そこは、とある北の町にあるごくごく普通の一軒家。
 強いて他と違うところをあげるとするならば、その家に住む女性がすべからくかなりの美形だと言う事だろう。
 家長である婦人は下手をすれば女子高生で通るような美貌を持ち合わせ、瓜二つの娘は現役の女子高生。
 さらに二人、彼女らに勝るとも劣らない程の高水準の居候が住み合わせている。

 それのどこが普通の一軒家だなどと言う野暮なツッコミはご遠慮いただこう。
 よもや誇り高き『鍵っ子』の男たちにそのような不調法者がいるとは思わないが。

 ともかく、健全な男性であれば、そんなニライカナイに住まわせてもらえると言うのならば、金をいくら積んでも惜しくは無い事だろう。

 そんな楽園のような家庭では、今日も平穏な日常が送られていた。
 ただ一つ例外をあげるとするならば。今日、その家から一人の少年が巣立っていこうとしている事だろうか――



相沢少年の引越し


 水瀬家居候第一号、相沢祐一の部屋では、二人の男女が忙しそうに動き回っていた。
 一人は中身の詰まったダンボールを部屋の外に運び出し、一人は本をパラパラとめくった後、ダンボールの中にそれを詰めていた。

 窓の外では夕日が傾き、カラスの鳴き声とともに赤い光が部屋に差し込んで、閑散とした室内を照らしていた。
 朝から今まで労働を繰り返していただけあって、室内にあった物の大部分はダンボールに詰められ、残るはベッドと空の机と二つのダンボール箱だけとなった。

 昨日まで人が生活していたと言う『匂い』をほのかに感じさせながら、それがゆっくりと消えていく様子がつぶさに見て取れた。

「祐一〜、これで大体片付いたよ〜」

部屋の外にダンボールを運んでいた少女…水瀬名雪が努めて明るい表情で従兄弟である祐一に声をかける。

「おぉそうか、すまないな、名雪」

 薄く笑いながら祐一が礼を言う。
 しかし、その表情にはそこはかとない哀愁が漂っていた。

「あとは祐一の身の回りのものだけだね」

 名雪がそういうと、祐一は軽く周囲を見回してから答える。

「あぁ…でもこうやって片付けてると迷うものが多いんだよなぁ…」

「そんなもんだよね」

 昨日までと同じように和やかな会話を続ける二人。
 お互いに、それが巣立ち行く者に対する最大級の手向けだと知っていたから。
 そして二人は『いるモノ』『いらないモノ』と書かれたダンボール箱の前にゆっくりと座った。

「たとえばこの学生証。これなんかどうなんだろうな?」

 祐一が机の上に置いてあった学生証を取って言う。
 すると、名雪は祐一の手に握られていた学生証をそっと掴み、
 そのまま奪い取って『いらないモノ』と書かれたダンボール箱に無造作に放り込んだ。

「これはいらないよ。祐一は、もう私達の学校の生徒じゃなくなるんだから」

「そうか…俺は別の学校に転校する事になるんだよな」

 寂しそうにつぶやきながら、祐一はじっと学生証を見つめる。
 そして、ふと思い出したように懐から携帯電話を取り出した。

「あぁそうそう、この携帯電話。これはいるだろ。買い変えたばかりだし」

 そう言って名雪に携帯を見せる。
 しかし、名雪は携帯を一瞥すると、再び祐一の手から奪い取り、
 そのまま『いらないモノ』の箱の中に勢い良く放り込んでしまった。

「これもいらないよ」

「なんでだよ。携帯ぐらいどこにいても使うだろ?」

 そう言いながら携帯を箱の中の拾おうとする祐一。
 しかし、その手はスッと差し出された名雪の手によっておし留められてしまった。

「いらないんだよ祐一。電話…向こうに、ちゃんとあるから…寂しい時は、何時でもかけてきていいから…」

 そう言って口元を抑えて嗚咽を漏らす名雪。
 ただごとならぬ名雪の態度に、祐一は何も言えなくなってしまった。
 そして、少しでも場の空気を和らげるため、話題を変えようと立ち上がって壁にかかっている学生服を手に取る。

「…そうか。じゃあ、これだけでも持ってこうかな」

 そのまま『いるモノ』の箱に学生服を畳んで入れようとするが、三度名雪が祐一の手を遮った。

「これもいらないよ…その代わり…」

 言いかけて、名雪は先ほど部屋に入る時に持ち込んだ服を祐一に渡す。
 それは、分厚く首周りに毛糸が織り込まれたコートのような服と、毛糸の帽子だった。

 その物々しさに、思わず苦笑いする祐一。

「おいおい、いくら何でもこんなの着たら暑いだろ」

 その途端、名雪の表情が一変し、厳しいものになる。

「祐一、あっちの『冬』を嘗めちゃ駄目だよ」

「…そんなに寒いのか? 次の居候先は、この町よりちょっと北にある秋子さんの知り合いの家って聞いたんだが…」

 名雪の態度にやや困惑しながら、祐一は机の上においてある黄色の耳当てを取った。

「そういや、あゆの奴がくれたんだが、コレも本当にいるのか?」

 すると、名雪はゆっくりと耳当てを祐一の手から受け取り、そして祐一の耳に着けてやった。

「コレは必要だよ…凍傷にかかったら耳が取れちゃうからね」

「そんなに寒いのか? …流石に大げさすぎる気もするけどなぁ」

 よぎる不安を誤魔化すように笑う祐一。
 しかし、名雪は薄く笑いながら祐一から目をそらすようにして左下の床を見てひとりごちるように言った。

「ナポレオンもヒトラーも、今の祐一みたいに嘗めてかかったんだろうね…」

「どこだ? だからどこに行くんだ俺は?」

 流石に不安になって声が大きくなる祐一。
 しかし、名雪はそんな祐一を哀れむような視線で見るばかりだった。

「…じゃあさ、真琴から『向こうは寒いだろうから』って肉まんもらったんだけどさ。寒いんならいるだろ?」

 再び諦めたような表情になり、祐一が肉まんを取り出す。
 すると、名雪は祐一の手から肉まんを取って『いらないモノ』の箱の中に投げ入れた。

「確かに向こうは寒いけど、それだったらこっちの方が似合うよ」

 そう言って揚げたパンのようなものを取り出し、『いるモノ』の箱の中に入れる名雪。

「…ピロシキ、か」

 どんよりとした表情でそれを見つめる祐一。
 名雪は泣きながらそんな祐一の横顔を見つめていた。

「…じゃあ、せめてこういう娯楽が無いとな」

 そう言ってビデオテープを名雪に見せる祐一。
 パッケージには、『太陽戦隊サンバルカン』と書かれていた。

「…そうだね。向こうでは外は一面真っ白だろうから、それぐらいしか見るものが無いかもね」

 精一杯の笑顔でうなづく名雪。

「だろ? いや〜、この前北川に薦められてみてみたんだけど、これが面白くてさ〜。
 主題歌も結構カッコイイんだぞ? 太陽が もしも な〜か〜った〜ら〜」

 明らかに空元気だと言う事が見て取れるが、それでも祐一は陽気に歌いだした。

「うん…でも祐一…それだったらこっちの方がいいかもね…」

 名雪はそう言うと、再び先ほど部屋に持ち込んだ荷物を手元に寄せる。

「地球は〜たちまち〜こ〜お〜り〜つく〜」

 祐一の手からビデオを奪うと、代わりに別のテープを握らせる。
 しかし、祐一はそれでもなお歌うのをやめようとせずに歌い続けていた。
 少しでも長い間、真っ直ぐに見据えられない現実から目を背け続けていられるように。

「花は枯れ 鳥は空をすて」

「太陽戦隊サンバルカンじゃなくて…」

 ビデオのラベルにはこう書いてあった。

『愛國戦隊大日本』、と




「君はシベリア 送りだろう〜」

 ヤケクソのように大声で歌い上げる祐一。
 そう、それが今回の祐一の全てを物語っていた。
 そのままガックリと項垂れ、名雪とともにまるでお通夜のような空気を作り上げる。

「……名雪、俺は生きて再び日本の地を踏めるのだろうか?」

 重々しく口を開いて名雪に問う祐一。
 そして名雪も同じように重々しく口を開く。

「…………奇跡(ペレストロイカ)でも起きればなんとかなると思うよ」

「頑張れぇ〜、負けんな〜、ち〜からの〜かぎ〜り生〜きてやれぇ〜…ち〜から〜の〜かぎ〜り……うううううう」

 そのまま祐一は泣き崩れてダンボール箱の上に覆いかぶさるような体勢になった。
 そんな祐一の姿を見て名雪が声を荒げて叫ぶ。

「祐一が…祐一のお母さんの年齢から計算して私のお母さんの年齢を割り出そうとするからいけないんだよ!!」

「どうしても知りたかったんだよ〜!」

 さめざめと泣く祐一を真っ赤に染め上げる夕日。
 名雪は涙を流しながら強く願った。
 せめて、祐一の思想までは赤く染まりませんように、と…



続く……………………………かも?






あとがき

樫の木おじさん「…コレはSSと呼んでもいいものなのか?

…呼ぶ人もいるかもしれんぞ? 少なくとも私は呼びたく無いが

樫の木おじさん「じゃあ何でこんなもん書いたんだよお前」

仕方ないだろう。私のリビドーが私に命令したのだ…Kanonと小須田部長をクロスオーバーさせろ、と…!

樫の木おじさん「…お前はもう少し『理性』とやらの声に耳を傾けるべきだと思うが」

ともかく書いちまったもんは仕方ない。もしかしたら連載させるかもしれぬ。なんせ、高校の頃にも一度、小須田部長のコントの台本書いた事ある程だからな私は!

樫の木おじさん「…その頃からまるで進歩が見られんってのは人としてどうなんだ」

ともかくサクサク書き進められたんで、不定期連載化させる可能性は充分にあるのじゃよ〜

樫の木おじさん「・・・サクサクはいいんだが、単なるコントの台本起こしみたいでSSにする必要性が見られないような気がするんだが?」

・・・シャラップであります



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