信じることの尊さ



皆さんには、憧れの職業というものはあるでしょうか?

医者になりたい、パイロットになりたい、漫画家になりたい…

人の数だけそれはあると思います


ところで、では逆に、この職業にだけはなりたくない、というのはあるでしょうか?


私の場合、それは刑事です



刑事というのは、年がら年中、市民のために悪と戦う人たちです

しかし、その悪も、始めから悪なのではありません

どんな悪人も、始めは一般市民なのです

だから、刑事は、疑います



「こいつは犯人じゃないんだろうか?」

「こいつは犯罪を犯すんじゃないだろうか?」

罪を憎んで人を憎まずといいますが

実際に罪などという抽象的なものを捕まえることはできません

だから、刑事は同じ人でありながら、人を疑い、人を捕まえるのです

これは、とても悲しいことだと思います



ですが、人の世には、いつも嘘が溢れています

いくら純真な人間でも、その毒にあてられ続けるうちに

その邪悪な嘘の世界に染められてしまうのです

これからする話は、そんな歪んだ世界の嘘の被害にあった少年の話です



昔は、私も純真な少年でした

UFOも幽霊も本当にいるんだと信じていました

小学生のころは、友人のA{仮称}に「俺の家のトイレにはお化けが出るんだぜ」と、言われたら、そいつの家のトイレに入れなくなるぐらい純真でした

さらに、「科学は万能だから、そのうちきっとタイムマシンだって作れるんだ」と盲信しておりました

それほど純真だったのです。そこ、ただの馬鹿とか言うな



ところで、皆様は、『REX』という映画を覚えておられるでしょうか?

恐竜が現代に蘇って、安達由美が育てるとかいう内容の邦画です

あれが公開されるしばらく前に、ある新聞が家の近くの駅の壁に貼られました

そして、私は家路につく途中、それを発見しました


その内容は

『日本のある大学で、恐竜の卵を孵す実験が成功し、この恐竜はREXと名づけられた』

というものです



それを見た私は感動しました

「そうか!現代の科学はもう恐竜の再生に成功していたんだ!!」

と、一人駅のホームで感動し、急いで家に帰り、その感動を、身振り手振りで、家族と、ちょうど遊びに来ていたAに伝えました

すると、Aは興奮しながら話続ける私をいったん制し、こう言いました



「お前、そりゃ映画の広告だよ」



あきらめの悪い私は

「だって新聞に書いてあったんだぞ!

新聞が嘘をつくはずが無いじゃないか!!」

と、騒ぎつづけました



すると、母親が言いました

「じゃあ、その新聞の名前は何よ?」



私は答えました

「角川新聞だよ」



途端に、妹達を含めた皆が笑い出します



A「じゃあ、今度公開される、『REX』って映画の監督の名前知ってるか?」



私「いや、知らないけど?」



A「角川春樹って言うんだよ」



やっと気付きました、そして、呆然としながら、皆の笑い顔を眺めていました

さすがに、当時小学校低学年だった妹達よりも無知だったという現実は痛かったです

それからですかね、新聞は、「テレビ欄を見るためにあるものだ」、なんて言わなくなったのは



その後、私は、『魁!!男塾』という漫画にハマりました

知っている人もいるかもしれませんが、この漫画には『民明書房刊』という

架空の出版社が出てきます



この中には、『肉体の神秘』とか『中国3000年の歴史に学ぶ現代人の知恵』

とかいう、架空の出版物が数多く存在し

そのほとんどが、「中国武術三千年の歴史を誇る南朝寺教体拳最大の秘技とされている、この技を極めたという明代最高の拳士、林周明は、百米頭上を飛ぶ鳥を気合もろとも一閃のもとに落としたと伝えられる、これから俗に落鳥拳とも呼ばれている。 因(ちなみ)に林 周明は料理人としても当代随一といわれ、この天稟掌波で落とした鳥は肉がよくしまり、これでつくられた料理は最高の宮廷料理として珍重された、現代でも最高の鳥肉をテンピン肉というはこれなり」

とか

「灼石棒とは、今からおよそ千年前、騎馬民族としてその勇名をはせた、蒙古人の決闘の儀式の際に用いられた、その青銅の棒を灼熱させ、両者が握りあうことで、お互いの闘志を確認しあったという」

とか、もうここまでですでにどうしようもないほど胡散臭いシロモノだ



しかし、私は、これを愚かにも信じつづけてしまったのです


当時、実際に信じた読者がいたらしく、段々、作者の方もネタばらしの方に話を持っていきました


「ゴルフは英国発祥というのが定説であったが最近で前出の創始者『呉 竜府』の名前でもわかるとおり 中国がその起源であるという説が支配的である」

とか

「現代英語で表裏自在を意味する『リバーシブル』は 李筴振(りばしぶる)の名が語源である」

など、作者が



「さぁ、良い子のみんな、もう判ったよね?」



と言っている様子が見えるようです



しかし、私はまだ信じつづけました
当時にもまだまだそんな読者が大勢いたのでしょう



作者もいい加減キレたらしく、その架空の出版物のタイトルに

『かき氷屋三代記、我永久{とわ}に氷をアイス』だの

『撃って候 早くてゴメン』だの

明らかに狙った名前をつけるという



『ドッキリ大成功』の看板で頭を小突きまわすような作戦に出ました


しかし、これを見ても、私の感想は、これです




おいおい、誰だよ、こんな狙いすぎな題名、商業誌につけたのは! 一度顔を拝んでみたいもんだね!!



今の私がこのころの私に出会えたならば、無言でこいつに



著者近影を見せているでしょう



しかも、私は、中学3年生の時に、英語の先生に「お勧めの本を英語で書け」と言われ、この民明書房刊を紹介しました



しかも、それだけではあきたらず

「しかし、私はまだこの本を見つけたことは無いので、もしも見つけたならば、教えて下さい」とまで書いてしまったのです



切腹したい気分DEATHね



しかも、本屋で注文して気付けばいいのに、出不精だったもんで、一時期、会う人会う人に



「ねぇ、民明書房刊の本、見つけたら、教えてね」

と言いふらしていた時期があるのです



もし、現在でもまだ当時のことを記憶している奴がいたら

私はそいつを絞め殺しに行くかもしれません



高1になって、人に言われて、やっとそのことに気付き、激しく後悔しました


「なんで読んでて気付かなかったの?」


そいつの顔には嘲笑とか軽蔑の色はなく

真剣にその疑問について悩んでいる様子だけがうかがえました

真綿に包まれて窒息させられているような気分でした



それからですね、漫画やドラマのフィクションって言葉を理解したのは


こうして、段々に私の心はすさんでいきました

もう誰も信じられない…

そんな気持ちが積もり重なり、私はすっかり汚れていきました



しかし、小市民の私は、人に嘘をついて騙すような真似は、出来ませんでした

それどころか、どちらかというと、「あの人って、いい人なんだけど、それだけよね」みたいな存在でした



しかし、そんな私を哀れと思ったのか、神は私に、一年に一度だけ、世界に復讐するチャンスをくれました



エイプリル・フールです



この日ばかりは、私は嬉々として嘘を重ねました

段々、知恵もついてきて

「嘘は真実を混ぜた方がより効果的だ」

と言って、会う奴会う奴に、嘘をつき続けました

そして、私は毎年のエイプリル・フールを楽しみにするようになったのです


そして、今年のエイプリル・フールの話です

私は毎年のように手当たり次第に嘘をつき、特に妹を笑いものにしていました



すると、夕食を終えた時に、Aから連絡が入りました

どうやら、バイク事故を起こして、しばらく入院をする事になったらしいのです



私は慌ててすぐにそのことを家族に話しました

すると、連中はニヤニヤしながら、「その嘘はイマイチだね」とか、批評までしだしたのです


私は怒りました

「いや、これは嘘じゃないんだって!!」


すると、タイガーが、なにやら得意げに



『狼少年の話』をしだしました


何が悲しくて、中三の妹に、『狼少年の話』で諭されなければいけないんでしょうか?



私は怒りました

「もういい!俺は一人で明日見舞いに行く!!」

と言い、Aに連絡を取りました



「あぁ、A?俺、明日見舞いに行くから」



すると、Aはこう言いました



「今日は何の日?」




結局………


俺が馬鹿なのが悪いんですかねぇ?