メインに戻る

パラグライダー


自己紹介をする上で欠かせなくなったのがパラグライダー(通称パラ)。 そう、空を飛ぶやつ!『でもどっちだっけ?』と考えている人のためにちょっと紹介。三角形のトライアングルみたいなものにつかまって硬い固定した翼があるのはハンググライダー(通称ハング)、頭の上にやわらかい生地の翼があるのがパラです。(*1) 

馴れ初め

 初めて見たのは筑波にいた頃だった。 当時、県内一高いビルにあった会社の事務所で”ブーン”という音が聞こえるので外を見てみると、はるか遠い空を動いている小さな点があった。同僚から聞くところによるとパラグライダーというものらしい。そんな光景をたびたび目にした。(*2)   
 パラを始めるきっかけとなったのは、高校時代の友人達との長野オリンピック跡地への旅行だった。もともとこの旅行は普段なかなか会えなくなった悪友との、長期休み毎に遊びに行く「次の日を気にせず遊びまくろう」企画の一つで、スキーの大きなジャンプ台を見たり、サマースキーに挑戦したりというそんな旅の中での出会いだった。      
 宿の主人からもらったチケットを持ち、一緒に参加することになったカップルと集合場所で待っていると、恐らく近くのペンションのオーナーであろう人物が現れた。褐色の体格のいい人物でこの人が今日教えてくれるのだが、もう一組参加する予定なのでその場でもう少し待つとのことだった。半袖のまま参加したことや、靴のことなどを話しながら準備体操をしていると程なくカップルがやってきた。さっそく渡された機材を背負って、冬場はスキー客で賑うであろう夏の緑色のゲレンデに向かう。おそらく初心者コースとなるゲレンデの中腹まで歩いて登り、待ち合わせ場所を振り返るとちょっとしたハイキングにでも来たようだ。半日コースでの参加だったが、運が良ければ飛べるらしい。友人が見本となり、機材の説明を受ける。言われたとおり大きなビニールシートのような機体を拡げ、荷物が入らないリュックのようなハーネスという物を身につける。後は例のオーナーが、機体につながるひもをまとめたライザーというものを先程のハネースに固定し横に立つ。実験台の友達以外は、オーナーの指示通り後ろで機体の端をつまんで持ち上げている。なにやら様子をうかがった後でオーナーの合図とともに二人でゲレンデを駈け下りる、すると機体が風をはらみ二人の頭上へ凧のように上がっていく。そして二人がさらに走ると浮いた、友人の足が地面を離れた。オーナーが笑いながら登ってくる、遅れて友人が興奮しながら戻ってきた。次は自分の番だ。同じように準備をしてみると先程とは違い、目の前にゲレンデが拡がるだけだ。オーナーの合図で駈け出したものの重い、後ろに引っ張られているようだ。それでも『走れ』というから走った、『もっと速く』とオーナーの声がとぶ。これでも、昔サッカー部だったこともあり脚力には自信があった。ひたすら走る、すると足が地面を離れた。 浮いた、いや、飛んだ!
 興奮した、こんなに興奮したのはいつ振りだろう。友人の話によると走り幅跳びのようだったという、高さにして数十センチか・・・。いや、飛んだのだ。誰がなんと言おうと飛んだのだ。それから夢中になった、友人と先を競うようにして飛んだ。 参加者の普段の生活での運動不足がこんなところでも露呈する、がそこはカップルと野郎だけの集まりの差、片や彼女の体力に気を使い会話を楽しみつつ参加するリゾートパラに対し我々は駈けては登りまた駈ける体育会系パラとなる。オーナーになかば呆れなれながらも我々は大いに楽しんだ。
 あっという間に時間が過ぎ、汗だくになった自分の傍を高原の風が通り過ぎていった。
 心地よい疲れを感じながら機材を返却し『一日コースだったらもっと高く飛べたのかな』などと参加した面々と話していると、後ろ向きになりながら機体を操るオーナーの姿が窓から見えた。
     
▲TOP▲

スクール

 その後友人との連絡の中で話題に上ることはあっても、各々仕事や結婚の準備などで忙しくパラを本格的にやってみようとはならなかった。 一ヶ月くらいたってもあの感動が忘れられなかったので、パラについていろいろと調べ始めた。まず、友人に聞いてみると『やっぱり山があるところじゃないか』という話になった。たしかに先日の旅行先もそうだったし、以前の筑波で見たときも山の近くを飛んでいた。ということは近場なら高尾山辺りでも飛んでいるのかもしれない、まてよ山ならやっぱり富士山だろう。 これだけではちょっと情報が少ないと考え、近くの書店を覗いてみた。しかしマイナーなスポーツなのだろうかそれらしき本が見当たらない、仕方がないのでもう一軒覗いてみた。なかなか見当たらなかったが、店員さんに尋ねたら二冊ほど置いてあった。どちらも入門書のようだったが、とりあえず全国スクールガイド付の方を購入し家に帰った。 早速”パラグライダーにチャレンジ”なる雑誌を読んでみると、実はあちこちにパラを教えるスクールがあることが分かった。一通り目を通した後で、実際に通えるスクールを探すためにもう一度読み直した。やはり通うなら近いほうがよいが、都内のスクールは一度集まった後で山や海岸に移動するようだ。海岸というのは意外だったが飛ぶ場所は山に多いらしい。自宅から通える範囲で三つのカテゴリーに分けてみた。ひとつは中央道方面、当初考えたとおり富士山周辺である。二つめは常磐道方面、以前住んでいた筑波がある茨城県は実はパラが盛んな地域であったのである。そして三つめは箱根方面、神奈川の山といえばここである。ここからさらに絞り込むことになる。通年通うことを考えれば、チェーンを持たない自分の車で冬季に不安がある中央道方面をまず外した。残る二つをさらに検討してみる。雑誌の表紙の見開きには全国にスクールを持つAEROTACTの広告が載っていて、茨城にもスクールがある。裏表紙には箱根方面にスクールを持つPARAFIELDという横浜の会社が広告を出している。マイナーな業界のようなので、こういう所に広告を載せているような会社のほうが信頼できる。地域別に見ても、候補に残した二つにそれぞれ入っている。常磐道方面ならば土地勘は問題ないし、夜なら1時間かからない。さらにパラのスクールもたくさんあるようだ。ひとつ気がかりは、一度渋滞にはまると何時間も覚悟しなければならない。一方箱根ならば30分かからないし、昼間移動して渋滞につかまってもたかが知れている。しかし、スクールとしてはどうなんだろうか? 雑誌の特集にあったスクール入校体験記をみると、全部で八つ載っている体験記のうち三つが茨城である。やはり本場は茨城なんだと妙に納得したりする。先ほど見開きに載っていた、AEROTACT系列のエアーパークCOOというスクールも記事に載っている。どうやら写真を見ても人もたくさん映っているし、しっかりした所のようだ。校長先生も優しそうだし要チェックである。もう一つのPARAFIELDという所だがここも体験記に載っていた、箱根方面では唯一である。白いテラスから山と青い空が映っている写真が載っている。ここもなかなか良さそうである。ただ、こちらはXCP証という資格をとるエキスパートコースがない!やはり本場でないと最上級コースは取れないのか・・・しかし、探してみればあるものである。YSC箱根パラグライダースクールという所が国道一号線の箱根峠にあるらしい。ここはスカイスポーツ界のシーラカンスなる人が校長で、XCP証コースも設定されている。こういう人がいるスクールでないと、難しいコースを教えることができないのであろう。決心がつかず雑誌を捲りなおしていると、実際にパラをやっている人のインタビューが載っていた。 25歳のOL、同い年である。 相模原在住、家も近い。相模原から通えるなら自分も問題ないだろう。 「素晴らしい〜」、向上心があり周りにも優しいメンバーが揃っていて雰囲気も良さそうだ。 「運動音痴の私がNP証になれたんですから〜」、運動神経の面で挫折することはなさそうだ。 最後に「ほんの少しの勇気と、ただ一つ『この大空を自由に飛んでみたい』という想いさえあれば、その人は飛べたも同然、なのかもしれませんね・・・」、決めたここにしよう。     
 早速、週末にドライブがてら箱根に出かけてみる。小田原厚木道路から箱根新道を抜け、まずはYSC箱根パラグライダースクールがある出光GS併設のコンビニに寄ってみる。それらしき事務所はあったが誰もいないようだ。スクールにでも出かけてしまったのだろうか。仕方がないので伊豆スカイライン方面に向かって、飛んでそうなところを探しながら更に走る。これだけ天気が良ければ飛んでいても良さそうだが見当たらない。しばらく伊豆スカイラインを走っていると亀石峠ICについた、どうやら話に夢中になって通り過ぎたらしい。引き返しても見つかる気がしなかったので、海沿いまで出て湯河原方面に向かった。このまま帰ってしまったらパラを諦めてしまいそうな気がしたので、地図を見ながら海沿いから探してみることにした。地図上ではこれしかないと思われる道を進むのだが、間違えたのではないかと思うほど道が狭い。しばらく走って、次に分かる道に出たら諦めて帰ろうと考えていたら看板が出てきた。駐車場があったのである。ちょっと上ったところにクラブハウスがあった。とりあえず、申込書をもらい帰る。残念なことにパラは飛んでいなかった。

▲TOP▲