりました。雪が止むと白い世界は、やがて大きなプレゼントとなって子どもたちを興奮させます。雪はきっと昔から犬と子どものどこかのコードを抜くようにできているんだ。文字どおり歌い、踊って、跳ね回り、挙句の果てに、帽子とコートと手袋はめた160センチの雪だるまが、夜中の町に飛び出していく。
 パジャマの上にコート羽負ったゆんちゃんもお風呂に入るから30分だけ、とお約束したみなちゃんも、帰ってこない、帰ってこない、帰ってこない。10時を過ぎても帰ってこない。だけど、誰に止められよう、このはやる心を誰が抑えられよう。
 雪だもの。雪だもの。

 どうやら今回は、わたしもどこかのコードが抜けてしまったみたいです。だけど、仕方ない。
 雪だもの。雪だもの。

2月のおまけ

 さて、翌朝張り切って雪掻きを手伝ってくれたみなちゃんですが、えいっと思い切り雪を放ったその途端、
「あれ、ママ、お首が痛くて動かないよぉ。」みなちゃんは、突然『はしゆきおさん』になってしまいました。一日中『はしゆきおさん』で過ごしたみなちゃんは、次の日、学校休んで病院に行きました。初めて自分のガイコツを見るんだ、とちょっとうれしそうでした。
 初めて見たみなちゃんのガイコツは、右斜め30度、やっぱり『はしゆきおさん』でした。






2001年1月
今月読みたくなっちゃた本

ゆきのひ

エズラ・ジャック・キーツ 文・絵
きじま はじめ 訳
偕成社
 雪が積もった朝というのは、布団の中で目覚めたときに、もう特別な感じがします。「あっ、積もってるな。」という、あの感じ。いつもと違う冷たい空気がピーンと張り詰め、部屋の中も心なしか明るく感じます。それとも、遠くでシャーシャーと雪を掻く音が、無意識のうちに夢うつつの頭の奥に響いていたのでしょうか。カーテンを開けて、積もっていることを確信すると「学校は大丈夫かしら」「雪掻きしなくちゃならないかしら」という現実的な心配とは裏腹に、心の芯のあたりでは、どこかクスクスと笑いたくなるような気持ちが沸き起こってくるのです。
 ところで、ほんの二、三年前まで、雪が積もった日には、昼間からお風呂に入っておしるこを食べるものだと信じていました。どこの家でも、そうすると思っていたのです。子どものころ、雪遊びをして帰ると、
「お風呂に入りなさい。」
と、必ず言われる。帽子、手袋、マフラー、靴下、たけのこの皮をむくみたいに着込んでいた服を次々に脱いでいく。ベシャベシャのパンツまで洗濯機に放り込んで湯舟につかると、ジンジンと電気が走っているような指先から徐々に解凍(?)されていくのを実感します。その後食べるおしるこのおいしかったこと。わたしの実家がたまたまそうだったと気付いた後も、雪が積もると古来ゆかしき日本の伝統のように、ついついお風呂沸かして、おしるこ作っちゃうわけです。
 さて、そんなわけで、絵本『ゆきのひ』の中でピーターが、雪の中をつま先を外に向けたり中に向けたりして歩く場面、両足をゆーっくり引きずって雪の中に二本の線をつける場面、そして何より、あのパープルがかった美しいピンクのバスタブにつかっている場面を開く度、「わたしは、これを知っている!」と、思うのです。わたしの体が、そのときの音や、温度や、感触を「知っている」と、感じるのです。
残念なのは、子どもの頃、雪の中で、「てんしのかたち」を作ったことが、なかったこと。でも、わたしの二人の娘は、ピーターがてんしのかたち」を作る場面を開く度、そのときの音や、温度や、感触を「知っている」と感じているのだと思います。



2001年1月
今月のおはなし


   今月は、むかしから伝わる「わらべうた」です。何度でも声にのせて読んでみて!

しょうがつどん ござらるた/どこまでござらるた
くるくるやまの/とうげのしたまで/ござらるた
みやんなんじゃった/みかん/こんぶ/あまのはらのくしがきじゃ *みやん=みやげ

かんかんづくしを たずねたら/みかん きんかん さけのかん
おやじやかんで こはきかん/すもうとりはだかで かぜひかん
さるは みかんのかわむかん
                「わらべうた 上」より 
             谷川俊太郎 編
                 富山房



2001年1月
今月のゆんちゃんみなちゃん ゆんちゃん13才 みなちゃん10才
 

ゆんちゃんだっこ

「ゆんちゃん みなちゃんのことを新聞に載せていい?」
この新聞を書こうと思ったとき、わたしは二人に聞きました。ゆんちゃんは毎度のごとく、
「べつにー、いいんじゃない。」ところが、みなちゃんは、
「そんなの駄目。わたしたちの日常がどんどんばれていくんだよ。」すばらしい即答でした。でも、わたしは、そうは思いませんでした。読んだ人が、みなちゃんのこと、ちゃんと分かってくれると思ったし、同じように、
自分の子どもや、周りにいる子どもたちのことも「ふむ、なかなか愛しいぞ。」と感じてくれると信じていました。そこで、みなちゃんにもそういう風に説明しました。その代わり、みなちゃんの嫌なことは書かない約束をしてね。
 ところが、おフキン事件をみなちゃんに内緒で記事にしてしまったのでみなちゃんは、大変「おかんむり」です。自粛して、『今月のみなちゃん』は、お休みします。ハイ。
 さて、ゆんちゃんは、相変わらずバスケットに夢中です。ほとんど家にいることもありません。先日、珍しくそんなゆんちゃんと二人っきりで、三時のおやつを食べました。もぐもぐとクッキーを頬張るゆんちゃんを横目でみているうちに、なんだか、ふつふつと『抱っこしたい』と、いう感情が沸き起こってきたのです。
「ねえ ねえ、抱っこしてあげる。」と、声を掛けてみましたら、初めはにこにこと、
「いいよー。遠慮するよー。」
と、笑っていたゆんちゃんでしたが、かなり強引に迫りましたら、
「やめろっていってるだろーがー。」体を張って抵抗します。
 抱っこのはずがいつの間にか、女子プロレスになってしまったのは、一体どうしたわけでしょう。







2000年12月
今月読みたくなっちゃった本

とってもふしぎなクリスマス


ルース・ソーヤー文
バーバラ・クー二一絵
掛川恭子訳
ほるぷ出版
クリスマスツリーを飾りました。一体何が忙しいのか、いつも出掛けてばかりいるわたしですが、クリスマスが近づくと妙に優しい気持ちになって家でゆっくり過ごしたくなります。何かを作りながら家族を想う、そんな季節が巡ってきました。

最近気に入っていることのひとつに『バス通勤』があります。週に一度、火曜目だけバスで仕事場に行くのですが、ぼんやり窓の外をながめての駅までの10分ほどが好きです。
「え一、いつの間に12月になっちゃたの!?」カレンダーを覗いては、びっくりマークニつほどの叫ぴ声を上げている私をよそに、窓の外の景色は、『季節は、どこもスキップなんかしちゃいない、ちゃんと順を踏まえて今年も移り変わっているんだよ.』と、教えてくれます。
街路樹は色づき、やがて葉を落とします。次の冷たい雨が降る頃には、すっかり丸坊主となった冬の木立が、張り詰めた冷たい空気と一緒に、バスの窓から飛ぴ込んでくるでしょう。
街行く人々も、それに答えるように、トレーナーやセーターをあきらめて、帽子を目深にかぶって冬のコートに身を包みます。家々は、夏の名残のパラソルをいよいよたたんで、北風に揺れる玄関先の小さなリースさえ、立派な季節の使者となります。
人や犬や家々も、自然の営みのひとつとなって季節の風景を作っていく。駅に着いてわたしもバスから降り立てば、街に溶け込んで風最の一部となる。人様のものだったこの街が、引越しから半年経って、少しづつ『自分の街』へと変わっていくのを、バスからぼんやり眺める景色の中に感じるのです。

さて、話は戻って今年のクリスマス、どんな本を手にしましょう。それぞれの心に住む、そ
れぞれのサンタクロース。何年か前、バーバラ・クー二一が描いたこの物語に出会ったときから、このサンタクロースがわたしの心に住みついて離れません。クー二一もソーヤーもこの『みたこともないようなおかしな男』 −大きなとんがりぼうし。まんまるいあから顔のまんなかには、プデイングにのっている大きなプラムのようなだんご鼻。大きな耳。− のローリン王をサンタクロースとして描きたかったかどうかは分かりませんが、雪深い北欧の地で、今も毎年人々を困らせ、喜びと驚きを与えていると素直に信じることができるのです。



2000年12月
今月のおはなし


小さなおはなしです.お鍋永煮える合問にでも芦にのせて玩んであげてください.
こどもたちに、ご主人に、おぱあちゃんに、犬にも…ネ!


昔と話と謎のはなす

らむかす、あったずもな。
あるとき、昔と話と謎と旅すたずもな。行くが一、行くが、行ってぱ、橘あったったずもな。
その橋の上さ行ったずもな。
そしてぱ大きな風、ばふうっと吹いてきてば、昔アむくれて、話アはずけて、謎アながれて
すまったとさ。どんどはれ。

「鈴木サツ全昔話集」より
福音館書店




2000年12月
今月のゆんちゃんみなちゃん

ゆんちゃん12才みなちゃん10才

みなちゃん時計

洗濯物をたたみながら、ハタと気がつきました。『二学期になってから、みなちゃんの給食フキンをたたんだことがない!』早速、みなちゃんを呼びますと、引出しいっぱいにまるまったナフキンの山。足りなくなってからは、三枚ほどをローテーションして持っていっていたらしいのです。今度の学校(二学期から転校しました。)では、お箸も持っていかなくて良いので、わたしもうっかりしていました。それにしても、どんなおかあさんから育ったら、こんな子どもになっちゃうんでしょう。反省します。

「お風呂に入るとき、出そうと思ってたら忘れちゃったの。」
そう、みなちゃんの頭の中にある『みなちゃん時計』は、わたしの時計と完全に異なっています。わたしは、やること先にやっちゃって、それから何でも好きなことしなさい、と言う。
みなちゃんは、9時に寝るとしたら、そこから逆算して8時ころ勉強を始めるわけです。翌朝の6時ころ目覚しかけて何やらゴソゴソやっていることもある。
それで、今回のナフキンのように、ずるりと何かが抜け落ちてしまったりする。抜けてしまうと、もともとギリギリで計算しているから、それをする時間がない。そこで、また親子でバトルを繰り広げてしまうんですね。フー。

さて、今日のわたしは、なんとなく頭が痛い。風邪の前兆かもしれません。でも、することは山積みだ。手紙も幾つか書かなくちゃならないし、来週予定のおはなしも覚えなくちゃならない。実のところ、この新聞にも一応締め切りがあるのです。ああ、頭が痛い。でも、やらなくちゃ。わたしは、ちょっとパニック状態。それ見て、みなちゃん言いました。
「今日、どうしてもやらなきゃいけないのは、何と何なの?それだけやって、早く寝なさい。寝るのが一番!」
ふ一む、と痛い頭で考えてみたら、今日中にどうしてもやらなきゃならないことが、悲しいかな、ひとつも思い浮かびませんでした。みなちゃんに言われた通り風邪薬飲んで、ふてくされて寝ちゃいました。
十年間体にしみ込んだみなちゃんの哲学は、今日のところ、ちょっと説得力がありました。






2000年11月
今月読みたくなっちゃた本

おさる目記


和田 誠 文
村上康成 絵
借成杜
娘たちを初めて長野の親戚の家に連れて行ったときのことです。岡舎の家ですから、その玄関からして、私たちの家の一部屋が丸ごと入ってしまうような広さでした。私たち家族とおばあちゃん、全部で五人が横一列に並んで挨拶しますと、吹きぬけの天井まで続いている立派な大黒柱の影から、小さなおサルが −失礼、立派な人間の男の子でした。− こちらの様子を窺ってレ、ます。

「しゅん君?」と、声をかけますと7才になるしゅん君は、スルスルスルっと、その太い柱を抱きかかえ、二階まで登って柱のてっべんから小首を傾げ、私たちをじ一っと見つめているのです。まあ、その瞳の大きいこと、黒いこと。大きな瞳で見つめられ私はちょっと、どぎまぎしました。
黒い大きな瞳をしたしゅん君は、私たちが滞在した数目間、影法師のように付かず離れず娘たちの傍にいました。川原に行くと言えば、1メートルほど後ろをついて来る。そのくせ、後ろを振り向けばすっと消えてしまって、どこから先回りしたのか今度はちょっと先の曲がり角から顔を出す。畑にトマトを取りに行くと言えば、まったく関係ないよ、という顔をしながらザルー杯に採ってくれる。アマガエル付きでね。夜になって娘たちにお話をしていると、お座敷の外の真っ暗闇から二つの瞳が私たちを捕らえている。
「一緒に聞く?」と、声をかければ入り口まで来てゴロンと横になる。もう一声かければ、また暗闇に吸い込まれてしまいそうなしゅん君に、さっきよりちょっと声を大きくして「赤ずきんちゃん」を語ったり。

緒局しゅん君とはそれ程話をしませんでしたが、その真っ黒くて大きな瞳が、クルクルといろんなことを語りかけてくれました。出きる限りの気遣いとおもてなしもね。私の中でしゅん君の輪郭や声が段々ぼやけてきても、あの黒い大きな瞳を忘れることができません。少年となったしゅん君にいつか会いに行こうと思います。

さて、しゅん君の瞳に会いたくなっちゃった人には、「おさる目記」をお薦めします。「X月X目/おとうさんがかえってきたので/灘までむかえにいった/おとうさんは/おみやげをぼくにくれた。/おさるをくれた。/まだちいさいおさるです。」しんちゃんの家におさるの「もんきち」がやって来ます。
もんきちは、段々頭が良くなって、ちょっとずつ変化が表れて、あぁ、どこまでも話してしまいたいけれど続きはやっぱりしんちゃんの書いた目記を読んでもらいましょう。最後の最後がお楽しみ!
そうそう、しゅん君がおサルに似ているというのでばありませんよ。瞳です。瞳! くれぐれも誤解のないようにね。




2000年11月
今月のおはなし

小さなおばなしです。お鍋が煮える合間にでも声にのせて読んであげてください。
こどもたちに、ご主人に、おばあちゃんに、犬にも…ネ!'


からすととんび


むかしむかしのことだったって。
油揚げくわえたとんびが、屋根の上さ止まったんだって。それ見たからすがうらやましくてねえ、
「買ったのカアー、買ったのカアー」
と鳴いたんだって。そうしたらとんびが、
「ヒョーロッタ、ヒョーロッター」
と鳴きながら、飛んでったんだとさ。

東北地方・昔話
角川出版
「日本の民話11民衆の笑い話」より



2000年11月
今月のゆんちゃんみなちゃん
 ゆんちゃん13才みなちやん10才


ケンカの花道

朝、ヌボーっと起きてくるゆんちゃんが日増しに私の目線に迫ってきた気がします。そ
う言えば最近は、会話も大人同士といった感じでアドバイスしてあげることはあっても、
怒らなくちゃならないこと自体がほとんど無くなってしまいました。娘に背を追い越され
る目というのは、どういう気分なのでしょうね。
さて、みなちゃんも日増しに大きくなって。でも、みなちゃんに背を抜かれると思うと
・・。ブルブルブル、身震いしてしまいます。みなちゃんには、まだまだ覚えてもらわなく
ちやならないことが山程ある。
毎貝戦っています。来る日も来る日も「ケンカの花道!」ああ言えばこう言うし、こう言
ってもお返事がない。お返事がないからまた怒る。最近の口癖は、「今やろうと思ったの
に…。」十年前のコマーシャルじゃないんだからね。可愛いみなちゃんは、どこに行って
しまったのでしょう。
みなちゃんはしっかり向かってきます。「子どもは叱ってもいいけれど、自分が怒っち
ゃ駄目なのよ。」そ一んなことばは、みなちゃんには通じません。私は、親であることを
忘れ、大人であることを忘れ、女であることを忘れ、ひたすら戦ってしまうのだ!
「みなちゃんがよく考えるまで、ママはみなちゃんとお話できません。」
『決まった一。』すっくと立ってみなちゃんに背を向けて洗い物をしていると、ごそごそ
と何かしている。ここで振り返るわけにいかないので、みなちゃんが部屋に戻った後で見
てみたら、カレンダーに赤いマジックで書いてある。『ママがみなの声を聞けなくなった
日』
これは、みなちゃんの悲しい心の叫びではありません。挑戦状です。よーし、明目も戦
うぞ!みなちゃんに、
「何よ、ママ。」と、上から見下ろされる日が来る前に、生活していく上で大切な幾つか
のことをしっかり身に付けてもらいましょ。







2000年10月
今月読みたくなっちゃった本

わにわにのおふろ


小風さちぶん
山ロマオえ
福音館書店こどものとも年少版(2000年6月号)

このリアルなワニのわにわにくんが、ぺ一ジをめくる度、「うちの子」もし<は、「隣の正男君」に見えてきます。絵本を開いた子どもたちだって「これって僕?」と、思うに違いない。

さて、うちのわにわにくんは、お風呂に入るとおしゃべりし続けます。エヅチな質間も、次々にします。天才バカポンを二番まで歌います。それから、ずりずりとバスタブによじ登り、バスタブにまたがって、バスタブを抱きかかえるように寝そべっています。「何でそんな格好?」と思ったら、甲羅干しだそうで「暑くなるといつもこうやっている」ということです。これじゃ本当のワニじゃない。

お風呂っていうのは、入るまでが面倒くさくて、そのくせ入ってしまうと気持ちがいい。ついつい「ほーっ」と感嘆詞ともため息ともつかない声を上げてしまう。もちろん、これは大人になっても変わりません。入るまでが「よっこいしょ」という感じです。今まで、一番「よっこいしょ」と掛け声かけて入らなくちやならなかったのが、田舎の家のお風呂です。今はすっかり新しくなってしまいましたが、子どもの頃行った家は、母屋と別のところにお風呂があって、ただでさえ暗い田舎の闇が、裸電球(だったと思います。)を通してしんしんとわたしに迫ってくるように感じたものです。蜘蛛がぶら一んとぶら下がっていたりしてね。ところが心を決めて入ると、ちょっと開いた窓から星空が見えて気持ちがいいんだ。突然ガラリと窓が開いて、隣の家のおばあちゃんが、「陽子ちゃん、来たんだってー。」と、覗きこむ。もう一つの窓もガラリと開いて、今度はうちのおぱあちゃんが、「いやだわやぁ、おぱあさま。陽子がぴっくりしてるんね。」などと言いながら、二人で今目の畑の具合から始まって、延々長話をしたりする。わたしは、出るに出られなくてね。
「よっこいっしょ」と入った後に、「ほ一っ」と、一息つけないことも、時にはあるのでした。

ところで、皆さんのうちのわにわにくんは、どんな風に体を拭きますか? やっぱり、タオルの上に寝っ転がって、ぐにっ ぐにっ ぐなっ ぐなっ」でしょうか。



2000年10月
今月のおはなし


小さなおはなしです。お鍋余煮える合間にでも声にのせて読んであげてください。
こどもたちに、ご主人に、おぱあちゃんに、犬にも…ネ!

からからちゃっぽん(はてなし話)

とんと昔があったげど。
あるどこの川のはたに、でっこい栗の木があったてや。 秋になって、風がゴーッと吹くと、
栗の実が、カラカラ、チャッポンと、川の中に落ちるてや。 また、風がゴーッと吹くと、
栗の実が、カラカラ、チャッポンと落ちてるてや。 ほうしてまた、ゴーッと吹けば、
カラカラ、チャッポンと落ちるてや。 ほうしてまた、ゴーッと吹けば、カラカラ、チャッポン、
いつまでたっても、きりがね(ない)

未来杜「とんと昔があったげど」第一集
2000年10月
今月のゆんちゃんみなちゃん
 ゆんちやん13才みなちやん9才

わたしのアイス

うちには冷蔵庫が二つあります。 と言っても、 ひとつは今まで使っていたものが動く間は
置いておこうというので、二階の片隅で、今もぶーんぶーんともの凄いモーター音をあげているわけです。
この二階の冷蔵庫には、お客さんがみえたときにね、という為のジュースやビールが、その冷凍庫には
六つ入りのアイスクリームの袋がいくつかストックされています。 
ところが、この「イザ!」というときのアイスが、入れても入れてもすぐ無くなってしまう。
もちろん、わたしだって「食べちゃいけない」なんて、ケチなことは言いません。
でも、六つ入りのアイスの袋が二日で消えて、から袋だけ冷えていたりすると、 ちょっと
一言言いたくなってしまいます。
冷凍室をのぞいて、
「あれ?」と声を上げたら、二階に部屋を陣取ったゆんちゃんとみなちゃんが飛んで来ました。
「まだ、ひとつも食べてなかったのに。」ゆんちゃんは素っ頓狂な声を上げている。みなちゃんは
「わたしじやない。ママはいつもわたしを信じてくれない。」ときたもんだ。
まだ、「あれ?」と言っただけですって。 まあ、なんの証拠もないからね。これ以上の追求はやめましょう。
そこで、棒アイスはやめて、カップアイスを置くことにしました。 これなら二階で気の向くまま食べるというわけには
いきません。 犬じゃないんだから(ちなみに我が家のリビング・ダイニングは一階) ところが三日もするとやっぱり
空袋だけが二つ冷えている。一体いつの間に食べているんだろう。
ある日、あまりの汚さにみなちゃんのお部屋の掃除機がけをしていたわたしは、ゴミ箱に捨てられていたアイスのカップ、
数個を発見してしましました。
おまけに、みなちゃんの開けっ放しの引き出しの中にありました。 マイスプーン!
みなちやんは、犬ではなかった。スプーンを引き出しか出しては、いそいそと冷凍室に向か
う姿が目に浮かんでしまいます。







2000年9月
今月読みたくなっちゃった本

ぞうのみずあそぴ


いとうひろしえ・ぶん
絵本館
8月31目と9月1目の間には、つながった時の流れとは別に、目に見えないくらい細くて、でも深ーい溝があるような気がします。その溝を飛び越したら、昨日にはもう戻れないというような季節の溝。9月に一歩足を踏み入れた途端、空が数段高くなる。トンボが昨日の倍くらい飛び始め、夕方にそよぐ風だって確実に柔らかい。花火やプールだって急にショボショボと色あせてしまう。

夏っていうのは、8月31目を境にして、突然いっちゃうんですよね。
夏が大好きでした。ここ数年こそ『ふるやのもり』より何より日焼けが怖い、と日陰ぱかりさまようようになったわたしですが、それまでは、暇さえあれぱ、市営プールで過ごしていました。ごろんと寝転ぴ、青い空を眺めて本を読む。子どもはブールで好きなように遊ぶ。(ちっちゃい頃は、もちろん一緒に遊ぴましたよ。)こんな誰からも邪魔されない時問って、他にはそうそう考えられない。しかも、子どもも至極幸せそう。

今年の8月31目、「そうだ、プールに行こう!」と思い立った時のわくわく感は、ちょっとことぱで言い表わせません。水着、ゴーグル、バスタオル、敷物、読みかけの本をぱっさぱっさと袋につめこんで、季節の溝を飛ぴ越す前に、夏の最後を娘と二人、思いっきり楽しみました。さあ、これで心置きなく、食欲の秋にまっしぐら!
さてさて、そうは言ってもまだまだ日中は暑い暑い。ぞうくんには、もう一がんぱりしてもらいましょう。南の国の草原で、ぎらぎらの太陽の下、ぐてんぐてんの動物をぞうくんは水遊ぴに誘います。
わがままな動物たちとぞうくんの水遊ぴ。わたしは、断然ぞうくんの味方です。
ぞうくんが水遊ぴを終える頃、ぞうくんのもやもやと一緒に、わたしの心の中のもやもやもす
っかり吹っ飛んでしまいましたから。

*「ふるやのもり」…古い家の雨漏りのこと。おじいさんとおぱあさんが、どろぼうよ
りもおおかみよりも、この世で一番怖いのは、「ふるやのもりだ」
と話し合うのを、屋根裏で聞いていたどろぼうとおおかみが、「ふ
るやのもりがでた」ということぱを聞いて、大騒ざとなる日本の
昔話。福音館等から絵本串でています



2000年 9月
今月のおはなし

小さなおはなしです。お鍋が煮える合間にでも声に乗せて読んあげてください。
こどもたちに、ご主人に、おぱあちゃんに、犬にも…ネ!

犬と茶わん

とんと昔があったけど。
犬と茶わんが京参りにでかけた。犬が先になってドンドンとんで行った。茶わんは犬に
おくれてなるものかと、コロコロところがって行った。茶わんがあんまり気いもんで(急い
で)、犬の足にコツンコツンとぶつかった。そのたんびに、犬が、
「ワン、ワン」
と吠えた。ほうしると茶わんが、
「ワンでない、茶わんだ」
と言い言いして京参りをした。
これで、いちごさけた、どっべんだ。
未来杜「とんと昔があったけど」第二集
中村コト(71才)昭和32





2000年9月
今月のゆんちゃんみなちゃん
ゆんちやん13才みなちやん9才

チデちゃんのお墓

七月の終わりに引越しをしました。ジャンガリアン.ハムスターのチデちゃんは、暑さのためかストレスか、三日後に死んじゃいました。二年四ヶ月、おぱあさんだったからんね。チデちゃんのお墓を作る時、チデちゃんがいつも食べてたエサを蒔きました。ひまわりの種がたっぷり入っているの。まさか、そこからは、芽がでないよ。というわけで、ひまわりの苗も何本か敵ましデころが十目もすると、いっぱい発芽しちやってね、チデちゃん一体何食べていたんだろう。

そなある朝、リヴィングに下りていったら、食器が入っているローボードの上にみなちゃんがのっかってた。ねまきのまんま、足までのっけて、ごろんべたんと寝っころがってる。
「みなちゃん、そんな上で何してるの?」と、声をかけたら、さらりと一言、
「墓参り」だって。
言われてみれぱ、たしかにみなちやんがごろんとしているところから、出窓を通してチデちゃんのお墓とひまわりたちがよく見える。だけど、怒るよね。うちのだんなさんだって、絶対怒る不謹慎だし第一お行儀が悪い! しかも、そのローボードは、予算上オプシヨンをどんどヤ削ったわたしたちが、唯一これだけはと作りつけてもらった我が家のシンボル(?)とも言える家具なのでした。いつものわたしだって、一喝してる。
でも、今目はなんか許しちゃいました。みなちゃんは、ネコみたいです。気持ちのいいこととか場所をちゃんと知ってる。

ローボードの上から、出窓を通して見たお墓は、ひまわり揺れてその根元に無数の種から出た芽が黄緑色のかいわれみたいに風にそよそよなぴいていて、本当に夏らしい額に入った一枚の絵のように見えました。自分の好きな場所で、自分の楽な格好でぼんやりと愛しい者を想う。これって本当のお墓参りかもしれない。







2000年8月
今月読みたくなっちゃった本


おっきょちゃんとかっぱ

長谷川摂子:文 
降矢奈々:絵

子どもの頃、裏山にある熊野神社でよく遊ぴました。特別に大きな神杜ではありませんが、それでも一山こんもりと緑をたたえた裏山は、小さな私たちにとって秘密のにおいのする聖地なのでした。

神杜の裏に真ん丸い「のの池」があります。平仮名の「の」の形から名のついたこの池には、片目の鯉の伝説が残っています。神杜から歩いて十五分程の所に「ちの池公園」があって、ここは昔、母娘が心中をして血で真っ赤に染まった池を埋め立て公園にしたのだそうです。神杜の向かいには、平仮名の「い」の形をした『いの池」があって、三つを合わせて「いのちの池」というのです。これらは子どもの頃に触れた唯一の伝説、民話だったと思います。

さて、「いの池」には、長いことこんな立て札が立っていました。『かっぱにご注意!』何ともそそられる車て札でしょう?? 木が生い茂り、昼聞でもどんより、じっとりしたその一帯に小学生の私は入ることができませんでした。河童がヌッと手を出して私の足首を掴みそうな気がしたのです。中学生になっても、時々立て札を覗きに行ったのを覚えています。たぶん、その立て札がとても好きだったんだと思います。大人になって、池だしね、河童はいないな、と思うようになっても実家に行く度こっそり池を覗きに行きました。木の朽ちかけたその立て札があると、「立て札あるある、何かいるいる」とうれしくもあり、その癖子どもの頃を思い出すのかゾクゾクッとして結局池の淵まで行けませんでした。ほんの十数年前まで、横浜の新興住宅地の中にも河童は生きていたのです。

ある時、立て札は無くなっていました。立て札一つ無くなっただけなのに、私にとって池はただのじとじとした沼に変わりました。もう、ドキドキもゾクゾクもありません。『かっばにご注意!』立て札と一緒に河童も何処かへ消えました。
おっきょちやんはかっぱのガータロとともだちになって水の世界で楽しく過ごします。水の外に戻れておかあさんともちゃんと再会できます。けれど、この絵本を読むとわたしはせつなくなるのです。

おっきょちやんはガータロにもらったまつりのもちを「ひとくちたぺたら、おとうさんのことを
わすれ、ふたくちたぺたら、おかあさんのことをわすれ、みくちたぺたら、みずのそとのこ
とをぜんぶぜんぷ、わすれ」てしまいます。
外の世界に帰ってきたおっきょちゃんは、「おかあさんにいろいろきかれたけれど、かわのなかのことはなにひとつおぼえていなかった。」のです。
私たちの世界と水の中の世界、分かり合えても、決して相いれる事のない世界、それがドキドキやゾクゾクや、せつなさを呼ぶのかもしれません。



8月のおはなし
小さなおはなしです。お鍋余煮える合間にでも声にのせて読んであげてください。
こどもたちに、ご主人に、おぱあちゃんに、犬にも…ネ!

かっぱ

なんげえ はなしっこ しかへがな、
かっぱに わらしっこぁ 八万八千八百八十八匹あったど。
あるとぎ、おやじかっぱが、
「きょうは、およぎばおしえるがら、おらのうしろさついでこい」
って、ドボンって、岩がらとびごんで、スイスイスイっておよいだど、
したら、わらしのかっぱだぢぁ、
一匹づんづ ドボン スイスイスイ
ー匹づんづ ドボン スイスイスイ
ドポン スイスイスイ
ドボン スイスイスイ
ドボン スイスイスイー・・・・
かっぱのわらしっこぁ
八万八千八百八十八匹もおったがら、
いちばんおしまえの わらしかっぱが とぴこむまんで、
八年ど八十八日 かがったどせ。

「なんげえはなしっこしかへがな」
北彰介 文   銀河社




2000年8月
今月のゆんちゃんみなちゃん


ゆんちゃん12才みなちゃん9才

グレープフルーツ

みなちやんっていうのは、一つのことに夢中になると、どうしてか他のことは、まったく見えなくなってしまいます。そのみなちやんが今、夢中1こなっているのがグレープフルーツです。
テレビで、グレープフルーツを半分に切って、スプーンですくって食ぺ、最後に残ったおつゆをチューツと飲むシーンを見てから、始まっちやいました。『ママ、グレープフルーツ半分に切って頂戴』攻撃!
朝夕はもちろん、目が会えばグレープフルーツ。体に良いし、大いに結構なんだけれど、みなちゃんの場合、好きになると『執拗』としか言いようがないこれは立派な攻撃です。
学校から帰ってきて、ほらやっぱり冷蔵庫に直行する。お宝を抱えて、「自分で切っていい?」どうぞお好きにとほっておいたら、まな板の前で、あっと叫び声。手でも切ったのかとびっくりして飛んでいったら、あ一あ、やっちやいました。グレープフルーヅがおへそを中心に縦に半分。
「このグレープフルーツ変。スプーンでチューツができない。」変なのは、みなちやんの切り方でした。
でもね みなちやんは転んでもただでは起きません。その辺の石ころでも何でも二つ三つ握って起き上がるからね。

次の日、「グレープフルーツ切っていい?」とまた聞いてきた。
「半分、わたしに頂戴」ゆんちゃんが声をかけたら、
「いいよ、小さい方でいい?」とかわいいお返事。
ゆんちやんのグレープフルーツ小さかったよ。昔食ぺたメロンの容器に入ったシヤーベツトみたい。
へたの先しかなかったもん。グレープフルーツにこんな切り方があったことを、ママもゆんちゃんも
だーれも知りませんでした。







2000年7月
今月読みたくなっちゃった本

かさどろぼう


シビル・ウェッタシンハさく
いのくまようこやく
福蔵書店

家は小学校の真ん前にあります、五階ですから、お台所から校庭や教室がよく見える、今日のような雨降りには、傘の花を見ながら朝ご飯の洗い物という具合です。

野菜の花一つ、赤いチューリップ三っ、黒スミレの一群が花ぴらを回して水しぶきをあげる。水しぶきがかかって群れは、ぱっと散り散りに。「おまえがかけた」『おまえだって」元気な声が五階まで響いてきます、色とりどりの傘の花たちは、一つの門に吸い込まれ、ぽんぽんと音をたてて、一人一人の子どもにもどります。子どもたちは、今肩も元気'杯!それにひきかえ、雨が続くとっいしんなりなってしまうのが、おぱさんの私竈こんな日にこそ雨が待ち遠しくなるような本を開きたい。

キリ・ママおじさんの村には、まだ傘というものがありません。ある目おじさんはまちに出て初めて傘というものを知り、その美しさ便利さにすっかり魅せられてしまいました。
おじさんは傘を買って帰りますが、村の入り口で、お茶を飲んでいる閻に盗まれてしまいます。まちに出ては、大切に'本買って帰りますが、その度盗まれてしまうのです。
キリ・ママおじさんは無事傘をみつけて村に傘の花を咲かせることカミできるのでしょうか。

スリランカというお国柄でしょう。とにかく絵があたたかい!見返しがまた素敵なんだから。おぱさんもしんなりしている場合ではありません。おもわず新しい傘が欲しくなります。とびきり鮮やかな柄の傘がね。
それにしても一体傘どろぼうは、誰だったのでしょう。




2000年7月
今月のおはなし

小さなおはなしです。お鍋余煮える合問にでも声にのせて読んであげてください。
こどもたちに・ご主人に、おぱあちゃんに、犬にも…ネ!

がえるの子

田んぼなかへ行くと、がえるがいっぱいいて、ガアガア、ガアガア鳴いているどもな、
がえるの子てや、おたまじゃくし。
おたまじゃくしが、ちょろちょろおよいでいると、おとうさんがえるとおかあさんがえるがよろこんで、
「ああ、こりゃかわいい子がうまれた、おれたちみてえなすがたでないで、しっぽがあるから、こりゃコイになるかわからん昌いや、フナになるかわからん」
ていうて、だいじにそだてたてや。
そのうちに、だんだん、だんだん大きゅうなってくると、おたまじゃくしは、コイのようなしっぽがぽろりともげて、わきへ脚がはえて、がえるになってしまった。
それで、おとうさんがえるとおかあさんがえるは、
『あ一あ,また、がえるになったか」
ていうて、くやしがって、ガアガア、ガアガア鳴いているんだと、まいぱんまいぱん。
いきがポーンとさけた。

「雪の夜に語りっぐ」
笠原政雄語り中村とも子編
福音館より




2000年7月
今月のゆんちゃんみなちゃん

ゆんちゃん12才みなちゃん9才

12才のバランス

ゆんちゃんは電車とバスで学椥こ行くので、朝練があると五時半に起きます。まったく、週三日もよく続く! この前の月曜目、彼女はいつものとおり起きて準備しためにもかかわらず、一っのプロセスがうまくいかなくて
「もう、間に合わない一」パニックに陥ってしまいました。
そんなこと、初めてだったので特別に学校まで車で送りました竈車中でも、先程の自分が恥ずかしかったのでしょう、しゅんとしています。
ここは、一発元気づけようと
「今日は早いよ。十分前に着いちゃった、」と、言ったわたしに、
「早く来すぎると罰金て先生が言ってたー。」
また泣き出しちゃったゆんちゃんでした。

さて、その前日に飲みすぎて這うように帰ってきたわたしは、最後に食べたお茶漬けを後悔しつつトイレに駆込みました、(三十年に一度位そんなこともあります、)文宇通り這
ってトイレから出てきたわたしは、きれいにアイロンかけて、ハンガーに掛けられた制服
のブラウス三枚を見つけ酔いも覚める思いでした。
(這ったまま)
ああ、こんなおかあさんなのに、娘はなんて素晴らしいのかしら。
パニックに陥ったのもゆんちゃん。言われもしないアイロンかけたのもゆんちゃん。
これがバランスだよ、と実感しましだ。(酔いが覚めてから)両面を持ち合わせることで、十二歳は成り立っている。どちらが欠けてもいけないんだよね。どちらのゆんちやんもわたしは好きです。

というわけで、今回の教訓は、お茶漬けは、良く噛もうということです。でないともったいないオーダーをしたことになりかねません。







2000年6月
今月読みたくなっちゃた本


三びきのやぎのがらがらどん


マーシャ ブラウン え
せた ていじ やく
福音館書店

わたしの母は、洋服を作っていました。お店を開いていたわけではなく、何人かのお客を持って、デザインから仕上げまで一人で洋服を仕立てていました。
物心ついた時からジャキジャキという裁ちバサミの音を聞いて育ったのです。裁ちバサミが鳴ると、モワッと毛ボコリが立ち上ります。それからガタガタと家中をうならせる足踏みミシンの音。仮縫いも大切な仕事です。大まかに縫い上げた服を着て、体に合わせていきます。

わたしの服も作ってくれて、待ち針をとめながら、針が時々からだにささったりして、あっちを向かされたりこっちを向いたり、ただじっと立っているのが子どもの頃は遇屈だった。皆とおんなじ既成の服が着たくて仕様がなかった。

先日、娘が初めて仮縫いを経験しました。仮縫いを見るのは久しぶり。ジャキジャキと鳴るハサミの音、モワヅと立つ毛ポコリ、待ち針がチクッと刺さる感じ、懐かしかった。わたしは、この音やにおいを体中にしみこませて大きくなったんだな、きっと。娘たちもこの音を心に留めてくれるかしら。洋服を作るわたしの母の傍に居て、あの音やにおいにおぱあちゃんの存在や、ことぱで伝えきれないこどもの頃のわたしを感じてくれたらと恩います。

さて、皆が大好きな「がらがらどん」こんなに心地好い文章を読んだことがありません。
口に乗せても気持ちが良くて何度も何度も繰り返し読みたくなる一冊です。中でも一番好きなのが「チョキン、パチン、ストン。はなしはおしまい。」という最後の部分。このことばを聞くと、ちゃんと収まるところに心が収まるんですよね。

ジャキジャキという母の裁ちバサミの音が、このチョキン、パチン、ストン、に重なって、今もモワッと舞い上がる毛ボコリのにおいを思い出します。




2000年6月
今月のおはなし

小さなおはなしです。お鍋が煮える合間にでも声にのせて読んであげてください。
こどもたちに、ご主人に、おばあちゃんに、犬にも…ネ!

お目さんとお月さんと雷さん
角川書店「目本の民話11」民衆の笑い話より

あるとき、お月さんとお日さんと雷さんが三人そろって旅に出たと。
むかしのこんだから汽車はねえ。どこまでも歩いていったら日が暮れたもんで、
「ああ、疲れた。この宿さ泊まるべ」
といって、三人で泊まったんだと。そうしてまず、夕御飯食べて、風呂にはいって、ぐっ
すり休んだわけだ。
次の朝、雷さんが目をさましてみると、明るくなっていて、だれもいねえ。あれえと思
った。われひとり寝たわけでねえ、三人寝たのにおれひとりになった。不思議に思って宿
の主人に聞いたと。
「三人泊まったのにおれひとりだ。あとの人たちはどうした」
「へえ、とっくに立ってしまいました」
雷さんたまげていうた。
「やれまあ、月目のたつのは早いもんだなあ」
すると宿の主人が聞いた。
「それであなたは」
『おれは雷さんだから夕立だ」

東北地方・昔話




2000年6月
今月のゆんちゃんみなちゃん

ゆんちゃん12才みなちゃん9才

もずくを愛す

買い物から帰ったらテープルの上に、お箸とお椀がのってました。
「みなちゃんおやつ何か食べたの?」と聞いてみたら
「もずく!」とお返事。おせんぺもクッキーもあったのに、もずくおやっに食べる小学生っているかしら。
もずくは大低二つ入りです。我が家の冷蔵庫こももう一パックのもずくが残ってました。
みなちゃんは、もずくのおやっが気に入ったようで、もう一パックを食ぺる日を待っていたようでした。三日ほどして出先から帰ってくると、ゆんちやんが外で遊んでいました。
「みなちゃんは?」と聞くと、
「『渡る世間は鬼ばかり』見てるんじゃないの。早く遊びにいきなってわたしのこと追い出したもん」
帰ってみるとテーブルの上に無造作に置かれたお箸とお椀。いいんだよ、もずくと『渡る世間に…』にしあわせを感じる小学生がいてもね。