・カンボジアの近代史
カンボジアの近代史は大きく分けて下のような5つに分ける
事ができる。
1)シアヌーク時代「カンボジア王国」 1953-1970
2)ロン・ノル時代「クメール共和国」 1970-1975
3)ポル・ポト時代「民主カンプチア」 1975-1979
4)ヘン・サムリン時代「カンボジア人民共和国」1979〜1993
5)現在 「カンボジア王国」 1993〜現在
カンボジアの近代史はあまりにも複雑且,色々な事が短い
間に起こりすぎているので,すべてをこの場で説明するのは
困難である。なので,この場では世界中に大きなショックを
与えたポル・ポト時代の事について説明したいと思う。
1975年4月17日,ポル・ポト派はロン・ノル政権を倒し,
プノンペン市内へ勝利の入城をした。多くのカンボジア国民,
市民は,この時,戦争の集結と,平和の回復を喜んだとされ
ている。しかし,これからが,カンボジアの悲劇の始まりだ
ったといってもいい。この時,ポル・ポト派政権は「米軍か
らの爆撃がある」「200万人の市民に食わす食料がない」な
どの口実のもとにまずプノンペン市内にいた人間を全員農村
部に追い出した。この時代の恐怖はこれから始まった。
ポル・ポト派政権は直接的な共産主義の実現を目指して,市
場,学校,病院,貨幣を廃止し,仏教およびあらゆる宗教を
否定していた。全国民は「サハコー」と呼ばれる人民公社に
収容され管理された。ここは内容的には強制収容所であり,
強制労働キャンプであった。家族は分けられ,反抗するもの,
旧体制のもの,体制に不満を漏らすもの,医者,先生などの
知識人,めがねをかけた人,華僑,僧侶,しまいには家族の
死を悲しむものさえも多くの場合は殺された。子供は,「ポ
ル・ポト派の財産」という観点から,物理的,精神的に親か
ら切り離され,親を密告する事まで奨励された。
共産主義実現のため,かんがい設備,ダムの建設,農作業
は早朝から深夜まで続けれられ,少量の食事と医療が否定さ
れていた事によってこの時代,この時代には100万単位の人
が亡くなったといわれている。カンボジア南部のカムポット
州には今も昔も,ドリアンの広大なプランテーションがあり,
ここでも多くの人が埋められたという事である。
この後,ポル・ポト派内部でもやり方に対する疑心暗鬼が
広まっていったからか,1979年にヴェトナム軍が攻め込んで
きたときも,わずか二週間で倒されてしまった。
その後も,色々な権力争いは長く続き,カンボジアの人々
へは大きな恐怖と苦痛を与えつづけた。しかし,1993年9月,
世界でもまれに,カンボジアは王政に復帰して現在ノロドム・
シアヌーク国王とフン・セン首相を軸とした国が成立し,平
和への一歩を歩もうとしている。