新幻魔大戦(全1巻)&真幻魔大戦(全15巻)入手。 |
「超革ハン」の名前の元ネタは、SF作家の大巨匠である平井和正の小説『超革命的中学生集団』(通称「超革中」)であることは前に述べた通りです。 この平井和正の長編小説シリーズに『幻魔大戦』というシリーズがある。このシリーズは、あほみたいに長いシリーズで
・『幻魔大戦』が全20巻。(現在、発売されてるものは、2話を1冊にまとめて全10巻になっている)
・『新幻魔大戦』が全1巻。
・『真幻魔大戦』が全15巻。
・『ハルマゲドン』が全3巻。
・『ハルマゲドンの少女』が全3巻。
っていう、まぁよく書いたね、って感じのシリーズです。
『幻魔大戦』(全20巻のもの。以下、「初代幻魔大戦」)は、大学2年の時に半年くらいかけて読んだんだけど、読んでるうちに洗脳されそうな気分になる本でした。ストーリーの初めの方は普通のSF小説なんだけど、4,5巻あたりから急に作風が変わって、新興宗教の話になります。純粋にSF小説を読みたくてこのシリーズを読み始めた人の多くはこのあたりで挫折します。
実はこの平井和正って人は実際に新興宗教にハマっちゃってたことのある人で、どうやらその体験をもとに書いてるようなんですね。
で、「幻魔」っていう敵を倒すSF小説だったはずなのに、物語は主人公の作った宗教団体がどのように発展するかっていう方向に突き進んでいきまして。一向に幻魔が登場しません。で、気づくとなんか、読んでる自分もその新興宗教団体に入信しているような気分になって妙に怖くなってくる。これが10巻目あたり。で、幻魔は相変わらず登場せずに13巻、14巻…と読み進んで、18巻あたりで気づくんだよね。「この話、多分、幻魔は登場せずに、宗教の話だけで終わるなー」って。で、案の定、ぐだぐだのまま終了します。でも、グダグダでも、妙な感動があるんだよねー。読み終えた時には、半分くらい平井和正に洗脳されてました。オレは実際そうでした。
ただね。1ヶ月、2ヶ月すると、気づくんですよ。「このおっさん、イカれてんなー。」って。このおっさんってのは、もちろん、平井和正のことですよ。読者の立場をまるで無視で、無茶苦茶な小説書いて、20巻も書いたけど、結局、話がまとまらなくなったから、やめちゃったってことでしょ。要するに。今思うと完全にそうなんだけど、読んでる時は洗脳されてるからそれに全然気づかないんだよねー。
さて、当時(大学2年の頃)は洗脳されそうな自分と葛藤しながら?読んだから、読後感はホント疲れたなーって感じだったんだけど、冷静になったら、またあのクレイジーなおっさんの本が読みたくなったんだよね。
ってことで、続編の『真幻魔大戦』を買おうって決心したわけなんだけど。
これが、とっくに絶版になってたらしくて、途方に暮れてたんだけど。いろいろ考えた結果、楽天のフリマで探したら、全巻3200円で手に入れられましたとさ。
で、ちーうちのリクエストに答えて、真&新幻魔大戦の感想を随時書いていこうと思います。
気にかかったとこから順に、不定期&気分で更新してきますね。
新幻魔大戦:ESP |
さっそく、『新幻魔大戦』から読み始めたんだけど、面白いねー。 今回は宗教色は今んところでてないです。
で、初めっから、ストーリーが異次元に飛んでますねー。
まぁ、幻魔が1999年に地球を滅ぼすってのは、この小説が1980年とかに書かれてることを考えると、大目に見てもいいかなとは思うんだけど。
20世紀の世紀末では、風紀が乱れまくってて、銀座のショウウィンドウにはセックス商品があふれかえって、ダッチワイフ、ダッチハズバンド(?)が大流行して、遠隔性交装置(通称テレファック)が人気を集めてて、若者の大半がドラッグ中毒で…とかいう、設定はどうかと思うよ。
あまりに、イっちゃってる設定で実に面白いけど。
さて、ESPってことばが、出てきたんですが。
「Extrasesory Perception」の略で、日本語では「超感覚的知覚」という言葉があてられてます。まぁ、サイコキネシスとかいったほうがなじみがあるかな。
で、今日、気づいたんだけど、エスパーってのは「ESPer」のことですね。オレは平井和正の小説結構読むからESPって単語は結構、親しみあるわけだけど、ESPって言葉を今初めて聞く人には何の感動もないか。
で、小説のなかでは、「超感覚的知覚」って書いてある横に、カタカナで「エクストラ・センサリ・パーセプション」ってフリ仮名が振ってあるんだけど、このフリ仮名の振り方が妙にオレのツボに入りましてね。
英単語を、英語の発音に忠実に、カタカナにすると妙なカッコ良さがあると思うのはオレだけかなー。
例えば、parameterはカタカナで「パラメーター」って書かれるけど、発音記号が2つめの「a」の上にあることを考えれば、「パラメター」の方が正しいわけで、そうやって書かれるとなんとなくカッコ良くないっすかね。
ともかく、オレにはこの「エクストラ・センサリ・パーセプション」って言葉の響きがカッコいいなーと思えたわけで、…まぁ、いくら説明しても、これを誰かに共感してくれってほうが無理ですね…。
真・幻魔大戦@前編:ビッグプロローグ |
さて、全15巻ある『真・幻魔大戦』の一巻目を意気揚々と読み始めました。 ・・・が、これが、なんか、もひとつ読み進みませんでね。
なんでかっていうと、この「ビッグプロローグ」の話って元祖『幻魔大戦』のプロローグとほとんど同じなんですよね。
『真・幻魔大戦』は元祖『幻魔大戦』のパラレルワールドって設定なんだけど。
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パラレルワールドってのは、量子論を勉強すると割りときちんと理解できるんだけど。物質の存在、挙動は確率論で決まっていて、今、住んでるこの世界はその確率のなかで決定されたひとつの可能性であって、確率的に他の選択肢を選んで決定された世界も、この世界とは別に並行に存在すると。で、そうやって、別の選択肢を選んで決定された無数の世界は、さらに平行世界を枝分かれさせていき、多次元世界を形成させてゆき、その平行世界が互いに干渉しあって、物質の挙動を決定する確立に影響を及ぼしあう・・・云々。って話ですね。
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で、元祖のやつとちょっとずつ設定とか、時代とかは違うんだけど、基本的におおまかな流れは一緒だから、読んでても退屈なんですよね。はっきり言って。
そんな、一巻前編でした。
---あらすじ----
ヨーロッパの小国の王女リア姫が乗った飛行機が突如、空中分解した。・・・かに思えたが、その瞬間、時間のながれが止まり、止まった時間の中で、リアの意識はアル中で死んだ姉・ルナ姫の意識に乗り移ってしまう。ただし、このルナの意識は、アル中で死んだルナではなく、パラレル世界で幻魔と戦うルナの意識である。リアの意識の重ね合わさったルナは、巨大な宇宙の意識エネルギー体である「フロイ」と接触し、宇宙規模で行われている幻魔と知的生命体との戦い、すなわち幻魔大戦の存在を知り、救世主を探し出す使命に目覚める。さらに、幻魔大戦で敗れ眠りについていた、戦士ベガを目覚めさせる。
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あらすじは、いっちゃってる内容で、実際に読んだことがない人にとっては、意味不明のはず。
ってか、これは、オレがいずれ読むために書いてるんだけど。
幻魔大戦は長いから、読んでても、途中で最初の方のストーリーわすれちゃったりするんだよね。
真・幻魔大戦@後編:サディスティック・サイキック・タイガー |
----あらすじ---- 飛行機の空中分解は、こっちのパラレル世界ではなかったことに。で、超国家的企業帝国"クェーサー"の社長カトーはその根城にリアを愛人として呼び寄せる。帝国の実力者で、催眠術師のタイガーマンは強烈な野心家で、社長カトーの信頼を得ているムーンライトやドナーに激しく対抗心を燃やす。
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で、一巻の前編はけっこう退屈でがっかりしてたんだけど。後編にはいって俄然おもしろくなってきた。
なんと言っても、タイトルが最高。
「サディスティック・サイキック・タイガー」
この、力強く、安っぽく、クレイジーで、ナウで、ポップで、テクノで、フュージョンな単語を3つ並べたこのタイトルにまず、グッときましたね。
で、このタイトルが示すとおりの、激烈サディスティックな超能力者、ドクター・レオナード・タイガーマンというキャラが実にいい。現段階で、ぶっちぎりで、一番お気に入りキャラクターですよ。
意地汚くて、卑屈で、卑怯で、情けなくて、不恰好、醜悪で、下品限りない上に、超変態。
執念深くて、暴力的で、残忍で、短気で、野心家で、自信過剰で、デブ。
おまけに、怒りのゲージがMAXになると、全身にトラ柄の模様がでる。
まさに、このキャラには、この「サディスティック・サイキック・タイガー」という称号が相応しい。
後編はこのタイガーマンの卑屈な姿や醜悪な姿をみてるだけで、嬉々として読めました。
真・幻魔大戦A前編:スーパー・バロック・プリンセス |
-----あらすじ------ 深夜、タイガーマンはリアを遠隔催眠によって自室に呼び寄せ、催眠状態で変態プレーを楽しむ。それに気づいたドナーは、ムーンライトのテレパシーによる助けを借りてリアを助ける。警備員に見つかり、リアとドナーは射殺されそうになるが、リアにルナの意識が宿り、ルナの絶大な超能力で危機を乗り切る。
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前回に続き、タイガーマン、絶好調ー!!
と、いうより、前回よりはるかにタイガーマンの変態っぷりがクローズアップされてて。
催眠術で女を犯すっていう行為は、A女E女を見れば分かるように、最高に変態な行為だということがよく分かりましたよ。
ちなみに、A女E女を知らない人は、すぐにネットで調べてみましょうね。一応、ウィキペディアのA女E女の項にリンクしときます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/A%E5%A5%B3E%E5%A5%B3
オレが中学生ぐらいの時にやってた、ちょっとアダルトな番組で、バカと変態のコラボレーションを見事に成功させた番組と言えるでしょう。
真・幻魔大戦A後編:ザ・ESPファミリー |
-----あらすじ------ 一方その頃、ムーンライトは日本で東丈(あずまじょう:『幻魔大戦』の主人公)と会い、"クェーサー"が超能力で世界を支配する恐ろしい計画を立てていることを話す。そして、丈に超能力戦略に関するクェーサーの極秘ファイルを託し翻訳を依頼する。丈はムーンライトが、彼の姉、三千子に似ていると感じ親しみを覚える。ムーンライト(本名は黒野千波)が三千子にベアトリアスのかんざしを見せると、三千子はそのショックで超能力に目覚める。東一家の会合が終わると、ムーンライトは真淵どうげんの弟子を名乗る風間亜土に連れられて失踪する。
ニューヨークではクェーサーから裏切り者として追われているライアン機長がその愛人スーザンの元に向かっていた。スーザンの家にはクェーサーの手下が待ち構えていた。ライアン機長を助けに来ていた超能力少年ソニーの巨大なPK能力によって手下を倒すことに成功したが同時にライアン機長も命を落とす。ソニーもその後増援にきたクェーサー工作員の手にかかり命を落とす。
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このあたりから、前作、前々作の登場人物がかなり登場し始めた。
ベアトリアスのかんざしというのは、ルナ王女の娘のベアトリアスがタイムリーパー(時間跳躍者)の黒野千波に託したもので、『新・幻魔大戦』に登場する。
ソニーは『幻魔大戦』の前半にでてきた、黒人サイキック少年。『幻魔大戦』の前半は、ルナとベガとソニーと東丈などの超能力者たちが大活躍して幻魔をやっつける…といった雰囲気のストーリーだったが、後半からは東丈の宗教団体創設物語に変貌する。
でもって、小説のなかではソニーとかベガとかは全然語られなくなってしまったんだけど、『真・幻魔大戦』ではザクッとソニーを舞台から下ろしてくれてちょっとすっきり。
幻魔大戦への熱き思い |
今日、ついに『真幻魔大戦』を読み終えました。 あらすじを連載していくかと思いきや、ぷっつり止めてしまっていたのは、小説がものすごく面白くなってきたために、いちいちアップするのがめんどくさくなったからなんですが。
ともかく、購入から約6ヶ月で読み終えました。
基本的に本を読むスピードは遅い方なのですが、読み始めたころは、ただでさえ遅いのに加えて、ストーリーがだるいという致命的な理由からとても読み進むのが遅いという状態でした。
しかし、タイガーマンが登場するあたりから、徐々に面白くなってきました。
『幻魔大戦』と『真幻魔大戦』の作風というか、雰囲気がはっきりと違うものになってきたのです。
これは、本のあとがきにも書いてあったことなのですが、『幻魔大戦』と『真幻魔大戦』はまるで違う小説家が書いてるような雰囲気や作風の違いがあるのです。
どちらも、ほぼ全く同じテーマを扱ってるだけに、その筆の違いがはっきりと感じられたのです。
平井和正(作者)は、小説を「言霊」に動かされて書いているという主張を繰り返し言っていますが、この「作風の違い」はそれが事実であることを不気味なまでに感じさせました。
この違いは読んでみるほか伝えようのないことですが。
ともかく、読み終えた。
感動的なまでに、無責任な終わり方。
最高だ。
平井先生、あんた最高だよ。
全然、ストーリーが完結してないじゃん。
最高だよ。
この、無茶苦茶で、読者をなめきった終わり方。
最高だよ。
確かに、『幻魔大戦』も風呂敷を広げるだけ広げといて、無責任に終了だったから、『真幻魔大戦』もそんなかんじだろうなとは予想してたさ。
しかし、オレの予想を上回り、さらに中途半端。
中途半端という形容詞を強調するのに、どのような言葉が適切かは分からない。
超中途半端。
絶妙に中途半端。
あらゆる角度から見て中途半端。
最高だ、平井さん、こんな舐めた小説を書くから、あんた最高だ。
全体のストーリーの起承転結はバランスが悪いし、ほのめかした数々の複線はなんの結論も得られないままだし、
単調な繰り返しのような話がだらだらと続くことも多いし。
だけど、じゃあ、なぜ面白いのか。
それは、この平井和正って人がこの作品にこめた熱意。
それ以外にありえない。
『幻魔大戦』という作品を読み終えたとき、私はしばらくの間、この平井和正という人の俄か狂信者になった。
そして、数年のち、『真幻魔大戦』を読もうと思った時、すでに狂信的心情は消えており、無責任な小説を書く無茶苦茶な小説家・平井和正に対し、バカにするぐらいの感情で読み始めることにした。
しかし、読み進むうちに私は再び熱烈な平井信者になっていくことをひしひしと感じた。
『幻魔大戦』は宗教団体という神秘的な存在に対し、疑問をなげかけるようなストーリーであった。
そして、かつ、『幻魔大戦』という小説自体が新興宗教の布教活動であるような不思議な小説であった。
それゆえ、この小説には魔的な引力、魔蟲(まじ)があった。
その引力、魔的な妖光を正面から直視してしまうことは危険である。
私は当時、それを直視し、是非無く平井信者になってしまったのだ。
しかし、『真幻魔大戦』に宗教的な話はなく、布教活動を施されるようなトリックは仕掛けられていない。
それでもやはり魔蟲(まじ)がいるのだ。
『幻魔大戦』を読み終えたときは、私は熱に浮かされたような状態であった。
しかし、今回『真幻魔大戦』を読み終えたときは、そのような熱に浮かされるよなことはなかった。
それだけに、冷静にこの作品が好きだと胸を張って言える。
そして、あらためて思った。
小説の面白さはストーリーにはない。
無茶苦茶なストーリーでもオレは作者をせめたりしない。
作者が全身全霊の熱意をそそぎこんで、命をけずり書いた小説ならば、私はそれに敬意を表するほかない。
そう改めて感じた貴重な小説だった。