夢を見ていた
満たされない思い
つきることの無い欲望の衝動
そんな強い思いを抱いた夢
夢の中で俺は
台所を徘徊し
飢えをしのぐために
冷蔵庫の中身を漁っていた…



『朝〜朝だよ〜』

「うん…もう朝か…」

従姉妹に借りた録音タイプの目覚ましが朝を告げた
慣れとは恐ろしいもので、最初はどうしても馴染めなかったこの目覚ましも
今ではこれでなければ、起きたという感じがしなくなっていた
まぁ、恋人の声だという事もその大きな原因なのだろうが

時計の針はまだ6時30分を指していた、普通の人間ならば、二度寝をする時間だ
寝不足時の睡眠欲に勝てる欲求は存在しない、普通はそうだ
しかし、今の俺…相沢祐一は、そんな普通の状態では無かった

ぐうぅぅぅぅ

腹の虫が騒ぎ出す
こうなると、睡眠欲など欲求のうちに入らなくなる
眠たい脳では飢えた腹の叫びに抗う事は不可能だ

「…腹減ったな…」

誰に聞かせるでもなくつぶやいて、ゆっくりとベッドから起き上がり
簡単に着替えをすませて部屋を出る
もう秋子さんは食事の用意を済ませてくれているころだろう…
そんな事を考えながら、口から漏れ出るアクビを手で抑え
俺は階段を下り、食卓へ向かって歩いていった





フードファイター相沢祐一 壱の膳

作:大吉マスター21





「…おはようございます」

俺の従姉妹で恋人の名雪がまだ少し眠たそうに朝の挨拶をする

「おはよう名雪、秋子さん、トーストのお代わりお願いできますか?」

俺は名雪への挨拶もそこそこに、俺が居候している水瀬家の家主で、叔母の秋子さんに朝飯のお代わりを催促する

「はいはい、たくさん食べてくださいね」

秋子さんが微笑みながら皿の上に置いてくれたトーストに
バターだけを塗って、一口かじる

「…」

気が付くと、名雪が何やら呆れたような顔で俺の顔を見ていた

「どうした名雪?俺の顔に何かついてるか?」

俺がトーストを頬張りながら尋ねると、名雪は自分のトーストに
大好物のイチゴのジャムを塗りながら、溜め息まじりに俺の質問を質問で返した

「祐一…それで食パン何枚目?」

「名雪、貴様は今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」

俺が石仮面を被って人間を止めた吸血鬼のように声にドスをきかせて
さらに質問を質問で返すと、名雪はトーストを少しかじってから答える

「そういう意味じゃないよ〜、祐一、今朝食べたトーストはそれで何枚目なの?」

「え〜と…ひぃふぅみぃ…」

「これで併せて20枚目ですよ」

俺が思い出しながら指を折っていると、秋子さんがさらにお代わりのトーストを皿に盛って微笑みながら答える

「あ、ありがとうございます、秋子さん、聞いたか名雪?20枚目だそうだ」

名雪は、トーストを手に持ったままじっとこっちを見ていた

「…祐一、お腹大丈夫なの?」

「あぁ、これだけ食えば腹一杯だ、問題無い」

「そういう意味じゃないよ〜」

そう言うと、名雪は溜め息をつき、割とあっさり引き下がって食事を再開させた
というのも、名雪にとって、これが始めて見る光景では無かったからだ
半年ぐらい前に祐一が水瀬家に居候し始め、付き合い始めたころはそうでも無かったのだが
ちょうど一ヶ月ぐらい前から、突然祐一の食事量が異常に増え出したのだ
その出来事は、水瀬家に良い事と悪い事を一つずつ与えた
悪い事は、祐一の食事量が増えたために、秋子さんの仕事が増えてしまった事
そして良い事は、毎朝この祐一の一人大食い大会を目の当たりにすることで
名雪の目が一瞬で覚めてしまい、おかげで学校に遅刻しなくなった事だ
もっとも、名雪は祐一の異常に旺盛な食欲に押されて、最近食欲が落ちているのも、朝素早くでられる秘訣の一つだろう

「最近の祐一、普通の人の何倍も食べてるし…仕送りしてくれてる祐一のお母さんの事も考えてあげなきゃ駄目だよ?」

「う…分かってるが、夕方から朝まで食べてないと、どうしても腹が減るんだ」

あまり触れて欲しくないところに触れられ、俺は少しバツが悪くなり、苦しい言い訳をした
それは親に負担をかけているという負い目からでは無かったが、そっちの方がまだマシに思えた
この場合、事情が事情だけに
そんな事を考えると、秋子さんが首をかしげながらこんなことを尋ねてきた

「あら?祐一さん、昨日夜中にお夜食作ってましたよ?」

「え?そうでしたっけ?」

そうか、あれは夢じゃなかったのか…
道理で朝口の回りに食いカスがついていたと思った

「え〜、祐一また夜中にご飯食べたの〜?
いい加減にしないと、祐一、牛になっちゃうよ?」

「…俺は太らない体質だから大丈夫なんだ、それより、もう時間だろ?学校行くぞ」

「あ、待ってよ祐一〜」

これ以上この話題を続けたくないので、俺は慌てて席を立った
そして、俺は名雪と一緒に秋子さんに見送られて家を出た
長々と無駄話をしていたので、久しぶりに走るはめになってしまったが…

「やっぱり、お前らはあぁじゃないとな」

「ほっとけ」

朝からこの調子でからかってくるこの男は悪友の北川
この町に引っ越して一番初めに出来た男の友人だ
クラスが一緒なので、昼飯はいつも俺と名雪と北川、後、名雪の友達の香里との4人で食べているのだが、この日は違った
購買で昼飯用に鞄一杯のパンを北川と一緒に買い、屋上へ向かう階段へと向かっていた
今日は天気が良いので、屋上で食事をする予定だ
だが、美少女二人組との食事を蹴ったのだ、それだけが理由では無い
屋上へと続くドアを開くと
俺はすでにそこで大量の重箱をビニールシートの上に所狭しと並べている二人の美女の姿を見つけ、挨拶をした

「こんにちは、佐祐理さん、舞」

二人は俺達二人に気付き、挨拶を返してくれた

「あはは〜、祐一さん、北川さん、こんにちは〜」

「…こんにちは、祐一、北川」

「お二人ともこんにちは〜」

北川も一緒になって挨拶をする
この穏やかに笑っている女性が佐祐理さん、無愛想な方が舞だ
ちなみに、二人とも今年の春にもう卒業しているのだが、たまにこうやって潜り込んで、一緒に昼飯を食べている

「…祐一、それは私のたこさんウィンナー」

「別にいいだろ、俺は腹が減ってるんだ」

「…祐一にはパンがある」

「パンはもうこれ一個だけなんだよ、いいからよこせ」

「…ぽんぽこたぬきさん」

「お前な、そんなに食うと太るぞ?」

びし

「いてっ!いきなりチョップする奴があるか!!」

「…祐一が悪い」

「あはは〜、まだたくさんありますからケンカしないで下さいね〜」

毎回恒例の舞との争奪戦を、佐祐理さんが笑いながら仲裁する
できるなら、チョップを食らう前に仲裁して欲しかったんだが…
ちなみに、北川は話に入れないため、黙々と焼きそばパンを咀嚼し続けている
まぁ、脇キャラの扱いなんてこのぐらいが打倒というものだ

「…今日の焼きそばパンは味付けがイマイチだな…しょっぱすぎる…」

それは泣きながら食っているからだ、泣かずに食べたら、ずっと美味しいぞ
と、言おうと思って俺は言葉を飲み込んだ
せっかく佐祐理さんや舞といった美女二人組みと和やかな談笑を楽しんでいるというのに
こんな馬鹿を相手にして時間を無駄にしては、お百姓さんに怒られ、もったいないお化けが出てしまう
大体、こいつに昔あゆに言った言葉を繰り返すのも、むしろあゆに失礼だろう
黙殺して食事を続けるのが正しい判断というものだ

「…で、倉田先輩、今日の対戦相手は誰なんですか?」

焼きそばパンを完食した北川が佐祐理さんに尋ねる
ちなみに、別に焼きそばパンが食い終わったから話し掛けたのではない
俺と舞が食事を終えて一心地つけたところを見計らって
自分もちびちび食べていた焼きそばパンを一気に食っただけだ
どうしても自分が仲間外れだという事実を認めたく無いらしい
情けない振る舞いではあるが、前に寂しさに負けてかなり強引に話に割って入ろうとしたところ
舞のチョップによる制裁を受けて食事が終わるまで頭を押さえて悶絶していた事があるぐらいなので
この事についてはツッコミを入れないのが優しさというものだ

「はい…え〜っと、お名前が出てこないんですが…
どうやら今日の対戦相手は祐一さん達のお知り合いらしいですよ」

「顔見知りか…ま、誰が来たって返り討ちにしてやるけどな」

俺がそう言い終わった時、ちょうど予鈴が鳴り響いた

「それでは、佐祐理達は午後からの講義がありますんで…」

そう言って佐祐理さんと舞は空の弁当箱を巨大な風呂敷に包んでそそくさと帰っていった

「…なぁ、相沢…」

「知らん、俺は何も知らん」

北川の言いたい事は大体分かる
どこの大学なのか?
今から間に合うのか?
あの大量の空の弁当箱をどうする気なのか?
どうやって忍び込んできて、帰っていくのか?
空になった風呂敷はともかく、あれだけ大量の中身が詰まっている状態の弁当箱は
少なくとも女性が軽々と持てるものなのか?
他にも数え上げればキリが無いが、どれも分からないことだらけだった
一度本人達に聞いたことがあったが

「あはは〜、佐祐理は魔女っ娘だから大丈夫なんですよ〜」

「私は…魔物を討つ者だったから…」

とワケの分からない答えで返された
俺には、これから一生俺は知ることが出来ないだろうという確信がある

「いや、そうじゃなくてな、今日の対戦者って誰だろうなって事だよ」

なんだ、違うのか
ちなみに、何が『そうじゃない』のかはもはや暗黙の了解だ

「どっちにしたって、知らん
それに、誰が来ようと俺は負ける気が全くしない」

「そうだな…信頼してるぜ、チャンプ」

そう、俺はチャンプなのだ
生徒会が学校ぐるみで秘密裏に行っている裏の大食い賭博競技
『フードファイト』にとある事情で参加することになってから
今や、8戦8勝、目下連勝中の、自他共に認める無敵のチャンプだ

「しかし、今日が勝負の日だって知ってて、よくあれだけ食う気になるよな
もう腹一杯なんじゃないのか?」

俺は立ち止まって、苦笑しながら皮肉っぽく言う北川の方を振り向き、不敵な笑みを浮かべて、こう言ってやった

「俺の胃袋は…宇宙だ」


………続く………

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NEXTチャレンジャーからの一言
「今にキミ達は俺の名前を忘れられなくなる…」