のだめ・カンタービレを読んで教育について考える
3/10/2003


のだめカンタービレ8巻
買いました。読みました。
みなさんも読んでください。一巻から。超楽しいから。
最近シュトレーゼマンでてこないけど。

ライジングスターオーケストラ始動しましたね!

クラシックって私くらいの年齢だとあんまり話題に上ったりしないんですが
私の中では、
妹がピアノを少し本格的にやっていたり、
親友の一人が吹奏楽部でボスクラリネット(違)で全国で金賞とったりしてるんで
わりとポピュラーなかんじなのです。
そういうわけでのだめ読んでてもいくつか知ってる曲があったりします。

特に私は、学校で聞いたんですがラフマニノフのピアノ協奏曲2の18が大好きで
なんども聞いたりいろんな人のCD買ってきたりしてるんですが。

クラシックって演奏する人によって本当に変わります。
曲が同じだから、誰の聞いても同じだとか
そんなことはないんです。
たとえば最近のアーティストで椎名林檎とかが
昔はやった曲、例えば松任谷ゆみとかのカバーやってるじゃないですか。
カバーしてたって歌同じなんだから同じじゃんとはいえませんよね。
それと同じで、指揮者とか奏者が変わると、本当にかわるんです。
クラシックって。

のだめのセリフで結構重要なのがありました。
「自由に楽しくピアノを弾いて何が悪いんですか!?」


確かに悪くないです。しかし千秋は
「シューベルトは気難しい人みたいで頑張って話し掛けてもなかなか仲良くなれません」
というのだめのメールに対して
「本当に気難しい人なのか?自分の話ばかりしていないで相手の話もちゃんと聞け!楽譜と正面から向き合えよ。」
と返しています。

この話の中で、のだめは得体の知れない生物です(笑)
自由で、奔放で、傍若無人で、よくわからない。
自由ってのは確かに素晴らしい事ですが、のだめは壁にぶち当たります。
のだめがピアノを弾くときは、自分の思うが侭に引いてしまいます。
ピアノのところをフォルテ、フォルテをフォルテッシモ。音も増やしちゃう。
でも彼女のピアノの技術は素晴らしい。リストの超絶技巧曲(名前だけでも寒気がします)を
「適当に」ひけてしまう。それだけの能力を持っています。
そしてのだめの奔放さを抑えると、その技術まで抑えられてしまう。
ハリセンは今ジレンマと戦っています。

このことは現代社会にも言えるのではないでしょうか。
子供を社会に適応させるのが学校である。
そういう考えを長い間信じて日本の「教育」はなされてきました。
しかしそれではよくない。弊害がたくさん発見されました。
よくないので改革され「ゆとり教育」なるものが始動します。
また、問題が起こるとすぐに怒る過保護な人たちの手によって
教師の権力はある意味で去勢されてしまいました。
その結果、公共心を持てない子供で小学校は動物園のようになってしまいました。

ゆとりによって広がりのある教育を施すか。
社会に適応させ成員としての教育を施すか。
現在の教育はそれによってジレンマを抱えています。
(平等主義の問題はややこしくなるので触れません)

教育だけではない。私たちは常にそういう問題と直面しています。
自分のやりたいことをやるのか、それともまわりにあわせるのか
周りに角が立っても自分の好きなことを言うのか
周りに角が立つから自分の言いたい事もいわないのか

のだめや留年太郎(違う)は「個性のありすぎる子供」です。
自由にやることに慣れすぎてあわせるのが苦手。

今の世の中には、のだめほどでなくても自由に生きている人が大勢います。
自由にやりすぎて、歯止めが利かなくなっている人たち
どこまでやっていいのか、分からない人たち
自分がどうしたいいのかわからないひとたち
なにをやりたいのかわからないひとたち。

そういう人はまず、自分の抱えている問題から逃げずに
正面から考えてみたらどうでしょう。
のだめはシューベルトに正面から向き合い、小節一つ一つにいたるまで理解し、
そして演奏をしています。
私たちもまず、問題に正面から向き合い、その問題が問題である理由の一つ一つまで
考え抜いてみたらどうでしょうか?
そうしてこそ、その問題を自分の中に取り込んで、すみずみまで理解し解決することができるのではないでしょうか。

なんでのだめネタでこんなまじめに考えているんだろう。浪人の始まった私(謎)

補足解説

のだめ カンタービレ
著者:二ノ宮知子
出版:講談社
連載:KISS

指揮者を目指す俺様・千秋真一と落ちこぼれ変態ピアニストのだめの、愛と笑いのクラシック・コメディ。