・思い出のタマンセプテ 今回,自分がマレーシアによったのは 二つの理由があった。一つは7年ぶりに自分が生まれ育った マレーシアを純粋に見たいということ。そしてもう一つは自分の 青春時代をすごした校舎をもう一度見たかったからである。 自分が小4から小学校を卒業するまで学び,遊んだタマンセプテの 校舎は今はジャパンクラブに変わっていた。昔自分がいた頃はよく ジャパンクラブで友達に会ったものであったが,今はジャパンクラブで なくても日本のビデオなどは借りれるようになり,なんかさびれてしま ったような気がした。でもあの校舎の思い出は今もなお色濃く残っていた。 目次へ 懐かしのスバンの校舎 7年前とは違いスバン校舎の周りはとても開けていた。マンションや,企業の ビルが建ち並び,まったく変わってしまったかのように感じた。 校舎は少し色があせてしまったけれども,あの時のまま何も変わらず建っていた。 その校舎で一つだけ驚いた事があった。それは美術室の横を通った時であった。 そこにはタマンセプテの校舎の模型が置いてあった。それはタマンセプテ最後の年, 小学校の卒業生は自分達の学年であったが,中学部の人たちが作ったものであった。 その模型の復元を平成6年にやったみたいなのだが,そこにはなんと自分の名前も 載っていた!!!7年経った自分の母校にいまだ自分の名前が残っている事に本当に 感激した。またあれを見にあの学校に行きたい。 目次へ 懐かしのスバンの校舎