口内に激痛が走る
大量のアイスを急激に摂取したために
喉の奥まで冷えすぎて、凍傷になりかけているのだ

「祐一、苦しそう…」

舞が辛そうにつぶやく
応じるように頷く佐祐理もまた
悲痛そうに祐一の戦う姿を見守っていた

二回戦も半分の時間が過ぎている
電光掲示板に表示されている数字は、栞が20に対し
祐一が23、一杯の差が明暗を分けるフードファイトにおいて
3杯分の差、これは大きなアドバンテージと言えるだろう
そうだ、アイスのような駄菓子の大食いなんてたかが知れている
通常の祐一ならば、この程度の量は問題では無いだろう
今も祐一はスプーンを使わずに、直接アイスのカップを掴み
それを上を向いた口にカップから、両手で搾り出すようにして中身を放り込む
まるで液体を飲み干すかのような速度で目の前のアイスを次々とたいらげ続けている

しかし

「ペースが…早過ぎます…」

時計を見た佐祐理が焦りを感じながら呟く
そうだ、食事のペースはかなり順調だ
現時点までなら今までの祐一の自己ベストだろう
しかし、あらゆる長丁場の競争競技において
早すぎると言う事は必ずしも良い事では無い
むしろ、ここは第3ラウンドでの胃への負担も考え
通常ならばペースを落とすのが良策と言えるだろう
それは今まで勝ち続けてきた祐一にもよく分かっている
だが、この場合は違う、第3ラウンドまで、では無い
このフードファイトの決着は、祐一の体力の限界までにつけねばらないのだ

{風邪引いたら久瀬の野郎にはメロンを差し入れさせてやる
北川の野郎はセコンドのくせに寝転がってサボってやがるから
後でこの椅子にくくりつけて、放置プレイの刑に処してやる
栞へのお仕置きはどうしてくれようか…無難なところで俺の看病かな
あまり無茶させて香里にボコられるのも嫌だし怖いし…いやいや!
妹の責任は姉の責任だ!香里にもメイド服姿で俺の看病をしてもらわんと…}

口が動かせない分、心の中で必死に叫び散らす
心中でモチベーションを高め続けないと
すぐに意識を寒さに持っていかれてしまうからだ
アイスを口に運ぶ腕は、まるで痙攣しているように震え続けている
半開きになった口は、端からアイスの混じった白い唾液がこぼれる
もし、わずかでも祐一の心に弱気という陰りが見えれば
たちまち寒さは祐一の手から握力を奪い去り
震えによる振動でアイスはあらぬ方向にすっぽ抜け
上下の白い歯はガチガチと互いを破壊せんばかりの勢いで小刻みに衝突し
そのまま食物摂取は不可能となって戦闘不能に陥る
最悪の場合、意識すらも瞬時に奪い去られるだろう
祐一はすでに自分の限界が近い事を悟っていたのだ

カップを直接手の平で握っているのは
もはや震えでスプーンでアイスを上手くすくえないからだ
呼吸を止めるほどの勢いで半固体のアイスを飲んでいるのは
これ以上歯の根を冷やせば、上下の歯の衝突をさけられないからだ
そして、呼吸により肺にこれ以上冷気が流れ込むのを最低限にするためだ

「…さすがですね、祐一さん」

猛スピードで突き放そうとする祐一に
隣からアイスを咀嚼しながら栞が声をかける
しかし、祐一の方は振り向かず、さらに、手は休めずに
冷えた口を動かして、熱エネルギーを生み出そうという作戦だ
祐一とは違い、栞にはまだそれが出来るだけの余裕があった
しかし、栞の声は、祐一の耳にはほとんど届いていなかった
祐一にはもはや栞の言葉を意に介する余裕すら無かったのだ
しかし、栞はなおもそんな祐一に対し、言葉をかけ続けた

「祐一さんは…」

そこで一旦言葉を切り
祐一を一瞥してから口を開く

「誰のために戦っているんですか?」

祐一は答えない
しかし、栞は尚も言葉を続ける

「自分自身の名誉のためですか?
居候先の家主である秋子さんを助けるためですか?
仕送りをしてくれている両親に負担をかけないためですか?
それとも…」

祐一は答えない
しかし、持ち上げたカップが口の手前で止まる
舞と佐祐理が、異常に気付き、鉄格子の向こうで身を乗り出す

「名雪さんのためですか?」

その言葉とほぼ同時だった
言葉はすでに耳には届いていなかった
しかし、祐一の手からアイスのカップは零れ落ち
舞と佐祐理の悲鳴が静まり返っている試合場に響き渡った





フードファイター相沢祐一 『四の膳{後編}』


「祐一!しっかりして…!!」

舞が息も絶え絶えの祐一に悲痛な声をかける

「舞、落ち着いて
祐一さんはきっと大丈夫だから…」

そう言って佐祐理は舞をなだめてから
手早く祐一の服に手をかけ、上半身を裸にさせて
並べた椅子の上にしいたタオルにうつ伏せに寝かせる

「舞!さっきの…」

「はい」

以心伝心とはまさにこの事だろう
佐祐理の催促の声が終わる前に
舞は佐祐理の意図しているものを察知し
熱々の缶コーヒーを佐祐理に手渡す

「ありがとう、舞」

そう言って佐祐理は舞に微笑みかけると
蓋を開けた缶コーヒーを祐一の肌の上で逆さにし
中の熱いコーヒーを祐一の腕や足の裏に向かってふりかけた

「私も手伝う…」

舞もそう言って祐一の背にコーヒーをかける

「舞、髪の毛にかからないように気をつけてね」

「分かってる…」

ビシャビシャと祐一の背にコーヒーが降り注ぎ湯気が勢いよく立ち上る

「…うう…」

やがて缶コーヒーが底をつくころ
祐一に少量の熱と意識が戻り、苦しそうにうめいた

「祐一!」

「祐一さん!」

祐一の目に今にも泣き出しそうな舞と佐祐理の顔が写る
祐一は、しばらく状況がつかめずに、視線を泳がせていたが
やがてガチガチと何やら歯を鳴らしながら何かを伝えようとしだした

「…礼にはおよばない」

「あはは〜、そうですよ祐一さん
今は北川さんが使い物にならなくなってますから
佐祐理達が臨時のセコンドをしてあげてるだけですよ〜」

祐一は感謝の意を伝えたらしい
舞は照れくさそうにぶっきらぼうに言い
佐祐理は優しく微笑みながら返事をした

「冷える前にすぐ体を拭かないと…」

佐祐理はそう言って祐一の体の濡れた部分の水分をふき取る
早く乾かさないと、また先ほどのように体が冷え切ってしまう
やがて、佐祐理が祐一の体を拭いている間に、舞がバケツを持ってきた

「祐一、少し吐いた方がいい…」

「そうですよ祐一さん
吐いて、代わりにコーヒーを飲んで体を温めるんです」

しかし、祐一は舞が手渡そうとするバケツを手で押し返し
首をふるふると横にふり、またガチガチと歯を鳴らした

「『挑戦者より先にチャンプが吐くワケにはいかない』って…
祐一さん!今はそんな事言っている場合じゃ…」

「…佐祐理」

このままでは命に関わる
そう言おうとした佐祐理の言葉は
隣に立っていた舞によって遮られた
何?と舞に聞き返す佐祐理に向かって
舞はわずかに微笑みながらつぶやくように言う

「憎まれ口を叩けるならまだ大丈夫…
それに、祐一はゴキブリよりもしぶとい…」

誉め言葉にはなっていなかったが
舞なりに佐祐理を安心させるために言ったのだろう

「…そうですね、祐一さんは無敵のチャンプですもんね」

そう言って佐祐理はあはは〜と笑う
すると、祐一はまた歯を鳴らし出した
その『言葉』を聞き、佐祐理の顔がまた少し曇る

「…現在の食数は、祐一さんが27杯、栞さんが…」

多少言いにくそうにして、32杯、と付け足す
祐一は、『そうか…』と言ってうなだれてしまう

「でも、まだ逆転は出来る」

「そうですよ!まだたった5杯の差じゃないですか!!」

舞が祐一を励ますように力強く言い
その言葉に佐祐理も同意して励ます
傍から見れば、それは明らかに空元気であろう
一杯の差が明暗を分けるフードファイトにおいて
3杯の差を逆転され、逆に5杯の差をつけられるという事が
どれほどの重みを持つか、舞も佐祐理も知っているはずだからだ
しかし、二人の発した言葉には、確かな重みがあった
確かに、この差は常人にとっては確実な敗北を意味するだろう
だが、自分達の目の前にいる男には、そんな常識はあてはまらない
それはただ強いだけのフードファイターにあてはめるべき常識なのだ
祐一の『強さ』を知っていればこそ、どんな絶望的な状況であっても
最後の瞬間まで、祐一の勝利を願い、信じつづける事が出来るのだ

{…それもそうだな、まだたった5杯差、か…}

祐一も彼女達からの信頼を感じたのだろう
祐一の心から弱気という陰りが完全に消えた
そして、祐一は顔を上げると、佐祐理に自分の意志を伝えた

{栞に会いに行きたい}


「27対32…これはもう決まったも同然ですね…」

グツグツと煮立った茶で久瀬は自らの喉を潤し
ニタニタと笑いながらモニターを見ていた

「私の目に狂いはありませんでしたね
あの少女が真冬に我が学園に侵入し
我が物顔で中庭にてアイスを食している様を見た時は
どのような処分に処すべきか悩んだものですが…
ちょうどあの時、憎き川澄の問題を重視したために彼女の件を後回しにしたのが、ここに来てこのような幸運となるとはねこれも日頃の行いの賜物、先ほども私の今の状況を極楽浄土に例えましたが、正に善行が我が身を助けたというワケですね、仏教故事の一つの話でもありますが、カンダタという男も、ちっぽけな蜘蛛を助けたために地獄で苦しんでいたところに仏より天国へと続く蜘蛛の糸をたらされたと言います、これもまた今の私の状況と近しいものがあると言えるでしょう、あの相沢祐一のせいで金銭的に極度の苦痛を強いられていた私が、美坂栞というちっぽけな一生徒の処分を寛大な心で保留してさしあげていたのが幸いし、彼女は今や私を天国へと引き上げる存在となっているのですからね、もちろん彼女の寒さに強いという才能を見抜いた私の眼力によるものが大きいとはいえ、やはり強運や功徳と言うような第三者的な概念の存在というものは実に大事ですね、無償の愛とは天国へ行く見返りとはよく言ったものです」

ペラペラと一息にそう言いきり
また一枚半纏を余分に着込む
ちなみに、現在の久瀬は第一ラウンドの時よりも
さらに着膨れで三回りほど肥大化している
中心に近い衣服は、大量の汗を吸収し
久瀬の重量は今やかなりのものになっている
現在の生徒会長室の室温は43度、43度だ
もはや何も言えない、言う事が出来ない

ちなみに、さきほど久瀬が言っていたカンダタの話だが
彼は天国より垂らされた蜘蛛の糸を登って行ったが
他の罪人達が同じように糸を登ろうとしたのを見て
糸が切れる事を恐れて他の罪人達を蹴落としてしまい
仏の逆鱗に触れ、また地獄に落とされてしまったのは有名な話である


「栞さん…寒くないんですか?」

祐一に肩を貸して栞の控え室に連れてきた佐祐理が
夏服にストールを羽織っただけの学校のまま椅子に座っている栞に声をかける

「大丈夫ですよ、ちゃんとストール羽織ってますから」

栞はにこにこと笑いながら返答した
そして、祐一がガチガチと歯を鳴らし
その意を佐祐理が通訳して伝える

「栞さん、貴方は何故フードファイトに出たんですか?」

「祐一さんを倒して、私がチャンプになるためです」

「それは何故です?」

その言葉に、間髪入れず、佐祐理が自分の意思で尋ねる

「賞金目当て、と言うだけで、充分正当な理由にはなりませんか?
フードファイトの報酬の額は、久瀬さんからお聞きしましたが
学生にとって、いえ、社会人にとっても破格です
ハーゲンダッツが何個買えるのか、今からとても楽しみです」

「嘘ですね」

佐祐理がぴしゃりと言い放つ

「佐祐理も長い間このフードファイトを見続けてきました
賞金目当てという挑戦者達も、何十人と会ってきました
しかし、彼らは誰一人として、チャンプに戦う理由を尋ねたりはしませんでした」

佐祐理の言葉に、祐一も驚いた反応を示す
栞が、自分に戦う理由を尋ねた記憶が、祐一には無かったからだ

「…それがいけないんですか?
賞金目当てに戦う人は、チャンプに戦う理由を聞いちゃいけないって決まりでもあるんですか?」

栞の顔からは、笑顔が消えていた
しかし、怒りや、悲しみといった類いの表情でも無く
必死で無表情を装うとしている、そんな凍りついた表情だった
そして佐祐理が、そんな栞に対し、静かな調子で語りかける

「彼らがチャンプに尋ねたのは
賞金の額の真偽、使い道、一括払いか、ぐらいです
お金のために戦う人の関心はお金にのみ向けられますが…」

そう言って、佐祐理は一旦言葉を切って祐一の方を見る

「他人の戦う理由に関心を持つのは
自分の戦う理由に信念を持った人間だけです」

そして、示し合わせたように訪れる完全な静寂
凍りついたような時間を初めに溶かしたのは
何かを観念したかのように口を開いた栞であった

「…言いたくは無かったんですけどね…」

こうなったら仕方無い、という響きがあった
そして、栞は祐一の方を向いて、話を始めた

「祐一さん、今日お姉ちゃん風邪引いてませんでしたか?」

祐一がコクリと頷く
そして、栞はふぅ、と溜め息をついて続ける

「あれは、私のせいなんですよ…
私が夜中にアイスを買いに行こうとしたら
お風呂上りのお姉ちゃんが、『私が代わりに行ってあげる』って
もちろん、私は断ったんですよ、自分で行くからいいって…
でも、お姉ちゃんは、『ちょうど散歩に行くつもりだった』って言って…
おかしいですよね、お風呂上りですぐに出歩ければ風邪ひいて当たり前なのに」

そして、栞は自嘲ともとれる笑顔を見せた
それを見て、祐一は、大体の事を理解した
今栞が言った事は、ほんの一例に過ぎない
香里は、事あるごとに栞に対して過保護に世話を焼いたのだろう
学年主席を保ちながら、闘病生活で遅れていた栞の勉強を手伝い
栞が家事をしようとすれば、代わりにテキパキと母親を手伝う
そのせいで自分の体調を崩してしまう事になっても、香里はそれを続けた
それは、栞が最も苦しい時に、彼女を拒絶してしまった贖罪などでは無い
失う事を恐れるあまり、その存在を拒絶してしまうほど愛しい存在を
今度は、今度こそ自分の力で守ってやりたいという、必死の愛情の現れ

しかし、それは…

「祐一さん、勘違いしないで下さいね
私はお姉ちゃんに対する恩返しのために
このフードファイトに出るんじゃありません
あくまで、自分のためにここにいるんです
私だって、チャンプになれるんだって
私自身の力で出来る事があるんだって
お姉ちゃんに教えてあげるためにいるんです、だから…」

手加減しようなんて、絶対に思わないで下さいね
そう言って、栞は自分の唇にちょこんと指を当てた
祐一は、その栞の言葉に、ゆっくりとうなずくと
佐祐理を促して、自分の控え室へと戻っていった

「祐一さん…」

佐祐理が祐一に声をかけるが
祐一は小さく震えながら、黙ったままだった


第三ラウンド開始まで、あと数分
栞と祐一は、再び試合場にて顔を合わせていた

「祐一さん、手加減とか、負けた言い訳とか
男らしくない事する人、嫌いですよ?」

栞が悪戯っぽく祐一に微笑みかけるが
祐一は、ただ震えながらうなずくだけだ

「祐一さん…」

心配そうに佐祐理は隣で座っている祐一を見つめる
しかし、祐一は佐祐理の言葉に反応せず、ただ考えていた

香里は、必死で栞に愛情を注いでいる
だが、人は与えられるだけの愛情では我慢できない
どんなに自分を思われても、どんな高価な贈り物をされても
なぜなら、愛せるならば他に何もいらない、それが愛情だから
そして、栞もまた、香里に対して心からの愛情をよせている
だから、香里が栞を心配し、自分から苦労を望む姿が辛いのだ
出来るなら、自分が相手の全てを守ってやりたい、助けてやりたい
お互いがお互いに心からそう思うのが、愛情というものなのだ
お互いのその思いが吊り合って、愛情というのは保たれるものなのだ
しかし、病弱だった栞に対し、香里は失う事への不安から、過度の愛情を注ぐ
香里は自分で出来る事は全て自分でやれる、だから栞の助けは必要無い
つまり、栞は、今まで香里にしてやれる事が何一つ無かったのだ
栞は望んでいた、香里の膝元から離れた場所で、香里のためにしてやれる何かを
フードファイトのチャンプになる事で、賞金で香里のために何かをしてやりたい
そしてそれ以上に、チャンプになって、香里に伝えたいのだ、自分は大丈夫だ、と
だから心配しないで、安心して私を見守って、と、香里の不安を取り除きたいのだ
強がりたいワケでは無い、見返したいワケでも無い、ただ負担を取り除きたいのだ
栞にとって、愛する人の負担になる事は、死ぬ事よりも辛い事だから

{だけどな、栞…
お前だけじゃない…俺にだって…}

祐一は、震える手で佐祐理に持ってもらっていた鞄から
真っ赤なジャムが詰まった瓶を取り出して、佐祐理に渡す
そして、握力のほとんど無くなった自分に代わり、瓶の蓋を開けてもらった

{負けられない理由ぐらい…}

そして、蓋の開いたジャムの瓶を掴み、持ち上げ、口元に寄せ…

{ある!!}

中身を一気に飲み下した

「…何やってるんですか?」

理解できない、という様子で栞が尋ねる

「おまじないだよ、勝利のな」

空になった瓶を背後に放り投げ
自分の口から栞に自分の意志を伝える
その体からは、いつの間にか震えが無くなっていた

「祐一さん!喋れるようになったんですか!?」

佐祐理が驚愕した
すると、祐一はそんな佐祐理に
自分の着ていた舞の上着を脱いで、渡した

「佐祐理さん、これ、舞に返しといて下さい」

佐祐理は、そんな祐一の変貌振りに
多少困惑しながら、その上着を受け取った…その時

「!!?」

熱い?
いや、そんなはずは無い
祐一の手は冷たく冷え切っていた
しかし、佐祐理が先ほど触れた祐一の手は
佐祐理に熱されたスチームのような印象を与えた
佐祐理は、そのせいでしばらく混乱していたが
やがて、いつものように天使のような微笑を見せ

「あはは〜、じゃあ、佐祐理はあちらで
チャンプの凱旋をお待ちしていますね〜」

と言って去っていった

「それが祐一さんにとってのストールってワケですか…」

栞が空になった瓶をまじまじと見つめる

栞が今まで頑張ってきたのは
つまるところ、それは香里のため
確かに、寒さで何度もくじけそうになった
しかし、その度に、ストールが自分を温めてくれた
努力を強制されれば、それは辛いのだろう、しかし
ストールはただ自分を温めてくれただけ、他に何もしない
諦めても、姉の知るところでも無いから、誰にも攻められる事は無い
知ったとしても、優しい姉は自分を攻める事などしないだろう
だからこそ、勇気が湧いた、この温もりが自分に力を与えてくれた
辛いと言う気持ちを、完全に消し去ってくれた

「どっちが強く相手を思っているか、が勝負の決め手ですね」

「思いが決め手?」

栞が祐一に向かってそう言うと
祐一はフン、と鼻で笑い、威圧的な視線を栞に向けた

「お前ドラマの見すぎじゃないか?
精神論で勝敗なんて決まらない、勝敗を決めるのは…」

その時、第三ラウンド開始のベルが鳴り響き
栞は慌ててアイスとスプーンに向かって手を伸ばす
しかし、そんな栞に向け、祐一はニヤッと笑って一言つけたした

「胃袋の大きさだ」

そう言って祐一も目の前のアイスのカップに手を伸ばす
弱々しく震えていた先ほどとは明らかに力強さが違う
上を向いて、次々とカップを口の前で握りつぶしていく
右手が握り締められれば、左手が次のカップを掴む
左手が握り締められれば、右手が次のカップを掴む
口の中一杯に詰め込まれたアイスは、一瞬にして噛み砕かれ
唾液と混ざり、白濁の液体へと姿を変え、喉の奥へと消えていく

38,39、40、41,42,…目まぐるしく変わる電光掲示板の数字

栞も焦り、ポケットから大きめのスプーンを取り出して
祐一のペースに合わせてアイスをかきこむ
電光掲示板の数字の増える速度もほぼ同じ
拮抗状態のまま、時は過ぎていく
しかし、次第に栞の体に変調が訪れる
胃の中身の水分が逆流してくるような、嘔吐感
今まで味わった事の無い、病とは別種の息苦しさ
スプーンを持つ手にかかる、精神的な超重力

{『ハングリーマーメイド』の水分吸収が…
間に合わないって事なんですか!!?}

栞は驚愕する
自分は薬によって
海の胃袋を手に入れたはずだ
全てを飲み込む事の出来る大海を、それなのに
ナチュラルの祐一とまったく同じペースで食べているだけなのに
祐一はますますペースを上げ、自分には限界がやって来た

あぁ、そうか

栞は理解した
海は広がりすぎれば陸地すら飲み込んでしまうが
宇宙の広がりには、限界なんて無いのだと言う事を

{お姉ちゃん…ごめんなさい…}

栞の手からスプーンとカップが零れ落ち
中身が飛び散る音、栞が机に倒れ伏す音、終了のベルの音が
それぞれ同時に試合場に鳴り響く

電光掲示板は、51対49で祐一の勝利を示していた

「…負けちゃい…ましたね…」

テーブルに顔を伏せたまま、栞がつぶやく

「祐一さんの名雪さんに対する愛情の方が…
私のなんかよりももっと強かった…って事ですか…」

そう言って、栞は悲しそうにあはは、と笑う

「お前、まだそんな戯言言ってるのか?」

祐一は、椅子をガタッ、と鳴らして立ち上がりながら言う

「フードファイトは胃袋の勝負だ
愛情を測るものさしなんかじゃない
愛情なんかがチャンプになる条件だったら
俺よりも教会の神父の方がチャンプに相応しいだろ?」

だろ?と祐一は栞に微笑みかける
栞は、そんな祐一を見上げ、そして笑った
作り笑いでも無ければ、悲しみも無い
ただ、自分を慰めようとして言った祐一の冗談が
とても温かくて、笑ってしまったのだ

「そうですね…祐一さん、意地悪ですもんね…」

そう言って笑顔で祐一を見上げる
そして祐一も、笑顔に応え、そして言う

「俺の胃袋は宇宙だ…
病人だったら大人しく寝てろ
それで体の調子が良くなったらうちに来い
香里に内緒で弁当ぐらい作らせてやる」

そして、笑いながら
栞は料理を食べるよりも
作る方が得意そうだからな、と付け加える
それを聞いた栞の目に、うるうると涙が滲む

「ありがとう…ございます…」

その瞬間
張り詰めていた何かが切れたのだろう
栞がバタリと再び机の上に倒れ伏す

「おい!栞!!?」

慌てて倒れた栞に近づく祐一

「大丈夫、問題無い」

いつの間にか舞が近くに現れ
栞の脈拍や呼吸の有無を確認しだした
その様子を見て、言葉を聞いて、祐一が苦笑する

「なんだ…寝てるだけか…」

「祐一、ちょっと下がってて」

舞はそのまましっ、しっ、と手を振って祐一を下がらせ
栞の背後に回りこむと、栞の両肩に軽く両手を置いて、そして…

「はっ!!」

「はうっ!!?」

舞が気を入れると
栞の体がビクン、と跳ねる
そして、何やら急にキョロキョロし出す栞

「…蘇生完了」

「ちょっと待て!蘇生って何だ!!?」

淡白な舞に詰め寄る祐一
しかし、口を開いたのは舞ではなく栞だった

「えぅ〜…夢を見ちゃいました…
私が綺麗なお花畑を歩いていたら
近くに川が流れていたんで、渡ろうとしたら
川の向こう岸で、北川さんと久瀬さんが
笑顔で手招きをしていたので、身の危険を感じて
大急ぎで走って引き返してきた…そんな夢を…」

「…それは運がいい
川を渡っていたら戻ってこれなかった」

二人の会話に祐一はついて行けないものを感じた

「…はぁ、とりあえずもうここを出ようぜ
これ以上いたら、本当に凍死しかねんからな」

「…賛成」

そう言って、栞を背負った舞と佐祐理を連れ
祐一は暗く寒い地下から夏の日差しの下へと戻って行った


「…まったく、あれほど注意したのに
アイスの食べ過ぎで入院なんて…
あんまり心配かけないでよね」

「えぅ〜、ごめんなさい〜」

ファイトから数日が経ち
祐一と名雪、そして香里は、栞の見舞いに来ていた

「本当に反省してるのかしらね、この子は…」

溜め息をつきながら、香里はリンゴの皮を剥き
器用にうさぎ型に作って、皿の上に並べていく

「今度は食べ過ぎちゃ駄目よ、ほら、口開けて」

「あ〜ん」

リンゴを食べさせる香里と
どうやらふっきれて、入院中は目一杯甘える事にしたらしい栞
二人とも、とても楽しそうで、そして、微笑ましかった

「二人とも仲良さそうでいいね〜、祐一」

「おっ、そうだ…」

名雪の言葉に、祐一は何かを思い出したように言い
鞄から中身が空になった瓶を取り出して、名雪に渡す

「ほれ、名雪、美味かったぞ」

「え〜、祐一、もう食べちゃったの?」

名雪は、かなり驚いたようだが
すぐに『美味かった』と言われた事に対し
嬉しそうに微笑んだ

「いやいや、まさか真夏に唐辛子のジャムとはな
さすが秋子さんの娘、センスが違うな」

「…それはさぞや体が温まって汗が出た事でしょうね」

意地悪く笑う祐一と、呆れたような香里
それを見て、う〜、とうなる名雪

「なんだか酷い事言われてる気がするよ〜」

「まぁ、美味かったのは本当だぞ」

おかげで助かったしな、と小声で付け加え
少し照れながら名雪の頭をポンポン、と叩く祐一
そんな祐一を見て、隣にいる姉を見て、嬉しそうに微笑む栞

熱くて、みんながいて、楽しくて…
こんな時に食べるアイスは最高だろうなと思いつつ


その頃、隣の病室では
凍死寸前で運ばれてきた北川が
誰も見舞いに来てもらえないまま死ねないと執念で峠を越え
そのまた隣の病室では
脱水症状で干からびていた久瀬が
再び責任者不在の違約金を払うハメになり
精神的ショックで峠を下ろうとしていた


………………続く……………

次回の対戦メニュー
『牛丼』

NEXTチャレンジャーからの一言
『…吉野家よりも松屋の方が嫌いじゃない』