祐一と舞は、祐一の控え室に来ていた
だが、そこにいつも一緒にいる佐祐理や北川の姿は無い
ただ、無言の舞と祐一が互いの無表情をつき合わせているだけだ

「で、話ってのは何だ?」

まず、祐一が切り出す
無論、他に聞きたい事は腐るほどあった
しかし、それらを無理に問いただそうとしても
舞の性格を考えれば、それは徒労に終わるだけだろう
ならば、祐一にできるのは、ただ舞の話に耳を傾ける事だけだった

「…祐一は、楽しいか?」

「はぁ!?」

思わず祐一は我が耳を疑う
だが、確かに舞は祐一に対し、『楽しいか』と聞いた
それは、祐一の知りたかった事のどれとも違う言葉であった

「楽しいワケないだろうが!
理由も判らずお前と戦うハメになって!
魔物なんか使われて、しかもやたら強いし!!」

肩透かしにも程がある一言に、思わず祐一は声を荒げる

「…違う、今じゃない」

祐一の怒気をはらんだ声を柳のように受け流し、舞が訂正の言葉を言う

「…祐一は、チャンプでいる事は楽しいか?」

先ほどの言葉との差はただ一言のみ
しかし、その差は、言葉の重みの差は
先ほどとは比べものにならない事に、祐一は気付いた

「…………………………………………」

だから、何も答えられない、返答に窮する

今まで、考えた事も無かった
闘う理由は、元々は生活のためだった
後天的に大食い体質になり、爆発的に増えた食費を稼ぐため
他の家族、特に同居人で、従姉妹で、恋人である名雪に迷惑や心配をかけないため

だから、勝ち続けた
ただ、それだけの事だった
決してそれを苦痛に思った事は無い
男なら、勝負に勝てば楽しいに決まっている
だが、舞の言葉の意味はそれだけに留まってはいなかった

勝ち続けて、勝たねばならなくて、敗者の大量生産を行う
負けた連中にも、それぞれ勝利を求めた理由はあっただろう
しかし、勝負の世界は非情だ、勝者がいれば、敗者だっている
それを思うと、確かに心が痛む事が無かったワケじゃなかった
特に、自分のように生活のためとして惰性でチャンプを続けていれば
勝利の喜びに、申し訳なさとやるせなさが付きまとう事も一度や二度では無かった

「…勝てば、悲しむ人もいる、喜ぶ人もいる」

淡々と紡がれる声からは
舞の真意をはかる事が出来ない

「…でも、私は楽しかった…佐祐理が、隣に居たから」



フードファイター相沢祐一 『五の膳{後編}』


「ま〜い、何見てるの?」

突然、親友の佐祐理に尋ねられた
だから、私は今読んでいた本の表紙を見せた
俗に言う、アルバイト情報雑誌とやらの表紙を

「ふぇ?
舞、アルバイトしたいの?」

私は首を縦に振る

「舞、お金必要なの?」

私はまた首を縦に振る

「…お母さんを助けてあげたいから」

お母さんはいつも大変そうだ
今も、一人で私を育ててくれている
病気で寝てばかりだったお母さんが、苦労している
だから、私はそんなお母さんを助けたかった
せめて、私の事では心配をかけたくなかった

「舞…」

佐祐理が少し悲しそうな顔をする
心配しないで欲しい、私の問題なんだから
そのせいで佐祐理が悲しそうな顔をするのは嫌だ

「…大丈夫
もうこれに決めたから」

私は、そう言って
佐祐理に電話番号を書いたメモ帳を見せた
この前、怖い顔をしたおじさんがくれたものだ

「ふぇ?
これは何のお仕事なの?」

「…よく判らない
でも、トルコのお風呂屋さんって言ってた」

多分、外国式の銭湯だと思う
お風呂は暖かいから好きだし
それに、桁違いにお給料がいい
高校生でも働かせてくれる店は少ないのに
『お互い、ヤバイ橋渡った方が儲かるんだよ』
ってアドバイスまでくれたから、いい人に間違い無い

「…だから、きっと大丈夫」

佐祐理を安心させるために説明した
これで佐祐理も心配しなくてすむはず
でも、何故か顔を真っ赤にした後
すぐに真っ青になって震えだした
…佐祐理、ひょっとして病気?

「絶対大丈夫じゃないよ!!」

びっくりした
佐祐理が突然叫んだから
どうしたんだろう?
やっぱり佐祐理は病気なのかな?

「もう〜、舞ったら世間知らずなんだから…
危うく真珠入りにマワされて、シャブ漬けにされて風呂に沈められちゃうところだったんだよ?」

佐祐理の言った事は難しくてよく判らなかったけど
とりあえず、私はあのおじさんに騙されていたらしい
悔しい、今度会ったら、あの4本の指を3本にしてやる

「…また探しなおし」

せっかく見つかったと思ったのに、残念
仕方無いから、また求人誌に目を落とす

「…ねぇ、舞」

また佐祐理に呼ばれて、本から顔をあげる
すると、佐祐理は少し悩んでるような顔をした
何を悩んでいるんだろう? 悩み事なら、相談に乗る

「舞って、よく食べるよね?」

よく意味が判らなかったけど、私は三たび頷いた
家ではお母さんが大変だから、あまり食べないようにしているけど
魔物との戦いでいつもお腹は減っている、だから、いつも食べれる時にたくさん食べる

すると、佐祐理は笑顔を私に近づけて、耳元で囁いた

「舞、フードファイトって、知ってる?」





試合終了のベルが鳴った
今日で、たしか6回目の勝利

「…くそっ!!」

隣の挑戦者が、悔しそうに机を叩く
私に負けたから、私が勝ったから、悔しそうだ
ちょっと高いところから見ている人達も、つまらなそう
よく判らないけど、みんな私が勝つと嬉しくなさそうだ

お母さんは、私がお金渡したら『気にしなくていいのに』って言って寂しそうに笑った
それで、私の好きな物を買えばいいと言って返そうとしたけど、私は受け取らなかった
私が絶対に受け取らない事を知ると、お母さんは悲しそうな顔をして、それを引っ込めた

もっと喜んでくれると思ったのに
お母さんは、あのお金に手をつけてないみたい
だから、せめて私の学費はそれから払う事で妥協した
もっとお母さんの役に立ちたかったのに、出来なかった
だったら、何で私はみんなを負けさせているのだろう?
他の人を悲しませてまで、私は勝ち続けているんだろう?

「やったね舞!
これで六連勝だよ!!」

考え込んでたら
佐祐理が飛びついてきた
とても嬉しそうに微笑みながら
でも、私にはその理由が判らなかった

「…どうして、佐祐理が嬉しそうにするの?」

周りの人達は皆嬉しくなさそうなのに
何故、佐祐理だけそんなに嬉しそうなんだろう?
佐祐理は、きょとんとした表情になって、逆に私に尋ねた

「ふぇ? 舞は嬉しくないの?」

私は説明した
私が今まで考えていた疑問について
すると、佐祐理は少し悲しそうな顔をした

「…他の人達は、お金の方が大事だからだよ」

そう言って、佐祐理は周りを見回した
そして、私にいつもの笑顔を向けて話す

「フードファイトはね、佐祐理のお父様が始めたの
お父様は佐祐理にその時の事を本当に楽しそうに話してくださるの
今でこそこの規模だけど、初めはただの学食での大食い競争だったんだって
負けた方が勝った方にその時の食事代を奢るってだけの、ただのゲーム
それが有名になったから、負けた方の負担を減らすために、見物料を取ったんだって
それがあんまり面白かったから、どんどん人も集まって、規模も大きくなって…」

自分の事のように楽しそうに話していた佐祐理の表情に影が落ちた

「…たくさん、お金が集まるようになって…
そしたら、何時の間にかみんなお金の方が大事になっちゃったんだって…」

寂しそうな、佐祐理のつぶやき

「お父様もそれが元でお金持ちになったんだけど
今は、昔のフードファイトの方が好きだったって言うの
…『佐祐理にも、昔のフードファイトを見せてやりたかった』って…」

「…佐祐理」

少し俯き気味になった佐祐理の顔を覗き込む、心配だったから

「あはは〜、でも今は結構幸せなんだよ
だって、舞がいつも美味しそうに食べてくれるから」

「…あっ」

佐祐理の言葉で、私は気付いた
フードファイトの料理はいつも美味しい、すごく美味しい

それも、ただ美味しいだけの料理じゃない
いつも食べなれてる温かさのある料理だ
そう、いつも食べてる優しい味…

「…佐祐理のお弁当と同じ味」

お母さんの料理に似てる味
毎日佐祐理が食べさせてくれてる味
いくら食べても、ちっとも苦しくならない味

「あはは〜、舞、やっと気付いてくれたんだ〜」

満面の微笑み
佐祐理の微笑み
私の大好きな微笑み

「でも、セコンドも兼任してるから
佐祐理は下ごしらえしか出来ないんだけどね」

そう言って、佐祐理は少し照れくさそうに笑う

そんな事は無い、充分だ

「…でも、ひょっとして…迷惑…だった?
佐祐理が勝手にフードファイトに誘っちゃって…」

おずおずと佐祐理が尋ねる

そんな事は無い、あるわけが無い

「…美味しかった、だから迷惑じゃない」

そしたら、佐祐理はまた笑ってくれた
そして、私はその笑顔を見て思った

佐祐理は、私のため、お母さんのためにフードファイトをさせてくれた
私がお金が必要だと言ったから、わざわざフードファイトをさせてくれた
佐祐理はフードファイトにお金がからむ事が好きじゃないのに、私のために
それでも、私が美味しそうに食べるから、お母さんのためにと頑張るから
私のために、佐祐理は喜んでくれた、笑顔で私の勝利を祝福してくれた

だから、もう私はお金のために闘わない
これからは、佐祐理の笑顔のために戦う
佐祐理に、面白いだけのフードファイトを見せるために
佐祐理のお父さんが見せたかった、昔のフードファイトを見せるために

「…佐祐理」

「ふぇ? なぁに、舞?」

「…次も勝つ
だから、佐祐理は心配しないで見てて」

お母さんの気持ちが、分かった気がした





「…魔物との戦いは佐祐理に黙ってた
佐祐理に余計な心配をかけたくなかったから
…でも、結局、佐祐理を心配させる事になった」

そして、しばらくの沈黙が訪れる
多分、舞の胸に去来しているのは
それから今までの長い思い出

そして、佐祐理のための戦いを、自分のせいで続けられなくなった慙愧の念

「…お母さんは
それから私が余計な心配は
しなくてすむ程度に割のいい仕事に転職した
…だから、私の心残りはたった一つだけ」

しかし、あまりに大きすぎるたった一つ

「…私はもうこれ以上戦えない
無理に試合に出続けようとすれば、苦労するのは佐祐理だから」

そして、舞は祐一の目を真っ直ぐに見つめる

「…だから、私達は地下に潜る事にした
今、昔のフードファイトを取り戻すための計画を立てている
久瀬にバレないように、こっそりと賛同者を集めている
…でも、まだ足りないものがある、絶対に必要なものがある」

そう言って、舞は指先から肩までをピンと張って祐一を指差す

「…久瀬の思い通りにならない
どんな妨害があっても絶対に勝ち続けるチャンプ
観客を惹きつける才能を持って勝ち続けるチャンプ」

「で、その最低条件がお前に勝つ事ってワケか」

大方の事情を察し、祐一はニヤリと笑う
そして、舞がこくりと首を縦に振る

「前チャンプ直々のご指名とは、光栄だな」

「…祐一は凄い
…他人の心を動かす力を持ってる
祐一の戦い振りを見て、私達に賛同してくれる人も増えている」

「だからこそ、俺に負けてもらっちゃ困るって事か…」

舞は再びこくりと首を縦に振る

この試合の意味
それは、まず祐一の器を試す事
次いで、久瀬に反乱の意思が無いように思わせる事
さらに、観客の中に賛同者を作る事もできる

まさに一石三鳥の意味を持っている
しかし、それゆえに祐一に敗北は許されない
八百長などはもっての他だ、全力を出さない真剣勝負に意味など無い

「…心配かけちまったみたいだな」

祐一は、舞から微妙に目をそらすと、バツの悪そうに後頭部をかいた
自分の苦戦に対してわざわざハッパをかけにきてくれた舞に対して
祐一は、少し申し訳無く、同時に、勝利の決意を強く思った

「…祐一、思ったより弱かったから」

「…さすがにその言い方は失礼だぞ」

祐一は苦笑いを浮かべ
そして舞に背を向けて歩き出す
ポツリと、舞に聞こえないほどの小声でひとりごちながら

「俺が弱いんじゃなくて、お前が強くなったんだよ」





「…相沢に話すのは勝負の後じゃ無かったんですか?」

廊下の壁にもたれかかりながら、北川が佐祐理に話し掛ける

「ですから、佐祐理は勝負の後まで話しませんよ」

にこにこと笑顔のまま北川の皮肉を返す

「…俺だけ蚊帳の外ってワケですか」

廊下の向こうから
凛々しい表情で歩いてくる祐一を一瞥し
北川はヤサグレたように顔を背けてつぶやく
佐祐理は、そんな北川を慰めるように言葉をかける

「仕方ありませんよ
チャンプがしたいようにさせてあげて
試合のためのモチベーションを下げないようにしてあげないと…」

佐祐理は第二ラウンドの後に
舞が急に予定を変更した事に対して
まったく気にとめようとしていない様子だ

「チャンプの勝利のために
手段を選ばないのがセコンドのする事なんですか?」

皮肉たっぷりに北川が言う
しかし、佐祐理はそれすらも意に介さない

「はい、だって、後方支援である私達セコンドが
前線で傷だらけになりながら戦ってるチャンプと対等にいるためには
チャンプが被るはずの泥を代わりにセコンドが被らないといけないんですよ」

その一言を聞いて、一瞬北川の思考が停止する
そして、そのまま佐祐理の言葉を反芻するようにつぶやく

「…対等にいるためには…セコンドが泥を被らないといけない…」

「それでは
舞の話も終わったようですし
佐祐理は舞のところに戻りますね〜」

そして、横を向いたままの北川に一礼し
佐祐理は祐一にすれ違い様に笑顔を向けて
舞の控え室へと走り去っていった

祐一は、佐祐理の笑顔に精一杯の笑顔で答えると
呆けたように固まっている北川の顔を覗き込む

「何やってんだ、お前?」

その言葉で正気に戻り
北川は慌てて首を横に振る

「い、いや、何でも無いぞ!
それより相沢、俺にできる事は無いか?
何でも言ってくれ! 力になるぜ!!」

祐一は、北川の張り切りぶりに、一瞬驚いて後ずさりそうになったが
北川の提案は祐一にとって好都合だったので別に気にせずに話を続ける事にした

「そ、そうか…
でも、お前は試合が始まると
魔物へのトラウマで固まっちゃうだろ?」

祐一が尋ねると、北川は一瞬言葉に詰る

「ま、まぁそうなんだが…
だがその代わり今は大丈夫だから…」

「そうか、なら今のうちに頼みたい事がある」

祐一が北川の言葉を遮る
何故かその眼は怪しい光を放っている

「おう、何でも言って…」

だが、その先の言葉は出なかった
代わりに、ガマガエルをひき潰したような悲鳴と
胃液交じりの唾液が北川の口内から漏れ出でていた
そして、北川の腹部には祐一の拳が深々とめり込んでいた

「な、何を…」

北川は腹部を抑え、うずくまりながら苦しそうに祐一の顔の見上げる
すると、祐一は爽やかな笑顔で北川を見下ろし、一言だけを北川に告げた

「腹ごなし」

言い終わると同時に
北川の顎に祐一の膝が叩き込まれ
吹っ飛んだ北川はごろごろと廊下の端まで転がっていく

「こ、こんな…」

北川がよろよろと立ち上がる
祐一はそれを確認すると、数歩走り
そして北川目掛け右足を突き出して、跳んだ

「こんな後方支援なんてあるかぁぁぁぁぁっっっっ!!!」

北川の悲痛な断末魔は
自らの顔面が祐一の蹴り足でグシャリと潰れる音によってかき消されてしまった





「…祐一、何ソレ?」

舞の表情が若干驚愕の色に染まる
何故なら、祐一の顔の右側面には
べっとりと赤い血のりがこびりついており
他にも学生服のあちこちに血のりが飛び散っていたからだ

「ああ、気にするな、全部返り血だから」

祐一は顔の血のりを袖で拭いながら言う
舞は、その様子をいぶかしがりながらも
席について意識を集中し、魔物を出現させた
目には見えなくても確かに感じる5つの異形の存在
しかし、そこからは去年の冬に感じた殺気はまるで感じなかった
むしろ、それらから感じる優しさが祐一の表情を笑顔の色で染めた

「まさか新必殺技を編み出していたとはな、さすが無敗のチャンプだ」

「…別に必ず殺す技じゃない
それに今のチャンプは私じゃなくて祐一」

祐一の軽口に真っ向から反論する舞
しかし、祐一は無言で姿の見えぬ魔物達を一瞥すると
心の中で、舞の言葉に対して否定の言葉を呟いた

{いや、まだチャンプはお前さ}

かつて否定した力
自分を、親友を傷つけた力
だが、舞はその力を受け入れた
受け入れ、さらに一歩を踏み出した
そうやって踏み出された力は何よりも強い

親友の夢をかなえるため
親友との遊び場を取り戻すため
秘められた決意は、何よりも重い

争い事を好まない親友が戦う道を選んだ
その思いの深さを受け入れ、共に戦う道を選んだ
例えお互いが傷つく事になっても、同じ道を歩む事にした
それは何より親友を思う彼女達にとって、辛い決断だっただろう
だがその辛さを乗り越える事のできた彼女達の決心は、何よりも固い

舞が背負う物の重さは
決して軽いものでは無い
だが、舞はその重みを肩にかけ
なおも立ち上がり、勝負の場に立った
その舞の強さはかつてとは比べものにならない

{な〜にが『俺こそが史上最強のチャンプだ』だよ…}

祐一は心の中で自嘲気味につぶやく
自分自身の奢りに対して恥じるように

{事件で引退し無ければ
俺の初参加の時のチャンプは
石橋じゃなくて舞だった可能性もあったワケだな}

思い出す、初めての試合を
あの時は苦戦と言うほどの苦戦はしなかった
そして、祐一は真剣な瞳を舞の横顔に向ける

{仕切りなおしだ
チャンプは舞、挑戦者は俺
挑戦者は挑戦者らしく、貪欲にチャンプを倒す事だけを考えればいい}

祐一は、運ばれてきた牛丼を手で制すると
驚く黒服に向かってニヤリと笑いながら告げる

「牛丼はツユギリで頼む
ツユダクなんて男の食い物じゃないからな」





最終ラウンド開始のベルが鳴ると同時に
祐一は野獣のように目の前の牛丼をがっつきだす
ツユをあまり含まない、固めに炊き上げられた米粒を噛み潰す
代わりに、食いちぎった肉の中から溢れ出す肉汁とよく混ざりあう

今、祐一は闘争心で食べている
暴力によって無理矢理引き出された闘争心で
まるで若獅子が獲物にかぶりつくような迫力で食っていた

チャンプとして君臨していた自分が忘れかけていた感情
飢えた獣のように、目の前の食材を、勝利を貪ろうとする感情
余裕も甘えも吹き飛ばして、勝利のために身体をつき動かす感情

身体にこびりついた血の匂いが
口一杯に広がる肉の味が、祐一にその感情を強く呼び起こさせた
次々と丼の中身を荒々しく噛み締め、飲み干し、右手を高く突き上げる

そして、祐一の右手が
18杯目の完食を示した時
同時に舞の右手も真っ直ぐに天井に向けて伸ばされた

怒号のような歓声が響き渡る
18対18、完全なイーブンだ
恐らく、舞はこのペースで食い続ければ
24杯目を完食する事も不可能では無いかもしれない
つまり、祐一が絶対に勝つためには、25杯以上食わねばならない
一分一杯以上のペースで、7杯続けて食わねばならない、絶望的状況

しかし、祐一はひるまなかった
いや、むしろその状況に追い込まれた事を喜んでいた

{目標が決まったんだ
ただそれを目指して食えばいいだけさ}

どんどん狭められる目標
自分はそれに向かって真っ直ぐ進めばいい
勝つ事から、25杯食う事、より具体的に目的

だが、それでいい、シンプルがいい
単純なほど闘争心が燃え上がる、乗り越える壁が高いほど闘志が湧く
挑戦者という生き物は、いや、男という生き物は、元来そういうものなのだ

19、20、21、22…
ペースはまったく衰えようとしない
それどころか、むしろ早くなっているようだ

舞の牛丼の残量も少なくなる
残り時間わずか数十秒、二人とも
ラストスパートに入り、牛丼をかきこむ

「…ぐっ」

あまりに急いだため
祐一は思わずむせそうになる
しかし、そんな暇などあるはずが無い
手を休めず、むしろその窮地を起爆剤にするように
さらに激しく意思を燃やして、食うスピードを早めようとした

5,4,3,2,1…0!!
試合終了のベルが鳴り響くと同時に
両者叩きつけるように丼を机の上に置き
それぞれの右手を高々と突き上げていた

舞の食数24杯
そして祐一の食数…25杯
決着、勝負を制したのは現チャンプ

「…げほげほげほげほげほっ!!」

祐一は、激しくむせ返った後
ドサリと椅子の背にもたれかかった

疲れた、こんなに疲れた試合は初めてだった
限界以上の力を出し切って、初めて祐一は勝利できた

このままもう動きたくない気分だった
いっそ明日の朝までここで過ごしていようかと考えていた矢先
祐一の耳に、隣から、いくつもの瀬戸物が砕け散る音が響いた

「舞!!」

泣き出しそうな表情の佐祐理が
何度も親友の名を叫びながら舞に駆け寄る
舞は、しばらくぐったりとしていたが
やがて佐祐理の方を見ると、精一杯の微笑みを向けた

「…大丈夫、少し疲れただけだから」

「本当に良かったよ〜
舞にもしもの事があったら…」

涙ぐむ佐祐理の頭を舞がよしよしと撫でる

「しばらく休めば問題無い
また明日からは佐祐理のお弁当も食べられる」

舞もまた、限界以上の力を出して戦っていた
佐祐理もまた、見守ると言う名の戦いを行っていた
それぞれが、それぞれのために行った、命懸けの茶番
今、その茶番の幕が最も理想的な形を持って、落ろされたのだ

「これでやっと王座交代だな」

祐一が、椅子に深く腰をおろしたまま舞に言う

「…もとから祐一がチャンプ」

「あ〜いいっていいって、こっちの話だから」

少々いぶかしがりながらの舞の返答に
祐一は手をひらひらと振りながら応える
そして、すっくと立ち上がると、舞の傍に歩みよる

「俺の胃袋は宇宙だ
お前は心配しないで休んで見てろ」

そして、後は任せろ
と、親指で自分を指差し
片目でウインクをしながら言った

「…はちみつくまさん
…祐一なら安心だから」

そう言って
舞は祐一に向かって
ゆっくりと微笑みを向けた





「あはは〜、またチャンプが勝ちましたね〜」

そう言って相変わらず笑顔のポーカーフェイスで
目の前の特別運営委員権限譲渡書にサインを書き込む
これで、佐祐理が今まで持っていたフードファイトにおける権限は全て久瀬の物になる

もっとも、レジスタンス的活動を開始しようとする佐祐理にとっては
そんな権限などむしろ邪魔なだけだったので、ある意味厄介払いと言えた

だが、久瀬はそんな事を知る由も無い
ただ無表情でサインが書き込まれた書類を受け取る
そこまでは佐祐理の想像したとおりの行動だった
しかし、次に久瀬の口から飛び出す一言は
佐祐理にとってまったく予想外の一言だった

「構いませんよ、損はしていないですから」

「ふぇ?」

思わず、聞き返してしまう
久瀬は損をしていない、と、いう事は…

「今回はチャンプに賭けたんです」

「はぇ〜、どうしてですか?」

心底意外そうに佐祐理が訪ねる
久瀬は異常なまでに祐一を嫌っていたはずだ
しかも、負ける事を散々願っていたはずなのに
何でそんな事をする必要があったのだろう?
佐祐理はそれが不思議で仕方が無かった

「…貴女がそうではなくても、私は愛しているからです」

そう言うと、久瀬は書類をたたんで懐に入れた

「最高の誕生日プレゼント、どうもありがとうございました」

久瀬はそう言い残すと、生徒会長室からさっさと出て行ってしまった

しばらく呆けたように久瀬の行動を見ていた佐祐理は
バタンとドアが閉まると同時に、ポツリとつぶやいた

「…脳に変な蟲でも涌かれてしまわれたのでしょうか?」

久瀬だけにありうると、佐祐理は本気で心配した
もちろん、久瀬の思いなんぞに気付くそぶりも見せなかった



………………続く…………………

次回の対戦メニュー
『タイヤキ』

NEXTチャレンジャーからの一言
『タイヤキはやっぱりつぶあんに限るよね♪』