遅ればせながらレンタルDVDで宮藤官九郎の初監督映画「真夜中の弥次さん喜多さん」を観ました。結論として、とっても面白かったです。
クドカンについては、「ピンポン」も「木更津キャッツアイ」もテーマがビンボ臭そうで未見でして、こないだまで名前だけで作品を全然知らなかったんです。その後、テレビドラマ「タイガー&ドラゴン」にはまって、いっぺんにファンになってしまいました。そもそもそのドラマだって、主題歌が、結構好きだったりするクレイジー・ケン・バンド 横山剣の「タイガー&ドラゴン」だったからこそ、くだらない地上波テレビのドラマでも見る気になったことがきっかけ。ことほどさように、何かのきっかけが無いことには、オヤジ化するとF1、M1の流行ものにはハードルが高くなってしまうもんなんですね。こういうことって、きっと古今東西を問わずローマ時代から変わらないと思います。
で「弥次さん喜多さん」。映像作品としてはテレビドラマよりこっちが先なんでしょう。でもとっても面白い。一昔前のアート指向とかポストモダン指向など全く関係無しに、クドカンという個人に内在する(であろう)エンターテインメント要素を素直に表出してみました、って感じ。でもって私のような、ちょいアナクロなシュール・レアリズム信奉者であり、かつ80年代アート系映画ファンでも唸っちゃうのは、そのシュールさとキッチュさのミクスチャー具合なんですね。マスターベーションに堕せずエンタメとして成立させてる手腕がすごい。
そもそも原作がしりあがり寿の漫画だしね。しりあがり寿は絵が下手なので、私は決して好きにはなれない作家ですが、現代のシュールといえばこの人、ではある。
キャスティングはエンタメ性を担保すべく、長瀬智也くんに中村七之助(おとうさんと仕事したことありますが、当時彼はまだ小学生。うーん月日は百代の過客なりってね)、勘九郎に研ナオコ、小池栄子といったお茶の間スターを配す一方、キッチュ方面では梅図かずお先生が出てきてビックリします。また松尾スズキはお友達なんでしょう。脇を支える配役は、阿部サダヲ、古田新太、森下愛子といった「タイガー&ドラゴン」でもお馴染みの連中が支えています。映画を楽しめたのも、「タイガー&ドラゴン」でこれら役者さん達とクドカンの芸風に馴染んでいたからかも知れません。「サンデー、マンデー、テヤンデー」なんてギャグは、「あ、タイガー、タイガー、じれっタイガー」と同じですもん。
ストーリーは、しりあがり寿の原作と、どこまでパラレルなのかは不明ですが(しりあがり寿の漫画はお金出してまでは買わないので)、弥次喜多なんでそこはそれ背景は江戸時代風になってます。それはしかし、多分時代劇のセットやかつらを借景としたかったためで、中身は極めて現代的ロードムービー。「タイガー&ドラゴン」で落語と浅草を借景とした手法は、こっちのほうがが先なんですね。ロードムービーつっても、ジム・ジャームッシュみたいな「何かありそうで実は意外にスタイルだけの映画」ではなく(ファンの人ごめん)、とっても浅薄かつキッチュな、RPGのゲーム世界風ロードムービーです。主人公であるホモの恋人同士が、様々なレベル(○○の宿、となっている)をクリアしていく内に、ゴールである真の愛に目覚めるというもの。でもストーリーなんて、シナリオを支えるバックボーンとして破綻さえしていなければ、テキトーであっても、あとは映像の力で押し切っちゃえばいいんです。あ、これはロバート・ロドリゲスの方法論だな。
1960年代に詩の雑誌「ユリイカ」で無理矢理ビートルズ特集を組んだとき、当時の文芸評論家、美術評論家がまるでビートルズを聴いたこともないのに、ピントはずれのアナロジーを連発して、噴飯ものの記事ばっかり書いていたことと同列に堕してしまう危険性をはらむんですけど、でも比喩を出します。え、これは21世紀日本のアレッハンドロ・ホドロフスキーだ、と。現代の「エル・トポ」「ホーリー・マウンテン」だと。
映像はお金こそさほどかかっていないものの、シュールの連続でそこそこ見せます。やっぱクドカンもホドロフスキー同様、ガジェット(すいません、死語で)いっぱい引用しており、それは端正な作品方面であれば村上春樹と同じだし、異常な方面ならオウム真理教と同列なんで(以上大塚英志からの引用)。例えば、「弥次さん喜多さん」では、ヘドヴィグ&アングリー・インチを、お笑いの山口智充がパロっていて、そのヘドヴィグにしても既にして引用をベースに置いた映画であり(70年代グラムロック、Tレックスのパロディまたはマーク・ボランや「アラジン・セイン」デヴィッド・ボウイとイギー・ポップのホモだち関係のオマージュ)、また最期のシーンでダリの「足長ピンク象」がまんま引用されたりしています。つまり現代の芸術や映画作品は、引用も「引用の引用」になっているという構造です。押井版アニメ映画「攻殻機動隊」のパート2も、士朗正宗原作コミックの改題である上に、シュール・レアリスムのハンス・ベルメール「人形=球体関節」を重ねて引用した構造であったように。あるいは村上隆がオタク文化の素朴な引用であり(ビジネスマンとしはすごい)、そのオタク文化がそもそもは既存のアニメの引用であるように。21世紀のとばくちである現在は、20世紀のアートの重層的コラージュが当たり前に存在できる状況なんですね。されにそれが商業的に成功する秘訣は、エンタメ性の担保。一頃前のおゲージツ映画と異なるのは、そのハリウッド的指向性が日本でも普遍的になったことでしょうか。
しかし単なるびんぼ臭い娯楽映画ではなく、シュールとエンタメの重層した映画が今後も作られていくのなら、興行的にも資金的にもえらく上向きになって来ている日本映画の未来は明るいと思います。量は質を担保するんですから、ちょい前に林海象が「日本の映画関係者、例えば大道具さんのセンスの古さはいかんともしがたい」といって嘆いていた閉塞的状況からはローンチしはじめた、と言えるのではないでしょうか。林海象の「ZIPANG
」がシュールで有るように見えて実は結局情けない失敗作に終わったようなことは、「弥次さん喜多さん」では起きていません。90年代にデビューしたレニー・クラビッツは、勉強した上での剽窃が透けて見えて、私にはダサイと思えちゃうんですが、J・POPのオレンジ・レンジなんてオリジナリティがどこにあるの?って言う批判は簡単ですが、ヒップホップでも沖縄民謡でもスラッシュ・メタルでも自然で取り込んじゃっているため、なんかかえって素直に受け入れられる。これって、映画の世界で、林海象とクドカンに例えたらおかしいでしょうか。
まあなんにせよ、こういった「ある程度の時代を俯瞰してあーじゃこーじゃ言う」のも、私がオヤジになったればこそ、ですね。今を生きる若い人には持てない視点。もちろんそれは、裏返せば「ユリイカ」のビートルズ特集という噴飯モノのピント外れ、という危険性も併せ持っていることは自覚しております、ハイ(^。^) 2002.10.11