音楽への歩み
1979年6月
 母の実家(私の生まれた鎌倉)にて叔母が声楽家で歌も教えていた影響もあり、幼少のころより Piano で遊んでいて小学校2年生より Piano を習い始める。

  とにかく音楽に触れる事が楽しく、はやくPiano を習いたい願望にかられていたのだった。

1984年4月 
○福岡教育大学教育学部附属久留米中学吹奏楽部入部

 たまたま楽器を始めたいと思っていたところ父がフルートをやっていたこともありフルートをやってみようかなと思ったのがきっかけだった。 Flute(Muramatsu 洋銀製)を借りて始める。

1987年4月

○福岡大学付属大濠高等学校吹奏楽部入部

 とにかく歴史のある部でありなおかつ前身が応援団であったこともありとにかく規律の厳しい部であった。授業の為に遅刻しても正座をして集合に出なければならない規則であった。しかし習い事(音楽系)には寛大で休ませて貰えた。またそれ故に音楽のレベルは高いものが有った。

 この部に席を置いていたのは1年生の2学期までで父の転勤により千葉県へ移り住んだ。

1988年1月(編入学)

○芝浦工業大学柏高等学校吹奏楽部入部

 このとき、私のフルート人生を大きく変えた人(上笹 航君)に出会う。彼は専門的に習っており技術が非常に高いものを持っていた。またその当時から Miyazawa 製の 9K(9金)の楽器をもっており憧れの存在だった。それにより合奏時にはかならず自分の技術力の無さを痛感させられざるを得なかったのである。当面の目標は、彼の邪魔にならないように演奏しよう。。とういうものだった。

 それから彼に技術面のこと、練習方法等など聞き必死に練習を重ねた。次第にアンサンブルが出来るようになってきたのである。

 我が部は、男子校ということもあり部員数が非常に少なかった。反面中学時代各出身校の吹奏楽部で慣らしてきた者達が多く集まっていたせいもあり、2年のコンクールでは銀賞、3年のコンクールでは金賞取るまでとなった。
(※千葉県県大会において)

1991年4月

○明星大学吹奏楽団入団
○五味恵子先生及び航空中央音楽隊 高永氏にトレーナーとして
  指導して頂く。

  明星大学吹奏楽団に入団し一番の影響は、生涯の恩師と崇めている、山田慶藏先生である。私は小2よりピアノを弾いていることもあり、1年生ながら先生が編曲して頂くジャズ系の曲のピアニストとして大抜擢を頂いた。今までクラッシックとかポップスしか弾いた事の無い私にとってジャズは大変とっつきにくく理解しがたいものであった。ジャズは鑑賞として聴いていたものの弾くとなるととても難しい。とにかく裏拍を強く弾くことの難しさを改めて認識するのである。

 しかし、幸運な事に4年間山田先生編曲の曲を弾かせていただいたのでジャズのほんの入り口は理解できたように思えた。また音楽に対する情熱(私の)を1番良く理解して頂いてたのもこの山田先生であった。そのことでいつも空回りしてしまい思い悩み相談する私の話を真剣に聞いて下さり、また有り難いアドバイスを頂いたのである。そのお付き合いを通して現在の明星学苑のジュニアオーケストラのトレーナーを依頼されたのであった。プロでもない私を使っていただき有難うございます。

 またOBに当時航空中央音楽隊に所属されている方がいらっしゃった関係で、高永氏にトレーナーとして来て頂いた。この方はとにかく凄い方で、フルートを高校の時にはじめられ1年浪人生活を過ごし、国立音楽大学に入学された。とても凝り性でフルートの腕前はご自分でも自負されているとおり、自衛隊音楽隊の中でトップの実力をお持ちなのはもちろん、ゴルフを始められて1年足らずでシングルになられるほどのものである。この方には、実際のプロとしての活動を通して必要なテクニックおよび練習方法などを教えて頂いた。とても影響を受けたのも間違いないであろう。 

 また現在教えて頂いている五味恵子先生にお会いしたのもこのころだった。

1991年7月12日

○2本目 Muramatsu AD RC #41320 を購入

 吹奏楽の中でのフルートは本当に目立たない存在で、たまにメロディアスな曲で目立つぐらいだった。それ以上にそれまで使っていた楽器は自分の息の量には追いつけないものとなっていた。自分が思い描く音量が出ないのである。先の五味先生に相談しても「当然でしょう。逆に洋銀製の楽器で良く鳴らしているわよ。最低管体は銀製の楽器を使わないと。」この言葉と自分でも思っていた事があり、2本目のフルート Muramatsu AD モデルを購入する事となった。五味先生にも相談したかいがあり、先生の先輩でもあるセントラル楽器の店長武内氏に話を通して頂き、入ったばかりの楽器を抑えていただいたのである。普通であれば当時半年は注文してもかかってしまう楽器なのに。。。

1994年

○大学4年 五味恵子先生に師事
高津市民オーケストラ入団

 自分なりに独学でやってきたフルートにも限界を感じてきたのがこのころであった。曲をふいていてもどうもしっくり来ないのである。何がしっくり来ないのかがわからなく先に勧めないでこまっていた。そうだキチンと習いに行こう。そう決意し五味恵子先生の門をたたくのであった。習い始めて一番感じた事それは曲の解釈であった。先生に「この曲のこの部分はこう吹くのよ」といわれ言われるとおりに吹いてみる。そうしたらどうでしょう、今までしっくり行かなかった事がどんどんクリアーされていくではありませんか。「そうか、時代によって音符の吹き方も色々とあるんですね。」それを痛感させられたのである。それからというもの曲の表現がとてもしやすくなってきたのである。それまで譜面面ばかり練習してきた私は教則本に書かれていることがいかに重要なことかを考えさせられたのもこの時期を境にしたころだった。

 同じくして、将来オーケストラをやりたいとお話をしたら、「自分でオケを作った人がいるから紹介してあげる」と言われ早速紹介をして頂く。その方に連絡をとり丁度フルートに欠員がでたので是非いらっしゃいといわれ高津市民オーケストラに入団した。

 会社に入ってからだときっと探すのが億劫になってしまうに違いないと思い学生の内にと考えたのだった。

1995年4月

○フルートフェスティバル in 横浜 に参加

  この団体は植村泰一先生(東京音大 学長)をはじめ数々の著名な先生方が交代でご指導頂けるもので、フルートアンサンブルで毎年1回のペースで演奏会をおこなうのである。

  本来は神奈川県在住もしくは在勤もしくは在学が参加資格を得るものであった。しかし私はそれのどれにも相当しなかったのだが、紹介して頂いた方のご尽力で入れていただく事が出来た。アマチュアが主体なのだがこの団体は非常にレベルが高く参加意欲を掻き立てるものが充分にあった。神奈川県には数々の音大もあり先生方の門下生も複数参加するものであった。先生方によっても十人十色の教え方があり非常にその後の音楽に対する取り組みに参考になった。中でも内田秀夫先生(洗足学園大 講師)には現在使用しているフルートマスターズを紹介して頂いたのである。きっかけは練習の合間の休憩時間だった。。。。

 「先生なにかフルートで良い楽器は有りませんか?」とお尋ねしたところ、「今はまだ名前が知れてないけど、フルートマスターズって面白いメーカーがあるよ。ハンドメイド楽器なんて他社は40%手作りであれば良いところそこは本当に80%が手作りなんだから。良かったら今度メーカーが楽器を持ってきたときに呼んであげようか?」って言って頂き。取り敢えずメーカーの電話番号を教えて頂いた。

 そのころ丁度そろそろ楽器を変えたいなと思っていたところだったので。その当時持っていた銀(Muramatsu AD)ではもう物足りなくなってしまったのである。もっともっと鳴らしたいのに楽器が鳴ってくれない。。。。そんな思いから金の音色に憧れを抱いていたころだった。

 後日早速、フルートマスターズさんに電話をしてみる。

1996年6月

○FMC フルートマスターズとの出会い

 その時電話に出て頂いたのが、今では随分お世話になっている代表の野亦氏であった。その電話で野亦氏が普通では考えられない発言をされたのである。「うちは販売店を持ってないので楽器を見て頂く機会が非常に少ないんですよ、よかったら今18金の楽器があるので試奏してみますか?お送りしますので。」私は耳を疑った。「えっ、送っていただけるんですか?」「ええ。そうでないと吹いて頂けないしこちらから伺いたいのはやまやまなんですがなかなか調整が利かないので。」「それでは送って頂けますか。」てな感じで楽器を送っていただく事となった。100万以上もする楽器を送ってくれるとは。。。。

  届いた楽器を早速吹いてみる。。最初の感想。なんて吹きやすい楽器なんだろう。K18(18金)のフルートのイメージ(比重が重く硬いのでとても吹きにくく、鳴りにくい)とはかけ離れていた。それでいて澄んだ心地よい音色が響きわたる。吹き込むほどにこの楽器の良さ、こだわりを感じる。次に感じた感想。メカニックが非常に軽い。それに非常にバランスが取れていて満遍なくどの音でも鳴ってくる。普通フルートの弱いとされる音(3オクターブ目のEやFの音等)がどの音もストレス無く吹け良く抜けてくれる。アマチュアにはもちろん玄人受けする楽器である事を改めて感じたのである。

 すっ凄い

 一度で気に入ってしまったのは言うまでも無いであろう。いままで数々(海外製も含め)の名器とされている楽器を試奏してきた。しかしどれもがどこかに不満をもつものであった。しかしマスターズさんの楽器は私の求めるものを全てクリアーされていたのである。それは後に出会う事となる Pt960 を吹くまではこれ以上の楽器は無い、将来このメーカーの楽器を買おうと心に決めた瞬間でもあった。その気持ちを更に高める事件が数日後に訪れた。

○フルートマスターズ代表 野亦 邦明氏との出会い

 数日後、送っていただいたK18の楽器を送り返す為にフルートマスターズさん(野亦氏)へ電話を入れたとき思わぬ申し入れを聞かされたのである。「実は、私東京へ行く用事があるんです。出来れば今回の試奏の感想などお会いしてお話を伺いたいのですが。」とのことであった。私にとっても製作者である方に直接お話を伺う絶好のチャンスと思い二つ返事で申し入れをお受けした。場所をセッティングする事は容易でなかった為遠い中わざわざ我が家へ足を運んで頂く事となった。

 数日後最寄の駅まで迎えに行き我が家へとご案内する。

 我が家に通すなり、ろくなお構いもせずにフルート談義へと入っていった。

 まずは、今回の楽器を試奏しての感想を聞かれ前に述べた内容を伝える。野亦氏は自分達のやってきている事が間違いではなかった事を確認されるかのようにうなずきながら話を聞いて頂く。駅でお会いしたときにも感じていた事だが、本当に職人さんらしかなぬ非常に人当たりの良い方である。非常に好印象を抱いたのは今でも鮮明に覚えている。

 次に自分たちがどのようにしてこのFMC フルートマスターズを立ち上げてきたかを熱く語られる。私はこの方達は本当に楽器作りに情熱を注いでいること、また妥協をせずにやってきたことへの自負を語られる。既にご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、FMC フルートマスターズは元ヤマハ楽器でフルート製作の第一線で活躍されていた、代表の野亦邦明氏野島洋一氏豊田桂一氏の3名で始められたメーカーである。ヤマハを退職されるにあたりヤマハより出された条件の一つで2年間は独自の楽器を出さないようにとのことだった。

 しかしそれが今日の自分達にとって非常に貴重かつ有意義な時間であった事を語られる。それというのも、2年間(この期間で国外の製品もあわせ2000本近く)リペアに専念をされたことだった。これはヤマハ時代築き上げられた高い技術を買われて色々なところから修理を依頼されたからである。これが功をそうし特許をいくらでも取れるであろう独自のシステムをいくつも開発されたのである。そぼくな疑問を投げかけてみた。

 「それでは何故特許を取られないのですか?」 野亦氏曰く「良いと思われたらどんどん他のメーカーにも活用してもらいたいからですよ。フルートってまだまだ開発途上にあるところが一杯ありますからね」と。すばらしい考え方ではありませんか。しかしこれは私が感じた事ですが、真似ができるなら真似をしてみなさいと自分たちの技術に自身があるからこその発言ではないかと改めて関心したのであった。

 また価格設定がどのモデル(機能上銀のモデルは少し割高)も他社に比較し非常に安いのである。これについても伺ってみた。

「他社が高すぎるんですよ。我々が適正と考えられる価格設定をしてます。他社からは怒られてますけどね。」だそうである。関心しっぱなしで、マスターズさん(野亦氏)の虜になってしまった。。。  

→上記内容についてはThe Flute第28号に掲載又フルートマスターズが配布している小冊子「message from FMC」にも考え方取り組み、またフルートの”なかみ”を伝えている。これも読めば読むほど気に入ってしまうのだ。

 決めた絶対にこのメーカーから楽器を購入しよう!! 

 そうこうお話を聞いているうちに、2時間があっというまに過ぎてしまい、野亦氏の帰る時間の都合でおわってしまったのである。ここには書ききれないほどの沢山のお話を聴かせて頂きました。本当に野亦さん有難うございました。

1996年7月12日

○BURKART (USA) Piccolo DX #116 を購入

 オーケストラに参加する以上 Piccolo は必須であると考え、AD を購入したセントラル楽器さんに足を運び、いくつかの Piccolo を出して頂き試奏してみる。最終的に 定番で名器とされる P:ハンミッヒ と BURKART が残ったのである。私が試奏(店内の2階)をしている際に1階より店長の武内氏が上がってきながら、「そっちの方が良いんじゃない。良く鳴っているみたいだし吹きやすそうだよ。」と BURKART を吹いているときに言われたのである。実は私も同感だったので BURKART を購入する事となった。

 この楽器ならオケ中でも邪魔にならないし、Flute との持ち替えが非常に楽に行えると確信したのである。

1997年7月23日

○第8回フルートコンベンション参加にて FMC Pt960 モデルに出会う

 4年に一度フルートの祭典として日本フルート協会が主催で各地でフルートコンベンションを執り行われているのだが、今回は第8回でもあり開催地が横浜で有るという事もあり、私が参加していた フルートフェスティバル in 横浜が主催団体として行動する事となった。

 この祭典は、各フルートメーカが所狭しとブースを構え最新モデルを始め数々の楽器を展示するものでもあった。私は当然 フルートマスターズの展示ブースへと足を向かわせた。先の野亦氏を発見。各素材毎に数本づつ並べられていた。中でも目を引いたのはプラチナ製の楽器であった。当時ではほんの数社でしかまだ製造されてない素材であった為興味本位で試奏を申し出た。野亦氏曰く「初の試みなのでどうでしょうか?是非吹いてみてください。」とおっしゃるので、遠慮なく吹かせていただくこととなった。その楽器を渡して頂いた瞬間ズシリ

 重い!

 他の金属に比べ非常に比重が高いため当たり前と言っては当たり前なのだが。

  早速吹いてみる。びっくりするほど良く鳴りフロア―中が鳴り響いているのが実感できる。野亦氏を始めフルートマスターズの皆さんが驚きの目でこちらを向いているのである。どうしたのかと尋ねると。。。
「良く簡単に吹けますねー。こんなにこの楽器が鳴ったのは初めてですよ。」
と感心されたようであった。とにかく私にとってこの上なく吹き易いのである。
一番驚いたのは、この上なく弱い音を息の量を減らすだけで途切れること無く出続けるである。ほかでは途中からそれを保つ為に腹の支えを凄く要求されるのだが。。そして音色。金でも銀でも出せないとてもクリヤーな音色を持ちつつ、息の量を上げれば上げるほどパワフルに楽器が反応し要求どおり、いやそれ以上に答えてくれる。

 まさにこの楽器こそ私が追い求めてきた楽器だ!!これしかない!!

 そう思いながら気の済むまで試奏をさせて頂いた。吹くほどに良さがにじみ出てくる。ココに来てフルートマスターズさんの妥協を許さない職人気質的なこだわりをより一層深く感じました。しかし大きな壁にぶつかってしまったのでした。そう価格の壁とてつもない金額なのである。しかしこのとき私は将来なんとしても手に入れるぞっと誓いをこめた目標を設定するのであった。いつかは買えると信じていればきっと買えるときがくると。。。

1998年7月

かもめ管弦楽団(当時かもめ合奏団)に入団

1999年6月12日

○3本目 3年越しで念願の
 FMCフルートマスターズ Pt960C RCE/+H 150 を購入

 とうとう念願の時がやってきたのである。思えば3年前コンベンションで出会ってから片時もこの楽器のことを忘れる事はなかった。その時から自分が購入したい仕様での見積もりは出してもらったり、野亦氏が東京に出てくるたびに試奏をやらして頂いたりと。

 また金額が金額なだけに両親に拝み倒し一部を借金したりと。これも大変だった。当然であるがこんな高価なものお前には分不相応だと言われ、自分の音楽に対する情熱と今でしか手に入れる事の出来ないことを切々と語った。両親とも私にとって音楽が掛買いの無いものである事は理解してもらっていたことから実現出来たのである。

 引渡しの日が決定したときには、自分から取りに伺いますと静岡県の浜名湖湖畔にある三ケ日町まで友達と二人で車で出かけた。調整等が絡む場合すぐにやっていただく必要があったためである。

 早速吹かして頂いた。コンベンションや数々の試奏したそれとは違い、より良いものが出来上がっていたのである。マスターズの皆さんも非常に満足のいくものが出来たと喜んでいた。

 この日は野亦氏が夕方より用事があるとのことで、お昼でお暇することとなった、食事を一緒にしましょうと誘っていただき、静岡名物のひつまぶしをご馳走になった。非常に美味しいものであった。有難うございました。

 借金(親)を返す為に頑張って働くぞ!と意気込んだのもこの瞬間からだった。

2000年12月22日

○明星学苑ジュニアオーケストラ夏合宿参加

 この合宿先にご紹介した山田慶藏先生が顧問をされている部活で毎年明星学苑八ヶ岳山荘にて合宿が執り行われるのである。
 ここにトレーナーとして参加してもらえないかと先生より申し出を頂く。私はお役に立てるのであればと参加させていただいたのである。

 ここに同じくしてトレーナーとして参加していた澤井 健一郎さんと運命的な出会いを果たす。。彼は国立音大を出て現在数々の音楽活動で活躍中のプロである。

 彼のテクニックはとても素晴らしいもので、何とクラリネットでビブラートをかけてしまうのである。そこで一曲繰り広げられたのがなっなん”津軽海峡冬景色”だったのである。とても物悲しくそれでいて力強いその音色は絶え間ない多くの練習と努力の賜物だと感心させられた。ここで誤解があってはならないがふざけてるようであるが、高い技術力があってこそなせる技なのである。彼は音大時代の仲間と木管五重奏団 Ensemble Creador のリーダーも務めているのである。この合宿で彼と意気投合してしまい今では大親友としてお付き合い頂いているのである。

2000年12月22日

○2本目 BRAUN ハンドメイド Piccolo #430 を購入

 12月の初旬別の用事で山野楽器銀座本店を訪れたのである。5Fにあるフルートサロンに足を運び日頃よりお世話になっている細村氏と会う。まえからちょっと気になるPiccolo があったのでディスプレイされていなかったのであるが聞いてみた。

「BRAUN のPiccolo 置いてありますか?」と尋ねると細村氏が笑顔で「実は有るんですよ」と戸棚のなかよりそれを出して頂いた。早速試奏する。

 これも驚いた。なんといっても木管フルートのような音色であり、とにかく低音がバリバリに鳴る。また高音がマスターズと同様限りなくピアニッシモでも鳴りつづけるのである。それも楽にである。またもや一目惚れで気に入ってしまった。親ローンを抱えているにも関わらず今まで持っていた BURKART (USA) Piccolo DX #116 を下取りにして購入してしまったのである。また働かなくては。。。。。

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