暑い夏の日に熱い肉まんを食べるのもオツなものだ
しかも、それを自分の懐を痛めずに手に入れられるとあれば
もう他に何も言う事は無い

「祐一、極悪だよ〜」

「わっ!!…なんだ、名雪か、いきなり後ろから声をかけるな、驚くだろ?」

大体、俺のどこが極悪だと言うのだろうか?
確かに昨日、名雪の晩飯のおかずをちょろまかしはしたが

「祐一…そんな事したの…?」

名雪の目の色が変わる
やばい、やぶへびだった、急いで話題を変えねば、さもないと…

「さもないと、どうなの?」

「ぐわ…な、名雪、ひょっとして、お前は人の心が読めるのか…?」

すると、名雪が呆れたようにつぶやく

「…祐一、声に出してた」

謎は全て解けた
いや、一つだけ残っている
この謎もついでに解いておくことにしよう
可能性は0に近いが、話題を反らせられるかもしれないし

「なぁ、名雪、どうして俺が極悪なんだ?」

「…祐一、また真琴から肉まん盗る気なんでしょ」

「全然、そんな事は無いぞ」

口ではそう言ったものの、実は図星だ
一ヶ月ぐらい前から、夕食までの耐えがたい空腹の時間を無くすため
真琴から肉まんをくすねているのだ
ちなみに、さすがに真琴も警戒しているが
肉まんを買ってきたところを見計らって、北川から借りてきた漫画を渡せば、いちころだ
後は、真琴が漫画を読みふけっている間に肉まんをくすねればいい

「ねぇ祐一、最近の真琴、凄く怒ってたんだよ
祐一がしょっちゅう肉まん取るから、お腹を減るし
お小遣いがいくらあっても足りないって」

なるほど、一ヶ月前まで止んでいた真夜中の悪戯が再開されたのはそういうワケか
まぁ、全て返り討ちにしているから、問題は無いんだが、さすがに真琴に悪い気がしてきた
正直、俺も小遣いに余裕があるワケでは無いのだが、今度、真琴におごってやることにしよう

「はい、祐一肉まんあげる」

「そう、肉まんでも…って、え?」

俺は、突然手の平に置かれた温かい物が置かれたのを感じて、驚いた
だが、それ以上に驚いたのは、その温かい肉まんを俺の手に置いた人物だった

「はい、名雪にも肉まんあげる」

「わ〜、ありがとう、でも本当に貰ってもいいの?」

「全然構わないわよ、真琴は『ふとっぱら』なんだから」

…こいつは誰だ?
今、自分の事を『真琴』って呼んでたぞ?
真琴って、あの真琴か?
あの真琴が、俺と名雪に肉まんを分けてくれたのか?
いやそんな事があるはずが無い、きっとこれは罠だ
名雪まで巻き添えに、俺に復讐する気なんだ
そうとも、あの真琴が自分から自分の分の肉まんを分けてくれるはずがない

「…祐一、また声に出てるよ…」

名雪に指摘され、はっと我に返る
しまった、また声に出してしまっていた
また真琴が「祐一!私をなんだと思ってるのよぅ!!」とか怒鳴り散らすのだろう
そして、今晩も俺の安眠は妨害されるのだろう、はぁ、今日は何をされるのやら…
しかし、俺の予想と真琴の反応は、天と地ほどかけ離れたものであった

「いいわよ、別に気にしてないし」

…本気でこいつは誰だ?
そうか、そういえばこいつは狐だった
俺を化かそうとしてるんだ、そうだ、そうに違い無い
天野に聞いたんだが、昔の妖狐はおしとやかな美女に化けて宮殿にもぐりこんでいたらしい
きっとそんな手口に違い無い

俺が硬直していると、真琴はくるりと振り返り、自分の部屋へと戻ろうとした
そして、ニヤニヤしながら振り向いて、こんな捨て台詞を言った

「うふふ、祐一、すぐにあんたに敗北を教えてあげるわよっ!
あんたはもう目の前にいるんだからねっ!!」

「なんだったんだ、一体…」

俺と名雪は、真琴が見えなくなった後も、呆然と真琴が去った方向を見つめていた

「真琴…どうしちゃったんだろう?」

とりあえず、あいつが今読んでいる漫画は何か分かった
あと、名雪もすでに俺が晩飯のおかずを盗った事を忘れているようなので、一応真琴に感謝だ




フードファイター相沢祐一 第参膳{前編}


「それで、今日の挑戦者はお決まりになったのですか?」

今日は時間割の関係で、昼休みまでに来られなかったため
久瀬の私物化されている生徒会隠し部屋で放課後を待っていた佐祐理が、暇つぶしに久瀬に尋ねた
ちなみに、舞はバイトが忙しいらしく、今日はこれなかった
もっとも、舞がいれば佐祐理もこんな男と二人で時間を潰すような事はしなかったのだが

「えぇ、チャンプの快進撃も今日までですよ
彼は今まで、よくやりすぎてくれましたからね
もうそろそろゆっくりと休んでもらうつもりです」

「よくやってくれた…では無いのですか?」

あくまで笑顔のままで佐祐理は久瀬に尋ねる
そして、久瀬も笑顔で答えた
もちろん、その笑顔は佐祐理さんのように温かみのあるものではなく
イヤラシイといった形容詞がよく似合う笑顔であったが

「やりすぎですよ
こういうギャンブルの対象で、片方が異常に強いというのはむしろマイナスです
倉田さんもお聞きになったでしょう?
前回のフードファイトで、斎藤君が負けそうになった時の、あの溜め息を
観客から溜め息が出るという事は、ギャンブルの秩序崩壊の象徴です
人間は動物と違い、理性と知性、そしてそれがもたらす秩序を守ることで平穏な生活を手にすることが出来ます
しかし、その秩序が崩壊してしまえば、ひ弱な人間に大いなる自然に立ち向かう事は出来ず、氷河期に絶滅していったマンモス達のように滅びてしまいます、そうならないために秩序は断固として必要なのです、そしてそれはギャンブルという非合法なものにおいても適応されます、全ての物事は表と裏の両面から成り立っているのであって、どちらが欠けても本当の秩序はありえません、それなのに、あの男、相沢祐一は他者の利益というものを省みずに、己の欲望のままにフードファイトを文字通り食い物にしている、おかげで私の財布、ひいては我が校の財政がどれだけ圧迫されてしまったか、あの男は考えもしていないのでしょう、それどころか、私がどのような思いで生徒会費を横領し、フードファイトでの損害の補填にあてているか、あの男の貧困貧弱かつ低級愚劣な頭脳では想像することすら叶わないのでしょう、そもそも私は最初からあの男が気に食わなかったのです、いつもいつも我が怨敵、川澄舞の手助けをしていたばかりか、倉田さんにまで色目を使うという暴挙、私への嫌がらせとしか思えません、いえ、むしろこの金も力も顔も全て超一流クラスのミスターパーフェクトなこの僕に嫉妬しているに違いありません、なんと狭量で底の浅い男なのでしょう、もし倉田さんのご紹介でなくば、あんな性根の捻じ曲がりきった人間失格男にこの伝統あるフードファイトの敷居をまたがせるような真似は…」

「あはは〜、それで今日の挑戦者は誰なんですか?」

熱くなっていた久瀬が我に返り、心持ち顔を赤らめる
佐祐理の「あはは〜」で言葉を遮られるのは
咳払いなどで遮られるよりも遥かに心にこたえるのだ
ちなみに、今まで佐祐理が久瀬の話を遮らなかったのは
ただ単に出された紅茶を飲んでいただけだったからだし
もちろん、佐祐理の右ポケットに隠されていたテープレコーダーは
現生徒会長の手による横領の告白をしっかり記録していたが

「今日の挑戦者は…いや、『者』、つまり人ですらないのかもしれませんが…」

もったいぶった喋り方をしながら
久瀬は、懐から取り出した写真を佐祐理に手渡した

「ふぇ?これは…」


「祐一、放課後だよ」

「何ぃ!本当か!!?」

「うん、本当だよ」

天然は、時としてこういうボケ潰しをしてくるので、実に酷い

「…北川、香里、何か言ってくれ…」

「じゃ、俺先に言ってるから」

北川はスタスタと教室から出て行った、
香里は、すでに教室にいなかった
夏だというのに…半年前の冬を思い出させる寒さだ

「ふぅ…俺も行くか…」

「うん、それじゃあ、また後でね、私、部活に行って来るから」

元気良く名雪は教室の外へ出て行った
…我が恋人ながら…いや、言うまい…

「やぁ、北川君、相沢君ご機嫌如何かね?」

…嫌な時は嫌なことが続くものだ
ただでさえあまりよくなかった機嫌がさらに悪くなった
いや、むしろこいつの嫌味ったらしい顔を見ていたら、気分すら悪くなった
この地下廊下が薄暗いという事が唯一の救いだ

「…相沢君、生徒会長として無知蒙昧なる一般生徒に忠告させてもらうが
そう言うことは口に出さない方が良いと思うのだが?」

久瀬の顔に青筋が浮かんで、筋肉がぴくぴくと痙攣している
うむ、相当腹が立ったみたいだな、おかげで俺の機嫌は治まった

「それで、今日の対戦相手は誰なんだよ?」

「ふふふ…すでにそこに来ていますよ…」

久瀬はそう言うと、左手で前髪を掻きあげ、右手を頭上高く挙げて、パチンと指を鳴らした
気に障ると書いて、気障{キザ}と読むのは、どうやら正解らしい

「うな〜」

久瀬の指パッチンに反応したのか、薄暗い曲がり角から、一匹の猫が現れた

「おいおい、なんだよ、今日の対戦相手は猫か?」

北川が呆れたように笑っていたが、俺の反応は違った
この猫は見たことがある、いや、ことがあるでは不十分だろう
今朝も見たし、昨日も見た、そして、ほぼ毎日見ている

「ぴろ…」

そうだ、ぴろだ
猫アレルギーの名雪には隠してあるが、水瀬家の飼い猫である、ぴろだ
そして、そのぴろがいつも一緒にいる奴と言えば…

「ふふふ…祐一、この後楽園地下闘技場に来るなんて
とても優秀な細胞を持っているようね、ご褒美に敗北をプレゼントしてあげちゃうわよっ!!」

真琴だ、俺と同じ水瀬家の居候、沢渡真琴だ

「沢渡君、何度言えば分かってもらえるか分からないが、ここは後楽園ではなく…」

「ちょっとあんたは黙っててくれ」

俺は呆れ顔で説教をしようとする久瀬を押しのけて、真琴に近づく
ちなみに、押しのけられた事について文句を言おうとした久瀬は
北川に『グラップラー刃牙』を知らない事を指摘され、逆に説教されていた
北川は真琴ほど広く漫画を読んではいないが、その分深いからな
これで当分話の邪魔はされないだろう

「何でお前がここにいるんだよ!!」

真琴に向かって怒鳴りつける
何でも知ってそうな秋子さんはともかく、名雪には知られたくないのだ
こいつにうっかり口でも滑らされたら、たまったもんじゃない

「何よぅ!祐一が真琴の肉まんいつも盗るからいけないのよぅ!!
食べ物の恨みは恐ろしいんだからね!!」

真琴の逆ギレ独白によると、俺にいつも肉まんを盗られていたため
小遣いが不足して、わざわざ学校にまで来て天野に泣きついていたところ
久瀬に『フードファイト』にスカウトされたらしい
真琴が勝てば、俺はフードファイトの賞金で食費を稼ぐことができなくなり
肉体労働系の辛いバイトをしなければならないので、最高の復讐になると言われたそうだ
姑息で少し頭の弱い久瀬の事だ、大方俺の親しい人間を出して動揺を誘おうってのと
真琴がまた吹かんでもいい大ボラを吹いたのを鵜呑みにしたのだろう
信じるなよ、久瀬

「ちゃんと美汐と一緒に『ひみつとっくん』もしたんだからっ!
絶対に負けないんだからねっ!おいで!ぴろ!!」

言ってしまったら秘密特訓では無いだろ…
俺にツッコミを入れる暇も与えず、真琴はぴろを連れて走り去って行った
まぁいい、すぐに試合だ、それにいくら秘密特訓したといっても
前の俺よりも少食だった真琴が今の俺に勝てるはずも無い、
負前に、負けたらこの事を誰にも言わないと約束させればいい
本当にあいつが黙ってられるかどうかは分からないが、とりあえずそれしか方法は無い

俺は、やれやれと溜め息をついて真琴が走り去った方へと歩いていった
ちなみに、背中に久瀬の懇願するような視線が刺さったが、あえて無視した
北川は『板垣先生が作中で怪我をさせたキャラクターのモデルの格闘家は現実世界でも不幸にみまわれる法則』
について語っていた
あそこからが長いんだよな、頑張れよ、久瀬

「…と、言うワケだ、分かったな、真琴?」

「ふん、真琴が負けるはずが無いわよぅ!
もし祐一が負けたら、肉まん食べ放題だからね!!」

「…お前、これ以上食う気か?」

「う…こ、これは別だもん!祐一に復讐するために食べる肉まんは別腹なの!」

確かに食い物の恨みというのは根が深いらしい
ちなみに、今日の対決メニューは肉まんだ
どうやら真琴のリクエストらしい、久瀬の奴、どうしても俺は倒したいらしいな

ベルが鳴り響くと同時に、俺は口一杯に肉まんを詰め込んだ
とは言え、一個辺りが結構大きいので、一個全て入らずに口の中は一杯になってしまうのだが
この分だと、真琴は6個が限度といったところだろう
俺は右手を挙げながら、隣の真琴の様子を見てみた

「…!!?」

俺は一体何を見たんだ?
真琴がさっきから凄い勢いで肉まんを胃に収めている
ヤバイ、はっきり言って全く予想外の出来事だ
隣を見ている余裕は無い、俺は急いで口の中に肉まんを詰め込んだ

第一ラウンド終了
18個対20個、勝っているのはなんと真琴
これはいよいよ本気で行かなければ、負けてしまう
確かに、相手が真琴であるということから、気の緩みもあった
久瀬の思惑は第一段階成功といったところか
俺は頬を両手でぴしゃりと叩いて自分を戒めた
そして、席を立って通路に戻ろうとしたが、真琴は座ったまま立ち上がらなかった
いつもの真琴なら、これで鬼の首を取ったように好き放題言ってくるはずなのに
何故か鬼気迫る表情で肉まんを睨みつけていた、そんなに腹が減っているのだろうか?
それとも、そんなに俺に勝ちたいということであろうか?
もしそうだと言うなら、たいした執念、復讐心である、食べ物の恨みとは本当に恐ろしい

久瀬の奴もさぞかしご満悦だろうと思って通路に出てみると
久瀬は半泣きで正座させられていた
北川はかなり熱くなっているらしく、早口に身振り手振りも加えている
薄暗い通路は、ストーブでもたいているかのような暑くなっていた
夏だからなんだろうが、どうにもこの熱が北川から出てるようにしか思えないのは何故なのだろうか?

インターバルを終え、俺が第二ラウンドのために戻ろうとしたころには
北川の話は『オリバの筋肉について』に移っていた
多分、これかこの次、多くとも3つのテーマで終わるだろう
もっとも、ここから今まで『グラップラー刃牙』『バキ』に登場した全キャラクター{梢江ちゃん達も含む}の体格を
振り返って考察するので、この段落が一番長いのだが、貧弱な坊やの見本のような北川には
筋肉は憧れの対象らしいので、まぁ、仕方の無い事だろう
第二ラウンド中には終わると思うから、それまでの辛抱だぞ、久瀬

第二ラウンドのベルが鳴り、俺はひたすら食い続けるが、真琴のペースは異常だ
もはや噛まずに飲み込んでるようにしか見えない
こいつは一体どういう『秘密特訓』とやらをしたんだ?
考え事などしているうちに食えばいいのだが
どうも俺には集中力というものが欠けているらしく
考えまいとしても、どうしても考えてしまう
おかげで、第二ラウンド終了時には、42個対45個
また真琴に差をつけられてしまった、これは本気でヤバイ
ベルが鳴り続けている最中も、真琴は必死で口の中の肉まんを飲み込もうとしている
何でこんなに必死なのだろう、まるで勝たねば死んでしまうかのような死を背負った気迫だ

「んぐ…んぐ…ぷはぁ!!」

真琴は口の中のものを飲み込むと、また肉まんに手を伸ばし始めた
観客席から驚きの声があがる
当然だ、終了のベルが鳴ってから以降の食事は無効なのだから
生徒会の中でも武闘派と呼ばれる黒服の男達が飛び出して来て
真琴を椅子に押さえつけるが、3人がかりでやっと真琴の小さな体を押さえている
これは絶対におかしい
真琴もさっきからまるで獣のようにうなってばかりだし…

「相沢さん」

俺が真琴の方を見て、頭を抱えていると、突然後ろから声が聞こえた

「ちょっと、お話があるんですが…」

真琴の親友の天野だ
話とはやはり真琴の事だろうか?
とりあえず、俺は天野の話を聞くことにした
何が起こっているのか?
そしてどうしてこうなったのか?
その鍵は、きっと彼女が握っていると、俺は確信していた


…………続く………