久が原の旧地図(2)

明治39年測量 明治41年発行
大森 2万分の1(正式)と溝口 2万分の1(正式)を結合

「道々橋」「本村」「原」「向」といった集落名が見られる。「道々橋」は江戸時代から久が原とは別の村落であった。本サイトの「久が原の歴史」に示す様に江戸時代の久ヶ原は「六郷領久ヶ原村」と「馬込領久ヶ原村」との二ヶ村に分かれており、明治11年(1878年)に一村にまとめられた。村民は「六郷領」を「原」と呼び、「馬込領」を「向」と呼んで区別していた。

この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図、2万分の1正式図及び1万分の1地形図を複製したものである。(承認番号 平14総複、第408号)[承認書(PDFファイル)

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