when i sixty four.


「ねえ、海堂?」
 試しに声をかけてみた。
 起きては居ないだろう一つ年下の後輩。規則的な寝息が聞こえてくる。日ごろあれだけ運動し
ていれば、体が休息を求めるのは当然のこと。きっと、夢さえ見ない深い眠りの中にいる。
 ベットから身を乗り出して、床に敷いた布団に眠る彼を眺めた。少し口の空いた、穏やかな寝
顔だ。まして、きつい目が閉じられているから、昼間とは驚くほどに印象が違う。幼くすらある。
 海堂薫。
 親しい後輩で、ダブルスのペア。打ち解けた関係とはとても言えないが、とりあえずお泊りは
オッケーしてくれる位の仲である――単に、遅くなったので泊まらせた、というだけだが。上下関
係をわりあい気にする子だから、先輩の申し出を断われなかったのかもしれない。
 それにしてももう3回め。
 初めて泊まったときは寝返りを打ってばかりだったのを思い出す。
「もう、馴れた?」
 ぶらん、と右手を垂らして海堂の顔に手を伸ばす。左手の上にあごを乗せる。彼に触れない
ギリギリのところで右手を止めた。真っ暗な部屋の中で、彼の白い顔とそれより黄色い自分の
手が目だって見える。
 顔との隙間の空気が、乾の掌に海堂の体温を伝えた。自分のより随分高いように思える彼の
体温。1才の違いというのは、こういうものだろうか。とりあえず、自分は彼の先を行っていると思
えるのが、乾は妙に嬉しかった。
 右手をずらし、髪の上にそっとそっとのせる。周囲の暗さと一緒になっている真っ黒髪は酷く
細くててまっすぐだ。海堂を起こさないよう、細心の注意をして、撫でるように動かしてみた。柔
らかい感触が手に楽しい。髪を絡ませないよう気を付けながら撫で続ける。海堂は、起きる気配
もない。
「海堂は……いま、俺が必要だよね。」
 返事はない。乾も、ソレを期待していない。ただ、口にだしておきたかった。手は髪を梳く動き
な変わる。
「……来年は、どうなんだろう?」
 乾は、それを考えるのが嫌だった。海堂が一年の時から、ずっと面倒を見てきた。一番近くで
彼を見て、彼のプレイその他の状態を一番よく知っている。その彼とダブルスを組んで関東大
会に出場する。全国にも、行くだろう。嬉しくないはずがない。
 しかし、だからこそ、来年が怖かった。海堂は、苦しむだろう。散々手を出してきた自分が居な
くなって、調子を崩すだろう。そして――そして?
「ちがう、ね」
 乾は小さく笑う。怖いのは、海堂の不調ではない。彼はきっと、それを自分で乗り越える。それ
位、出来る選手なのだ――自分が、育ててきたのだから。
 本当に自分が怖いのは、彼に必要とされなくなるコトだ。
 来年、彼は一人の力でやりぬくのだろう。出来るのだろう。そして、自分は、いらなくなるのだろ
う。部活の後ウチに来て、泊り込む程相談をする。その彼が、自分を必要としなくなるのだ。
「ちょっと、キッツイね」
 乾の苦笑が止んで、まったくの無表情に変わる。
 海堂は、相変わらず眠ったまま。
 掌から、サラサラと髪が落ちていった。

オワリ.



激短。
ssってよりも抒情詩です。
乾さん関東大会前夜譚、とでも言いましょうか。
ラブなようでラブでない関係。
が、甘さを目指した。
20020310
BACK