久が原研究ノート 第4巻
2005年12月17日リリース

久が原の少子高齢化は?

 1年半ぶりの研究ノートのリリースです。
 国民の「少子高齢化」が将来の日本の国力低下に結びつくのではないかと懸念されています。難しい議論は専門家にお任せして、久が原の年齢別人口の推移を調べてみましょう。

 まずは久が原の「人口ピラミッド」の形を調べてみましょう。以下に示すのは1982(昭和57)年、1994(平成7)年、2005(平成17年)の男女別・年齢別の人口を示す人口ピラミッドです。

 三つのグラフを見比べると一目瞭然、1982年には30代にあった人口のふくらみが着実に上昇しています。現在でのピラミッドを見るといわゆる「団塊ジュニア世代」が最大勢力になっているのが判ります。また、15歳未満の人口が尻すぼみなのが気になりますね。

 次にこれらの三つの時点(1982、1994、2005年)線で結んで時間的推移を見てみましょう。男女別(全人口)と丁目別のグラフを示します。ここで高齢化率とは「65歳以上の人口が全人口に占める比率」で表しています。

 男女別では女性の方が男性よりも高齢化の進度が速いことがわかります。丁目別では3丁目が一貫して最も高い高齢化率を示していますが、4丁目が他の丁目と較べて急速に高齢化が進んでいるのが判ります。3丁目、4丁目とも世帯当たりの敷地面積の大きい住宅地ですが、若い世代が独立して久が原以外の土地に住み、お年寄りが残っている状況を示しているのではないでしょうか。ここ数年来、広い敷地の住宅が分割されて数多くの建売り住宅に建て替えられているのが目立ちますが、それでも比較的価格が高い地区なので若年人口の増加にはすぐには結びついていないのかもしれません。

 最後に久が原の少子化率と高齢化率の推移を全国、東京都、大田区の推移と比較してみます。全国のデータは戦前からの国勢調査のデータを利用しています。

 全国のグラフを見ると長期にわたっては高齢化よりも少子化の方が深刻な感じがします。これは生活レベルの向上に従って「多産多死」から「少産少死」に変化し、人口ピラミッドが「富士山型」から「釣鐘型」更には「宝珠型」に変化していく過程で、わが国でも明治以来の工業化と社会の成熟で先進国の仲間入りしたことを示しています。先日「マネジメントの父」ピーター・ドラッカー教授が亡くなりましたが、教授が発明した言葉に「脱工業化社会」があります。工業化の後には「知識社会」が来るというのですが「知識労働者」の絶対数が減ってしまうのにどう対応するかまでは語っていなかったように思います。
 久が原の少子化は1982年から1994年にかけては全国平均や東京都の推移よりも急速に進んでいますが、1994年から2005年にかけては下げ止まっています。一方、高齢化の方は1980年代から現在まで全国や東京都の進行よりは多少穏やかな進行になっています。

 今回は余り考察を加えずにデータだけを示して皆さんに考えて戴こうと思います。


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