バリア・フリーの話
これは、かなり生々しい話ではありますが、お許しください。
私は、今から2年前に事故で左足大腿骨を骨折するという重傷を負いました。今まで入院はなかったのですが、
初めて入院するという事態となりました。しかも、1ヶ月半という長期間でしたので、実験や稽古の事が気になって
仕方がありませんでした。さらに、退院してからも松葉杖の生活が3ヶ月続き、色々と不便でした。
初の全身麻酔による手術は99年3月下旬に行われ、2時間かかったそうです。後でレントゲン写真を見て分かった
のですが、大腿骨の中にボルトが1本と、膝と足の付け根にそれぞれ1本ずつ、横止めのねじが入っていました。手術
後1ヶ月間は、曲がらなくなった左膝を曲げるためのリハビリを受けました。以前、手首を折ったことがありますが、
このときはリハビリなしでしたので、人生初の体験でした。かなり痛いものでした。リハビリルームで悲痛の声をあげた
記憶だけは、一生忘れることができません。
さて、歩けるようになるために、もう一度手術がありました。同じ年の6月中旬ですが、膝のねじを抜く手術
を受けて、すぐに杖をつきながらも左足を地につけて歩行ができるようになり、とうとう8月に松葉杖なしで歩くこと
ができるようになりました。最後の手術は、昨年の3月上旬でした。ボルトを抜いて、元の身体に戻ったわけです。と
ころが、今でも怪我する前の状態には戻っていません。左足をかばいながら、だましだまし生活しています。
松葉杖を使って登校していたときに、まず階段が一つの障害となりました。みなさんがすいすいと上り下りし
ているのに、私だけは1段ずつゆっくりと上り下りしているのです。エレベーターがあれば、と思いました。次に、
周囲の目がとても気になりました。今では、杖をつかって街中を歩いている人も増えましたが、依然として彼らが物
珍しいそうな目つきでこちらを見ることは変わっていません。このように接している限り、心のバリアは取り除かれないような
気がします。もし、私が怪我をしていなければ、私だってけが人を物珍しい目つきで見てい
たかもしれません。周囲には迷惑をかけたと思いますが、人生にとって一つの転機だったように思います。
さて、杖なしで歩けるようになってからも、私の心配の種は尽きたわけではありません。私は、当時の演
目「野崎村」のかごかき役・研究公演「源氏店」の権助役・「白浪」の南郷力丸役(後から、出演が決まった)を
やっていました。かごかきについては、2人で久松役であった中山さんの乗ったかごをかつげるかどうか、と
ても心配でした。南郷については、最後にみえをきりますが、この時に怪我している左足をバタンと地面につけて
大丈夫だろうか、という心配もありました。三田祭の公演が終わった時、とても安堵しました。無事に終わったこ
とで、肩の荷が下りたような気がしました。
最後に、どうすればバリア・フリーが実現するのでしょうか?それが、大きな命題です。
大学の階段だらけの校舎は、いつまでも障害となるでしょう。エレベーターが何でないのだろう
と首をかしげてしまいました。施設面や心情面から実現できることを願っています。
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