刃牙道
第13話「A君とB君」


花山さんと勇次郎がなんか歩いて出会ってて、

感想書くのに「花山と〜勇次郎が〜出会った〜」じゃ描写もクソも無いので、

おなじみの「一般人視点から見たグラップラー」の作中描写を引用しようと思ったんですが



それやると、ある意味画像を貼り付けるぐらい本編の内容を載せる事になってしまうので



「これは全文引用で感想書きを訴えようとする秋田書店の巧妙な罠だったのよ〜!」と、

姉ログのお姉ちゃんみたいに被愛妄想を迸らせつつ、訴えられない感想作りを目指していきます

(面白さの追求をしろよ)


と言うわけで、内容としてはまず4ページ半ぐらいかけて花山さんの説明


「圧倒的・・・そんな表現しか見当たらない巨躯の持ち主だった」 



まぁ、一応は新連載ですからね

既存のキャラを一般人視点で表現して個性を強調するのは大事なテクニックです

学園ドタバタコメディとかの群像劇系で、新入生が「なんなのこの学校〜!?」と驚く話をやるような感じです


キャラの説明を新たにして新規読者にアピールしつつ、既存の読者にも新鮮さを感じさせる

他にも色々と良い効果のある表現法なので、よくあるエピソードではあるんですが

作者ごとにどう違いを出してそれをやっているのか、そういう視点で見ても面白いと思います





まぁ、1年に1回やるから効果的なネタってのは変わらないんですが



毎回やったらあかんのや・・・何話もかけてやったらあかんのや・・・


そんな血を吐くような思いを抱きつつ、ちょっとここで目次コメントを見てみると



『ニュースに見る幼児のコメント。
いらんだろアレ!』
 



あ〜、そうですね。ニュースとかで、分かり切った感想とか話す幼児のコメントとかいりませんね

時間の無駄だし意味のある事でもないし、わざわざニュースの時間さいて放送するものじゃありませんよね


と言うわけで、感想を続けます。え? さらっと流し過ぎですって?



だって、この話を続けると私は絶対板垣先生に酷い事言っちゃいそうですし・・・ 



強いて言うなら、私が何を言わなかったのかはほとんどの読者に伝わったと思うので、

次は通行人が勇次郎についてコメントするような描写の方に入っていきます。で、その前にみっちゃんとの会話シーンの回想



「これは喧嘩じゃぞ
これは試合というより生の喧嘩じゃ
のォ花山・・・・・
人前でヤルもんじゃないじゃろ」
 



花山と勇次郎が戦うとなればそれは試合ではなく、喧嘩

ゆえに、地下闘技場で戦わせるのではなくあくまで日常の中で争わせようというのでしょうか



ところで。地下闘技場に関しては、グラップラー刃牙3巻で説明がありましたね

なんでこういう戦いの聖地が後楽園に造られたかと言えば、おもに金持ち爺さんの道楽なんですが


そもそもが先祖である徳川光圀さんが、徳川家光に命じられて

平和な時代で力を持て余して暴れだす武芸者に発散の場を与えるためだとか

みっちゃんのお父さんも、決闘罪が制定されても治安維持に繋がるってんで聖地を守ろうとしたんだとか


はい。その上で今回、徳川のじっちゃんのセッティングは?



一般人を避難もさせずに怪獣級の格闘者を町中でぶつける



生の喧嘩だからね! 仕方ないね! たまたま喧嘩が始まっただけだから、巻き込まれる人もいるよね!!





先祖の遺志を冒涜するってのは、こうやるんだ 



す、すごいよじっちゃん・・・仮にも先祖代々、世のため人のためあとちょっとは自分の楽しみのために行われてきた事業を、

自分の代で完全に私利私欲のためのものに変えちゃってるよ・・・きっと花山さんも「不孝者の鑑だ」と抱きしめてくれます(くれません)


で、大怪獣花山さんが喧嘩の舞台にリングインしたところで、対戦者の説明に入ります



「獰猛・・・凶悪・・・高圧的・・・
その男を表現するならそんな言葉ばかりが羅列される」
 





あと親バカとか顔芸とかも羅列すれば完璧だと思います



あとは、なんか黒い服着てサングラスかけてるので、オシャレ風オタクファッションって表現してみるとか

いや、実際なんか黒一色って凄い落ち着くんですよね。30過ぎた今でも私服はなるべく黒で統一したい私です(どうでもいい)


で、夜にサングラスかけて歩く変なファッションの勇次郎

これだと人とか障害物にぶつかって危険だと思うんですが、

まぁ人なら勇次郎のオーラを察して逃げていくでしょうし、障害物は隕石クラスでも当たった方が砕けそうですし


まぁ、迷惑の極まりなさがにじみ出てますが、それはそれとして

なんかオーラが出るほど分かる新陳代謝ってちょっと憧れますね

私も最近、ちょっとダイエットでカロリーを燃やす肉体を作ろうとしているので

基礎体温ってどうやったら上がるのかなーとか見当違いな努力をしているのですが

(そもそもは糖尿病予防をするはずだったのに、体を動かし始めたら目的と手段が入れ替わり始めた)


で、勇次郎についてのコメントの締めくくり



「その油断のなさは――
突如の落雷にも対応するだろう」
 



突如の落雷にも対応・・・尖んがり過ぎだっつーの勇次郎・・・腕っこきのハンター・・・



勇次郎は宇宙の膨張と同じ速度で進化してるからもう対応できるようになったんですね!!(納得) 



そうだよね。聖闘士に同じ技が通用しないのはもはや常識ですしね。うん、コメントに矛盾は無かった!(欺瞞)


と言うわけで、長々とコメントのあった勇次郎と花山が遭遇します

いや、この話だけ見ると描写にどんだけ時間かけてんだよみたいに思われるかもしれませんが

花山さんが勇次郎と戦いたいって言って、実現するまでに1年かかってないってのは凄いスピードですよ


ここら辺は流石花山さんですね。こういう読者の期待に応えてくれるのも魅力の秘訣です



「わざわざのお出向き・・・恐縮です」 



そして軽く会釈をし挨拶をする花山

こういう気遣いまでできちゃう礼儀正しさすらある!

やはり外伝主人公を務めただけの事はある貫禄です


まぁ、あんまり花山さんを褒めすぎると本編主人公を貶してるみたいになるので自重して進めましょう

貶してもダメ、他人を褒めてもダメ、まったくやり辛い主人公ですよ!(褒めてやれよ)


そして戦闘の悦びを感じ、笑っている勇次郎の髪が逆立ち始めます。父さん陽気です

そしてそれを見て輪をかけて笑う者が一人。勇次郎と花山が向かい合い、街に混乱が訪れる中、



迷彩服と望遠鏡で安全な観戦に万全を期す老人がいます 



我々はこの老人を知っている! いや! この人間のクズさと人でなしさを知っている!



「くゥ〜〜〜〜ッッ
たまらんのォ〜ッッ
共にヤりたいAとB・・・
心ゆくまでヤれいッッ」
 



ふしゅるふしゅるとシコルスキー呼吸までして滾るじっちゃん

うんうん、そうですね。みっちゃんの仕事は結婚相談員。ヤりたい者同士を結び付け、

その報酬として幸せに無茶苦茶闘争する姿を見るのが、みっちゃんの楽しみであり天命なのです




まぁ、通行人の皆さんは巻き込まれたくてここにいるわけではないのですが



いや、もしかしたらみっちゃんがこんな迷彩服とかで準備しまくってるのは、

来週勇次郎と花山さんの戦いが始まり、余波でコンクリートがめくれて巨大な破片飛び散って、

逃げ遅れて転んでしまった子供が悲鳴をあげて目を閉じたら、衝撃がこなくて目を開けたら目の前にみっちゃんがいて

「怪我は無かったかのぅ?」と笑いかけつつコンクリートを受け止めてるとかでの格闘家から一般人を守るのが徳川の使命的なものかもしれませんが



可能性としては、一般人がグラップラーの戦いに巻き込まれる形で新しい死に方を見たいとか思ってる方がありえそうなので、

最近なんかますます株価が大暴落してるこの爺さんが好感度を上げるイベントはなんらかの形で挟んであげるといいんじゃないでしょうか


で、勇次郎と花山さんの戦いは次回に引くんですが



>刃牙道、完全に『花山と勇次郎の喧嘩始まりそう→武蔵覚醒→二人とも「!?」となる
→なんやかんやで喧嘩中止』の流れじゃないですか、これ・・・(青ざめながら)。




まぁ、こうなるかあるいはバキ君が邪魔しに来るかですね



やだよ・・・なんか武蔵が復活してバキ君がそれを予感して勇次郎達の戦いを止めて、

さも武蔵とバキ君を大物っぽく見せようとするとか、そんな展開がくるのは本当に嫌だよ・・・(すすり泣きながら)


まぁ、バキ君がどう邪魔しに来るかっていうのは色々想定してるパターンがあるのですが、

そんなもん一々書いてるとテンションがダダ下がりするので、そうならない事を祈りつつ感想を進めます


で、スカイツリーの地下ですが。なんかサブ子さんがカルテを見ながら言います



「まずまずじゃな
十分とは言えん しかし条件はほぼ満たしているといえる印象か
出来ればインシュリンとアミノ酸 ビタミンPZを各20%ずつ調整すれば完璧じゃった」
 



驚く科学者の皆さんを後目に、なんかアカデミックな発言をします

まぁ、栄養素のバランスがおかしいのよーとか、自称ダイエット知識豊富な主婦みたいな発言なので、

知識あるのか適当こいてハッタリかましてるのか妄言垂れ流してるだけなのかが非常に分かりづらい発言なのですが



知識があれば霊媒師であり科学知識も一流という、

最近のラノベ主人公みたいに適当にチート属性盛ってるだけって感じですし


ハッタリかましてるなら詐欺師としては一流って事ですが霊媒能力云々どこ行ったって話ですし


妄言垂れ流してるだけだと、オカルティズムではありますがほんとに任せていいのかって話ですし



いまいちなんの得があったのか分からないキャラ描写を挟みます



「仏造って魂入れず
無教養な光成の言葉じゃが・・・
これなら 5分で目覚めよぅ」
 



と言うわけで、幼馴染の男の子を起こすみたいな軽いノリで宣言するサブ子さん



今週のイカ娘で千鶴さんの受け身が凄い綺麗だったんですが、

こういう描写に力入れてるあたりほんとチャンピオン漫画って感じですね
 



(一瞬で興味を無くして他の漫画の感想を語ろうとするな)


ともかくまぁ、花山さんと勇次郎が交錯し、こっちはこっちで科学と魔術が交差して次回に引き

楽しみではあるのですが、どこまで行っても武蔵と主人公の存在が不安要素になってるのが怖いところです




〜感想だけど、本編とはあんまり関係ない話〜




ところで、科学と魔術の交差が云々と言いましたが、

スポーツ系格闘技ってのは突き詰めれば科学的アプローチに行き着き、

武道系格闘技は突き詰めれば魔術的アプローチに行き着くので、


私はよくスポーツと武道の融合を「科学と魔術が交差する」って表現する事があります

いや、どうでもいい個人の感想なんですが、武術は魔術に通じるってのはもっと周知されていい観念だと思うんですよね


え? 格闘技とオカルトは関係ないだろって?



じゃあ、拳児の最終回読んでからもう一度それ言ってください



いや、ボケとかじゃなくて。気とか超自然的なパワーとかって概念はともかく、

フィジカルの効率的な鍛え方・動かし方を追求し続ける西洋のスポーツとは違って、

武術ってのは思想や理念などのメンタル的なアプローチからの追及を離れられないジャンルなので

細かく説明すると長くなるんで興味ある人にはチャットで説明したいんですが、『格闘技』は『魔術』という学問の一分野なのです



まぁ、もっと言うとアプローチの違いであって魔術も化学と同じ科学の一分野なのですが、

そこらへんは色んなラノベや漫画で書かれてるのでそっち見て知ってる人は多そうですね






〜感想から派生した感想なんだけど、本編にはかすりもしない話






そういえば、科学と魔術の交差が云々と言えば、個人的に無意味だと思うのがいわゆる最強議論ですね

いや、正しい意味(?)での最強議論っていうとちゃんとルールのあるゲーム的な議論があるんですが、

そっちは理解できるんですけど、ファンの思い込みとかで好きな作品のキャラの最強を主張するのは意味が無いと思うんですよね


たとえば、一方通行とアルクェイドのどっちが強いかとか言われてもMUGENでやれと言うか

そんなもんバキ読者に聞いたら最高にバカバカしい答え方されますからね


たとえば一方通行ってキャラは、ベクトルを解析してそれを操作する能力があって、

あらゆる自身に不利な要素を反射したり、地球の自転に干渉したりとかもできるんですけど、

それをバキ読者に言っても、「え? ベクトルを解析して反射できるから物理攻撃が通用しないって?」



「勇次郎のパンチが計算できるわけないだろ」 


って真顔で言ってきますし。「一方通行は理論上、核兵器を使っても傷一つつけられない」とか言われようものなら



「核を持ってしても殺れやせん!」と、凄いしてやったり的な笑顔で叫びだすだけですからね


あとは基本的な部分で、「でも勇次郎はかめはめ波とか使えないし、ヤムチャ以下でしょ?」ってのも、



「そんなもん、ヤムチャが操気弾撃って勇次郎を攻撃しても無傷のままニヤッと笑って



『無天老師のジジイが似たような技を使ってやがったな・・・

所詮は女子供の護身技だと思っていたが・・・貴様相手ならちょうどいい』
 



って、『実は使えるけど使わないで今まで舐めプしてました』とか言い出すに決まってるじゃん」とか答えますからね


ちなみにこれはバキの信者が作品を自慢して言うわけではありません。訓練されたバキ読者特有の諦めです

目の前でいきなり主人公が巨大カマキリと戦いだすような展開にさらされて啓かざるを得なかった悟りなのです



お前、好きな作品の好きなキャラが、その作品の最強主人公に蹂躙される姿見て喜べるか? 


(血を吐くような本音)



で、まぁ、中には純粋に勇次郎の最強を信じるドリームクラブ名誉会員みたいなピュア・ファイターがいたとして

そういう人とルール無用で平行線のままな最強議論してどうなるかって言うと、バキ脳の発想的に考えたら



「ふ〜ん。じゃあ俺は勇次郎が最強だと思うから、ワガママ通させてもらうぜ」と、


強さとは我が意を通すための力ってのを証明しようとするだけですからね

え? 議論をしてるのに暴力に訴えるような行為は負けを認めてるのと同じ?



ボコボコにされて地べたに這いつくばったままそれが主張できたら大したものです



相手が無茶苦茶な理論で襲ってきたら、そのふざけた幻想を右手でぶち殺せばいいのです

と言うか先に手を出してきたのが悪いって言うなら、先に口出しても悪いって事になっちゃいますから

それこそルールの押し付けです。ルールの押し付け合いの行き着くところは結局、相手を屈服させられるかどうかになってしまうのです


だから議論って言うのはそもそも異なる論旨をぶつけ合う事で互いを磨いて、

自身の論理をより高めるためにする事で、自分の主張が正しいと認めさせる口撃は議論ではないのです


自分の正しさを相手に認めさせるって事は、多かれ少なかれ相手の心を折って行う事で

智慧のある聖人君子は説法だけで痛みもなく優しくへし折り、元の心よりも強く育ててくれたりするものですが、

普通は相手の心を折るのが目的なら、肉体的刺激を無視するのは飛車角無しで将棋打つようなものです



だって言葉でいくら相手を丸め込んでも別に相手は気にしないしすぐ忘れるだろうけど、

暴力に屈してしまったって負い目は相手がその記憶を思い出す限り消える事はないもん・・・

(どうしてこいつはこういう最低の発想をさも当たり前のように言えるんだろう)


そういう意味では最近は集団的自衛権やら9条やらがどうのこうのとかってありますけど

まぁ、争点の是非はおいといて。暴力ってのは自分の主張を相手に認めさせる手段の1つなので

「僕達はその手段を使わないから、君達も使わずに僕達のルールに従ってくれるよね!?」って言ったら



「空手家が空手使って何が悪いんでぇ」ってボコられるだけなんで



相手に対する思いやりがあったら、「俺のルールが正しいからお前らも俺のルールに倣え」なんて言えないはずなんですけどね

(ちなみに外国の人はそこがよく分かってるので、「捕鯨は正義に反する!」って言いながら権力と武力で物理的に圧力をかけてきます

で、なんで今までそんな感じのルールが日本で守られてたかって言うと、先人が戦争してくれたおかげです


そもそも「相手の心を折れば主張が通る」ってのは、自分がするのはいいけどされるのは絶対に嫌な真理なので

される危険性を感じた人達は、されないように社会の枠組みを作って数の暴力で個の暴力を封殺する事でいわゆる平和を作りました

愛とか正義とかが人間の心に気持ちよく響くのは、種族が生存・進化・繁栄するシステムとしてそれが理に適っているからです


だからまぁ、正義を感じさせるルールってのは社会のためのシステムとしては正しいんですが、

力ある個人サイドの人間としてはそれが面白くない事が多いっつーか、弱者から搾取してこその栄華なので

大多数の弱者と少数の強者が、どちらがより果実を得るべきかの権利を昔っから社会の中で争い続けてきたわけなのですが

(善悪で言うなら別に弱者の方が善性とは限らないってのを、この話題に関係なくても私は常に主張したい派の人間です)


そこでまぁ、極東の弱者代表が開拓精神溢れる強者達相手に散々喧嘩を売って、その後で尻を舐めて、

俺達は敵に回したら狂犬だけど餌で飼えばこれ以上の忠犬はいないぜってのを教え込んだのが現在に至る道のりで

そうやって平和を作った皆様が、その平和を享受してる人達に悪人扱いされるのは正義に適っていない気もしますがそれはそれとして


戦争はしないにこした事は無いんですが、だからってたとえば他人から食糧を盗まないとそのまま飢え死にしそうな人に

「他人のものを盗むのはいけない事だから、お前は正義を受け入れて餓死しろ」ってハンバーガー片手に言って誰が従うんだって話で


と言うかそれで相手が従ってしまうような世界を私は平和な世界だとは死んでも認めたくは無いんですが


とにかくまぁ、そういう議論ってものは「よりよい答えを得るためにはどうすればいいか」ってのを

ちゃんと着地点決めてそれを筋道立てて考え、互いにアイディアを出し合って磨き合って作るためにする事なので

「気に入らない意見を出す相手を黙らせる」のが目的ではなく、「自分が納得できる理想にたどり着く」のを目的とするべきで

そのためにはまず個人で着地点とそこに至る道のりを考えて、たどり着くまでの手段や方法論を1歩1歩検討していくべきなんですよね


たとえば、武力を持たずに侵略されないためにはどうすればいいかーって問題だったら、

自国の生産力をバカみたいにあげて周辺国に米を配りまくっていわゆる「金持ちの友人」になるとか

まぁ、そんな手間をかける意味やかかるコストを考えたら、普通に軍隊作った方がよっぽど安上がりなんですが、

それがどんなに困難でも「武力という手段を一切使わずに侵略されない国家を作る」という大前提を崩したくないなら、

「素手を滅茶苦茶鍛えれば武器を持たずに兵器と戦える」ぐらいの無茶は実現するための手段を模索しないといけないんですよ


つーか、これに関してはそもそも「自分がこうしたら相手もこうしてくれるだろう」って決めつけはあまりにも愛が無いでしょ

自分が奉仕した結果によって相手が自分の欲するものを与えてくれる事はあっても、対価を前提にしたら献身ではありません

対価を前提にしてしまったらそれは取引であって、取引ならばそのシステムになんらかの強制力を組み込まないと対価は保証されません

献身がしたいのか、取引がしたいのか。ここは着地点を決めるどころか出発点の問題なんですけど、そこがはっきりしないと議論にもならないんですよね



裁判だって、理想を言えば時間も予算もかけまくって真実を追求すべきなんですが、

それだとコストとリターンが見合わないから、弁護側と検察側で話し合って短期間で妥協点を見つけるわけで

議論の勝ち負けってのは、「時間も手間もかかり過ぎてるからひとまず現時点で優れてる理論を決めよう」って形でつけるので

現実的に考えれば妥協せざるはえないけど、妥協すべき時間ギリギリまではいいアイディアが出るように頑張ろうってのが「議論をする」って事です



比較検討のしようもない最強同士でどっちが強いかの議論をしようだとか、

平和が一番だからその平和を作るための方法論をすっ飛ばしてとりあえず平和の反対は全てなくそうだとか、

そういう事で話し合っても無意味極まりないというか、争論する事自体が楽しいってーなら趣味の一環として止めはしませんが、

現時点での自分の意見が正しいからお前もそれを認めろって形で理論をぶつけるのは、殴り合いで解決すんのが一番手っ取り早いんですよ


まぁ、法律の話はね。国を維持するためのシステムとか外政内政色んな要素も絡んで、

様々な視点でより幸福度の高い理論を選択しなければいけないので話はとても複雑になるのですが

(だからこそ、自身の中で正統性のある最優のロジックを構築しておくのは相手に議論を吹っ掛ける人間の義務だと思う)


ようするに、現実的に答えを出さないといけない問題は理論の妥協が必要なんですけど、

妥協する必要もないから答えを出す必要もない問題については討論するだけ無意味だと思うんですよね


だからまぁ、最強が誰かなんて不毛な議論にもならない議論をするよりは、

インデックスと美琴だったらどっちが最萌ヒロインなのかを議論するのが正しいんですよ

だってそっちの議論なら、「インデックスの方が萌えるぜ! なぜなら、こんな画像があるからな・・・」って感じで

そういう誰もが幸せになる形でお互いのZIPと論理がぶつかり合うはずですもん・・・


そしてそういう最萌議論になったら、バキ読者は全員土下座して泣いて詫びますからね

ガイアにボコられたシコルスキー並に「カンベンしてくれェェェェッッ!!」ってみんなで泣き叫びますからね

『納得』ってのは何よりも大事なんだって、ジャイロなツェペリさんも言ってましたし


相手を納得させるんなら、幸福を与えるか痛みを与えるかのどっちかしかないのです






……なんでこんな超長駄文になったん?