『○○怖い』



とある冬の町において
学区内の生徒達に最も愛されている喫茶店『百花屋』
8人の女性に奢りを強要され、時折泣き崩れている男子高校生が常連なので
その掛け合いが名物となり、その時間帯はそれなりに込み合う事でも有名である
その百花屋店内のある一角で、二人の男子高校生が差し向かいになって座っていた

「ほれ、これが反生徒会新メンバーのデータだ
隠れて煙草吸ってる奴が一人、先週末に酒盛りしてたのが三人
証拠写真は無いが、煙草の種類や店の名前ぐらいは特定してある」

そう言って、北川がテーブルの上に分厚い封筒を置く

「毎度毎度すまないね
まったく、何故反生徒会の連中はこうもゴキブリのように増えるのかね…?」

久瀬がコーヒーをすすりながら言うと
その封筒を懐にしまい、代わりに茶封筒をテーブルにおいた

「お前が会長だからだろ?」

久瀬と同じように茶封筒を懐に仕舞いこみ
コップの底に残っていた氷を噛み砕きながら
何を今さら、と表情で答えながら北川が答える

「毎回毎回自分が不利になる度に
俺に連中の弱み探らせてそれで脅してるくせに…
まぁ、俺は小遣い稼ぎになるから別にいいんだけど」

すると、久瀬が反論する

「失敬な、僕はただ
あんまり連中が僕の行動のあら捜しばかりするから
誰でも叩けば埃の一つは出るものだと諭してあげてるだけだ」

「お前が『学食のカレーにソースをかけたら退学』
なんて馬鹿みたいな校則を作ったりするからだろうが」

困った奴は極少数のほとんど有害性の無い校則だが
あまりの下らなさに反生徒会の面々は怒り心頭であった

「馬鹿を言っちゃあいけないよ
とんかつじゃあ無いんだから、カレーにソースだなんて…
斎藤君と相談した結果『グラタンにタバスコはOK』となったがね」

「お前、絶対反生徒会の連中おちょくって楽しんでるだろ」

まぁ、久瀬の場合、脅す、と言うよりは
不正の事実を教師が知りえるよりも早く知り
それを本人に何の罰則も無しに伝えてやるので
反生徒会の面々が、久瀬に強く出られなくなるのは
弱みを握られて、というよりは、良心の呵責がある、というのが実情だろう

もっとも、北川ぐらいの諜報能力が無ければ
絶対に分かりっこない事実ばかりだと言う事に
残念な事に反生徒会の面々は気付いてはいなかった
さらに、こういった複数の相手に対し情報を握る場合
弱みを握って脅しては一致団結しての逆襲の可能性が出てくるが
一見して親切にも見えるこの行為ならば、向こうの敵意を削ぐ事が出来るという
久瀬の思惑からの偽の親切だと言う事にすら、彼らは気付いてはいなかったのである

「あの連中がちょっかいを出してくるから
軽く遊んであげているだけ、つまりはボランティアだよ
どうせ楽しむんだったら、落語でも聞いてた方がまだマシだよ」

久瀬が嘲りの笑いを浮かべながら言う
ボランティアであしらわれるのだから、反生徒会の連中も災難だ

「落語か…俺は『饅頭怖い』ぐらいしか知らないな」

北川の場合、諜報能力は優れているが
一般常識についての知識がいささか乏しかった

「他にも『目黒の秋刀魚』や『時そば』などは有名だと思うが…
確かに、僕も有名どころの中では『饅頭怖い』が一番好きだな」

久瀬が頷きながら言う
確かに、相手の嫌がらせを自分の利にしてしまう主人公の行動は
まさに久瀬そのものの行動と言えるだろう、好きになるはずだ

「なんか、相沢んところの真琴ちゃんとか使いそうだよな〜」

北川が空になったグラスを指の先で弄びながら言う

「沢渡さんか…
確かに、肉まんが怖いって言って
相沢君に『怖いなら、もう食わんのだな
だったらこの買ってきた肉まんは俺一人で食ってしまおう』
って言われて、あぅ〜って泣き叫ぶ姿が目に浮かぶな」

はっはっは、と笑いながらかなり酷い事を口にする
ちなみに、久瀬は真琴と会った事は数回、直接話した事はまだ無い

「なんか、他にもパターンとして使いまわせそうだな」

「僕もそう思ったところだ」

北川が話に食いつき、久瀬もさらに食いついて二人で身を乗り出す

「月宮さんとか、凄そうだな
『タイヤキが怖いんだよっ!!』って逃げ出したりな」

「むしろ、平気で食い逃げできる彼女の方が怖いがな」

半笑いで言う北川に、久瀬が真顔でツッコむ
確かに、一度食い逃げをした屋台でさらに食い逃げをするなど
よほどの怖いもの知らずで無ければできない行為だ
その割には、オバケや暗闇を怖がる辺り、女性の不思議と言ったところだろう

「天野さんなど、まんま落語だな
何故彼女はあそこまで物腰が若者離れしているのだろうね?」

そこには、昔情を寄せた者を失ったという、悲しい事情があるのだが
知らない人間にとってはただ行動及び言動がおばさん臭いだけにしか見えないという好例だった

「つーか、縁側に座って
饅頭お茶請けにして緑茶すすってそうな雰囲気だしな」

「ああ、別の意味で10年後が楽しみな逸材だよ」

そして、久瀬と北川の脳内では
今のまま一生変わらない美汐や、年を取るにつれ若返る美汐
100年後も今の容姿と性格のままの美汐などが思い描かれた

「…どれも違和感なくてつまらんな」

「ああ…」

久瀬と北川が不服そうに受け答えする

「水瀬さんなんて、怯えて部屋に閉じこもったりしそうだな」

「いや、あの家で一番怖いのはオレンジ色のジャムだろう」

北川の不用意な一言で
久瀬と北川の背筋に冷たいものが走り
二人とも目をそらして俯いてしまう

「…北川君、何度も助言したと思うが
言葉はもっと選んで使わないと、取り返しのつかない事になるよ…?」

「…いや、もうマジですまん…」

場の空気が一気に盛り下がってしまう

「あ、アレはどうだ?
川澄先輩とか、『…牛丼、かなり怖い』とか…」

「川澄さんか…
確かにあの人は牛丼に対して突然怯え出しても違和感無さそうだが…」

笑い顔を引きつらせながら北川が言う
久瀬も、何とか真顔に戻ってそれに答える
祐一や舞と付き合うようになって、彼から舞=美人だけど不良というイメージは消え
代わりに、舞=美人だけど思考パターンが四次元、というイメージが新たに生まれていた

「なんか、牛丼が怖いってのも、今までで一番マヌケな話だよな」

久瀬がうんうんと頷く

「そうすると、倉田さんも同じ感じだな…
サド心を刺激されてもう罠でも言いから牛丼を差し入れたい気分になるな
というか、あの演技でもあの二人の怯えた顔が見れるなら、牛丼ぐらい安いもんだがね」

さらりと問題発言をしながら、久瀬がコーヒーを口に含む

「つーかさ、川澄先輩が本当に牛丼苦手だったら
剣振り回して次々とどんぶりを叩き割りそうだな
『私は牛丼を討つ者だから』とか言ってポーズ取ってさ」

「ブッ!!」

どうやら、牛丼塗れなのにシリアスな顔の
シュールな舞の映像をリアルに想像してしまったらしい
久瀬はコーヒーカップを乱暴に置いてから
口元を手で押さえて、北川から顔を背けてしまう
そのまま、肩を震わせ、必死に声をかみ殺す

「…いや〜、なんか珍しいもん見れたわ
久瀬がそこまで笑ってくれるとはな…」

しばらく小刻みに震えていたが
やがて少し落ち着いたのか
ポケットからハンカチを出して顔を拭き
メガネを正して、北川の方へと向き直る

「…不覚をとった」

恥かしそうにポツリと呟く
北川も御機嫌になったようで
ニコニコしながら会話を続ける

「栞ちゃんとか、『アイスクリームなんて人類の敵です』って言って
ストール頭から被って怯えた演技とかしそうだよな」

栞の声真似をする北川
気持ちの悪い事この上ない
苦笑しながら久瀬が話を続ける

「演技とかなら、姉の美坂さんの方が得意そうだな
まぁ、演技以前にメリケンサック振り回して脅しをかけそうな彼女の方が怖いがね」

「ぶっ!!」

どうやらツボに入ったらしく、北川は噴き出してしまい
久瀬とは違って豪快にゲラゲラと笑い出してしまう

「ハハハハハハハハハ!!
そ、そりゃそうだ…!
美坂より怖いものなんて、この世に無いからな!
ヒーッ!ヒ―ッ!あ〜笑いすぎて苦しい!!」

かなり凄まじい笑いっぷりだ
笑いすぎて、酸素が足りなくなっている様子は
周りから見れば滑稽を通して気味が悪いだろう

「ところで、北川君が怖いのは何なんだい?」

久瀬がふと思いついたように尋ねる

「だから美坂だって!
ギャハハハハハハハハ!!」

自分で言っててさらに深くツボをついたらしい
ある意味自分で自分の秘孔をついた、狂気無くしては出来ぬ技だ
北川は、まるで阿片を吸った麻薬中毒者のように壊れていた

「まぁ、そりゃそうだろうね…
しかし、僕の怖いものとはなんだろうね?
自分の事ほど、自分ではよく分からないとは言うが…」

久瀬がワケの解らない自信に溢れた独り言を呟いていると、隣から何者かがヌッと顔を出す

「随分と楽しそうだな、お前ら…」

「おや、相沢君、君も来ていたのかい
丁度良いや、君の怖いものって言ったら、何だい?」

すると、祐一は青白い顔色のまま、震えるような声でポツリと呟いた

「俺は…今は女が一番怖いな…」

そう言って、祐一は目線を隣の席に向ける

「?」

久瀬と北川が祐一の視線の方を見る

「………!!!!!!!!!!!???????」

そこには、ゲヘナの門が開いていた
そして、アビスからの8人の使者が座していた
八人八色の、種類こそ違えど、どれも比べがたく濃厚な殺気
久瀬も北川も、慌てて目を反らしたかった、しかし、出来なかった
あまりの恐怖に、それらを視界から外す事すらできなくなってしまったのだ

「真琴が祐一なんかに泣かされるワケ無いでしょ!!」

言動は幼稚だが、周りに飛び交う狐火の熱が怖い

「へ〜、平気で食い逃げするボクって怖いんだ〜」

言動はともかく、手に持たれる包丁とクラウチングスタートのポーズが怖い

「…人の十年後を勝手に想像して、それをつまらないと言うのはどういう了見ですか?」

迫力も凄いが、両手に握られた大量の呪符が怖い

「今日は北川君と久瀬君をうちに招待してあげるよ、もちろん晩御飯はジャム尽くしっ!!」

とにかくオレンジ色のジャムが怖い

「私は…バカヤロウ二人を討つ者だから…」

殺意に満ち溢れた無表情と、両手で握られた長剣が怖い

「あははーっ、佐祐理達の怯えた顔は見せられませんけど、代わりに久瀬さん達を怯えさせてあげますからねーっ!!」

スタンガンが仕込まれているのであろう、先から火花を散らすステッキが怖い

「人類の敵はどちらかと言うと北川さん達ですよね…」

ポケットから次々に出てくる毒薬が怖い

「…北川君、まだあたしの『恐怖』が足りないみたいね…」

両手に握りこまれた棘付きメリケンサックが怖い

「…北川君、やっと解ったよ…
僕は、この後の展開が一番怖い…」

震える声で久瀬が言う

「…俺も、それが一番怖いものに決まったよ…」

北川も涙目になりながら言う
そこには、先ほどの明るさなど微塵も残っていなかった

「…俺は、金銭面の心配だけで済むからまだマシなんだろうな」

哀れみなどでは無い
心から不幸を悼む目で祐一は二人を見た
そして、胸で冥福を描く十字を描く、それが合図だった

「うぐおっっ!!?」

北川と久瀬の右ストレートが同時に炸裂し、クロスカウンターとなる
どうやら、お互いに片方を殴り倒して、それを生贄にして逃げようと考えたようだ

「て、テメェ久瀬!裏切ろうとしやがったな!!?」

「君が言えた口かい!!?
生徒会長と一般生徒、どっちの命の方が重いと思ってるんだ!!?」

「…大丈夫、死は皆に平等だから…」

そう言って舞が剣を振りかぶり、全員が久瀬と北川に飛び掛る

「ぎゃああああああああああああ!!!!!」

百花屋に、骨が軋み、砕かれ、血肉が飛び散る音をBGMに、断末魔の二重唱が響き渡る

「…ふぅ、今回はこのくらいで許してあげるけど…
今度変な陰口叩いたら…残りの人生病院か墓場で過ごす事を覚悟しなさいよ?」

そう言って、線路に飛び込んだ自殺志願者のような姿になり果てた北川に
香里はしばらく絶対零度の視線を落とし続け、やがて無言で歩み去っていった

「…大丈夫か?」

祐一が怖々声をかけた久瀬の胸には、深々と舞の剣が突き刺さり
それはまるで血に濡れた彼の墓標のように見えた

「…あ…いざ…わ…く…ん…」

「!!? 生きてたか久瀬!
しっかりしろ! 傷は…深いけど死なない!! …多分」

息も絶え絶えに久瀬が口を弱々しく開く
祐一は、そんな久瀬の顔を横に向けて血を吐かせて喋り易くさせてやる

「今度は…今度は…」

「何だ!? 遺言か!!?」

久瀬は祐一に向かい、かすかに微笑みを浮かべながら言う

「…今度は一台の救急車が怖い…{がくり}」

そのまま、祐一の腕の中の久瀬は
ぐったりとして、徐々に体温を失っていった
向こうに見える北川も、書きかけのダイイングメッセージを残して息絶えていた
店員が呼んだのだろう、外には救急車どころか、パトカーや何故か消防車
それどころか、機動隊や自衛隊、SATまで出動していた
そんな周りの様子と、目の前の骸を交互に見比べながら
やがて祐一は、文章では伝わらないが、カメラ目線に顔を向け
疲れきったような表情をして、小さな声でポツリと一言呟いた

「…おあとがよろしいようで」

ちっともよろしくなかった



あとがき

落語では扇子の使い方が重要なのですよ

樫の木おじさん「いや、内容はあまり落語に関係無かったろうが」

終盤の展開がやりたかっただけ、特にオチ
斎藤を絡ませられなかったのが、心残りと言えば心残り

樫の木おじさん「まぁ、いないとは思うが
『饅頭怖い』知らないとちっとも解らないネタだよな」

そんな奴、私は日本人とは認めん
しかし、最後のオチのために、ヒロインズは随分と外道になったな
まぁ、こういう場合、彼女らは祐一に奢りを強要する外道の役割しか無いしな
下手に萌え要素をいれても、私の文章力で萌えられる人間なんていないだろうし

樫の木おじさん「…馬鹿が開き直ると手に負えんな」

短編は書いてて楽しいんだよな〜
これも昼間思いついて、勢いで一気に書いたもんだし…
連載もやらなきゃならんのだが、楽しいものは楽しいしね
もしかしたら、次辺り、パロディネタオンパレードやるかもしんない

樫の木おじさん「解らない奴はとことん置いてけぼりにする気だな」

肯定だ{ちなみにフルメタルパニックの相良軍曹}

樫の木おじさん「いきなりパロるな!!」

読み返して気付いたんだけど、無意識に蒼天の拳ネタも使ってた{笑}