時肉まん



とある天気の良い日
祐一は珍しく一人で帰宅していた
普段なら、大量の女の子を囲まれたまま
百花屋に拉致されるのがお決まりのコースなのだが
本当に珍しく、彼の周囲半径5メートルに女性の影が無かった

「まぁ、今月ピンチだから別にいいんだが」

ぶつぶつとひとりごちながら歩く祐一
別に、本人に口に出しているという自覚は無い
思った事をつい口に出してしまうのは彼の悪癖なのだ
それが例え周囲の人々に不審な印象を与える結果になったとしても

「それはそれで寂しいものがあるんだよなぁ」

相沢祐一17歳

女っ気なくしては一日たりとて生き長らえられない、真の漢であった

「おっ、あれは…」

学校から商店街と水瀬家に向かう中間地点に
見覚えのある後姿を発見し、傍に近付いてみる

「天野じゃないか、何してんだ?」

爽やかな笑顔で背後から声をかける
しかし、美汐は振り向きもせずに、黙々と歩みを続ける

「…聞こえなかったのかな? お〜い、天野〜」

「……………………」

少し大きめに声を出してみるも
美汐はピクリとも反応する様子も見せなかった
祐一は怪訝そうな顔つきでなおも呼びかけ続けた

「天野〜、返事ぐらいしてくれ〜
…俺、なんか嫌われるような事したかな?」

あまり露骨な無視が続くので
さすがの祐一も少し焦り始める
女の子を怒らせることはあっても
決して嫌われた事などは無かった
つまりこれは未経験の事態なのだ

焦燥にかられながら
次第に呼び声のトーンを上げながら
祐一は天野の後をついて歩き続けた

「お〜い、天野さ〜ん?
美汐〜、ミッシー、おば…」

言いかけて、祐一の背筋に
ゾクリと冷たい何かが走った
自分は何かを見落としてしまっている
その何かを見落としたままこの言葉を叫ぶ事は
生命に危機を及ぼす事態にすら繋がるのだと、本能レベルで悟る事が出来た

「…まさか」

少し歩く速度をあげて
祐一は美汐の前方に回りこんだ、すると

「これは相沢さん
一人でお帰りとは珍しいですね」

美汐はそう言いながら
耳に手をやってイヤホンを外した

そう、美汐はMDを聞いていたのだ
だから、祐一の言葉に気付かなかったのだ
その事実に気付き、祐一は心から安堵した

{あ〜、良かった
あのまま大声でおばさんって言ってたら…}

祐一の脳裏に島原の乱という単語が浮かび、寒気を覚える

{それにまぁ、俺が天野に嫌われるワケがないしな}

腹立たしいほど自身満々に心の中でつぶやき
ニコニコ顔で美汐の方に向き直る

「しかし、天野がMDで音楽を聞くとは…
精々家でレコードを聞くのが関の山だと思ってたのに
やはり、俺の教育方針は間違っていなかったんだなぁ…」

感無量、という様子でウンウンと頷く祐一
すると、美汐はそんな祐一の馬鹿馬鹿しい言動に対し、深く溜め息をついてから言う

「何が教育方針ですか
相沢さんは甚だしい勘違いをしています」

「どんな勘違いだ?
『ビバ』はイタリア語で
『ノウレッジ』は英語だと言う事は理解しているぞ?」

美汐は再び深い溜め息をつき、そして続ける

「相沢さんのその支離滅裂な言動にいちいちツッコミを入れたくはありませんが
私の名誉のために訂正させていただくと、私は相沢さんに教育された覚えなどありませんし」

それに、と付け足しながら
美汐は手に持っていたイヤホンを
祐一の耳元に近づけて、MDを再生する

『え〜、毎度馬鹿々々しいお笑いを…』

「…何だこれは?」

イヤホンから流れてきた
予期せぬ御囃子と声に
祐一は思わず顔をしかめる

「ですから、私が聞いていたのは
低俗で軽薄な近代音楽などではなく、古典落語なのです」

美汐の言葉を聞き、祐一はなにやら
優しさと安心と哀れみを兼ね備えたような表情になる

「…何ですかその表情は」

美汐は祐一の反応に不満そうに抗議する

「いや、天野だなぁって…」

相変わらず菩薩のような微笑みで祐一は答える

「…何か侮辱を受けているような気もしますが」

「気のせいだ
しかし、落語なんて聞いて面白いか?
別に普通の音楽だっていいと思うんだが…」

祐一は真顔に戻って率直なコメントを述べる
すると、美汐は軽く溜め息をついて首を横に振る

「何を言っているのですか相沢さん
古典落語には我々が学ぶべき知恵が多いのですよ?」

「あるのかそんなもん?」

諭すように言う美汐の姿を
祐一は疑わしそうに半眼で見る

「そうですよ、例えば…」

そう言って美汐は
きょろきょろと辺りを見渡す
すると、そこへタイミングよく
コンビニの袋を抱えた真琴が通りかかった

「あっ、美汐に祐一
こんなところで何してんのよ?」

「俺は後か…
見りゃわかるだろ
二人仲良く帰宅途中だ」

そして、ほら、と言いながら両手を広げてみせる
美汐はジトリと祐一を軽くにらみつけたが、すぐに真琴の方に向き直った

「相沢さんの与太は聞き流すとして…
真琴は買い物の帰りですか?」

すると、真琴は嬉しそうに頷く

「そうよっ!!
これから帰って肉まん食べながら漫画読むの!!」

「いくつ買ってきたのですか?」

「え〜っと…10個!!」

「そうですか…
しかし、本当にそれは10個あるんですか?」

美汐は真琴の持ってる袋をじっと見つめながら言う

「えっ?」

きょとんとした表情で疑問を返す真琴

「実はですね、そのコンビニの店員は
客を騙して肉まんを少なくつめると言う噂が…」

すると、幸せ一色だった真琴の表情に
わずかに泣き顔の色が足される

「あぅ〜、どうしよう…」

おろおろと袋を見つめる真琴

「大丈夫ですよ
数えてみればわかる事です」

そう言って、美汐は
自分のかばんから白いビニール袋を取り出した

「これに詰め替えて数えればすぐ判りますよ
安心して下さい、これは汚くありませんからね…
それでは早速数えましょうか、真琴、その袋を渡してください」

「あぅ〜…」

真琴は心配そうに美汐に袋を渡す
そして、美汐は肉まんを一つ取り出して
白い不透明なビニール袋に詰め替えた
真琴や祐一もその様子を目でおう

「いち、に、さん…」

ゆっくりと、そして次々と
美汐は肉まんを詰め替えていく
そして突然、美汐は顔をあげて
真琴の方を向いて、そして尋ねた

「真琴、今何時ですか?」

急に尋ねられ
一瞬びっくりしたが
すぐに真琴は時計を見る

「え〜っと、4時だよ」

真琴が時刻を告げると同時に
美汐はすぐに続きを数えだした

「ご、ろく、なな…」

「えっ?」

祐一はぎょっとした
何故なら、今、美汐は
4つ目の肉まんを取り出しながら
口では5個目と数えたからだ

祐一が何か言おうとすると
美汐が横目で祐一をにらんだので
祐一はしばらく黙って見守る事にした

「はち、きゅう、じゅう…
良かったですね、10個ありましたよ、真琴」

そう言って、美汐は真琴に
肉まんを詰め替えた袋を渡す

「うん! ありがとう美汐!!
それじゃあ、真琴は先に帰ってるね
祐一! ちゃんと寄り道しないで帰ってくるのよ!!」

「お前じゃあるまいし、寄り道などするか」

そう言って、右手でしっしっ、とジェスチャーしながら真琴を見送り
やがて真琴の姿が見えなくなると、美汐はコンビニの袋の中から最後の肉まんを取り出した

「お見事」

祐一が美汐の鮮やかな手並みに賛辞の言葉をかける

「これが『時そば』です
それでは、私ももう帰りますから
これはちゃんと真琴に返しておいてくださいね」

そう言って美汐は肉まんを袋に戻すと
それを祐一に手渡し、一礼してからすたすたと歩き始めた

「なるほど、これは使えるな…」

祐一はおもむろに肉まんにかぶりつきながらそう言い
悪代官のような笑みを浮かべながら家路についた





次の日曜日、祐一は朝から久瀬に電話で呼び出しを受けた

「生徒会室でモノポリーやるから
君は何でもいいから食料を買ってきてくれ
本当に何買ってきてもいいぞ、経費で落とすから」

事も無げに言われた、生徒会長の問題発言に
祐一は霜降り和牛でも買って行ってやろうかと思ったが
泣くのは結局他の役員達なので、彼らのために勘弁する事にした

「ん〜と、何がいいかな〜…と、おっ」

腕組みをしてしばらく悩んでいると
玄関から大きな肉まんの袋を持った真琴が歩いてきた

「なぁ真琴、いくつぐらい買ったんだ?」

「え〜っとね、24個」

「…買いすぎだ、本当に食いきるつもりで買ってきたのか、ソレ?」

祐一は、半ば呆れ気味だったが
すぐに気を取り直し、すぐに交渉を持ちかけた

「すまないが、半分売ってくれないか?
定価で買うからさ、今日の俺の分の昼飯やるからさ」

祐一は明らかに裏のあるにこやかな笑顔で言う

「まぁ、そう言うことなら…」

渋々交渉に応じる真琴
そして祐一は居間から別の紙袋を持ってきた

「じゃあ、お前の分はこっちの紙袋に入れるからな、まず一つ目」

そう言って、祐一は
一つ目の肉まんを移し変え
続けて次々と肉まんを移し変える
そして、美汐の行動を思い出しながら
絶妙のタイミングを計って真琴に声をかけた

「おい真琴、今何時だ?」

「7時」

ちらりと時計を見て即答する真琴
祐一は心中でほくそ笑みながら、『時そば』を実行する

「はち、きゅう、じゅう、じゅういち、じゅうに…よし、これで半分だな」

そう言って祐一は
詰め替えた袋と十個分の肉まんの代金を渡し
真琴に背中を向けると、笑いをかみ殺しながら背中を軽く振るわせた





午前10時、生徒会室では
6人の男女が集まって和気藹々とモノポリーに興じていた

「ううう…わざわざ休日に
モノポリーするために呼び出すなんて…
チュンソフトの中村光一社長かあんたはぁ…?」

「なんで一週間全部会長の顔見て過ごさなきゃならないのよぉ…」

前言撤回、男女二人の生徒会員だけはマジ泣きしていた
しかし、祐一はそんな事は露ほども意に介さずに、楽しげに自分の武勇伝を語っていた

「いや〜、やっぱ金は頭で稼がないとな
真琴の肉まん買い取って、買出しの手間も省けたし
12個分の値段で13個買えて、今こうして食えるわけだしな」

「で、お前は13個分の肉まんを生徒会の経費で落とすってワケだ」

苦笑しながら北川がツッコミを入れ
祐一はニヤリと笑いながら、まぁな、と言う

「…祐一、そんな事ばかりしてるといつかバチが当たるよ?」

善人の斎藤が祐一の行動を批難する
ちなみに、生徒会員二人の境遇に対しては
久瀬が『彼らは愚痴りながらも楽しんでるんだ』
と吹き込んだために、それを言葉のまま信じ込んでいる
心に微塵でも『楽』の感情があれば、あんな涙は流せないと思うのだが

「…なぁ、相沢君」

しばらく何やら考え込んでいた久瀬がふいに口を開く

「何だ?
お前もこの作戦を使いたいのか?
だったら使用料は特別に格安で…」

「今は何時だい?」

祐一の言葉を遮り、久瀬が尋ねる

「何時って…10時だろ?」

祐一は久瀬の質問の意味を理解できないため、不審がりながら答える

「そう、10時だ
そして僕が君に連絡したのは一時間前だ…
言ってる意味が判るかい?」

「だから、お前からの連絡が来たのが9時で…」

言いかけて、祐一はハッとする
そして、自分の持ってきた肉まんの袋を引っ手繰り
中身と、他の連中が食べた分を勘定して、そして愕然として
金魚のように口をパクパクさせる、何か言いたいのだが、ショックで言葉が出ないのだろう

「…相沢、8を二回数えて気がつかなかったのか?」

「だからバチが当たるって言ったのに…」

北川と斎藤が呆れたような目で祐一を見る

「まぁ、人を騙そうとする人間は
まさか同じ手口で騙されるとは思わないからね
…まぁ、さすがに7時と9時間違えるのはどうかと思うけど」

久瀬が嘲るような目つきで祐一を見る
祐一は、やっと落ち着きを取り戻すと、ポツリと呟いた

「…あのさ、この11個の肉まん
13個分として清算できたりとかしないか?」

その何気ない一言で
生徒会員ペアが『怒』の感情を取り戻す

「できるわけ無いでしょうが!!
ただでさえ会長のワガママで予算のやりくり厳しいのに!!」

「そうですよ!
そんな事したら泥棒ですよ!?
訴えますよ!? 百花屋でイチゴサンデー7杯ですよ!!?」

感情が爆発した二人に詰め寄られ
祐一は部屋の壁まで後ずさりさせられる

「判ったよ、判ったから…
クソッ、泣きたいのはこっちだよ…」

事実、祐一は涙目になりながらそうつぶやいた
すると、久瀬が祐一の持ってきた肉まんを頬張りながらつぶやいた

「まぁ、帰ってから問い詰めようにも
君が学校来るまでにつまみ食いしなかった
という確たる証拠は無いわけだから、金を取り返すのは難しいだろうね
それに騙そうとして仕掛けたのは君の方なんだし、まぁ、自業自得って奴さ」

あくまで正論
だが、その正論が
祐一の心を深く抉る

「あ…」

祐一はあまりの悔しさと恥かしさで身を震わせ、そして…

「あぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!!!!!」

吼えた





「素直に真琴に肉まんを返していれば
真琴には騙されないように注意するだけでしたのに…」

美汐はポツリとそうつぶやくと
負け犬の遠吠えを遠くに聞きながら
真琴にもらった余りの肉まんにかぶりつき、そして
くるん、と美汐は体をひねって、カメラ目線に顔を向けて言った

「おあとがよろしいようで」

「ちっともよろしくねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」

その負け犬の遠吠えは
閑静な休日の雪国の街に
いつまでも響き続けたという



あとがき

時そば完璧に知ってる人は、当然オチも読めただろうね

樫の木おじさん「まぁ、結局のところ
祐一が真琴に盗った肉まんの代金払って終わったわけなんだが…」

ハメ手返しって本気で悔しいからねぇ
しかし、この生徒会役員ペア気に入ったな
アニメで久瀬の近くにいた男と眼鏡っ娘なんだが

樫の木おじさん「…よほど虐げられてるんだろうなぁ」

スクライドネタと中村社長ネタは思いつきで盛り込んだ
古典落語は各自がそれぞれアレンジ加えてこそ味が出るんだ

樫の木おじさん「落語ネタ好きだなぁお前」

次は火焔太鼓でもやってみるか…

樫の木おじさん「マイナーなのはやめい」



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