KANONの奇妙な冒険

第2話『ハンプティ・ダンプティ』


「うおおおおおおおおおおッッッ!!?」

叫んでもどうにかなる事ではないが、叫ばずにはいられない
俺の手の中には、一人でにヒビが入って行く白い卵
そして次の瞬間、その卵は眩い光を放って弾けとんだ

「なんだァァァッッッ!!?」

何から何まで理解の出来ない事だった
隣で自分の嫌いな歌を突然歌いだした奇妙な男
その男のいる方を振り向いた時に、男の代わりにあった卵
その卵は、手に取ると一人でに割れ、光を放って破片も残さず消滅した
唐突すぎる、不条理すぎる、常識から外れすぎている、これは悪い夢か何かなのか?

「…まぁ、それに近しいものではあるね」

突然、さっきの男の声がする
顔を上げると、そこには黒いコート、黒い帽子、サングラスに身を包んだ
全身黒尽くめの怪しい中年男性…いや、年格好が確認できないから
実際は遥かに若いのかもしれないが、とにかく怪しい男がそこに立っていた

「…あ、あんた何者だ!?
俺に何のようだ!?さっきの卵は何だ!!?」

この理外の出来事に対して、救いを求めるかのように、パニックになりながら叫ぶ

「まぁ、その質問は追い追い知る事になるだろうが…
それよりもいいのかい?卵はすでに『孵化』しているのだよ?」

その言葉に、俺はハッと気付く
そうだ、卵が一人でに割れる事に不思議は無い、常識の範囲内だ
スーパーで買ってきた1パックいくらの卵なら絶対にありえないが
この卵が、もしも、何かの生物の卵で、それが孵化したのだとしたら…

「うわぁ!!?」

何か、恐ろしい気配を感じ、俺は咄嗟に飛びのいた
それは、今まで俺が立っていた場所に、巨大な白い玉が落ちてきたのと同時だった

「EEEEEEEEEEEEEGGGGGGG」

白い玉が唸り声をあげる
よく観察すると、それは巨大な卵のような形をしていた
卵の下半分には、よれよれの背広と蝶ネクタイが纏われており
卵の中心には墨で画いた熟年男性のような顔がついていた
顔の中央からは、真っ黒な口が顔を飛び出して円周全体の4分の3ほどまで裂けていた
さらに奇妙な事に、目を凝らすと、わずかに向こう側の景色が透けて見えていた

「こ、こいつは…?
生き物じゃない…幻でもない…何なんだこいつは!!?」

「未知の恐怖に流されず、状況を打開するために『観察』する…
まずは合格と言ったところだ、君の柔軟な精神に免じて良い事を教えてあげよう
紹介が遅れたね、その『スタンド』を私は『ハートボイルドパパ』と名付けた
それが何か詳しく理解する必要は無いが…それは私の心が生み出したエネルギー体で
私に操られなくても相手を攻撃する『習性』と特殊な『能力』を持っている
まぁ、最も重要で、最も分かり易い事は…そいつが君の敵だと言う事だ」

そう言って、男はニヒルに笑う
俺には言葉の意味がほとんど理解できなかったが
『敵』を倒さなければ、やられる、という事だけは確実に理解した

「EEEEEEEEEEGGGGGGGG!!」

ハートボイルドパパと呼ばれたものが、大口を開けて俺に飛び掛る
スタンドという卵のバケモノが、巨体に不釣合いな俊敏さで迫ってくる

「うわあああッッ!!」

俺は咄嗟に後ろに跳んで交わす
しかし、それはその場凌ぎにしてもあまりにお粗末だった
俺の眼前で口を閉じたそいつは、大口を開けて再度飛び掛る

「ひっ!うわっ!またっ!!?」

高速で放たれる『口撃』の連続を必死に避けながら後退を続けると
やがてドシンと言う音とともに、背中に何かがぶつかるのを感じた

「……!!?」

背中に当たったものを確認するために振り向いて、そして絶望する
目の前には、黒尽くめの男が立っていた、俺を見下ろしていた

「向かってくる敵だけに気を取られてはいけない、もっと全体を見ないとね…」

「う…うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!」

挟み撃ちの形に追い込まれ、俺はヤケクソになって男を突き飛ばす
すると、意外な事に男は抵抗する様子をまったく見せずに俺から離れていく
どういう事だ?何故絶好の機会に俺にトドメを刺そうとしなかったんだ?

「痛いなぁ…冷静さを欠いたら、その場で負けだよ?
そうそう、もう一つ良い事を教えてあげようか
私は君を殺そうなんて、毛ほども思っちゃいないんだよ
『スタンド』能力には人の精神の数だけ種類がある…
私の『ハートボイルドパパ』の能力は『生物の洗脳』だ
そいつが食らった人間の『心の中』に侵入し、操作できる…
ずばり言おう、私の目的は『君をこの町から追い返す事』だ
そのためにハートボイルトパパを使って君を心変わりさせる」

男はキッパリと言い放つ
その一言で俺はわずかでもホッとする
真実かはわからないが、確かに奴は俺の命を保証すると言ったからだ

「ホラまた油断した」

「!!?」

その一言に体が機敏に反応する
背後に奴が迫っている事を理解して、振り向かずに、横っ飛びに飛びのける

「くっ…このぉ!!」

叫びながら咄嗟に足元の雪を敵目掛けて蹴り飛ばす
ダメージなんか端から期待していない、ただ、目潰しにさえなってくれれば…
そう、願いを込めた一撃だったが、その必死な願いも虚しく
蹴り出された雪の塊は、白い体を突き抜けて、背後の空へと舞った

「そんな…」

愕然としながらその光景を目の当たりにする
すると、黒尽くめが何度目かの忠告をする

「無駄だよ、『スタンド』は『スタンド』でしか倒せない…
それがルールなんだ、『スタンド』の世界に触れられるのは『スタンド』だけ
もちろん、僕に対してならさっきみたいに攻撃する事も可能だけれども…
『ハートボイルドパパ』は『習性』に任せた遠隔自動操縦タイプのスタンド
例え僕を殺そうとも、一度孵化した『ハートボイルドパパ』は止まらない
絶対に止まらずに、君の『精神』をその身に包み、『洗脳』を施すんだ
それに、おめおめとやられる程、私自身も弱いわけではないしね」

その言葉は、ただただ俺に絶望だけを与えた
意味なんてまるで分からない、理解も出来ない
だが、奴が俺に打つ手無しだ、という事を伝えたいのは分かる
諦めて、奴に食われて洗脳されてしまえ、と言いたい事が

「…命だけは助かる、か…」

そう言って、俺は立ち尽くしてしまう
そうだ、命の保証は相手がしてくれている
それを疑っても、俺にはもうどうする事も出来ない
万策尽きてしまったら、人間諦めが肝心と言うものだ
無駄な事はしない方がいい、無駄なんだから、無駄無駄…

「…どうやら、諦めたようだね…
『ハートボイルドパパ』センサー切断!自動操縦解除!!」

男が叫ぶと、白い卵の動きがピタリと止まる

「…何だよ、やるなら一思いにやれよ」

俺には最早、恨みがましそうに男を見る事しか出来なかった

「君は諦めたんだろう?だったらいいじゃないか
私には君について一つだけ知りたい事がある…それを答える事なら出来るだろう?」

「…何だよ、聞きたい事って?」

俺にはもはや全てがどうでも良かった
ただ、とっととこの茶番を終わらせたかった
どうせこんな町に未練があったワケじゃない
命あっての物の種だ、帰れるのなら帰りたい
そして、親父やお袋のいる国について行って
全てを忘れて平穏に生きれれば、それで良かった

「君は『ハンプティダンプティ』の歌が嫌いだと言ったが…それは何故だい?」

なんだ、そんな事か
俺は苦笑いしながら答える

「意味なんてねぇよ…ただなんとなく嫌いなだけさ、昔っからな…」

「嘘だね、それは」

面倒臭そうに答える俺の一言を、男が斬って捨てる

「君がこの歌を嫌ったのは、この歌の意味を知った時だ
塀の上から落ちたハンプティは、王様にだって治せないって事を知った時だ」

その言葉を聞いて、不意に俺の脳裏に
雪で白く化粧された大きな木の映像が写る

「ハンプティダンプティ塀の上、ハンプティダンプティ落っこちた
王様の馬と家来、皆が力を合わせたが、ハンプティダンプティもう元には戻らない…」

「やめろ…」

頭にガンガン響く鈍い激痛
薄ぼんやりと浮かぶ、赤い景色
遠くでささやかれるような、女の子の呟き

「叩き壊された雪兎、置き去りにされた子狐、孤独な戦いを強いられる少女
そして木の上から落ちた少女…どれもこれもがハンプティダンプティ、もう戻らない」

「…お願いだ…やめて…くれ…」

耳から入って脳を鷲掴みにするような、そんな言葉の群れ
何か、脳の中に眠っている何かを叩き起こされるような、そんな痛み

「いつだって中途半端なんだよ、君は…
出来る事は中途半端な希望を相手に与えるだけ
悪意無く、出来心程度のつもりで相手の背を軽く押すだけ
それが塀の上のハンプティの背を押す一手だとも気付かずに…」

「違う…俺は…」

「何も違いやしないさ、君は同じ過ちを繰り返すだけ
この世に絶望し、離れようとする少女の足首を掴み
さらなる苦しみにさらして放って置くだけ…」

「俺は…そんなつもりで…違う…俺はッッッ!!!」

その言葉に…正確に言えば、その言葉が耳に入る度に頭を襲う
耐え難い痛みに屈するように、俺は地面に膝をついてしまう

「…もう分かっただろう?
私の役目は、そんな厄災を追い返す事
卵を割るために来た男の行動を防ぐ事
もうハンプティダンプティが元に戻らないなら…せめてもう二度と割られる卵が無いように…
『ハンプティダンプティ』センサー再接続!自動攻撃を再開しろ!!」

地面に倒れ伏すようにうなだれる祐一にハートボイルドパパが襲い掛かる
これまでか…黒尽くめの男は、軽い失望感を味わった、しかしその刹那…

バキィ!!

辺りに、快音が響く
ゆで玉子を机の角にぶつけた時のような、爽快な音

「…なるほど、まだ立てるか」

「…ああ、立てるさ」

俺は立ち上がった
奴が何を言いたいのかはよく分からなかった
理由不明の鳴り止まぬ頭痛も、まだ続いている
立ち上がって何が出来るかも、どうすればいいのかも、よく分からない、しかし…

「あんた言ってたっけな…
『スタンド』の世界に触れられるのは『スタンド』だけって…
じゃあ、なんで俺にはお前のスタンドが見る事が出来る?
見えるって事は、『その世界に触れている』って事じゃないのか?
だったら、俺にもあるはずだよな…あっても、ただ気付いてなかっただけなんだよな…」

俺の体からは、確かに奴と同じエネルギー体が出ていた
著しく違うのは外形、白銀に輝く淡色の人型のボディ
俺よりもわずかに背の丈は高く、筋肉質な印象を与える
身に纏われた丈の長い、白銀色のローブに、ギリシア彫刻のような彫の深い丹精な顔立ち

「…正直、俺は昔の事なんかほとんど覚えちゃいない…
ただ、あんたの口ぶりから察するに、俺はこの町で何かやらかしたんだ…
詫びても詫びきれない、取り返しのつかない何かをやらかしたんだ…」

俺は、ヒビが入って吹き飛んだスタンドに注意しながら
黒尽くめを睨み据え、自らを指差して言葉を続ける

「だったら俺は償わなくちゃならないはずだ!
男だったら自分のケツは自分で拭わなくちゃならないはずだ!
それが判った今、俺はもうおめおめと逃げ帰る事なんか出来ない!!」

すると、黒尽くめはニヤリと笑い、そして俺の叫びに応じるように叫ぶ

「見事な啖呵だ…
ならば、見せてもらおうか、君の覚悟の程を!
覚悟に見合うだけの『力』が君にあるのかを!!」



to be continued