「祐一、放課後だよ」

隣の席の名雪に声をかけられる
最近はどうもこれを聞かないと、学校が終わったという実感がわかない

「おぉ、そうか、じゃあ、俺は用事があるから…行くぞ、北川」

「おぉ、ちょっと待ってくれ」

6時間目は熟睡していたため、北川は帰り仕度に手間取っているようだった

「祐一…最近よく北川君と出かけるけど、どこへ行ってるの?」

「美味い物が食べ放題の素晴らしい所だ、名雪も一緒に行くか?」

「…いい、私、これから部活だから…」

名雪の顔が曇る
まぁ、無理は無いだろう
前に北川や名雪、香里の四人で商店街のお好み焼き屋の食べ放題に挑戦した所
つい調子に乗り過ぎてしまい、気付いたら店主が土下座しながら俺に袖の下を握らせていた
あれ以来、誰も俺と一緒に食べ放題についてきてくれなくなってしまったのだ
ちなみに、今の発言はそれを見越しての事だ
恋人に隠し事をするというのも気が引けるが
事情が事情だけに、名雪に本当の事を言うワケにはいかないのだ

「じゃ、俺はもういくから、香里、名雪、また明日な」

そう言って俺と北川は急いで教室を出た
教室からは、香里の「また明日」という声と
名雪の「嫌でも家で会うよ〜」という間延びした声が聞こえてきた
その時、多分、気のせいだとは思うが、男の声で
「また後でな」
と、聞こえたような気がした





フードファイター相沢祐一 弐の膳

作者:大吉マスター21


俺の通っている学校には、学校の1にぎりの人間しかしらない、地下への秘密の入り口がある
なんでそんなものが存在するのかはどうでもいい
そこでは会員制で、財界や政界の有力者達が、学校側に多大な恩恵を与える代わりに
学校側の用意したフードファイター達の豪快な食事を見ることで
老いと共に衰えていった食欲を満たし、同時にギャンブルも楽しむ事ができる
と、いうのも、俺にとっては別にどうでもいいことなのだ
ただ、大事なのは、そこで非合法な大食い賭博競技『フードファイト』が行われ
勝者には多額な賞金が送られ、そして、今は俺がそのチャンプだという事だ

「あはは〜、祐一さん、調子はどうですか?」

「バッチリですよ、佐祐理さん」

佐祐理さんには本当にお世話になった
そもそも、俺は元々こんなに大食いではなかったのだ
それが、今から一ヶ月と少し前、秋子さんに
「新作のジャムを作ってみたんですが、試してみてください」
と言われ、安請け合いしてしまったのが全ての発端だったのだ
確かにそのジャムは普通とは言いがたかったが
少なくとも俺は気付かなかった
秋子さんが、『謎ジャム』に磨きをかけ、更なる高みに達していたことに…

「挑戦者はもう席についてますよ、後もう5分ぐらいで始まりです」

俺は佐祐理さんと一緒に、決戦の場へと歩を進めた
この薄暗い道を通るのも、もう慣れた
しかし、勝負の前の精神の高揚だけは、未だに慣れない
今までの17年の人生で、半年前に初めて味わったものだった
苦しいような、楽しいような、自分でもよく分からない時間
思わず、俺は声に出してこうつぶやいた

「まだ5分もあるのか…」

一見漆黒だが、所々にキラキラと光る何かが混じっている
一言で言うと、まるで宇宙のようなジャムだった
今思うと、なんでそんなものを食べたのかは分からない
何か、強い力に、そう、運命に引き寄せられたように俺はそれを食った
その後の事はよく覚えていない
気が付くと、空の瓶が目の前に転がっていて、何故だか異常な空腹感があった

「倉田先輩の話だと、今日は焼き肉対決らしいぞ
じゃ、今日もしっかり食って、しっかり勝ってこいよ!」

「任せとけ!」

セコンドの北川の激励を受け、通路と鉄格子と鉄のドアで区切られた部屋に入る
そこには、机と椅子、それと、0という数字の灯った電光掲示板が一組ずつ
少し高いところから、貪欲な金持ちどもが
見下ろしながら何やら叫んでいるのが、唯一気に食わない点だろうか
そして、その片方の椅子には、今日の挑戦者がこちらに背を向けて座っていた

「よぅ…遅かったな、相沢…いや、チャンプと呼ぶべきかな…
もっとも、このファイトが終わった時には、俺がチャンプになるんだけどな」

後ろ向きのままでひとしきり話すと、そいつはゆっくりこっちを向いた

「お前は…」

あまりの空腹に
その日一晩で水瀬家の食料の大半を一人で食い尽くしてしまったのを覚えている
名雪のイチゴジャムまで食い尽くしてしまったので
次の日大量のイチゴサンデーをおごらされ
財布どころか銀行の残高まで0に漸近していったのは特によく覚えている
秋子さんは食費を気にしなくてもいいと言ってくれたが
毎食これだけの量を食うとなると、そうは言ってられないのだが
事情が事情だけに、親に電話越しに頭を下げる事も出来ない
とりあえず、わらにもすがる思いで北川に相談してみたが
信用させるまでに名雪の睡眠時間並の時間を費やさせた上に
どうしようも出来ないって結論を秋子さんの了承並の速度で出しやがったので
そのままボコボコにしてやろうとして校内の人通りの少ない場所に連れ込んだところ
そこはこの地下への入り口の近くだったらしく、偶然佐祐理さん達が通りかかって
駄目元でワケを話したところ、ここを紹介されたというワケだ

偶然一緒に居た北川は、そのまま帰ろうとしたが
黒服の怖いお兄さんと舞に囲まれて、どこかへ連れて行かれたが
すぐにここで合流し、何故か俺のセコンドになった
どうやら、部外者に秘密が漏れるのを防ぐためらしいが
その時何があったかは北川は語ろうとしない、無理矢理吐かせようとすると
「魔物が来るよ…」とうわ言のように呟きながらうずくまって震えだすだけだ
どうやら、舞は完全に魔物をコントロールできるようになったらしい、良い事だ

それから、俺は初めての対戦相手
当時のチャンピオンだった担任の石橋を破り、見事チャンピオンの座を得る事が出来た
以来、俺は食い続け、勝ち続けているというワケだ
賞金はほとんど食費に回るが、フードファイトの日には
タダでたらふく食えるので、少し、いや大分食費が浮き、その分小遣いにできるのがありがたい
もっとも、最近、フードファイトの日が待ち遠しいのは
それだけが理由じゃないような気もしてきたのだが…

「よぉ、チャンプ、久しぶりだな
といってもまだ…」

「誰だお前?」

そのまま俺達と同じ制服を着た男は閉口してしまった
まぁ、いきなり「誰だお前」と聞かれれば、当たり前の反応なのだが…

「ふぇ?祐一さんのお知り合いでは無かったのですか?」

佐祐理さんが首をかしげながら聞いてくるが、知らないものは知らない

「えぇ、お知り合いも何も、会った事もありませんよ、なぁ北川?」

北川も鉄格子の向こうで少し首をひねった後、無言で縦に動かした

「な…あ…お…」

挑戦者は顔を真っ赤にしたり、真っ青にしたりしている
よほどショックだったのだろう、何だか気の毒になってきた
とりあえず、俺と同い年らしいが、それだけでは何も分からない

「なぁ、少しヒントくれないか、思い出すかもしれないし…」

ぷちん
そいつから何かがキレた音がした

「俺の名前は…」

キレたそいつが何やら叫ぼうとしたが、すぐにその言葉は聞こえなくなった
目覚し時計のベルを遥かに五月蝿くしたような音が辺りに響く
観客席の連中も、皆思い思いに歓声をあげた
フードファイト開幕の合図だ

「そうか、相沢、貴様、俺を動揺させようって魂胆だな
だがそうはいかんぞ、なぜなら俺は…」

「………………」

俺は返事を返さない
なぜなら、すでに対決用の焼き肉は机の上に並べられているのだ
フードファイトのルールは1ラウンド10分の3ラウンド制
時間内に一皿でも一口でも多く食べた奴の勝ち
ラウンドごとにインターバルがあり、インターバルの間は何をしても自由
つまり、その間にトイレで吐いてしまったって構わないワケだ
まぁ、俺は食事も兼ねているので、そんな勿体無い事は絶対にしない
もちろん、合図があったにも関わらずおしゃべりを続けるような馬鹿な事もだ

「あっ!もう食べ始めるなんて…卑怯だぞ!クソ!!」

散々憎まれ口を叩いた後、そいつも机の上に並べられてある焼肉を頬張った
その後、俺が一瞬箸の動きを止めてしまった理由は
なぜか、そいつが箸もフォーク使わずに
焼きたてアツアツで舌が火傷するような焼き肉を素手で掴んで食っていたからだ

とりあえず、名前は結局分からなかったが一つだけはっきりした
こいつは馬鹿だ、別に気にする必要も無い、今日も楽勝だろう
俺は即座に一皿目を完食し、お代わりの合図に右手を挙げた

10分が経過し、再び五月蝿いベルの音が鳴り響く
第1ラウンド終了の合図だ

「何者だ、あいつは…」

正直、驚いた、最初は楽勝かと思っていたが、奴の食う勢いは凄まじい
電光掲示板は9皿対8皿で俺の一皿リードを示していた
しかし、それもあいつの頭の悪さが原因で
もしあいつがもう少し人並みな頭を持っていたら
スタートダッシュ分差をつけられていたかもしれないのだ
前チャンピオンの石橋以来の…いや、石橋以上の強敵だ

「まるで獣のように焼き肉を貪ってやがった…
まさか、あいつがあの『ブッシュ』か!?」

セコンドとしての役目を果たそうと、じっと相手を観察していた北川が突然思い出したように叫ぶ

「ブッシュ?大統領か?」

「いや、ただのあだ名だよ、俺も噂でしか聞いたこと無いが…
俺が小学生ぐらいのころ、この町で『ブッシュ斎藤』っていうガキの噂が広がった」

北川の話によると、昔、この町でテレビ局が大食い大会の企画を行ったらしい
その時、たった一人の小学生が、東京からわざわざ来た大食い自慢を打ち破り
圧倒的大差で勝利を収めたという、だが、そのテープがお茶の間に流れる事は決して無かった
その少年の食事法が、あまりに野性的過ぎたからだ
夕食時のお茶の間に流して、同年代の子供達が真似をしたという苦情を受ける可能性が高い
その対決は、面白い映像ではあったが、テレビ局は苦情を回避する方を選んだ
と、いう事らしい

「なるほどな…しかし、俺はそんな奴は知らんぞ?」

向こうは知っているようだったが…
いくら俺が忘れっぽいと言っても、そんな面白い奴を忘れるはずが無い
一生懸命記憶の糸を手繰っていたが、そのうち時間になったので、俺は席に戻った
時間ギリギリだったので、危うく遅れるところだったが

「最近は遅刻が減ったと思ったが、朝に続いて二度目の遅刻だな
最近は珍しく水瀬さんも遅刻しなくなったと思ったが…」

ちなみに、すでにベルは鳴って、勝負は始まっている
同じ間違いを繰り返すというのは、正真正銘の馬鹿だという証拠だ
さすがに、さっきよりは気付くのが早く、今はもう隣で再び素手で肉をがっついているが

やがて、第2ラウンド終了のベルが鳴る
19皿対19皿、並ばれてしまった
理由は分かっている、俺のペースが落ちたからだ
どうも俺はすぐに考え込んでしまって箸の動きを鈍らせてしまうらしい
まぁ、ようは集中力が無いのが問題なのだろうが
それよりも、当面の問題は奴だ
奴は名雪の事も知っている、朝の俺達の遅刻もご存知のようだ
何故だ?しかも、服装から同じ学校で同じ学年だという事は分かるが
俺はともかくとして顔の広い北川まで知らないというのもおかしな話だ
もしかしたら奴は俺のストーカーで、他校の生徒であるにも関わらず
うちの学校の制服を着て潜り込んでいるのではないか
と、馬鹿げた想像をしてみるが、先ほどからの奴の奇行から鑑みるに
一概にありえないとも言い切れないので、背筋を冷たい汗が滑る
奴は一体何者なんだ?

「なぁ、相沢…」

「何だよ?」

腕を組んで考えている俺に、北川がおそるおそる聞いてくる
うまく考えがまとまらない俺は、少しいらだったように返事をする

「ひょっとして、あいつ、お前と7年前に知り合ったんじゃないか?」

「あっ…」

もしかしたらそうかもしれない
あゆや舞、真琴の例もある、今では7年前の事もほとんど思い出せるが
まだ思い出していない事があってもおかしくはない
そう言われてみれば
昔、名雪と一緒に大食い大会のロケを見に行った事があったような気がしてきた

「北川、その推理、ひょっとして当たりかもしれないぞ」

俺はそう言って、再び対決の場へと戻る

「よく来たな相沢…逃げ出したのかと思ったぜ
だがこのファイナルラウンドで…」

「俺には、とある事情で7年前の記憶を忘れていたんだ」

「え?」

俺の突然の告白に言葉を遮られ
不敵な笑みを浮かべていたそいつの表情が変わる

「だから、その時にお前に出会った事があっても
俺にはまだその時の事を思い出せない、勘弁してくれ」

「相沢…お前、本気で言ってるのか…?」

ブッシュの声と体が小刻みに震えている
やはり、7年前に会った事があるのかもしれない
そして、この様子だと、当時相当の出来事があったのかもしれない
半年前、色々あったが、そのほとんどの原因が7年前の俺にあった
もし俺がこいつに何かをしたというのなら、俺にはその責任を取る義務がある

「どこまで俺を馬鹿にすれば気が済むんだ!!」

ブッシュが激昂して机に両手を叩きつけて叫ぶ

「馬鹿にしてるつもりは無い、本当に記憶が無いん…」

俺は言葉を飲み込んだ
ブッシュの目から大粒の悔し涙が零れ落ちたのを見たからだ

「俺は…」

俺がブッシュに声をかけようとした瞬間、ベルが鳴り、最終ラウンドが始まった
今度は奴も俺と同時に焼き肉にかぶりついた
ただ、一言

「絶対負けねぇ!!」

と獣の咆哮にも似た叫びをあげて

数分が経過した後も、お互いペースは変わらずに必死に肉を口内に詰め込んでいた
先にペースを落とした方が負ける
周囲が固唾を飲んで見守っていると、突然、片方の男に異変が起こった

「ぐおおおおおお…」

ブッシュだ
ブッシュが苦痛のうめき声をあげ、手に掴んでいた焼き肉を落としてしまったのだ

「焼き立ての肉を掴み続けるからだ…最初は平気でも、数をこなせば火傷になる」

北川に説明されないでも分かる
むしろ、今まで耐えてきた事の方が驚きだ
決着は意外な形でついた、観客席からは失望の溜め息が聞こえた

「ま…まだだ…まだベルはまだ鳴っていない、まだ勝負は続いている…」

ブッシュはもはや握る事も叶わなくなった手で必死に肉を掴もうとしていた
その滑稽なほど必死な様子に、どこからともなく失笑が聞こえた

「相沢、もう終わった、戻ってこいよ」

北川が安堵の表情で俺に呼びかけてきた
俺は北川の方へ振り向くと、手にしていた箸を投げ捨ててこう言った

「まだ勝負は終わってない」

俺は立ち上がり、机の上の皿へと顔を近づけ、食事を再開した
いわゆる、犬食いと呼ばれる食べ方だ、とてもじゃないが品がある食べ方とは言い難い
観客席からもどよめきが聞こえる

「あ…」

ブッシュも、しばらくポカンと祐一の様子を見ていたが
すぐに気が付き、祐一と同じように犬食いで肉を貪り始めた

「変なところで人がいいんだよな、あいつは…」

北川はやれやれと言いながら軽く溜め息をつき、頬を人差し指で掻いた

二人は皿に顔をこすりつけんばかりの勢いで食べ続け
時折右手を挙げてお代わりを要求し、空になった皿は左腕で払いのけた
アツアツの肉を箸を介さずに口の中に放り込んでいるため、かなり熱いが
そんな事はお構いなしに二人とも一心不乱に食べ続けていた
25、26、27…
二人の電光掲示板の数字がハイペースで増えていく
若干祐一の方が早いだろうか?

二人の電光掲示板は29を示していた
祐一は肉をがつがつと貪り、右手を高らかに挙げ、30皿目の完食を無言で宣言した

「う…うぐ…」

ブッシュが皿から口を離し、うめき声をあげた
電光掲示板のカウントは29のまま
そして、ブッシュは、よろよろと後退し、倒れるように椅子にもたれかかると
両手をだらりと垂れ下がらせ、完全に脱力し、虚ろな瞳で天井を見上げた
それは、誰の目から見ても明らかな、祐一の勝利を意味していた
祐一は、ティッシュで口元をぬぐうと、背筋を伸ばしてブッシュの横に立った

「俺の胃袋は宇宙だ
お前の事は、次に会う時までに思い出せるよう努力するよ」

そう告げると、祐一は部屋から退出し
セコンドの北川と共に何やら話をしながら歩き去っていった

「…同じ…クラス…廊下側の…席…北川…俺…お前の…向かい…」

ブッシュは息も絶え絶えで
誰にも聞こえないほど小さな、かすれた涙声でつぶやくと、そのまま意識を失って倒れた
余談だが、この後ブッシュ斎藤は体調を崩して急きょ入院
祐一達にその存在を気付いてもらえるようになるのは約一ヶ月後の事だった

生徒会専用の会議室にある、完全防音の隠し部屋で
大型のテレビのモニターを見つめる二人の男女がいた
モニターには、椅子にもたれかかったまま昏倒しているブッシュ斎藤の姿が映っていた

「…これで9連勝…少し勝ちすぎだと思いませんか?」

メガネをかけた男が隣に座っている女性に声をかけた
隣の女性は、ただ「あはは〜」と笑うだけで、他に何も答えなかった
男は、手元のリモコンでテレビの電源を切ると、椅子に深くもたれかかった
彼こそが、このフードファイトの最高責任者を任せられている人物
そして、表の世界でも、生徒会長として学園を支配している男
その男の名前は、久瀬と言った

「早急に手を打つ必要がありそうですね…」

………続く………

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「食べ物の恨みは恐ろしいんだからねっ!」